デュラの時計塔
旧市街中央に聳える時計塔。
旧市街が焼かれ捨てられたなか
時計塔もまた例外ではない。
焼かれた巨大な時計塔が測ろうとしたものは時か。
あるいは獣狩りの夜の到来であったのかもしれない。
「まずは詫びねばな。……私の連れが失礼した」
「いえ、頭を上げてください。彼は……詳しくは分かりませんが、夢から還ってきた狩人なのでしょう。その存在は、おと──月の香りの狩人様から聞いて知っています。俺は間の悪い時期に来てしまったようですね」
クルックスは、椅子に座りデュラと対峙していた。テーブルにトリコーンを置き、武器も壁に吊した。
二人がいるのは時計塔だ。
旧市街のほぼ中央に位置する時計塔は、現在、デュラの一味──といっても昨日まで彼含め二人しかいなかった──により、居住可能な部屋や工房道具を揃えた部屋など、あらゆる部屋が改造されているらしい。
獣は、時計塔までやってこない。
正確には梯子を登る程度の知能はある者もいるが、梯子を外したり板で道を塞ぐことで物理的に排除を行っているようだ。よって旧市街という獣の街で人間が人間らしく生活できる場所は、この時計塔をおいては存在しないことだろう。
「彼について教えていただけますか?」
クルックスは、危うく殺されるところであった。そのため、これくらいの情報はいただけるハズだと踏んだ。デュラは快く受け入れてくれた。
「今は階下の別室で傷の手当てをしている。彼は、旧市街が焼かれる前からの付き合いだ。私は……もう狩人をやめてしまったが、それでも狩人であった時は四人で狩りをしていたのだ。彼はその中で一番年若く、火薬庫の弟子だった」
「火薬庫……? あの火薬庫ですか?」
「あの火薬庫だとも。火薬庫達はよく嘯いたものだ。『つまらないものは」
「それだけでよい武器ではあり得ない』──至言であります」
「そう思うかね?」
含みのある言葉だとクルックスは受け取った。
会話に一つの区切りがついた。
クルックスは父たる狩人から預かっていた手紙を差し出した。
「月の香りの狩人様からお預かりした物です。返信があれば運びましょう」
「恐らく定期の報告書だろう。ならば返信は不要だ。……。ふむ。……なるほど。ああ、やはり不要のようだ」
「そうですか。……俺から個人的な質問をしてもよろしいですか?」
「ああ、構わん。何だね」
狩人の手紙をテーブルに置いたデュラの許しを得てクルックスは問いかけた。
「月の香りの狩人様とは長い付き合いだと聞いています。彼には、相棒が必要だと思いますか?」
「ああ、狩人は誰であれ孤独に狩りをするものではない。相棒は、仲間は、必要だとも。……しかし、この質問をするということは君はそうなりたいのかね」
「いずれ肩を並べて戦えるように俺は目指しています」
「頑張りたまえ」
デュラの言葉は、意外なことに温かいものだった。
彼は獣狩りをやめてしまったという狩人なのだから、突き放す言葉をかけられることもあるだろう。そんな覚悟をして質問したが、空振りで終わった気分になった。
拍子の抜けた顔をしてしまっていたのだろうか。デュラが隻眼をわずかに細めた。
「貴公、アテが外れたような顔をするものではない。……私は狩人をやめたが、上の市街に獣狩りが必要であることは分かっているのだ」
「貴方が獣狩りを止めた理由を俺はまだ知らない。もしよろしければ、教えていただけますか?」
「なんだ父親から聞いていないのか?」
「俺が聞いていないから教えてくれないのかもしれません。しかし、貴方のことは貴方に直接聞くべきことだと思っているので、これからも月の香りの狩人様に聞くつもりはありません」
「それはいい。今はこうして言葉が交わせるのだからな。ヤーナムにおいて口伝の信用のならない事といったら……実に気の滅入る話だ」
デュラは、ひとつ息を吐いた。
「……狩人を止めた理由は言ってしまえば単純なことだ。なぜ獣が生まれるか。それは最早問うまい。だが『何が獣になるか』は知っているだろう?」
「人間です」
「ああ、人間だ。この街の獣は、かつてこの旧市街で生きていた人なのだ。だから炎から逃れた罹患者を狩っていた時に思ったことがある。──獣狩りなど、最初からどこにも存在しなかったのだ」
「…………」
「狩人にも告げたことがあるが……あれは、やはり人だよ。狩人狩りは忌まわしいことだ。ならば只人を狩ることは、もっと忌まわしいことではないのかね? だから、私は狩人をやめた。人を獣と偽って狩ることを……止めたのだ。彼らは、私達は、どうしようもなく人間なのだよ」
「しかし、獣は人間を傷つける。人間は、獣のために死ぬべきだとお考えなのですか?」
クルックスの言葉は。
極端に過ぎるものだと自覚があった。
だが、デュラの信念を言い表す言葉として適切だとも考えている。
彼は、ハッキリと言った。
「そうは言わん。狩人は、まだ必要な存在だろう。上の市街では特にな。だがこの旧市街には狩人が不要となった。『獣狩りは不要』。あの張り紙を見たかね? ああ、それは重畳。……ただ、それだけの話だ。上の人々に迷惑はかけない」
「獣の味方をするということは、人間を見捨てるということだ。俺は人間を守る。だから獣を殺すでしょう」
「貴公らは、そうだな。月の香りの狩人。獣狩りをすべき存在だ。ならばそうしたまえ」
「獣となり血を淀ませた者に咎はあるのか。俺は知らない。だが結果として血は淀み、虫を生じた。それは罪で……浄化されるべきものでしょう」
「それでも死んでいい人間などいないのだよ。これは獣化者であっても変わらない」
「でも死ぬべき人間はいるのではないですか。獣となった者は人間を害する『人間』だ。駆除に値するとはお考えにならないのですか?」
「その『死ぬべき人間』は誰が定めるのだね。旧市街を棄てた医療教会か? 狩人の不文律か? あるいは脳裏に刻んだ秘文字かね? 人は神にはなれない。法にもなれない。それ以外にも、なるべきではないのだよ」
静かに。諭すように。
古狩人は話した。
彼が静かであればあるだけクルックスは語気を強めた。
「……狩人は人を守らなければなりません。獣を狩る能力を持った者が持たざる弱い者を守らなければ。そして、世界を綺麗にしなければなりません。『市街には、一人でも腕のいい狩人が必要だ』とヘンリックさんは言った。しかし、貴方は獣狩りを放棄した。上の市街では貴方がいたことで守れる人もいたでしょう。たとえ繰り返す夜だとしてもです。……市街の人々を捨ててまで、獣に溢れたこの旧市街に残る価値はあるのですか?」
「あるとも。私にとっての市街は、未だここなのだ。私もまた人を守っている。上で何年経ったのか知らないが、私はいつまでも変わらない」
デュラに気の狂いは見受けられない。
だからこそクルックスは、ビルゲンワースの学舎で聞いたカインハーストの騎士、レオーの言葉を思い出していた。
──こんな世界だ。せいぜい自分の信じたいものを信じて、居心地が良いところにいればいいのさ。
旧市街のデュラは、彼が述べた極致に達しているように思えた。
だからこそ。
「──あれを人間と思い続けることは、とても辛いことです……」
燃え遺った廃墟の奥や白昼でも暗い細い路地から覗いていた瞳を思い出す。全て瞳孔がドロリと溶けていた。人間としての意思は窺えない。意思疎通は不可能だ。
(獣は獣だ。人間ではない)
それでも人間だと言える理由があるのならば、それは何故だろうか。
クルックスは、その答えをすでに知っている気がした。
「その気持ちも分かるとも」
「獣と割り切ってしまった方が楽でしょう。いいえ、むしろ必要なことに思えます。狩人ならばそうすべきだと思うのです」
「君は、若い。顔を知る者が獣になった時、私達の気持ちが分かるだろう。そうならないことを祈りたいところだ。……しかし、真実の姿がどちらであれ……私は彼らを人として愛するよ」
クルックスにとって、デュラの全てをこの短い問答で理解することは難しい。
獣となった知人がいるとして。
自分に多少の迷いが生まれるかもしれないが、結局のところ、彼らの頭を落とす事になるだろう。
獣の姿を晒し続ける恥を彼らは、きっと望まないと思うからだ。
だからクルックスとデュラは分かり合うことがなかった。
「俺は、きっと、殺してしまうでしょう。愛──という感情を俺は、まだ完全に理解しませんが──慈悲ならば多少心当たりがあります。だって人間を人間たらしめるのは知性ではないですか」
「……。ああ。君は、そうしたまえ」
デュラは、穏やかにそう言った。
最後まで促すような声音は変わらなかった。
会話の終わりの合図としてクルックスはテーブルのトリコーンを手に取った。
「最後に一つだけ。狩人の夢の人形からの質問です。よろしいですか?」
「あぁ、懐かしい。そうか……彼女もまた健在なのか。構わんよ。何かね」
「貴方のことを案じていました。『有意な目覚めだったのか』と気に掛けていました。伝言があれば、お預かりさせていただきます」
「そうか。……では伝えてくれるかね。君が願った優しい夢の前触れにはならなかった。それでも、私には必要な夢と目覚めだった、と」
「必ず伝えます。お体を大切に。旧市街の古狩人、デュラさん。今日は貴方と話せてよかったです。いつかまた会いに来ます。尊敬する古狩人」
■ ■ ■
「なぁ、盟友」
「何だ、火薬庫」
「オレには空が、空が見えるんだ」
「……ああ、そうだな」
「オレは、どこにいたんだ? いつの頃からか、ずっと空が見えなくて……でも、獣を守っていたんだ」
「……。夢を見ていたのだろう。旧市街が焼かれる前から、お前は夢見がちだったからな」
「夢、夢か……そうかぁ……夢だったのか。なら、あぁ、よかった。よかったよ。デュラさんを見失って……盟友もどっか行っちゃったし……ずっと独りで戦っていたんだ……」
「これからは、ずっと一緒にいるさ。お互い、な」
「ああ、それなら悪くないかもな。目を閉じたら、また洞窟で……これも夢かもしれない。……でも、ああ、嫌だ、嫌だなぁ……暗いのは嫌だ。暗がりにいるなんて、コソコソ隠れて暮らすなんて、まるで獣みたいで嫌じゃあないか。まだ、オレは、太陽の下で生きて、生きて……ここで生きて、いたいんだ……」
クルックスは怪我の具合を伺うために、そして輸血液を差し入れるために時計塔の階下へやって来たのだが、声が聞こえて足を止め、会話を聞いてしまった。
扉を開閉する邪魔にならない場所へ輸血液の入った瓶を置くと『狩人の確かな徴』を使い、彼は姿を消した。
掠れた若い男の声は、忘れられない記憶として彼に遺り続けた。
「生きたい」
その願いは。
ヤーナムの現状を鑑みれば切実であり、クルックスも当然に抱く、ありふれた望みだったからだ。
生き物が最初に願う最も純粋な願いだ。
ならば。
それは。
ひょっとすると。
獣も同じなのだろうか。
その可能性は、恐ろしく、残酷だった。
言葉を交わすことのできない獣の心情など想像するしかない。
そして、想像は果てしなく広がった。
余白の限り広がる想像の果てにクルックスは、デュラの優しさを知った。
獣を守るなど市街では愚者や狂人と罵られる行為だ。
だが旧市街に限り、慈悲に等しいように思えた。
それでも獣から感謝されることはないだろう。
ならば、一心に傾ける情熱は、正しく、見返りを求めない愛と言えそうだった。
市街でリボンの少女に出くわしてしまった時のように彼は、姿を消した。
曖昧でつかみ所のない感情が、ほんの数秒でさえ彼の足を止めさせてくれなかったのだ。
旧市街の灰狼(下)
古狩人問答
ゲールマンが尊んだ葬送の狩り様式は現在のヤーナムでは少々存在感の薄いものになってしまいました。
狩人の聖杯が出来るまでは当分、彼の葬送精神も夢のどこかに置き去りにされたままなのかもしれません。
過去の多くが秘匿されているため、クルックスはゲールマンの名を知りません。だ、誰だ。古狩人だろうか。
優しさ
デュラが優しいのは公式テキストにあります。
なお初見時は狂人に見える。高台ガトリングは殺意高すぎる。え。警告を無視する方が悪い? だ、だってゲールマン老がゆったのに……!
火薬庫の男
最も新しき獣狩りの夜(狩人の夢ー市街)にて登場したガトリングの狩人です。
さて『火薬庫の残り香』編が終了しました。
次話より『見慣れぬ女狩人』編を3話編成でお送りいたします。
ご感想お待ちしています(交信ポーズ)