多重関係という言葉がある。専門家と、とある目的以外の明確・意図的な役割を持っている状況、つまりは妻がいるのに会社の後輩と肉体的だとか恋愛的な関係ってのがわかりやすいだろうか。
トレーナーにとって、ウマ娘っていうのは言うなれば教え子だ。彼女たちを勝利に導くために俺たちはいるのであって、彼女たちと恋人になったりだとか、結婚したいという願望があってやっているやつも、探せばいるのだろうが、倫理的にはNGだ。
そもそも、彼女たちは学生でトレーナーは社会的にも肉体的にも立派な大人だ。日本の法律では人間だろうがウマ娘だろうが、親権者及び本人の同意なく恋人関係になることはご法度とされている。
じゃあ、親や世間に文句が言えない年齢になって、互いの合意もあって、法律的に許されれば問題ないのだろうと言ったのは誰だったか。そう、テレビの向こう側で今日も元気にオペラ歌手並みの美声を出しながら劇を進める舞台女優となったテイエムオペラオーだ。
「ワォ! 今日もオペラは劇団オーデスね!」
俺の太ももの上に現役を退いてもなおハリのあるおしりを置いては、訳の分からない日本語を口にしているのは、左手の薬指に銀色に輝く指輪をはめたタイキシャトルだ。
「でも、今は私の時間デース!」
寂しがり屋な女の子は、涙を見せなくはなったがその分過激なスキンシップが多く、ここが日本だということをよく忘れているように思う。俺は長男だから耐えられるけど次男だったら耐えられないダイナマイトボディが俺の身体へと密着する。
「ええい、こんな昼間から何をしているこのたわけ共」
人間の力でウマ娘に勝てるわけが無いのでされるがまま、この身は全て時の流れに任せようと諦観していると、タイキシャトルの身体が引き剥がされる。妙にエプロン姿が板についてきたエアグルーヴは腕を組みながら呆れたようにして息を吐いた。
「タイキ、じゃれ合うのはいいが時間と場所を考えろとあれほど言っているだろう」
「うぅ、ソーリ〜。オペラオーにシットしてしまいマシタ……」
学園の頃からエアグルーヴには頭の上がらないタイキシャトルはしょぼんとした表情と共に耳としっぽを垂らす。まだイントネーションにやや違和感はあれど、多くの日本語を使えるようになったタイキに感心していると、エアグルーヴの睨みがこちらへと向けられた。
「貴様も貴様だこのたわけ! 何をだらしなく鼻の下を伸ばしているのだ!」
「俺はだらしなくはあるが、鼻の下は伸ばしてないぞ!」
「開き直るな!」
エアグルーヴの叱責を受けてやる気を落としていると、騒ぎを聞いてか2階から降りてきたカレンが欠伸をしながらこちらへと歩いてくる。
「もう、昼間から何騒いでるの……?」
「カレンこそこんな時間まで居眠りとは。たるんでいるぞ」
カレンは昨日はファッション誌の取材があって帰りも遅かったし多少は大目に見てあげて欲しい。ウマスタグラマーとして、そして短距離の女王として名を馳せたカレンチャンは、現役でスプリンターを続けながら、ゴールドシチーのようにモデルとしても人気を博している。ちなみにトレーナー兼マネージャーは俺であり、不埒な下心を抱く不届き者に対してはレーザーポインターを浴びせる毎日だ。おかげで今日も俺の目はカラカラである。
「もうみんな喧嘩しないの! 今日も笑顔で頑張っていこ〜!」
エアグルーヴとカレンの一触即発の雰囲気にキラキラスマイルが飛び込んだ。ウマドルとして磨かれた芸術点高めの笑顔とコールをするスマートファルコンに俺のヲタ声が木霊する。
「イェーイ!」
「イェーイ!」
俺に合わせてタイキもまたレスポンスを返すと、ファル子が「ありがとう〜!」と椅子の上に立って手を振ってくれる。
「ねぇ、今カレンと目が合ったよ!」
「いや、今のは俺だ。間違いないね」
「ノー! 2人じゃないデス!」
椅子の上に乗るなという注意と、ファル子のノリに合わせる俺たちのどちらから口に出せばいいかと額に手を当てるエアグルーヴに次なる災難が降りかかる。
「おいおいみんな、今はボクの劇を見る時間だろう?」
机の上に立ち、天上天下唯我独尊といった風に微笑むテイエムオペラオーにエアグルーヴははぁとため息をついた。
「全く、どうして貴様の担当はこう問題児ばかりなのだ……」
その中にてめーも加えてやろうって言うんだよ! みんながみんな、問題児になれば問題なんて何も無いよね! と言ってみたものの、エアグルーヴの問題点といえばギャグセンスがないが故にギャグを理解できないところだろうか。端的に言えば笑いのセンスというのが欠けているのだ。だから、俺の見えないところで皇帝さんにテンションを下げられてしまうのだ。
「エアグルーヴが真面目すぎるんだよ」
「もっとソフトになりまショウ!」
「ファル子もそう思うー!」
「うっ……!」
あ、またエアグルーヴのテンションが。しかし、ここはみんなの王子様を自負するウマ娘、テイエムオペラオー。すかさず、机から降り立つと落ち込む淑女の肩に手を添えた。
「美しい顔が台無しだよ、エアグルーヴ」
「オペラオー……」
「まぁボクの顔の方が煌めいていて、一層美しいがね!」
ハーハッハッハッと上機嫌に、余計な一言を添えて笑う王子様なんてオラ嫌だ。ロンドン行くよ。
「はぁ、落ち込むのもアホらしくなってきた」
肩を落とすエアグルーヴに、カレンやタイキが寄ると励ますようにして言葉を紡ぐ。その間にも自我の強いオペラオーとファル子は劇団ひとりとゲリラライブを敢行するのだが、この景色が見られることを俺は嬉しく思う。
トレーナーを辞めるか続けるかという選択を強いられた時、俺は理事長に向けてこう言った。
「こいつらが引退するまではトレーナーを続けます」
つまりはトレセン学園にエアグルーヴ、タイキシャトル、カレンチャン、テイエムオペラオー、スマートファルコンがいる限りはトレーナーをやり、新年度になっても新しいウマ娘を担当することはなく、彼女たちが卒業すると同時に俺もトレーナーという職から離れるという決断を下した。
きっかけはエアグルーヴの言葉から始まり、オペラオーの待っていろという発言があってからだが、全て自分が決めたことだと俺は胸を張って、誕生日会のお誘いの手紙の入った封筒を破いたようなスッキリとした顔で己の書いた辞表をその場で破り捨てた。
そして、現在カレンが卒業してから2年。俺が貯めたお金で土地を買い、家を建て、5人のウマ娘たちと共に同じ屋根の下で暮らしている。法律上結婚はできないため、彼女たちと家族になることはできないと思っていたのだが、妙に弁舌に優れた御仁からの助言で、法制度を上手く利用して養子という形ではあるが家族になることができている。彼女達の指にはそれぞれ色もついた宝石も異なる指輪が輝いている。
人の身である俺よりも身体能力や容姿に優れた彼女たちにはいつも振り回されており、当初の目的であった仕事をせずに暮らすという俺の野望は砕け散ったものの、今の生活に不満はない。唯一、あげるとするならば、
「何を笑っている」
「ふふ、そうか、君も楽しいよね」
「今日はみんなでレッツエンジョーイ!」
「ファル子もー!」
「じゃあ、ウマスタに投稿しよー!」
俺の愛バが尊くて生きるしかない。ってところだろうか。
死にたいと思ったことはないが、生きねばと思ったのはこいつらがいたからだ。だから、毎日彼女たちには言わねばならない言葉がある。
「ありがとう」
-fin-
理事長『私は!?』
ごめんなさい。理事長。
これにて完結です。
色々ありましたが最後まで書ききれて良かったです。
前作のリメイクということで書きましたが、想定とは違った結果になりましたが、完結できたのでOKです!