由緒正しき秀知院学園のだだっ広い廊下を観衆に囲まれながら堂々と歩く二人。我らが秀知院学園高等部生徒会の会長と副会長である。
まあどれくらい由緒正しいかと言えば、その昔は貴族や士族を教育するための機関だったとかなんとか。今も編入制度があるとはいえ、純院、混院と区別される現状がある。それは国の主たる家に生まれた者と幼少から過ごし共に勉学に励んだという事実が生み出したモノ。箱庭の中で常識を学ぶのはそう難しくない。しかしながら教育の中で育まれた健全な仲間意識というものは、時にその常識を破壊し得る。
だから校長は何度でも言うのだ。 "学校とは小さな小さな社会であり、外の世界は今よりももっと素晴らしく広大で残酷である" そして "友人達と手を取り合い、そんな世界を協力して生きていこう" と。
果たしてこの学校に本当の意味で友と協力を出来る人が何人いるだろうか。少なくとも昔の氷のかぐや姫には無理だっただろう。誰にでも分け隔てなく救いの手を差し伸べる、白銀御行という男と正反対の人間だから。仮にその慈愛に満ちた優しき手を氷のかぐや姫に伸ばしたとて、それを受け取るようでは四宮の人間ではない。それでも白銀御行の手を取ったからこそ今のアホな四宮のご令嬢が居るのだと推測できる。そうでなければあのキャッキャウフフの空気を醸し出している二人に説明がつかない。生徒会発足当時はそんなに仲良くなかっただろ!!
閑話休題。
我らが会長、白銀御行はかつて最高峰の教育機関とされたこの秀知院において、勉学のみで生徒の尊敬と畏怖を一身に受ける人間だ。その努力は並大抵のものでないことは周知の事実であり、だからこそ稀代の才女四宮かぐやに並び立つことが許されている。それくらい身分が違う二人ことが明らかであるが故に、白銀御行という庶民の異常さが窺えるとも言える。
努力は誰でも出来る。それでも継続し続けるとなると話は別だ。人間とは元来怠惰な生き物である。無数の選択肢があり何者にでもなれる現代を生きる僕たちは特にそうだろう。努力することも選べれば、簡単な方に楽な方に逃げることもできるのだから。
けれど絶対に逃げることをしない、果てしないほどの努力をし続けて尚その歩みを止めない男が白銀御行なのだ。
意味が分からないほどの愚直さに、何かを追い続けるその執念に当時の僕は心底惹かれた。自分が持たないものを努力で身につけた彼に嫉妬したと言ってもいいだろう。それでも惹かれたのだ。帝様のような清濁併せ呑むような傑物ではない、純粋純朴たるその善性を持つ生き物に。僕の自認は白銀御行のファン第一号だ。
彼は四宮かぐやほどの才覚はなく、帝様のように自然に事を成せるような手腕もない。
虚勢を張らなければ飛んでしまいそうな、そんな人間だ。
それなのに、
"四宮かぐやの隣に並べる男になる"
その一心でここまで来た。そして今、額面通りにその言葉を受けとるのならばそれは叶っていると言える。
でも隣という言葉の意味がそうでは無いことを僕は知っている。だからこそ惜しいと思う。
四宮かぐやの隣に居るべき人間は白銀御行ではない。
ましてや白銀御行の隣に居るべき人間が、あの四宮の人間でいいはずがない。
白銀御行の一ファンとしてこれだけは絶対に譲れない。