トレセン学園には様々な異名やら称号を持ったウマ娘が多く在籍している。漆黒の追跡者とか皇帝とか帝王とか。赤い彗星に白い流星、最後の2つは居ないけど、大抵のウマ娘は名前やその功績から尊敬と畏怖の念を込めて2つ名のようなものが付けられている。
俺の担当するウマ娘の1人、エアグルーヴもまた"女帝"と呼ばれ、容姿端麗、学業優秀、何でも完璧にこなす才媛ってのはまさしく高嶺の華だ。もしも、同期か先輩にいたら求婚してるところだが、残念なことに俺よりも歳下でしかも教え子の立ち位置になる。けど、ほとんど教えてないので、俺ちゃん必要なのかしらと疑っちゃう。
だから、こいつに関しては俺が辞めると告げても「やっとか」みたいな反応をされると思うので、まだ気が楽である。トレーナーがいなくても勝手に練習をするようなウマ娘だし、俺がいない方がアイツもやりやすくなるだろう。
エアグルーヴはトレセン学園の生徒会役員であり、シンボリルドルフ会長を支える副会長だ。そのため、彼女がグラウンドや練習施設にいないとなると必然的に生徒会室にいる可能性が高い。
「お前はエアグルーヴの」
「あー、ナリタ……なんだっけ?」
「ブライアンだ。いい加減に覚えろ」
生徒会室へと向かう途中で、鼻腔テープをつけた黒いポニーテールのウマ娘と出会う。担当以外のウマ娘の名前は曖昧だし、なんなら似たような名前が多くてこんがらがってしまう。その事でナリタブライアンに冷たい視線を向けられるが、俺がここにいる理由を察したのか彼女は後方へと目を向けた。
「アイツならまだ生徒会室にいたぞ」
「サンキュー」
訊かなくても答えてくれるとか社会適合者か? 訊かれたことすら答えないことがあることに定評のある俺が通りますよと。てか、この子は一体どこへ行くのやら。まぁ、知ったことじゃないからいいけど。
「どうぞ」
生徒会室の前に着き、ドアをノックすると会長であるなんたらルドルフの声が返ってくる。俺はできた人間だからちゃんと返事があるまでドアを開けたりはしないんだ。
「なんだ貴様か」
入ると直ぐに興味なさげに視線を向けてきたのは、当然のごとくエアグルーヴだ。
「何の用だ。今日の練習は17時からだと伝えたはずだが」
「そうだっけ?」
俺が聞き返すと目力が強くなる。美人に睨まれるとシンプルに怖いんだよな。一昨日くらいに練習場は予約しているから心配すんなー☆とウインクすると、ため息をつかれた。いつも通りのことなので、慣れたものだが、はじめの頃はよく引かれて侮蔑の視線を……ってそれは今もでした。
「ふふっ、相変わらず仲がいいな」
「そんなことはありません」
笑う会長に即座に否定したエアグルーヴは、俺へと視線を戻した。
「それで本当に何の用だ。いつもはメッセージで済ませてくるクセに」
「あー、口頭じゃなくてもいいかなとは思ったんだけど、後でまくし立てられても困るから」
「……どういうことだ?」
生徒会運営に後輩の指導と、俺と違って働き者のエアグルーヴは基本的に自分のためではなく誰かのために時間を使う。それは自分のレースよりも優先されることで、珍しいやつもいるんだなと思った。しかも、彼女が必要だと思うことをレースで勝つためには無駄だと言うトレーナー達は悉く切り捨てられていた。だからこそ怠け者の俺とは相性が良かったのだろう。最低限のトレーニングメニューを送り付けたらオワオワリ! 他にやりたいことがありゃ勝手にどうぞとしていたら、過干渉してこない俺のことが気に入ったというよりは、彼女にとっても都合が良かったのだろう。
俺はエアグルーヴがやりたいことをするためのトレーナーとして、練習場やレースの予約はしてやった。たまにカフェやレストランの付き添いを頼まれて、行ってやったこともある。後輩と行くため、会長を招待するためだとか理由は様々だったが、仕事ではなかったしそれくらいならと引き受けた覚えがある。結局行ったのかは知らねぇけど。
「おい、聞いているのか」
「あぁ、来た理由だっけ……?」
そう言って会長の方をちらりと見やる。まぁ、遅かれ早かれ彼女の耳には入りそうだし、聞かれてても問題は無いだろうが、一応な。
「ふむ、邪魔なら少し出るが」
「いえ、私たちが」
「会長さんが良ければ別に聞いてくれてもいい」
大した話でもないし、理事長やたづなさんに話した時点で生徒会長の耳にも入るのは必然だからな。それに座っているウマ娘に出て行かせるのも気が引ける。
「俺、トレーナー辞めるんだわ」
「……はぁ、またその冗談か」
「いや、今度は嘘じゃないっす」
確かエアグルーヴにめちゃくちゃ怒られた時に口走った気がする。だってあの時のアイツめちゃくちゃ怖かったんだもん……。昔のことを思い出して俺が怯えていると会長が口を開いた。
「正気かい? 本当ならば理由はなんなんだ?」
「結婚です」
言うと2人は互いに目を合わせて、再び俺へと視線やるとまた目を合わせた。なんなの? 目と目で通じ合うの?
「ふむ、それはつまり……その、なんだ。結婚するから辞めるということか?」
「そういうことだな」
思いのほか状況の飲み込めていないエアグルーヴに代わり、会長が俺へ確認するように尋ねてくる。
「ちなみにだが、相手は誰なんだ?」
「相手?」
「あぁ。結婚するというのならば相手がいるのは至極当然。差し支えないなら聞いておきたい」
君とは知らない仲でもないのだからと語る会長に俺は頭を抱えそうになった。いや、結婚したいから辞めるんですけどとはとても言えない。トレセン学園の生徒会ツートップ。頭は回るし、俺が結婚相手を見つけてないことがバレれば、正論のナイフで滅多刺しにされるのは目に見えている。
「……私にも、聞かせてもらおうか」
「ヒェッ」
なんでちょっと怒ってんだよ。エアグルーヴ的には無能なトレーナーがいなくてラッキーじゃないのん? いや、もしかしたら電話やメッセージ1つで飛んでくる都合のいい男がいなくなることを危惧して!? どちらにせよ俺への評価が低いのは変わらねぇじゃん。
あるいは、俺と結婚する奇特な女性について興味があるのか。そして、俺から名前と住所を聞き出して俺の危険性を暴露して破局に追い込もうって魂胆か。先行と差しのクセにぃ!
「……そこはまぁ、また今度正式な発表をもって、ご報告とさせていただきます」
「は?」
「ヒィッ」
「言えないのか? 何故だ? 言ってみろ」
鬼舞辻エアグルーヴ様、おやめください。わたくし、死んでしまいます! ジリジリと詰めて来て、圧迫面接みたいに壁ドンするのはやめてください。圧迫面接で壁ドンはしないわ。
「いや、その、相手に了承を……」
「取っていない? そもそも、結婚するだけならトレーナーを辞めなくてもいいだろう。トレーナーでもない貴様になんの価値がある?」
「あ、ありますよ……ありますあります……(超小声)」
「例えば?」
ええっと……ジョークに富んでいるとか、ユーモラスに溢れている。比類出来ないほどのクズさ。腐ったにんじんよりも性根が腐ってるとか。あとは死なずに生きてるとか、6年は働いたこととか……。ダメだ俺のセールスポイントがありふれすぎている。希少性と社会的に宜しくない方向に。トレーナーじゃない俺の価値とか1番知りてぇわと思っていると、目の前のエアグルーヴがより迫ってくる。
「ないんだろう。だから、結婚なんてジョークを言うのは」
瞬間、俺の意識は事切れた。というか、よく分からなくなった。
「うるさーい! 黙れ黙れ! キミみたいな胸も態度もデカい女じゃなくて! ボクのことをトロットロに甘やかしてくれる女の子と結婚するんだ! 要領も頭も顔も身体もいいからって調子に乗るなよ!!」
「け、貶すのか、褒めるのかどっちかにしろ!」
「知るかー! ボクはもう帰る! 結婚するって言ったらするんだ! 結婚してボクは働かずに暮らすんだ! 式場と産婦人科が決まったら連絡してやるからな覚悟しておけ!」
早口でまくし立てて、エアグルーヴを逆に壁ドンしてやると、彼女は押し黙る。そして、部屋から出る前にボクとエアグルーヴのやり取りを呆然と見ていた会長へと頭を下げる。
「お騒がせしてすみませんでしたぁっ!!」
今日はもう疲れた。ほかのウマ娘への連絡は明日にしよう。うん。
###
言いたいことだけを言って出ていった男の姿が無くなってから、数分経ってシンボリルドルフはこめかみを押さえていた手を離すと、副会長の方を見た。
「……大丈夫か?」
「……えっ? えぇ、はい……私は、大丈夫です」
確かに見た様子はいつも通りのエアグルーヴだが、やや放心状態なように思える。シンボリルドルフは紅茶をいれに席を離れる。彼女が戻ってくるまでエアグルーヴはずっと立ち尽くしたままであった。
「エアグルーヴ、紅茶をいれたんだが」
「……あぁ、ありがとう、ございます。いただきます」
言うとエアグルーヴはソファへと腰掛けると、カップを持ち上げて紅茶を一口喉へと通す。飲み物が入ってやや落ち着いたエアグルーヴは会長へと頭を下げるとカップを机へと置いた。
「すみません。私のトレーナーが」
「いや、彼の奇行は聞き及んでいた」
しかし、実際に目の当たりにすると凄いなとシンボリルドルフは内心かなり驚いていた。幼稚地味た口調ではあったが、あのエアグルーヴを気迫で押し切るとは。やはり只者ではないと頷いた。
「それで、彼のアレは本気だと思うか?」
「……分かりません。いつもの事のようにも思えますが」
辞めるとは何度か聞いたことがあるがその度に駄々をこねても説教をしてきた。先程の幼児退行も見慣れていたが、今回は雰囲気が違ったとエアグルーヴはため息をつく。
「結婚したいからと明確な理由を言ったのは初めてだったので、おそらく本気、かと」
本当に辞めるとなれば辞表が理事長の手元に届いているだろう。真実かどうかは確かめればすぐに分かることだ。流石に口だけで辞めると言って去るほど腐ってはいない……と思いたいルドルフとエアグルーヴは眉間に皺を寄せた。
「まぁ、結婚理由も大概だが、君への言葉も……」
エアグルーヴの言う通り貶しているのか褒めているのか分からなくなる言い方だった。あのトレーナーは幼児退行した分、思っていることが素直に出るらしい。
「……っ。か、からかわないでください」
「すまない。そんなつもりはなかったんだが」
エアグルーヴはトレーナーに自分の要領の良さ、頭や顔、身体を褒められたのは初めてで、しかもそんなふうに思っていると知り、嬉しくはないが不快でもないというやや不安定な気持ちが湧き上がっていた。おまけに辞めたいと言いつつもやれと言えば大抵の事はやるし、電話やメッセージ1つですぐに飛んでくる彼は、今まで出会ったどのトレーナーよりも自分に合っていると感じていた。変にアドバイスや口出しはしてこないし、生徒会活動や後輩育成に異を唱えたこともない。人間性は難があるがトレーナーとしては悪くないという評価がエアグルーヴの下した第一印象であった。練習メニューにも無駄がなく、練習場やレースの予約を怠ったことも無い。生徒会にいれば重宝されているであろう人材のクセして"働きたくない"と言った時は、エアグルーヴはキレた。
「アレはアレで一応いいところはあるんです」
幼児退行するとめんどくさいが、可愛げは出るのだ。エアグルーヴの母性が少しばかり刺激されたほどである。トレセン学園一母性に溢れたウマ娘が担当にいなくて良かったと思いつつ、彼を矯正しようと試みたが良くなったのは生活態度だけで性格は相変わらずであった。しかし、腐ってはいるが、味はあるとエアグルーヴは会長や後輩と行くからと連れ出したショッピングや食事の際に交わした会話を思い出していく。
『お前、マジでいい女よな』『どこから見ても美人とかせこくない?』
『顔もいい上にスタイルもいいとか世界でも救ったことあるの?』
『お前の子供ぜってぇ可愛いじゃん』『顔がいいやつは食べ方もいいんですねー! 羨ましー!』
「───────あのバカ……ッ!」
割と昔から言われてたと髪の毛をわしゃわしゃと掻き乱して机へとダイブするほどトレーナーとの思い出に浸っているエアグルーヴの前では、私も自分のトレーナーに顔がいいとか、賢いとか褒めて欲しいなとシンボリルドルフも思っていた。だがそれよりも、今はエアグルーヴとそのトレーナーのことだと我に返る。
「彼に辞められるとリベンジが果たせなくなるな……」
私情ではあるが、唯一無二。2年連続天皇賞制覇という目標を阻止してきたのは彼のウマ娘だ。彼がいなくなってもそのウマ娘の調子や能力は変わらないと思う。しかし、勝ってもどこか納得できない自分がいるとシンボリルドルフは腰を上げた。
「私は理事長の所へ確認に行ってくる」
「……私もお供します」
エアグルーヴの申し出に頷いたルドルフは生徒会室の扉を開け放つ。向かう先は理事長室だ。
今のところのトレーナー情報
・トレーナー歴6年目
・働きたくない
・結婚願望がある
・ヒモになりたい
・やれと言われたやる
・ユーモラス(自称)
・担当以外のウマ娘の名前は覚えていない
・追い詰められると幼児退行する
・健康診断ALL A
・脚質は逃げ
珍しくやる気の下がらないエアグルーヴ
トレーナーくんの友達
-
同期
-
先輩
-
後輩
-
いない