やることを終えて、俺は倉庫を出た。
後は、アレを使う機会を待つだけだ。
そんなことを考えながら、俺は左の胸ポケットに手をのばした。
取り出したのは、煙草の箱。
銘柄のロゴは、薄れていてもう読めない。
箱を開けて、中から1本取りだして、ソレをくわえた。
ライターもマッチも持っていない。
火のついていない煙草だ。
倉庫の壁にもたれて、空を見上げた。
今日の空は、イヤになるくらいに、きれいな青色をしてやがる。
水よりも透き通っていて、海よりも青い。
雲は、ほとんど無かった。
「・・・・・・・・・・・・」
煙草をくわえたまま、鼻で大きく息を吸って、少しためた後、勢い良く吐き出した。
感想。
空はきれいだとしても、俺達のいる地上の空気はとてつもなく汚く、そして、臭い。
まるで、水の流れない公衆便所のようだ。
死体の臭いやら、血の臭いやら、硝煙や鉄や油や土、全ての臭いがごちゃ混ぜになった空気は、目には見えなくとも凄く濁っているということだけは確かに分かる。
そこに、生きている人間の営みの臭いが混じることで、戦場の臭いが出来る。
本当に、ここの空気は、鼻がもげそうなほどに臭い。
結構長い間、この場所に留まって戦っているにも関わらず、俺はコノ臭いが駄目なままなのだ。
この臭いを嗅ぐ度に、嫌悪感や嘔吐感に襲われる。
本来、臭気計測機ではほとんど感知できないほどに薄まっているはずなのだが、俺の鼻にはソレがこびり付いたままだ。
俺は、ココの空気が嫌いだ。
首が少し疲れたから、地面に視線を落とした。
元々、この俺達が使っている駐屯地は昔はヒメジ駐屯地と言われる、日本の軍隊の施設だったそうだ。
変な言い方だが、地面だけはしっかりと整備されている。
本来、砲兵科と歩兵科が共同で使用することを前提に建設されたこの駐屯地は、俺達装甲歩兵科にとっても使いやすい物がある。
とくに、全面をアスファルトで舗装された地面は移動するときには凄く便利だ。
俺達は、出動命令がかかるとすぐに「高い棺」を装備して、ヘリで移動することになるのだが、何のかんので不整地を走るよりも、整地を走る方が、俺達にとって負担が少ないのだ。
何もない足下を、じっと見つめる。
「お、ライターが無くて困ってるのか?」
突然声をかけられて、俺は咄嗟に顔を上げた。
声をかけてきたのは、長門伍長だった。
「・・・・・・そうじゃねぇ」
「はっ、拗ねてるなぁ、おい!」
彼はそう言って、俺の肩をバンバンと叩いた。
「別に、拗ねてねぇよ」
「お前が拗ねるときは、もっと人目の付かないところで縮こまってるからな」
ハハハ、と笑いながら彼は言う。
「何のようだ?」
特に含めるところもなく、俺は訊いた。
「ん? 巡回中にお前を見つけたからな。気になって声をかけただけだが、何かマズかったか?」
「・・・・・・いや、特には。考え事をしていただけだし、特に問題はねぇな」
「あの嬢ちゃんのことか?」
「ん、あ、あぁ。あの小娘に何をすれば堪えるのか、とか、どんな風にするべきか、とか、そんなのをな」
「無理矢理抱いて、躰に擦り込ませろ。ソレが一番手っ取り早い」
「失敗したら、俺は次の日極刑だな」
「個人の尊厳の侵害、強姦罪、この2つが揃った瞬間、銃殺刑だ」
人指し指を立てて、こめかみにあてがって、銃を撃つジェスチャーをしながら、彼は言った。
「で、まじめな話、どうするつもりなんだ? あのままの状態で放置されたら、いつかこの分隊は全滅するぞ」
「んなことは百も承知だ。何をするかはもう決めてる。後は、機会を待つばかりなんだよ」
「何するつもりなんだ?」
「・・・・・・・・・・・・「死ぬ」っつうのが何かを教えてやる」
「はぁ・・・・・・・・・・・・訊かなきゃ良かった」
彼は、心の底から後悔したように盛大なため息をついた。
「何、殺しゃしねぇよ」
「当たり前だ、バカやろう」
戦闘帽を脱いで、結構長くなった髪の毛をクシャクシャとかきながら、彼は言った。
「ところで、巡回に戻らなくていいのか? バディが待ってるんじゃねぇのかよ、あぁ長ぇクソしてやがるって思いながら」
「おっとそうだったな。淵田にはトイレ行って来るっつって抜けてきたんだった」
彼は、さっときびすを返して走っていった。
俺は、煙草をくわえたまま、もうしばらくここに座り込んでいることにした。
もう一度、今度は口で大きく息を吸い込んだ。
フィルター越しに、合成煙草特有の口の中にこもるようなキツくて酸っぱい感じの臭いが口の中に広がる。
だが、不思議と悪い感じはしない。
火をつける気には全くならないが、臭い空気を肺にため込むよりかは、この臭いを口にため込む方が幾分マシに感じられる。
もしかしたら、アレックスは戦場特有のイヤな臭いから逃げるために煙草を吸っていたのかもしれない。
アイツと知り合ったばかりの時も、確かにアイツは煙草を吸っていた。
だが、吸い方が素人のソレで、よく咳き込んでいた気がする。
まぁ、今となってはその真意も分からないし、正直どうでもいい。
俺は、腰を上げてそこを離れた。