生き方を知らぬ俺が君を殺そうとして、物好きな君は俺に腕を広げる。
それで終わり。
そして始まる。


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君は俺に、何を見出したのだろう。


Every Jack has his Jill 前編

しとしとと雨の降る夜。

月は雲に阻まれ、虫は雨垂れに堕つ。

 

雨が降っていて、いつも以上に日本家屋特有の木の匂いが鼻を突いていた。

薄暗い部屋の中、俺は畳の上で正座する。

目の前には正座をして、こちらを刺すような視線で見てくる男。

口は堅く閉ざされており、彼の佇まいその物がこの空間に極度の緊張を齎していた。

俺の叔父だ。

 

息も詰まりそうな空気感。

俺もただ無言で叔父の方を見る。

すると、叔父は畳の上を滑らせるように何かをこちらに渡してくる。

それは一つの写真のようで、裏返しだった。

その写真を手に取ると、その表を見る。

 

「これは.....。」

 

そこに移っているのは一人の少女。

細い手足に、白磁のように白い肌。

すらりと伸ばした黒髪に、慎ましやかな肢体。

人形のように精緻で、触れれば壊れてしまいそうな儚い雰囲気。

しかし、対照的に瞳は琥珀のように輝き、そこには確かな芯があるように感じた。

 

「....この写真に写っている女の名前は、月喰乃絵琉。在道坂学園2年生にして、月喰呉叢の忘れ形見。この女を....殺してこい。」

 

そう叔父さんは俺に言った。

月喰乃絵琉。

月喰。

その苗字が耳に残る。

それもそのはず、この町に住んでいるなら...いや、この家に居るならば聞いたことはある姓だった。

 

「月喰って....この街の名家....っていうか、そもそも俺たちのクライアントの一人では....?」

 

俺は叔父さんに尋ねる。

そうだ。

この八房市の名家。

貿易業を生業として栄えてきたとはあるものの、その実、それはとある背景を隠すために都合が良い在り方であるからに過ぎない。

それは....月喰が西洋発祥の魔術師の家であると言う事だ。

フランスからイギリスへと身を移し、そして日本へと移り日本に掻き消えるように馴染んでしまった魔術師の家系、それが月喰だ。

そして、なぜ月喰が隠している事をここまで知っているかと言えばそれは俺の家も普通じゃないからである。

多分、きっと普通じゃない。

 

叔父さんは特段表情を変えることなく、俺をただ見ている。

色の無い視線。

こういう目にはもう慣れた。

俺もただただその目を見返していると、叔父さんは口を開いた。

 

「そうだ...月喰は私達“徒影”にとっての大事なクライアントであった。...昔はな。」

 

そう言って叔父さんは外を見る。

雨は勢いを増して、土や木々を叩く。

石畳を雨粒が跳ねて、窪みには水が溜まっている。

そんな光景を一瞥すると、取るに足らんと言わんばかりに目を外してこちらを見る。

 

「しかし、もはや天涯孤独と化した小娘一人。そんな状態の家がまともなクライアントになり得るとでも?そんなことくらい貴様にも分かるだろう?」

 

こちらを抉るかのような視線を向ける。

視線は俺の身体を突くが、大して痛みはない。

当たり前の視線に、当たり前の口振り。

もはや脊髄反射のごとく、言葉が口から漏れていた。

 

「はい。」

 

すると、俺の答えを聞いた叔父は口を開く。

 

「だからこそ、形骸化した頭は切り落とす。末端が腐りだす前に。だがあの家は今はどうあれ名家で、我々のクライアントであることに変わりない。殺せば他の殺界の連中がこれ幸いと我らに付け入るだろう。つまり....」

 

すると叔父さんは俺を見た。

今までのような色の無い視線ではない。

しっかりとした意識を持って、俺を見ていた。

俺を認識していた。

そしてしっかりと通告するかのように俺に言い放つ。

 

「お前にしか出来ないことだ。自分で分かるだろう?混ざりもの。こういう時の為に私は貴様を学校などに入れてやっているのだ。...友達など作ってはいないな?」

 

混ざりもの。

そう呼ばれる。

その呼称は俺にとっては与えられた名前以上に、俺の出生を表していた。

だから俺は、この呼称は別に嫌いじゃない。

特段、好きでもないけれど。

 

叔父さんの言わんとしていることは分かった。

確かに、俺にしか出来ないことだった。

この家の誰にも出来ず、俺にしか出来ないこと。

そして端からこういう運用の為に作られたことは分かっている。

友達など作ってはいないな?

その言葉の真意も分かる。

俺達は、誰の脳裏にも焼き付いてはいけない。

だから俺は首を縦に振る。

 

「分かってる。そんな物、俺には要らない。そうでしょ?」

 

答えを聞くと、叔父は頷きながら言葉を続けた。

 

「ならば、最早言葉は要らない。この少女の息の根を止めろ。成功すれば貴様はこれからも徒影であり続ける。失敗すれば...その名と共に死ね。これが私が貴様に課す依頼だ。」

 

「この身、貴方の尾となれば。」

 

徒影として、依頼を受ける時の決まり文句を口にする。

依頼主を蜥蜴と見た時の尾。

本体を活かすための捨て石。

その位置に自らを置くという意味の言葉。

本当にそんな風に思っているわけじゃない。

だが、俺がこの家で生まれて息をしているならまるで呼吸をするかのごとく、せねばならぬ行動。

身体に染み付いた習慣のような物。

 

それを口にすると、もうお前に用などないと言わんばかりに叔父は部屋を後にする。

俺もここに居る意味はない。

ならば、宛がわれている俺の部屋とやらに戻るだけだ。

 

もう一度、彼女の写真を見る。

同じ学校の同学年。

だけど、心当たりがあるわけじゃない。

学校に居る理由はこういう時の為。

だからこそ、友人も作らないし、誰一人この学園の人間などを覚えちゃいなかった。

用が済めばどこかへ放り投げるような隠れ蓑に態々執着を覚える必要もない。

 

外国被れしたような名前ではあるものの、少なくとも俺の目にはその名が良く似合っていた。

なんらおかしくなく、しっくり来る。

それは俺の名前と同じだった。

特段なんの感慨もないが、俺の名前はまさに名は体を為していた。

触れれば折れそうな少女。

その少女をこれから握りつぶすかのようにバラバラに、グチャグチャにする。

特段なんの感情も湧きはしない。

それが俺のしなければいけないことなら、俺はただやるだけだ。

可哀想と思いもしなければ、自分は悪くないと正当化するわけでもない。

ただただこの子を殺すんだという確認にも似た思いを抱くだけ。

 

そう考えると、俺は家の廊下に出る。

照明もなく暗い廊下。

その闇に溶けるように気配を消す。

 

俺の家は、普通じゃない。

殺法という技能を持った家が集まって出来た十二殺界。

その中で序列十番目、暗殺者の家。

徒影と呼ばれる我が一族。

俺はそんな人殺し曲芸集団の一人である。

 

 

 

 

 

 

 

昼。

陽は天高く昇っており、風は爽やかに吹き抜けていき、木々が揺られる。

道の端には園芸部の物であろう花壇が段々と続いており、鳥の鳴き声がどこからか聞こえてきた。

自然豊かな敷地内。

清涼な空気を肺腑に収めつつ、俺は教室の方へと目を向ける。

今は授業中だ。

だが、誰も俺がここに居るとは分からないだろう。

そもそも教室に入ったことすら記憶ない人が大半なのだから。

徒影としての基本技能。

誰も、俺を気に留めることもない。

空気に溶けこむように、潜伏する。

よほど感覚がそれこそ人間離れしているとしか思えない程に鋭敏な人間でければ察することも出来ないだろう。

 

あの日から、数日。

俺はすぐに月喰乃絵琉を探して、学園を闊歩した。

そして彼女の居場所を突き止めて、ずっと監視を続けていた。

彼女を殺すに適したタイミング。

それを見つける為に。

そして、今...見つけた。

 

窓の方にはエプロンを付けた生徒たち。

調理実習室。

全クラスの時間割を調べたが、どうにも今の時限ではAクラスが使用しているようだ。

そして、窓際では一人の少女が何かをまな板の上で切っている。

月喰乃絵琉。

俺のターゲット。

学園内で見たことがないはずだ。

俺はCクラスで二つ隣のクラスだった。

同じクラスの人間も頭に残らない人間に、二つ隣のクラスの事など分かるはずもない。

 

彼女は同じ班であろう女子生徒と話しながらも料理を続けている。

どうにも盗み聞きしたことだが、この学園には調理実習をした物を敬愛、親愛、恋愛問わずに想いを寄せる相手に渡して食べてもらうという風習が存在するらしい。

なぜそんなことするのかと頭を捻りたくなるが、まぁ同じ学園の生徒というコミュニティの一人としての連帯感を高める為だろう。

そんなことはどうでもいいや。

 

俺は花壇の方へと足を向ける。

そして覗き込んだ。

 

「...あった。」

 

そして見つけたのだ。

小石を一つ、手に取った。

人殺しの道具、一握の小石。

凶器を手に入れた。

 

人差し指で握り、親指を小石に付ける。

狙うは窓際に居る彼女の脳天。

小石でぶち抜いて、周りに脳漿をぶちまける。

魔術師はどのような理屈か分からないような魔術を使用する。

しかし、魔術というのは神秘を行使することと変わらない。

人前に定着してしまった神秘は普遍的に鳴ってしまい、神秘としての格を落としてしまう。

だからこそ、彼らは一般人の前ではその行使を控え、痕跡を隠蔽しようとする。

よって今は奴を殺す一番良いタイミングなのだ。

彼女のクラスの生徒が全員居り、ある程度教室よりも狭い室内でそこそこの自由度を持って動いている。

それに普段の授業とは違い、注意が黒板などの一定の所だけでなく、ありとあらゆる方向に向いている。

ここで彼女が魔術を使えば、多くの人に目撃されることになる。

だから使えない。

であれば防ぐ術はなく....確実に、殺せる。

 

力を親指に集中させると、彼女の頭を見る。

誰も、外から向けられる俺の視線に気づくことはない。

それは、月喰ですら。

それを確認すると、小石を親指で弾いた。

まるで発砲するかのような音が響く。

その瞬間、俺は跳び上がって近くの木に登って茂みに隠れるかのように緑の奥へと潜伏する。

 

葉っぱの間から奴の様子が見える。

高速で飛んでいく俺の指弾。

それは窓に当たると、ぶち抜いてく。

急に窓に亀裂が入ることに驚く生徒たち。

そして、そんな彼らの前で小石は着々と彼女の脳天へと捉え....。

 

「....!」

 

息を飲んだ。

それもそのはず、小石は確かに彼女の脳天を狙っていた。

多少狙いはそれても脳を抉り取るくらいは可能だったはず。

であるにも関わらず、なぜか不規則に軌道が逸れて彼女の長い黒髪の片方を切っていた。

ふわりと地面に落ちる彼女の髪。

横髪の片方がショートになり、不揃いになった髪型。

周りの生徒は何かが飛んできて、彼女の髪を切り落としたことにざわついていた。

しかし、そんなこと以上に俺を困惑させたのは.....。

 

「今のは....魔術?だが、あんな人前で.....」

 

彼女の周りには人が多く居た。

しかも、隣は別の女子生徒。

しかし、誰一人として石が逸れたことに関しては何も気に留めていないように見える。

認識でも阻害しているのか?

だが、それなら既にあの教室には術式が仕込まれていたことになるが.....。

錯綜する思考。

しかし、それを振り切ると跳び上がって別の木々を渡り、学校の屋上へと飛び上がる。

失敗したのならあそこに佇む必要はない。

別に殺す機会ならいくらでもあるはずである。

であれば、あそこに居るよりも早く引いて別の手筈を整えておくのが正しい筈だ。

 

 

 

 

 

 

 

放課後。

沈みゆく夕日。

生徒たちは各々、自主練を続ける物や文化部で教室でなにかをやっている者など千差万別。

穏やかな時間が流れている。

そしてこんな時間は、この学園に入るまでは味わう事がなかった。

こんな世界があると言う事を初めて知ったのはここに送り込まれてからだ。

学生という身分は楽だ。

帰属する集団によってある程度信頼が保障されており、尚且つある程度のお目こぼしが許されている存在。

子どもの中の子供、未熟な事が前提で学ぶことが仕事。

それが学生という立場だ。

 

未熟であると言う事を許されるというのは、それまでにはない経験だった。

例え、教師や周りの生徒が俺のことを頭に留めることはなく、俺自身も必要なく成れば一瞬の躊躇いもなく捨て去るであろう場所であっても、こんな時間を過ごせる場所は俺の人生ではこの中だけだろう。

 

夕焼けなんか、徒影としての時間が来る前のインターバルでしかなかった。

まさか自分がゆっくりとあんなものを眺める日が来るなんて、思いもしなかったな。

....だが、まぁその時間はいづれ終わるのだが。

 

そう思い、座っていると誰かがこちらにまで歩いてくる。

それが誰かを見ると、身体が身構えんとせんばかりに固まる。

月喰乃絵琉。

俺が殺さなくてはいけない相手。

そんな彼女が、俺の前に立っている。

そして更に、気配を消していた筈の俺を真っ直ぐに瞳に収めて微笑みかけた。

 

「ねぇ、隣...良いかしら?」

 

彼女が俺にそう尋ねた。

どういうつもりだ.....。

まさか、俺に気づいて?

いや、あり得ない。

あの距離、そして気配も消していた。

であれば気づくわけがない....いくら俺が混ざりものでも徒影の歩法はこと潜伏において十二殺界の中でも右に出る物は居ない。

ならば...純粋に何の意図もなく?

わからない。

 

だが、一つ確かに分かることはある。

ここで動揺してはいけない、尻尾を出してはいけない。

俺達、徒影が尻尾なら。

尻尾を掴まれれば俺は終わりだ。

だからこそ、俺は......。

 

「あ、はい...僕で良ければ。」

 

心に皮を被せ、人好きのするような笑顔を顔に貼り付ける。

声色は少し明るく跳ねた印象に。

快く、俺は彼女の申し出を承諾した。

 

隣に座る彼女。

近くで見れば、殊更腕も細いし、儚く見える。

不意に不自然に短くなった横髪が目に入る。

俺の指弾で切られてしまった黒髪。

夕焼けの光で艶やかに光っている。

 

「....、何?」

 

「あっ、いや....髪....光ってるなって。」

 

あの時の魔術。

あれさえなければ彼女は今頃ここに立ってはいない。

まさかここまで近くに座られるなんて思いもしなかった。

出来れば、何も知らぬ他人として彼女を処理したかったが。

 

「そう。」

 

彼女は俺の答えを聞くと、再び前を見た。

周りを見れば部活動でスクワットや走り込みをしている運動部だけでなく、話しながら帰ろうとしているカップル。

何かの作業を始めようとしている用務員など、まばらだがそこそこの数人間が居た。

ここでは殺せない。

 

周りを見回して、殺害を諦めると横の彼女が背もたれに背中を預ける。

そして、口を開いた。

 

「...夕日、好きなの?」

 

彼女が聞いてくる。

別に好きじゃない。

ただ、空も見上げずに夜を待つだけだったから。

だからどうせ見られるなら、見ておこうってそんな軽い理由でしかない。

だけど、俺はただ満面な笑みを浮かべていた。

 

「好きですよ、綺麗ですよね。」

 

何処にでもいるようなつまらない感想。

他人に自分を知られてはいけない。

だからこそ、普遍的な人間の皮を被る。

普遍的で、つまらない人間の皮。

 

「ふ~ん、そう。」

 

彼女は俺から視線を外す。

そうだ、それでいい。

このまま立ち上がってどこかへ行ってしまおう。

明日はどのように隣の少女を殺すか。

そう思った矢先、彼女は言葉を続けた。

 

「まぁ...出せるわけないわよね。そんな、本当の自分なんて。」

 

....何を言っている?

彼女の言葉に身体を強張らせながらも、横の彼女を見る。

すると、彼女は俺に笑いかける。

 

「私も...そう。私にも色々あるわ。...そしてあなたにも色々あるのでしょうね。人に知られるわけにはいけないこと。そういうのを隠すにはよくいる良い人のように振る舞うのが一番よね。分かるわ。」

 

コイツは、何を知っている。

知られてしまった?

もしかして指弾が誰の犯行か知っている...?

....いや、あり得ない。

いくら彼女が魔術師であっても、あの距離で潜伏している徒影を捉えることなど誰にも出来るはずがない。

 

「...確かにそうですね。秘密は誰にでもある。どんな人でも。というより、誰もが人に合わせて自分を偽って、本当の自分なんか出すことないんじゃないですか?それに、良い人と人に思ってもらえるなら、それでいいと僕は思いますね。」

 

確かに動揺はした。

でも、否定はしない。

認める、認めるがそれらしい理屈で煙に巻く。

別に何かを思って言ったわけじゃない。

ただそれらしい反応を残しただけ。

 

彼女の色々。

それは魔術師であるということだ。

そして、彼女は俺に何を見出した?

心中で怪訝に思っていると、彼女は口を開く。

 

「まぁ貴方が言うそういう話には私は微塵も興味はないわ。...最近、私はどこからか漠然とではあるけれど視線を感じるの。」

 

興味ないって....。

まともに人とコミュニケーションを取った経験があるわけじゃないが、俺にも彼女の言葉はかなり勝手なこと言っていると分かる。

対話というのは相互理解の為の物であり、お互いの話を聞くのが大事ではないのだろうか?

しかし、視線というのは十中八九俺の事だろう。

 

「それってストーカーって奴じゃないですか?怖いなぁ....警察に相談した方が良いですよ。」

 

心中とは別にそう彼女に勧める。

すると、彼女は空を見上げる。

 

「まぁ確かにそうなんだけど....でも、私はそういう人に共感するところもなくはないわ。...隠れた物を見つけ出そうとする。そして見つけ出した時、甘美な幸福感があるものよ。小さい秋見つけたって知ってる?」

 

「まぁそりゃ知ってますけど。」

 

いきなり何を言っているのだろうか?

内心、首を傾げる。

そう言うと、俺の目を真っ直ぐに見つめた。

 

「私にとって今日の出来事はそう。貴方と今話している事がそれなの。私“が”覚えのない生徒。確かに存在しているはずなのに、覚えのなかった生徒の姿を見て、不意に今こうやって話してみたくなったの。」

 

そう言ってくる彼女。

しかし、俺の心中は荒れ狂う。

彼女は地主。

だからこそ、自身を狙う勢力が居ると言う事が当たり前なのだろう。

もし、彼女がこの学校の生徒を全て覚えているなら。

そんなことは俺には不可能としか思えない。

しかし、彼女にはそれが当たり前のことであるなら。

名前があるにも関わらず、誰の意識にも残らないなんて怪しさの塊でしかない。

俺にとっては人の名前など覚えて精々数人だ。

それも殺す相手。

しかし、彼女にそれが当てはまらないとすれば....。

 

初めから間違えていたとしたら。

内心は笑ってなどいられない。

今すぐにでも喉元に何か鋭利な物を刺しこんで、首元を掻き斬る。

そして、自分のやるべきことを為して、姿を眩ませたい。

だが、周りには人が居る。

俺達徒影には、依頼の為にも顔や殺しを見られてはいけない。

誰かに知られた殺しは暗殺ではなく、その後始末は切り離される尾自身が行わねばならない。

もし、殺すのを見られれば....俺はきっと、この場に居る全員を殺さねばならないだろう。

それは...なんというか、骨が折れる。

それに、徒影の一人として見ればそんなヘマをやらかした時点で失格だろう。

徒影はあくまで仕事人集団だ。

関係のない人間を殺すような真似は無駄でしかなく、褒められたことではない。

 

だから、今は殺せない。

さっきまでは彼女の魔術を封じる為に利用した人混み。

それに、俺は今動きを封じられていた。

 

「...それで、どうでした?僕と話してみて。」

 

俺は彼女に笑って尋ねる。

判断する為に。

その答えによっては俺は.....。

 

彼女は変わらず俺の目を見て俺の問いに答えた。

 

「別に、思いのほか手ごわいなって思っただけよ。...ただ、少し親近感は感じたわ。」

 

手ごわい。

それはどういう意味なのだろう。

俺の危惧している意味の通りであるなら、俺のやるべきことは一つだけ。

親近感。

魔術師であることを表に出さない彼女、そして彼女を殺す為に自分を表に出さない俺。

俺は君の魔術を知らず、君は俺の手の内を知らない。

それは確かに酷く類似していた。

 

そして彼女に手を挙げて親し気な様子で近づく一人の少女。

最後まで、誰かの目があった。

下手に手を出すことが出来ない状況。

悪運が強いのか、もしくは彼女が仕組んでいるのか。

なんにせよ。

 

「あら、来たみたいね。久しぶりに楽しかったわ。君と話したの。また会えるなら...そうね。君の秘密、知りたいな。私の秘密も、教えてあげる。」

 

そう言って立ち上がろうとして、彼女はあっと何かに気づいたように振り返る。

 

「そうだ自己紹介がまだだったわね、私は月喰乃絵琉。貴方の名前は?」

 

彼女はにこやかに自己紹介して、俺の名前を尋ねた。

お前の名前なんて、もう知ってる。

でも、俺の名前。

俺の名前か....。

喉を通り、口から名前を吐き出す。

 

「珍しい名前なんですね。僕の名前は、山田太郎です。」

 

山田太郎。

文書の記入例などに使われるほどにありふれた名前。

この学園の生徒としての偽名だ。

そして、彼女の命がこの世から消えた時、同時に俺に該当しなくなる名前。

使い捨ての隠れ蓑を纏うにはちょうどいい名前だった。

 

「...そう。やっぱり、君って一筋縄ではいかないみたい。それじゃ...ごきげんよう山田某君。」

 

そう言って彼女は手を振る少女の元に向かう。

合流すると、少女は笑顔を浮かべるも、こちらに視線を向けて不思議そうな表情をした。

 

「も~遅いよ!あれ...あんな人居たっけ?」

 

「ごめんなさいね。...えぇ、確かに居たわ。ここに...確かに。」

 

「ふ~ん。まっ、そんなことよりさ!聞いてよ月喰さん!さっき.....」

 

月喰乃絵琉はこちらを見る。

しかし、少女はどうでもよさげに流すと月喰に話しかける。

そのまま歩いて行く。

彼女は漠然と視線を感じるとも言っていた。

だが、反対に、俺のことを手ごわいとも一筋縄ではいかないとも。

そして極め付きは山田某と俺を呼んだ。

彼女は気づき始めているのかもしれない。

 

であれば、俺は....俺は。

今日、....君を殺す。

長引かせて尻尾を掴ませるわけにはいかない。

だからこそ、今日終わらせるのだ。

 

幸い、今は夕刻。

暫くすれば夜が来る。

闇が辺りを包み込み、静かで冷たい空気が肌を刺すあの時間。

俺達の時間がやってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

視界を包み込む闇。

微かに聞こえる虫の音と、冷たく冷えた風が身体を冷やす。

とある日本家屋、その一室。

 

そこで一人の少年が、ただ身支度を済ませている。

身体をぴったりと、それでいてしなやかに張り付く黒い全身タイツのような物。

身体全体を覆ってしまうような漆黒のローブ。

そして顔にはまるで黒く塗りつぶしたかのような面を付けている。

顔は見えず、素肌も見えずそこに居るのはただの黒子。

 

腰元などにはこれまた黒く塗りつぶした短刀が何本も下げられている。

その全てを身に着けると、縁側に立つ。

そして力いっぱい両足で踏み込んで跳び上がる。

 

生垣に着地すると、目にも止まらぬ速さで走り続ける。

されど、音は響かず辺りは静寂を保つ。

更に生垣から跳び上がると、森を駆けて小屋を踏み台にし、木々を跳び移りながらも疾走する。

そして、彼は夜の闇へと溶けるかのように消えていく。

夜の闇に紛れた蜥蜴を見つける術はなく、何人たりとも足元に這い寄る彼に気づくことはない。

 


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