走ったのはよくわからない。
走れメロスのパロです。
ファル子は激怒した。
必ずかの邪智暴虐のトレーナーを除かなければならぬと決意した。
ファル子には政治がわからぬ。
ファル子は、巷のアイドルである。
歌を歌い、踊りをこなしてきた。
けれどもアイカツに対しては、人一倍に敏感であった。
きょう未明ファル子は寮を出発し、駅を越え橋を越え、1kmはなれたこの町にやって来た。
ファル子には父も、母も無い。
女房も無い。
1人の、数少ないファンを持つ。
ファンは近々、カレンチャンのファンになるらしい。
断髪式も間近なのである。
ファル子は、それゆえ、涙をこらえて、はるばる町にやって来たのだ。
先ず、呪いの品々を買い集め、それから町の大通りをぶらぶら歩いた。
ファル子には竹馬の友があった。
エイシンフラッシュである。
今はあの寮で、一緒に暮らしている。
ついでに土産でも買うかと。
久しく(数時間)逢わなかったのだから、お土産の反応が楽しみである。
歩いているうちにファル子は、町の様子を怪しく思った。
ひっそりしている。
もう既に日も落ちて、町の暗いのは当たり前だが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、町全体が、やけに寂しい。
のんきなファル子も、だんだん不安になって来た。
路で逢ったツインターボをつかまえて、何かあったのか、二日前にこの町に来たときは、夜でも皆が歌をうたって、まちは賑やかであった筈はずだが、と質問した。
ツインターボは、首を振って答えなかった。
しばらく歩いてたづなさんに逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。
たづなさんは答えなかった。
ファル子は両手でたづなさんの身体をゆすぶって質問を重ねた。
たづなさんは、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。
「トレーナーは、ウマ娘をレースに出します」
「どうしてレースに出す」
「マニーを稼ぐ、というのですが、誰もそんな、マニーを持っては居りませぬ」
「たくさんのウマ娘をレースに出したのか」
「はい、はじめは覇王を。
それから、御自身の生き別れの血のつながらない妹を。
それから、御自身の生き別れの血のつながらない母を。
それから、御自身の生き別れの血のつながらない母の御子さまのタマモクロスを。
それから、皇帝様を。
それから、帝王様を」
「おどろいた。
トレーナーは狂ったか」
「いいえ、乱心ではございませぬ。
人を、マニーが足りぬ、というのです。
このごろは、臣下の財布をも、お疑いになり、少しく派手な暮しをしている者には、マニーを差し出すように命令されます。
御命令を拒めば予約の入ったレースに出されます。
今日は、6レース出されました」
聞いて、ファル子は激怒した。
「呆れたトレーナー。
生かして置けぬ」
ファル子は、単純な女であった。
買い物を、背負ったままで、のそのそトレーナー室に入って行った。たちまち彼女は、素手のトレーナーに捕縛された。
調べられて、ファル子の懐中からは五寸釘が出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。
ファル子は、トレーナーの前に放り出された。
「この五寸釘で何をするつもりであったか。
言え!」
暴君トレーナーは静かに、けれども威厳をもって問いつめた。
その王の顔は蒼白そうはくで、眉間の皺は、刻み込まれたように深かった。
「ウマ娘達を暴君の手から救うのだ」
とファル子は悪びれずに答えた。
「おまえがか?」
トレーナーは、憫笑した。
「仕方の無いやつじゃ。おまえには、懐の寒さがわからぬ」
「言うな!」
とファル子は、いきり立って反駁した。
「ウマ娘を連続でレースに出すのは、最も恥ずべき悪徳だ。
トレーナーは、ウマ娘の忠誠をさえ疑って居られる」
「レースに出すのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。
寒い懐は、あてにならない。
ウマ娘は、もともと私慾のかたまりさ。
信じては、ならぬ」
暴君は落着いて呟つぶやき、ほっと溜息をついた。
「わしだって、平和を望んでいるのだが」
「なんの為の平和だ。
自分の地位を守る為か」
今度はファル子が嘲笑した。
「罪の無いウマ娘をレースに出し続けて、何が平和だ」
「だまれ、ローカルアイドル」
トレーナーは、さっと顔を挙げて報いた。
「口では、どんな清らかな事でも言える。
わしには、人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。
おまえだって、今に、レースに出され続けて、泣いて詫わびたって聞かぬぞ」
「ああ、トレーナーは利口だ。
自惚れているがよい。
私は、ちゃんと走る覚悟で居るのに。
命乞いなど決してしない。
ただ、――」
と言いかけて、ファル子は足もとに視線を落し瞬時ためらい、
「ただ、私に情をかけたいつもりなら、処刑までに三日間の日限を与えて下さい。
たった一人のファンに、とどめを刺してやりたいのです。
三日のうちに、私は町で真っ赤な花を咲かせて、必ず、ここへ帰って来ます」
「ばかな」
と暴君は、嗄しわがれた声で低く笑った。
「とんでもない嘘を言うわい。
逃がした小鳥が帰って来るというのか」
「そうです。帰って来るのです」
ファル子は必死で言い張った。
「私は約束を守ります。
私を、三日間だけ許して下さい。
ファンが、私の帰りを待っているのだ。
そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にエイシンフラッシュというウマ娘がいます。
私の無二の友人だ。
あれを、人質としてここに置いて行こう。
私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人をレースに出して下さい。
たのむ、そうして下さい」
それを聞いて王は、残虐な気持で、そっとほくそえんだ。
生意気なことを言うわい。
どうせ帰って来ないにきまっている。
この嘘つきに騙された振りして、放してやるのも面白い。
そうして身代りのウマ娘を、三日間にレースに出すのも気味がいい。
人は、これだから信じられぬと、わしは悲しい顔して、その身代りの男をレースに出してやるのだ。
世の中の、正直者とかいう奴輩にうんと見せつけてやりたいものさ。
「願いを、聞いた。
その身代りを呼ぶがよい。
三日目には日没までに帰って来い。
おくれたら、その身代りを、きっとレースに出すぞ。
ちょっとおくれて来るがいい。
おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ」
「なに、何をおっしゃる」
「はは。
いのちが大事だったら、おくれて来い。
おまえの心は、わかっているぞ」
ファル子は口惜しく、地団駄踏んだ。
ものも言いたくなくなった。
竹馬の友、エイシンフラッシュは、深夜、トレーナー室に召された。
暴君トレーナーの面前で、佳よき友と佳き友は、20分35秒ぶりで相逢うた。
ファル子は、友に一切の事情を語った。
エイシンフラッシュは無言で殴り、ファル子をひしと抱きしめた。
友と友の間は、それでよかった。
エイシンフラッシュは、正座した。
ファル子は、すぐに出発した。
初夏、無駄に暑い昼である。
ファル子はその日、路を急ぎに急いで、隣町へ到着したのは、陽は登り切っていた、町人たちは仕事をはじめていた。
ファル子のファンも、今日は仕事に向かおうとしていた。
よろめいて歩いて来るファル子の、疲労困憊の姿を見つけて驚いた。そうして、うるさくファル子に質問を浴びせた。
「なんでも無い」
ファル子は無理に笑おうと努めた。
「トレセン学園に用事を残して来た。
またすぐ向こうに行かなければならぬ。
おまえを殴り倒す。
早いほうがよかろう。」
ファンは顔を白くした。
「うれしいか。
綺麗きれいな衣裳も買って来た。
さあ、これから行って、村の人たちに知らせて来い。
祭りは、今だと」
ファル子は、また、よろよろと歩き出し、家へ帰って神々の祭壇を飾り、祝宴の席を調え、間もなく柱へと藁人形を押し付け、五寸釘をぶっ刺した。
五寸釘が根元まで刺さったのはすぐだった。
ファル子は起きてすぐ、ファンの家を訪れた。
そうして、少し事情があるから、ぶん殴りに来たと頼んだ。
ファンの親は驚き、それはいけない、こちらには未だ何の仕度も出来ていない、釘バット作るから待ってくれ、と答えた。
ファル子は、待つことは出来ぬ、どうか今にしてくれ給え、と更に押してたのんだ。
ファンの親も頑強であった。
なかなか承諾してくれない。
10分13秒、やっと、どうにかファンの親をなだめ、すかして、説き伏せた。
祭りは、真昼に行われた。ファンと親の、ファル子への宣誓が済んだころ、黒雲が空を覆い、ぽつりぽつり雨が降り出し、やがて車軸を流すような大雨となった。
祝宴に列席していた村人たちは、何か不吉なものを感じたが、それでも、めいめい気持ちを引きたて、狭い家の中で、むんむん蒸し暑いのもこらえ、陽気に歌をうたい、手をうった。
ファル子も、満面に喜色を湛たたえ、しばらくは、王とのあの約束をさえ忘れていた。
祭りは、拳が乱れ華やかになり、人々は、外の豪雨を全く気にしなくなった。
ファル子は、あと3分22秒ここに居たい、と思った。
このファンが戻ってくれることを願ったが、今は、自分の身体で、自分のものでは無い。
ままならぬ事である。
ファル子は、我が身と元ファンを鞭打ち、ついに出発を決意した。
日没までには、まだ十分の時が在る。
ちょっと休憩して、それからすぐに出発しよう、と考えた。
その頃には、雨も小降りになっていよう。
少しでも早くこの町から出ていきたかった。ファル子程のウマ娘にも、やはり未練の情というものは在る。
今宵呆然、恐怖に酔っているらしい元ファンに近寄り、
「おめでとう。
私は疲れてしまったから、ちょっとご免こうむって帰りたい。
すぐに市に出かける。
大切な用事があるのだ。
私がいなくても、もうおまえにはカレンチャンがあるのだから、決して寂しい事は無い。
おまえのファル子の、一番嫌いなものは、人を疑う事と、それから、嘘をつく事だ。
おまえも、それは、知っているね。
カレンチャンとの間に、どんな秘密でも作ってはならぬ。
おまえに言いたいのは、それだけだ。
おまえのファル子は、たぶん偉いウマ娘なのだから、おまえもその誇りを持っていろ」
元ファンは、気絶しながらうなずいた。
ファル子は、それから元ファンの肩をたたいて、
「仕度の無いのはお互さまさ。
私にも、宝といっては、ファンだけだ。
他には、何も無い。
全部なくなった。
もう一つ、ファル子のファンだったことを誇ってくれ」
元ファンは怯えていた。
ファル子は笑って家族たちにも会釈して、宴席から立ち去り、走り出す。
ぶらぶら歩いて行き、そろそろ全里程の半ばに到達した頃、降って湧わいた災難、ファル子の足は、はたと、とまった。
突然、目の前に一隊の山賊が躍り出たのだ。
「待て」
「何をするのだ。
私は陽の沈まぬうちにトレーナー室へ行かなければならぬ。
放せ」
「どっこい放さぬ。
持ちもの全部を置いて行け」
「私には一握りのマニー以外何もない。
その、たった一握りのマニーも、これから王にくれてやるのだ」
「その、マニーが欲しいのだ」
「さては、トレーナーの命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな」
山賊たち(ゴルシダスカウオッカ)は、ものも言わず一斉に棍棒を振り挙げた。
ファルコはひょいと、身体を折り曲げ回避すると、ゴルシが飛鳥の如く身近かの一人に襲いかかり、その棍棒を奪い取って、
「気の毒だが正義のためだ!」
と猛然一撃、たちまち、二人を殴り倒し、残る者のひるむ隙すきに、さっさと走って峠を下った。
わが身を殺して、名誉を守る希望である。
斜陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。
日没までには、まだ間がある。私を、待っている人があるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。
私は、信じられている。
私の命なぞは、問題ではない。死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。
私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ!
ファル子。
「待て。その人を殺してはならぬ。
ファル子が帰って来た。
約束のとおり、いま、帰って来た」
と大声で刑場の群衆にむかって叫んだ。
トレーナーは彼女の到着に気がつかない。
既にゲート内へと、押し込まれようとしていたエイシンフラッシュは、徐々に奥へと押しやられていく。
ファル子はそれを目撃して、
「私だ、トレーナー! 走るのは、私だ。
ファル子だ。
彼女を人質にした私は、ここにいる!」
と、精一杯に叫びながら、ついに押し込まれていく友の両足に、齧かじりついた。
エイシンフラッシュは、ゲートから出されたのである。
「エイシンフラッシュ」
ファル子は眼に涙を浮べて言った。
「私を殴れ。
力一杯に頬を殴れ。
君がもし私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。
殴れ」
エイシンフラッシュは、馬場一杯に鳴り響くほど音高くファル子の右頬を殴った。
殴ってから優しく微笑ほほえみ、
「ファル子、2分3秒遅い」
ファル子は腕に唸うなりをつけてセエイシンフラッシュの頬を殴った。
「ありがとう、友よ」
二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。
驚きの声が聞えた。
暴君トレーナーは、群衆の背後から二人の様を、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔をあからめて、こう言った。
「おまえらの望みは叶かなったぞ。
おまえらは、わしの心に勝ったのだ。
信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。
どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。
どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい」
どっと群衆の間に、歓声が起った。
「万歳、トレーナー万歳」
ひとりのゴルシが、緋ひのマントをファル子に捧げた。ファル子は、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった。
「ファル子、君は、服がボロボロじゃないか。
早くそのマントを着るがいい。
この可愛いゴルシさんは、ファル子の姿を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ」
勇者は、ひどく赤面した。