Abissale solitudine -海の底に消えた鍵- 作:紅 奈々
「ん……」
閉じていた瞼がピクリ、と動いた。
明るく感じる瞼の裏に意識が浮上した事を自覚する。
目を覚ました璃王はゆっくりと目を開け、むくり、と上半身を起こした。
ゆっくりと顔を向かいのソファーの方に向けると、 雲雀がソファーに座っていてその隣で草壁が頭に大きなたんこぶを付けて伸びていた。
自分が眠る時には草壁の気配はなかったので、眠った後で来たのだろう。
それにしても、彼は何故伸びているのだ。
自分が眠っていた間に起こった出来事の予想が付かず、璃王は目を丸くする。
(ちょ……俺が寝ている間に何があった?)
ソファーに座って書類を見ている雲雀と、その隣で伸びている草壁両方を交互に見て、璃王は首を傾げる。
「やぁ、璃王。 もう起きたのかい?」
何事も無かったかのように話し掛けてくる雲雀の機嫌は何処か良いようで、璃王に微笑みながら言った。
そんな雲雀から床に伸びている草壁に目を向けると、璃王は口を開く。
「何があったんだ……?」
「璃王は気にしなくて良いよ。 ただ苛ついただけだから」
自分の手によってフルボッコにされた草壁に目も向けず、雲雀は足を組み替えて言った。
「苛ついた」との理由で草壁をボコボコしたにしてはやけに穏やかな雲雀の声色に、璃王は背筋が冷えるのを感じる。
軽くサイコパスが目の前にいるかのような気分だ。
こんな委員長で大丈夫か、この委員会は?と思いながら「ご愁傷様」と草壁を哀れむような目で一瞥すると、璃王は立ち上がってベストに袖を通す。
ピリング一つないベストはフワフワしていて、肌触りが良かった。
「もう行くのかい?」
璃王が身支度する様子を見て、雲雀が声を掛けてくる。 そんな雲雀に璃王は頷いた。
「次の授業サボったら面倒くさい事になる」
心底嫌そうな顔を浮かべながら璃王は言った。
その言葉を聞いた雲雀は出て行こうとする璃王に「またいつでも来なよ、璃王」と呟く。
その呟きを拾った璃王は、ふと思い出したかのように立ち止まった。
「リオン、だ。 僕はリオン・ヴェルベーラ・ヴァルフォア」
肩越しに振り返った璃王は、雲雀に微笑んで言った。
その時の璃王の微笑は、時折ふとした時に見せていた冷たい微笑ではなく、何処か幼さを残したような淡く柔らかくて温かみのある物だった。
「じゃあな」
璃王は応接室を後にした。
突然教えられた璃王の本名と向けられた微笑みに、雲雀は暫く放心したように璃王が出て行った扉を見つめる。
そして、暫くした後で初めて向けられた微笑みに胸の高鳴りを感じた。
璃王が自分の事を話して、更に名前まで打ち明けてきたのにはそれなりに理由がある筈だ。
そしてそれは、少しでも彼女との距離が縮んだ――即ち、彼女から信頼されたからだと解釈する。
「リオン・ヴェルベーラ・ヴァルフォア……」
初めて知った“彼女”の名前を、雲雀は大切なモノを噛み締める様にゆっくりと呟いた。