理事長室での話し合いは暴走したテイエムオペラオーとそれを止めるエアグルーヴによってお開きとなり、後日再び集まるということで落ち着いた。たづなさんが理事長と会長、俺以外を連れ出して、また改めて連絡するという運びになった。
理事長とはメールのやり取りしかなかったがこの度、メッセージアプリのアカウントを交換した。さすがにメッセージでもあのような話し方ではなく、シンプルなメッセージばかりだ。ちなみにやよいという名前は今初めて知った。ずっと理事長って呼んでたからな。これからはやよいって呼んだ方がいいのかしら。
アカウントの交換と今後についての簡単な打ち合わせのみを済ませて理事長室を出ると、すっかり日は暮れており、校舎を出て、もはや俺専用と化した仮眠室へと向かう。
しかし、まさか理事長から結婚の申し出があるとは、かなり動揺してしまって後先考えずにサインするところだった。そのせいでカレンたちに4の字固めを喰らい、さらにはエアグルーヴから首に指圧を加えられて本格的に身体がボロボロだ。
それでも、どうにかこうにか歩いて仮眠室のある小さな建物が視認できるところまでやってくる。やったぁ、あと少しだぁと足取りが軽くなった気がする。その時だ。仮眠室の前に会長と共に生徒会室へと戻ったはずのエアグルーヴの姿を見つけてしまった。
立ち止まって、木の後ろへと隠れると、彼女は前髪を弄っては躊躇うように、その場を行きつ帰りつしながらウロウロとしていた。ウロウロとウホウホってなんか似てるよね。今のエアグルーヴは面倒見がよい、普段の颯爽とした姿とはだいぶ乖離して見える。
5分くらい見てても、エアグルーヴは同じ場所を行ったり来たりしており、中々離れる気配がない。誰かを待っているのだとしたら、それは仮眠室を利用するものだけなのだが、ココ最近の利用者は俺1人だけだ。オマケにエアグルーヴは俺の担当ウマ娘。つまり、自然と答えは導き出される。
「何してんのお前」
「……やっと来たか」
無視して何かしら可愛い反応を引き出すのも面白そうだったが、昨日の今日で彼女も心労が溜まっているだろうと気が引けて、俺はいつものように声をかけた。エアグルーヴは俺が来たことに声で気づくと低めのトーンで答えた。
「キサマなんなのだ? たわけか? あぁ、たわけだったな」
先程のことを言っているのかエアグルーヴの口からは文句しか出ない。というか、俺の話になるとコイツはいつも文句ばかりだ。しかし、俺に対する悪口は愛情の裏返しってな。俺は詳しいんだ。
「キサマ、いつの間に彼女たちに手を出していた? 互いに合意があったとしても犯罪だぞ。それで私には手を出していないというのはどういう了見だ」
「落ち着け落ち着け。誰にも出してないから」
「本当か? キサマの事だ、口八丁で純粋なカレンたちを騙して……!」
俺って信用ないのん……? そこまで言うなら俺が誰にも手を出してないことを証明してやるぜとパンツを脱いでもいいのだが、残念ながら何の証明にもならないし、正式にトレーナーを辞める前に社会人を辞めることになる。
「まぁ、キサマにそんな度胸はないだろうが」
「分かってるならこれ以上責めないでね」
エアグルーヴが呆れたようにして大きくため息を吐く。それに俺は苦笑すると、親指で仮眠室を指さした。立ち話もなんだから中に入らないかと暗に伝えると、その意思は伝わったのか彼女は首肯する。
「相変わらず、ろくなものがないな」
「まぁ寝て起きて歯を磨くだけのとこだからな」
仮眠室の中をぐるりと見渡して、以前来た時と変わっていない様子にエアグルーヴは乱れたシーツやらを正してから簡易ベッドに腰を下ろした。
「それで、どうするんだ? まさか理事長からの申し出を受ける気じゃないだろうな」
「……ダメ?」
可愛いらしくきゃるるん☆とカレンやファル子が俺に物や飯をねだる時にやる顔をして見ると、エアグルーヴはポケットからスマホを取り出して1を2回、0を1回押してこちらに向けた。
「そうか、ならこれでお別れだな」
「アァッ!? チョットマッテ!! 冗談! やだなーもー! エアちゃん空気読んでよ〜っ!」
俺が焦って捲し立てると彼女は舌打ちして、スマホをポケットにしまった。あの、できたら電話画面消してからしまって欲しいんですけど。しかし、そんなお願いは通じないのかエアグルーヴは肩を竦めた。
「……アレは理事長が言い出したことだ。キサマが本当にアレでいいのなら、私に止める義理はない」
その口ぶりはエアグルーヴ本人は納得していないといった様子だった。
「エアグルーヴはどうなんだ。俺が辞めるのと、辞めないの、どっちがいい?」
聞いてなかったよなと確認すると、彼女は躊躇するような薄いため息の後にポツリと呟いた。
「……そうだな、私としてはキサマに辞められると些か困る」
俯きがちなせいで、表情はよく伺えなかったが、それでも消え入りそうな声には哀しげな響きがあった。
「新しいトレーナーが決まるまでレースには出られないし、決まったとしても以前のように私のやりたいことに異を唱える奴につかれるのは面倒だ。……そういう意味では、キサマに居てもらった方が、私は助かる」
俺の前に付いていたエアグルーヴのトレーナーは彼女が行う生徒会活動や後輩育成を無駄なものとして切り捨てた。それがエアグルーヴの逆鱗に触れて解雇されたと聞いた。1人ではなく、3人ほど続いたとたまたまその場にいたアマゾンに聞き、それなら放任主義の俺であれば合うのではないかと交渉を持ちかけた。その時にトレーナーとしての実力を見ると色々と難題をふっかけられたが、優秀なウマ娘に稼いでもらうためだからと全てこなすと、彼女は俺をトレーナーとして認めて、俺たちは契約を結んだ。
「……キサマは、どうなんだ」
昔のことを思い出していると、彼女が唇を浅く噛むのが見えた。
「あそこまでして口説いた私を、結婚したいからという理由で、見捨てるのか?」
声音は責めるように震えて、眼差しは俺だけを捉えていた。きっと、誰かに言われるのだろうとは思っていた。その相手がエアグルーヴだというのも。
「確かに俺はお前が必要だと言った。お前がレースに出て勝つためなら、望むもの全てを用意してやると」
それも賞金のため特別賞与のため。俺は彼女たちの知らないところで、彼女たちを利用してきた。純粋無垢で、健気に努力する彼女たちを金稼ぎの道具のように。そのためならやれることは全部やったし、どんなに嫌なことでも勝つためならとやってきた。そうするうちに、彼女たちに愛着というか、何がなんでも勝ってほしいとか、ずっと笑顔でいて欲しいとか、そんな気持ちが湧いてきた。これがトレーナーの心と理解するのにそう時間はかからなかった。
しかし、いずれ別れる日が来ると思うと怖くなった。俺たちはずっと一緒にいられるわけではない。時が来れば、彼女たちは学園から出て、まだ見ぬ強敵と足で競い合うかもしれない。ファル子のように競走バとは別の道を目指すやつもいるだろう。そうなった時に俺は彼女たちの傍には居られない。だから、そうなる前に俺は逃げようとしたのかもしれない。
「でも、トレセンにいて、色んな人やウマを見ていて思った。それは俺じゃなくてもできるって」
これは逃げだ。彼女たちを傷つけないためにという建前で、俺が傷つかないように逃げようとしている。
上手く出てきた言い訳に、エアグルーヴは不可解そうな眼差しを俺に向け、今にも掴みかかってきそうな勢いで立ち上がる。
「キサマ……ッ!」
あぁ、これは殴られるなと俺は目を閉じた。幸い、ここには監視カメラとか別の人やウマの目はないから、俺が多少怪我を負ったところでエアグルーヴに非はない。顔の腫れくらい積み上げていた優勝トロフィーが倒れてきただけと言えば済む話だろう。
しかし、想定していた痛みは来ず、代わりに胸倉にストンと拳が入った。
「……どうして、どうして、そんな簡単に、嘘がつける……ッ! わ、私は……っ、キサマが……っ、貴方が……ッ!」
距離を詰めて俺の胸へと額を付けたエアグルーヴは肩を震わせて、何度も、何度も、何度も、何度も、胸元をか弱い力で叩いてくる。まったく痛くないのに、骨の内側にある心臓にはどうにも痛みが来て、俺はあやす様にエアグルーヴの頭を撫でた。バカ、バカと普段口にされてもなんでもない言葉が、今日はやけに身に染みた。
「……確かにバカ野郎かもな」
今ならジャスティスを自爆されても文句は言えまい。このバカ野郎ってな。
しかし、俺はまだ終われない。結婚もしてないし、こいつらの花道もまだ用意できていないのだ。
バカにはバカなりの意地ってやつがあるのだ。持ってても、誰かにあげてもなんの価値も無いくだらない意地だが、こういうのを男たちはこう言うのだ。男の意地ってな。
もうこれ(誰がヒロインか)わかんねぇなぁ?
タイトル没案→「ジャスティスを仮眠室で自爆させる」
書けたら投稿するようにしてるので、明日の投稿は書く時間があったらありますよ