それは四人の『家族』
これはその最後の一人がやってくるお話。
父母が部屋から出て行ったのを見届けた本間ひまわりは一人、眠る青年を見つめていた。
見たことのない生命が目の前にいる。
光り輝く長い銀髪。
どこまでも真っ白な肌。
わずかに開かれた時にチラリと見えた赤い瞳。
御伽話に出てくる吸血鬼みたいだと思った。そんな青年が父のベッドで横になっている。
「おぉ〜」
好奇心からその頬に指を突きつける。人差し指に返ってくるのは自分のと同じ反応。ドアの外では会話をしているのか父と母の声が薄らと聞こえてきていた。
でもその内容以上に眠りこける青年の頬を突つく手が止められない。
白いそれは突いたら割れてしまうのではないかと思ったが、ぷにぷにと弾力を返してくる。そこから手を離せずにひまわりは首を傾げた。
「君、どこから来たん?」
いつの間にか問うた言葉に返答はない。彼はただ眠り続ける。冷たく撫でやかな肌は彼女の指にその存在証明を示していた。
「すべすべやな」
言葉と共に彼女の指が滑っていくと、その先には小さな傷跡。そこを触れられた吸血鬼は顔を歪ませる。痛かったのだろう。嫌がる幼子みたいに頭を振った彼の額から濡れタオルが落ちた。
ひまわりはそれを手に取り、ぬるい体温を伝えてくるタオルを氷水に漬けるとキツく絞る。
再び彼の額に置いてやろうと手を伸ばした。
痛い。
サーシャに芽生えたのは単純な感情だった。誰かが自分の傷跡に触れている。
—やめてくれ。俺に触るな。
—もうごめんだ。
頭を一振り、目を薄く開く。自分はどうやら倒れてしまっていたみたいで、いつぶりだろう、ベッドに寝かされているようだった。
『・・・ここはどこだ?』
見知らぬ天井から横に目を向けると、そこに一人の少女がいた。髪に花の飾りをつけた彼女はサーシャからは見えない手元で何かをしている。そして・・・その手を持ち上げた。白い護符を持った少女の手が迫る。
まただ!
ふざけやがって!!
『この俺に近づくんじゃねぇ!』
咄嗟に彼は跳ね起きると爪を振るった。鋭爪は少女の腕に三本の傷をつけ、血が宙を舞う。
少女はいきなり動いた彼に、そして自らの腕から生まれた痛みに驚いたのだろう。小さな呻き声と共に横に倒れる。同時に何かがひっくり返る音がした。
だがそんな事はどうでもいい。
兎に角、逃げねばならない。
出口を探そうと彼が視線を走らせた瞬間、勢いよく部屋の扉が開いた。
そこには二人の人物がいた。
一人は人間の男。
そいつはこちらを見るなり走り向かって来た。倒れる少女に駆け寄ると俺に何か叫ぶ。
一人はヒトならざる女。
こいつは叫び声に反応したのか、次の瞬間には自分の目の前にいた。喉を掴まれ、押し倒される。吸血鬼たる自分が反応できないことに驚いたが圧倒的な膂力に抵抗出来なかった。
目前に迫る赤い爪には怒りが込められている。
『※※※※※』
何か言われているが頭に入ってこない。
ただ一つだけわかることがあった。
弱りきり、再生能力もまともに働かない自分にとって・・・ここは終着駅なのだろう。
生まれ、飛び出し、旅をして。
辿り着いた極東の島国が自らの墓だった。
『あ〜・・・こんな最期かよ。くだんね』
真祖、アレクサンドル・ラグーザは全てを受け入れ目を閉じた。
だってもうどうでもよかったのだから。
だが。
「待って!」
少女の声が聞こえた。
座り込む娘の元に駆け寄る社はダラダラと血を流す彼女の腕を見て、そこに手を押しつける。流れ出る血が止まる様にと上から手を充て、圧迫した。辺りを見回し、手近にあった自身のシャツを傷口に充てる。白いシャツに赤い染みが広がっていく。ジワリと広がる染み同様に彼の心に黒いものが広がっていった。
「ッ、てめぇ‼︎」
思わず社の喉から飛び出る叫び声と同時に、ドーラの動きは素早かった。瞬時に爪を伸ばした彼女は吸血鬼の喉を掴むと押し倒し、もう一方のそれを眼前に突きつける。明らかな殺気を撒き散らしたファイアードレイクはその目を抉らんと力を込めた。
「おい真祖。貴様、返答次第によっては・・・」
「待って!」
しかしその凶行を止めたのは彼らの娘、本間ひまわり。
「違うの。ひまがいけなかったんよ!」
彼女は腕を押さえながら、憤る父と母を止める為に声を上げる。
「ごめんね! 痛かったよね⁉︎」
ひまわりは腕の痛みを忘れたかのように謝った。そのあまりに場違いな反応にドーラも目を丸くする。傷つけられたのは娘の筈だ。それなのにその言葉は出ないだろう。
「おい、ひまわり。お前・・・」
「ひまがね。この子の傷口に触っちゃったんだ! だからきっとそれに驚いちゃったんだよね?」
吸血鬼は答えない。
彼もまた目を見開いていた。
一体全体何を言っているのだろう。彼も理解が追いついていなかった。
「とにかく血を止めないと!」
「そ、そうじゃ! ひまわり、こっちに来い!」
毒気が抜かれたのか、ドーラもその言葉に反応するとひまわりの手を取り部屋外へ連れ出そうとした。社から彼女の腕を押さえる事を引き継ぎ、ドーラはひまわりと一緒に扉へと歩く。
「あの・・・」
扉を潜ろうとするひまわりが足を止めた。
「ホントにごめんな?」
「ゆくぞ! ・・・築、そいつを見といてくれ!」
連れられていく彼女は振り返り、困った顔で微笑んだ。
吸血鬼はその顔に何にも返す事が出来ない。
傷つけたのは俺だ。それなのに何でそんな顔をするんだよ・・・。
これまで手にかけた人間には感じたことの無い感情。
罪悪感だけが胸に広がっていった。
部屋に残されたのは吸血鬼と人間が一人ずつ。その人間の方は深呼吸をすると、ベッドの上の青年に向く。
「あ〜なんだ・・・。少し待っててくれるか。手を洗わせてくれ」
「・・・」
小さく頷いた青年に社も部屋を出て行く。
サーシャは一人になる。
ふと自分の左手を見ると、爪が血で濡れていた。
『彼女』の血だ。
無意識にそれを舐めていた。
「甘い」
それは、これまで舐めたどれよりも甘い血だった。
でも、美味い訳ではない。
・・・これは。
「なんか、あったけぇ」
初めて感じる血の味に彼の心は落ち着いていった。
数分後。怖い顔をした男は戻ってくると、吸血鬼の隣にドカリと座り込んだ。
「待たせた」
「・・・あぁ」
しばし男二人は互いに何も言わずに睨み合う。
片や、娘を傷つけられた父。
片や、その元凶の吸血鬼。
対話とは言葉を交わせるモノにとっての矛。先に口を開いたのは社築だった。
「まずは君の名前から聞かせてもらえるか?」
「・・・は? てめぇから名乗れよ、人間」
ヒト風情が何を言うのか。ギラリと赤い瞳を釣り上がらせたサーシャは話の主導権を握るべく言い返した。
気圧された社は渋々、だが毅然と応える。
「俺は社。社築だ」
「・・・アレクサンドル・ラグーザ」
名乗りを終える両者は目を逸らさない。地獄の底から響くかの名乗りに冷や汗がひとつ、父の頬を濡らした。眼前にいるのはヒトならざるモノ。
吸血鬼にただの人間の自分は逆立ちしても勝てないだろう。
でも。ひまわりを傷つけられて、引くわけにはいかないのだ。
だって、自分は。
「先に言わせてもらうぞ。お前、うちの娘に手を上げて、『はいそうです』とここから帰れると思ってるのか?」
精一杯の胆力で告げる。
社築にあるのは未知の脅威に対するモノへの恐怖。それを娘を傷つけられた怒りへと転化して何とか意地を張った。
—父として、通さねばならない筋が有る。
「ひまわりを傷物にしといて、それは許されねぇんだわ」
社は気がつかなかったが・・・その言葉を口にした時にその身から、彼すら知らぬ程の怒りが噴き出していた。
剛ッ、と強い意志の力がヒトの身から湧き上がったのを感じる。
「あいつはああ言ったが、俺は信じてない」
アレクサンドル・ラグーザは気圧された。
目の前に座るのは下等生命であるヒトのはず。だが膨れ上がるそれは身を震わす程の圧力を彼に伝えてくる。
「なぁ、アレクサンドル・ラグーザ。何か言う事はあるか?」
その言葉に『俺は悪くない』
そう言うのは簡単だ。
だが彼の顔がそれを許してはくれなかった。
ヒトの男はこちらを見ているだけだ。そこには屈服の魔力も、魔眼の力も、何にもない。
だがしっかりとした『圧』があった。
この身を焼く力にサーシャの口が震える。
「お、俺は・・・」
見据えられる瞳はただ、ただ逸らされずに見詰められる。
その何と重い事だろうか。
気がつけば口が渇いていた。
二の句を繋げようと口を開くが言葉が出ない。パクパクと口を開いたり閉じたりしながら、弁明の言葉しか選び出せなかった。
「反射的にやっちまったんだ!」
「あいつが手にした護符を、ただ払い除けた・・・」
「それだけなんだよ!」
自らを守る為の免罪符にと説明したサーシャはそれだけを言うと、かけられた布団に目を移す。嘘は言っていない。だが説明すればするほどに嘘くさくなるのを感じたサーシャは次の言葉を出せずに黙り込んだ。
父である社は、確認のために追撃を放つ。
「ちなみにその護符ってのは、どこにあるんだ?」
「それは!」
サーシャは顔を起こすと、弾き飛ばしたそれを指差す。社がそこを見ると、そこにあったのは。
「これはただのタオルじゃねぇか」
「嘘だ!」
「嘘じゃねぇよ」
言いながら手に取ったタオル。護法の一つさえ刻まれない真っ新な濡れタオルは社とサーシャの間に広げられた。
「ただのタオルだ」
「・・・そんな!」
眼に魔力を込め、しっかりと見て漸く気がつけた。男のかざすそれはただの布。水分を含んだただの、布。
奪い取り、確認し、やっと気がついたアレクサンドル・ラグーザの心に更なる罪悪感がのし掛かる。
俺は・・・何をやった?
無抵抗の、無害なヒトを傷つけてしまったのか?
しかも、自分を介抱してくれたかもしれない奴を?
部屋を出る直前の彼女の顔が浮かぶ。
『ホントにごめんな?』
その申し訳なさそうな顔が・・・。
痛みを堪え、自分に全ての非があると謝る顔が・・・。
アレクサンドル・ラグーザの胸を締め付けた。
震える手。そして口から言葉が出た。
「・・・すまねぇ」
なんとか口から出たのは謝罪の一言。
「本当に、申し訳ねぇ・・・」
続けて出たのは更なる謝罪の言葉。
それを言うことしか彼には出来なかった。
呆然と俯いた吸血鬼と、それを眺める自分だけが部屋にいる。
そんな彼の様子を社築はじっと見た。自分の詰めに予想外な反応して、その身を震わせながら弁明する吸血鬼。ドーラに聞いていた話とは何処か外れた吸血鬼像に社の頭に疑問符が浮かびだす。
彼は自分のやった事への罪を悔いているみたいだった。これがポーズの可能性は勿論ある。しかし社にはそうは感じられなかった。
目の前にいる青年はまるで少年だ。
小さな男の子がついやってしまった悪戯を咎められ、萎縮している。そういう風に見えた。
「はぁ・・・」
大きなため息ひとつ、部屋に響く。
こんな反応をする奴をどうやって責められようか。
社とて人を見る目はある。確かにひまわりを傷つけたのは許せない。
しかし。
自分の見る限り、彼は嘘は言っていないと思う。
そして。
彼は自分のやった事に正しく罪を感じていた。
基本的に『ヒトを信じる』スタンスの社。
そんなおヒト好しな所が彼が彼らしい所なのかもしれない。
「お前の話はわかった」
そう言い、立ち上がった社築は吸血鬼を見下ろすと言う。
「聞いた話は私から話しとく」
目を合わせずに布団を見続ける青い顔の吸血鬼。
「まずは休んで・・・そんで、ちゃんとあいつに謝れ。自分の言葉でな」
社は微笑むと彼の頭を撫でた。
「私は、お前を許すよ」
それだけ言うと父は部屋を後にする。
残された吸血鬼は久しぶりに感じるヒトの暖かさと、自らがやらかした所業に頬を僅かに濡らしていた。