【完結】暁美ほむらは悪魔みたいないい子でした   作:曇天紫苑

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私が大切にしなかったすべての友達へ

 目的の水族館は見滝原からそう離れていないが、徒歩でおもむくにはやや遠く、私達は移動手段にバスを選んだ。それが一番安かったからだ。見滝原のバスの一部は屋根にも座席が設けられており、風を感じながら景色が流れていく様は何とも涼やかで、この選択にはまどかも美樹さやかも揃って合意した。

 約束の場所で集合した私達はバスに乗り込んで座り、宿題の話やクラスメイトの話題といった日常的な話題を交わし、それから今日の計画を立てた。目的地に到着するアナウンスが耳に入ったのは、外の景色がほとんど見覚えのなくなってからだった。

 降り立ってみると、停留所のある道路沿いに大きく開けた道があり、そこを真っ直ぐ進んだ先には大きな水族館と看板が見て取れた。休日だけあってやはり大きく賑わっており、子供連れの家族やカップルらしき人物が私達と同じバスから下り、同じ方向へと歩き出している。

 期待感でいっぱいになったんだろうか、私達に遅れて停留所から出た小さな女の子が駆けだして私にぶつかりかけたので、寸前で受け止めた。

 顔を上げた女の子と視線が合う。しかし、私の顔つきが怖かったのか、女の子は不安そうに顔を強ばらせた。

 あやすような笑顔を作ろうとしたが上手く行かず、今にも泣かせてしまいそうだった所で、横からさりげなくまどかが割って入り、同じ目線にまでしゃがんで頭を撫で、優しく声をかけると、女の子は何度か頷いて、心配する家族の元へと戻っていった。

 

「やっぱりまどかは慣れてるねぇ」

「うん、弟がいるからかな、どうすればいいのか何となく分かるの」

 

 あまり見慣れない表情。お姉ちゃんの顔、とでも言うべきか。

 慈悲深い面持ちや、戦いに出向く時の勇気ある優しさとも違う。人の不安や恐怖を和らげ、他者の甘えを許容する広い心が姿を見せていた。

 

「んー? ほむら? ……あっ、ひょっとして子供に怖がられたのがショックだったとか?」

「いいえ、いいえ。ただ、そうね。まどかは凄いなって、そう思っただけよ」

「え、ええー? ちょっと慣れてるだけだよ」

「慣れているだけじゃなくて、貴女は人を安心させるのが上手いの。私にはできない事だもの。それは誇ってもいい事だと思うわ」

「分かるかも。まどかって、こう、普段は守ってあげなきゃーってタイプなんだけど、時々ビックリするくらい心強かったりするんだよね。一緒に居るとなんだか気分が楽になるんだ」

「そ、そうなのかな……それを言うなら、ほむらちゃんもさやかちゃんも、二人とも凄く頼りになるし、カッコいいし……」

「けど、まどかみたいにはなれないんだ。そこは自信持ちなって」

「ええ。彼女の言う通りよ、貴女は、自分で思っているよりもずっとちゃんと特別な存在なのだから」

「う、うー。ほ、ほら! 二人とも水族館、行こ!」

 

 私達の手を握って駆け出すまどかに連れられて、水族館が近づいてきた。水色のラインに魚のペイントが描かれた大きな建物だ。

 入り口で料金を支払って入場券を三人分貰い、知らない人達の流れに合わせて中へ進むと、通路両面の大きな大きな水槽が出迎えてくれた。明かりの中で大きな魚が私達のことなんて知ったことではないとばかりに悠々と泳ぎ、過ごす姿には不思議な愛らしさを思わせた。通路は大きく取られており、私達三人が横並びで歩んだくらいでは何ら邪魔にならないだろう。

 まどかがガラスに顔を近付け、柔らかな歓声をあげた。中にいる小さな甲殻類が僅かに腕を動かして、何か手招きでもしている様だ。どうやらまどかはこれにかわいらしさを覚えた様で、美樹さやかと二人揃って興味津々とガラスの向こうを覗き込んでいた。

 私はといえば、ガラスの向こうの海の生き物より、隣でカニを指さすまどかの面持ちを見ていた。

 ふと、猫カフェで私を見ていた女の視線を思い出す。もしかすると、猫を眺める私を見ていた彼女も、今の私に近い心地だったのかもしれない。

 しかし、まどかの幸せそうな顔を見て、声を聞くと、注意を逸らす事はできなくなった。

 

「ほむらちゃん、あっちも行ってみようよ!」

「あっ、まどか待って……うん、行きましょう」

 

 次へ行こうというまどかに手を引かれ、美樹さやかと顔を見合わせた。

 思った以上に、まどかが高まっている。水族館の雰囲気がそうさせるのか、海の生き物が好きなのか、友達と遊びに行くのが楽しいのか、どれであろうと、こうやって彼女が喜んでくれている事実には変わりはない。

 視線の交差は美樹さやかが機嫌良く頷いて終わり、彼女はまどかへ抱きついて次の水槽へと歩きだした。一緒に楽しもうと決めたらしい。

 館内は広く、三人で単に見て回るだけでも十分に時間を取る規模がある。らせん状の通路を取り囲む大きな水槽は人に矮小さを教え込むような大きさをしており、中には生きている内にこの場以外では目にする事の無いであろう、名前も知らない大きな海の生き物が泳いでいた。それらが動くだけで水が波を打つ音が聞こえるような錯覚があり、目を丸くしているまどかの姿に共感できた。

 どこからか入る光が水槽を青く照らす一方で、通路はほんのりと薄暗い。まどかの顔はよく見えたが、魔法少女でなければ他の客までは目が行かなかっただろう。

 多少の警戒をもって周囲に気を配っていると、家族連れや友達同士、あるいは一人で来ている客達の中に、微かに引っかかりを覚える存在感が紛れているのが気にかかった。気配の先を辿ってみれば、そこには予想通りの女が立って柱に背を預け、こちらに視線を送ってきている。私と目が合うと、彼女は何も言わずに親指を立てた。気にせず楽しんで欲しいと言いたげだった。

 

「ほむらちゃん?」

「あ、いいえ、なんでもないわ」

 

 今度はまどかを見つめてきているのが分かる。その顔色は私に対するものよりも幾分か以上に穏やかだった。美樹さやかには目を向けず、そのまま彼女はウインクを一つ飛ばして魚を観察し始めた。

 片手に持っている手鏡でこちらの姿を確認しているのは、いっそわざとらしいくらいで、気づかないふりをしてくれと言いたげだ。

 まどかに付きまとっていると思うと良い気はしないが、今となってはまどかの様子を常に窺っている私にも跳ね返ってくる。

 そこからは彼女の要望通りに視界へ入れないようにして、まどかの手を握ってゆっくりと歩いた。気づけば美樹さやかは私と腕を組んでおり、たまに頬をつついてくる。

 誰かと水族館に行くのも、懐かしい記憶だった。前に来た時よりも心地良さを覚えるのは、やはり、隣に居るのが彼女達で、良い友達になれているからだろうか。

 うるさくない程度にはしゃぐまどかに寄り添っているうちに、私達はペンギンの像が設置された区画にやってきた。

 目当ての生き物とあってまどかの吐息にはすでに期待と喜びが漏れている。それが耳に入ってくる度、私も彼女の幸せを分けて貰っていた。

 

「見て、ペンギンさん!」

「……これで等身大なら、思ったより大きいわね」

「うーん、触り心地は普通の像かあ」美樹さやかがペンギンの像を撫でた。

「?」

「いや、ほら気になるじゃん。ペンギンの羽毛の手触りってさ」

「普通の鳥さんみたいなのかな?」

「海で泳ぐのだから、水着みたいに固いかもしれないわ」

 

 ペンギンのコーナーは広く取られていた。やはり人気があるのか、真っ直ぐな広い通路は壁の片側のほとんどが頑丈そうなガラス張りになっている。向こう側は冷たそうな白みがかった崖が段になっていて、ペンギン達は水と岩の境界線をぺたぺたと歩き回っていた。

 私達のいる位置よりペンギンの歩いている床の方が高く、自然と見上げる形で観察していると、愛嬌のある顔で意外に低い鳴き声を放つのが聞こえた。

 

「あ、ペンギンって鳴くんだ。なんか、ちょっと意外かも」

「……仲間を呼ぶ時や、求愛に使うらしいわね。声を聞き分けられるそうよ」

「へぇぇ、じゃあ家族とかお友だちとか、やっぱり分かるんだね。ペンギンさん、かわいい……」

「ええ、かわいいわね……」

 

 室内からは分からないがペンギンたちの居る場所は温度を低く調整しているようで、なんとはなしにガラス越しで冷たさが伝わってくる。

 綺麗に別れた白と黒の羽毛の塊が床をよちよちとバランスを取りながら歩いており、丸みのある卵形のフォルムが移動する姿にまどかの瞳が輝く。まだ灰色がかって頭だけが白黒になった子供のペンギンもいて、これがまたとてもかわいらしい。

 

 一羽のペンギンが背を押されるように水の中へ飛び込んだ。野生の世界では、最初に海へ飛び込むペンギンは外敵に襲われやすく、だからこそ安全かどうかを確認する為に海へ飛び込む勇敢さを持つのだとか、あるいは生け贄なのではないかという話を、どこかで聞いた事を思い出した。

 水中が見え、ペンギンの泳ぐ様がよく観察できる。

 何やら仲間意識を感じたようで、私の使い魔の鳥がペンギンに近づいて見事に無視されていた。単に見えていないのだろう。

 説明文に目を通すと、ここにいるペンギンは全員がここで産まれたと書かれていた。当然、一羽一羽に名前があり、どのような性格かもきちんと記載されている。

 今まで意識していなかったが、このペンギンたちも、他の生き物も、水族館で一生を過ごす事になるのだろう。

 ペンギンの説明をしているパネルには、やはり野生での厳しい生活も記されている。ヒナが大人にまで成長出来る確率はさほど高くなく、食べられてしまう事も多いそうだ。

 広い氷と冷たい海の中で、外敵や自然環境に脅かされながら生きるのか、狭い部屋で調整された水に囲まれ、人に観察されながら、しかし身を脅かされず穏やかに生きるのか。

 私としては後者の方が幸せだと言い張りたく、実際に水の中を飛ぶ姿からは満足が見て取れた。

 

「あの子と、あの子。産まれてからずっと仲が良いんだって」

 

 二羽のペンギンが向かい合い、声をあげていた。それはどうやら縄張りを争っているわけではないようで、人間の目から見ても平和的な関係が窺える。

 一緒になって水の中へ入っていき、水中を飛ぶように泳いでいる。彼らには争いも敵もなく、ただただこの水槽の中で仲間と集まり、何か目的があるわけでもないままに水を楽しんでいた。そう

 

「わたし達も、そういう風になれたらいいな」

 

 ぽつりと、まどかの声が聞こえてくる。

 美樹さやかの微笑みに何かとても優しいものが宿って、すぐにまどかを後ろから抱きしめた。

 

「はうっ、さやかちゃん?」

「かわいい事言っちゃって、もう、最初からあたしはまどかと一生友達のつもりだよっ」

 

 こちらへ振り返った美樹さやかの顔色は凪いでおり、青みがかった髪は泳ぐペンギンを背にしてより水を思わせ、水槽の中へ溶けてしまいそうな静けさが彼女を唐突に覆っていた。

 

「あんたもだよね、ほむら」

「……ええ、そうなりたいわね」

「違うって。もうなってるの。あたし達はずっと友達、おっけー?」

 

 静けさは一瞬で消え去って、後には私の肩を掴んで自分の元に引き寄せるいつもの美樹さやかがあった。

 ペンギンが目の前を泳いで通り、「あっ」とまどかの弾んだ声に誘導されて水槽に意識を傾けると、私の前でペンギンは陸へ上がっていった。水中での鳥らしい姿とは違い、地面ではやはりぺたぺたと頑張って歩いている。

 水をよく弾くであろう羽はなんとも触ってみたくなる滑らかさを見せつけ、人々の視線を浴びながらも意にも介さず堂々としていた。

 そんなペンギン達の丸々とした見た目と振る舞いに私達は小さな声をあげて喜んだ。何の裏も嘘もなく、かわいいものはかわいかった。

 満足そうに頷くまどかの振る舞いに、すでに何度目かも分からない、一緒に来て良かったという確信が宿った。

 

 

「次はアザラシだってさ」

「いいよね、丸くてすごくかわいいの!」

「……私も好きよ。見てみましょうか」

 

 水の中を飛ぶペンギンと並んで歩いていると、広く大きいように見える通路もすぐに終わり、足下の矢印に従って進んだ先に居たのはアザラシである。

 ガラスの向こうで丸々とした身体をのんびりと寝そべらせて、つぶらな瞳で人間を見渡す姿はなぜか昂然としているとも取れる。ややぼんやりした、眠そうな顔つきは見ているだけで抱きつきたくなる誘惑があり、思わず感嘆の息を吐いてしまった。ペンギンも愛らしかったが、アザラシもとても愛らしい。

 

「かわいい……!」

「まどか、あっち見て、赤ちゃんがいるよ」

「え、どこどこ? ……あ、本当だ! ほむらちゃん、アザラシの赤ちゃんだよ!」

「ええ。白くって……凄く良い顔をしているのね」

 

 まどかの指す先にいる真っ白い塊には目や鼻があり、まごう事なきアザラシの子供がそこにいる。大人のアザラシより更に丸形の白い身体で満面の笑顔のようなものを浮かべていて、尾を床につけては離している。

 まるまるでふわふわ、そんな表現が非常に似合う。まさに抱き上げたくなる姿だが重みはずしりとくるものであるらしいが、魔法少女なら何の問題もない。しかし、残念ながら抱き上げさせてくれる場はないようで、さもありなんと納得するしかなかった。

 

「抱っこしてみたいなー……」

「流石に無理かなあ」

「残念ね」

 

 気を楽にして眺めているだけで、何か温かな感情がこみ上げてくる。それは癒やしであったり、穏やかさであったりするものだった。私が魔法少女になってからほとんど縁が無くなっていたものが再び現れて、さっそうと心の中を明るく塗り替えていった。

 ざぱん、とアザラシが落ちるように水へ潜った。私の目の前だった。前足を器用に前後へと動かして進み、その毛が水を流すように波打っている。水槽を隔てたすぐ傍で泳ぐ姿に、私達は黙り込んで見入った。

 手すりを握ってガラスに顔を近付けていると、水中のアザラシが近づいてきて私を見つめた。

 手を振ってみると、前足をふりふりと振り返してくれた、ような気がした。実際には違うのだろうが、何か通じ合うものがあったような錯覚に吐息が踊る。

 

「ふふっ、かわいいわね」

「こんなに目がキラキラしてるほむらを見たの、はじめてかも」

「確かに! ほむらちゃん、アザラシが好きなの?」

「いえ……特別そういうわけではないけれど……でもそうね、うん……かわいいものは、好きかな」

 

 胸元に置いていた手がほんのりと温かみを帯び、頭がゆるやかに崩れるような脱力で今まで堅固に保っていた何かが剥がれ落ちていく。拾い集めようとする前にまどかの指す方向にいるアザラシと目が合い、そのつぶらな瞳に見つめられていると、今はあまり気を張る必要もないかと思い直した。

 前足、と呼ぶべきか分らないヒレのようなもので己の丸々したお腹を叩いてぺちぺちと音を立てている。説明を読んでみるとそれは威嚇の一種らしく、しかし、人間の目では単純に愛らしさを振りまいている風にしか見えなかった。

 

「……かわいいね」

 

 自分でも驚くほどに子供っぽい声が出た。

 

「ほむらちゃんが夢中になってる……」

「本当に珍しい表情するねえ」

「ほら、まどか。あの泳いでる子、逆さになってるわ」

「あ、ほんとだ。泳ぎにくくないのかな?」

「なんか、大丈夫らしいよ。人間とは違うからねー」

 

 その時、アザラシが鳴き声をあげた。大型犬をやや低くした風だった。

 

 

 

 

 海の生き物もたっぷり観察し、時には愛らしさに、時には迫力に魅せられた。何よりまどかが楽しそうで、しっかりと握られた手に引かれると周囲にあるもの全ての価値が一段も二段も上に見えた。

 気づいた時には時間が経ち、何階もある館内をすっかり見て回ると、私達はお土産の売っているコーナーに足を踏み入れていた。

 

 お土産の数は充実しており、水槽をイメージさせる青みがかった壁に囲まれた店内はちょっとしたスーパーマーケットよりも広いのではないかという規模感だった。今日は祝日なのもあって来客は多く、ぬいぐるみにお菓子にシールやタペストリーに写真に本と、多数の選択肢を前に人々が迷っている。

 無駄遣いできるほどの金銭はなく、イルカの付いたペンを元の場所に戻し、壁際に纏められている魅力的な写真の数々から目を逸らす。こういった場所にしては意外に買いやすい価格の商品が多いのも迷わせる理由の一つで、二つ三つくらいなら購入しても問題を感じない金額で抑えられているのが心憎い。

 無駄遣い禁止、と口の中で唱えるようにして、視界に入った深海魚のストラップを手に取らないように後ろ手で組んでまどかの背中に近づく。

 美樹さやかは限定品のお菓子を手に取って選んでおり、財布の中身と相談しながら家族や友達用にと頭を悩ませ、今は片手に饅頭、片手にチョコレートを持って考え込んでいた。だから、まどかは一人でぬいぐるみのコーナーに立っていた。

 丸い柱を囲むように棚が作られており、円上に並んだぬいぐるみの数々はそれだけで愛らしい空気をかもしだしている。シロクマ、ペンギン、アザラシ、サメやマンボウ、そのほかにも多くの魚が同じ棚の上で客の姿を写していた。

 

「まどかはどう?」

「あっ、ほむらちゃん! ちょうどよかった、あのね、どっちの子もかわいくって…ペンギンさんがいいかな、アザラシさんがいいかなぁ」 

 

 まどかはデフォルメされたペンギンのぬいぐるみを抱いていた。

 部屋のベッドに置くぬいぐるみを選定しており、灰色のペンギンか、それとも真っ白いアザラシにするか、何度も迷っている。どちらも抱き枕にも使える程度の大きさで、まどかの上半身ほどはあった。

 まどかは寝る時にぬいぐるみを抱いており、枕元には毎日好みのぬいぐるみが置かれているのは知っていた。ここで買うものをその中の一つに加えたいようで、ぬいぐるみを押しては弾力を確かめていた。

 

「ほむらちゃんはどっちが好き?」

「私? えっと、私は……」

 

 どちらもデフォルメが効いており、もこもことした触り心地の良い生地は撫でてみるとふわりと揺れる。

 同じくらいに愛らしいが、強いて言えばアザラシの幸せそうな笑顔と下がった眉が心に留まる。尻尾に巻かれた薄桃色のリボンもかわいらしく、プラスチック製の黒いつぶらな瞳に見つめられると腕の中で抱いて眠りたくなるものだった。

 まどかの顔と、アザラシの顔。まったく似つかない二つが並ぶが、それはペンギンの顔より似合っていた。

 

「アザラシ、かな」

「こっちだね。うん、決めた! アザラシさんにしよう」

 

 ちょっと惜しそうにペンギンを棚に戻し、まどかはアザラシを抱き込んだ。もう離さないとしっかり掴まえ、きょろきょろと辺りを見回している。

 

「あれ? さやかちゃんは?」

「彼女なら食べ物の方で……」

 

 美樹さやかはさっきまで売り場で悩んでいた筈だが、その位置にはもう居なかった。

 お土産を買ったのだろうか。しかし、離れるのならまどかには絶対に声をかける筈だ。ひょっとすると、誰か知り合いでも見つけて話し込んでいるのかもしれない。友達の多い彼女ならそういった事もある。

 

「居ないね。探しましょうか」

「うん。あ、でも持って歩くから先に買ってきていい?」

「ええ、待ってるね」

「じゃあ、行ってくるねー」

 

 ぬいぐるみコーナーは店内の中央にあり、周りの棚は背が高めの為にレジは見えない。足下と壁に書かれたレジを示す矢印が方向を教えており、まどかはその先へと向かっていった。

 彼女の背を見送りながら、ぬいぐるみコーナーへと目をやった。まどかが棚に戻したペンギンが心なしか寂しそうにして何かを要求している。

 思わず手が伸び、気づけばペンギンのぬいぐるみは腕の中にあった。タグに書かれた価格は所持金の範囲内であり、購入できる範囲の金額だった。私が買って、まどかにプレゼントすればいい。

 作り物の毛で癒やしの感触を楽しみながらレジに向かった。矢印に沿って歩くと三つレジがあり、なぜか従業員が一人もいなかった。

 休憩中なのだろうか。沢山の客が来ている時間帯だというのに、誰もレジの周りに居ないものなのだろうか。だとしても、他の客の姿すら見当たらないのは不自然だろう。何より、ここに居る筈のまどかの姿もなく、彼女の存在感が唐突に消え失せていた。

 

「……まどか?」

 

 小走りでレジ前まで向かって周りを見渡すも、まどかの髪色や彼女の声は全く感覚に捉えられない。

 見失った。即座に全力で周囲を探るが、居場所は特定できなかった。

 数秒前まですぐ傍で存在を感じ取っていたのだから、幾ら他の客が多いからといって見失う筈もない。そもそも、他の客も姿を消しているではないか。

 

 私の使い魔達がまどかの位置と無事を伝えてくるも、耳に入ってきた位置は今、私がいる目の前だ。そこに人の姿はなく、私の視界には妙に歪んで持ちにくそうなお土産のペンが売られているだけだった。

 人の気配はない。この空間が最初から私しかいなかったと主張している。だけど、決して夢ではない。よく見れば先ほどまでは存在しなかったお土産が増え、山積みにされている。ケーキや饅頭といったお菓子と思わしき写真の貼られた箱には魔女の結界でよく見かけた文字がびっしりと並んでおり、それが「かえせ」という意味の文字列だと何故か理解できた。

 ここは現実の水族館ではない。かなり似せられているが、実際には裏側とでも言うべき結界の中だった。

 結界の起点となる魔女、あるいは、そういった力を扱える存在がいる。あの円環の理から来た女の顔が想起された。

 

 魔獣がいる。そんな報告が人形達から送られてきた。水族館から近い位置に発生し、徐々に近づいてきている様だった。あるいは私達に引き寄せられているのだろうか。

 人形達はまどかの周囲にいる個体を残し、後は魔獣を倒すように指示を出した。

 

 今の私なら力業で突破できる。全身に魔力を漂わせ、強引にこの空間を突き破ろうと力を入れた。が、寸前で止めた。すぐ近くにまどかが居るのだ。力を行使する気配を感じさせたくはない。

 お土産が売られているコーナーから一度離れて大きな水槽のある通路へ戻ると、その中にいた筈の魚は一匹たりとも残っていない。ただ、青く暗い水が私を照らしている。

 結界外のまどかは、お土産を買っている最中だ。どうやらレジで並んでいて、私のいる位置からは十分な距離がある。

 結界から出る瞬間をまどかに見られる心配はない。そう確信できる位置まで距離を取り、己の中に存在する魔力を一気に練り上げた。

 渦を巻いて魔力が高まり、空間が軋む音を立てて今にも爆発するかどうかという時、途端に、水槽のガラス越しに水が泡立った。

 

「っ……!?」

 

 反射的にその場から飛び退くと、水中からたちまち楽譜の鎖が飛び出して私の両腕に絡みついた。即座に溶かして飛び立ち、更なる拘束を避けたが、今後は着地した床が沼のように飲み込もうとする。

 翼によって飛び上がり、それを追って床から染み出した水の追撃は身をひねってかわした。背後からも同じく楽譜が、そして水が迫り来るが、避けきれないものだけは魔力で弾いて通路を真っ直ぐ飛び、水槽のない狭い通路へ降り立った。

 途端に、暗雲を引き裂くような閃光が迸って私の頬を掠め、壁に突き刺さった。それは剣の形をしており、美樹さやかの得意とする武器と同じ形状をしていた。

 

「……」

 

 真っ直ぐ先を見つめたまま腕で頬を拭ったが、幸い傷はついていない。だがそれはどうでもよく、今はただ待ち構えるように魔法少女の姿を取り、通路の向こう側で仁王立ちしている彼女の姿から目が離せなかった。

 振り返った美樹さやかの顔色からは感情が抜け落ちており、ただ私の顔を見つめている。

 その腹にあるソウルジェムの輝きがこれまでと違うものを含んでいると、ひと目見てすぐに理解できる。彼女の中にある力は少し前とは異なって、より強壮なものに包まれていた。だというのに彼女の顔は今ひとつ冴えない。うんざりした様に髪をぐしゃぐしゃと乱して溜息を吐き、彼女は剣を床に突き刺した。

 

「美樹さやか。なぜこんな事をするの」

「……悪魔でしょ、あんたは」

 

 自分の呼吸が勝手に止まった。それは僅かな間だけで、すぐに気を取り直して余裕を取り繕う。

 

「ふぅん……へぇ? そんな呼び方をするという事は、記憶が戻ったのね、美樹さやか」

「まあ、ね。それで? あんたは悪魔らしく、あたし達の気持ちを弄んでたってわけ」

「ふふっ、そうよ」

 

 努めて笑う事にした。その方が、きっとそれらしい。

 アザラシやペンギンなどによってもたらされた穏やかな心地をひとまず捨て、思考を努めて冷たく保ってみると、美樹さやかがひどくバカげた冗談を聞いたとでも言う風に肩を竦めている。

 彼女がもたれかかったガラスが、水槽の中に波紋を生みながらギシリと音を立てた。

 

「はっ……この嘘つき」

「……どういう意味かしら」

「そんな事、本当は思ってない癖に。自分の中で気持ちを閉じ込めておくの、ほんっ……とうに、あんたの悪い癖だよ」

「嘘なんてついていないわ」

「いーや、嘘つきだね。ペンギンで癒やされてアザラシで癒やされて、まどかと買い物してお土産の誘惑と戦うくらい舞い上がってた女が弄ぶも何もないでしょ」

「……」

 

 それとこれとは話が別だ。そう答えたかったが、口を開けるだけで何も言えなかった。どう答えても間の抜けた言葉として響いてしまうような気がした。

 視界にいる美樹さやかは腕を組み、周囲で円を描くように突き刺さっている剣をいつでも取り出せるようにしていた。見知った魔法少女姿で、白いマントに身を包む様は頼もしい。かつての不器用な在りようがどこに行ったのかと思わせるほど隙が少ない。

 

「ずっとあんたを見ていたけど……やっぱり、あんたは何にも変わってない。昔から、今も、ただの暁美ほむらってわけだよね」

「……なぜ、思い出せたの」

「そりゃあ、あんたを見ていたから。あんたと仲良くなっていく度に、知らない暁美ほむらがあたしの記憶に流れ込んできて、何度も夢にまで見て、晴れて復活したってわけ」

 

 水族館を模した結界内は美樹さやかの要素がほとんど見られない。だが、水槽内部に彼女の魔女が姿を現しては消している。

 油断など出来るはずもなく、目の前に居るのはまごうことなき私の敵だった。

 

「あなた、結界まで張れるのね」

「まあね。ステージなんかは無いけど、結構な自信作のつもり。水族館の中から水族館の中へご案内ってね、気づかなかったでしょ?」

「ええ、見事だったわ。すぐには気づけなかった。それで? こんな事で私を捕まえたつもり?」

 

 己の中の魔力を発するどこかに力を入れれば、空間が軋む。澄ませた五感が美樹さやかの妙に凪いだ声を捉えた。

 

「本当にここから抜け出していいの? あたし達が戦ってる所をまどかに見られるかもよ?」

「……なら、あなたを倒して解除するわ」

「そっか。やっぱり止まってはくれないか」

 

 ライトアップが青から赤に切り替わり、美樹さやかの困り顔が明々と照らされた。見るからに戦う気が薄い。

 あまり、戦いたくはない。それでも、やるしかないならやるのだ。

 小手調べにと私の使い魔が飛来して美樹さやかに降り注ぐも、彼女は一つの跳躍で私の使い魔を鎧袖一触で振り払い、力強く瑞々しい瞳の輝きで空に線を描いた。

 簡単に制圧できた頃の彼女とは違って私の挙動を観察しており、油断できない存在感を放ちながらもまだ仕掛けては来ない。それどころか彼女はこちらと目をしっかりと合わせ、ゆっくりと語りかけてきた。

 よくよく見れば、目に、激情が燃えている。

 

「分からなくもないよ、あんたの気持ち」

「……!」

「まさか、まどかの友達は自分だけだったと思ってる? 分からないはずないでしょ」

「なら……!」

 

 なら、私の味方につくのか。胸のどこかに沸いた仄かな期待を否定できず、状況と理性も忘れて何か言いそうになってしまったが、美樹さやかは首を振った。

 

「わかるけど、だからこそ、こんな方法でまどかを縛り付けるのは許さない」

「……でしょうね」

「あたしはまどかの友達だから。まどかの決意と望みを、叶えてあげたいから」

「そう……貴女とはいつまでも平行線のままだわ」

 

 何もしないまま見つめ合って、おそらく一分もしないうちに美樹さやかは肩を竦めた。

 美樹さやかも私に説得を仕掛けたわけではないだろう。これはあくまで確認で、やる事はただ一つだと決まっていた。

 それでも、剣を構える彼女に激情はない。私もまた戦意を抱こうとしては、この日までの思い出の数々に邪魔をされる。

 戦いはまだ始まらない。隙を窺っているようでいて、お互いに戦わずに済む理由を探している風でもあった。

 

「正直、戦いたくないんだけど」

「私だって、別に戦いが好きなわけではないわ」

「……だよね」

 

 「元のあんたに戻してあげる」と余計なお世話を口にして、美樹さやかは構えた。力強い魔力がほとばしり、彼女の魔女が水槽から飛び出してきた。

 私の目には、かつての彼女とは比べ物にならないほどの力がよく見える。円環の理としての力だ。それが上乗せされて、元は単なる魔法少女だった魂はより大きな存在へと昇華されていた。

 しかし、まどかの記録と一緒にその力を取り込んだ私には及ばない。背中に翼を生み出しながらも考えた。どれほど私が強くても、きっと美樹さやかは諦めないだろう。

 活発化した魔獣がこちらに近づいてきており、人形達の大半はそちらに向かわせた。残る数体でまどかの周囲を警戒させ続け、

 

「あたしが勝つよ」

「……やってみなさい」

 

 お互いに、殺気も敵意もないままぶつかりあった。

 

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