シリアス「よぉ」
正直にいえば、他のやり方もあったのではないかと、心の根底で燻っている気持ちがあった。簡単かつシンプルに終わらせようと、策を弄することなく、後腐れもなくここから去ろうと直線的に考えた結果が彼女の涙であるのならば、俺は考えを改める必要がある。しかし、後腐れもなく誰も嫌な気持ちにならないお別れの方法を俺は知らない。何故ならば、俺がちゃんと誰かとお別れするのはこれが初めてなのだから。
学校では五教科に加えて副教科と人生で使い続けられる知識はひと握りのことしか教えてくれなくて、困ったことに自動車免許の取り方とか国民年金がいつやって来るとか、友達や恋人の作り方は教えてくれない。
悪いのは俺ではなく社会だと謳って来たが、今回ばかりは俺が悪いと言わざるを得ない。言葉や行動一つで変えられるものがあったはずなのに、考えることも無く自分の気持ちを優先した結果が女の子の涙となれば、結婚なんてできるはずがない。
「どうぞ」
理事長室の扉前まで来てノックをすると、ドアの向こうからたづなさんの声がかえってくる。その言葉を合図に俺は戸を引くと共に口を開く。
「失礼します」
扉を開いて入った先には、理事長がおり、その隣にはたづなさんが立っている。これはいつも通りのことだ。違うのは他にも居合わせている人間がいる点だ。
理事長の机の前には何故か会長とエアグルーヴがいる。生徒会会長と副会長という立場にいるにしても、たった1人のトレーナーのこれからを決める場に参加するものだろうか。まぁ、エアグルーヴは分かるにしても、さも平然と言う顔で立っている会長がよく分からない。
そして、その逆側にはカレンにファル子、タイキシャトルと、テイエムオペラオー以外の担当ウマ娘が揃っていた。全員が何か言いたげな目でこちらを見てくるが、俺からはただ一つ。オペラオーも呼んであげて?
「わぁ、こんな大勢に見られるなんて興奮しちゃうわね」
「……真面目にやれ」
個室で女の子複数に視姦された経験が無いため、自分の雰囲気に持ち込もうとするがエアグルーヴママによってそれも却下される。この様子を見守っていた理事長は苦々しげに深いため息を吐いてから、いつもの口調で話を切り出した。
「報告ッ! 君の退職志願についてだ!」
手には封を切られた辞表届の中身がある。もう既に目は通したようだが、肝心の承認印のようなものが押されていないように思える。まずは良かったと思いつつも、それが悟られないように努めて平静を装う。
「確認ッ! 気持ちは、変わらないか?」
「……そっすね、結婚するために辞めるって意思はダイヤモンドより硬い自負があります」
ダイヤモンドってハンマーで割れるんじゃなかったっけというカレンの囁き声を拾うよりも先にたづなさんが口を開いた。
「そう、ですか。であれば、貴方の辞表を受理しましょう。でも、すぐにお辞めになることは、叶いません」
「どういうことですか?」
「まず、貴方の担当ウマ娘の引き受け先が決まっていません。皆さんは現担当のウマ娘の方々と練習に励んでいる時に、急に貴方のウマ娘を引き受けるのは難しいからです」
でしょうねとその言葉に俺は首肯して、話の続きを促す。
「次に貴方の退職金の精査に、手続きに必要な書類の準備もあります。そして最後に……」
たづなさんは躊躇うように1度、言葉を区切って、俺から視線を外し、エアグルーヴとカレンたちの方を見た。
「……貴方の担当ウマ娘が納得されていません」
おかしいなエアグルーヴ以外は納得してくれたように感じていたのだが。それはまぁいい。全ての話を聞いて、それを消化するように俺はゆっくりと頷いた。
「懇願ッ! 諸々の話が解決するまで、もう少しいてくれないだろうか?」
理事長の言葉に俺は違和感を持つ。勝手に辞める側の俺にこうも気を遣わないといけないくらいトレーナー不足は深刻なのだろうか。
「顔をあげてください。それは俺が勝手に相談せずに辞めると言ったことが原因ですからお2人は悪くありません」
それに本来謝ったりお願いするのは俺であるはずだと気付き、俺は2人に顔を上げてもらうように言ってから、不躾かつ無礼と分かっていながらもこちらから話を持ち出す。
「担当たちのことについては俺も考えていました。色々と厄介なことをしておきながら、俺から1つお願いがあります」
「ほう」
先に興味を示したのは会長だ。その後に理事長とたづなさんが視線を合わせて頷くと俺へとその目が向けられる。無言は言っても構わないというサインと取る。
「ここにいないオペラオーも含めて、担当全員を重賞で優勝してもらってから辞めようと考えているのですが、どうでしょうか?」
「それは……」
たづなさんが理事長へと視線をやる。その理事長は扇子と共に瞼を閉じて、何やら考えているようだった。
「……キミは結婚相手を探すために、辞めると言っていたな?」
「ええ」
「結婚は諦めたのか?」
どうしてそうなるのかと思いつつも、俺は理事長の質問に首を振って答えた。
「むぅ、そうか……」
答えを聞いた理事長はとても悩ましげに腕を組む。学園を束ねる理事長だけあって、学園に関わる事は全て彼女の決定に委ねられる。そのため、俺を含めてこの部屋の誰もが理事長の言葉を待っている。
「再確認ッ! キミは結婚するために辞める。結婚は諦めていないッ!」
「はい、その通りです」
それがどうかしたのかと軽く頷くと、理事長は閉じた扇子を俺へと向けるとこう言い放った。
「………………な、ならッ! わ、私とっ、け、けっ、結婚しろッ!!!」
───────?
「り、理事長?」
「えっ、えっ?」
言葉の理解が及ばない俺に、理事長の言葉の意図が汲み取れていないたづなさんが声を上げ、カレンが理事長と俺を交互に見遣りながら声を出す。そして、僅かに遅れてエアグルーヴが口を開いた。
「ちょっと待ってください! 一体それはどういうことですか!」
「説明ッ! 彼は結婚するために辞めると言った! ならば、結婚すれば辞める必要がなくなる!」
あぁ、なるほどそういうことか。理事長頭いいじゃんと納得していると、俺へと冷たい視線が3つ突き刺さる。
「Wait! トレーナーさん、どういうことですかぁ!?」
「ファル子との約束は!?」
「お兄ちゃん、理事長と結婚しちゃうの!?」
唐突な質問攻めに俺は目を瞬かせて誤魔化そうとするも、そう簡単に3人とも逃してくれはしない。
「トレーナーさん、ファル子が事務所からOK貰えるまで待ってくれるって言ったじゃん!」
言ってない。
「お兄ちゃん! 私と結婚してお兄ちゃんから夫になるって!」
言ってない。
「ワタシと心は同じで、ダイスキって言いマシタ!」
言ってない。
全部言ってない。ずっとファンでいるとは言ったけど、ファル子と結婚するとは言ってないし、カレンのお兄ちゃんでなくなるのはトレーナーを辞めるからだと思ってたし、心は同じってのは離れていてもそばにいるよ的なニュアンスだったんだが。
「キサマ……」
「いや、違うんだよエアグルーヴ」
なんで浮気がバレた夫みたいなことになってんの? 浮気や不倫にしても数が多すぎるよ? てか、誰一人として付き合ってないから冤罪だろこれ。俺は無実だ、弁護士を呼べ弁護士を!
「トレーナーさん、貴方……」
「すごいな君」
たづなさんは驚愕し、会長はただただ感心していた。ちょっとは助けろや。
「婚姻! これにキミの判子を押せば終わりだ!」
「理事長ッ!?」
えぇ……もう婚姻届まであるの? ご丁寧に俺が書く欄全部埋まってるし。でも、これに判子を押せば俺も妻持ちにジョブチェンジってマジ? オマケに相手は日本有数のウマ娘育成学園の理事長。玉の輿じゃんと身体中のポケットを漁り判子がないか確認していると「だめぇーっ!」と3人のウマ娘から組み伏せられる。
「アダダダダダダダッッッ!!!?」
「お兄ちゃんダメだよ!」
「ファル子との約束はどうなるの!?」
「ノー! こんなサギに騙されてはいけマセーン!」
痛いッ痛いッ死んじゃう〜ッ! あ、でも仄かにいい匂いと柔らかな膨らみが……ッ! と本日二度目の幸福を味わっていると、パンツが見えそうなくらいの位置にエアグルーヴが立つ。
「3人ともやめろ、ここは理事長室だぞ」
エアグルーヴぅ……! 彼女に言われては流石の3人も俺から離れて、シュンと1歩離れる。良かったようなもう少し味わいたかったようなと立ち上がる。
「ありがとうエアグルーヴ」
「キサマのためではない。会長の前で見苦しい姿を見せるな」
「それよりエアグルーヴって結構可愛いパンツ履いてるんだな」
まぁ、前から知ってたけど。と付け足す前に尋常じゃない指圧が俺の首に加わる。
「キサマ、死にたいのか……?」
「ごっ、ごめ"ん"、ぎ、ギブっ" ぎ"ぶ"ぅ"!」
3人に組み伏せられてる方がマシだった。ウマ娘のパワーで首絞めはアカンて……片手だし本気じゃなかったにしてもアカンて……。まぁ、これでセクハラと殺人未遂だし、俺の罪はかなり軽くなった方だ。訴えられても3日くらい反省したら済む話だぞ。頑張れ俺!
「それで理事長先程の話は本気なのですか?」
「無論ッ! 冗談でこのようなことを言う乙女がいるか!?」
乙女だったのか……。てっきり話し方がアレだから、そっちよりだと思ってたわ。よく思い出したら初めに結婚って口にする時、めちゃくちゃ恥ずかしそうにしてたわ。わー、顔を真っ赤にして可愛い。よし、結婚すっか! チャンスは前髪しかない。だから掴んで離すなって聞いたことある! 判子もない今、親指を切って拇印で同意しようとすると、突然理事長の扉が大きく開かれた。
「話は聞かせてもらったよ!」
現れたのは話がめんどくさくなるからとこの場に呼ばれていなかったであろうテイエムオペラオーで、エアグルーヴは来てしまったかとあからさまに嫌そうな顔をした。
「トレーナーくんを辞めさせない方法についてはボクもシンキングを繰り返していた! ボクという太陽の輝きの虜にすれば、キミも考え直すのではないかと思っていた……。だがッ! ボクは自分の美しさに自惚れて簡単に考えていたようだ!」
なんの前触れも無く始まった寸劇に、慣れている俺以外は困り果てて眉尻を下げていた。
「キミの心を溶かすのは太陽じゃない! 心を溶かせるのは心だけ! そう心だ! 心が必要なのさ!」
「……そうなの?」
「いや、知らん」
カレンに訊かれて俺は即座にそう言い返した。
「つまり、どういうことだ」
説明しろと暗に言うエアグルーヴにテイエムオペラオーは肩にかかるほどでもない長さの髪を払うと、毅然とした態度で不敵に笑うとこういうことさとカレンやタイキシャトルの間を通り抜けて、俺の前へとやってくる。
「キミたちは白雪姫という話を知っているかな?」
この世だかこの街だか、良くは知らないが鏡に対して、美しい女性を聞いたら飛び出してきた名前のお姫様だ。その名を聞いて、自分より美しい存在が許せない魔女が毒林檎を食わせて白雪姫を眠らせるのだが、眠った白雪姫を起こしたのは王子様のキスで、あとはハッピーエンドだったように思う。毒林檎の毒がキスで解呪されるのも変な話だが、毒林檎を食べて眠った女によくキスをしようと思ったなと考えたこともあったが、あれは何故なんだろうか。
実際に読んだことのない話なのでかなりざっくりしているが、こんなものだろうか。それがどうしたのかと首を傾げていると、首元の襟を掴まれる。
「あ、まさか」
「そのまさかさ」
やるなら役が逆ではないだろうかと思いながらも、主演が彼女で台本・演出も彼女の舞台に俺が口を出す術はなく、なんならこれから塞がれてしまうのだから余計に無理だと諦めた時、唇に想像していたような温かい感触はなかった。
おかしいなと目を開ければ、オペラオーに掴みかかるエアグルーヴの姿があった。
「キサマ、何をふざけたことをッ!」
「離したまえ! これはボクの劇だぞ!」
「訳の分からないことを言うなッ!!」
あらあらエアグルーヴさんたら会長が見てる前ではしたないこと……。そういや、残りの3人は止めないかと思っているとそれぞれが唇を抑えて赤い顔をしていて色々と察した。ピュアで助かった。ハグは良くてもキスはまだノーでよかった。
「……理事長なんでこいつら呼んだんすか?」
「否定ッ! 呼んでない! 呼んでないのに……来たんだもん!」
そっか、それは……仕方なかったってやつだなと俺は1人納得して喧嘩している2人の足元で踏んづけられてボロボロになっていく婚姻届を見て天井を仰いだ。
俺、結局どうなるの?
シリアス「じゃあの」
1人結婚の約束も誤解もなかった副会長「キサマ……」
あと4話書いたら終わり、あと4話書いたら終わり……
好きなの
-
秋川やよい(理事長)
-
エアグルーヴ
-
カレンチャン
-
スマートフォルコン
-
タイキシャトル
-
テイエムオペラオー
-
駿川たづな