甘き夜明けよ、来たれ   作:ノノギギ騎士団

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長細く割った燃料用の木材。広葉樹が好まれる。
効率的な燃焼のためには乾燥させる必要があるが、
乾燥が過ぎれば燃焼時間は短くなる。



3年生まで
騎士と学舎(上)


 古の神秘の学舎、ビルゲンワース。

 そこは、禁域の森と呼ばれる深い森を越えた湿地帯にある。

 

 日常であれば、人の気配は遠く、静まり返り、ときおり聞こえるのは姿の見えない不気味な鳥の鳴き声のみという場所であったが、今日に限っては事情が異なるようだ。 健全な人間の営みである薪割りの音がコーン、コーンと響いていた。

 

「ほいよ、次」

 

「はい」

 

 せっせと薪を割っているのは休暇中のカインハーストの騎士、レオーだった。

 丸太のそばで割った後の薪を片付けつつ、薪割り用の木材を設置しているのはクルックスだ。

 二人の共同作業はこの調子で早朝から始まり、最後の一つを真っ二つにした頃には、昼になっていた。

 

「お手伝いいただき、ありがとうございます」

 

 ヤーナムにありふれた木製の荷車に薪を乗せ、学舎まで運ぶ間、クルックスはレオーと話す機会を得た。

 

 連盟員のクルックスにとって。

 医療教会の宿敵であり、連盟員とも関わりがあるらしいレオーとの関係は、敵とも味方とも呼べない不思議なものだ。もっとも一概に敵味方に区別する必要はないハズだが、ここはヤーナム。身の振り方を気を付けなければならない土地において、互いの立場をハッキリさせておくのは重要なことだった。

 薪割りを手伝うと言ったレオーに対し、最初に投げかけた質問はそれだった。 彼は目を細め、薄く微笑みながら答えてくれた。

 

 ──見かけによらず、難しいこと考えるのな。そうさね。敵ってことでいいんじゃないか? 連盟員は『穢れ』をよく落とすからな。そっちの思惑は分からんが、俺は狩るぜ。なら敵だろう。

 

 しかし、こうも言った。

 

 ──とはいえだ。俺の楽しい連休中にお仕事の話を突っ込まれるのは、愉快なことではないな。特にお前の質問は、あまりに正々堂々としている。分かるか? 「あれはあれ、これはこれ」よ。お前だってここにいる間は連盟員のクルックスではなくて、月の香りの仔だろう? 血生臭い話は夜にしようぜ。そう、夜に。お前はどうやら歴史のお勉強がしたいようだからな。

 

 たしかに。彼は頷いて非礼を詫びた。

 月の香りの狩人の仔であるクルックスにとって。

 レオーとの関係はビルゲンワースの学徒と等しく『月の香りの狩人の協力者』という枠のなかにいるのだ。

 ならば礼を尽くすべきだった。

 

「構わん、構わん。お前達がいなかった頃は、俺があれこれ力仕事をしていたんだ。慣れているのさ」

 

「あっ……。お父様の滞納癖は、本当に……何というか……ご迷惑をおかけして……」

 

「ハハハ、ここに来る理由は取り立てとは限らん。ちょっとした旅行で来ていたのさ。学徒達は血縁的に俺の親戚にあたる。彼らの様子を見に来ていたんだ」

 

「親戚? なるほど……」

 

 クルックスは、近所付き合いも知らなければ親戚付き合いも分からなかった。

 だが、レオー曰く「そういうもの」だと言う。

 クルックスは大人になった自分を想像した──それは父たる狩人の姿だ──同じ枝の『きょうだい』達のため各組織を訪ねる。想像していると気付いた。魔法界、そしてホグワーツへ通うという事情がなければ、クルックスと他の三人が定期的に顔を合わせる機会は、狩人の夢で偶然出会うか出会わないかという程度になってしまう。

 クルックスの発見を知らず、レオーは言葉を続けた。

 

「二人が取り組んでいるのは神秘の研究らしいな。俺はあまり詳しくないがあの手の研究は、よく気が触れる。まぁ、二人ぽっちで長年やっていれば神秘の研究でなくとも気が触れるだろうが……。ともかく、いつもとは違う話し相手がいれば気分がすこし変わるだろう。そういう理由で来ていたのさ」

 

「なるほど。そういえば、コッペリア様は体調不良でお休みですが、ユリエ様は楽しげにしていました。気分転換になっているのだと思います」

 

「だとすれば幸いなことさね」

 

 レオーは、肩を揺らし笑ったようだった。

 休暇を穏やかに過ごす彼は、草臥れた雰囲気をまとっている。

 

「お、いい感じの木の棒!」

 

 そう言って拾った木の棒を右手で弄びつつ荷車を押すクルックスをニコニコ顔で見守る彼がカインハーストの騎士であるとは、事情を知らなければ誰も気付かないと思われた。

 布の如き薄い銀製の狩装束を脱いだ彼は、品の良い黒のズボンとストライプのシャツ、リネンのベストを着ている。白銀の長い髪を背中で結い、傷病痕が残る右半面の顔を惜しげもなく晒していた。

 ビルゲンワースに休暇で来たとは本当のことなのだろう。遠慮も憚りもしない気安さが窺えた。

 彼は、不意に湖からやって来る風に誘われ遠くを見る目をした。周囲を見る目の鋭さと体幹の緊張は無意識の警戒を感じさせる。敵の多いカインハーストの狩人らしいとクルックスは思った。

 さて。カインハーストの恵体は古狩人においても顕然らしく、彼もまた見上げるほど背が高い。クルックスは、彼が話す度に頭を動かした。

 

「そういえばユリエ、ユリエか。──ああ、そういえば。ふむ。なぁクルックス、やや聞きにくいことだが」

 

「はい」

 

 荷車に山のように詰んだ薪を学舎の床下倉庫に通じる穴に放り込みながら、レオーがヒソヒソと声を低くした。

 

「お前だけでも、実は、ユリエが産んだ子だったりとかしないのか?」

 

「はい。はいッ!?」

 

 クルックスは薪と一緒に荷車を穴に放り込みそうになった。

 レオーは『聞きにくい』と言ったとおり顔を顰めた。顔の右半面を覆う火傷の痕は、引き攣った。

 クルックスの心臓がバクバクと音を立てて震えた。奇妙な動悸をおさえるため胸に手を当てた。

 

「お節介だと重々承知なのだがな。俺としては、若い女がいつまでもフラフラしている様子を見ていると、どうにも不安で。いっそ狩人が責任を取って身をかためてくれたら安心できるのだが……」

 

「ユリエ様はフラフラなど、し、していません、していません! ちゃんと自分の足で歩いています」

 

「いや物理的な話ではなく……。しかし、この反応を見るにどうやら違うらしい。お前は狩人とそっくりだしセラフィよりは期待したんだがな。ということは、お前も回転ノコギリ産か。いや、そもそも回転ノコギリ産って何だよ。どうして回転ノコギリでガキが出来るんだよ。こっちの頭が破裂するわ」

 

「…………」

 

「エッ。まさか、子供がどうやって出来るか知らないとか……ないよな?」

 

 レオーが、かなりギョッとした顔で口を押さえた。

 クルックスは慌てて手を振った。

 

「せ、生物の仕組みは、もともと知っています。俺達は別に『何も知らない』状態で生まれたワケではないので……いえ、それとして俺は特に他の三人に比べて知識が欠けていることも多いのですが……自分達が異常な出自であることは、ちゃんと分かっています」

 

「ふぅん、そんなものか。それも不思議な話だがな。辻褄が合ってるのか、合っていないのか。いやはや、いやはや」

 

 最後の薪の束を穴に放り投げて作業は終了した。

 だが、クルックスはまだ荷車の柄を持ったまま、レオーを見つめていた。

 

「辻褄ですか?」

 

「ん? ああ、いやなに。確信がある話ではない。しかし、物事というのは上手い具合に辻褄がついて、釣り合いが取れるように出来ているのさ。まったく因果なことにね。俺が言っているのは、つまりさ。──狩人が何かを生み出したということは、狩人の中では何かが減っているんじゃないかってことだ」

 

「何か……? ふむ……。お父様は怪我の直後、何も心身に変調は無いと人形ちゃんに報告したそうです」

 

「ああ、そう。なら気にするな。俺の勘さ。お前達は、悪夢なんざ現実の法則があってないような世界で生み出された、しかも元凶の上位者の生き物だ。常識の範囲外でもまったく不思議ではないが、それにしても『生き物』だ。しかも、かなり『まとも』ときている。セラフィも腹が減るし眠気もある。お前もそうだろう? 可愛いよな。俺は困らんが、悪夢の生き物としてのお前達は常識的で『まとも』が過ぎるだろう。これって悪夢が仕掛け武器や聖杯の儀式素材を生成する事とは『違う』と思わないか?」

 

「たしかに。言われてみれば……。出自の異常は理解したつもりでしたが、お父様の負担になっていたかも、とは考えたことがありませんでした」

 

「なったんだか、なっていないんだかさ。いつも何があってもケロリとしているヤツだからな。……よーし、荷車を戻したら、散歩するか」

 

「お供させていただきます」

 

「うんうん。お前みたいな後輩こそ俺が欲しいものだ。年上に従順なヤツは長生きするぞー」

 

 レオーは嬉しそうに笑って、クルックスの頭をくしゃくしゃと撫でた。セラフィもこうした待遇を受けているのだろうか。ふとそんなことを考えた。

 

「む。そういえば、後輩というと巷の噂である『流血鴉』と呼ばれる狩人もレオー様の後輩にあたるのでしょうか? それとも先輩なのでしょうか?」

 

「えー、アイツの話しちゃう?」

 

 その声は、冗談めかしたものだった。

 市街にいる狩人であれば一度は聞いたことがある『流血鴉』の噂。

 真偽が気になるのは分かる。理解を示す声音でもあった。

 

「あ、いえ。その、聞かれたくない話ならば……俺は」

 

 そっぽを向いたクルックスを見てレオーは笑った。

 

「いやいや、構わないさ。そのうち市街でバッタリ出くわすこともあるだろう。鴉は、俺の後輩さ。世代的には、うーむ、爺と孫くらい離れているんじゃないかな? 時系列が捻れていなければ三世代くらい。俺がカインハースト絶頂期の狩人なら、アイツはお前のパパと同じくヤーナム末期の狩人だ。傑作的騎士ではあるが、やはりちょっと無理が祟ったか。頭がおかしいヤツでな。そこが愛せるところでもあるのだが」

 

 レオーは自慢げに語った。

 湖面を凪ぐ風は、二人にも訪れる。

 レオーの白銀色の長い髪が、キラキラと光って見えた。

 だが、クルックスは見とれるより先に疑問を抱いてしまった。

 

「無理とは?」

 

「より優れた騎士を求め、血質を高めるためにヤーナム末期の血族達は互いに無茶をしたということだ。血が近すぎたんだろうな。そのおかげで多血の持病を持っているし性格も気性も実に良くない。癇癪持ちってヤツだ。良質の畑だとしても連作はいけないよなぁ」

 

「それは……ヤーナムにいれば性格も気性も荒れるでしょう。その、血に因らなくとも」

 

 クルックスは、カインハーストが抱える事情を多くは知らない。

 だが彼らが抱えていた騎士は、その多くが医療教会が派遣した処刑隊により粛正されたという話は知っている。それでも生き残った騎士達がいたとすれば、住人がいたとすれば、その復興のために何を努力するか。息苦しさと共にクルックスでも予想ができた。

 

「ありがとうなー。あまりに温かい言葉だ。血が通っている。鴉もビックリするだろう。……しかし、ヤーナムの民によって擦れた部分もあるだろうが、ほとんど持ち前の『難』だよ。とはいえ、不器用だが悪いヤツではない。会った時は最低限の礼儀は払って欲しいところだ」

 

「気を付けます。会う機会は……あまりないと思いますが」

 

「さーて、どうだろうな。案外、アイツから会いに来るかもな。セラフィのことはずいぶん気に入っている。そうそう。俺がここに来る前日、セラフィがカインハーストに戻ってきたんだがその時に光画を持って来たんだ」

 

「光画? ああ、写真ですね?」

 

「そうとも呼んでいたか。うんうん、それそれ。俺達は姿絵といえば、絵画しか知らないからな。『きょうだい』写真を見て、俺なんかは『へー』と感心していたんだが、鴉はずいぶんと気に入ったらしい。セラフィも『きょうだい』達のことはとても大切に想っているのだろうな。いろいろとお話をしてくれたぞ」

 

「ど、どんな話を?」

 

 クルックスは、平坦な道で躓いてしまった。

 

「警戒するような話は特に……? 普通、普通さね。まず名前だろ。あと所属。鴉は珍しく外にも興味を持ったな。行きたいとは言わなかったが。『きょうだい』のなかだとテルミが気になっているようだったな。聖歌の嬢ちゃん。医療教会には思うところがあるのだろうな。それに女性だからな。うんうん。健康だな」

 

「うん……? うん……?」

 

 どのあたりに健康な思考があったのかクルックスは考え込み、その結果、聞く機会を逸した。

 テルミは誰とでも良い付き合いができる優れた平衡感覚の持ち主だが、本人の与り知らぬところでカインハーストの流血鴉に狙われているとは、まさか思わないだろう。また、彼女がどうやって鴉を避けるのかクルックスは考えつかなかった。テルミは『きょうだい』の中で最も戦闘の才に恵まれなかったのだ。

 

「気難しいヤツだが、話せば低確率で話し合いが成立することもあるかもしれない。俺に何かあったら頼むぞ」

 

「レオー様に何もないように祈りたい気分ですね」

 

「セラフィはうまくやっている。お前も大丈夫だろ。しぶとそうだし」

 

「諦めは悪い方だと自覚していますが、俺は、人付き合いがうまくないので……」

 

「大丈夫、大丈夫。そのうち慣れるさ。……ヤーナムの夜は長い。気長にな」

 

 クルックスは、うつむきがちになっていた顔を上げた。

 

「お父様からも言われました。『どうか気を永く保ちたまえよ』と」

 

「む?」

 

「貴方は……長い夜は、辛いのですか」

 

 クルックスが見上げるとレオーは口の端を歪めて笑っていた。

 そして、またクルックスの頭をくしゃくしゃに掻いた。

 

「お前の質問はまっすぐすぎるのだ。あまりに『まとも』で、愚かで、眩しいことを聞く。……カインハーストには向かないな」

 

「それは、し、失礼しました」

 

「お前は悪くない。俺のワガママだ。口に出してしまえば、その感情を認めることになる。人間の心は意外と脆いからな。長い夜には、目の眩む大義と小さな意地が必要なのさ」

 

「……鴉は外の世界に興味がなさそうだと言ったそうですが、貴方は?」

 

 ヤーナムの長い夜を厭うならば、ここではない生き方を今とは違う生き方ができるのではないか。

 暗に伝えた言葉は、レオーに届いた。

 

「おいおい。俺はカインハーストの人間だぞ。カインハーストで生きて、いつか死ぬのさ。目下、彷徨う場所が聖杯かヤーナムかの違いだけだ」

 

「…………」

 

「お前も、そのうち分かるさ」

 

 レオーは、クルックスの頭をポンポン叩いてニヤッと笑った。

 湖を一周すると学舎の前に戻ってきた。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

「クルックス。クルックス」

 

 名を呼ばれた彼は返事をした。眠気覚ましの茶を淹れたポットを持ち、ビルゲンワースの学徒、ユリエのそばに歩みを進めた。

 学舎にいる間だけでもお手伝いを──という志で始めたお茶くみは、現職の使用人をしているネフライトほどではないが、なかなかサマになってきていると感じている。

 クルックスにとって「これだけで褒められるのだろうか?」と驚きかけたが、まさかそんなことはなかった。

 

「コッペリアの様子を見てきてくれないかしら。静かすぎるわ」

 

 一瞥もせず──そもそも彼女の瞳は目隠し帽子に遮られ、クルックスには見えないものだったが──ペンをはしらせ続けるユリエの命令を受け、クルックスは数分後にはコッペリアの私室の扉を叩いていた。

 

「反応はない。どこか……お散歩しているのか」

 

 クルックスは、そのまま校内探索を始めた。

 校内にいなければ、さらに森を探すことになる。

 もし、レオーを見かけたらコッペリアについて聞くべきだろう。

 

 校内をくまなく歩いているとやがて学舎二階にある月見台に来た。

 学長ウィレームが乗る車いすが、ギィと軋む音に加えて、今日は二人分の話し声が漏れ聞こえた。

 

 ──アッアッアッ。コレ、阿片?

 ──ククク、似たようなもんさね。あまり一気に吸うな。イクぜぇ。

 ──すこしでも十分さ。世界がギラギラする。すごい掘り出し物だ。まだ市街にあったとは……。

 ──驚くことなかれ。ころがした教会の狩人が持ってやがった。これから毎年狩らなきゃな。

 ──悪いオジサン! そこが愛せる~!

 ──趣味悪いな。

 

 とんでもない言葉がいくつか聞こえた。

 クルックスは月見台が現在進入禁止になっていることを悟り、音もなく壁に張り付いた。

 わずかに空いている隙間から覗き見ればレオーとコッペリアが一本の煙管を吸いまわしていた。

 

 いつもは白い煙をくゆらせている煙管は、いまは毒々しい紫の煙を燻らせていた。鼻がツンとする奇妙な刺激臭。匂いも知らないものだ。記憶にある香りではない。

 

 ──あ、まーっ。これレオーの血も混ざってるでしょ。

 ──さァて。教えられんなぁ。その辺は血族協定の秘密事項なんだよ。 

 ──悪いオジサンだなぁ、ホント。

 ──たまにはいいだろ。あー。うま。

 ──良すぎるんだよ。これ、市街で売り出したら中毒者続出だろう。聖歌隊の僕だから気分よく吸えるだけでさ。

 ──ハハハッ、魅力的ってか?

 

 宙に紫煙を吐き出したコッペリアが、目隠し帽子に手を触れた。

 

「人間には甘い。甘すぎるんだ。堕落を招くほどに。だから君たちは根切りされたんだ。カインの血統を利用するとして『カインハーストの家』なんて、要らないんだからさ」

 

 ハッキリとした輪郭を持った言葉が耳に届く。

 クルックスは、冷たい手が内臓に入り込んだように感じられた。

 レオーが次の言葉を発するまで、彼は月見台に踏み込むべきかどうかの思考に数秒を費やした。だが、いつまで経ってもレオーが帯刀する仕掛け武器──千景の鞘鳴りが聞こえることはなかった。

 

「そこが限界だったのだろう。高いところにある林檎を囓ったビルゲンワースと禁断の血を啜り生まれた血族とのさァ。全ては優劣の話ではない。カインハースト側に論外の価値が生まれてしまったからな。同じ夢を抱いていられなくなった、と言うべきか」

 

「禁断の血を盗んだのが誰か知らないけど、もし、カインハーストがその血を啜らなければ、少なくとも殲滅までされなかっただろう。僕もカインハーストに生まれていたかもしれない……」

 

 コッペリアの声にはいつにない弱々しさがあった。

 並んで座るレオーに彼は寄りかかった。気疲れした動きだった。

 

「おい、湖に落ちるなよ。……血の女王が生まれなくとも、そのうちテキトーな理由をつけて焼き討ちされただろうよ。それこそ旧市街を焼き討ちしたように。殺すために殺すのだから、その時こそ火を使っただろうな。旧市街より早いか遅いかの話だったさ。……粛正など名ばかりだ。ガキどもを捕まえるための処刑隊だろう。ローゲリウスもわざわざご苦労なことで」

 

「ローゲリウスかぁ。処刑隊、ローゲリウス。彼さぁ不思議なんだよねぇ。記録も記憶も一切なし。彼って誰なのさ」

 

「俺も知らん。医療教会の内側と市街のことには詳しくない」

 

「娼館は詳しいのに?」

 

「あれは血族くずれの女もいるからで、俺の趣味じゃあ──ンなことはどうでもいいんだよ。医療教会の内情なら聖歌隊のお前らが調べられるだろう。もっと頑張って探せ。教会のお歴々とて、どこから来たか分からない誰かを処刑隊の長に担ぎ上げるワケがない。ルドウイーク以来の英雄になるかもしれんヤツだ。素性の調査は、その時代なりにしっかりやったハズだろう……」

 

 レオーが、来た理由がこれなのだろう。クルックスはますます扉に身を寄せた。彼の仕事は『月の香りの狩人への督促』だけではなかった。そして、これはきっと彼の個人的な依頼なのだと思えた。なぜなら。

 

「一応聞くけどさ、女王様は今年も黙り?」

 

「……俺がお前を催促したあたりで気付いて欲しいことだな」

 

「僕だって参ってるのさ。頑張っているよ。久しぶりに上層に遊びに行った先、同僚の聖歌隊員から怪しまれるくらいにはね。そろそろ紙の資料を探すのも限界なのかも……君の依頼。本当の本当に、お歴々は秘密を墓場まで持っていったのかもね。前後の文献を見ても、数十年分の情報が失われている可能性がある。それも極めて高い可能性だ。だから狩人君を強請る方が有意義かも。あるいは、ルドウイークが還ってきたら楽なんだけどな。それかローレンス初代教区長とか。女王様が黙りをきめこもうが、他の当事者に話を聞けば一発だろう……?」

 

「悪夢から還って来ていない人間をアテにするな。どんな状態で還ってくるか分からんぞ。馬面右回り変態野郎とか炎上系聖職者で還ってくるかもしれん。悪夢から還ってきた奴で、こうして会話が出来る状態の狩人は貴重だ。たいてい血にのまれたまま悪夢の徘徊ついでにうっかり這い出て来るだけなのだから。俺達がまともだから、相手もまともだろうなんて甘い考えだ。……そういう幸運を頼りにする思考は捨てろ。頭どころか心も病むぞ」

 

「そうだけどさぁ……」

 

 コッペリアは、また一口煙を吸った。

 会話の終わりが近付き、クルックスはそっと扉をから離れた。

 絶対にバレていないと思っていたが、一度だけ振り返ると細くなった扉の隙間の向こうでレオーが振り返り笑っているのが見えた。

 

(血の狩人、人の気配には特に敏感らしい──)

 

 後で釈明しなければならないと心に決め、今は辞した。

 最初の依頼のとおり、ユリエにコッペリアの消息を伝えるためだった。




騎士と学舎(上)
 ソナーズ様のサイトで先行公開していた作品を校正したものです。言葉の端々が変化している程度で、最終稿は本投稿分となります。
 レオーおじさんと行く楽しい夏休みは3話編成でお送りいたします。

親戚なんだ?
 現在『ビルゲンワースの学徒』と呼ばれるユリエとコッペリアは、医療教会の二大会派の一翼たる聖歌隊の流れを汲む人物達です。その聖歌隊がどこから発生したかを辿ると、かつて医療教会が処刑隊を使って壊滅『させた』カインハーストの血を引く子供又は子孫です。経緯はともあれ、カインハーストの血を引く存在が医療教会の中に生きている状態にあります。
 レオーはビルゲンワースの学徒に限り、親戚認定しています。もしも、カインハーストが市街で聖歌隊に出会ったら──高位の医療者が市街などという下界に降りてくることはほとんどありえませんが──念入りに解体することでしょう。医療教会の実験用ネズミに成り下がったカインハーストの人間は彼にとって解釈違いもいいところです。
 ところでビルゲンワースの学徒はカインハーストの血が流れているため、セラフィの『カインハーストに従う性質』を便利に使える人物達ですが、本当に使っちゃうと依頼内容によっては本家であるカインハーストの先達との諍いに発展するのでヤーナムにおけるお使いを頼むことは、まずないでしょう。親しき仲にも礼儀ありの精神なのでしょうか。

狩人様がどこか減っているのではないかというレオーの勘
 レオーが尊ぶ勘については、2年生まで章冒頭の27話『医療教会の射手』にて語られています。

アヘン
 普通に常習性のある薬物なのでアウトです。クルックスの情操教育に悪いので後にレオーとコッペリアが持っていた分は、ユリエに没収されました。薬物、ダメ、絶対。

ローゲリウスとは?
 かつて医療教会に存在した処刑隊の長の名で、今では辛うじて『ローゲリウスの車輪』という仕掛け武器の名としてあるため、狩人の記憶から消えていないだけの存在です。
 レオーは、カインハーストを壊滅させた処刑隊の長について知りたいようです。しかし、失伝した情報が多いため分からないことが多い。聖歌隊を離脱したものの、医療教会に深く身をおくことが出来る人物が探し続けても見つからない状態にあります。
 処刑隊の信奉者は存在しますが、その教義も活動内容も今では何も分かりません。ただ、殉教者ローゲリウスは言った言葉だけが伝わります。
「善悪と賢愚は、何の関係もありません。だから我々だけは、ただ善くあるべきなのです」

 この言葉を聞くと「だからァ?」とレオーおじさんも穏健ではなくなるのでコッペリアは自重しています。

今後の投稿
3年生まで(ヤーナム編)21話
3年生(ホグワーツ編) 29話 合計50話の投稿となります。
毎日投稿してやるぜ!と言いたいところですが、遅れる日もあると思われます。でも0時投稿を目指したいとは思いますので、筆者頑張ります、の気分です。
ま、致命的見落としがなければ大丈夫でしょ、大丈夫……たぶん……たぶんね……

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