走行帰兵ウマムス   作:影のビツケンヌ

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ダウンバースト

 夏合宿が終われば、秋から冬にかけてのトレセン学園は多忙を極める。

 トレセン学園で催される年二回のファン感謝祭のうち、秋に開催されるものは『聖蹄祭』と呼ばれる。クラス単位やチーム単位で行われる催し物は文化系に特化しており、カフェや出店などの他、ファン参加型のイベントが多く行われるのも特徴だ。

 在校生の保護者やファンを始めとした多くの客が訪れる中で、しかし一軒だけに閑古鳥が鳴いていた。店のコンセプトを優先した‘特殊な立地’故に客が寄り付かないその喫茶店を出店しているのはマンハッタンカフェ。カフェ自身、自分の店の静かな雰囲気を楽しむ為に出店している節があり、客が来ないことは寧ろ好都合だったのだが、

 

「……」

 

 開店一時間後にふらりと現れたタキオンによって、彼女の独りの時間は現在進行形で浪費されていた。タキオンはオーダーしたアイスティー(既に氷も融けきっている)に大量の砂糖を入れてだらだらと飲みながら、持ち込んだノートパソコンと睨み合い、かれこれ三時間以上も店内に居座っている。

 

“サンプルの採取に問題が生じていてね。今日はここにいる方が安全だと判断したのさ”

 

 追い出すこともできたが、訪ねて来た時の真剣な、或いは深刻なとでもいうべきタキオンの顔を見ると、それは躊躇われた。入学してより長い付き合いだが、そんな表情を見た経験はカフェにはない。断れば人死にが出そうな気さえして、思わず尻込みしたのが実情である。

 

「分離したA-Ah7がウマムスコンドリアに取り込まれて……ランナー・インスティンクトが脱メチル化……B-Xt1は脂質二重層に貫通したまま……」

「……」

 

 手持ち無沙汰になり、掃除ついでにカフェが覗き見た画面には、タンパク質の立体構造を表す色とりどりのリボンが渦巻く様子――生物の授業で最近習ったばかりだ――が映し出されていた。タキオンはカーソルを手繰ってその3DCGをぐるぐると動かし、何やらぶつぶつと独り言を呟き思案しては、別ウィンドウで開いたメモ帳に文字を打ち込んでいる。メモを保存すると今度は別の3DCGを開き、再び文字を打ち込み始めるのだ。

 

「……よし」

 

 あと三十分程で聖蹄祭も終わろうという頃、キーボードを叩く音が止まる。タキオンは大きく伸びをして椅子から立ち上がった。

 

「ありがとうカフェ。代金はここに置いておくよ」

「……はい。ありがとう、ございました……」

 

 来店時より幾らか晴れやかになった顔を見て、カフェは当人でもないのに肩の荷が下りる思いがしたのだが、

 

「……ちッ、すっかり忘れていた」

 

 出口のドアを開けたタキオンは忌々しげに舌打ちした。

 

「カフェ。今度の日曜日、外出はお勧めしない」

「日曜日……?」

 

 返事を待たず、足早に店を後にするタキオン。去り際に彼女が見上げていた空は、分厚いスレート色の雲が陰鬱に垂れ込めていた。

 次の日曜日には、かのスコープドッグも出走するGIIマイルレースの毎日王冠が迫っている。

 

 

 

 

 

 日曜日であるにも関わらず、ナリタブライアンは聖蹄祭の実施に伴い生じた多数の書類整理に駆り出されていた。エアグルーヴと並び生徒会副会長を務める身故致し方ないとは思いつつも、毎日王冠を現地で観戦できないのは苛立たしい。そんなブライアンの思いに水を差すように、生徒会室に一本の電話が入った。

 

「……こちらトレセン学園生徒会室」

『副会長だね? 会長がいるならスピーカーをオンにしてくれ』

 

 相手は名乗らなかったが、それがアグネスタキオンであることは、受話器を取ったブライアンにはすぐわかった。いつかターフで相まみえることを望む強者の一人――しかし彼女の声の調子は、落ち着いているようでどこか慌ただしく、時折聞こえる呼吸音から小走りになっていることが窺える。生徒会長シンボリルドルフに、そこまで急ぎで伝えねばならない用件とは一体何なのだろうか。

 

「今オンにした」

 

 傍らで見つめるルドルフを横目にちらりと見てから、要望通りスピーカーボタンを押すと、直後にタキオンが捲し立て始めた。

 

『会長、要点だけ言う。今すぐ全校生徒を屋内に避難させろ』

「その声は……アグネスタキオンか? 随分切迫した様子だが――」

『今からおよそ二十分以内に、ここ府中市を中心とした局所的な異常気象が起こる可能性が極めて高い。マイナス七十度のダウンバーストだ。低体温症どころか肺からの出血で死ぬことさえあり得るぞ』

「ま……マイナス七十度?!」

 

 横で話を聞いていたエアグルーヴが瞠目する。マイナス七十度、それは尋常ならこの関東平野に発生することのない温度だ。残暑の厳しかった九月から十月に入って、やっと秋の気配が見え始めたばかり。制服の衣替えもまだだというのに、そんなものが直撃すればこの街は目も当てられないことになろう。俄かには信じがたい話だが、タキオンが(研究以外の目的で)嘘を吐くとはとても思えない。

 思えば今日の天気は妙だった。ブライアンが呼び出された朝、前日までの暗い曇り空が噓のように晴れていたのに、昼食後にはいつの間にか不気味な暗雲が頭上で渦を巻いていたのだ。これがタキオンの言う“局所的な異常気象”、マイナス七十度のダウンバーストの前触れだったらしい。

 

「わかった、すぐに通達しよう。君はどうするつもりだ?」

『自分にできることをしに行く。チームメイトを見捨ててぬくぬくしていられる程、私は図太くないのでね』

 

 伝えるだけ伝えて、タキオンは通話を切った。事情を察したルドルフからは、普段浮かべている人を慈しむような穏やかな笑みが消えていた。

 

「会長、あと十五分もすれば毎日王冠の発走時刻です。話が本当なら、このままでは……!」

「ああ。一寸光陰、迅速に動かねばならない。エアグルーヴ、寮長の二人と協力して速やかに生徒達に連絡を。ブライアンは屋外にいる者達を呼び集めてくれ。私は理事長を通してレースの中止を具申しよう」

 

 ルドルフとエアグルーヴは、突然仕事を振られ固まるブライアンをよそに、校内で許されるギリギリの速度で廊下を駆け出した。

 

「ああ、クソ……毎度毎度、何故気付くと手元に仕事があるんだ……!」

 

 

 

 

 

「ど、どうしたんですかタキオンちゃん?」

「はあ……はあ……ウマ娘専用レーン走行中の通話が禁止されてさえいなければ……」

 

 七万人の観客でごった返す東京レース場の観客席。スコープが走り出すのを今か今かと待っていたクリークは、そこに現れたタキオンに驚いていた。研究対象である筈のスコープが出るというのに現地――ウマ娘の足ならそう遠くない――での観戦を断った彼女が今更、しかも息を切らしてまでやってきたのだ。

 

「あ、タキオン! やっぱり直接見たくなったの?」

「実験は終わったのか?」

「悪いがトレーナー君、今回はインフォームドコンセントの余裕はない。勝手にやらせて貰う」

「は? 何を――ぐっ」

「ぬっ?!」

「ほわあっ!?」

「あら~……」

 

 何か裏があるに違いない。クリークがそう考えたのも束の間、タキオンは四本のアンプルのようなものを取り出し、その場にいた兵藤、良川、チケット、クリークの四人の首筋に有無を言わさず突き刺してしまった。続けて更に一本を自分にも注射する。

 

「ウマムスコンドリアに働きかけて急速に不凍糖ペプチドを作らせる薬品だ。トレーナー二人に刺した分には私のウマムスコンドリアも入っているから、十分効果はある筈だ」

「ふとーとーペプチド?」

「……おいタキオン、これはいつもの実験じゃないな。何があった?」

 

 自分と同じくただならぬ気配を感じ取ったらしき兵藤が、冷や汗を浮かべタキオンに問うた。彼女が実験に参加させる者に対してその内容の説明を怠らないのは、かつて兵藤に小言を貰ったからだという。自分よりずっと付き合いの長い彼が、その約束を敢えて破る彼女に血相を変える程の何かが起きたのだ。

 タキオンは、強張った口を無理矢理動かすようにして答えた。

 

「――あと数分でマイナス七十度のダウンバーストが起こる。東京レース場(ここ)がその中心だ。今打った薬品で肺出血や凍死は防げる」

「え……ま、待ってよ! それじゃあスコープは? レースに出る皆は? ここにいる人達は?!」

「無理だ。会長に頼んで()()()()では、避難は間に合わない。だから私達だけでも助かる方法を選んだ」

 

 その場のメンバーと共に、クリークは言葉を失った。この状況でタキオンが嘘を吐くような人物ではないとわかっていても、マイナス七十度というのは想像を絶する。会長に話したということは、当然この話は秋川理事長を通してURAにも伝わっていると見ていい。しかし幾らタキオンといえど所詮は天気予報士でもないただの高校生故、子供の戯言と一蹴されてレースは通常通り決行――避難を促すようなアナウンスがここまで流れていないのがいい証拠だ。それに十中八九、この場でそれを公表すれば観客はたちまちパニックに陥り、将棋倒し等の二次災害は避けられない。

 苦渋の選択。苦虫を嚙み潰したようなタキオンの顔にそれが表れている。昨年のジャパンカップで彼女が語ったことが真実ならば、少なくともスコープの生存は保証されているし、こうして彼女の作った薬品の注射が間に合ったのも異能生存体であるおかげ。そしてその効能が確かであれば、兵藤と良川も無事――

 

「――っ、ライスちゃん!」

 

 数分前に用便に行ったライスが帰ってきていない。昨年以降、彼女が異能生存体であることを示す結果はタキオンから報告されていなかった。つまり彼女が異能生存体だという確証はなく、ダウンバーストが起きれば他の観客共々凍死する危険があるということ。

 走り出そうとしたクリークは、すぐさまタキオンに羽交い絞めにされた。

 

「離してくださいっ!! ライスちゃんが帰ってきてないんです!」

「もう間に合わない! ライス君が異能の因子を受け継いだと信じるしかないんだ!!」

「え、タキオン……何、異能の因子って?! ライスに何があったの?!」

「チケット君今は説明は――」

 

 ゲートの開く音と共に上がった歓声が、奇妙などよめきに変わった。観客達は走り出したウマ娘そっちのけで何故か空を見上げている。何事かとそれに倣うと、上空で渦巻く黒雲から光り輝く何かが落下してきていた。

 

「来たかッ、一塊になって動くな!! 皆伏せろォォォーーーッ!!」

 

 十月の府中に、冷獄が吹き荒れた。

 

 

 

 

 

 結論からいえば、スコープとライスは無事であった。

 

「うおおおおおおおおん!! 二人ども生ぎででよがっだよおおおおおおお!!」

「ひゃああ!?」

「……心配をかけたな」

 

 レーンのほぼ中心に衝突した高気圧の塊は、走行中のウマ娘を外ラチまで軽々吹き飛ばし、周囲のあらゆるものを放射状に凍てつかせた。当然二人もこの災禍に巻き込まれたが、スコープは一緒に飛ばされた他のウマ娘が彼女に折り重なるような形で風除けとなり、ライスは背の低さに救われて周囲の観客に風を遮られたことで助かったのだ。転倒による怪我も非常に軽微で命に別条はなく、走りにも影響はない。チケットは鼻水を垂らし大いに喜んだ。

 だが、喜べるのはそこまでだった。

 

「負傷者約三万人、うち学園関係者四十人。死者二百一人、うち学園関係者十六人。URA発足以来最悪の事故だね。タキオン君が気付いていなかったらと思うと背筋が寒くなる」

「人災だ。何とでも理由を付けて屋内に避難させていればよかったのに、頑迷な委員会が少しでも助かるチャンスをふいにした」

 

 ダウンバーストの発生によって中止となった今回の毎日王冠は、URAの、ひいては日本ウマ娘トレーニングセンター学園の最大の汚点となった。出走した十人のウマ娘のうちスコープを除く全員が死亡。怪我をしたウマ娘の中には、凍傷によって競走生活に支障をきたし引退を余儀なくされる者もいた。学園関係者への連絡が事故の発生までに完了できなかったことは致し方ないとされる一方で、事態を悟ったタキオンの警告を聞き入れなかったURAにはバッシングが集中している。

 

「違う、違うんだトレーナー君。私の見通しの甘さが招いた結果だ。もう少し早く気付いていれば……」

「タキオン、自然災害なんだ。お前が予測できなくたって――」

「そうじゃない! 異能の因子だ! あれは異能生存体がいたから起こったことだ。異能の因子が、あの場にいた‘将来の敵’を排除して自身を生存させる為に起こしたことなんだよ!!」

 

 アンタレスも無傷では済まなかった。これまで明かされていなかった‘異能生存体’について、今回の事件を機に、チケットはライスと共に説明を受けた。アンタレスのチームメンバーがあの惨劇を生き残ることができたのは――タキオンの薬が運良く間に合ったことも含めて――異能の因子によるものなのだと(皮肉なことにライスが異能生存体であることも裏付けられた)。そしてダウンバーストが異能の因子によって引き起こされたのだというタキオンの言葉は、チケットらを震撼させた。

 クラシック・シニア混合レースであることを勘案しても、今年の毎日王冠は例年より多くのクラシック級ウマ娘が出走している。中にはその成長性から、いずれスコープを打ち負かすことになるであろう者も存在した。本来極めて希少な異能生存体がタキオンの手で同時多発的に生み出された皺寄せ――複数の異能の因子の干渉も手伝ってか、スコープが持つ異能の因子は自身の生存を脅かすことになるであろう彼女らを、ダウンバーストという“事故”で、今後己と相まみえる可能性諸共消し去ってしまったのだ。

 無論異能生存体の情報は外部に漏れていない。大衆が知るのは、「スコープドッグというウマ娘が偶然生き残った」という結果だけだ。そしてそれだけでも、アンタレスには大きな打撃だった。

 

「なんで……なんで貴女だけが生きてるのよ! あの子じゃなくて、貴女が!!」




三年間の努力が結晶する。
乾坤一擲。
年末の中山に殺到する観客、十七万。
当日発生する経済効果、四兆。
一日だけで我が国の防衛予算に匹敵する。
だが、得られるものからすれば蚊の涙。
ささやかなりと野心が嘯く。

次回、『有馬記念』

トゥインクルシリーズでウマ娘達が犯した最大の誤り。それは、奴を敵に回したことだ!

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