Q, 痛いという感情を、どうやったら相手に教えることが出来ますか?
Q, 感情という概念を、どうやったら相手に教えることが出来ますか?
A, 不可能です、諦めましょう。何故ならこの世界で正しく「生」を受けているのは私だけですから。
みんなみんな生きているんだ、なんて歌が偽りにしか思えなくなったのはいつからだっただろうか。机の上に置かれた花瓶、嘲笑と罪の証を産み続ける画鋲、カッターナイフ。無視が赦されない悪意の合唱と、虫にすら向けない純然たる侮蔑の瞳。
Q, 何故それが許されるのですか?
A, 彼等に許す、赦さないという概念は存在しないからです。
そう、この世界に於いて生きているのはきっと私だけ。私以外の全ての生命体のフリをしている全てはロボット。或いはゾンビ。或いは……NPC?若しくはマリオネット。「私」という人間を構成する為に産み出された世界という箱庭ゲームの中で構成されている「便宜上人間と定義された空洞」なのだ。
じゃなければ、説明がつかないでしょう?
教師が入ってくるまで続けられる、痛みと苦しみの連鎖。刺された咎は刺さり続けている程に痛みを増すが、それを抜く瞬間に小さな私では耐えきれない程の痛みを産む。そして流れ出る黒い液体、どす黒く腫れ上がる傷口。「また泣いて負けるのか」という意味のわからない言葉。そもそも勝ち負けって何?
黒い液体を洗い流すバケツは、私のリボンまで何処かへ流し込む。重くなったのは衣服、髪。震えているのは口、腕、足。腫れ上がった傷痕に透明な水が当たり、私に生命の呪いと持たざる罪を叫び掛ける。大丈夫、きっとあと五分。あと五分だけ頑張れば、少しだけ楽が出来るから。
五分って何秒?
───
生き物は、殴られると痛みを感じる。罵られると痛みを感じる。「感じる」という行為は、生き物が持つ唯一にして最大のアイデンティティだ。
針を刺されると痛いし、殴られると痛い。カッターナイフで切られると痛いし、押さえつけられると痛い。罵られると痛いし、犯されると痛い。まさぐられると痛いし、蹴られると痛い。絞められると痛いし、縛られると痛い。ライターで燃やされると痛いし、浴槽に沈められると痛い。
クソッタレではあるが、これら全てを「痛い」と感じることが出来る私は、間違いなく人間であり、生きているんだろう。
じゃあ、私以外の全てはどう?
私は殴られると痛いことを知っているので、誰かを笑顔で殴ることは出来ない。
タバコを押し付けられると熱くて苦しいことを知っているので、誰かに火を押し付けることはしない。
プールで引きずり込まれると息が苦しいことを知っているので、誰かを水の中に引きずり込んだりはしない。
きっと、皆そのことを知らないから私にそんなことが出来るんでしょう?皆、それをしても痛みを感じることが無いからそんなことが出来るんだ。つまり私以外の全ては人間ではない。
Q, じゃあ私はどうやって人間として産まれてくることが出来たんですか?
A, そんなことただの人間でしかない私が知ってる訳ないでしょ。お母さんはちゃんと人間として「生きてた」んじゃないですか?
学校で地獄を見た後、家で地獄を見る。
それでも、家の方が楽な気はしていた。合唱を聞かなくていいから。聞かなきゃいけないのは汚い独唱、欲と酒に塗れた父親の歪んだナニカ。
それは愛情では無い。何故なら父親もきっと生きてはいないロボットかゾンビ、NPCだから。感情を持たない、その真似事しか出来ないロボットから愛情を受けることなんてない。そもそも、私を襲って縛って犯して、出して、舐めて、汚いソレを咥えさせることが「愛情」だなんて、そんな筈がない。
愛情という感情は私もよく知らない。きっとそれを沢山くれるはずだったお母さんは、私を産んだ代償に命を落としたらしいから。父親から受けたものは何も無い。性欲も喪失感も虚無も全て生命に許された感情であり、代謝であるから。私が抱いている性欲も喪失感も虚無も痛みも苦しみも、同じものを持っていないから父親は私を犯すんでしょう?つまり父親が私にぶつけているのは感情の「フリ」をしたものであって、本当はその中身も空っぽ。
それでも、やっぱり家の方が幾分か楽な気はしていた。
──後々、それが間違いであると知った。
お腹が、不自然に大きくなっていたから。その原因に気付けない程、私は愚かではなかった。
嘔吐が止まらなくなった。酷い不快感と、一瞬の快感。快感が過ぎた途端口の中から奥まで苦い味が広がり、ぐちゃぐちゃの雑炊を一生噛み続けているような気持ち悪さが再度襲う。そしてまた胃が動く感覚が訪れ、全身が震えるような異物感と共にそれら全てを吐き出す。
胃液を全て吐き出したのではないか、と思った瞬間に鈍い痛みが腹を刺激する。紛れもなく「生」の証。だが、じゃあその「生」を創るために発射された精子は生きているのか?私以外は全て生命では無いこの世界で?
Q, 私以外の人間も生きているのですか?
A, そんな筈はありません。もしそうなら私がこんな痛みを他の「生命」から浴びせられる感覚が解りません。
Q, では、このお腹の中の子は生きているのですか?それとも生きていないのですか?
A,
全てを吐き出しても尚、嘔吐は止まらない。
シュレーディンガーの生命を背負っても尚、父親の感情の真似事は終わらない。
私がどれだけ泣いても、世界は止まらない。
私がどれだけ啼いても、感情は産まれるはずがない。
───
学校よりも、家の方が地獄だと知った。
だけど、それすらも間違いだった。
元より、この世界で「生きる」という行為は赦されないのかもしれない。
存在しない筈の命の重みが大きくなればなるほど、私の矛盾も大きくなる。
命の重みが大きくなれど、受ける痛みは小さくなりはしない。
結局何処も地獄だと知った。
大きくなった腹を殴られ蹴られ、重くなった身体を汚され、動けなくなった脚を引き摺られ、裂けてしまいそうな股から遺骸を引きずり出される。ほら、やっぱり私の中に生命など存在してはいなかったでしょう。シュレーディンガーの生命は証明が終了してしまった。だからといって何が変わる?虚無は変わらない。生きているフリをしている男の精子を受けても生命は産まれないと知ったが、それは至極当然だったじゃないか。
嗚呼、或いは産まれてこなくて正解だったよ、君は。こんな私以外生きていない世界、地獄の方がきっとまだマシだ。
Q,じゃあ私は誰の精子を受けて今の生命を得たんですか?
Q,じゃあ、便宜上私の父親とされているモノは一体誰の父親なんですか?
A,助けてください。私には何も理解出来ません。
〜〜〜
私しか「生きて」いない世界で、全ての何かが私に牙を剥く。然れど世界は私に死を赦さない。生きているのが私だけであるなら、私が死に絶えた途端この世界も死を迎えるからだろう。
Q,こんな世界で生きることに意味はあるんですか?
A,
それでも死は怖い。どれ程生きているのが苦痛で、生きることが虚無であったとしても、死はそれ以上の「無」だ。マイナスとゼロなら、マイナスの方がマシだと私は感じてしまうらしい。プラスであろうとマイナスであろうとゼロ以外の数字を手に入れることが出来るのは生者の特権であり、それを手放す気にはなれなかった。
世界は私に死を赦さない。
Q,それは正しい認識でしょうか?
A,認識は重要では無いのです。
Q,なら貴方が認識している「生者」と「そうでない他の皆」という定義も重要では無いのでは?
A,そうですね。それは唯の事実であり、私が痛みと苦しみを背負う理由の定義は出来ませんもの。
いっそのこと、痛みという定義や認識が消えたらいいのに。
その痛みという概念が私の生を定義しているのに、その定義に消滅を願う私のちぐはぐな感情にまた吐き気が産まれる。私に産むことが出来るのは汚い吐瀉物だけ。私に命なんて産むことは出来ない。
Q,じゃあ貴方は生きてるんですか?
A,
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『高校生の少女による連続暴行殺人事件』
二〇✕✕年六月から八月にかけて、計一八五人の凄惨な死体が発見された、令和の時代に入って最初の大量殺人事件。犯人は東〇都の高校に通う学生の少女だった。
死体は身体を幾つものパーツに分解されたもの、全身にくまなくまち針が刺されたもの、全ての爪が剥がされたもの、局部だけが焼き尽くされたもの等その全てが酷い拷問を受けた後のように凄惨で、被害者に関連性は一切無かった。
犯人の少女は日常的に家では虐待や性的暴行、学校ではいじめを受けていたことが判明し──
────Q,でも人形ですよ?壊しても問題ってありましたっけ?
A,