惚れた相手は、百合な幼馴染   作:まさきたま(サンキューカッス)

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8話

 俺はシノから、西姫さんの動画に釣られた件でたっぷりお小言を頂戴した。

 

 そんなに着替えている女の子が見たいのかな、とシノがその場で脱ぎ始めたときは流石に焦った。

 

「違うんだ、男には性欲というものがあって」

「……」

 

 無言で俺を睨む、ぷぅと頬を膨らませたシノは子供のころみたいで可愛いかったが、目は氷の様だったので平謝りした。

 

 俺の彼女は怒らせると怖いタイプだ。今後は、ログボ如きに心乱されないようにせねば。

 

「知ってる? 削ぎ落したら性欲ってなくなるんだって」

「何をですか」

「最近は、遺伝子情報の詰まったアレを保存できるらしいの。保存しといて、削ぎ落そうかしら」

「何をですか」

 

 浮気は極刑。なるほど、実にわかりやすい。

 

 釣り動画ですらアウトなのだ。絶対に俺のハードディスクの中にあるモノは隠し通さねば。

 

「以後気を付けます」

「よろしい」

 

 俺の彼女は嫉妬心が結構強い。

 

 俺は浮気なんざするつもりはないが、しかしエロは勘弁してもらいたいもんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日。シノは用事があるらしく、俺は久々に一人で帰った。

 

 西姫さん率いるB組は、お通夜みたいな雰囲気だったので近づかないようにした。

 

 クラスの中心人物を失うと、あそこまで雰囲気が暗くなるものなのか。

 

 B組のその異様な雰囲気に飲まれたからか、うちのクラスの連中も自重して、俺への襲撃は4回だけに留まった。

 

 下校中の襲撃も少なく、シノと付き合って以来のスムーズな帰路となった。

 

 不幸中の幸い、と言っていいかもしれない。

 

 ────それで、奴の計算も崩れたのだろう。

 

 

 

 

 

 誰もいない筈の家の鍵を開けて、ふと違和感に気が付いた。

 

「あ? 物音?」

「……げっ、ヤバっ」

 

 俺の部屋のほうから、妙な声がするのだ。

 

 気になって真っ先に自らの部屋のドアを開くと、何とベッドから女子の尻が生えていた。

 

「おい」

「……」

 

 流石に、呆れた声が出る。

 

 ソイツは慌ててベッドに突っ込んだのか、部屋の主である俺に尻を向けたままシーツを被って顔を隠していた。

 

 ……まーた、パンツ見えてるよ。せっかく最近は矯正されてたのに。

 

「おいニカ。また俺の部屋で何してる」

「……ボクハニカジャナイヨ」

「……」

 

 俺の部屋に不法侵入している、裏声で話す自称ニカじゃない女は何がしたいのだろうか。

 

 どうせ、俺の部屋にしょうもない悪戯を仕掛けていたに違いない。

 

「はぁ」

 

 俺は、そのまま両手をパン、と合わせた。

 

 そして神に祈るように両こぶしを握り合い、その尻に向かって跪く。

 

「動くな、おとなしくしろ」

「……?」

 

 そして俺は静かに(しり)に祈りをささげた後、合わせた手のひらから二本の人差し指を突き出して、

 

 

「そい」

「ぎにゃあああぁぁ!?」

 

 

 そのままベッドに生えた尻に、パンツ越しにカンチョーしてやった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「き、き、き君は何てことを平然と!!!」

「テメーこそ、何でまた俺の部屋に入って来てんだよ」

 

 慌てて俺のベッドから飛び出て、顔を真っ赤に尻を押さえたのはやはりニカだった。

 

 また、俺の部屋に不法侵入していたらしい。

 

「幼馴染にしてもやって良い事と悪いことがあるだろう! 今結構めり込んだよ!? 指の第一関節くらいはめりこんだよ!?」

「すまん、思ったより入った」

「何で謝罪がそんなに軽いんだよ!! 取りようによっては今のでボクの初めて(ヴァージン)喪失だよ、後ろ!!」

「いやいやそこまでのモンじゃない。男同士でカンチョーくらいするだろ」

「言っとくけどね! 今、君が考えているより数倍はヤバい事されたからねボクは!」

 

 ニカはどうやら本気で激怒しているが、前に男扱いしろって言ってたし、これくらいセーフだろ。

 

 セーフ、だよな? カンチョー程度は浮気に当たらないよな?

 

「油断した、油断してた……。まさかここまで直接的にセクハラされるとは思わなかった……」

「お前が部屋に不法侵入してなけりゃ、もっとまともに対応してたと思うぞ」

「ぐぬぅ」

 

 ニカは苦虫を噛み潰した様な顔で、尻を押さえて後ずさりしている。

 

 前々から思っていたが、コイツは他人のプライベートルームに平然と踏み込み過ぎだ。

 

 少しはこれで懲りてくれればよいが。

 

「さて、俺の部屋に侵入して何を仕掛けていたか吐いてもらおうか」

「うるさい、君には関係ない」

「俺の部屋だぞ、これ以上なく俺に関係あるわ」

 

 完全に逆ギレしたニカは、俺のベッド上に胡坐をかいてそっぽを向いた。

 

 何でお前がそんなに偉そうなんだ。

 

「今日は涼加瀬さんはどうした。君、普段はもっとイチャつきながらゆっくり帰ってくるじゃないか」

「今日シノは用事があるとかで一緒に帰れなかったんだ。で、直帰したんだよ」

「……まったく、今日に限って」

 

 おそらくニカは、何かしらの悪戯を仕掛けるために俺の部屋に乱入してきた。不運にも俺が直帰したせいで、それが発覚したといったところだろう。

 

 俺の部屋に、何か異常が無いか見渡してみる。

 

 ……見た感じは、特に何もなさそうだが。

 

 

「おいニカ。さっきから妙にベッドの上に居座るじゃないか」

「……な、何が言いたいんだい」

「おいそこちょっとどけ」

 

 何となく、ニカのやりそうな悪戯を想像してみる。

 

 コイツは、このあいだ露骨に俺とシノの仲を引き裂きに来た。

 

 って事は、今回もそう言う系統の悪戯を仕掛けている可能性が高い。

 

「きゃー、ボクに抱きついて何をするつもりだー」

「うるせえ、とっととベッドから降りろ!」

 

 ポイっと幼馴染(ニカ)を床に投げ捨て、ベッドのクッションの下を改める。

 

 そこには、何か見覚えのないピンクな本がセットされていた。

 

 ……『ボクっ娘天国』?

 

「これは何だ」

「わー、テルってば男の子。こんなところにエロ本を隠してるだなんて」

「貴様、なんつートラップを!!」

 

 俺は、ニカのその恐ろしい戦略に震え上がった。

 

 これは悪質だ。もしシノが何かのきっかけでベッドの下を改め、こんなモノを見られてしまえば凄まじいことになる。

 

 今朝のシノの様子だと、問答無用に切り落とされてしまうかもしれない。

 

 しかも、よりよってボクっ娘モノ……。俺がニカを好きだったことを知ってるシノからすれば、核兵器にも勝る威力の爆弾に違いない。

 

「ニカ、どうして俺の幸せの邪魔をするんだ! 俺たち、親友だったじゃないか」

親友(テル)の幸せを邪魔するのに理由がいるかい」

「ひどい」

 

 そこまで自然な感情で俺の幸せを邪魔しに来てるのかこいつは。

 

 と言うか、言ってることが脇田と同じだ。我が幼馴染は、エロ脇様と同じレベルに落ちたらしい。

 

 いくら憧れの涼加瀨さんを寝取られたからって、ここまで人が変わるもんなのか。

 

「お前こないだ恰好良いこと言ってたじゃん。『ボクは君の重荷になる気はない』みたいな」

「ああ、ボクは君の重荷になる気はないよ。君の前に立ちふさがるラスボスにはなるけどね」

「味方ですら無くなった」

 

 ニヤー、っと悪魔(ニカ)は笑っている。

 

 なんて奴だ。俺の事を知り尽くしてる分、エロ脇様より数倍たちが悪い。

 

 スーパーエロ脇様と呼んでやろうか。

 

「にしても、最近やりすぎじゃねお前。前はもうちょい、竹を割ったような性格だったろ」

「まぁ人生の転機というか、考え方が丸ごと変わるような出来事があってね」

「ふーん?」

 

 ふと、ニカがシリアスな表情になる。

 

 本当に、何か有ったのか?

 

「この間、ボク涼加瀬さんに手厚い見舞いを受けたんだ」

「あー、あの日な」

「あの日、ボクは彼女に助けられた。ボクは涼加瀬さんにいくら感謝しても足りない。そこで思ったんだ」

 

 ニカはうんうんと頷きながら、含んだ笑みを浮かべたまま、

 

「涼加瀬さん、テルにはどう考えても勿体ないなぁと」

「ほっとけ!!」

 

 ド正論をぶちまけやがった。

 

「でも、涼加瀬さんが振られるなんてあってはならない。天変地異が起ころうとも、涼加瀬さんは幸せであるべきなんだ」

「……はあ」

「クラスの皆の憧れ、涼加瀬さん。そんな彼女に恋人が出来て悔しい反面、涼加瀬さんが失恋して傷つく姿も見たくない」

「……で?」

「だったら涼加瀬さんが、恋人(テル)に愛想を尽かせてしまえば皆幸せになれるかなって」

「俺が不幸!」

 

 つまりニカは俺とシノの仲を裂くというより、俺の評価を下げるよう動いているのか。

 

 成る程、なんてたちの悪い。

 

「今日の作戦は失敗のようだし、今日は一旦退いてあげるよ。だけど、このままで済むとは思わない事だね」

「おいそのまま帰ろうとすんな、エロ本持って帰れ」

「あげる」

「いらん」

 

 ニカは不敵な笑みを浮かべて俺の部屋から立ち去ろうとした。エロ本を放置したまま。

 

 こんな危険物を置いて行かれても、処理に困るわ。 

 

「そもそもこんなのどうやって手に入れた。お前の容姿じゃ買えんだろ」

「エロ脇様に頼んだ」

「把握。ニカ、あんなのに関わってはいけません」

「便利な存在なのに……」

 

 まぁ便利な男だけど。

 

「置いてったら、お前の部屋こじ開けて放り込んどくからな」

「はいはい、分かりましたよ」

 

 渋々と言った感じで、ニカは自前で持ってきたエロ本を回収し始めた。

 

 一応まだ隠されていないか、部屋を後で確認しておこう。

 

「もう何も隠してないだろうな」

「ああ、勿論さ」

 

 ……。胡散臭い。

 

 

 一応、部屋の周囲を見渡してみるが、他に動いた家具などは無さそうだが。

 

「じゃあね、テル」

「……ああ」

 

 ただ、幼馴染の勘というべきか、まだ何か仕掛けられた気がしている。

 

 ニカが帰った後も、しっかり部屋を改めるか。

 

「まったく、今日はやることあんのに……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……くくく」

 

 自室に戻ると、朝星ニカはその手に隠したブツを机の上に置いた。

 

「エロ本作戦は失敗だったけど、こっちは上手くいったねぇ」

 

 そのブツとは、USBメモリ。彼女は机の上のPCを起動し、鼻息交じりにデスクトップを立ち上げる。

 

 そう、何と朝星ニカは、

 

 

「エロ脇様に貰った、ハッキングUSB。これで、テルの性癖を丸裸にして涼加瀬さんに見せてやろう」

 

 

 部屋のPCから彼のお宝画像データを吸い出していたのだった!!

 

「テルがそういう写真を、PCに隠しているのは知っていたが……実際に見たことはない」

 

 万能で便利な男、エロ脇。

 

 テルの不幸せを願う脇田と、何とか二人の間に割って入りたいニカとの利害の一致を受け、ニカはその外法に手を染めた。

 

 思春期男子のPC画像フォルダを改めるという、最大最悪の悪魔的所業に。

 

「へっへっへ、テルの性癖は、っと」

 

 自前のパソコンに、朝星ニカはUSBを差し込む。

 

 軽い悪戯のつもりで、いま彼女は禁忌を踏み越えようとしていた。

 

 それは超えてはいけないラインを大幅に超越した、最低最悪の行為。

 

 

「……来た!」

 

 

 こうして哀れにも、テル少年のお宝は全てつまびらかにされてしまった。

 

 幼馴染の女子にエロ画像フォルダを見られるという、この世で最も悪辣な罰を受けた。

 

 ───その、中身とは。

 

 

 

 

・幼馴染ものフォルダ

・ボクっ娘フォルダ

・アホの子フォルダ

・パンツフォルダ

・百合フォルダ

 

 

 

「……」

 

 画像は彼らしく几帳面にフォルダ分けされ、それなりの容量になっていた。

 

 このUSBは差し込まれたPCから画像データのみを抽出するので動画は吸い出せていないが、画像だけでもそれなりの量だ。テルは結構エロイ男らしい。

 

 しかし、注目すべきはそこではない。

 

「……う、あ?」

 

 その内容が、著しく偏っているのだ。

 

 幼馴染、ボクっ娘、アホの子、百合……。

 

 

 そう、とても偏っているのだ。

 

「え、えっと」

 

 思わぬ内容に動揺し、ニカは変な声が出た。

 

 しかし、テルと涼加瀬の仲を裂くため中身を改めねばならない。

 

 ニカは適当に、まず幼馴染フォルダをクリックしてみる。

 

 するとさらに細かくファイル分けされた、いくつもの表題が出てきた。

 

「あう、あう、あ……」

 

 そのファイル名は『幼馴染ー純愛』『幼馴染ーNTR』など多数。

 

 ニカにはよく意味の分からない単語もあったが、あまり知ってても役に立たなそうである。

 

 何だこれ。何でこんなジャンルばっかり集めてるの。

 

 ニカはドキドキとした鼓動の音と闘いながら、そのデータの海の冒険を続け、

 

 

・幼馴染ー凌辱

 

 

 変なタイトルフォルダの中から出てきた凄まじい劇物(がぞう)を見て、ニカは突っ伏して動かなくなった。

 

 テルの趣味は、割と雑食で幅広かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────同時刻。

 

 西姫良子は、静かに台所で夕餉の準備をしていた。

 

 

 その日、彼女は学校を休んだ。正確には、マスコミや愉快犯が家を囲んでいて休まざるを得なかった。

 

 西姫家は、家庭崩壊の危機を迎えていた。

 

 父親の不倫報道で、西姫良子の母親は激怒しそのまま実家に帰ってしまったのだ。

 

『良子、あなたも来たほうが』

『ごめんなさいママ、学校もあるから』

 

 しかし娘である良子は母親とともに実家に行かず、父とともに自宅に残っていた。

 

 父親は生粋の芸人で、家事は全て家族任せ、生活能力なんてない。

 

 彼を世話する者がいなければ、家がどうなるかわからない。

 

 ……そして、不倫で家庭を壊したとはいえ、良子は父親を心の底から尊敬していたのだ。

 

 

 家族を裏切った父親が憎い。

 

 しかし頻繁にTVに出て皆を笑顔にしていた父親は、西姫良子にとって正真正銘の『憧れ』であった。

 

 その相反する感情に押しつぶされ、西姫良子はどうしたら良いのか悩んでいた。

 

『姫よ、我々が明日より送迎します』

『心配しないで、クラスは全員貴女の味方だから』

 

 明るい彼女に、友人は多かった。既に連絡を取り合って、クラスメイトに今日は休むことを伝えた。

 

 そうすれば何と、明日から毎日クラスメイトが家の前まで迎えに来てくれるという。

 

 西姫は、本当に良い友達を持った。思い切って彼らに、胸の内を相談してみてもよいかもしれない。

 

 

「……パパ、ご飯できたよ」

「ん」

 

 

 一方で諸悪の根源である父親は、居間で酒を飲んでいた。

 

 良子が昼間から、家で父の姿を見るのは新鮮だった。

 

 いつもは撮影だの営業だので、常に家を空けていた男だから。

 

「ママ、どうするの。連絡とらないの」

「……今は、その時やない」

「時間がたつと、もっと謝りにくくなるよ」

「うるさいわ」

 

 父と過ごす時間は本当に貴重だ。

 

 こうして、二人きりで家で過ごすなど、何年ぶりのことだろうか。

 

 しかし、それが少しも嬉しいと思えなかった。

 

 

「じゃあ、話変えよっか」

「……」

「私のチャンネル、結構人気出てきたんだ」

「おぅ、見とる」

「パパのおかげだよ」

 

 良子はビクビクと、怯えるように話題を選ぶ。

 

 本来、気を使って謝るべきは父親のほうだ。

 

 不倫された家族の娘、良子が傷ついていることくらい推し量ってしかるべきである。

 

 なのに、

 

「でももう、ワシは暫くメディア出られへんけどな」

「……」

「お前の動画、ワシの芸の丸パクリやないかい。今回の報道でどうせ酷いことになる、そんなチャンネル閉じてまえ」

 

 今の父親は、傷ついている筈の娘に気を使わせてばかりだった。

 

「……」

「あーアホらし、何やねんあの記者。人を貶めてそんなに楽しいんか」

 

 男は娘が作った簡素な食事を平らげた後、男はゴロリと寝ころんだ。

 

 ブツクサと文句を言いながら、手料理に礼を言うことすらなく。

 

「何や、何見てんねん」

「何で、ママを裏切ったの」

「裏切ってへんよ、飯食っただけやわ。寝てへんかったら浮気ちゃうやろ」

「二人きりで、ご飯を?」

「そんな事もあるわ」

 

 男は、不貞腐れていた。

 

 自分の築き上げてきたもの全てを失って、完全に自棄になっていた。

 

「何やその目。お前、誰の金で育ったと思ってんねん」

「……」

「お前までワシを虐めるんか。出てったあの糞女みたいに!!」

 

 泥酔し顔を赤らめたその男は、怒りに任せて缶ビールを床に叩きつけた。

 

 大きな金属音が部屋に響き、西姫良子は恐怖で肩を震わせた。

 

「違う、私は」

「……」

「私は、ただ」

 

 それは、決め手だった。

 

 西姫良子の中に残っていた僅かな、父親に対する想いが恐怖で打ち砕かれた。

 

「私はただ、パパの力になりたくって……」

 

 いつも快活なその少女は、その場に崩れて泣き始めてしまう。

 

 彼女は今までの人生を、幸せに生きてきた。

 

 良い友人に囲まれ、尊敬できる筈の父親の背を見て育ってきた。

 

 

「あ、う。すまん、ちと言い過ぎた、かも」

「もう、嫌だ」

 

 

 涙声で嗚咽する少女は、父親に背を向けた。

 

 これ以上、彼女には今の父親と一緒にいることに耐えられなかった。

 

「本当に、好きだったんだよ。パパのこと」

 

 

 そういうと、西姫良子は着の身着のまま、衝動に任せ家を飛び出した。

 

「お、おい! 良子、外にはマスコミが……っ!」

「知るもんか!」

 

 

 少女は涙をこらえ、正面玄関から飛び出した。

 

 そして行先も定めぬままに、全力で走り去ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 背後から追ってくる、大人の気配がある。

 

 話題の西姫の家から、娘が一人飛び出したのだ。こんなに面白い見世物はない。

 

 張り込んでいたマスコミの連中は、ほくそ笑んで彼女を追跡した。

 

「……っは、はっ」

 

 誰とも話したくない。

 

 どうか一人にしてほしい。

 

 少女は迫りくる大人たちから、必死で逃げた。

 

「おい、何処へ行った……?」

「今、ここに駆け込んだよな」

 

 そして、1時間以上の追跡劇の末。

 

 人気のない裏路地を走って、少女はやっとマスコミを振り切った。

 

 若い娘が一人、暗く狭い道で一人きり。

 

 ここが何処なのかすら、よくわからない。大通りに出られれば、道はわかるかもしれない。

 

 

「……ママの、所に」

 

 

 冷静になってみると、彼女の行き先はそこしかなかった。

 

 父親のいるあの家には戻りたくない。

 

 友人の家を頼って、今の自分の騒動に巻き込んでしまうのもよくない。

 

 

 ────母親の実家まで、電車で30分。

 

 勢いのまま飛び出したので、小銭もスマホも、何も持っていない。

 

 

「どう、しよう」

 

 交番を探す。

 

 西姫にはまず、その考えが浮かんだ。

 

 交番でお金を借りて、母親の実家まで移動するのだ。

 

「……でも、そんな事したら」

 

 しかし、それをマスコミが嗅ぎつけたらどうなるだろう。

 

 話題のお笑い芸人の娘が家出、一人旅。そんな話が詳細に報道されれば、父親だけじゃなく自分の周囲にもマスコミが張り付くことになるだろう。

 

 そして、面白おかしく好奇な話を想像されて、記事にされてしまうに違いない。

 

「こっそり、歩いていく?」

 

 この旅は、誰にも勘付かれたくない。

 

 そして電車で30分、というのは決して歩けない距離ではない。

 

 数時間はかかるだろうが、道さえわかればきっと辿り着くことができるはずだ。

 

 道さえ分かれば。

 

「……」

 

 すでに暗くなった町。

 

 こんな状態で、道に迷わずに果たして実家にたどり着けるのだろうか。

 

 

「……ふっ、うぐ、ふぐぅ……っ」

 

 

 また、涙がこぼれてくる。

 

 現在位置がどこかもよくわからない。

 

 お金もスマホもない。

 

 周囲には彼女を追う、大人の気配もある。

 

 

 ────世界のすべてが、敵に回ったような妄想が西姫良子を包み込んだ。

 

 

「みんな、何処。みんな、助けて」

 

 

 西姫は、仲良い級友を想って泣いた。

 

 この日は、西姫良子の人生において今までで、まさしく最低最悪の一日であった。

 

 

 

 

「……む? もしかして、西姫さん?」

「え」

 

 そんな、人生で最低最悪の日の、その最後に。

 

 西姫良子は一つだけ、小さな幸運を手繰り寄せた。

 

「あれ? 貴方って確かA組の……」

「テルで良いぞ。どうした、こんな時間にこんな場所で」

 

 そんな、何処ともわからぬ路地裏で。

 

 少女は、気だるげな声で話す『知人』と出会ったのだった。

 

 

 

 

 

「貴方こそ、こんな時間に何やってるのよ」

「あー、下見とか、買い物とか?」

「購入物がおかしい」

 

 西姫良子は、こんな時にも本能的に突っ込んでしまった。

 

 何せ彼の持つその買い物袋には、どう見てもタイガーな仮面(マスク)が入っていたのだから。

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