ナユタとデンジはセックスしたいだけだった   作:シャブモルヒネ

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1日目・転がし始めた木曜日

 デンジは、チェンソーマンだ。

 チェンソーの悪魔の心臓をもつ『人間』。

 『悪魔』そのものではなく、悪魔に死体を乗っ取られてしまった『魔人』でもない。

 普段はただの男子高校生。悪魔と戦うときだけ胸から垂れ下がっているスターターの紐を引っ張ってチェンソーマンに変身する。このような生態の生き物は歴史的に見ても前例が少なく、名前もまだついていない。

 

 かつてデンジにそう説明したのは、マキマという女だった。

 内閣官房長官直属のデビルハンター。

 チェンソーマンとは愛憎渦巻く因縁の『支配の悪魔』という敵対者。

 彼女は己のエゴを叶えるためにあらゆる非道を躊躇わなかった。

 命を、尊厳を、自由意志を、息を吸うように踏みにじる。自身のもつ『支配』の力で人間世界を意のままに塗り替えようとした。人間たちは当然抗った。ソ連も、中国も、ドイツも、アメリカも戦った。マキマを殺すために他の悪魔の力を頼り、国民の寿命さえ捧げた。

 それでもデンジは彼女を敵と憎みきれなかった。

 デンジにとっては好意を抱いた相手。その気持ちは彼女を倒した今でも変わらない。

 好きだった。

 いや、現在進行形で好きなのだと、殺した今でも飄々とした顔で語ってみせる。

 ナユタにはその気持ちを理解することができない。

 

 

「――じゃあ、デンジは、マキマって人を倒すためにバラバラにして食べちゃったんだ?」

「おー、そうだぜ~」

「ふうん……。それなのにまだ好きなんだ?」

「ああ」

「それで? そうやってマキマって人が死んで、次に生まれてきた支配の悪魔が私なんだよね?」

「そうだよ。よく分かってるじゃん。ナユタ」

「ねえ。デンジはさ、私もマキマって人と同じようになるとは思わないの?」

「そうさせないために一緒にいる」

「デンジは、私が怖くない?」

「いんや? ぜんぜん」

「私は死んじゃったマキマの代わりなの?」

「違うな」

「だったら、なんで一緒にいるの?」

「昔の俺と似てる、っつーのは違うか。ナユタは俺と全然ちげー。けど、分かる部分があるっつーか、そんな気がするんだ」

「私には分からないんだけど」

「ナユタと一緒にいたいってことだよ」

「…………ふうん」

 

 

 ナユタは、デンジの義理の妹だ。

 濡れ羽色の黒髪が肩まで伸びており、いつも眠たそうな瞳はよく見ると人形のように無機質で、その異質さに気付いた者は恐れを抱いて距離をとる。

 彼女は悪魔。

 マキマの次の世代の『支配の悪魔』。

 人間ではない。けれど人間と友好的な存在である証拠に人とまったく同じ姿をしている。

 悪魔としての能力は『支配』。

 かつてのマキマとまったく同じ。

 下等動物や、自身が格下だと思った相手を完全な支配化におくことができる。

 凶悪極まりない能力であり、前世代の支配の悪魔だったマキマは自身の目的のためにその能力を使ってあらゆる生き物を利用した。

 あるときは罪のない人間を。

 あるときはおよそ関係のないはずの魔人や悪魔を、まったく容赦せずに使い捨てた。

 今の支配の悪魔であるナユタは違う。

 今のナユタは、誰に対しても、どんな弱者であろうとも、支配してしまおうなどとは考えていない。

 ただ誰かと対等な関係を結びたいと願っている1人の少女にすぎない。

 今は、まだ。

 

 

 この物語は。

 仮初の兄と妹が、愛の内側から芽吹いた情念に翻弄され、狂気の坂を転がり落ちていく1週間の記録である。

 

 

 

 

 

転がし始めた木曜日

 

 

 

 

 

「彼女が欲しいぃ……」

 今日も今日とて陽が落ちる。夕食を終えて、自宅であるアパートの壁に後頭部を押しつけながら、デンジはぼんやりと呟いた。

 窓辺からはオレンジ色に輝く夕陽が差しこんでいる。

 1日が終わる。あとは夜が来るのを待つだけ。今日はもう何もできない――その事実に、デンジは死んだ魚のような目で繰り返すしかなかった。

「彼女作ってぇ、セックスがしてえ……」

 意味のない独り言は天井に吸いこまれて消えた。

 願望を垂れ流したからといって突然謎の美女が現れたりはしないし、ましてや「抱いて!」と肌を重ねてくれるわけがない。それぐらいは学のないデンジでも理解している。だがやるせなさとリビドーは理屈で昇華できるものではなかった。デンジの頭と股間のあたりには名状しがたい欲望が渦を巻いている。異性とイチャつきたい。柔らかな身体に抱きつきたい。そしておセッセをしたいと、心の底から思うのだ。

「胸のでかい女と、セックスがしたいぃ!」

「デンジ」

「……あん?」

「いい加減にして」

 地獄の底から飛来する刃のように鋭い声だった。

 ……というのは、あくまで印象にすぎない。実際の声は、少し舌足らずで幼ささえ漂っている。

 彼女はナユタ。

 女子中学生。デンジの同居人であり、戸籍上は妹である少女。

 すらりと伸びた発育不足の身体をセーラー服に包みこみ、デンジの正面、ちゃぶ台の向こう側の座布団の上でちょこんと正座して、情緒の感じられない瞳で出来の悪い兄を凝視している。

 すぅ――と指を斜め上にさした。

 その先にあったのは家事の分担表。曜日毎に『デンジ』か『ナユタ』に割り振られていた。

「今日の食器洗いは、デンジの当番」

 今日は、木曜日で。

 食器洗いの担当者はデンジだった。

「……ああ、悪い悪い」

 緩慢な動作で立ち上がる。少年は、食べ終えて空になった食器を重ね、台所のシンクへ運んでいく。ナユタの艶やかな唇から嘆息が漏れた。うんざりだ、と無言で主張していた。

 だが彼女もまだ甘いかな、これまで幾度と無く繰り返してきたやり取りが今日になっていきなり通じるようになるはずもなく、デンジはナユタの横を通り過ぎるときにぽつりとこう零した。「……ツラの良い女とセックスしてえ~」と。

 ナユタの表情は変わらない。

 けれどその鉄面皮の向こう側では苛立ちが煮えたぎっていたのだろう。無言で立ち上がり、味噌汁鍋にスポンジをかけていたデンジの背中まで歩を進める。おもむろにローキックをかました。

「いてえ! な、なに!?」

「デンジは、あほ」

「は?」

「あほでしょ、って言った」

「おー、あほだぜ、俺は。義務教育うけてねーからなァ」

「そういう意味じゃない」

「じゃあ何だよ?」

「私は、女の子」

「……お、おう?」

「デリカシーって言葉、知ってる?」

「知らねえ」

「……」

「いてえ! やめろって!」

 アパートに悲鳴が響く。

 人間と、悪魔。2人は家族だった。

 同居人は他にもいる。

 いや、同居犬と呼ぶべきかもしれない。

 部屋の境目からたくさんの大型犬たちが姿を見せる。主人たちの諍いをつぶらな瞳で不思議そうに見つめている。

 マキマが遺した飼い犬だ。

 人懐っこく、言う事をよく聞くお利口さん。ついでに説明すると、よく食べる。下手をすると主人の1人であるナユタよりもたくさん胃に入れる。食事費用は毎月2万円は下らない。ときには3万円かかる月もある。では、それが7匹も居るとなればどうなるか?

「ええ……? 2万円が7匹でいくらになるかって? う~~ん……、9万円?」

「やっぱり、あほだ」

 答えは、驚きの14万円。しかも最低額でだ。ときには3万円×7匹で20万円超えのステージに乗ることもある。

 更に、ここから様々な注射代や予防薬代、生活用具代が加算された。トドメに付け加えると、ペット可のアパートは割高だ。

 イイ女とセックスがしたいとか言ってる場合ではない。

 働いて稼がなければホームをレスってしまう末路が待っている。

「大丈夫だって! いざとなりゃ悪魔を狩ってくりゃいいんだからさぁ」

 デンジは楽観的だ。強がりでもなんでもない。何故なら彼はデビルハンターだからだ。しかも凄腕の。一応まだ公安に所属していて、それなりではあるが給料も入ってくる。悪魔を倒せば特別ボーナスもゲットできた。今月の末には30万円も振りこまれるんだぜ、とデンジはほくそ笑む。

「それにアキの貯金も残ってる。何とかなんだろ?」

「……でも、安定してないよ」

「ナユタは心配性だな。パワーとは大違いだ。いや、むしろアキに近いかもな」

「アキって、お兄さんだった人?」

「そんな感じのやつ」

「じゃあ……私はお姉さんなの?」

「お姉さん~~?」

 デンジは首を捻る。じぃ~っと半眼になってナユタの全身を意味深に値踏みした。

「その胸でお姉さんは無理だろ」

「…………」

 返ってきたのは氷よりも冷たい視線だった。

「ぎゃあ! 犬をけしかけんな!」

 

 夜が更け。

 夕食を終え、風呂を済まし、あとは寝るまでごろごろと時間を潰すだけ。そんなときは一緒にテレビを観るのがデンジたち早川家の習慣だった。

 この日はナユタのチョイスで昔のテレビドラマ。録画しておいた再放送を2人で観ることになった。

「デンジ。足、開けて」

「おー」

 ナユタはするりとデンジの足の間に潜りこんでくる。背中をデンジの腹に預けて、デンジの腕をシートベルトのように抱えこむ。

 こうすれば互いの体温で夜も寒くない。

 2人がくっつくと体格の違いが明らかだった。ナユタの未成熟さが際立つ。彼女は、かつて同じようにデンジにひっついていたパワーとはまるで違った。まだまだ小さな子どもなのだ。

「今日もデビルハントに行ってたの?」

「ん? いや、今日は学校行ってた」

「大丈夫? 単位とれそう?」

「だ~いじょうぶ。俺より馬鹿なやつもいるし」

「学校、楽しい?」

「おう、それなりに。学校にゃあキレーな女もたくさんいるしな」

「……」

 デンジは顎の下から立ち昇ってくるナユタの髪の匂いを吸いこんだ。懐かしい匂いだ。雨上がりの初夏に咲く花のような匂い。遠い昔、みすぼらしい少年だった頃によく嗅いだ記憶がある。

「デンジはさ、学校でもあんなこと言ってるの?」

「んん? ……あんなことって何?」

「セックスしたい、って」

「流石に言ってねえ。男の前でしか」

「ふーん。でもそれって、多分女子にはばれてるよ?」

「えー、そうかあ?」

「壁に耳あり。女の子はね、男の子よりずっと情報通なんだから」

「マジ? それはやばいかもな」

 そう言いながらもデンジはけろりとしていた。

 デンジの通う高校の女子生徒たちは若々しい生命力に溢れ、魅力的ではある。しかし彼がこれまでに知り合ってきた女性たちと比べると一枚落ちると言わざるをえない。

 レゼ。

 あるいはマキマ。

 彼女たちの容姿と振る舞いを思い浮かべればすぐに思い知らされた。そのへんの女子高生たちとはまさに大人と子どもの隔たりがある。

「……話は合うんだけどな~。色気っつーのがねえんだ……」

「え? 誰の話?」

「いや、何でもない」

「高校の同級生のこと?」

「うへ」

 図星。鋭い指摘だった。

 ナユタは鋭いし、賢い。デンジの通う高校の女子生徒たちよりも聡明だ。「人間の感情の機微なんて知りません」みたいな顔をしながら人の心中をよく察してみせた。

 デンジはかつて師匠であった岸辺の言葉を思い出す。

 

――政府に任せたらまたマキマみたいになっちまう。お前が育てろ。

 

 大丈夫だろ、とデンジは鼻息を鳴らした。

 初めのうちこそ心配していたが、ナユタはあっという間に社会と人に慣れ、デンジを追い抜いた。今や面倒を見てもらっているのはデンジのほうかもしれない。

「デンジはどんな女の人が好きなの?」

「そうだなぁ……。俺に優しくてぇ、えっちでぇ、ミステリアスな美人」

 テレビ画面の中では、鬱蒼とした林のなかで少年少女が逢引をしていた。

 映像はずいぶんと古臭い。登場人物たちの格好や髪型にも年代を感じた。ぼんやりと眺めていると、少女が自身の胸に少年の腕を押し当てる――随分と直球な誘惑にデンジは軽く驚いた。

「……なんだこれ。いったいいつのドラマだ?」

「昭和」

「すげードロドロしてんな。この金持ちのおっさんと主人公の母親って、不倫してんの?」

「そう」

「これ……面白れえか?」

「面白い」

「ああ、そう……」

 デンジは細く溜め息をついた。エロい映像は好きだが重いストーリーは苦手だった。言われるままに観ていたが、話には金もからむし、嫉妬による当てつけもからんだ。暗くて、エグい。

「きっつ」

 首を横に伸ばしてそおっとナユタの様子を伺った。

 相変わらずの無表情。でも目は釘付けで、興味津々と言った様子。

「女の子はエグい恋愛話が好きって、ほんとなんだなぁ」

「誰がそれ言ってたの」

「高校の友達」

「男の?」

「男」

「あっそう」

 結局、ナユタは最後まで視線を動かさずに観賞していた。デンジとしてはきりあげて少年ジャンプでも読みたかったけれどナユタが腕を掴んでいたため動けなかった。

「やっと終わった……」

 デンジはげんこつでも入りそうな大欠伸をする。目の端に涙を浮かべながら、ベランダへと繋がる窓に目を向けた。

 夜空には月が煌々と輝いていた。

 星がぎっしりと敷き詰められている。北極星を見つけた。しかし他の星座は分からない。勉強はしたはずだが名前が浮かんでこなかった。知識と気付きがなければ夜空の星々などただのばら撒かれた光の粒にすぎない。

 まぁ別に。星座なんて知らなくても構わないだろうとデンジは思う。

 

 電話が鳴った。

 

「はい~、もしもしィ?」

『俺だ。岸辺だ』

 かつての師匠。岸辺だった。

「あ、デンジです。お久しぶりです……?」

『用件だけ伝える。お前らの住んでいる街に厄介な悪魔が現れた。退魔課を出動させたが逃げられちまった』

「はァ……?」

『っていうのは言い訳で、本当は勝てなかったんだ。その悪魔は退魔課のメンバーを堂々と返り討ちにして現在は潜伏中。いいか、よく聞け』

「なんスか?」

『お前では勝てない。見かけたら、逃げろ』

 岸辺の口調は有無を言わさぬものがあった。

 夜中にいきなり電話してきてこの警告。あの岸辺がだ。デンジはただならぬものを感じた。

「そいつ、きっと報奨金もでかいんでしょ~ね」

『……お前、俺の話聞いてたか? 戦うなと言ったんだが……』

 電話口の向こうからは僅かばかり逡巡が伝わってきた。

『……お前に言っても無駄か。教えなきゃよかった』

「まー任してくださいよ! わっるい悪魔はこの俺がやっつけてやりますから!」

『お前な……』

 

 

 

 

 

 ナユタはリモコンを操作してテレビの電源を落とした。

 ちらり、と電話中のデンジに目を向ける。

 デンジは何一つ気付いていない。本当に、何一つ。その事実にナユタは深々と溜め息をつくしかなかった。

 ナユタとしては、今日はかなり積極的にアピールをしたつもりだった。

 デンジに向けた好き好きアピールを、だ。

 どうしてデンジは全く気付いてくれないのかナユタには理解できない。これが鈍感男というやつなのかもしれない、と眉をひそめるしかなかった。

 

 ナユタには1つ決めていることがあった。

 デンジを絶対にお兄ちゃんと呼ばないこと。

 なぜなら、兄と妹の関係では、恋愛対象にならないから。

 彼女はかろうじて人の顔に見えないこともない壁の汚れよりも情緒の薄い表情をしながらもその内面では乙女めいた思考を延々と巡らせていた。

 

 デンジが良い。

 デンジしかいない。

 この地球上で唯一、私と対等な関係でいられるのは彼だけだから。

 自分はただの少女にすぎず、まだ能力も上手く使いこなせない。だが近い将来、その正体が支配の悪魔であると露見すれば立場はがらりと変わるだろう。世界各国の政府機関は自分をつけ狙うようになる。

 脅威を察知した人間のとる態度は決まっている。

 かつてはアメリカでさえ対抗できなかった最悪の悪魔と恐れて抹殺しようとするか、

 もしくは自国の利益のために手に入れようと欲望まみれの目で迫ってくるか。

 害獣か、兵器か。

 そのどちらかだけ。

 ナユタという1個人の人格はまるで考慮されない。

 しかし、デンジは違う。

 彼だけはありのままの私を見てくれる。そんな確信がある。

 だから私はデンジを――

 ――でも、

 それって本当に合っているのだろうか?

 根拠も。正当性も。信じているロジックも。まるで怪しいものだった。

 自分で自分が分からない。

 私は、デンジだからこそ、好きになってもらいたいと思っているのだろうか?

 それとも、デンジしか候補が居ないから、仕方なく彼を選んでいるのだろうか?

 あるいは、自分が世界中から敵視されるであろう支配の悪魔だから、保身のために彼を情で縛りつけて戦力として利用しようとしているのだろうか?

 そもそも悪魔が愛を持てるのか?

 真実本当のところではデンジをどう想っている?

 ……答えは霧の中だ。

 1つだけ分かるのは、それについて精査している時間は無いという現実だ。

 限界が近い。

 予感があった。

 自分の支配の悪魔としての力と本能は日に日に強くなっている。

 このままでは遠からずマキマのようになってしまうだろう。

 己の目的のために必要なものや大事なものを支配せずにはいられなくなる。

 静謐なる世界……一分の隙もない安心を得るために、いずれはデンジの自由意志さえ奪ってしまいたくなるだろう。

 だから、そうなる前に、決着をつけなければならない。

 

 開戦の機運が高まっている。

 

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