走行帰兵ウマムス   作:影のビツケンヌ

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好敵手

 七月から八月に亘る夏期休業期間、トレセン学園ではクラシック級以上のウマ娘を対象に夏合宿が行われる。通常殆どの生徒は学園主導で館山湾の合宿所に向かうが、トレーナーやチームの方針によっては別の場所を合宿先に選ぶこともあり、チーム・アンタレスもそんな例外の一つであった。

 昨年はタキオン以外のメンバーがジュニア級だった為、兵藤は学園のある東京都府中市と千葉県館山市を東京湾アクアラインを通じて行き来し多忙を極めていた。幸いにして、今年度は長野県南佐久郡南牧村、野辺山高原のホテルに全員を連れていくことができている。

 

「アイス美味しかった~……あれ、スコープ何してるの?」

「……」

 

 チケットが畳敷きの居室に戻ってくると、そこには一足早く風呂から上がったスコープがいた。彼女は広縁に置かれた椅子の一つに深く腰掛け、ポータブルDVDプレイヤーの映像をじっと見つめている。

 

『――抜けた抜けたっ! 先頭はウイニングチケットっ!! ウイニングチケット!! ウイニングチケットが先頭で今、ゴール!! ダービーを制したのは、ウイニングチケットだぁーっ!!』

「あっ、アタシのダービー!!」

 

 スコープが見ていたのは、チケットがダービーウマ娘になった今年の日本ダービーだった。彼女は動画を何度も巻き戻し、第四コーナーからゴールまでの展開を再生し続けている。

 クラシック三冠の一角たる皐月賞に、友人のビワハヤヒデ、ナリタタイシンと共に挑んだチケットだったが、ライスの友人ミホノブルボンに一着を奪われ、その反省から徹底的に心身を鍛え直した末、見事にダービーで勝利を飾った。しかしラストスパートでの無理な加速が祟ったか、左足の距骨と第四・第五中足骨の骨折が三日後に判明。極短期間で快復しリハビリも終了したものの、体への負担を心配したトレーナー二人(どちらかと言えば良川)の判断で、アンタレスは他の生徒達とは別に合宿を行うことになったのである。これは空気の澄んだ涼しい環境でチケットとクリークの負担を軽減するのと同時に、秋にGIを控えたスコープとライス、タキオンの三人に高地トレーニングを課す目的もあった。

 秋のGI――即ち、菊花賞と天皇賞(秋)。前者にはスコープとライス、後者にはタキオンが出走する。

 

「ここ一ヶ月ずっと見てるよね! そんなに気に入ってくれるなんて……やっぱりアダジ、頑張っだ甲斐があっだんだあああああぁぁぁぁぁ~~~~~!!」

「……」

 

 かの日本ダービーの後、菊花賞への出走をスコープ自らが決めたことは、アンタレスの関係者全員を仰天させた。それまで将来に対する目標が希薄に過ぎ、トレーニングメニューも出走するレースも兵藤に言われるがままだったスコープが、自分の意思で出たいレースを選択するというのは、格別に大きな成長といえるだろう。暇さえあれば過去のレース記録を見るようになった彼女の姿は、チケットの目には戦意という火に薪をくべているかのように映った。

 合宿中に調子を取り戻せば、自分も菊花賞に出る予定になっている。スコープには初めてのGI、大舞台で競い合えることに、チケットは血沸き肉躍る思いだった。

 

「……合宿の前に、ライス達と――お前に負けた奴らと話した」

 

 チケットが例によって感涙していると、スコープがおもむろに口を開いた。

 

「俺が考えていた程、負けた者達は悲観的にはなっていなかった。彼女達には戦場より余程確実な形で‘次’が与えられている。それが、俺にはなかった‘余裕’を生んでいた」

「余裕……?」

 

 チケットはスコープの言葉を思わず鸚鵡返しした。スコープの言った通り、ライスもチケットと共にダービーに出たが、三つ巴の戦いとなったBNW(ハヤヒデ、タイシン、チケットのイニシャルを取った名称)とそれを追い越そうとするブルボンに前を塞がれる形となり、五着に沈んでいる。しかしそれで彼女が諦めた様子はまるでないし、他の三人も同様だ。

 

「今まで気付いてはいなかったが……俺にも、‘次’はまだあるらしい。だからきっと‘余裕’もある」

 

 そこでようやく、チケットはスコープの真意を掴んだ。

 

「命のやり取りではない、純粋な勝負というものを楽しんでみることにした」

 

 チケットの勝利とその下にある敗北。確かに厳しい世界だが、スコープはゴールの向こう側に続く道を知った。たとえレースに負けたとしても、膝を折ろうとする自分自身に負けさえしなければ、夢は、未来は失われることはないのだと。勝者への挑戦権は、ここでは敗者に等しく与えられている。

 スコープはまだ、チケットが抱いていたような夢を持っていない。戦いの中で風化していた勝負事を楽しもうという心持が、クラシック戦線も半ばで蘇り始めた彼女は、いわば長い停滞と迷走の末に振り出しに戻ってきたばかりだ。しかしスタートラインに立てたこと自体、彼女には非常に大きな一歩と言っていい。

 

「スコープうぅぅぅぅぅ~~~~~っ!!」

「……何だ」

「アダジごれからもズゴーブど一緒に走るよおおおおおぉぉぉぉぉ~~~~~!!」

「……そうか」

 

 重く虚ろな悲しみを取り離し、何物をも握っていないその手に生まれた、如何なる夢をも掴む可能性。それはいずれチケットら同輩達と熱くぶつかり合うことになる――その舞台には、スコープを苦しめていたしがらみは存在しないと、チケットは信じていた。

 スコープに抱き着きながら、滂沱の涙と共にチケットは叫び泣く。寝間着が色々な液体に塗れるのも構わずそれを受け止めるスコープは、空いている右手でDVDを別のものに入れ替えた。

 

  『二〇XX年六月六日 第XX回安田記念 ストライクドッグ 1:30.9』

 

 

 

 

 

 菊花賞当日。それはスコープが初めて勝負服を着て走る日でもある。自身が着る衣服に無頓着で、チケットらと買い物に行くまで私服の類を殆ど持っていなかったスコープは、勝負服の発注の際もデザイナーに丸投げしていた。

 

「どんな具合だい?」

「……決して着心地がいい、という訳ではないが……何故か、とてもしっくりくる。懐かしさや、お袋に抱かれたような心地さえする。多分、この服だけで過ごしても問題ないだろう」

「いやチケゾーじゃあるまいし……」

「ハハハ、どうやら好評のようだね。私も初めて着た時は気分が上がったよ」

 

 届いた勝負服はオレンジがかった赤色の耐圧服で、露出もゼロに等しく、()せることを目的とするものとしては地味という他なかったが、そこから醸し出される異質さはむしろスコープドッグというウマ娘の存在感を存分に際立たせていた。

 

『十五番、スコープドッグ。八番人気です』

「その勝負服の肩は赤く塗らねえのかい?」

「貴様、塗りたいのか!」

「へっ、冗談だよ……」

 

 パドックで野次が飛ぶことはあったが、メイクデビューの時に比べればずっと小規模なものだ。実力が認められ、ファンも増えた今では表立って彼女を侮辱する者は多くない。愛想を振りまくようなことはしていないものの、鋭く前方を見据える双眸からは、努力に裏打ちされた確固たる自信が垣間見える。

 よくも成長したものだとタキオンは感心していた。昨年自分が菊花賞ウマ娘になった当時、スコープは行く先も知らず淡々と走り続けるだけの機械のようであった。それが今年のダービーの後、彼女は部室に来て開口一番「去年の菊花賞の記録を見せてくれ」と言い出し、他にも保管されていたレース映像を片っ端から閲覧し始めたのだ。それまで受け身に近かったトレーニングも積極的に取り組み、自己記録を幾度となく更新している。後輩としても観察対象としても興味深い。

 死なない為に生きるだけではない目的意識の芽生え――これもまた、彼女の特異性のなせる業なのだろうか。

 

「――ストライクドッグ」

「む、お前は……スコープドッグか」

 

 地下バ道でスコープが声をかけたのは、彼女をGIIIで二度破っているウマ娘、ストライクドッグ。色と細部のデザインの差こそあれど、奇しくも同じ耐圧服を身に纏った二人が向かい合う。スコープはどうやら、彼女へのリベンジを一つの目標としているらしかった。これも今まではありえなかったことだ。

 

「今回は、お前に勝つ」

「勝つだと? ……ふん、なるほど。どうやら相当に仕込んできたらしいな」

 

 目上の者がいないところでは尊大に振る舞うストライク。それは上下関係への絶対的な帰順と、己の能力に対する偏執にも似た誇負によるものだというのは、校内に於ける教員やトレーナー間での評判は無論、メディアを通して多くの人が知るところであった。ここまで無敗で勝ち進み、短距離から長距離まであらゆる距離に難なく対応していることからも、それが単なるビッグマウスでないことはタキオンにもわかる。

 

「だがスコープドッグ、お前に勝利の女神が微笑むことはないのだ。それを得るのは選ばれたウマ娘、『パーフェクトストライダー』であるこの私だ!」

「――たとえ神にだって俺は従わない」

 

 己の勝利を疑わないストライクに、スコープはいつになく強気に言い放った。

 

「ふーむ……?」

 

 パーフェクトストライダー。その単語が、魚の小骨のようにタキオンの中で引っかかった。スコープの能力、特異性、それを調べる上で何か重要なことを見落としているような気がする。そして、その単語がストライクの口から出たことも――。

 二人はしばらく睨み合った後、話すことはないとばかりにコースへと歩いていく。彼女達の気迫に押されたか、妙にゲートインに時間がかかったせいで、タキオンは思考に耽るあまりスタートダッシュを見逃してしまった。

 

 

 

 

 

 スタートは、ライスとしてはらしくもなく出遅れた。だがそれは他も大体同じだったようだ。十八人のうち正常なスタートを切れたのはブルボンとストライク、そしてスコープだけ。逃げのブルボンはともかく、差しのスコープと追い込みのストライクに先を行かれる程、二人の放つ雰囲気は凄まじかったのだとライスは改めて認識した。

 焦りは禁物、故に意識を切り替える。二人が先を譲るように下がっていく中でのポジショニングで、ライスはハヤヒデの真後ろに付けることに成功した。スコープに迫る長身の彼女の背後では強烈なスリップストリームが発生している。ブルボンに勝つだけなら先頭を行くそちらの後ろの方が確実だったが、スコープやストライクの末脚を警戒し、スタミナを温存することを優先したのだった。

 

「……」

 

 淀の坂を下りながら、ライスはスコープの強みについて考える。スコープはクリークと同様コーナリングを得意としているが、クリークのそれが無駄のない動きでスタミナを回復させるものであるのに対して、スコープはタキオン曰く「(ピック)を突き刺すような」踏み込みによって強力にバ場をグリップし、直線と全く同じ速度を維持して走る‘無茶な’走法だ。坂路、特に下り坂を得意とするライスでさえ、京都レース場の第三コーナーにあるこの坂では、遠心力で外に振られないようスピードを抑えていた。しかしスコープならば、それすらもねじ伏せて最内を曲がり、二周目にはそればかりか勢いに乗って加速してくることは容易に想像できる。

 これまで併走以外ではスコープと一緒に走ったことのないライスだったが、勝率は五分五分で、油断ならない相手なのは間違いない。ましてや今のスコープならば、下手をすればライスどころか皐月賞ウマ娘(ブルボン)ダービーウマ娘(チケット)も相手にならないことだってありえる。

 

「頑張れー!!」

「ブルボン行けー!」

「勝てよチケゾー!」

 

 一個目のホームストレッチに入り、スタンドの歓声が走者達を迎える。BNWとブルボン、ストライクまでの人気票数はほぼ横並びに近く、実際そこに順位などあってないようなものだった。彼らは知らないのだ、スコープドッグというウマ娘の恐ろしさを。

 

「でも――ライスだって……!!」

 

 だとしても、それが勝利を目指さない理由になどならない。

 バックストレッチで息を入れ、坂を上って再びの第三コーナー。既にライスには、先団を目指して徐々に進出してくる二つの足音が聞こえていた。最終直線手前頃から仕掛け始めるチケットの差し足ではない――当然それは、スコープとストライクのものだ。焦燥感に心が炙られるが、ライスは努めて冷静さを保ち機を伺う。

 

「……ここだっ!」

「っ!!」

 

 第四コーナーに差し掛かり、ハヤヒデが仕掛けるのに合わせてライスも動いた。彼女の後ろにぴったりと張り付き、直前まで足をためる。直線に入ってハヤヒデがブルボンに近付くと、遂にブルボンもスパートをかけ始めた。縮まっていた二人の差がアタマ差程で止まり、そこからやや開いたところで、

 

「今ッ!!」

 

 安全地帯から飛び出し、ブルボンに並んだ。残していた力を、この瞬間に全て注ぎ込む。

 

「はあああああぁぁぁぁぁーーーーー!!」

「ああああああああああああああああ!!」

 

 この時、走ること以外の物事はライスの頭から完全に抜け落ちていた。燃料の一滴まで絞り出し燃やし尽くすような勝利への渇望が、彼女の矮躯を執拗に急き立てる。ライバルとの瞬きする余裕もない鍔迫り合い。全ては夢見た輝きを己の手に掴み取る為。限界まで研いだ精神を、ただ前へ前へと突き立てる。

 ――二つの風が、先頭二人の右手で吹き抜けた。

 

「――えっ……?!」

 

 体格が大きく慣性力が働きやすいハヤヒデを風除けに使い続けたことで、ライスは無意識に内ラチから四十センチ程の間隔を空けて走っていた。その間隙、およそ人一人分が通れるギリギリのルートを、スコープとストライクが駆け抜けていったのである。皮肉にも、ストライクもスコープのスリップストリームを利用していた。

 加速度的に小さくなっていく背中。既に最高速に達していたライスには、二人に追いつくビジョンがどうしても浮かばなかった。

 

『スコープドッグとストライクドッグ、もつれるようにゴールイン!!』

 

 だというのに。

 

『――確定しましたっ! 勝ったのはスコープドッグ!!』

 

 覆しようのない敗北、それがもたらす無念は、奇妙な晴れ晴れしさに上書きされていく。

 ゴールの向こう、ウイニングサークルにも入らず肩で息をしているスコープの姿が、ライスには何よりも尊いものに思えた。

 

「スコープさん……やっと、()()になれたんだね」




不満と懐疑、期待と暗黙。
閉塞空間に絡み合う偉業の因子。
利己的に、利他的に。そう、それは存続を賭けて鬩ぎ合う、巧妙に仕掛けられた普遍の神秘。
未来を切り開かんと肉の檻を突き抜ける過去からの銃弾。
孤独な魂がそっと呟く。
あいつもこいつも、俺の糧になればいい。

次回、『継承』

これも一つの証明か。

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