15時に理事長と会うまで暇だったし、腹も減ったのでタイキシャトルとビックマックを食べた。ウマ娘の食欲は尋常ではなく、俺の財布が空になるくらい食うやつがほとんどだったので、初めの頃は外食は避けるようにしていたのだが、私腹を肥やし自分の財布よりも店の在庫を心配できるくらいの余裕がある俺に怖いものはない。
俺は恐怖を克服することは生きることだと思う。真に頂点に立つものはほんのちっぽけな恐怖をも持たないやつのことだ。つまり、エアグルーヴにほんのちっぽけな、ほんの、ほんのだ。これくらいの恐怖心を持つ俺はまだ生きているとは言えない。まぁあいつ顔がいいからな。変な性癖に目覚めそうになるから、目覚める前に防衛機制が働いちゃうんだろうなぁ……。やめたらSMクラブとか風俗とか、キャバクラとか行ってみたかったけど行けなかったとことか、やりたかったこともやってみよう。
しかし、そうやって、したかった事やっててもウマ娘のこととかが脳裏にチラつくんだろうなと、タイキシャトルの食べ顔を見ていたら思ってしまった。結婚した後にトレーナー職に復帰するのは、アリなのだろうか。ライセンスは持ってるわけだし可能だとは思うが。
だが、またここに来るというのは難しいだろう。ただでさえ俺はいい感情を抱かれていないというのに。しかも結婚相手もいないのに、結婚を理由に辞めるのだから救えない。オマケに出戻りする時に結婚出来てなかったら冷ややかな眼差しを向けられることは確実。想像しただけでゾクゾクしますわ。
そんな冗談は置いておいて、報告できていないウマ娘はあと1人。最後の1人だからか気が引き締まるような、予定していたタイキシャトルでは無いから、楽な気もする。そいつは担当の中では一番奇行に走りがちだが、大人びているし、話せば分かってくれるだろう。
いや、話せば分かるだなんてのは強者の考えだ。なんで言わなかったとか、言葉で通じ合えるなんてのはまやかしだ。俺が今まで彼女たちに弄してきた言葉も嘘偽りがなくても、ちゃんと通じているかは別の話だ。俺は弱者だから、言葉で伝わないなら行動で示すしかない。それでも分かって貰えないならその時に考えればいいと思っているが、果たしてちゃんと伝えられるだろうかと不安になる。
でも、伝えようとする気持ちがあれば、伝えようとすることを諦めなければ、気持ちは届くと俺は信じている。エアグルーヴは納得はしてなさそうだったから、また会わないとな。
「空は晴れやかだというのに、キミの心はそうではなさそうだね」
そう考えていると、一迅の風が舞う。風と共に現れた存在が起こしたかのように。
大仰に、荘厳に、腹のそこに響くかのような重音はオペラ歌手や歌劇団の役者を思わせる。そして、古代ギリシャで造られた彫刻像にも似た美しい容姿を持つ。アメジストのような瞳に、明るい栗毛のショートカットは快活かつ、気品を漂わせ、左耳にはイエロー、右耳にはグリーンの飾りをつけ、更に覇王を名乗る者としての矜恃かピンクの王冠を被っている。世界ひろしといえどこんなウマ娘は世界にたった1人。その名をテイエムオペラオー。
「やぁ、3日ぶりだね、トレーナー」
座れよとは言われなかったが、彼女は俺へと伸ばした手を下げると、腰へと当てた。自称・最強、最速にして、最高の美貌を持つ天才ウマ娘。それだけ豪語できる自信を持ち合わせたスーパーナルシストであり、生粋のボクっ娘だ。属性過多にもほどがある。
最強の座に君臨し、挑んでくる者をさらに上回る「覇王」となることを目指す彼女は俺のどの担当より好戦的ではあるが、自身こそ最強という確固たる自信ゆえに敵の存在を肯定するからか、彼女を嫌う者は少ない。
「話したいことがあるのだろう? この前、ボクの趣味に付き合ってもらったお礼だ。聞くだけ聞こうじゃないか」
「珍しいな、お前から俺の話を聞きたいだなんて」
「失敬だな。ボクはキミと違って誰の話でも聞くよ」
それでは俺が人の話をまともに聞いてないみたいじゃないか。間違ってはいないがな。俺がちゃんと話を聞くのは、家族とたった1人の友人、担当と上司だけだ。それ以外の話は妬みや宣戦布告だとか、聞いてもどうしようもないやつばっかりだしな。人を成長させ、団結させるのは明確な敵の存在だとは言え、俺を敵に見据えるだなんてどうかしてるぜまったく。
オペラオーの提案に甘えて、俺はこれからのことを話した。結婚するためにトレーナーを辞めること。相手は決まってないけど。
「決まっていない? それはおかしいな 」
やっぱり、オペラオーもそう思う? 俺ちゃんの名誉だとか、嫉妬やらは全部が全部ウマ娘のおかげなんだけど、トレーナーになれたのは俺自身の力だから、そこだけは認めて欲しい。それにトレーナーということを抜きにしてもマネーはあるし、男としての責任は果たせるくらいには成長したんだ。だから、1人くらいはなびいてくれてもええんやで。
しかし、オペラオーの言いたいことはそうでは無いらしい。
「キミにはボクがいるじゃないか」
「……?」
はて、なんの話だ。
「忘れたのかい? あの日共に語ったオースを」
「Oath?」
マジでなんの事かわからない……というわけでもない。テイエムオペラオーとは、共に味わった雪辱がある。彼女はいくつものレースで勝ってきた。天皇賞に、宝塚記念、有馬記念。だが、勝てなかったレースが一つだけある。日本ダービーだ。
デビューレースから連戦連勝で絶好調だったオペラオーがまさかの4着。流石のオペラオーもこの結果には来るものがあったのか、珍しく涙を流していた。
そこからオペラオーは変わった。良い意味で。練習に見合った自信と、自信に値する勝利を得てきた。勝ち方にこだわりのあったオペラオーはより高みへと至った。ただ勝つだけではない。誰もが、オペラオーが勝って当然だと思わせるような、そんなレースをし始めた。
「悪い。けど、トレーナーが変わってもレースには出られる」
「レース……? 確かにキミがいなくても、出られる。でも、ボクはキミと駆けたい」
「客席にいるってのじゃ、ダメか」
「論外だね」
トレーナーもレースが始まれば終わるまで客席での応援になる。それはトレーナーでなくても変わらない。ただのお客さんでも、応援する時は客席からだ。立場が変わっても、トレーナーじゃなくなっても、応援する場所は変わらない。
けど、これこそが詭弁だ。トレーナーとは本来、レースまでウマ娘のそばに居て支えてやるものだ。時に励まして、勇気づけて、転んだら手を差し伸べる。ただ応援するだけじゃない。共に傷つきあってでも、立ち上がる。何度でも進み続けるパートナー、それがウマ娘とトレーナーのあるべき姿。
「でも、俺は」
「ボクはキミに、隣にいる以上のことは望んではいない」
「……いや、オペラとか作詞作曲だとかやらせたじゃん」
「……」
スっと目を逸らされた。いい感じに話して俺を引き止める気だったのか。オペラオーはわざとらしく咳払いをすると、手を開き肘を曲げる。その様はパラパラと言うよりはDaisukeだ。
「ある人は言った! 女は男にとって太陽だと。それはつまり、太陽であるボクはキミの太陽であることを表している! わかるね?」
「全然わからん」
「ふっ、やはりボクという輝きが強すぎるみたいだ」
急に自分に酔いしれるのやめてもらっていいですか? 一体誰に似たんだか。こいつは元からだったわ。
「お前は俺じゃなくても、勝てると思うぞ」
なんなら俺じゃない方が勝てるまである。俺より真面目なやつにトレーニングメニュー組んでもらって、四六時中レースに向き合ってれば勝てる確率は上がるはずだ。
だが、もし俺と共に勝ちたいと言ってくれているのなら、辞めるのは次の重賞レースが終わるまで待つって手もある。しかし、他のみんなにはもう辞めると伝えている手前、オペラオーだけ特別扱いってのは難しい。
「……あぁ、そうさ。ボクはキミがいなくても勝てるよ。あの時はキミがいても、ボクは勝てなかったんだから」
「だったら」
「でも、キミが居なくなった後にボクが勝ち続けても、キミが……!」
オペラオーは言って、しまったという表情を浮かべると言葉を飲み込んだ。なるほど、こいつはダメでどうしようもないトレーナーがいなくなった後に勝ってしまうことが申し訳ないらしい。殊勝なことだ。
「そんなこと気にしなくていい。お前の物語だ。俺みたいな脇役の事は放っておけよ」
むしろ、ヒールとして貶してくれて構わない。天才、テイエムオペラオーの足を引っ張った男として。あ、いや、それはやめてもらおう。そのせいで女の子が寄ってこなくなったら、困るしな。
「どんな脇役でもボクを盛り立ててくれるなら、見捨てるわけにはいかないさ」
おぉご立派。そういえば、こいつこんな物言いのくせに後輩からは結構慕われるんだよなぁ。今どきのウマ娘はこういうのが好きなのかしらねぇと近所のおばさんが噂でもしてそうだ。
「それにキミは脇役なんかじゃないよ」
「え? そうなの?」
知らなかったわそんなこと……。だとしたらどの辺りなのかしら。監督テイエムオペラオー。脚本テイエムオペラオー。演出テイエムオペラオー。主役テイエムオペラオーの物語のどこに俺が入り込む余地があるのか。あぁ、音楽か。役者ですらなかった……と衝撃の事実に気づいているとオペラオーは口を開く。
「だから、行かないでくれ。レクイエムには……早すぎる」
鎮魂歌か。まぁ、トレーナーでなくなるわけだし、表現に誇張はあれど否定する程ではない。
これまでの話でオペラオーも含めて、他の担当の話を統合すると、やはり相談もなしに辞めるというのは早計だったのかもしれない。辞めるにしても具体的な時期や、最後に何をするかとか、その辺を決めてからの方がみんな納得出来ただろう。
でも、カレンやファル子、タイキシャトルは完全に納得したというわけではなそうだが、俺のことを送り出してもいいという感じだった。エアグルーヴはちょっと怖くて、最後まで言えていないが。そして、オペラオーがここまでごねるというのはやや予想外だった。
「分かった」
この後、理事長との話し合いがある。辞表を拒否することは出来ないはずだから、俺が辞めることは既定路線になっていたとしても、どの時期に辞めるかまでは決まっていないはずだ。おそらく、早くて受理した日になるだろうが、俺の担当は数が多いし後任を決めるためにも、学園側としても日にちは欲しいはずだ。だったら、そこを交渉材料にしつつ、全員のどのレースで俺が契約解除をするかを決めれば、皆平等に見届けることが出来るかもしれない。
「……本当か?」
「あぁ」
あくまで可能性だが、その可能性が1%だとしてもやれることはやるべきだ。やらずに後悔するよりは、やって後悔しよう。無理なら無理で手は考えよう。せめて、最後くらいは男らしく行こうじゃないか。
最近は評価バーに色ついてから気にしてなかったけど、異様に1が多くてめちゃくちゃ気にしてますねぇ!!
一応これで全員ウマ娘は出揃いました。やったぜ。次は理事長室、再びです。部屋の片付けが終わるまで投稿できません。よしなに。
勘違い一覧
主人公→カレンのトレーナーをやめる=お兄ちゃんではなくなる。
ファル子のファンは結婚してもしなくても続ける。
タイキのトレーナーでなくても心は同じ(そばに居る)
テイエムオペラオーと卒業するまで勝ち続けるという約束があるので、その事だと思っている。
カレン→主人公がお兄ちゃんでなくなる=主人公の夫になる(今は勘違いではないかと考えているが、勘違いだと恥ずかしいので黙っている)
ファル子→ウマドル事務所的に結婚できる年齢まで主人公が待ってくれると思っている。
タイキシャトル→心がおなじ=タイキと主人公は両思いだと思っている。
テイエムオペラオー→勘違いの内容は不明。だが、約束の内容は主人公と勝ち続けたいというものではない。
エアグルーヴ→勘違いが発生していない。