「岸部露伴は動かない」に登場するあるものが登場しますが知らずとも読めるのでご安心ください。
トレーニングの合間、休憩をしているアグネスタキオンの目には見慣れない光景が広がっていた。走っている間は前方に集中していて周囲を気にしていなかったというのもあるが……それは普段の学園生活で見る機会がそう多くないもの。
「なぁモルモットくん、何やら草むしりやゴミ拾いをしている子が多いみたいだけど……私が研究室に篭っている間にトレセンでは新しい行事でも始まったのかい?」
「ああ違う違う、あれはね――」
トレーナーの口から出た言葉を聞いてドリンクを飲むのを一旦止める。それはアグネスタキオンの予想とは全然違うものだったからだ。
「はー、『目標管理アプリ』ィ? それを使ったからだって言うのかい?」
トレーナーに向けるのは疑いの目。たった一つのスマートフォン用アプリでこうも人が動く訳がない。もし位置情報を利用するタイプのものならば、一つの目的地へと皆揃って移動するため多くのウマ娘が集まっていてもおかしくない。が、それと今現在進行中のトレセン内美化活動は繋がりようがないはずだが……。
「最近トレセン内で流行っているそうだよ」
曰く。アプリを起動すると目標の一覧が表示される。
曰く。目標として登録されていること、例えば『草むしり』や『ゴミ拾い』、『感謝の想いを伝える』などをすると目標達成、目標難易度に応じて『いいひとポイント』が貯まる。
曰く。全部の目標を達成すると新しい目標一覧が出てくる。
それを繰り返すだけ、というなんともまあトレーナーの話を聞いても何処にハマる要素があるのか分からないものであった。目標の例として挙げられているものが子供のお手伝いレベルであったり、いいひとポイントなんて取ってつけたような名称のポイントなのも気に入らない。
「……そーゆー仕組みなら自己申告制だろう、そのアプリってヤツ。やってなくても『やった』ことにして良い人アピールするのが一人や二人出てきてもおかしくないと思うんだが」
向けるのは疑惑の目。現代っ子にウケる要素が見当たらない件のアプリは、アグネスタキオンの興味を引く訳もなく。「そんなアプリやってて心の底から楽しいと思ってるのかァ〜?」と顔に完全に出ている。
「詳しくは分からないけど……自分で達成したとチェックを入れるんじゃなくてアプリが勝手に判断してるらしいんだよ、噂だとね」
「ふぅン。ま、キミがそんなモノを使う必要はないよ」
そう言ったアグネスタキオンはポッケから取り出したものを装着し、自慢げにくいくいと……待った。ゴーグルはまず発光しないし、ましてや意味ありげなグラフや表、文字を表示する機能は無い!
近未来なゴーグルへトレーナーの視線が釘付けになったのがわかると、アグネスタキオンは謎の薬品を説明するいつものように語り出した。
「ン ……これはちょいと設定したデータ達を表示しているだけさ。モルモットくんと試したあのVRとは全然関係ないから安心したまえ。マァ、ウマ娘の全力疾走で落ちないよう強めのゴムが付いているぐらいかな?」
何が何だかよく分からないが、一定のリズムで揺れる線は多分心拍数か? と予測はつくがそれだけ。まあ体に悪影響がないのならそれに越したことはない。
「さ、もうワンセット行こうか」
体を伝う汗。今いる場所よりももっと遠くへ、もっと速くと足を伸ばす。スピードの中、それがウマ娘の生きる世界のひとつ。
体を動かす、というのは悩みを振り払うための行動として挙げられる一つだ。トレーナーがラップタイムを記録するまでに、つい先程までしていた『アプリ』に関しての思いも疑問も、綺麗さっぱりなくなっていた。
***
時間というものは思っているよりも早く過ぎ去っていく。打ち込んでいるものの有る無しでも変わってくるが、まあそれは個人差がある。
あの変なアプリの話を聞いてから一週間が経った。学生としてはよく意識する時間のまとまりだ。――その一週間で、大きく変わってしまった人々がいた。
「目標、もくひょうゥ」
近寄り難い空気を撒き散らしながらスマートフォン片手にトレセン内を徘徊する一人。すれ違う間際、ぐりんと顔をフクロウみたいに回して、空いている手で行動を起こした。
「痛っ……! ちょっと何するのよ!」
「エヘヘェ、これで、達成……」
スマートフォンを見たかと思えば、またふらふらと何処かへ歩き去って行く。
……これで変になったウマ娘を見るのは8回目だ。見てきたのはどれも別人で、突然尾を引っ張る、転ばせようとしてくる、備品を壊す、などなど起こした行動こそ違うが世間一般では『わるいこと』とされているそれ。
ちょっと聞き込みをしたら、今までそんなことをする子じゃなかったのに、とクラスメイトは皆口を揃える。
最近何か変わったことを始めていなかったか? と聞くともしかしたら、と教えられたのはトレセンで流行っているらしい『目標管理アプリ』。
「面白い! 興味が湧いてきたッ」
一週間前とは真逆の反応を見せるアグネスタキオンの半径2メートル内に入ろうとするウマ娘はいなかった。上機嫌なアグネスタキオンに近付くとよく分からない危険そうな薬物を勧められると過去の経験から知っているからだ。
騒ぎが起きている方へ行けばアプリの使用者に会えるだろう、と足取り軽く。
「『友達にこのアプリをインストールさせる』……あとそれだけ、それだけなんだよォ〜〜ッ! 私たち友達でしょお! ねえ!」
「嫌、離してェ!」
道の真ん中、二人のウマ娘が取っ組み合っている。瞬き一つせず、一心不乱に要求し続けるのは件のアプリのインストール。完全に正気を失った様子のウマ娘はアグネスタキオンが求めていたものだが、こちらを認識してくれないのは流石に困る。
「アー、ちょいと退いてくれないかな」
間に割って入る。戸惑うウマ娘へとしっし、と何処かへ行くよう手を振ればありがとうなんて言葉を言われたがそこは今回重要じゃあない。
「それ、私にくれないか?」
スマートフォンをふんだくるようにしてダウンロードさせられたそのアプリは、噂に聞いた例のもので間違いなさそうだ。目標達成して満足そうなモルモットがどこかへ行ってしまいそうだったので薬を嗅がせる。
「さーて、どこから調べようかねェ」
よっこいしょ、と眠りに落ちたウマ娘を背負い研究室へと向かっていった。
***
「――コレ、まるでゲームでよく見るデイリーミッションみたいじゃないか」
全部達成するとオマケにゲーム内で使用できるアイテムなどがもらえるタイプのソレに酷似している。ついつい、と画面をスライドさせて――パソコンとスマートフォンを交互に操作し、あっはっはー、と笑いながら仰反る。椅子の背もたれに負担がかかってぎしゅりと悲鳴を上げた。
「電話番号、住所、ヘルプも問題報告もなーにも収穫ナシ! ここまで怪しくなるといっそ清々しいねェ!」
アグネスタキオンは今、とってもワクワクしていた。こんな怪しいものを疑問一つ抱かず使い続けられるのはどーいう神経してるんだ、なんてツッコミとそうさせるだけの何かがこのアプリには有る、と昼に仕掛けた罠にカブトムシが5匹ほどかかっているのを見た時の男児みたいな目の輝きで画面を見つめて――空気の揺らぎが耳を撫でた。
「……オイオイ、冗談だろ?」
つい先ほど薬により眠りに落ちたはずのウマ娘が目を開いている。彼女のスマートフォンを操作している。このアグネスタキオン特性の睡眠薬だ。効き目がそんな簡単に無くなるはずがない! 彼女のスマートフォンを取り上げておくべきだったか、と悔やんでももう遅い。
「しなきゃ、しなきゃ……」
「アッこら、勝手に出て行こうとするな!」
手を引いて引き留めようとしたが、結果は彼女が持っていたスマートフォンを奪い取れただけだった。睡眠薬は完全に抜けていないのか、体に力が入っていないらしく扉を上手く動かせていない――これはまだチャンスが残っている。急いで確認したスマートフォン、表示されている画面は勿論あのアプリ。
文字列が、瞬きをする間に書き変わっていく。
『大切なものを ⬛︎ す! -⬛︎⬛︎⬛︎P』
『ト ⬛︎ ーナーに ⬛︎⬛︎⬛︎ する! -⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎P』
『⬛︎⬛︎ 人にこのアプリをインストールさせる! +⬛︎⬛︎京P』
ふざけた数値のインフレーションと、シンプルな画面に似つかわしくない物騒な文字列。
彼らはもう『いいひと』とか『いいこと』『わるいこと』なんて気にしていない。ただ『目標』となったからそれをしているだけ――。
曰く。全部の目標を達成すると新しい目標一覧が出てくる。
一度でも目標を達成してしまえば止まらない。あと一つで全部終わるのに、と心のどこかに突っかかる。気になって気になって、おかしくなった果てが彼女のような操り人形となるシステム。
「つまり、コレはいいことを推奨するアプリなんかじゃない、『行動強制アプリ』だってワケか!」
個人でコントロールできない危険物、それを対処法も施さないで入れたままにする趣味はない。すぐにアグネスタキオンはスマートフォンを操作してアンインストールする。だが、既におかしくなっている彼女はアプリを消すなんて選択肢は取れそうにない。
「見えるのォ、ちゃんと見えてるのォ……しなきゃいけないことぜえんぶ分かってますゥウ」
天井を見ながらえへらえへら笑う彼女を無理矢理に引き倒し、時間を稼ぐ。
「良いこと悪いこと、なんてまず誰が決めたんだ」
手を動かす。必要なのはある一文、それが彼女へと届かねば意味はない。懐からソレを取り出し、抵抗されるよりも早く取り付ける。
「確かに社会生活を送るための最低限のラインはある。あるが……自由意志を削り自分を曲げなければならないような『強制』――なんて、そんなものが許されるはずがないだろうが!」
タタン、と打ち込んだその文字列が正しく表示されたのを確認してスマートフォンを見せる。画面と文字が重なるように、彼女にはまるで『ゴーグルが表示している文字列も目標である』かのように見えるよう、突きつける。
「……しなきゃッ!」
「うグッ」
信じられないような力で跳ね飛ばされたアグネスタキオンは後頭部を強打。ぐらぐらする視界の中、タキオン、とトレーナーが駆け寄るのと例のウマ娘が倒れるのは同時だった。
保健室へと運ばれたアグネスタキオンはトレーナーへ語る。
「ン、何……ちょっとあのアプリの画面と似せたものを見せてあげただけさ」
『アプリをアンインストールする』
「目標を達成させようとする強制力がある、のならそれを使うまでさ。…………まァ〜、上手くいくかは賭けに近かったんだが」
先程までの発狂が嘘のように見えるほど綺麗さっぱりした彼女は特に後遺症や依存なども無く日常に復帰した。周りの友達達が前と同じよう接してくれるか……までは保証は不可能だ。そればっかりは他人がどうこうできる問題ではない。
同じ対応が他のアプリ使用者に効くかどうかであちらこちらに引っ張りだこになりそうな予感がするがまずアグネスタキオンは医者ではない。専門家を呼ぶべきだ、と主張して逃げよう。
「ずっと自分の目標が見える生活、ねェ」
はーあ、と退屈そうに吐息を漏らして頬杖をつく。
「何を考えてあんなものを作ったのかは分からないが、押し付けなんて良くない。そう思わないかい、トレーナーくん?」
そう言ったアグネスタキオンは、笑っていた。
日本ウマ娘トレーニングセンター学園内にてコーイレ エレクトリカス・ロレンチーニャ変異種の産卵行動を確認。
コーイレ エレクトリカス・ロレンチーニャ変異種(以下変異種と記載)はより効率的な繁殖のためスマートフォン内部の基盤へ干渉し『巣』を形成。この『巣』は完成すると同時に特定のアプリケーションをインストールさせる働きを持つ。
変異種はアプリケーションの拡散を『巣』の材料集め・雌雄の接触手段・移動手段として利用し生息範囲を広げている模様。なお、日本ウマ娘トレーニングセンター学園への変異種流入経路は不明。更なる調査人員を求む。
現在、『消火用スプリンクラーの誤作動』と称した殺虫剤散布を予定。変異種駆除完了が確認できるまで日本ウマ娘トレーニングセンター学園関係者の行動監視は継続される。
調査より得られたアプリケーションの内容から、変異種は人為的な影響を受けている可能性が高い。アプリケーションの製作者は変異種の存在を認識しているか否かに関係せず危険人物であると断定。発見し次第始末せよ。