オドン教会の地下墓
オドン教会は聖堂街の中心にあり、いまや寂れ、朽ち果てるままになっている。
地下墓を護るのは医療教会と袂を別った異教徒の神父である。
異端を差別することは、人の世の常でもある。
それでも弔いは必要だ。
ゆえに彼は任を受けた。
ヤーナムの夜。
中央市街眼下、旧市街には一条の細い煙が上がる。
強い風が吹いているというのに不思議とその煙は真っ直ぐに立ち上るのだ。
遠く離れた聖堂街へ続く大橋からも、煙はよく見えた。
獣の首を断ち切った後で。
クルックスは、大橋からその煙を見ていた。
あの煙は、きっと医療教会からも見えているだろう。
旧市街を焼いた炎は、かつて医療教会が放ったのだという。いま市街を歩く医療教会の彼らはそれを覚えているだろうか。
物思いにふけるクルックスは、隣に並ばれるまで黄衣の狩人が歩いてきたことに気付かなかった。
「…………」
「おわっ。お、驚かせないでくださいよ。ヘンリックさん」
黄衣の狩人は、連盟の同士でもある。
名をヘンリック。
古狩人の一人で投げナイフの名手でもある。
クルックスは、彼に憧れて投げナイフを練習し始めるようになり、そろそろ数年が経つ。しかし腕前はさっぱりだ。
憧れの古狩人は、石造りの欄干に腕を乗せた。
「ここからでも旧市街が見えるな」
「ええ、はい。俺は行ったことがありません。なんでも旧市街に続く道は全て封鎖されているとか」
「ああ、二カ所ある。聖堂街にあるオドン教会は分かるか?」
「古い、小さな教会でしょう。父から近付くなと言われているので知っています」
「……ほう。オドン教会にはいろいろと噂があるからな。警告は不思議でもない話だ。その教会の先、小さな広場を下っていった先に外れの聖堂がある。その地下から旧市街に降りる仕掛けがあった」
「あんなところに? ああけれど旧市街の地上に近いところでもありそうだ。もう一つは?」
「隠し街ヤハグルの外れだ。もっとも旧市街が市街だった頃から大きな門で閉ざされていた。いつの頃からか不死の黒獣が住み着いたからな」
「不死の黒獣……。話には、聞いたことがあります」
ローランの聖杯で、よく見かけるアレだろう。
厄介な青雷をまとう骨ばかりの黒獣を思い出し、クルックスは耳を澄ませた。
風に紛れ、骨の軋む音に似た獣の叫びが聞こえないかと思った。
しかし、拾えたのは隣に立つ古狩人のため息だけだった。
「珍しいですね。ヘンリックさんがため息なんて。どうしたんですか?」
「旧市街の噂は聞いたことがあるだろう」
「火薬庫? あるいは灰狼のデュラとか何とか」
クルックスにとってデュラとは名前だけは馴染みのある人物だ。父たる狩人の口から何度か聞いたことがあるが、まだ直接会ったことはない。
彼について市街で流れている噂はさまざまだ。
「もう死んだろう」
「まだ旧市街で生きている」
市街の狩人達が旧市街の話題に触れるとき必ず話題に上がるのが彼の名前だった。
「彼とは旧友でな。……もっとも、あちらがそう思ってくれていればの話だがな。旧市街が閉ざされた日に……喧嘩して、もう、それきりだ」
疲れた老人の顔をした古狩人は、まるで煙草の煙を吐き出すような息をした。
「俺がいつか伝えましょう。旧市街に行くことがあれば必ず。『ヘンリックさんが謝りたいとおっしゃっていました』とか」
「阿呆なことを言うな」
おどけたクルックスの頭に一発の拳骨を落としたヘンリックは、黄衣の狩装束を翻した。
「謝るのはアイツの方だ! 『ずっと旧市街にいる』などガキみたいなことを言いやがって。市街には、一人でも腕のいい狩人が必要だと言ったのに」
「貴方がいるならば十分だと思ったのでしょう」
「ああ、十分だとも。あの阿呆みたいなパイルハンマーが目に入るだけで嫌になる。とんだ愚か者だ。──狩りに戻れよ、クルックス」
「同士もお気をつけください。夜は長い」
市街の方面を見れば、医療教会の白服──副狩長の指揮の下、隊を組む狩人集団の松明が見えた。
市街へ戻るために歩み出したクルックスは、どこからともなく視線を感じ、銃を握り辺りを見回した。人影は当然のように無かった。
(……? アメンドーズ? 啓蒙が低いからな、俺には見えないだけか……)
たとえ直視できなくとも『見えざる上位者』について知識があったクルックスは、それ以降気にとめることはなく獣狩りに戻った。
静かな夜だった。あまりに静かで喧噪の音が遠い。だからこそ、普段はやかましいほどに聞こえてくる教会の警笛──通称、鴉呼びの警笛──が聞こえなかったことに彼は終ぞ気付かなかった。
■ ■ ■
血生臭い夜が明けても、獣の臭いは染み付いたようにヤーナムから離れはしない。
陰気な顔をした教会の黒服達が、獣の死体を荷車の荷台に乗せると彼らは自らも荷台に乗り、馬を鞭打った。
新鮮な死体は荷台を新しい血で汚していた。荷馬車が転々と血を落としながら石畳の斜面を駆け上がっていく。クルックスはその後ろ姿を見送り、石畳に遺る死血を踏まないように飛び越えた。まだ朝日の届かない路地を覗き込み、人の姿がいないか確認する。
クルックスが、朝早くから市街に存在するのは黒服達に紛れて仕事をしているであろう、『窶し』と呼ばれる予防の狩人を気がかりにしているからだ。
恐らくは古狩人であろう人物だ。
顔を覚えておきたいと思い探し始めたが、市街は広く入り組んでいることもあり捜索を初めて二週間が経とうという今も見つけることはできていない。
クルックスの社会的な立場である連盟の狩人という肩書きも周囲に相談しがたい障害になっていた。連盟と医療教会は、仲が良いわけではない。連盟から向ける感情は無いが、禁足地に指定されている禁域の森を集合場所にしている連盟を医療教会は快く思っていないだろう。
枯れた羽を模したトリコーンを深く被り、クルックスは朝靄に煙る街を歩いた。
何本目かの路地を歩いている時だ。
「──おい、クルックス」
呼び止められた彼は、声をかけられた方向を見上げた。
三階建ての建物の窓が開いている。そこで手を振っていたのは、昨夜会ったヘンリックだった。
「ヘンリックさん、おはようございます」
「早いな。──上がってこい」
彼は階下の扉を指した。
「…………」
問答無用で呼ばれてしまい、クルックスは断る暇もなかった。
ノックをしてから重い扉を開いた。
人がやっと一人歩けるかという廊下にいくつもの扉が面している。その扉に番号が刻まれていた。
「アパート? ヘンリックさんってアパートに住んでいたのか……」
しかも廊下には獣の臭いを一時忘れることができるほどのいい匂いが漂っていた。
クルックスは外套のポケットをあさった。食べ物らしき物は何も持っていない。血の酒くらいしかない。
三階に辿り着くと壁の扉の数が減った。個々の部屋が大きいのだろう。そのうちの一室だけ扉が開いていた。
(ここだろうか?)
顔を出して覗くとヘンリックが「入っていいぞ」と言った。
リネンのシャツ、毛織りのベストとズボンを着たヘンリックがお茶を淹れていた。
その光景につんのめりそうになる。ヘンリックは狩装束を脱げば、品の良い初老の男性であるらしい。
「朝くらい寝てから動け。早すぎだぞ」
椅子を勧められクルックスは座った。
すぐにカップになみなみ注いだお茶が出てきた。
熱々のそれを冷ましながら、手の中で回した。
「いえ、まあ、そうなのですが……」
「何か探していたのか? 路地を見ていたようだが」
「知人を探していました。父の知人です」
「新人の? お前とは関係無いだろう」
「そうなのですが、顔を知っておきたいと思ったんです」
「名前は?」
「分からないです」
「分からん? 父親に聞けばいいだろう。知人ならば」
手っ取り早い方法は、そうだ。
もちろんクルックスも分かっている。
「いえ、父に……こそこそ嗅ぎまわっていることを知られたくないんです」
「ハァ?」
「いくらヤーナム市街が広いからといって人捜しもできない無能だと思われたくないような気がして……。狩人ならば仕掛け武器を見れば分かるだろうと探し始めたのですが、手がかりは今のところ何も」
「狩人探しならば尚更だ。こんな時間の外にはいないだろう。日の出直後、いま出歩いているのは獣の死体を処理する医療教会の黒どもと──」
その時だ。
足音が聞こえた。かなり重い足音だ。
「ヘンリック、俺のシャツ知らないか~」
「ここにある」
ヘンリックが椅子に掛けられていたシャツを投げた。
現れた人はそのシャツを受け止めた。
「お、おぉ……」
クルックスの短い『人』生において身近な生活圏において最も高身長である存在は、約二メートルある狩人の夢にいる人形だ。次点は一九〇センチはあるビルゲンワースの学徒、コッペリアや最近出会ったカインハーストの狩人、レオーだ。人形は話をするとき必ず屈んでくれるので背丈による圧を感じることは少ない。だが次点のコッペリアやレオーは、真っ正面に向き合えば背の高さやそれに見合った体格に驚くことがある。
本日、記録は更新された。
目測二メートル三〇センチ。
クルックスは、彼を知っている。何度かの夜でヘンリックの隣にいる姿を見たことがある。
「ガスコイン神父……! 近くで見ると本当に大きい」
「ハッ、図体だけだよ」
両目を包帯で覆い、白い髪でそれさえ隠すガスコイン神父は巨体だった。
ガスコイン神父はシャツを着込みながら、お茶を飲んでそっぽを向いたヘンリックに噛みつくように言った。
「やめろよ、新人にそういう嘘吹き込むの」
「おうおう、私が援護しなきゃ昨日だってどうなっていたか」
「はぁ~? 水銀弾ケチッたジジイに言われたくないなっ」
「まだ見境なく獣の群れに突っ込む阿呆だとは思わなかったんだよ。狩り初日のクルックスだってそんな阿呆はしなかったぞ」
水銀弾をケチったように、例え話もケチッてほしかった。
思わぬ流れ弾を受け、クルックスは飲みかけのお茶を噎せた。
「ゴプッ。結果として生きているので、まあ、そんなに言うほどのことでは……」
クルックスは、二人を宥めようとしたが当然のように無視された。
「ハァ? じゃあナイフは投げていいって言うのか?」
「ああ、バカにナイフは刺さらんとか言うしな」
「年寄りは嫌だね。若者に愚痴を言うしか娯楽がないようだからなっ!」
「言ってろ言ってろ」
ガスコインは椅子に座ることなく部屋を出て行ってしまった。
クルックスは彼が去った後を何度も見てしまった。
「あ、あの、ヘンリックさん。ガスコイン神父、行っちゃいましたが……?」
二人とも悪態を言い合っていたが、本気で怒っている様子ではなかったと思う。しかし、ガスコインは去ってしまった。クルックスは不安になり声を上げた。
「ここは飯付きのアパートでな。一階が食堂になっている。飯を取りに行ったんだ。私がお茶を淹れて、ガスコインが食事を持ってくる。役割分担ってヤツだな」
それから彼は、どうして彼の家となっているアパートにガスコインがいるのか説明してくれた。
「ここは水があるし飯もある。獣の血を落として一睡すれば、血の酔いも醒めるだろう。彼の家は知っているか?」
「ご婦人と娘さんがいらっしゃいますよね。娘は、こう、小さい」
「……彼女たちには、あまり血を見せたくはないだろう」
「……? あぁ、そうですね……」
クルックスは麻痺しがちな感覚であるが、本来、他者の血は衛生的なものではないらしい。自分がとある上位者の肉片由来であるせいか忌避感が薄い。そのせいで反応が数秒遅れた。血とは、くれぐれも素手で触るものではない。──ということはビルゲンワースで最初に学んだヤーナムの外で通用する知識だった。まして、体に入れることは無知ゆえの暴挙であるらしい。
ヘンリックの言いたいことは『ガスコイン一家の日常に狩りの気配を持ち込みたくない』という気遣いなのだ。クルックスは理解した。
「あ、そうだ。今は何も持っていないので……あとでお代を持って来ますね」
「要らんよ。二人分も三人分も変わりゃしないからな。ガスコインが私達と同じ量を食べると思うか?」
曖昧に笑ったクルックスの感想は「思わない」だった。
ガスコインが戻ってくると食事が始まった。抱えてきたのはバケット一杯のパンとチーズ、そして塩スープ。
クルックスとヘンリックの食事は、ガスコインの食べる量に比べれば誤差だった。
ガスコインは、ヤーナム広しといえど稀な巨体である。
できるだけ背が高くなりたいと思っているクルックスにとって、彼の食欲はとても参考になるものだった。
「……やっぱり食べないと大きくならないんだなぁ」
素朴な感想にヘンリックが小さく笑った。
「そりゃまあ。体が資本で……コイツは例外だけどな」
「私だって最初からデカかったワケじゃない。食って寝て働けば自ずとそうなるものだ。……連盟の、名前を聞いていなかったな」
「クルックスです。月、あ、いえ、連盟の『新人』のこどもです」
「よろしくな、クルックス。私はガスコイン。ガスコイン神父と呼ぶ者もいる。……しかし、こんな子供が獣狩りなんて連盟は手が早すぎるぞ」
「本人が『入りたい』と言い、長が認めた。私が嘴を挟む隙間などない。狩りの腕も、まぁ悪くないんだろう。こうして生きているからな」
クルックスは照れてスープをかっ込んだ。
しかし、頭上で聞こえてくる声は、厳しいものだった。
「子供は子供だ。夜は家に隠れているものだ。そのための狩人だろう」
「腕のいい狩人はひとりでも多く必要だ。文句なら新人に言え、新人に」
「おと──父も言われても困ると思います。俺が望んだことですから。狩人ならば使えるものを使うべきでしょう。なので問題はないと思います」
「はぁ、揃いも揃って狩人だな」
──心底、嫌になる。
その言葉の意味を聞き返したくなったが、機会は失われた。
ヘンリックが「シッ」と息を噛み、立ち上がった。
何事かと耳を澄ませれば、階下から話し声が聞こえて来た。
「……私が行く。二人とも食べ終われよ」
ヘンリックが言い、音も立てずに席を立った。
クルックスは最後に残ったパンとチーズを食べ終えた。
思えば。
古狩人には、すでに予感があったのだろう。
狩人であれば最も身近であり、夢を見る狩人である彼には縁遠い『死』という事象について敏感であるべきだったかもしれない。
食器に触れる音が消えれば、階下の声も聞こえてくるのではないかと思うほどに静まりかえった。隣に座るガスコインは、身じろぎもしていない。耳を澄ませているのだ。やがて、階下からヘンリックが戻ってきた。
「ガスコイン、仕事だ。南区のクランツとかいう夫婦が来ている。誰か弔いたいそうだ。細かい話をしたいと下まで来ている。──今すぐに」
事情の半分だけを聞けば単なる報告に過ぎないものだった。
だが彼が声をひそめた理由には不吉なものを感じずにはいられなかった。不吉。たとえば『都合の良くないものを隠そうとしている』とか。
「分かった。すまないが、いざとなったら手を貸してくれ」
「私は構わん。クルックス、今日は手空きか?」
「はい。人夫が必要ならば、お手伝いします」
ガスコインは短く礼を言うと帽子と外套を着込み、部屋を出て行った。
「朝の来訪も……そういう用件であれば頷けますが」
身支度を調えるヘンリックの背からは、何度か同じ事があったのだろうと思えた。
ヘンリックでは巷で『静かな古狩人』と呼ばれているが、それは正しい知見だったようだった。怒りの発露でさえ彼は静かであるらしい。
「普段は『神父サマ』だ何だと後ろ指を差す連中がこういうときだけ頼りやがって。卑怯者め」
飾り羽を差したトリコーンを被る古狩人は、低い声で罵った。
控えめな相槌をひとつ返し、クルックスは彼の後に続いた。
部屋を出る頃になり、クルックスは思い出すことがあった。ここに来た時にヘンリックが話しかけていたことだ。
──日の出直後、いま出歩いているのは獣の死体を処理する医療教会の黒どもと──
あの時は何を言うのか検討も付かなかったが、今ならば彼が言いたかった言葉が分かる気がした。恐らく、不都合な死を隠したい者とか、そういう意味だったに違いない。
■ ■ ■
結果としてガスコインは依頼を受けた。
「体は後で私が持っていく。場を整えておいてほしい」
ガスコインはヘンリックにそう言い、萎れた花のようなクランツ夫妻を伴って朝靄に消えた。
指示は、死体を埋める穴が必要だということだろう。
予想は、正解だった。
クルックスとヘンリックはヤーナム中にある梯子を昇降し、オドン教会地下墓へやって来た。
墓場を囲うように生えている木々。そのとある樹木の裏には、スコップが隠されていた。そのうちの一本をクルックスは受け取った。
「そういえばオドン教会に近付くなとか何とか父親から言われているんだろう? 付き合わせて悪いな」
「いえ、お手伝いできることが嬉しいので構いません。しかし、うーん……。なぜ近付いてはダメなのか聞いたことがありませんでした」
「噂を真に受けているんだろう」
「噂ですか? 『オドンの住人は皆、まともではなくなってしまう』とか何とか。まあ、何となく空気は悪いような気がしますが、ここは地上よりすこし地面の下がった地下墓ですし空気の通りが悪いのは、そういうものかなと感じます。おと──父は、どうして禁止したのか今度聞いてみようと思います」
「何だ、そういうことは聞くのか?」
「ええ、まあ。……あっ。仲が悪いワケではありませんよ」
「……ハァ。家庭の事情というものか」
クルックスは誤解が生まれたことが分かった。
しかし、この関係を他者に説明することは難しい。
そのため「はい」と答えて土を掘り始めた。
スコップを踵で踏み込み、土に食い込ませる。
「どれくらい掘ればいいのですか?」
二人で黙々と土を掘り続けて、息切れしたタイミングでクルックスは訊ねた。ヘンリックも休憩していた。紙巻き煙草に火を付けて白い煙を虚空に吐いた。
「狂った犬に掘り起こされない程度だ。だから、一メートルは必要だな」
彼は、腐葉土の香りのする土をガツガツと蹴った。
「棺ごと入れるのならば、もっと幅も広げないといけないと思いますが」
クルックスは掘削作業の開始にヘンリックが目安として引いた線に従って掘っていたが、どうあっても一般的な棺が入らない大きさだ。
「棺桶──箱は入れんよ。体だけ土に埋める」
「……? そういう物なのですか?」
クルックスは、葬儀を知らない。
けれど、聖杯のなかでは宝飾された棺桶に入っている遺体もあった。だから棺桶とは遺体に入れて安置しておくものだと思っている。そして、それは地上でも地下でも変わらないものだと思っていた。
「……前々から思っていたが、お前はいろいろと物を知らないな」
「すみません。勉強不足です……」
「別に責めてるワケじゃない。新人のガキとは言うが、お前は養子か何かだろう。それも余所者らしい。よく似てはいるがな。別に悪いワケじゃない」
彼は手を止めずに言葉を続けた。
「誰だって縁が必要なのさ。狩りの相性。宗教や思想、言葉、肌の色、気分。なんだっていい。共通しているものがあれば、それだけで救われる。同士だから教えてやるが、ヤーナムはだいぶ昔から資材不足だ。何度目かの獣狩りの夜がきっかけだったと思うが……。大きな獣狩りの夜の後は、大きな穴を掘ってそのなかに死骸を入れる。獣も人も一緒の共同墓地だ。いちいち棺桶を作って埋めていたらすぐに何もかも足りなくなる。それでも最初は獣狩りの夜の犠牲者だけ埋めるという分別があった。だが、そのうち普通の夜の犠牲者もそうやって葬るようになった」
「棺桶を再利用するために死体だけ土にということ、ですか」
「そういうことだ。それでも市民はマシだ。病死ならば特にな。獣に敗れた狩人の埋葬は、さすがに気が滅入る。考えてもみろ。食い散らかされたら、何が誰のどこかも分からん」
「…………」
もし、そうなった場合。
クルックスが掘る穴は、もっと小さくて済むだろう。
労力の少なさは遺骸の少なさと比例した。
「狩人にとって最も慈悲深い死に方が、狩人狩りの手にかかることなど考えたくはないことだな」
「それは、そうですね。寂しいものです。何よりどちらも救われないでしょう。狩人狩りの鴉羽だって、そんなことは……」
ヘンリックは吸い終わった紙巻き煙草を地面に落とすと靴先で消した。
「死ぬときだけでもせめて人らしくありたいものだ。人は当然、獣ならば尚のことだ。……望んで獣になるヤツはいないだろう」
「ええ、はい」
二人は、それから作業を再開した。
■ ■ ■
クルックスとヘンリックは、墓地の隅で時間を潰していた。
風に乗ってガスコインが詠み上げる死者への別れの言葉が聞こえてくる。
彼らが数時間かけて掘った穴は、人が横たわれる大きさになっていた。
その穴の手前には、棺桶が置かれている。
言葉は、その棺桶の主に向けられたものだった。
ガスコインの後方に立っているクランツ夫妻は、血の気のない青白い顔をしていた。ガスコインの言葉が耳に入っているか怪しいものだとクルックスは思った。
ガスコインの言葉が途切れた。
昼を目前に簡略化された葬儀は終わりを告げたらしい。
最後にクランツ氏は、声を上げて涙を流した夫人の肩を抱いた。
地下墓地に温い風が吹く。
そのせいだろう遺体を土のなかに埋めるという段になり、クランツ氏が言った言葉が風に乗って聞こえた。
「神父様。急な申し出を引き受けてくれたことには、本当に感謝している。だから息子が死んだことも口外はしないでほしい。そして、もう私達には関わらないでほしい。わかるだろう?」
それについてガスコイン神父が何と答えたのか彼の巨体からは窺えなかった。
クランツ夫妻は墓地を去って行った。
棺桶の中の遺体を土に埋めるまで家族は傍にいないらしい。
これが普通のことか異常なことかクルックスには判断がつかなかったから二人を見上げた。ガスコインは咎めず、ヘンリックも新しい煙草に火を付けているところを見ると普通の対応であるようだった。
考えれば当然のことかもしれない。
(きっと、見ていて気分のよいものではないからな)
それでも去って行く両親の背中に一抹の寂しさに似た感情を覚えてしまうのは、死者に自分を重ねているからだろう。同じ枝葉の三人であれば抱かない感傷だとクルックスは感じていた。
預かった仕事は終わらせてしまおう。そう思い、棺桶の前に立つ。蓋を開けるまでもない。むかつくような血の臭いがした。死血だが、真新しい臭いだ。それを感じつつ、歯を食いしばって重い蓋を動かした。
「……ああ、酷いな。煙草がなければ『えずく』ところだ。昼飯の前というのが、何とも最悪だがな」
「相変わらず察しがいい。中身も『お察し』なのだろうな」
ガスコインが、やや枯れた喉で言う。
それを聞いてヘンリックは目を細めた。
「察しも何もあるか。『医療教会と袂を別った異邦の神父に弔って欲しい』など重篤なワケアリしかありえないだろう。中身は自分で殺したガキか──」
蓋を開いたところ、瞳孔の蕩けた瞳と目が合った。
クルックスは呟いた。
「獣だ」
「だろうな。驚くことでもない。古狩人の眠る墓場をゴミ捨て場だと思っているのだろうよ」
「えっ。ここは、オドン教会の地下墓地でしょう? オドン教会の信徒の墓場ではないのですか? どうして狩人が……」
「そりゃどうしてってさあ──」
ガスコインは大きな体が、ほんの少し縮んだと思えるほど肩を落とした。
ヘンリックは長く続く白い煙を吐いた。
「お前、世間知らず過ぎるだろう。新人は何やっているんだ? 医療教会が狩人の存在を有り難がっていると思うか?」
「しかし民を守っているのは狩人だ。あ、いえ、医療教会の狩人達もいますが、でも数は市井出身の狩人の方が──」
「その市井の狩人が民を守っているからこそ医療教会は面白くないんだ。狩人は異邦人が多いのは、さすがに知っているよな? 一昔前民を守る者といえば、それは医療教会だった」
「そ、それは知っています。医療教会の英雄、ルドウイークでしょう。たまに白服の狩人がルドウイークの聖剣を持っているのを見かけますが……」
「当の英雄サマは行方不明。獣も消えない。そのうち民の心は医療教会から離れていった。ついでに輝ける象徴も失墜。当然、士気も落ちる。死者ばかりが増えた。ついでに医療教会の狩人の質もな。それを補うように台頭したのが連盟含む市街の狩人達だ。医療教会にして見れば『余所からやってきた病み人風情にお株を奪われた』と見えるワケだ。面白いハズがない。そんな医療教会が市街の狩人のために墓地を用意すると思うか? あいつらは『ちょうどいい。撒き餌にしろ』と言ってもおかしくないが、そうは言わなかった。もはや市街の狩人の協力なしに夜を越せなくなっているからだ」
「そうか。だから異教で力のないオドン教会に……。オドン教会は医療教会の管理下にありますが、噂のとおり、どうやら異質な場所でもあるようですから」
「そうだ。妙なところは理解が早いな」
黄衣の古狩人は目を細めた。
迂闊なことを言ってしまったかもしれない。クルックスはしどろもどろに「あ、いえ……別に……」と言葉を転がした。
「しかし、墓などもらったところでな。金のほうがまだ飯のタネになる。どうせ、ほとんどの墓は空だ。そうだろう? ガスコイン」
「……。さてな。私は、私が管理するようになってからの人々しか知らない。だが五体満足で納まるのは狩人狩りの手を経た者ばかりだ。まったく……実に……えずくことだな」
三人は、棺桶から少年らしき獣を持ち上げると穴に向かって体を落とした。その体は、湿った音を立てて穴に落ちた。それから間を置かず、三人は無言で土をかぶせ始めた。顔に向かって土を被せる。そこをまっさきに埋めたのは誰もが瞳孔が溶け、濁った瞳をこれ以上見つめたくなかったからだろう。古狩人であっても心に堪えることは大いにあるのだとクルックスは学んだ。
■ ■ ■
ヤーナムらしい、どんよりとした曇り空を三人は歩いた。
「ヘンリック、煙いぞ」
「死体の臭いよりマシだろうが」
これにはクルックスも頷かざるを得なかった。
しかし、ヘンリックより頭二個ほど高い場所にあるガスコインの鼻先には煙が流れてしまうのだろう。しきりにくしゃみをした。
市街の帰り道を歩いているとうつむきがちな人々の群衆のなか、夫人と少女が歩いている様子を見えた。ヘンリックもそれが見えたのだろう。まだ半分以上ある紙煙草を路地の隅に放った。
「──ガスコイン、家に寄ってきたのか?」
「ああ。すこしだけヴィオラに顔を見せにな。あと聖書と……何だ、急に」
「いやなに、ヴィオラとお嬢さんが来たからな」
ヘンリックが指さした先をガスコインは包帯越しの目で見たのだろうか。微かに彼は笑った。
クルックスは立ち止まったが、ヘンリックとガスコインは歩き続けた。
リボンを髪に結んだ少女がスカートを跳ね上げながら、元気よく走ってきてガスコインに飛びついた。
「お父さんっ! お母さんにだけ会ってお仕事に行っちゃったのね!」
「……それはー、ええと、まだ寝ていたようだからな」
「起こして欲しかったわ!」
少女がそばにいるとガスコインの巨体さが際立った。
クルックスとビルゲンワースの学徒、コッペリアの身長差がささやかな誤差に感じられた。
(……あの子がガスコイン神父の娘さん。今やって来たのは奥さんか)
女性は揃いの金髪と蒼い瞳が美しい人だった。
ガスコインの妻はヴィオラと言うらしい。ヘンリックと言葉を交わし、穏やかで控えめな微笑を湛えている。
クルックスの関心は、ガスコインの娘にあった。
彼女の背景が曇天の空であるせいだろう。白いリボンの少女は、クルックスにとって柔らかに光り輝いて見えた。
見たところ年齢はテルミと変わらない。
そういえば、テルミも同じ金色の髪に蒼い瞳をしている。
テルミを思い出しながら、まじまじと少女を見つめていると目が合ってしまった。
クルックスはトリコーンを上げて狩人の礼をした。
少女は、礼を返さなかった。
その代わり、キョトンとした顔をしてガスコインの外套を引っ張り、クルックスを指差した。
「ねぇ、お父さん。あの人、月の花の匂いがするわ。お花畑から来たの?」
クルックスは、これまで恐怖で動けなくなるという体験をしたことがなかった。
恐怖を認めつつ、どれほど強大な敵であれ、異常な現象であれ、武器を握れば進んでいけると思っていた。
だからこそ、こんな形で月の香りの狩人の気持ちが分かる日が来るとは本当に夢にも思わなかったのだ。
旧市街の狼煙
数少ない最後の周回時の獣狩りの夜の生存者
彼らはまだ旧市街で生きており、夜には獣除けのため火を焚いています。
旧市街を愛した者、離れた者、燃やした者、棄てた者。それぞれか細く昇る火を見て思うこともあるでしょう。
ガスコイン神父
Bloodborneゲーム本編でストーリーの最初に立ちはだかる強敵です。仲間NPCとしても呼べますが、同時に序盤の罠でもあります。ボスコインとチェンジ!
オドン教会地下墓には狩人達の墓があるの?
念のために記しますが、これは正式な設定ではありません。もしあるとすればここしかないだろうなと思うので本作においてはここにあることにしました。ここを墓とする。なお中身。
クランツって誰だっけ?
26話 悪夢より這い出でるにて医療教会の黒服、ピグマリオンが獣を匿っていた家人に向かって「クランツさん」と呼びかけています。ピグマリオンは現在捨てられた古工房で生活しています。彼が市街にいなくとも誰かに狩られたようです。不思議。
ヤーナムの少女
正式名は「ヤーナムの少女」です。ただし本作においてはリボンの少女表記することもあります。本作のヤーナムには他の少女も少ないながらも生存しているので区別のために重要なアイテムであるリボンに着目し、リボンの少女と呼称する場合があります。
本作の立場は上記の具合ですが、近年においては二次創作の影響でリボンの少女の名前が共通認識になりつつあるのかもしれないとも思っています。
リボンの少女:pixivに投稿されているポテトルス氏のBloodborneとFate/GrandOrder(FGO)のクロスオーバー漫画作品です。筆者にとってとても印象深いクロスオーバー作品ですので、ご紹介:リボンの少女 上(https://www.pixiv.net/artworks/77331556)
ご感想お待ちしています(交信ポーズ)