カラオケ屋に入るとちょっとだけ暖かかった。
トワに撫でられたあたりに軽く触れたのちカウンター前に近寄った。
優しそうな女性店員に先刻トワに指示された通り、トワの苗字を名乗ると部屋番号を教えてくれた。
ドリンクバー用のコップを一つもらった。
だが、一つ気掛かりでつい問い返してしまったことがある。
「え、もう来てる?」
そう、既に誰か来ていると言われた。
え、だって、トワワ先輩はさっき……。
って思った。
でも、今はよく頭が働かない。
差し詰め、それは意識の隅に置いて部屋まで歩く。
指定された番号の部屋。
そこから歌声はしないが、中の電気がついており、扉が閉まっている。
人がいない場合は消灯され、扉は開放されているはず。
やはり、本当に誰かが来ている。
無性に高鳴る鼓動を抑えるべく、右手を胸の辺りに当てて、ふぅ、と大きく息を吐く。
吐息は白くない。
恐る恐る、左手を扉に近づけ、そしてようやくコンコンとノック。
立て続けに扉を開く。
開いた扉の先の世界。
ねねはその光景に口を開け唖然とした。
扉に手をかけたまま、その中にいる「三人」を見つめた。
「三人」もねねを見つめた。
「思ったより元気そうじゃん?」
そう声を掛けて苦笑したのは、ねねの同期――尾丸ポルカ。
ある種のお忍びだからだろうか?
いつもの特殊なメイクも、派手なサーカス衣装も、今日は着ていない。
何だか普段より大人っぽく見える。
声を掛けられ、ポルカに意識が向いていたが、他の二人も当然いる。
そう、同じく同期の獅白ぼたんと雪花ラミィ。
みんな少しずつ間隔をあけて座っていて、一箇所だけが広く空いている。
大方、ねねが座る用だろう。
「……どうなってるの?」
状況整理が追い付かず、三人に纏めてきいた。
「どうもこうも、5期生のカラオケ会だけど?」
ぼたんの平然とした物言い。
ポルカは相変わらず苦笑、ラミィは少し戸惑うように三人の顔色を伺っている。
そしてねねはと言えば、ようやっと片手で支えていた扉を閉めて、問いただす。
「5期生って……トワワ先輩は⁉︎」
「トワ様今日仕事〜」
「ぇ! だって今日はオフって!」
「トワ様は悪魔だからね、後輩に嘘くらいつくんじゃない?」
ねねが一瞬怯んだ。
みんなの押しは特段強くはない。
寧ろ、ほぼ全てにおいてが普段通り。
だから、ねねはたじろいだ。
いつもの中に放り込まれる、いつもと違う自分が場違いだから。
「何でそんなウソ……」
「ねねねが……心配だったから」
ずっと顔を顰めて介入を躊躇していたラミィが、遠慮がちに言葉を添えた。
まるで、トワと自分を重ねるような物言いだった。
大言は語れなくても、トワの思いを痛いほど感じてしまったのだ。
そこには、嘘偽りはなかったと、胸を張って言えよう。
「まあ辛気臭い話も積もるほどあるかもしんないけどさ、ここ、カラオケ。歌歌う場所」
ポルカが大袈裟に立ち上がり、大袈裟に身振り手振りでアピールする。
それとほぼ同時に部屋のテレビが耳だけでなく心臓までをも揺るがす音で響き出す。
最も近くにいたねねが一番驚いていた。
採点開始の画面が表示され、数秒。
やがて映し出されるのはポルカがリクエストした曲。
初っ端で歌うにはあまり適さないが、この暗い雰囲気を明るくするには十分効果のある曲。
そう、ポルカのオリジナルソング『HOLOGRAM CIRCUS』。
曲が始まれば早速セリフパートから。
盛り上がり始める曲調に流されて、空間に渦巻く暗い空気が少しずつ晴れていく。
セリフパートの間にぼたんとラミィは着席。
さらに二人はねねを席に座るよう視線と仕草で促した。
「……」
少し不満が残る。
けれど、歌の道に進んでいる身として、流石にここでポルカの一曲を置いて帰るわけにも、口を挟むわけにもいかない。
だから、少なくとも外見は渋々席についた。
コ型の椅子に左からぼたん、ラミィ、ねね、ポルカ。
ねねが間に挟まれているのは、逃がさない作戦だろうか?
「……ねぇ、今日仕事は?」
ねねが、隣のラミィにぼそっと小さく尋ねた。
小さくと言っても、音源と歌声が大き過ぎるので、そこまで小さくはない。
「みんな休み、これは本当に」
ラミィの穏和な微笑みと体が火照るほど暖かい言葉に落ち着きを取り戻し始める。
何かに安堵してため息をつくねね。
正面を向き直れば、楽しそうに歌っているポルカの背中が高く聳え立っていた。
5分とは比較的短い。
ポルカの曲は5分数十秒だが、気が付けば歌い終わっている。
採点結果が表示されるが、あまり気にせずに次の曲にパスした。
次の曲名を見て、二つ隣を見た。
ぼたんがマイク片手にゆっくり立ち上がった。
歌枠でもよく歌う十八番の曲。
ポルカのテンアゲ曲からしっとりとした曲への転換。
これもまた一興。
ねねの両隣がポルカとラミィだから、ぼたんまでが遠かった。
「ねねも曲入れとけよー」
左隣からタブレット式のリクエスト機が渡された。
ポルカが差し出している。
「うん」
片手で受け取ろうとしたら重くて落としそうになった。
「……」
ねねは『曲名で探す』をタッチして硬直していた。
やけにペンを持った右手が動かないと、視野の広いポルカがいち早く気付く。
「――困ったらこれよ」
ポルカはそのまま機転を利かせて指で頑張って曲名を打つ。
素手だと反応が悪く、かなり時間が掛かったが、何とか打ち終える。
「……lunch with meかと思った……」
ポルカが選曲したものが前の大画面上部に映し出された。
『Shiny Smily Story』と。
この曲はホロライブの全体楽曲の代表。
一人で歌うのは少し寂しい。
そう、だから選んだ。
一緒にポルカも歌えるから。
今、ねねの選曲に逡巡が見えたのは歌うこと自体に勇気が持てないから。
なら、二人以上で歌って、引っ張って、歌うことに躊躇いを持たなくなれば、選曲できると踏んで。
ぼたんとラミィの曲も瞬く間に終わり、早々に番が回ってくる。
ねねはラミィからマイクを貰い、ポルカは机に置いてあったもう一つのマイクを持ってそれぞれ立ち上がる。
まるでライブのように緊張して、少し震える。
歌う恐怖じゃない。
別の何かが脳裏を微かによぎる。
息を吸った。
出だしできちんと息切れせずに、滑舌よく、歌い始めるために。
画面に表示された歌詞に左から色がつき始める。
見慣れた光景。
歌い出した。
音ズレ、音程、共に問題ない。
でも、ポルカの声に圧倒されている。
寝起きのように声が出ていない。
さっきは、選曲で誘導してくれたポルカだが、ここで声量を下げるなど甘んじたことはしない。
ねねは声が出せないでいるが、本領発揮できていないだけ。
なら寧ろ、ポルカはもっと声を出して、ねねにもっと声を出すよう誘導しなくては。
当然すぎて、使命感に駆られるまでもなく、実践する。
歌え。
もっと、ねねらしく。
ポルカに引っ張られて、ねねの声量も次第に本質を取り戻していく。
そう、その意気だ。
歌い終わった時、ねねは力強くマイクを握りしめていた。
「じゃあ今度はあたしとラミちゃんで」
次なる曲はどうやらデュエットのようだ。
ねねぽるに触発されて、且つ、ローテーションに従って決めたらしい。
そうとなれば、順的に次はねね。
折角なのだから、一人で歌うべきだろう。
今度ばかりは、多少躊躇いながらも、選曲できた。
取りあえず、歌いやすい自分のオリ曲。
ししらみのデュエットを聴きながらペンで曲名を入力した。
その後も徐々に調子を取り戻し、段々歌に覇気が戻ってきた。
耳にたくさんの曲のリズムが残るある時、室内の電話が鳴った。
ポルカの曲中だったため、ねねが出た。
受話器を翳していない方の耳を片手で塞ぎながら声を聞き取る。
どうやら、時間制限の10分前らしい。
「あと一曲かな?」
「まあ、時間的にそうね」
曲終わりにねねが呟くとぼたんが腕時計を見ながら言った。
ラスト一曲。
何を歌うか以前に、誰が歌うかの問題が発生する。
もしかすると、ある三人は内心、適任者が一致していたのではないだろうか?
「ねねちゃん何か歌いたい曲とかある?」
ぼたんがねねに聞いた。
ねねは、「うーん」と少々唸って遠慮がちにあると答えた。
じゃあそれ行こう、と催促されたので、その曲を、このカラオケライブのラスト曲として歌うことにする。
ねねがリクエストして、せっせと二本のマイクを手に取る。
そのうち一つをポルカに押し付けるように差し出す。
「……?」
ポルカは頭の上に目に見えそうなほど疑問符を浮かべて受け取った。
そして、もう一本はラミィに渡される。
「……ねねねは?」
そう聞いたと同時、前の大画面に映し出された曲名。
初めての、5期生オリジナル曲にして、bloomに添えられた一曲。
ねねが、涙を抱えるきっかけとなった一曲。
最高の、最幸を呼ぶ一曲。
ここは狭い。
観客はいない。
機材は揃っていない。
ステージはない。
悲しい。
悔しい。
虚しい。
苦しい。
その感情に、今ここで区切りをつけて訣別したい。
今、歌ったことによって薄らいだ感情。
今なら闘える。
「「手を上げてClap your hands海の向こうまで、Clap your hands届きますように」」
「手を叩こう」
「手を叩こう」
「「ほら一緒に」」
ポルカのマイクがねねへ、ラミィのマイクがぼたんへ渡る。
僅か一瞬。
「「everybady、Clap your hands空の向こうまで、Clap your hands響きますように」」
「手を叩こう」
「手を叩こう」
「「光射す、僕たちの未来」」
パートに合わせて、マイクを回し続ける。
ライブでは絶対にない大変すぎること。
みんな優しくて、付き合ってくれる。
ありがとう。
……やっとみんなで歌えた。
もう立ち止まった。
変えてみせる。
踏み出していく。
掴んでみせる。
繋いでいく。
見ていて。
「「手を上げてClap your hands海の向こうまで、Clap your hands届きますように」」
「手を叩こう」
「手を叩こう」
「「ほら一緒に」」
「「everybady、Clap your hands空の向こうまで、Clap your hands響きますように」」
「手を叩こう」
「手を叩こう」
「「光射す、僕たちの未来」」
最も熱を帯びてくる曲。
体が熱くて、もう分からない。
楽しくて嬉しくて、口角が上がった。
この部屋の熱気は最高潮。
こんな心地よい感情は久々だ。
心地よくて、快適だ。
そう思いながら、今のサビを歌ったねね。
そのねねの耳に、一つの震える声がしっかりと聞き取れた。
今のサビの時、一人だけ違う感情の篭った歌を歌っていた人がいた。
誰だろうか、こんなに爽快な気分で、幸せを掴んだから手まで叩いて、まるでライブのように楽しんでいるのに。
のに、泣いてるように震えてる声を出すのは。
暖房の効く中、必死に歌い始めたら、汗をかいてきた。
しょっぱい液体がねねの頬を振動しながら伝って口に入ってきた。
幸せの時間は、一瞬だった。
歌い切った。
やっと……。
やっと…………。
最後に、残ったしょっぱい液体が、床に数滴垂れた。
奥歯が少し痛い。
それに、体が温まったせいで、鼻水が少しだけ詰まっている。
「……」
後奏は非常に短い。
歌い終わりとほぼ同時に静寂が訪れる。
聞こえるみんなの呼吸音。
流石にマイクパスは疲れた様子。
突然、採点結果を表示しながら、テレビが騒がしくしてきた。
採点結果が全部表示される前に、画面が切り替わり、全曲終了となる。
「……帰ろっか?」
みんなで荷物を持って、時間に遅れないように急いで部屋を後にした。
何一つ、忘れ物はなかった。
誰も、全くそんな事、気にしていなかったけれど。
その、翌々日。
やっぱり晴れ。
やっぱり寒くて、やっぱり少し風がある。
今日はお仕事。
怠さはない。
まだ「あの事」は残念だったと思っているし、今でも悔しい。
まるで、自分だけ置いて行かれた気分だったから。
同期なのに、三人だけ前にいて、自分との距離を感じてしまった。
でも、それには一定の踏ん切りがついた。
みんなと歌って、何を得たのか、自分でも分からない。
けれど、スッキリした。
きっと将来、ホロライブの3rd.fesがある。
そのステージにはきっと、自分が立っている。
いや、それ以前に、デビューライブや誕生日、周年ライブも。
ここで挫けずに、成長を続けて、努力を重ねて、すごい自分にしてみせる。
みんなを応援できなかった悔しさは、まだ抱えてる。
しかし、きちんとみんなには話した。
そうしたら、大丈夫って。
あの時、観客はいなかった。
正確には、現地に観客がいなかった。
歓声は沈黙を続け、熱気は冷え切っていた。
コメントを見ることも当然できない。
でも、歓声も熱気も、全ての強い想いはしっかりと届いていた。
その場にいない雪民さんに、その場にいないSSRB、その場にいない座員くんたち。
そして、きっとそこに居たはずのねっ子のみんな。
彼ら、彼女らのその想いは感じたそうだ。
なのに、ねねの想いが。
あの、苦痛に涙し喉を枯らした心の声が。
行動にはどうしても起こせなかった、根底にある不屈の心が。
届かないなど、あり得ない。
だから、気負う必要は皆無だと。
「……」
みんな、優しいね?
さあ、今日からまた、仕事づめだ。
自分って、割と頑張り屋なのかも。
朝っぱらから、自負した。
その頑張りが、今回みたいに報われないことも、将来のように報われることもあり得る。
ならば、そこは運?
いや違う。
挫折した時、起き上がれる強い心。
どんな苦難にも、真摯に向き合う勇敢な心。
自分であるために自分を貫く、謙虚であり、ライバル視できる心。
どんな逆境にも立ち向かえる、『不屈の心』こそが、大切なのだ。
そして、彼女は、誰よりも、不屈でいられる心を持っている。
それが彼女の、比類なき素質。
Nene's unequaled qualities = 不屈の精神
仕事に向かうため、玄関口に出た。
やっぱり寒い。
でも大丈夫。
ねねはまだまだ頑張れる。
皆さま、この度は3章完結までお付き合いくださり、ありがとうございます。
作者です。
記した通り、これにて3章は終了となります。
どうでしたでしょうか?
3話に渡りねねちのbloomの話でした。
水を差さないようにその間後書きは敢えて書きませんでした。
やっぱりねねちはカッコいいしかわいいですね。
さて、次回からは4章に入ります。
バトル章となりますが、かなりの規模になります。
前回には見なかったペアやコンビの超バトルがあるかも?
因みに、4章では全員が戦闘に参加しますよ。
ご期待を。
それではまた。