ちょっと変わった天与呪縛をもつ主人公の元に本家から一件の仕事が入る。渋々ながら指定された高級料亭に赴いた先で特級術師と邂逅した主人公はとりあえず依頼料として一千万を吹っ掛けてみるが……?
自分の考えた尖った天与呪縛を使って120分映画みたいな夢を書こうとした結果がコレです。
先に言っておきますが、全然愛のない夢です。愛って単語が息してません。捏造は山ほどしました。そんでもって凄い明け透けな言葉がポンポン飛び交ってるのでお気を付けて。
※ピクシブにて掲載したものと全く同じ作品です。
▼一、
ノートパソコンのパンタグラフを打つ打鍵音だけが響いていた部屋に、バイブレーションが鳴る。すぐそばに置いておいた携帯に表示された名前に舌打ちを一つ零して、それを手に取った。
「はい、」
『湊、健勝そうでなによりです』
「恐縮です」
なーにが健勝そう、だ。アンタらが私に声を掛ける時はきまってロクでもない時だと相場が決まってる。声音にはおくびにも出さない代わりに、相手に見えないのを良いことに思いっきり顔を顰めながら会話をする。きっとコールセンター業務ってこんな感じなんだろうな。多分私コールセンター業務向いてると思うよ。うざい相手からの電話にめちゃくちゃ慣れてるから。
『前置きは良いとして、“商談”を取り決めました。再来週です。貴女自身が赴きなさい』
思いっきり顔に出た。クソがよ。アンタが私に電話を寄越すのなんてそういった手合いの話しかあり得ないことくらい分かり切ってるけど、実際に口にされるとなおの事腹が立った。クソが。
『当日迎えを寄越します』
「……分かりました」
最後に寿司に添えられたバラン程度の価値しかない「期待していますよ」という言葉に、思いっきり中指を突き立てた。うっせぇわクソババア。家ごとさっさと滅びろってんだ。
通話の切れた携帯をバチン!と音が鳴るくらい勢いよく折りたたんで机に投げて、やってらんね~!と椅子に凭れる。いやマジでやってらんねぇわ。ホントクソ。
机に置いてあるカレンダーを見れば、再来週の今日は空白になっていた。そりゃそうだ。大学は今春休みだもん。バイトもしないで悠々と大学生活してる私には長期休みは毎日が休日だ。
ババアの言う通りに“商談”なら、仕舞ってある着物を引っ張り出さないといけない。多分当日迎えと一緒に着替え用に人が寄越されることは分かっているが、それでも自分以外の人間……あのクソババアの息がかかった人間が家に入り込んでくると思うと、既にもう嫌気がさした。雑に纏めた髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜて、机に置いてあった煙草のケースに手を伸ばした。お気に入りのジッポで火を着けて煙を吸い込んで吐き出せば、身体に悪い煙草の成分が体内でちゃくちゃくと分解されていく気配がした。相変わらずイカれた肉体だなと思いながら、イカれた肉体様々だなとまた煙草に口をつけた。どんだけ酒を入れても煙草を吸っても、この体は常に最高品質だ。
「……脂ぎったジジイだったら躊躇なくせびり取るか」
五千万くらいせびれねぇかな、マジで。
*
どうやって死んだかも忘れたが、死んで目が覚めたら全く違う人間になっていた。人生コンティニューかと思えば、コンティニューした方が前の人生より三百倍くらい意味わかんなかったしかったるい人生だった。ガチャ運がない。生まれた瞬間から負け犬みたいなもんだわこんなん。クーリングオフさせろ。そんで永眠ルート入って全部おしまいにさせろ。
多分どっかのアニメか漫画の世界にでも来たんじゃねーかなと、そんな気はした。ただそいつのタイトルとか内容とかはさっぱり分からないから、考えるだけ無駄だなと早々に見切りをつけた。要は初見プレイってことだろう。別に人生なんて誰もが初見プレイが基本なんだから、転生前の知識だとか前世の知識だとかに頼って生きようとする方がレアだ。
当日。使いの人間を渋々家に上げてクッソ高い着物を着て、黒塗りの高級車に乗って向かわされた先は高級料亭。中に入って案内され、こちらでお待ちくださいと言われた部屋で下座に座る。本来監視役として派遣されたはずの使用人は金を握らせて休憩に行かせてある。やっぱり世の中金だよなってつくづく実感するな。
小一時間ほど待たされて漸く入ってきた“商談”相手は、見覚えのある制服に身を包んでいた。高専の学生か。にこやかに笑う顔が張り付けたそれだと見抜けるのは、同じ穴の狢のそれだからか。
「遅れてしまい申し訳ありません。夏油と言います」
「お気にならさず、お忙しいという噂は耳に届いておりますので」
上座に座った青年に名乗られて納得した。
夏油特級術師。あの五条特級術師と並び評される特級術師の片割れ。久しく現れていない呪霊操術の持ち主だ。成る程。私が呼び出された理由にも納得がいく。となると金はそれなりに吹っ掛けても何も問題ないのかもしれない。とりあえず指一本で行くか。
「早速ですが手短にお話させていただきますね。一千万でよろしいですか?」
「……え?」
ガチトーンの「え?」が帰って来た。こちらとしてもガチトーンで「は?」と返したかったが営業用の顔面でなんとかゴリ押した。
「失礼ですが、“商談”の話をされに来たのでは?」
「いや、私はお見合いだと伺ったんですけど」
手切れ金の話ですか?と逆に問い返されて、いよいよもって頭を抱えた。なんならマリアナ海溝に届きそうなくらいの溜息も出た。営業面で取り繕ってた体面が死んだがそんなことはどうでもいい。たった今体面どころの話じゃなくなった。
あのクソババアやりやがったな。
「……とりあえずお前が被害者だってことはよく分かった」
「どういうことかな」
体面も口調も全部取っ払えば、向こうもスッと仮面が取れる。露骨に取り繕うのやめたな。というか威圧すんな。こちとらただのか弱い女だぞ。殺気も漏らすな。お前もハメられたが、私もハメられたようなもんなんだから。
「なんでお前がここに呼ばれたのか説明してやるから、威圧すんな」
さっさと仕舞えと手で追い払う仕草をすれば、渋々と言った感じで圧が霧散する。知らず詰まっていた呼気を吐き出して、さてどこから説明してやろうかと頭を回転させた。
「夏油特級術師、“かがち”家って分かるか。蛇の神と書いて“かがち”と読ませる家だ」
「……いや、知らないな」
「知らなくて当然だ。もし知っていれば造詣が深いことを誉めた後、出逢ったよしみであまり知りすぎるなと警告してた」
蛇神の名前を知らないか。なら本当に何にも知らないで此処に呼ばれたのか。というよりは、何も知らせないうちに全部終わらせようとしてたって考えた方が良いか。そもそも蛇神の名前を知っているなら、この会合がどういうためのものか察していたはずだ。我が家のことながら、相変わらず性根が腐ってる。
蛇神家は男尊女卑激しい呪術界において極めて珍しい女流の家系だ。蛇神の家の敷地内において、男尊女卑のヒエラルキーは綺麗に反転する。当たり前の様に女が尊ばれ、男が卑しまれる。当然家の当主も女だし、生まれてくる子供は女であることが望ましい。禪院家の術式主義をそのまま女性主義に置き換えると言えば分かりやすいだろうか。
だがしかし、蛇神家は基本的に呪術師として活動することは無い。呪術界において、蛇神家という家は極めて異端な家だった。
たしか夏油特級術師は一般家庭の出身だったなと、頭の中で情報を浚いながら言葉を紡いでいく。
「一般家庭の生まれなら縁遠いと感じる話かもしれないが、呪術界において呪術師の家がその血が絶えないよう、これ以上薄まらないよう取る策がいくつかある。近親間の結婚なんかがいい例だ。それはなんとなく理解できるか」
「理論的には」
これに関しては呪術師の中の話ではないから、なんとなく理解はあるだろう。倫理的に理解されても逆に困ったが、理論的に理解できるのであればそれでいいと思う。
「そういった策の中の一つに、少なくとも今保持した術式をそっくりそのまま子供に相伝させる方法がある。その方法を使えば血は少なくとも今より薄まることはないし、術式を保持していなくても運よく子供が術式を掴んで産まれてくる可能性が高い方法だ。それを呪術界では“蛇神の胎”と呼ぶ」
もうなんとなく言いたいことが分かったらしい。青年から、先ほどの比じゃないくらいのプレッシャーが放たれる。しれっと呪力を混ぜて威嚇するのを辞めて欲しい。私が呪力をコントロールできなかったら失神していた。
「……誤解が無いように言わせてもらうが、私は蛇神の家の分家の人間だ。“加”えるに謹賀新年の“賀”、それから大地の“地”で加賀地と書く。それに私は諸事情で子供が産めないから、お前に性交渉を持ちかけることは絶対にない。縛ってもいい」
縛りという行為が呪術師にとってどれだけ重たいかを彼もよく理解しているのだろう。いや、多分適当に言った私より造詣があるに違いない。きつい視線は残したままだったが、圧は消えた。
「そんなわけでお前がここに呼ばれたのは、私と顔を合わせた後に“商談”に応じて、種馬になるためってことだったわけだ。“見合い”なんて適当にでっち上げられた嘘だぞ」
大方なんも知らない間に“商談”に頷かせて搾取して、それを弱みにして彼に付け込んでやりたかったんだろう。いかにも本家のクソババアたちが考えそうなことだった。
「……その“商談”についての説明はいただけないのかな?」
折角黙って脇に置いておいたそれにわざわざ触れてくる夏油に、怖いもの知らずだなと心の中で笑った。
「話してもいいが、聞くと後が面倒だぞ」
「既に大分面倒くさい状況だと思ってるよ」
「言えてるな」
どうすっかなーと数秒悩んだ後、知りたいなら喋ってやるかと決めた。知りたいなら教えてやるべきだって気持ちが三割、残りの七割はクソババア共への当てつけだった。
「じゃあまず私がどうしてセックスできないかって話からになるんだが、」
「明け透けに言うのやめてくれないか」
「今更取り繕ってどうする」
「最低限TPOは捨てないでくれって意味だ」
私としてはここが高級料亭だという事実はどうでもよかったが、向こうは気にするらしい。一理あるとはいえ、律儀だな。
「……天与呪縛でな、『純潔で居る間は最上の母胎で居られる』っていう縛りがある。純潔の定義は曖昧だが、とりあえず性交渉……男性との粘膜接触は基本タブーだ」
明らかに矛盾した天与呪縛。天与呪縛はその縛りの内容が強いほど与えられる恩恵も大きくなるが、ここまでくるとハッキリ言ってピーキーが過ぎている。とんちかよってレベルだ。向こうもそう思ってるのか、顔に「矛盾してないか?」と書いてある。私もかつてそう思ってた。
「だから、身体の代わりにタマゴを売ってる」
しばらく理解が出来なかったのか理解したくなかったのか、呆けた顔で固まった夏油に高校生には生々しすぎたかと少し反省した。ここまでくるとエロティックの概念は遥か遠くだ。どちらかと言えばグロテスクに近い。
「タマゴって……卵子のことか?」
「オブラートに包め。TPOが死ぬぞ」
先ほどの意趣返しに反応できない程のドン引き具合を見せた一般家庭出身者に、肩を竦めてやる。その反応は一定以上倫理観のある人間として極めて正常なものだ。誇っていいぞ。
「体外受精が出来る便利な世の中になったからな、この呪縛は矛盾を極めてるが抜け穴が大きい。私の胎の中で子供を作らなければ、私は純潔を保ち続けることが出来ると見なされるらしい。つまり卵だけ胎から出してしまえば私の縛りは解けない。優秀な子を宿す為の胎ではなくて、優秀な卵を産みだす為の胎として機能し続けられる。そうやって私は呪縛の網の目を潜り抜けて“蛇神の胎”をしている」
「じゃあさっきの一千万って、そういう……」
「値段は私の気分で変わるから時価だ」
ちなみに一個一千万だぞと言えば、ドン引きにドン引きを重ねてもはや地球外生命体を見るような顔をしている青年に「真っ当だな」と呑気に感想を抱く。こんなクソみたいな世界で生きているのに至極真っ当な精神をしている。大抵は「最上の胎」ってだけで下衆な顔をするクズな連中ばかりだ。
「ドン引きしてるところ悪いがもっと胸糞が悪くなる話をすると、今の蛇神の若い女たちの中には“蛇神の胎”として何処かに嫁ぐ時、私の卵で子を産もうとしてるやつもいるぞ。蛇神の血を混ぜても生まれてくる子供は父親そっくりになるし、蛇神の女が黙ってさえいれば卵の事なんてどこにも露見しないからな」
具体的には体裁的には間違いなく子供を作るためのセックスしておきながら、その裏で何かしらの方法で新鮮な子種を回収して理科室よろしく実験器具の中で受精卵が作られてる。そしてできた受精卵を女の体に入れておけば、さも数打ちが当たったように見えるというわけだ。ホストマザー(借り腹)と言えば聞こえがいいが、生命の神秘とか欠片もない全貌がこれである。そもそも無期限借用だが。
だが体外受精の着床率を考えるとこれが上手くいくかと言われるとそうでもないんじゃないかというのは私の見解だ。因みにその女どもからも盛大に金を巻き上げている。というか私の卵を嬉々として買おうとする人間はあのイカれた蛇ども以外この世に存在しない。というか私の商売相手は基本的にあの蛇どもだからな。
「ちなみにお前に一千万吹っ掛けようとしたのは、お前がてっきり私から卵だけ買って好みの女の胎にでも入れるんじゃねーかなって思ったから」
「流石に殴っていいかい?」
「悪いが謝らないぞ。
私は女でも躊躇いなく殴れるよと握り拳を作る夏油を他所に、私が部屋に来た時から準備されて放置され続けていた食事に箸をつける。……、普通に家で食べる飯の方が美味い。無駄に敷居の高い店に入っても庶民レベルの舌には何にも分かりっこないに決まってるだろう。
「お前が知らないうちに仕組まれてたなら、大方上層部とクソババア共が手を組んだんだろ。上層部はお前の術式を残したくて、クソババア共は特級術師の心臓を握りたかった」
呪霊操術は術式の中でもかなり高位の術式だ。そこらへんの式神を使う操術とは一線を画すと聞いたことがある。そしてここ百年近く彼と同じ術式を持っていた人間は確か居なかったはずだ。呪霊操術を相伝している家も随分前に絶えたことを加味すれば、降って湧いたカモを上層部が逃がすとは思えない。なんとしてでも次代の呪霊操術保持者が欲しくてたまらないはずだ。クソババア共と手を組むに決まってる。
「……ちなみにもし私が何にも知らないで“商談”に頷いてたらどうなってた?」
「最悪精力剤でも盛られて種抜かれて、その後は“蛇神の胎”で子供を作ったって既成事実でお前に取り入ってた。そんで晴れて子供が生まれたら、術式を確認でき次第用済みのお前を何かしらの方法で始末。“商談”の話も上層部の企みも全部闇の中に葬って、蛇神のクソババア共がお前の子供の親権を握ってた」
「聞かなきゃよかった」
「雌蛇が交尾後に雄を食うのは割とメジャーだ」
向かいで同じように料理に手を付けだした青年に、よく飯が食えるなと感心した。最高におまいうな状況ではあるが、私の場合はもう明け透けだろうが下品だろうがこの手の話に慣れ切ってしまっているのでもはや何の感情も湧かずに飯が食べられるってだけだ。
しばらく食事に手を付けていたが、味に飽きたのでやめた。なんなら絞められた帯が苦しい。あの使用人実は私に内臓吐かせるつもりなんじゃないかって勢いで帯を締めてきたからな、普通に苦しい。
口直しにお茶を一口飲んで、口を開く。
「悪いことは言わないから、何にも聞かなかったことにして断っておけ。今ならそれで済む」
空気を読んだのか食べる手を止めてこっちを見る夏油を真っ直ぐ見つめてやる。
「蛇神の連中は文字通り蛇のような人間しかいない。どいつもこいつも自分と家の利益の為になる様に動き、時には嫁に入った家すら見捨てるような連中だ。とりわけ一般家庭出身のお前は蛇どもにとってカモでしかない」
もしこれが特級のもう一人の片割れであったなら、話が変わっていた。流石の蛇神も今の五条には噛みついたりはしない。虎視眈々と機会を伺いこそするが、もっと下手に出て五条の家の中核に擦り寄っていくはずだ。
「今断っても、次はお前がちゃんと抱ける見合い相手が寄越される程度で済む。蛇神の女かもしれないけどな」
「それもそれで困るね」
「呪術界に居て恋愛結婚をしようとする方が難しいぞ。お前みたいな稀代の人間は特にな」
一般人の生まれなら、政略的な結婚を考える機会なんてありもしないだろう。ドラマや小説の中の、フィクションの中の話でしかないと考えるだろう。それが正しい。時代はとっくのとうに恋愛結婚が当たり前になった。
「……じゃあ聞くけど、もしここで私が貴方を選んだらどうなる?」
胎としてじゃなくて、見合い相手としての話なんだけど。
そう続けた青年に、思考が止まる。……成る程。いや、成る程な。それはそれは……なんとも、面白くていいんじゃないか?少なくともクソババア共が慌てふためいて歯ぎしりしてハンカチ噛み締めそうってだけで私は最高に愉しそうな予感がする。
「私がどういう人間かも知らないで本当にお見合いだと思って此処に赴いて、見合い相手として私を選んだと?」
「実際そうだったよ。勿論断るつもりだったけど」
弄りがいのあるおもちゃを見つけたような、踏み潰しがいのある蟻の巣を見つけた子供のような、そんな愉悦と自分をコケにされた怒りを器用に目の中に閉じ込めた青年の中に自分と同じ気配を感じる。コイツ、すました顔をしてるけどかなりクズだな。
「それならまあ、本家のクソババア共が『こっちの娘の方が具合が良いですよ』ってお前に擦り寄るくらいで済むんじゃないか?」
「秘密を知ったとは思わないんだ?」
「少なくとも自分から弱みを晒す奴らじゃないから、お前にそう言うことを聞く勇気もないさ」
「じゃあそれで行こう」
異論ある?と首を傾げられたので口角を上げて「全然」と答えれば、貴女の方がよっぽど蛇らしいと肩を竦められた。嫌だなぁ、これでも真っ当に生きてるつもりなんだが?それに速攻で仕返しの方法を考えるお前に言われるのもなんか癪だわ。
▼二、
私と夏油の考えた仕返しは、存外うまくいった。夏油は本当に何も知らないで“お見合い”に行ったフリをして「この人が良いと思いました」って蛇神に報告したし、私は嫌味500%で「全て言われなくても理解しております。蛇神の家ももう私なんぞを頼らなくて良いということなんでしょう。素晴らしいことです。きっとますますご清栄のことでしょう」と報告をくれてやった。勿論“商談”だと言われたから向かってみたら、サプライズよろしく見合い相手を当てられたフリだ。ご清栄とか全然思ってない。むしろさっさとくたばれって思ってる。
一先ずは上層部は“呪霊操術”の使い手を掴まえられて喜んでるだろうし、蛇神はこんなはずじゃなかったとハンカチを噛んでることだろう。ざまぁみろだ。後は私達の仲が打算だと気取らせないように、意中の仲としてそれらしく振る舞えばいい。でも私はともかく夏油は学生で学業もあれば任務もあるのでそこまで高頻度で会う必要も無かった。特級術師という肩書は伊達じゃないということだろう。
お互いに報連相は必要だろうと連絡先を交換したから夏油とはいつでも自分の近況を報告できるし、何があったとかどういう接触があったとか全部筒抜けてる。私の方には特に何も接触してこない蛇神だが、やはり予想通り夏油の方に接触しているらしかった。まあ報告を聞くまでも無いが、私じゃない蛇神の女を充てようと必死なんだろう。「この間貴方が言ったとおりの台詞で女を紹介された」と夏油に言われた時は盛大に笑った。あの蛇どものやり方はそんなところだろうと思っていたが、まさか一言一句違わずそんなことをするとは流石に思っていなかった。
「そう言えば、高専通ってなかったんだね」
一か月ぶりくらいにデートという名前の会合をしていると、そんなことを夏油から言われた。一体どんな方法で調べたんだろうなと思ったが、年齢を告げてあるから調べようはあるのかと納得した。高専にそんなものが置いてあるのかは分からないが、卒業生のリストでも存在していれば、その名簿に私の名前が無いことは直ぐに分かるだろう。どうでもいいが、私は二十二歳だ。そして相手の夏油が十七歳。呪術界の見合いとしては私は行き遅れてる方に分類される。
「先輩たちに聞いたけど、誰も貴方の名前を知らなかった」
「高専に通うのは本家が許さなかったからな。だから通信教育で普通の高校を卒業して、今は大学で勉強してる。それなりに良い部屋借りて住んでるし」
「よく許されたね」
「最初にそう言う契約を結ばせたんだよ。卵以外の事で口を出すなって」
割と人の出入りが多いカフェの一席。多分個室の高級料亭よりもTPOが重たそうなここで話す内容ではなかったが、最低限のオブラートには包んであるから大丈夫だろう。窓際で隣の席は空席だし、聞き耳を立ててる人間もいない。
「……あいつらは誰も私の人としての価値を見てなかった。蛇どもにしてみれば、私は家畜同然だった。だから自分に価値を付けたし値段を付けた。そんでもって本来なら無条件で搾取できた筈の相手にわざわざ大枚叩いてる本家の連中を馬鹿にして生きてるんだよ」
蛇神の家はそれこそ大昔から、優秀な胎を産む家として栄えてきた家だ。最初の蛇神の女は自分の肉体を好きに改造できる術式を持っていたらしく、それによって自分の身体を優秀な胎として改造してたくさんの呪術師とまぐわって優秀な子供を沢山産んだらしい。言ってしまえば逆ハーレムだ。正直って気色悪い。
今の当主であるクソババアも、たしかその相伝の術式を継承しているはずだ。蛇神では女として産まれてくれば勝ち組だが、唯一の相伝を持って産まれてくればほとんど自動的に次期当主の座にありつける。ちなみに私はその術式は持ってない。全く別の術式を保持して生まれて来た。
そんな蛇神の家ではあるが、蛇神の力は着実に衰退している。本家から排出される優秀な胎の数は確実に減っているし、それを何とかする術は存在しない。蛇神の術式では改造できるのは自分の身体のみで、他の女の体に改造を施すことは出来ないからだ。要領は反転術式と同じといったところなんだろう。でもそれを他の家や上層部に気取られないようにする為に、蛇どもは私の卵を使っている。
「私の卵を抱えて、“蛇神の胎”を必要としている所に輿入れして子供を産むんだ。そんで間違いなく自分の子供だと言い張るのさ。イカれてるだろ」
「それってDNA鑑定とかされたらバレない?」
「さぁな。そもそも私の卵で子供が産まれたかも教えられたことが無いからな。仮にDNA鑑定で私と遺伝子が一致してたとしても私はその子供を認知させてもらえないだろうし、私としても一切認知するつもりがない」
でも最近の研究だと胎児は臍の緒だけでなく羊水からも栄養を吸収していて、結局他人の卵を使ったとしても遺伝子はお腹を痛めて産んだ母親のものになるとかなんとか、そんなことをも言われているらしいから、ひょっとすると生命の神秘とやらに私の遺伝子なんて存在しなかったことにされてるのかもしれない。完全犯罪級の証拠隠滅だ。どうでもいいが。
「気になってたんだけど、君の縛りを上層部は知ってるのか?」
「知らないだろうな。蛇共は敵が多いから、自分から弱みを晒すことは絶対にしない。アイツらが弱みを晒すときは晒した相手を食べると決めてる時だけだ」
恐らくは私の事だけでなく、蛇神の血の力が弱まっていることすらも隠している。そして血の力が弱くなったことを気取られないように、私の卵を使って蛇神という名前のブランディングを保とうとしている。だからこの状況で私の縛りの内容が知れていたら、恐らく私の周りは今頃刺客だらけになっていたし、何が何でも純潔を失わせようと画策する下衆野郎どもで溢れかえっていたに違いない。
「……将来はどうするの?」
「社会人をやれれば御の字だな。蛇神の連中が私を手放すとは考えにくい」
というよりは、学生である今の時間だけが恐らく私に与えられた最後の自由な時間のはずだ。学生で居られる時間が終われば、私は恐らく蛇神の家に引きずり込まれる。そうなったらどうなるかは、もうなんとなく予想が付いていた。
「院生になってもいいが、そんなことしても恐らく時間稼ぎにしかならないしな。多分来年の今頃には私の人生は詰みだ」
期間限定と銘打たれていたので注文したシフォンケーキをフォークで切って口に運ぶ。恐らく好きな人は好きな味なのだろうが、なんとなくメニューのテキストで期間限定ならと選んだ人間としては、やっぱり桜は食べるより見る方が良いと思った。
「私は呪力も術式も持っているが、はっきり言って戦闘向きじゃない。かといって補助監督になることを本家が許すとも思えない。だから大学生が終わったら、恐らくは蛇神の座敷牢の中で生かされ続けるだけの人形になるだろうな」
正直言って人格が残されるかもあやしい。肉体が十全に機能していれば加賀地湊という人格は不要だと見なされて、何かしらの方法で人格を消される可能性の方がよっぽど高い。現状縛りが活きている身体では毒や薬の類は効かないが、洗脳の類は多分効果があるだろうからそこら辺でも試してくるんじゃないだろうか。
「そうなったら、死んだ方がマシだと思って一思いに死んでやるさ」
桜の味が残る口内を洗おうと紅茶に口をつける。対面の夏油の苦そうな顔は、きっと彼の頼んだブラックコーヒーのせいだと思っておくことにした。
*
二か月ぶりくらいに会った夏油は、なんというか妙にやつれていた。私の前では随分前に被ることをしなくなったはずの外行きの仮面を被った姿に、彼の事をほとんど知らないなりに夏油が無理をしているんだろうなと予想がついた。
「無理して私に予定を合わせなくていい。自分の為に休め」
「いや大丈夫」
「大丈夫な顔をしてから言え、隈こびり付いてんぞ」
夜の暗がりに紛れてもなおわかるそれを指摘すれば、苦い笑みを返された。寝不足というにしてもなお黒い。夏油はその隈を否定しないし、無理に強がりもしないらしい。誰かに指摘されるのを待ってたみたいな態度だった。それならせめて私じゃない人間に指摘されておけ。同級生とかな。
「今のお前を蛇神の連中が見たら、きっと好機だと思って食いついてくるな」
「それは、困るね」
「……とりあえず場所変えるか」
タイミングよく道路を走っていた空のタクシーを止めるかと道路の方に視線をやった。予約してたディナーはキャンセルしておこう。レストラン側には申し訳ないが、私の金だし夏油の懐には何も問題はない。
「食欲はあるか?あるなら適当に見繕うが」
それ以前に味覚が生きてるかと聞けば、多分生きてると返って来た。多分ってなんだ。そこはハッキリ生きてることにしてやれ。
「味覚が生きてるなら、限界はまだ遠いな。マジで追いつめられると味覚が無くなる」
「……あぁ、そういう話か」
どういう話のつもりだったのか聞けばてっきり術式の方を言われてるんだと思ったと返されて、そう言えば呪霊操術は一度呪霊を取り込まないといけないことを思い出した。
「呪霊とカース・マルツゥだったらどっちが不味い?」
「カース、……なんだいそれ」
「イタリアのグロい珍味。検索しない方が心の平和が保たれるやつ」
ちなみにそのグロい珍味に関しては深くは語らないが、もしそれと発酵済みでパンパンに膨れたシュールストレミング缶のどちらかを選べって言われたら、私は間違いなくシュールストレミングの方を選ぶとだけは言っておこう。それくらいグロい。
「食べたことないものと比較はできないかな」
「なら何が一番呪霊と近い?」
「口まで上がって来たゲロを飲み込む時」
「普通に不味いな」
「不味いよ。呪霊だからね」
手を上げて待っていれば丁度通りかかったタクシーが止まり、それに乗り込む。金は沢山あるからタクシーも気兼ねなく使えるのは利点だ。やっぱり世の中は金。
タクシーの運転手の前では明け透けな会話も出来ないだろうとしばらく黙っていたが、向こうから話を振られた。
「仮定の話なんだけど、」
「ああ」
「もし自分が信じてた相手のどうしようもない一面を見てしまったら、どう思う?」
「例えば?」
「実は隠してたけど殺人者だったとか」
それくらい呪術界だと日常茶飯事だと思うが、多分そう言うことが聞きたいんじゃないんだろう。窓の外に視線をやる夏油の顔は確認できなかったが、そうだなぁと質問されたんだから真剣に考えてやる。
「信じてた度合いにもよるが、本気でそいつの事を信じてたのならまず失望はすると思う」
「本気で信じてなかったら?」
「そんな気はしてたで以上終了」
ただし今生ではそんなに心を傾けた相手って言うのがほとんど居ないから、私からすればそんな状況になること自体がレアケースだというのは黙っておいてやろう。
「それにそんな一面があるって気づいていた上で付き合うって決めてるなら、どこかで折り合いがついてるだろ。受け入れられないなら離れて行けばいい」
「受け入れるしかなかったら?」
「妥協点を見つけるしかないな」
イエスかはい以外の選択肢がないのであれば、こちらが是と言って飲み込むしかないのならば、自分の中で納得がいく妥協点を探さなければいけない。自分にとってこれ以上不利益にならない位置、もしくは自分がこれ以上不快にならない位置。そう言ったポイントを決めて相手にそれ以上踏み込まれないようにするしかない。踏み込まれたら領域侵犯で殴る。少なくとも私はそうする。
「人類が皆聖人じゃないことくらい分かってるんだから、あんまり期待しすぎて生きる方が馬鹿だ」
「……考え方が強いね」
「割り切って生きてなきゃ、こんな状況で生きてないからな」
自分が少しでも自由に生きていられるために、自分の胎を切って売ってるような女だ。そんなやつにまともな情があると思って近づいた方が間違ってる。
しばらくタクシーの中で揺られて辿り着いた自宅近くの道路で支払いを済ませて降りる。歩き始めると何処に向かってるかを聞かれたので普通に自宅と答えれば目を瞬かれた。
「なんだ。隈をこびり付かせた人間を連れ回すほど、私はクズじゃないぞ」
第一絵面が悪い。カップルのフリとはいえ、相手が隈をびっしり付けた状態でデートなんてしても周りは仲がよろしい以前に隈がついてる方の体調を心配する。そしてそれは一般人の正常な思考であって、蛇神の人間なら「これはチャンスだ」と目を光らせる。想像とはいえ相変わらずクソみたいな思考だった。
「打算しかないとはいえ、ある程度見知った人間なんだから心配くらいする」
「いや、うん……そうかな?」
困惑したまま生返事をする夏油を半目で睨みつける。ほーん、なるほどな。
「……お前が私の事を血も涙もないと思ってることはよく分かった」
「そんな、誤解だよ」
「もう遅い」
辿り着いたエントランスでオートロックを開けてさっさと先に進めば、自動ドアが閉まる前に夏油が慌ててついて来た。
*
「お前もなんだかんだクズだが、その割に考え方が綺麗だよな」
適当に夕食を出してもてなして片付けた後、ソファで寛ぐ夏油に声を掛ければ顔ごと視線を持ち上げられた。立ってる私の方が視線が上だからそういう仕草なるのだろうが、妙に幼い仕草だった。
「それって誉め言葉?」
「いや別に、ただ事実を羅列しただけ」
飲むか?と差し出した缶チューハイを平然と受け取るあたりは不良だ。渡す方もクズだが、そこは未成年だからと断れ。嬉々としてプルタブに指をかけるな。
二人掛けにしては広めのソファの反対側に腰掛けて、もう一本持ってきていたチューハイを開ける。喉元でとぐろを巻くアルコールの気配を感じながら、やっぱり酔えないなと目を細めた。
「なんというか、お前は清濁併せ呑むの下手くそそうだなって」
何があったとかを聞くつもりはないが、タクシーでの仮定の話でなんとなく夏油にそう言った状況が降り掛かったんだろうなと予想が付いた。そもそも夏油は仮定の話を進んでするようなタイプじゃない。割と地に足つけた現実主義だ。流石に「友達の友達の友達の話」とは言ってなかったし。
「逆に君はそういうの上手そうだよね」
「白黒はっきりさせない方が生きやすいこともあるってだけだ」
死んだ水に魚は住めないが、綺麗すぎる水でも魚は生きていけない。それと同じだ。ゼロか百かで生きていくには、世の中は灰色なものが多すぎる。
酔えない酒を呷って、喋る為に気持ちと口を軽くした。
「私は蛇神が嫌いだ。家の為だとか血の為だとか、くだらない理由で人の人生を潰す奴しかいないあの家が大嫌いだ。ガキの頃は男として産まれた方が幸せだったとすら思ってた」
父も母も、あの蛇どもに食われて死んだ。
夏油が黙っているのを良いことに、また酒を呷る。
私のせいで失われた命が、たくさんある。私という存在が産まれてきてしまったせいで、無意味に奪われた命が山ほどある。
加賀地湊が天与呪縛を持ち得なければ、加賀地湊が男だったならば、きっと奪われなかったはずの無辜の命たち。私はその屍の山の上で呼吸をして、今もなお生きている。
「私はただ、あのイカれた家を離れて真っ当に人間として生きていたいだけだ。でもそのためには金が必要で、私は自分の身体を切って売るしか方法が無かった。だから忌々しい蛇共から金を巻き上げて生きているし、結果的に蛇神の家も私の売った卵で利益を被ってる」
私に残されたのは、縛りを受けた身体しかなかった。だから胎を切って売った。売って手に入れた金がないと、私は自分を守れなかった。金がないと生きていけないのは現代の摂理だ。天涯孤独の身の上ならば、なおの事。
そうして生きながられる蛇共に憎悪も殺意もあれど、どうしようも出来ないのだ。どうしようも出来ないまま、仮初の平和を享受するしかない。非術師に混ざって暮らして、学生としての生活を謳歌して、それでもどうしたって切り離せない呪術の世界に囚われ続ける。
「これが私なりの妥協点だ。でもそれも、後一年足らずで終わるけどな」
中身の無くなった缶をローテーブルにおいて、煙草に火を着ける。吐き出した煙が消えていく様を見上げながら、また煙草を吸った。
「呪術の世界は私にとって息苦しいだけだ。私はそこが嫌いだが、結局私はそこで生きて死ぬしかない」
そういう風に生まれ落ちた運命だ。こんな二回目の人生が欲しかったわけじゃない。一回目よりずっと凄惨で、非情で、クソみたいなこの狭い世界で生きていくことを誰も望んではいなかったのに。それでもそこでしか生きることを許されてない。
「私みたいにならないためにも、お前がこの世界でもうちょい楽に息が出来ればいいんだろうな」
呪術界は淀んでいる。でもそれは渦巻く権謀術数だけの話じゃない。古臭い思想にしろ、呪術師の在り方にしろ、呪術師(マイノリティ)の扱われ方にしろ、色々なものが混ざって淀んだ、死にかけの池だ。そして清濁併せ吞むことが下手くそな生き物がこの淀み切った世界で生きていくことは、残念ながら難しい。
折り合いをつけろ、なんて言うのは簡単だ。でも目の前で起きる汚濁に目を瞑ることが、目の前で繰り広げられる非道を肯定することが簡単なこととは言えない。私はもう慣れた。繰り広げられる汚濁を前にしても心が動かなくなった。そういうモノだと割り切ることを覚えてしまったから、たとえどんな汚濁が目の前に現れても「そんな気はしてた」の一言で割り切れてしまう。恐らくそれは人として、真っ当ではない。真っ当に生きたいと願う人間の中にあってはいけない矛盾。どうしようもないパラドクスだ。
「君も」
「ん?」
黙って聞いていた夏油がこちらを向くので顔を向けてやれば、黒いそれと目が合った。
「君も、もう少し息がしやすければいいのに」
こっちを心配する余裕もない癖に、憐れみの視線を向ける彼はやっぱり息がしづらそうだった。クズだが、性根は真っ当ということなんだろう。矛盾している私と違って。
「私は少し煙たい位が丁度いい」
短くなってきた煙草に口を着ければ、そういう意味じゃないと視線を鋭くされた。生憎だが、そういう意味だ。私はお綺麗な世界で息ができる程、真っ当じゃないんだ。お前と違ってな。
*
帰るならタクシー代でも持たせてやるつもりだったが、帰らないらしい。見合い(ださん)の付き合いとはいえ相手の家に泊まることは何ら変なことでもないし泊めてやることにした。まあ天与呪縛の話はしてあるから襲われるってことは無いだろう。もし襲われたら日頃鍛えている呪術師相手にひ弱な私は何もできやしない。
2LDKの家にゲストルームはあるが男物の下着はないと告げれば、適当に買ってくると夏油は家を出て行った。その間に適当にシャワーを済ませて、ゲストルームのベッドを整えておく。日頃掃除はしているから使えはするはずだ。半分以上物置と化していて今なんて衣文掛けに思いっきり見合いの時の着物が掛けられているわけだが、まあ気にしないでくれと言っておこう。六桁くらいのヤツだと教えたら意外と寝られなくなりそうだし。
帰って来た夏油を風呂場に追いやってしばらく大学の課題片手に煙草を吸っていれば、リビングに夏油が戻って来た。
「お前な……、パンイチで出歩くなよ。女の家だぞ」
「パンツ以外買ってないから仕方ないだろ。君こそ少しは恥じらえよ」
ブラとキャミソールとショーツだけの格好を咎められても、まあ別に何も反省するところがない。これがいつも通りだから。夏油を上から下まで見てからダビデ像見てる感じがすると言えば、あんなに小さくないと言われた。そっちの話じゃない。筋肉を誉めたんだよ
「見られるのは慣れっこだ」
「……処女なのに?」
「卵抜かれる時に山ほど見られるからな」
ソファの足元を指し示してドライヤーを掲げれば、意図を察したのか足の間に座って来たので遠慮なく髪の毛を乾かしてやる。まずはタオルドライから。
「なんというか、普通に生活してるんだね」
「そりゃあこんなんでも人間だからな」
「それはそうだけど、呪術師の家系の人の生活ってあまり想像がつかないから」
もっと格式を持って生活してるイメージだったというので、まあおおよそはその通りだろうと答えてやった。むしろ私をイメージの見本にするな。私が例外的過ぎるだけだからな。
「それに呪術師の家に生まれたからって、それが一概に幸せで恵まれてるとは言えないぞ。武家社会と同じだ。術式持ってる嫡男が一番偉い。そうじゃなければその下で術式を持ってるやつが一番偉い。持ってない奴は出来損ないだ」
御三家の中だと特にその様相は顕著なことだろう。特に禪院はそうだ。蛇神の家もそれに近しい。蛇神の家では男として生まれた瞬間から落伍者確定だ。
水気が取れたら自分に使っているヘアオイルを手に取る。面倒だからと短く切ってある私と違って伸ばしてるんだから手入れをすればいいのに、黒い髪はあまり手入れをしたような痕跡はない。夏油がされるがままなのを良いことにヘアオイルを髪全体に馴染ませてから、ドライヤーをかける。
「ねぇ、誰にでもこんなことしてるの?」
「したいと思ったやつにしかしてない」
「へぇ……」
そんなやつ人生で一度も居なかったけどな。と付け加えれば「ふーん」と返って来て、そのまま黙り込まれた。
「虚しくないのかい」
「何が」
「わざわざ蛇神に操を立てるのが。男に抱かれれば、その呪縛は解けるんだろう」
核心に触れられるような質問に、動作が止まる。見下ろした夏油の目は、憐れむでもなく媚びるでもなく、欲が滲んでるわけでもない。ただ事実の確認をしたような、そんな淡白な色をしていた。
「……確かに純潔を失えば、縛りは解ける。そうなれば私は自由の身だ。でもそれは、加賀地湊の生命線の消失でもある。価値の無くなった私が生きていけるほど、この世界は有情じゃない」
私が天与呪縛を失えば、蛇神を敵に回すことになる。自分たちの利益となりえるから生かしてきた小娘一人、価値が無くなったのなら簡単に殺せるのだと奴らは証明するだろう。私の後ろ盾は、私がどれだけ嫌悪していても蛇神しかいない。
「『蛇神にとってまだ有用な存在であること』。これが私の生命線だ。これが無ければ生きていられない」
仮に此処で夏油に襲われて呪縛を失ったら、きっと一月後には死んでる。だがそれも、仕方がないことだと受け入れられる乾いた自分が居るのだ。私は今生に縋るものも期待できるものも持ってないから。
髪の毛を乾かし終わったのでゲストルームはあっちだぞと廊下を指させば、笑顔で見上げられる。イイ笑顔だな、嫌な予感しかしない。
「一緒に寝てもいいかな」
「抱けないって言ってるだろ」
「それは分かってるさ」
人肌恋しいんだと笑みに苦さを滲ませる夏油に、溜息をつく。そう言うのは意中の女とやれ。打算の私にやるな。ノーと言ってもついて来た夏油に白旗を振りながら、特に物の多くない自室に置かれたダブルベッドの中に夏油も入れてやる。抱き枕よろしくこちらを抱きしめてくる夏油に、抱けない女にこんなことして不毛じゃないのかと疑問が頭を掠めた。
「お前こそ現状が虚しそうだ」
「そうでもないよ。今は別にそう言う気分じゃないから」
「ふーん」
背中から伝わってくる夏油の体温に、そう言えば誰かが傍に居るのは随分久しぶりの事だったなと目を閉じた。
翌朝。尻に当たる硬いものを感じて後ろを振り返れば、私より夏油の方がよっぽど恥じらいがあるってことが分かった。
「……夏油、」
生娘みたいに顔を覆うなよ。生娘の前だぞ。言っちゃなんだが耳まで赤いから隠すだけ無駄だ。
「抱けないって分かってるんじゃなかったのか」
「……、……生理現象だから」
「そういうことにしておいてやるから、さっさと抜いてこい」
そそくさと部屋から居なくなった夏油を見送って、二度寝をしようと二人分の温もりが残るベッドに沈み込んだ。
▼三、
夏油がよっぽど蛇神の女どもをすげなく扱ったんだろう。遂に私の方に「あなた側から別れを切り出しなさい」という通達が来るようになった。蛇神の方から見合いを仕掛けておいて別れを切り出すとはよっぽど世間知らずの行いだと思うが、それだけ蛇神の蛇共は私を手放したくないということなのだろう。その執念深さだけは目を見張るところがある。だが私が大人しくそれに是と頷くと思ってる辺りが馬鹿だ。誰が頷くか、クソババア共が。
蝉の声があちこちの木から聞こえて喧しい呪術高専の敷居を跨ぐ。呪術高専自体にはあまり用はない。用があるのは薨星宮の方だ。夏油直々に呼び出したってことは、恐らく私の胎ではなく術式に関して用があるんだろう。薨星宮へ入る許可は向こうが取ってくれると言っていたし、私が特に何かすることは無い。
呪術界の人間とは言え部外者には変わりないだろうと門のところで待っていれば、目当ての人間が目当てじゃない人間と共にやって来た。来たな自己中。
「おいヘビ女、傑に手ェ出してんじゃねーよ」
「黙れ自己中、文句は本家に言え。字も読めねぇのか」
思いっきり中指立てられたので親指を下に向けておいた。生憎と“かがち”違いだ。ついでに今どきの高校生は字も読めねぇんだなと憐れんでやった。
「知り合いだったんだね」
「家の関係でな。後こいつは蛇神の外で唯一私の縛りを知ってる人間でもある」
「家の方が蛇のババアから口止め料貰ってんだよ。俺はいつでもゲロっていいと思うけどな」
「いつでも言っていいぞ。私の寿命が切れるだけだ」
六眼を前にして呪術に関することで隠し事は出来ない。私の天与呪縛は術式の相伝に通じるところがあるから結果的に六眼で見えてるんだそうだ。大層口止め料を積まれてることだろうなと鼻を鳴らした。蛇共は自分たちの保身に関しては必死になる。だがまあ長い歴史の中で五条に嫁いだ蛇も居たことだろう。きっとそこら辺を盾にして「よもや五条家ともあろう家が恩を仇で返すとは仰りませんよね?」くらいは言ってそうだ。
薨星宮の入口は天元の結界の仕様で日毎場所が替わる。高専に建てられた仏閣系の建築物はその入口を隠すためのダミーに過ぎない。当然部外者の私は薨星宮の入口の場所は分からない。夏油達は許可を得た際に教えられたんだろう。徐に歩き始める二人に並んでついて行く。
「湊、本家の蛇共に言っとけ。俺に次期当主の娘纏わりつかせんなって、鬱陶しいんだよ」
「ああ……、綾寧(あやね)の事か。アイツに関することなら私に言っても無駄だぞ。なんなら火に油だ」
「なんで?」
「私とアイツが腹違いの姉妹だからだ」
その言葉だけで察してくれれば察しがいいなと褒めたところだったが、夏油も五条も「それがなにか?」みたいな顔を返してきたので肩を竦めた。どっちも従姉妹兄弟いないんだろうなきっと。
「夏油はともかく、五条も察しが悪いとは思わなかった」
「あ?やんのか?」
「噛みつくな自己中、喧嘩腰じゃないと気が済まないのか」
仕方ないから話してやるかともう一度肩を竦めた。
「私は分家の生まれだが、私の母は本家の人間だった。だが母は母体としての力が弱かった為に分家である加賀地家に下賜されたんだ。言うなればお払い箱だ」
これは蛇神の家だと割と当たり前に行われることだ。力のない胎を分家にやることで、蛇神の家には優秀な胎しか揃っていないように見せかけている。ちなみに蛇神が他所に嫁にやるのは本家の娘だけだ。本家の女どもは呪術界の中に“かがち”の音を使う女の嫁入りは蛇神以外に認めていない。
「でもその下賜された先で産んだ私がこんなんだから、本家が息巻いて私を取り戻そうとしたんだ。でもお払い箱にした女の娘を取り戻そうってのは体裁が悪い。だから蛇共は加賀地家を意図的に滅ぼして、唯一生き残ったっていう体で私の事を本家に吸収させようとした。私が十五の頃だ」
蛇神の分家は全部で三つある。音は皆同じだがそれぞれ、加賀地、嘉々智、神賀知と書いていた。この三つの分家の人間は基本的に術式も見える目も持たないで産まれてくる子供が大半で彼らは呪術界を知る非術師として一般人に紛れて生活していることが多い。稀に産まれてくる見える側の人間は本家で給仕などに召し抱えられる場合があるが、呪術界との関わりなんてその程度だ。だが本家の傍若無人ぶりを一番近くで味わって来たせいか分家の中では呪術に適性を持って産まれた人間ほど貧乏くじとして憐れまれるし、分家の人間はこぞって本家の蛇神が大嫌いだ。加賀地家もまた、その一つだった。
「……御三家でもそんなことしねぇよ」
「蛇共の血は青い。アイツらは家の為ならなんだってする」
絶句する夏油の隣で何とか絞り出しただろう五条の言葉に、吐き捨てるように答える。そうだな。御三家ですらこんなことはしないだろう。蛇神の頭がイカれてるんだ。
下賜された母を、加賀地の人間は歓待したそうだ。母がそう話してくれたのを覚えている。蛇神の中での役立たずの烙印を押された母に対する同情心と言うべきなのだろうか、同族へのよしみなのかもしれない。こういうところは分家たちの共通的な意識だった。だがその加賀地が本家の欲の為に一切を滅ぼされた為、残された分家たちはより一層本家を嫌っている。対して蛇共は、分家の憎悪も命も何一つ気にかけていない。「蛇神にあらずんば、」とでも言いたいんだろう。奴らの中で分家の人間の命は塵より軽い。
「本来なら私はそのまま蛇神の家に吸収されるはずだったが、私が胎に関する契約を取り決めたことでこうして、蛇共に卵を売るだけで済んでいる」
「よくそこから契約まで漕ぎ付けたね」
「あの時は結ぶ気がないなら今すぐ死ぬと言い切ってたから、別に難しくはなかったな」
良くも悪くも蛇神が私を喉から手が出るほど欲しくて堪らなかったという状況が、私を今日まで生かし続けているということなんだろう。最高に皮肉な状況だった。
「
「うげぇ……」
「典型的と言えば、典型的なのかな……?」
たしかに典型的ではある。俺もよく言われたと顔を顰める五条に、呪術界ならありがちな教育だなと同意した。呪術師はできて当たり前の世界。出来ないものは落伍者だ。出来ないことを重箱の隅を楊枝でほじくる様に突くのが呪術界の人間模様でもある。
「そんな環境で育ったからか、アイツはとにかく私より上に立っていないと気が済まない女だ。自尊心の塊で、どうせ自分は誰からも愛されるとかそんなことを思ってんだろ」
「キッショ」
「まあ蛇神は大元が逆ハーレム作ってよろしくやってたような女だからな、そういう血筋だと思っておけ。あとは私が夏油とよろしくやってるのが気に入らないから、お前に擦り寄ってるって可能性もあるだろうな」
「傑、今すぐコイツと別れろよ。どうせ抱けねーんだし」
「悟は黙っててくれ、現状がベストなんだ」
嫌ならさっさと断って別の相手でも見繕っておけと助言すれば、俺より顔面が良い奴なら考えると月並みな返事が返された。一生無理だな。
*
薨星宮本殿に降り立って、夏油に教えられたおおよその場所にしゃがみ込む。
「……消滅してからどれくらい経ってる」
「二か月くらい。残ってる?」
「幽かにな、でも残ってるなら再現は出来る」
一体どこでこんな使い方を閃いたんだろうとは思ったが、五条が考えたのならまあ納得がある。私にそれをするように指示したのも五条だった。おおかた五条の家の文献にでも使い方が書かれていたのかもしれない。呼吸と共に生み出した呪力を幽かに残る残穢へと流していく。
「――
私の術式はその場に残った残留思念や残穢を酌み上げて、その場に再現する……言うなればサルベージを行える術式だ。だから戦闘には限りなく不向きな一方で、窓や補助監督が持つのに適している。基本的な使い方としてはその場に残された思念や残穢を再現し現場の捜索や探索に使われる。だが五条に言わせると、この術式は失った式神を再生することが出来るのだそうだ。式神も思念や呪力の塊であることを考えれば妥当なのかもしれないが、死んだら二度と使役できなくなる式神の事を考えれば再生できるというのはかなりメリットなのかもしれない。だからといって同じ要領で呪霊を再生させようとするのはどうかと思うが。
普段まともに呪術を使わないからか、手のひらから吸われていく呪力の多さに脂汗が滲む。少なくともただこの術式を使った時よりもはるかに多くの呪力を消費させられていることは間違いなくて、一体何を私に甦らせようとしているんだとキレたくなった。その怒りすら呪力に変換して、術式の回転が止まらないように集中力を保ち続ける。
イメージは組紐を編む時のアレだ。自分の呪力と残穢を糸に見立てて一本の組紐を編んでいく感じがする。でも組紐を編みながらその先の糸をその場で撚って糸にしていかないといけないイメージはちょっと頭が可笑しい。作業を別々にやらせろ。全部糸を撚ってから組み始めろ。撚った糸がそのまま組紐として直に編まれていくようなイメージをしながらひたすら呪力を流し込み続けている内に、滴った汗が石畳に落ちた。これだけ苦労して何も復活しなかったら殴る。
「……悟、これ本当に成功すると思う?」
「さぁ?俺文献読んだだけだし、そもそも一発目にアイツを選んだお前が鬼畜」
「外野は黙ってろ……!」
半信半疑の外野を黙らせて集中していると、何故か組みあがってた方の呪力が勝手に縦に割けようとしていたので慌ててそっちの方にも更に意識を裂いていく。組紐を組みながら糸を撚って、更には縦に割けようとするところを新しい呪力の糸でひたすらつなぎとめていく。なんの脳トレだよこれ!全部同時にさせんな!
恐らく組紐を編むのが縦に割けていく速度に負ければ術式は失敗するし、組紐を編む速度に糸を撚る速度が追い付かないても失敗するし、縦に割けようとする組紐を放置していても多分失敗する。これ絶対初心者がやっていい事じゃないだろ。右手で三角を書いて左手で四角を書きながら五拍子の歌を歌わされるくらい意味わかんないぞ。例えの時点で意味が分からない。後で五条は殴るし、夏油も殴る。
しばらく組紐のイメージと格闘し続けて漸くそれが終わって一本の組紐が脳内で完成した頃、地面に着いた手の平の方に何かが触れる感触があった。なんだ?
「多分出来たが……、これであってるのか分からないんだが」
「あーうん、多分出来てるわ」
「多分」
「多分。だって俺も見たことねーし」
こちらに近づいてわざわざサングラスを外して私の手元を覗き込む五条が出来ているというなら、多分出来ているんだろう。小声で零した「初心者の癖に呪力操作がキショイ」っていう言葉はちゃんと聞き逃さなかったからな。
とりあえず手に触れているそれを握りしめて立ち上がれば使いすぎた呪力の影響か立ち眩みが襲って来たが、なんとか踏ん張る。
「使い勝手は?」
「何復活させられてたか知らないが、呪力消費量がクソだ。あと脳内でひたすら虹色の組紐組まされた」
「え?そんなイメージでソイツ復活させてたの?」
「まあ的を射ているイメージはあるね」
何が面白いのか爆笑する五条と苦笑する夏油に訳が分からないと手元のそれを見る。掌に握っていたピンポン玉くらいのサイズの黒い球は、たしかに私の呪力以外に幽かにあの場に残っていた残穢を閉じ込めている。私にはこれが成功したかどうかは分からないが、五条が出来ているというなら恐らくできているんだろう。本来の持ち主である夏油に球体を渡せば、当たり前の様に口に持っていかれてそのまま飲み込まれる。ふと脳裏に少し前にした呪霊の味についての会話がよぎったが、その時の内容の事なんておくびにも出さない顔をしてそれを嚥下した夏油に、強がりだなと思った。
薨星宮を出てすぐに面白いものが見れたからもう帰ると言って一人で居なくなった五条を見送って、校門まで送るという夏油と並んで歩く。
「呪霊とはいえ、他人の呪力で編まれてると味は変わったりするのか」
「ああうん、違ったね」
まあどう考えても呪力は負のエネルギーなのだし美味くはないだろう。生成した呪力の内数パーセントくらいは横で野次を飛ばしていたお前らへのイラつきだったわけだが。
「残穢が少なかったせいもあるのかもしれないけど、砂糖をそのまま食べてるような味がしたかな。口に居れた時はいつも通りの味だったけど」
「ほとんど私の呪力の味ってことか。気色悪いな」
「まあ君が再生したからね」
どちらかというとお前に私の呪力の味を知られたことが気色悪かったんだが、口に出すと面倒そうだったので辞めた。その内どうせ何体も呪霊を甦らせることになるんだろうから、今の内から割り切っておいた方がダメージが少ない。
「君は、呪術師は嫌い?」
「唐突だな」
「そんなことはないよ。君の家に上げてもらった時からずっとそうなんじゃないかとは思ってた」
「……確かに嫌いだが、私が嫌いなのは人の命を軽んじる
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとは言うが、現実でそこまで何かを嫌いきってしまうのも難しい。現に私も出来ていない。呪術師が嫌いと一口に言ってしまえばそこに全てが包括されてしまうが、実際に私が嫌いな呪術師というのはタイプが決まっている。
「そういうお前は、非術師が嫌いだろ」
「……嫌いというよりは、信じられなくなったんだよ。裏切られたからね」
「お前が期待しすぎたんだろうよ」
「そうだろうね」
盤星教が解体されたという話は私の耳にも届いていた。その直接の原因に夏油と五条が居たということも分かっている。勿論、任務の内容もその結末も。
蛇神の女どものネットワークというのは実にいろんなところから情報を絞り上げてくる。なんならそこら辺の情報屋より情報を持っていることもある。房術長けた女の家系故の情報収集力と言ったところか。そしてその情報を私は金で買える立ち位置に居るというわけだ。あまり好んで使う手段ではないが、便利で良い。
五条達の任務はあの夏油に異変があった日よりも前だったことを思えば、恐らくその任務が夏油に影響を及ぼしたんだろうということくらい簡単に察せた。
「でも信じられない相手を守ろうとすることは、決して万人にできることじゃない。そこに関してはお前を尊敬するよ」
「……惰性だよ」
「それでも立派な事だ。もし私がお前の立場なら金の羽振りで救う救わないを決めてた」
「クズだね」
「クズさ。命張って戦ってるんだったら、救うやつを選びたくもなる」
どうせ救うなら、救い甲斐のある奴を救いたいのが人情だろう。どうせなら価値がない奴より助ける価値がある奴を助けたいのが人だ。私の場合はそれが金の羽振りだったに過ぎない。
「呪術界の薄汚いところで生まれ育ったから、呪術界にはとっくに見切りをつけてるし呪術師も大抵は嫌いだ。けどお前みたいに真っ当な精神をしてるやつがいることも分かってるつもりだ」
これで全員が全員悪人だったのなら、話は簡単に終わった。私は呪術師が全員憎くなるだけだった。でも世の中は白黒の二色で完結できるほど簡単じゃないし、清濁併せ吞めない奴が生きていくには灰色のものが多すぎる。
「私とお前は似た者同士だ。全く反対のものを見ながら、全く同じような感情をそいつに抱いている」
私は呪術界に産まれた呪術師が嫌いな人間で、夏油は一般家庭に生まれた非術師が嫌いな人間。お互い環境こそ違えど、対象に向ける感情の種類は極めて似ている。
「でも君は……、猿じゃないだろ」
反対のものを見ても、立つ立場は一緒だとでも言いたいのか。まあそこに関してはその通りだ。でもきっと夏油が思ってる以上に、私は非術師の肩を持ってしまっている。
「そうだな。でもずっと猿になりたいと思ってるよ」
縛りも術式も無くこんな死んだ池のような狭い世界の事も知らず、ただ何も知らないで生きている方がよっぽど楽だったと知っているからこそ、尚更だ。
▼四、
蛇神綾寧には絶対に許せない人間が一人いる。他の誰のどんな失態を許したとしても、誰のどんな罪を許したとしても、そいつだけは許せないと心に決めた女が居る。そいつが居なければ自分の人生がどれだけいいものになったか。そいつさえ居なければ自分の人生はどれほど豊かだったか。そいつのせいで自分の人生がどれだけ狂ってしまったことか。
相伝の術式を持っていないことを言われても耐えられた。だってそれは今の蛇神では当主以外に持っている女がいないから、それ以外の誰に言われようとどうでもよかった。
容姿の事をとやかく言われようとも耐えられた。「美しいが一番二番を争うようなそれではない」とこちらを嘲る女どもの顔の方がよっぽど醜いことを知っていたから。
一つのミスをここぞとばかりに突いてくるやつらにも耐えられた。お前たちの方がよっぽど出来損ないだと哂ってやれば気が済んだから。
ヒステリックな母親に完璧で居なさいと教育されても耐えられた。何一つ失敗のないようにしなさいと厳しい教育を積まされても、それがやがて自分の武器になると思えば耐えられた。
蛇神綾寧が一番堪えがたいのは、滅んだ分家の姓を頂いてのうのうと生きる自分の従姉妹だった。蛇神の座敷牢で使い潰されていればよかったのに、使い勝手の悪い天与呪縛の抜け穴を通って自分が蛇神に使い道があると知らしめて、蛇神から金を巻き上げてのうのうと猿の振りをしながら生きているあの女が大嫌いだった。
あの薄汚い従姉妹は良くも悪くも蛇神の中のパワーバランスを狂わせた。当主に優秀な卵があれば劣った胎でも使えると売り込んだあの女のせいで、生まれ持った素質で立場が決まっていた蛇神のヒエラルキーは崩壊した。あの薄汚い女に金さえ積めば、自分たちも“蛇神の胎”になれる可能性があると思った連中はこぞってあの女に縋った。しかしそれも、優秀な胎ではない女たちの醜い行いだと思って綾寧は嗤っていられた。生まれながらに高い素質を持っていた自分は、あんな女に縋らなくてもやっていけると分かっていたから。
優秀な胎である自分は、五条家に嫁ぐのだと思っていた。当主も数百年ぶりに生まれた六眼と無下限術式の抱き合わせである五条悟のもとへ綾寧を送るつもりでいた。家柄もよく力もあり、容姿だって美しいその男に自分が嫁ぐことを綾寧は「当たり前」だと思っていた。だが、当の五条からの反応は芳しくない。見合いにも顔を出さず、本家に取次ぎを頼んでも取り付く島もなく、したためた手紙にも何一つ返事を寄越さない。一度無理をして五条が通う呪術高専へと赴けば、「誰だよお前」の一言から会話が始まり、こちらのことなど一つも興味がないと言わんばかりの態度で接され最後には「ウザいから二度と顔を見せんな」の一言で終わった。 “蛇神の胎”が無ければいくつの家が危機に瀕したと思っている。いくつの家が術式を失う危険にさらされたと思っている。お高くとまっている御三家でさえ、蛇神の女を頼らなかったことは無かった。五条のそれは、“蛇神の胎”として他所に嫁いでやってる蛇神の女に対する最高の侮辱だった。
でもなにより綾寧にとって屈辱であったのは、東京の呪術高専へと赴いた帰りに車内から見えた薄汚い従姉妹とその横を歩く夏油傑の姿だった。
綾寧が五条に嫁ぐ代わりに、一般家庭出身の夏油にはあの薄汚い従姉妹の胎から卵を宛がうことになっていた。それは蛇神の一存で決まった綾寧の話とは違い、呪術界の上層部たち下された話だった。しかしそれは結果的に何も知らなかった夏油があの女を見合いの相手だと思って交際をするというところに落ち着いてしまった。上層部はあの従姉妹がただの分家の女だと思い込んでいるためこの状況を喜んだが、蛇神の家はあの女に煮え湯を飲まされたも同然だった。
だがしかし、天与呪縛を失えば自分の命に価値が無くなることをあの女も十分に理解しているだろうと蛇神の家の人間は思っていた。加賀地湊という人間の価値は、あの胎から生み出される卵以外に存在しない。故に彼女が夏油と交際していようとも、決して天与呪縛を失うような真似をするはずがないとタカを括った。いずれ自分の身可愛さに夏油から手を引いて、他の蛇神の女を宛がえるようになるだろうと思っていた。綾寧もその一人だった。
けれど車窓から見えたあの二人に綾寧はどうしようもなく嫉妬した。
気兼ねなく隣同士を歩くその姿が、他愛もない話をしているだろうその姿が、お互いに気を許しているのだろうと分かるその姿が、なによりも鮮明に映った。まるで本当の恋仲のように並ぶ二人に自分と五条のそれが対比されて、憎悪が膨らんだ。
なぜあの女の方が上手くいくのか。なぜあんな女の隣で、穏やかな顔をして歩くのか。どうしてお前みたいな女に、私が劣っているのか。その呪縛以外なにも持っていないのに、なぜ持っている自分が負けるのか。
夏油の視線の中にあるたしかな情の色を見抜いてしまった綾寧は、目の前が真っ赤になった。
*
「蛇神の意思よ。これ以上お前を野放しにしておくわけにはいかなくなったの」
堂々と顔に憎悪を滲ませる従姉妹に、嘘つけと心の中で呟いた。
大学の帰り、特に所属するサークルも無く社会人になれないと分かっているから就活もせずのうのうと午後の時間を怠惰に過ごしていた所、いかにもテンプレートな誘拐よろしく捕まった。隣に突然止まった車に引きずり込まれて、目隠しやら猿ぐつわやらとにかく拘束をされて連れて行かれた先は廃屋。場所は分からないが閉められたカーテンの隙間からから見える緑の多さや、鳥のさえずりからしてなんとなく都会や海辺の近くよりは山の方を連想した。
見張りの男は三人か。視界の内には二人しか見えないが、後ろに三人目が居るんだろう。私を掴まえたのは二人だったが、運転手が居ないと数字が合わない。
丁度攫われる瞬間夏油と通話している最中だったから、恐らく向こうも異変を感じ取っているとは思う。だがそれでも位置情報までは与えてないので探すのは難しいだろう。はてさてどうしたものかなと、縛り付けられた椅子に座りながら目の前に仁王立ちする従姉妹を見上げる。
蛇神綾寧。私の腹違いの妹。優秀な母親から生まれた優秀な娘。相伝の術式を持っていないが素質が高いので五条に嫁げば優秀な胎として、そうでないのなら次期当主としての未来がほぼ決まっている蛇神の女としての人生の中ではかなり恵まれているだろうこの三つ下の従姉妹は、私のことが大嫌いだ。それはもう、蛇蝎のごとく。
「契約の内容と違うな」
「そんなの後からいくらでも書き換えられるじゃない。お前を始末してからでもなんとでもなるわ」
「なるほど、お前の独りよがりの行動ってことか。クソババアならこんな下策打つはずがない」
グッと黙り込んだ綾寧を嗤ってやる。お前の事だからそうだと思ってた。狡猾な女どもなら、もっと手酷くやる。それこそ大学卒業と共に私を蛇神の家に引きずり込むのが妥当だと思ってるだろう。こんな突拍子もなく誘拐紛いなことはしないはずだ。
手入れの行き届いた艶やかな黒い髪も、十人いれば十人が振り返るだろう容姿も、仕草も、纏う服すらも完璧な私とは全く違う世界で生きる腹違いの妹。蛇共に愛されて蛇らしく育った、私が一番憎らしい典型的な蛇神の女。ただその若さゆえか、狡猾というには頭が足りてない若い蛇だ。
「夏油様と別れて頂戴」
「アレは私に与えられた正式な“見合い”だ。お前が口を出すことじゃない」
「別にお前にとっても悪い話ではないはずよ。お前が卵を生む胎として生きていくのに、夏油様は邪魔でしかないことくらい分かっているでしょう」
まあそうだなと思いつつ、口には出さないで置いた。それを図星と捉えたのか、勝ち誇ったような笑みを浮かべる綾寧に単純だなと心の中で零した。
「第一、特級術師相手にお前を宛がうなんて間違っているのよ。ご当主様も耄碌なさったのね」
「分家に押し付けた出来損ないから産まれた女に縋ってないとやっていけない家の癖して、随分な物言いだな」
ギロ、と音がついたような目で睨みつけられたがどこ吹く風だ。
「蛇神は……お前如きに頼る家じゃないのよ」
「それは優秀な胎として生まれたお前の話だろ?私が外でのうのうと生きていられる程度には蛇共が私を必要だって分かってんのか?」
「五月蠅い!薄汚いなんの教養も素質もない縛りしか持ってないお前に、言いようにされる家じゃないのよ!」
「現実を見ろよクソガキ。蛇神は私が居ようが居なかろうが先細って滅んでいくって決まってんだよ。大体私にちょっかいかけてる暇があるなら蛇神らしくさっさと五条を懐柔したら――、」
言葉を全部言い終わる前に、顔を叩かれた。無駄にいい音がしたなと綾寧の方に視線を戻せば、顔を赤くしてこちらを睨みつけていた。彼女の荒い息にああ地雷を踏んだんだなと心の中で笑う。お前が五条に相手にされてないことくらい知ってるんだよ。
「お前なんかに五条様の何が分かるって言うのよ……!」
「分かるさ。本人に聞いたからな。心底ウザがってたぞ」
「黙れ!」
同じ頬にもう一発張り手が落ちて来た。じくじく痛む頬と咥内に感じた血の味に、口の中が切れたなと察して血を吐き出す。
男どもは綾寧の傀儡なのか黙ってこっちを見ているが、視線に憐れみの情が乗っているのが見えて、自然とこいつらが分家の男だと察せられた。一般人に紛れて暮らす分家とはいえ、こちら側に素質のある人間は召し抱えられて下男扱いされるのが蛇神を取り巻く現状だ。相変わらず反吐が出る。
「なんでアンタなのよ……!なんでアンタの方が、蛇神の女でもないお前がなんでなんでなんで……!」
綺麗に結われていた髪の毛を掻き毟る綾寧の姿は、いつぞや本家で見た綾寧の母親のそれとそっくりで、ヒステリックなところも親譲りかと冷静に考えた。コイツは人と自分を比較して自尊心を満たすところも、それが上手くいかないと周囲に当たり散らかすところも、皆母親に似た。
「アンタのせいで全部滅茶苦茶なのよ?アンタさえ居なければ、アンタさえ居なかったら私はもっと幸せだったのに……、幸せだったのに!」
「私だって好きでこんな体に生まれたわけじゃない」
「うるさい煩い五月蠅い!」
首に伸びて来た細い手に、流石にマズいと思ったのか見張りの一人が近づいて止めに入ろうとする。けれど綾寧はそんなこと気にもせず私の首に手をかけた。
「殺してやる!アンタなんか殺してやるっ!薄汚い分家の女の分際で蛇神を弄んだ売女がっ!」
「やれるもんならやってみろよ!私の胎に縋って生きる意地汚いクソ蛇が!私を殺してお前も殺されればいいさ!」
怒りそのままに私の首を締めればいいのに、流石に自分が殺されるとなると命が惜しいのか、気管を圧迫する手は一定以上の力が籠められない。私を勝手に殺せば、蛇神の全ての女を敵に回す。今まで見下してきた女たちからも、話にならないと相手にしなかった女たちからも、そして蛇神の当主からも。そうなればいくら優秀な胎として育って来た綾寧とはいえ一溜りもない。
命惜しさか首から離れて行った手に反してギラギラと燃える憎悪の目は、戦意を喪失することなくこちらを射殺さんばかりに睨み続けている。
「……気が変わったわ。死ぬなんて生易しいことはしない。お前には絶望をくれてやるわ。アンタが現代の技術を利用したように、私達だって利用すればいいのよ。お前の人格を殺して、座敷牢で卵を生むためだけの生き人形にでもしてしまえば、ご当主様も怒らないわ」
名案ねとうっそり笑う綾寧に、確かにそちらの方が絶望的だなと冷め切った脳みそが告げていた。
「ハハ、そうだな。そっちの方がよっぽどクソったれだ」
「今更命乞いをしても無駄よ」
「誰がするか」
命乞いなんてしないが、生きてても自由で居られないならば死んだ方がマシだ。思えば、もともとこんな人生要らなかった。一回目で終わっていれば、全部よかった。私が生まれなければ、死ななかった人がたくさん居た。苦しまなくてよかった人がたくさん居た。私の前に浅ましい欲望を曝け出す女どもも、知らなくて済んだ。ここから先が地獄だっていうなら、地獄を見る前に終わらせてしまった方がよっぽどいい。
この家にかどわかされてから、ずっと感じていた気配がある。おぞましく冷たい呪霊の気配。このやり取りの間、狡猾に息を潜め続けて来た呪霊の気配。きっとその気になれば私達五人をあっという間に殺せるだろうに、甚振って殺したいのかずっと黙って家の中に潜んでいるその性根の悪い存在に、私はずっと気づいていた。
「……、ここにいるぞ」
「は?気でも狂ったの?」
「お前に言ってるんじゃない。此処に居る奴に言ってんだよ」
エサはここに居るぞと言わんばかりに呪力を溢れさせて零せば、板張りの床からぞわぞわと黒い影が広がっていく。山中の廃屋、生活感の残っている気配、そして何よりもあちこちに飛び散った残穢が私には見えていた。多分バレにくいってことでこの家を適当に調べもせず選んだんだろう。衝動的な犯行だったに違いない。それが間違いだったな。こういう家には大抵碌でもない呪霊が憑いてるんだよ。きっとそんなことも教えられず育ったんだろうけどな。
「蛇神は呪術に秀でないことは知ってるんだ。幾ら優秀なお前でも、一級呪霊なんて祓ねぇよなぁ?」
蛇神は胎の家系だ。呪術師としての家系じゃない。だから蛇神の女には呪力が備わっていても祓う力……呪術師としての強さがない。
流石に異常な事態に気づいたらしい見張りたちが綾寧を私から引き離すが、もう遅い。この家の中はきっとこの呪霊のテリトリーだ。その中に居る以上はお前らだって逃げられやしない。
私の背後を見て怯える綾寧たちが心底滑稽で嗤ってやる。一体どんな呪霊だか知りたくもないから振り返らないが、死ぬなら道連れにしてやるさ。
「どうせなら一緒に死ねよ、クソガキ」
*
拘束を解かれて椅子から立ち上がれば、徐に抱きしめられた。その感覚に、なんとなく事態をゆっくりと飲み込む。
「……生きてるな」
「生きてるも何も、助けたんだよ」
虹色のとぐろに覆われた中でこちらの存在を確かめるようにきつく抱きしめてくる夏油に、助けられたんだなと理解した。同時に死に損なったなとも考えたが、それを口にするのはやめた。せっかく私を助けに来た夏油の前で、それを言うのは野暮だ。
あの直後、突然家が天上から崩壊したかと思えば瞬く間に虹色の体にとぐろを巻かれていた。虹色と言えば思い当たるのが一つだけあるが、ひょっとすると私が甦らせたのはこの呪霊か。
「よく場所が分かったな」
「虹龍に君の呪力を追わせたんだよ。幸い、高専からもそう遠くは無かった」
「そんなことできるのか」
「普通出来ないよ。多分君が甦らせたから、君の呪力が分かったんじゃないかな」
何にしても随分と都合よくことが回ったなと、思いながらいい加減離してほしいと夏油を見る。肩口に顔を埋める夏油の心臓の鼓動がやけに速い。
「勝手に死なないでくれ。君に死なれると困る」
お前も蛇神の女どもと似たようなことを言うんだな。自然とそう思った。けれど声に滲む情が確かにこちらの存在に安堵しているものだと気づいていたから、絶望するのではなくて、代わりに呆れの感情が湧いた。そんな大層な事を思われるほど、私は救い甲斐のある人間じゃない。
「……そんな大層な生き物じゃない」
「うん。でも置いて逝かないでよ」
死なれると困るともう一度繰り返した夏油に、馬鹿だなと素直に思った。
虹龍と呼ばれていた大きな躰がとぐろを解くと、無残にも倒壊した家の残骸が散らばっていた。呪霊はどうしたと聞けば虹龍が食べたとのんきに言われる。なるほど、この龍も一級呪霊か。どうりでやけに呪力を食われたと思ったんだよな。
「……おい、私以外の人間はどうした」
「知らないよ。興味ないし」
「帳も降りてないが、降ろさなくちゃいけないんじゃないのか」
「山奥だから大丈夫だって」
今のやり取りだけで大分夏油のクズ具合が透けたなと思ったが、まあ元からこんなだったなと気を取り直した。まああの見張りどもも下男とはいえ呪力を持っていることが大前提だ。多分崩落から上手く抜け出しただろうと思っていた矢先、瓦礫の中から綺麗な着物を汚しまくった綾瀬たちが出て来た。悪役よろしく妙にしぶといな。
「ああ、綾寧さん。居たとは気づきませんでした」
最初の見合いの時に張り付けてたような胡散臭い笑顔でボロボロの綾寧に話しかける夏油に、綾寧の顔は真っ青になる。
「電話中に婚約者の方で異変が起きたものですから慌てて駆け付けたんですが、なにかありましたか」
「い、いえ……なにもありません。なにも……」
「そうですか。綾寧さんも無事で何よりです」
絶対心の底から思ってない。なんなら死ねばよかったのにくらい思ってそうだ。いい加減夏油の腕の中から解放されたいなと背中に腕を回し背中を叩いて合図するも、かえって気をよくしたのか抱きしめる力を強くされた。圧殺したいのか?
「じゃあ私たちはこれで失礼しますが、生憎と大切にしている者に手を出されて大人しくしていられるほど人が出来てませんので、」
――次は、手元が狂いますよ。
▼終幕、
夏油が保持しているペリカンのような呪霊の口に乗り込んで向かったのは、高専ではなくて私の家だった。もう何度も来てるから場所を知ってるとはいえ、勝手知ったると言わんばかりに通路を進んでいく夏油に引っ張られて帰宅する。そういえば攫われる時に大学用の荷物を道に落としてきてしまったんだが、アレは一体どうなったんだろう。携帯も落としたし、財布も落とした。明日にでも警察に届け出ようか。ポリの世話になれば蛇神家も大慌てになるだろう。きっと綾寧は今日の事をクソババアどもに黙っているはずだから、そうなったらもう目も当てられないに違いない。いい気味だ。
「……シャワー浴びて来ていいか」
「いいよ。待ってるから」
何を待つのか分からなかったが、今日一日碌な目に遭わなかったなと思ってさっさとシャワーを浴びた。排水溝に流れていくお湯を眺めながら、ふと下腹部に触れる。
いつまで。この関係で居られるのか。
夏油と恋仲の振りをしていられるのは、そう長くない。だから綾寧が夏油と別れろと言った時の言い分はおおむね間違ってはいなかった。ただあの場でそれを認めると、今日までの偽装が全て水の泡になってしまうから黙っていただけで、アイツの言っていたことは正しい。
私が生きてられる理由は間違いなくこの胎だ。呪いを受けたこの身体があるおかげで、私は生きていられる。でもそれは、夏油と一緒に居ることと並んで扱える話じゃない。結局、私は自分の身可愛さに夏油から離れることしか選択肢が残っていない。そうしたって一年後には、きっと自分から死を選んでいるのかもしれないけれど。
変なことを考えたなと思って着替えを取りに自室へ向かえば、何故かリビングではなくて自室のベッドに腰掛けていた夏油に捕まえられる。性的な気配なんて微塵も感じさせない抱擁の癖に、なんで私が全裸でないといけないんだろうか。
「服が着たい」
「後でいいよ」
「よくねぇから言ってるんだ」
「どうせ脱ぐって」
「……は?」
とりあえず頭をひっぱたいていつも通りの服を着れば、やっぱりどうせ脱ぐのにと笑われた。何笑ってんだお前とは思うが口には出さず(たぶん顔には出てた)、こっちおいでと隣を手で叩かれるので座ってやる。ベッドサイドに置いてあった煙草を手に取って火を着けて、煙が充満しないように立ち上がって窓を開けに行く。攫われたのが午後の事だったからかもう日が暮れきりそうだった。
「ずっと考えてたんだけどね、私は猿が嫌いだ」
「ああ、うん。そんな気はする」
「でも私はその猿から産まれたことも分かっているし、全員が全員クソみたいなやつじゃないってことも分かってるつもりだよ」
こっちに戻っておいでとまた隣を叩かれるので大人しくそこに座ってやる。
「でもたまに、本当に守るべきか分からなくなるんだ。呪術師とは本来、非術師を守るためにあるんだと分かっていても、その行為に意味が見いだせなくなる。あんな奴らの為に呪術師が命を使い潰す必要があるのかって、考えてしまうんだ」
嗚呼やっぱり、真っ当な人間なんだなと、改めてそう思わされる。そしてとても優しい人間だなとも思う。
広い視点の持ち主だ。己という個ではなくて、呪術師という群を見れる目の持ち主だ。呪術師全員の意思を夏油一人が語っていいかは別として、大局を見れることは無用な事ではないと思う。ただ、呪術界という大局を覗き見ることはすなわち先細っていく未来を覗くこととほとんど一緒だったってことをコイツは失念していたんだろう。目先の物事に囚われていた方が、こういった薄暗い世界は気楽でいられるのに。
「だから、君が判断してくれないか」
「……あ?」
「君が私の指針になってくれれば、私はこの世界でも多分息をしていられると思うんだ」
笑う夏油の顔はいつも通りだがどこか草臥れていて、それがいつぞやの隈がべっとりとついていた日の夏油の顔を思い起こさせる。それはつまり、そういうことだろうな。
「私を善悪の指針にするのは間違ってるぞ」
「でも少なくとも私よりは真っ当で、猿寄りの思考をしているだろ。私はもう息が出来ないし、善悪の区別もできない。その内猿を殺して回るかもしれない」
「……だからなんだ、私の言いなりになるとでも言いたいのか。私が殺すなって言ったら本当に殺さないとでも?」
「うん。君がダメと言うなら止まるよ。辞めろって言ったら辞める。だってそれで止まっても、それは私の責任ではないからね」
「クソだな」
「クソったれだよ。清濁併せ吞むのは苦手なんだ。知ってるだろ?」
縛ってもいいよと笑う夏油に、素直にイカれてるなと思った。いや、イカれてしまったのか。少なくとも見合いだと思ってあったあの頃には、コイツはこんな風に狂っていなかった。
確かに私はもう少し楽に息が出来ればいいとは言った。でも自分が楽になるために善悪の指針を人に投げるのは、流石に常人の考えじゃない。右も左も分からないガキじゃあるまいし、ましてや人の命がかかるような事をしている人間が、善悪の指針を他人に丸投げするなんて、それこそイカれてないと出来ないだろう。クズであったとはいえ常人であった夏油であれば、尚更。
「お前の言い分は分かった。でもそれは私でなくてもいいはずだ。私に纏わりつくものの面倒くささはお前が一番知ってるだろ」
蛇神というめんどくさい柵を持った私でなくて、もっと別の都合のいい人間を探せばいい。それこそ同級生でも頼ればいい。五条の性格を考えると難しいだろうが、もう一人女子生徒が居たはずだ。
せいぜい、私が補助監督にでもなれれば話が変わるかもしれないが、蛇神の事だ。今回起こした綾寧の一件で私への目が厳しくなる可能性だってある。
「……これもずっと思ってたことなんだけどさ」
「ああ」
「君を抱きたいんだけど、それって許されるかな」
「は?」
は?
固まった私から煙草を取り上げて灰皿に押し付けた夏油がそのまま私をベッドに押し倒す。見上げる顔はいつものそれと変わりないのに、どうしてか喜悦の色が混じっている。……は?
「抱けないって散々教えたんだが、聞いてなかったか?」
「君の縛りなんて知らないさ。私のものになればもう卵を売る必要なんてないし、そうなったらそんな縛りなんてない方がいいだろ?」
まあ、一理ある。一理あるが大前提として私が夏油のそれに了承する前提で話をするのを辞めろ。頭沸いてんのか。
「君を手放さない為なら、私はなんでもできるよ。蛇神を敵に回したっていい」
「……正気じゃないな」
「正気だよ。君が居なくなって緩やかに滅びていく蛇神を見て楽しめる程度には正気さ」
「そういうのはイカれてるって言うんだよ」
そうかもね。なんて穏やかに返事をする夏油を頬に手を伸ばす。
「私はお前の都合のいい女ってわけか」
「私だって君の都合のいい男だ」
「ハハ、違いない」
というわけで、今から君を抱くけど、覚悟できてる?
うっそりと笑う夏油を見上げながら、これも一興だなと受け入れた。地獄を行くのなら隣を歩かせる人間が一人くらいいても悪くない。どうせどちらもお互いを利用する気しかないんだから、今更だ。
「こんなんでも初めてなんでな、優しくしてくれ」
▼アルテミスの墜落
「てっきり、終わったら煙草を吸うんだと思ってた」
ベッドに腰掛ける彼女にそう言えば、あー、と間延びした返事が返ってくる。手酷く抱いた覚えはないがそれなりに抱き潰した自覚はあるのに、湊はしれっと立ってシャワー浴びに行ったし今も平然とベッドに腰掛けている。何が気に入ったのか夏油の学ランを肩にかけて座るその姿にはクるものがあるが、多分これ以上抱いたらしばらく相手にされなさそうなのでやめた。
「縛りが効いてるうちは、どれだけ酒を飲もうが煙草を吸おうが、身体の方が常に最上の状態で在ろうとして毒素を受け付けなかったんだよ。じゃなきゃあんなに吸わない」
もう違うけどな、と手持ち無沙汰なのかジッポを弄る彼女の背中を眺める。
毒素を受け付けないということはニコチンに体を侵されていないということなんだろう。彼女の家は清潔感があるのにやけに煙草の匂いが残っていることが多い。大抵はキッチンで換気扇を回しながら吸ってるからそんなことは無いと言っていたが、それでも一日で一箱二箱平気で潰すような喫煙者であったらしい彼女のことを考えればそれだけ吸いながら肺が一切汚れていないのは流石縛り故の恩恵だと言えるだろう。硝子が知ったら多分死ぬほど羨ましがっただろうに。
「これからは口寂しくなるな」
飴でも舐めるかとぼやく彼女の肩を叩いて振り向かせる。振り向いた無防備な唇に自分のそれを重ねてから離れれば、ぱちぱちと幼い仕草で目を瞬かれた。
「これで代わりになる?」
その問いかけに、彼女は愉しそうに口を歪ませた。
「もちろん」
▽加賀地湊(22)
天与呪縛持ちだった女。
正直言って生存意欲が低い。かなり低い。生きていられるならそれでいい位の気持ちしかない。生存意欲は無いが、自死を選ぶのは自分の為に殺された人たちに申し訳が立たないと思っているので自殺はあんまり考えていないが、最後の手段としては常に頭に置いてある。
自分に善悪の指針を投げて寄越した夏油を馬鹿だなと思いつつ、仕方ないから握っておいてやろうという程度には情がある。今後の頭痛の種が「蛇神」から「夏油」に変わるだけ。
蛇神家から目の敵にされるし「裏切り者」って罵られるけど「裏切りってのは信頼がある前提の話だろ?私とお前らにあったのは金のやり取りだけで、信頼なんてもんは無かったじゃねぇか。遂に頭でも沸いたか?」くらい平気で言う。
恋愛感情があるかどうかは分からないが、捕まっておいてやろうという気概はある。逃げた方がきっと碌でもないことになるだろうなと予想が付いているので逃げることはしない。ただし夏油が他の女に浮気したら死んでやるかとは考えてる。なにせ現世の楔が「夏油傑」しかいないから。
▽夏油傑(17)
自分がもうちょい楽に生きる為に、自分のリードをそこに居た都合のいい女にプレゼントした。相変わらず呼吸がしにくい世界だが、少なくとも心の底から笑っていられる場所は一個出来たので良し。
猿は嫌い。でも殺しはしない。なんでかと聞けば笑顔で「だって湊が殺すなって言うからね」と答える。人命に関することはなんでも湊の選択に委ねている。定期的に「殺していいかな」「やめとけ」みたいなやり取りしてて五条の胃痛の原因になる。
道を踏み外さなかった代わりに壊れた。多分湊が死を含めるなんらかの理由で居なくなったら離反する。
蛇神家から目の敵にされるけど「はい?彼女の天与呪縛?ちょっとよく分からないですね。何か言いたいことがあれば呪術界中に聞こえるくらい大きな声で言って貰っていいですか」くらい言うし、どこ吹く風で湊を隣において生きる。
恋愛感情があるかどうかは分からないが、クソデカな執着心はある。そんなことしないと分かっているが、逃げられたら捕まえるし多分足の腱を切って「君が居ないと息が出来ないって言っただろ?」くらいは言う。
▼蛇神家
加賀地湊を失ったことで今いる結婚適齢期の女を“蛇神の胎”にしてしまう企ては台無しになり、本命の蛇神綾寧は五条にすげなくされまくって、緩やかに十年単位で滅んでいく。呪術界は実力社会・利益社会なので、利用価値が無くなったら生きていけない。
(この後湊はなんやかんやで夏油専属の補助監督をすることになり、夏油の善悪の指針として傍に居続けることになる。精神分析が出来ないSAN値の低い夏油と、精神分析が出来るSAN値の低い湊のコンビが誕生。将来的に五条が夏油のたくさんの行動に沢山頭を抱える破目になるが、離反はしないのでハピエン。ハピエンとは)