冥府の熾火、冥王の残火。永遠なる青の篝火。金銀宝石など及びもつかない地下の宝物(ほうもつ)。それを風雨から守るものこそ覆い(シュラウド)の一族であると、イデアはそう教わってきた。だがイデアはどうしても、それが弟の笑顔よりも価値あるものとは思えなかったのだ。#イデア版ワンドロワンライ 参加。お題:「篝火」「宝物」地下の玉座の残り火を繋ぐ燭台扱いされてるシュラウドの子のある夏至の夜の話。いつものとは別軸。※ツイステ受動喫煙※ワンデイライティング

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永遠の名前で君を呼んでもいいか

 

 嘆きの島では(エオース)よりも(ニュクス)を尊び、光輝(アポローン)よりも幽暗(エレボス)を讃える。天界山で冬至に太陽(へーリオス)の復活が喜ばれるその一方で、彼らは夏至の夜に青の篝火のもとで暗闇の増したことを祝う。(ニュクス)の力が再生へ向かう中、シュラウドはその息子たちに縋って冥炎継ぎの儀式を行ってきた。河底に消えた彼の神の残滓に魔力と信仰という名の薪を焼べ、地下と地上に永遠の篝火を灯すのだ。その青は信仰の拠り所であり、また主を失ってなお稼働を続ける冥界(システム)の動力でもある。

 

 イデア・シュラウドは眠っていた。冥府の眷属たる眠神ヒプノスに身を委ね、身一つよりも更に希薄な状態で自らの宿す青炎を辿る。古き血を辿って過去へ、そして地下へ。とうに空になってしまったあの玉座の御許へ。

 

───***───

 

 思い起こす限り、イデア・シュラウドが一番初めにその豪奢で寒々しい椅子を見たのは七年前の、やはり夏至の夜のことだった。夢神モルペウスの支配地たる微睡みの中で、思い返せばあの椅子と、それから一歩前の少年だけがいやに現実感を伴っていた。何もかもそら寒い虚ろの淵でその少年──オルト・シュラウドが玉座へ座ろうとするのを、咄嗟に腕を掴んで引き戻したのが、自分と弟の歪な関係の始まりだったのだろう。夜が明けたときにベッドの上にあったのは、冷たくなったオルトの体と、青く燃える長髪のイデア、それからイデアが胸元に抱え込んでいた青い炎(オルト・シュラウド)

 

 神々の時代から今に至るまで受け継がれてきた地下の玉座の残り火が途絶え、完全に地上に移されたことは、誰の目にも明らかだった。

 

 絶えることのない青の篝火は冥府の祝福であり、魂の不滅性を示すものだと、シュラウドはそう教わってきた。死者の国の王、冥神ハデスの祭儀において最重要視されていると言って過言ではない、決して途絶えることのない青の灯火。彼らの青血に乗って数千年も継がれてきた冥王の残火を前にしては、イデアもその箱船たる松明の一つでしかなく、そしてオルト・シュラウドもまた然り、だった。あの日までは。

 

 地上に一人、地下に一人。万が一にも一方が途絶えれば他方から火を移して、糸杉の末裔(シュラウド)は癒魂の灯火を継いできた。けれどあの夜にイデア・シュラウドは、地上の灯火として炎を移される寸前、地下(冥界の玉座)にて篝火となるべき魂を引き留め、代わりのように前に出た。地下の篝火は兄に分けられたが、しかし次に進み出た少年の魂は既に眠り(ヒプノス)から兄弟(タナトス)に受け渡され還るべき肉を失っていた。──イデアは夜が明ける前に魔力をありったけ冥界の動力源に注ぎ込むと、当然のようにオルトを連れて現に戻った。三日もすれば全快するその一度の充填で、冥界のエネルギーは一週間ほど賄われた。以来イデアは、地下の燃料(まりょく)が尽き掛ける寸前になるとヒプノスの領域を通って充填するようになった。少年はまだ幼く、その魔力はまだ成長の余地を残しており、回を追うごとに充填の間隔は延びる。十八になった今では年に一度で十分なほどになっていた。

 

 

 カレッジ三学年ももう終わろうかという、夏至のことだ。イデア・シュラウドは、大変珍しいことに宵の口から眠っていた。見るものが見れば、あるいは彼の弟が非活動(スリープ)状態(モード)でさえなければ、その眠りの不自然さに気がついたことだろう。正常に眠っているにしては胸部の動きは緩慢に過ぎ、イデアほどの魔力の持ち主が休んでいるにしては周辺魔力も薄い。イデアは今、一般に幽体離脱と呼ばれる状態にあった。

 

 イデアは──イデアの魂は、身一つに黒灰色の亜麻織物を身に纏って三つ辻に立っていた。周囲に明かりと言えば自身の髪ばかりで、月も星もない──そればかりか空と呼べるものがあるかも定かではない──その場所を、彼はただ「岐路」と呼んでいた。明らかに現実のものではないその場所は疑う余地なく、三つの顔持つ月女神にして魔術神たる辻路の月なき夜(ヘカテー)の支配地であり、それゆえ冥府に通じる道だった。

 暫くして辺りの薄暗いのが一層光を失うと、イデアはようやく歩き始めた。冥府(ハデス)以前に幽冥(エレボス)が地下の王権を握っていたためか、あるいは単に地下なるものと天高き光(ヒューペリオーン)との相性の悪さ故にか、いくら眠りに身を任せても地下への道が彼の前に現れるのは幽冥の妻神(ニュクス)の時間だけである。

 

 魂には呼吸の必要がないからか、自分の呼吸や脈動の音さえない、全くの静寂。冷たい、という感覚すらもない温感に欠ける道行き。一寸先はというほどではないにせよ、およそ先見えるとは言い難い暗がりの中で、しかしイデアはむしろ安堵してさえいた。うるさいくらいの背景MOB(霊魂未満)も、過干渉な有象無象(命あるもの)もないこの場所に、不満があるとすれば時間制限の存在と弟オルトが居ないことくらいだった。

 

 数分か、あるいは数時間か。疲労という概念から遠い霊魂(アンデッド)には時間の感覚も薄い。暫く歩き続けると、嫌と言うほど見知った色の光が遠く見えてくる。青色の(地下なる)篝火は、今年も途絶えずに燃えていた。

 

 大理石の柱で支えられた建屋の中には、空の玉座と柱の一つに立てかけられた二叉戟だけがある、ようにイデアには見える。けれどイデアは知っている。髪が燃えるようになったあの夜、イデアに見えたのは宙に浮かぶ銀の器だけだった。祖父──先代の「地上の灯火」──には銀の器は見えず、その代わり周辺に神殿と同じ造りの柱が見えたと言っていた。奈落の底に通じる鍵や、この地下における食糧源である豊穣の角(コルヌコピア)も、この神の住まいのどこかにはあるのだろう。

 

 石造りの椅子は、その上で燃える炎の青色も手伝って、この上もなく冷たい印象を受ける。背もたれ付きの灰白色の椅子は青光を反射してほとんど海か空の色にも見えた。皮肉なことだ、とイデアは内心で呟く。海の中とも空の下とも縁遠い地底の王権が、海空の色とは。肘置きと足置きには普通では到底考えられないような大粒の宝石(それも全部特級の魔法石と来た)が埋め込まれ、椅子の全面に英雄銅(オリハルコン)合金と思しき象眼が成されている。それだというのに石の座面に敷布の一つもないことが、玉座の主の不在を端的に表していた。

 

 玉座の座面には人の座る代わりのようにスープ皿ほどの銀の杯が置かれており、青い炎はその中で煌々と燃えていた。七年前には僅かに火種が燻るばかりであったこの器も、今は篝火と呼ぶに相応しい勢いでもって冥界を照らす。

 

 イデアは首元に手をやると、魔力を纏わせた手で髪を纏めて、そのまま大半を千切り取った。物理的な実体を持たないからできる荒技だが、まさか短剣で髪を落とすわけにもいかない。いくらシュラウドでもこの場所で死神(タナトス)よろしくそんなことをすれば、そのまま死んでしまう。

 完全に火が消えてしまっているようならともかく、髪そのものはただの媒体だ。イデアの魔力と冥府の篝火との間を他の何物よりもロスなく繋ぐ、それだけの。束ねて落とした髪を腕に絡めてひとまとまりの炎塊をつくる。皮膚伝いに魔力を流し入れると、冷たいばかりの炎が熱を持ったように感じられた。

 

 炎塊は注がれる魔力に反比例するように体積を縮め、その明るさを増していった。溢れんばかりのエネルギーの証明のように青白に輝く焔に照らされるので分かりにくいが、光源の色味を差し引いてもイデアの顔色は段々と悪くなっていくように思えた。霊体(ゴースト)はブロットを溜めることがないとはいえ、魔力の消費そのものも負担になる。ましてや可能な限り効率化されているとはいえ、冥界の管理システムを丸一年も動かせる量となれば、人の身で耐えうるものでは本来ない。

 

 イデアのように燃える青の髪を持つシュラウドを指して、冥府の熾火(ハーデス・エンバー)と呼ぶことがある。冥王の残り火、と。その通り名の指すようにシュラウドの継ぐ青炎は、古くは冥神ハデスの力によるものだった。それを魂に宿して耐えられるシュラウド自体も、かの見えざる方(アイドネウス)の血を引くのだという。それが紛れもない事実であることを、イデア・シュラウドは身を以て知っている。

 魂の奥底から、濃色の魔力を引き出す。深い青、黒よりも濃い紫、地下眠る琥珀金。血脈に乗って現代まで継がれた、七大君主(グレートセブン)と同質のそれ。肩口で千切り取られた炎髪が、風もないのに揺らいで元のように腿まで伸びる。

 

 青炎の照らす彼の姿を見たとして、それをヒトと断じるものは少ないだろう。屍蝋(栄光の手)のような蒼白の肌のことではない。妖精族(アールヴ)に見るような金眼のことでも、風もないのに燃え盛る焔の髪のことでもない。肉の器に遮られることなく漏れ出す、死の青をした魔力のことだ。

 

 地下の灯火は陽光にも月光にも縁遠い地下を照らすものでもあるが、もっぱら傷ついた死者の魂を癒やすためのものだった。死霊救いたまう方(ネクロン・ソーテール)の炎を地上で灯すことは、イデア・シュラウドが七年前に思っていたよりも遙かに大事だった。死者ならぬものが地下の灯火を灯すのであれば、それは神々の末席(永遠なるもの)であってもおかしくはない。イデア・シュラウドは──厳密な意味で生者であるかは置いておいて──死者ではなかった。

 

 青白の炎塊は、更に魔力が注がれるに従って再び青に戻っていった。白く輝くまでの何倍もの魔力を吸い込んで元の通りの、髪の炎と同じ青に染まったところで、ようやくイデアは魔力を注ぐのを止めた。辺りを煌々と照らす掌中の炎を、篝火の内へと落とす。地下の炎に熱はない。青の冷炎は魂を焼くものでなく、むしろ傷口を埋めるものだ。篝火は同じ色の炎塊を吸い込んで一瞬だけ高く燃え上がると、また元のような強さで燃え始めた。

 

 イデアは少しの間、玉座に触れようとかと手を伸ばし、しかしそれを実行する前に再び腕を降ろして踵を返した。この道を戻って目を覚ます頃には、夜は明けているだろう。そしてまた冬至の日まで冥府の夜女神ら(ニュクスとヘカテー)の恩恵は増し、その後には夫無き地下へ女主人たる実りなき季節(神妃ペルセポネー)が戻る。少なくと、神話にはそうある。

 

 確かな事実としてはこれでまた一年、地下に燃料は要らなくなる。空も海もないこの地下で、水から守る覆い布(シュラウド)は必要ない。だからせめて自分が生きている間くらいは、とイデアは思う。その何十年かくらいは、この冷え切った場所に誰も座らないでいられるといい。魔力を燃料にするのなら、魂を焼べればさぞ明るく燃えることだろう。地下の篝火とはそういうことだと、イデアはもう知っている。

 地下の篝火は本来この場所で、年に一度だけやって来る地上の灯火を待つ。イデアがあの時引き戻さなければオルト・シュラウドは、自分の宿す炎だけを明かりにして、ここで銀の器の火種が尽きないように気をつけるだけの日々を送るはずだった。ここで一人きりで、(イデア)の訪れで年を数えるような日々を。そうなることに比べれば自分が多少ヒトから外れるくらい、イデアには何でもなかった。

 

 いつか、できたらもう百年も後、イデアが死んだその時に。この地下に、弟が一緒にいればいいのにと思う。魂までとは言わない。せめて、機械の体と思考だけでも共にいてくれれば、いつまでだってここに座っていられる。実際のところがどうあれ、イデアが信じていられるそれを、古い時代なら信仰と呼んだかもしれない。

 

「ま、夢ですな。全部」

 憶えのある三つ辻を過ぎるとイデアは瞼を閉じてそう言った。モルペウスの支配地ならざる、夢をイデア・シュラウドは知っている。起きて覚めない夢、未来と平面にそれぞれ向かうものを。そこでならイデアは何にだって成れるのだ。魔導工学博士にだって大企業のSEにだってなれるし、獣人にだって神様にだって女の子にだって転生者にだって黒髪碧眼のイケメンにだってなれる。

 目を開ければそこはイグニハイド寮長室のベッドの中で、黄緑と薄紫のストライプカーテンの向こうからは朝日が透けていた。常になく長く眠った所為で余計に眠気が増しているイデアは、ベッド脇のデジタル時計で一限開始までまだまだ時間があるのを確認した後、これ幸いと掛け布団を頭の上まで引き上げて二度寝の体勢に入った。

 


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