Abissale solitudine -海の底に消えた鍵- 作:紅 奈々
とりあえず、ヴァリアーの登場まではリオンの三人称は「彼」で統一します。
リオンと雲雀以外はリオンを男だと認識しているので。
「璃王君!」
保健室の窓から飛び降りたのは良いが、自分が履いている物が上履きだった事を思い出して璃王が下駄箱へ向かっていると、自分を呼び止める女子の声が聞こえた。
そちらに目をやれば、誰かが下駄箱の向こうから走ってくるのが見えて璃王は反射的に身構える。
大抵、女子に呼び止められるとロクな事がない。 それは、璃王が並中に入学して学んだことだった。
保坂然り、保坂の友人然り、取り巻き然り。
本当にロクな目に遭わない。
かといって、スルーするのも後が面倒くさい事も実証済みだったので、璃王は取り合えず声を掛けてきた女子が自分に近付いて来るのを待った。
璃王が立ち止まると、ブロンドのショートヘアーの女子がふわふわした髪を靡かせて小走りで寄ってくるのが見えた。
目はオレンジ色でキラキラしていて、零れ落ちんばかりに大きい。 この世の悪意とは一切合切無縁そうな純粋そうで綺麗な目だ。
(あー……と、こいつ……誰だっけ?)
璃王は、彼女の顔を見たままフリーズする。
顔を穴が開くほど凝視するが、名前が出てこない。
(確か、笹……が付いた筈だけど……えーと?
笹……ナントカ……えー……と……)
記憶を探ってみるが、どうも思い出せない。
同じクラスだったのは覚えているし、顔も分かる。 いつも困った様な顔でオロオロとこっちをチラ見していたのを何度か見たことがあった。
攻撃してくるでも冷やかすでもない、かといって無関心に徹しているでもない。
1年の時から同じクラスだったような気がするが、2年で2~3回喋ったことがあったかどうかだ。
虐めの標的にされた後は教室でも良く分からない態度を取っているので何気に印象だけは残っている。
取り敢えず、当てずっぽうで適当に名前を呼んでみることにした。
外れたらその時はその時だろ。
「笹……、川、だっけ?」
「は……はい!」
どうやら笹川で合っていたらしく、女子生徒は璃王に名前を呼ばれて顔を赤らめて頷いた。
(そうだ、“笹川”だ。 たしか、“笹川京子”。
1年の時に男子の間で話題になったから名前だけは何となく聞いた事がある。
こいつだったか)
璃王の中で漸く目の前の少女と記憶の中にある名前が繋がり、もやもやした気持ちが晴れる。
笹川京子。 並盛中の男子の間では、“天使のような笑顔が最高に可愛い”と評判の学校のマドンナだ。
そんな彼女を認識していないのは、並盛中では雲雀と璃王くらいな物だろう。
そして、璃王は殊更身構えた。
“学校のマドンナ”と持て囃されている女から呼び止められる事。
それが何を意味するのか。
途轍もなく面倒な事になりそうな嫌な予感しかしない。
保坂理恵奈も、取り巻きの男子が居るという事はそこそこモテる方なのだろう。
そういう女は変な自信が付いていて変に自意識過剰な所がある。
目の前の笹川京子が如何いうタイプなのかは分からないが、男から持て囃されるタイプには関わり合いになりたくない。
「何の用だ」
彼女の顔を見る事もなく璃王は問う。
これまでのクラスメイトの仕打ちの所為か、その声はとても冷たいモノだった。
まるで彼から拒絶されているようで、ギュッ、と胸が締め付けられるような感覚を覚える。
それと同時に、背筋が冷えるような感覚も覚えて、手が震えた。
「あ……あの!」
その冷たい声に唇をキュッと結んで意を決したあと、震える心をどうにか抑えつけて璃王に声を掛ける。
笹川京子は辺りを警戒するかのように見回して誰も居ないことを確認し、紙切れを璃王の手に握らせた。
そして、背伸びして顔を近付けると璃王にしか聞こえないような小声で早口で囁く。
「これ、誰も居ない所で読んで……!」
それだけを言うと、「待ってるから」と言い残してさっと璃王から離れ、走って教室へと戻っていった。
「何なんだ……一体……」
現状を理解する前に遠ざかっていく京子の背中を見届けると、璃王はぽつりと呟いた。
まるで、スパイから密書を受け取ったかのような気分だ。
璃王は、思考停止したままとりあえず応接室へ向かった。