走行帰兵ウマムス   作:影のビツケンヌ

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継承

「……あら?」

 

 クリークは唐突に、自分が何もない空間の中に立っていることに気付いた。周囲は黒い虚無に閉ざされていながら、自分の姿ばかりははっきりと浮かび上がっている。

 すると意識の埒外から、遥か前方に眩い光が現れた。そして、それに向けて駆けていく人影が一つ。

 

「スコープちゃん!?」

 

 思わず追った背が光の中に消え、次いでクリークもその光へと身を投げる。収束した光が胸骨を貫き、体内で爆散。燃えるように熱くなった体に、無限にも思える力が沸き上がった。

 光の向こうに見える赤い影、青い髪。嗅いだこともない筈の火薬の臭いがクリークの鼻腔を刺す。

 

「―――――――――」

「え……?」

 

 何かを喋ったスコープの口の動きしかクリークには届かず、彼女は光と闇に溶けて消えていく。

 目に映る世界は自室の天井と、自分を覗き込むルームメイトのタイシンに置き換わっていた。

 

「……あら、タイシンちゃん?」

「珍しいね、クリークさんが寝坊なんて」

 

 その一言でチケットと朝練の約束をしていたことを思い出したクリークは、大慌てで支度して寮を飛び出すうちに、夢の内容を綺麗に忘れてしまっていた。

 

 

 

 

 

 二十分以上に亘る写真判定の末、掲示板に同着の文字が二つ並んだのを見て、メジロマックイーンはあんぐりと口を開けた。

 

「アッハッハッハッハッハッハッハ!!」

 

 メジロ家の名に相応しくない振舞いを笑われたのだと思ってさっと顔を赤くしたマックイーンだったが、下手人のタキオンはすぐ近くのクリークと掲示板を代わるがわる見ながら、まさしく抱腹絶倒していた。勝利への歓喜のあまり爆笑している、という様子ではない。同じチームに属する筈のクリークも、何がそんなに可笑しいのかと困惑しているようだ。

 

「まさか、まさかだ!! 遺伝確率二五〇億分の一、異能の因子、それがこれ程の結果をもたらそうとは!!」

 

 実力ある走者であると同時に、怪しげな実験に明け暮れる変人でもある――アグネスタキオンというウマ娘の人となりは既にマックイーンの知るところであったし、彼女にとってはレースでさえ実験や検証の一環なのだというのも頷ける話ではある。だがタキオンの言葉の意味は、マックイーンには微塵も理解できなかった。

 

「決定的な証拠は得られた。スコープ君本人のデータもすぐに揃うだろう。あとはライス君だけだ……彼女が結果を出しさえすれば……」

 

 喜悦に満ちた不気味な高笑いと共にウィナーズサークルへと歩いていくタキオンを、マックイーンはしばらくその場に立ち尽くして見送っていた。

 

「――何にせよ、今は勝利を喜ぶべきですわね」

 

 気を取り直して、自らもタキオンの後を追う。次は同着ではなく、単身で盾の栄誉をもぎ取って見せると誓いつつ、マックイーンは未だ喝采の収まらぬ観客席に手を振った。

 ちらりと横目で見たクリークは、タキオンにどこか険しい視線を向けていた。

 

 

 

 

 

「教えてください。異能生存体って何なんですか?」

 

 メジロマックイーン、アグネスタキオン、スーパークリークの三人が同着という前代未聞の結果となった天皇賞(秋)から一ヶ月後、ジャパンカップ。出走を目前にしたスコープが控室から出て行った後の沈黙は、クリークからタキオンへの詰問に破られた。

 

「クリーク、それは――」

「いいんだよ、トレーナー君。インフォームドコンセントがなっていなかったのは私の責任さ。尤も、私が異能の因子を制御できる筈もないのだが……それを受け継いだ彼女には、知る権利は当然にある。良川トレーナーにも知っておいて貰った方がいいだろう」

 

 ライスとチケットが一足早く観客席に向かった為、控室にはアンタレスのトレーナーとウマ娘が二人ずつ残っていた。兵藤が狼狽しながら誤魔化しの言葉を模索しようとするのを、椅子に座ったタキオンがぴしゃりと止める。

 行動の殆どが実験・研究に直結していると言っても過言ではないタキオン。兵藤は彼女の個性や美点としてそれを認めているが、目的の為に手段を選ばないきらいがある彼女は誤解されやすい。弁明に労力を割きたがらない性質も相まって、ドーピングや期末試験での不正を疑われたこともある。そんな彼女がここ一年半程執心している『異能生存体』について、不審に思う者がいてもおかしくはないだろう。

 クリークの瞳に宿る強い光に急かされ、「少々、話が長くなるよ」と前置きしてから、タキオンは語り始めた。

 

「アンタレスに前任者がいたのは知っているね。その人物、兵藤トレーナーの大叔父――この業界を去って久しいから、大塚‘博士’と呼ぼうか。博士というだけあって彼は研究畑の人間で、トレーナーとしての仕事の傍ら私のように研究を行っていたそうだ。今もあの部室に保管されている一連の記録は有用なものが多い」

 

 嫌なことを思い出させるものだ。アンタレスの前任者という言葉が出た時、兵藤は胸中でそう吐き捨てた。大塚元トレーナー。彼をチーフトレーナーの座から引きずり下ろしたのは、もう二十年も前になる。

 心の闇の底に封じ込めた記憶が、兵藤の脳裏に去来する。トレーナー資格取得以前に大塚に抱いていた憧れ。アンタレスのサブトレーナーとなってから知った、ウマ娘の闘争心を過度に煽る当時のチームの体質。ウマ娘とその能力の可能性に耽溺し、彼女達の夢を食い物にして過激な研究に没頭する大塚の歪な二面性。秋川理事長の前任者と結託して強行した大塚の『自主退職』と、それに伴って生じた首の挿げ替え。

 当時を知らない――兵藤が多くを語らなかったというのも大きい――タキオンが、大塚の研究内容に純粋な気持ちで興味を示すのは尤もなことだが、四半世紀近く尾を引く兵藤には、それは信頼のおけるものではなかった。

 

「『異能生存体』というのは、その中にある一つの論文で語られる概念だ。元々はウマ娘ともレースとも関係のない、純学術的な研究。大塚博士はある種の微生物の中に、他と比べ群を抜いて生存率の高い個体を発見した。如何なる損傷からも完全に回復し、‘死なない為の偶然’すら引き起こして生きながらえる。それが異能生存体だ」

 

 「だが、君の求める答えはこれだけではないだろう?」兵藤の意を先回りするように、タキオンは薄く笑みを浮かべた。

 

「昨年度の春、私は()()()()異能生存体のウマ娘を見つけた。弾除けにも等しい扱いが殆どの少年兵でありながら、自分以外の隊員が全滅するような状況下でさえ奇跡的に生還したウマ娘を」

「……スコープちゃん、ですね」

「そうだ。私はスコープ君の持つ、異能生存体としての極めて高い回復力に着目した。ウマ娘が皆彼女のようであったなら、毎年少なくない数が発生するウマ娘の故障、それに伴う引退も防げるのではないかとね」

 

 私にも無関係ではない、とタキオンは付け加える。スコープのデビュー戦で彼女が吐露した言葉が思い起こされた。

 

“ウマ娘の肉体が秘めた可能性……それを観測する一助になればと、そう思っているよ”

 

 タキオンの語り口でたった今想起されたそれが、説明を面倒くさがってのらりくらりと追及を躱そうとする彼女の悪癖からくるものではなかったのだと、兵藤はようやく思い至った。言葉通り、彼女は己の飽くなき探求心を満たすのと同時に、全てのウマ娘が実力を遺憾なく発揮できる下地を(方法はともかく)整えようとしていたのである。

 

「しかし当然、スコープ君のゲノム情報を使った遺伝子治療(ジーンセラピー)は、URAが取り決めた遺伝子ドーピング規制に抵触する。そしてそもそも異能生存体の遺伝確率は二五〇億分の一……つまり生命活動に不可欠なものまで含んだ、非常に広範で複雑な遺伝子配列の上に成り立っている。従来の手法は、はっきり言って現実性を欠く」

「……だから、今までにない方法をとったと?」

「そうだよ、トレーナー君。トレセン学園でまことしやかに囁かれる、『因子継承』と呼ばれる現象。それに賭けてみることにしたんだ。君は眉唾と思っているのかもしれないが……」

 

 それまで訝しげに黙して聞くのみであった良川が、ここで口を開いた。

 

「因子継承――トレセン学園のウマ娘の一部に起こる、身体能力の急激且つ飛躍的で説明不可能な向上に対して、ウマ娘神学的アプローチから理論化を試みた、という体の都市伝説だったか。異能生存体とやらにはあまり理解が追い付いていないが、そちらについては覚えがなくもない。……タキオン君、君はそれを意図的に起こす方法を知っているのかね?」

「知っている、というには些か不明瞭な知識だがね。大塚博士の書きかけの未発表論文から、断片的な情報を基に再現性を度外視して推測したに過ぎない。故に詳細は省くが、これによって私とクリーク君、それにチケット君には、異能の因子を受け継がせることができた筈だ。ライス君に何かが起これば、彼女も異能生存体になったということになる」

 

 自身の生存の為に因果律にすら干渉する特異体質、自然科学でなく人文科学を基にした不完全で曖昧な理論。原理を理解こそすれ納得はできていないが、タキオンの説明を敢えて素直に受け取ってみれば、それは兵藤にも腑に落ちるものであった。

 去年の菊花賞以来タキオンは何らかの方法で脚部不安を解消し、自主トレーニング以外にも積極的に顔を出している。ダービーで骨折したチケットは二週間足らずでリハビリを終えており、五着とはいえ菊花賞を無事に完走。すみれステークスより向こう半年レースに出られなかったクリークは、快復したばかりの身でシニア級の二人に並んで勝利をもぎ取った。それら全てを偶然と切って捨てるには、タキオンの言葉を借りれば“出来過ぎている”のだ。そして将来、ライスにも同様の出来事が起こりうる。

 

「……何にせよ、異能生存体になることそのものの危険性は無視できるレベルで少ない。後天的に異能の因子を獲得できる者がここの生徒に限られていて、再現性も保証されていない以上、それを誰かに利用されるということもない。大塚博士の異能生存体に関する論文が、信頼に値しないと世間に思われているうちはね」

 

 しかしタキオンの論理と、オリジナルとコピーが同時に存在するという事実は、兵藤に飛躍した考えを強いた。即ち、スコープがその身に宿す異能にとっては、コピーを作らせることさえも生存戦略の一部なのではないか、と。

 

『――紅白の耐圧服が走る、跳ぶ、駆ける! スコープが差し、ストライクが追い上げる! 鉄の末脚が勝利の道をこじ開ける!! ――』

 

 この日、スコープは再戦を挑んできたストライクをシニア級の強豪諸共返り討ちにし、その名を世間に轟かせた。

 与えられた異名は、『赫奕たる異端』。

 

 

 

 

 

 四月下旬、天皇賞(春)。

 

「ライスさん……」

 

 ミホノブルボンは、ざわめく観客席に背を向けて歩いていた。見事一着となりながら、「メジロマックイーンの天皇賞連覇」を見に来た観客達からブーイングを浴びせられ、逃げるようにコースを去っていったライスに、僅かばかりの力添えとして賞賛の言葉を贈ろうとしていたのである。

 ブルボンは、ジャパンカップへの出走を怪我で取り消して以来レースに出られていない。かの菊花賞で(スコープとストライクにかっさらわれた感はあるが)競り合ったライスを唯一無二のライバルと定めた彼女には、勝者たるライスがこき下ろされ、暗く沈んでいるのが忍びなかったのだ。

 

「一体、何故です?!」

 

 そんなブルボンが通路の角を曲がろうとした時、行く手から女性の悲痛な声が響いてきた。

 

『私が手掛けた彼女が二度も敗北を喫している。奴は彼女を凌駕した天然のパーフェクトストライダーである可能性が高い』

「トゥインクルシリーズにはまだ先があります! 今後もトレーニングを続ければ……」

『そのトレーニングの質でも上回っていた相手に敗れたのだ』

 

 長い茶髪のその人物には見覚えがあった。ストライクドッグの担当トレーナー弥永。トレーニングを監督している姿が殆ど見られず、ゴーストトレーナーと揶揄されている。彼女はスマートフォンで誰かと会話しているらしかった。すぐ隣にはストライクが控え、俯き加減にスピーカーからのしわがれた声を聞いている。

 聞くべきではない話――その判断とは裏腹に、ブルボンは柱の陰に身を隠し、耳をそばだてていた。

 

『幾度勝ったところで過去の負けが消えることはない。無敗で終わることができなくなった以上、PSとしての価値は低くなったと言わざるを得まい。奴がPSであるならば尚更だ』

 

 老人と思しき相手の言う“奴”がスコープを指すものだというのは、ブルボンにもわかった。

 ストライクがスコープに二度敗れてからというもの、その後期待されていた二人の対決は実現していない。有馬記念でタキオンとクリークを、大阪杯でチケットを破ったストライクだったが、そのどちらにもスコープが現れることはなかった。スコープはGIII根岸ステークスとGIフェブラリーステークスに出走、つまりダートレースに舵を切ったのだ。これについて同チームのライスは「ダートも走ってみたくなったんだって」と上機嫌で答えている。

 閑話休題。

 

「そんな……だから供給量を減らすと言うのですか?! 十分なヂヂリウムが摂取できなければ最悪ストライクの命に関わります!」

『節約すれば冷凍したストックで賄える。投与スケジュールも定時連絡と共に送信した。それに従え』

 

 しかし、ストライクとスコープが該当するという『PS』とは何なのか。スコープが“天然”だというのなら、ストライクはそうではないのだろうか。

 そして、ストライクが必要としている『ヂヂリウム』とは何なのか。“命に関わる”とは穏やかではないし、単なるドーピング問題とも異なる。

 

『次は宝塚、その次は有馬だ。そこで奴に勝てなければこのプランは打ち切る。些かも揺るがん』

 

 老人の冷酷に言い放った言葉を最後に、通話は途絶えた。足音が遠ざかり、静寂が支配する。

 

「ら、ライス、泣かないよ。だってスコープさんは、勝つどころか走ることだって望まれてなかったから……ライスが泣いたら嘘だ、嘘だよ――」

「好きに泣けばいい。俺は泣けなくなっただけだ。耐えるだけが強さじゃない」

「う、うう……うわぁぁああああ~~ん!!」

 

 当初の目的通り、ライスに宛がわれた控室の前に辿り着く。ストライクとスコープとの間にある差異――決定的なものがあるとすれば、それは仲間達との絆であろう。ブルボンは部屋から漏れ聞こえてくる声を聞き、それだけを確信していた。




監獄に監禁と隔離を求め完璧さを追求すればこれになる。
ここには高い塀もなければ深い堀もない。高電圧の柵もなければ看守さえいない。
あるのは澄み切った空と穢れなき塩水のみ。
摂氏三十七度。素肌どころか脳漿さえも茹で上がる。
水をくれ、五臓六腑を潤す水をくれ!

次回、『臨海』

恨み辛みの言葉さえ干上がる。

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