彼女らは皆スターとしてレースを競うトゥインクル・シリーズに憧れ、そこで活躍することを夢見ている。
けれど、それだけじゃない。彼女ら全員がレースに出場できる訳ではなく、普通のヒトと変わらない生活を送っているウマ娘だっている。
これは、そんな名前のないウマ娘のお話。
都内にある、ごく普通の公立中学校。
一ヶ月後に行われる体育祭の種目について説明する担任教師へ目を向ける俺の視界の中で、ピコピコと
いや、それだけじゃない。少し視線を下げれば、ゆらゆら揺れ、時折感情に合わせてピンと張ったりしなっと力の抜けたりする尻尾がある。
ウマ娘──可愛い顔して莫迦げた身体能力を持つ、ヒトとは少し異なる存在だ。
走れば時速60kmで車と併走し、1000mの距離を走りきるのなんて当たり前。耳と尻尾を持ち、ニンジンを好む傾向が強く、何より負けず嫌い。そんな種族が、彼女たちだ。
そして、耳や尻尾の動きは本人無自覚らしい。授業中、視界がうるさいので以前指摘したところ、かなりビックリしていた。・・・・・・いや、自分の身体なんだから気付けよ、そして制御しろよ。うっとうしいんだよその耳と尻尾。
世間では神秘的な種族だの、良き隣人だのと言われているが・・・・・・正直、あまり俺は彼女らのことが好きじゃなかった。
昔の話だ。そして、どこにでもあるような話でもある。
俺は、走るのが好きで、そこそこ足が速かった。当時の近所の奴らに駆けっこで負けたことも無かったし、鬼ごっこで捕まったこともなかった。勿論、他の足を使う遊びでも、敵なしだった。
そんな時だ。耳と尻尾を生やした少女が、俺たちに混ざってきたのは。
『ねぇ、私も混ぜてよ!』
そう言いながら公園に入ってきたその女は自ら鬼役を買って出ると、十秒後、逃げる俺をアッサリと捕まえた。
衝撃だった。同年代で俺より速い奴なんていないと思っていたのに、同い年の、それも女に負けるだなんて。
家に帰ってから親にその女のことを訊くと、あれが『ウマ娘』だという。テレビで存在は知っていたが、実際に目にするのは初めてだった俺はそのとき──
ずるい、と思った。たまたまウマ娘に生まれた、というだけで、足が速いだなんて。その上、ヒトよりも力強く、スタミナもある。卑怯だ、と子供心に思ってしまったのだ。
その後、その女と俺は同じ小学校に入学し、中学でも三年間同じクラスと、腐れ縁な関係が続いている。
感慨にふけっていた俺の意識は、はい、はい!と元気よく手を挙げる声で現実に引き戻される。どうやら種目の説明はいつの間にか終わって、出る競技を決めることになったらしい。目の前のコイツは徒競走に出るつもりのようだ。無論、俺もそのつもりだった。陸上部で走っていたし、今も走ることは好きだから。何より、体育祭の種目なら、基本は男女別だ。コイツがいないなら、負ける気がしなかった。
翌日から、早速種目ごとの練習が始まった。勿論男女別だ。女子の方はアイツがいるから練習しづらいだろうな、と思う。自分が走る隣で、どう頑張っても追い越せないスピードを見せつけられるのだ。アレは、中々に辛い。俺も小学校の体育で味わったが、あの苦しさは、今でも胸の中に残っている。
まあ、男子側の話をすれば、俺はその苦しみを与える側だが。もう部活は引退してしまったため、久しぶりに同級生と走ったが、やっぱり追われるってのは気分が良い。受験勉強なんかで溜まっていたストレスが、一気に吹き飛んだ気分だ。
そうして走っていると、練習が終わるのはあっという間だった。俺たちは汗で重くなった身体を引きずりながら、校舎へと戻る。
その途中で、何やらアイツが暗い顔をしているのに気づいた。普段ならクラスメイトと話しながら教室に戻っていくのに、今日はやけに力の無い足取りで歩いていた。
「おい。どうかしたのか」
「へ? あぁなんだキミかぁ」
ソイツは驚いたように顔を上げると、話しかけたのが俺だと気づいていつものように笑みを浮かべた。というか、声で気付けよ、何の為のその耳なんだよ。
「いや、なんでもないよ! もうすぐ卒業だなぁとか、そんなこと考えてただけ!」
「・・・・・・そうか」
そう明るい笑顔を作るコイツに、嘘だな、と確信しつつ俺は適当に相づちした。コイツは昔から嘘を付く時に耳があっちこっち向くクセがあるが、それはまだ直っていないらしい。
が、それでも誤魔化すということは、俺に話すようなことじゃないってことだろう。俺とコイツは腐れ縁ってだけで別段仲が良いワケでもない。無理に聞き出すつもりも無かった。
そんなことがあってから、一週間。相変わらず、アイツの表情は暗かった。
「・・・・・・なぁ、俺はどうするべきなんだろうか」
昼休み。いつものように友人と窓際に並んで話しながら、俺はそう切り出していた。視線の先では、アイツが机に突っ伏しており、尻尾がゆらゆらと揺れている。アレは、悩んでいるときのクセだ。昔から変わらない。
「何、お前あの子のこと好きなの?」
「は? 何でそんな話になるんだ?」
急にそんなことを言い出す友人に、俺は疑問符を浮かべてしまう。何故この話から恋愛に繋がるのだろうか。
「いや、どう考えてもあの子のこと好きじゃん、お前。気になるなら自分で話しに行けよ」
「何でだよ、ヤだよ。それに別に好きってワケじゃない」
確かに、興味以上の対象という意味での好意はあるかもしれない。だがそれは恋愛とは結びつかないし、どちらかと言えば、一方的に俺がライバル視しているだけだ。
「ただ単純に、俺より足速いクセにナヨナヨしてるのが気に食わないだけだ」
「・・・・・・お前って、ホント面倒くさい性格してるよな」
友人が呆れられたような声を出すが、全く何のことかわからない。
「まぁ、一回話しかけて誤魔化されたんだったら、出来ることは無いんじゃない? しつこい男は嫌われるって言うし。お前しつこい上に諦め悪いし」
「・・・・・・お前は薄情な上に口が悪いな」
確かに、小学生の頃負けるのが悔しくてアイツに何度も競走を挑んだりしたが。中学でもたまに走っては負けてるが。
俺がモヤモヤした気持ちを上手く言葉に出来ないでいると、昼休み終了五分前を告げる予鈴が響いた。友人が「ま、頑張りなよ」と告げるのを聞いて、仕方なく俺は自分の席へと戻ったのだった。
その日の放課後。気分が晴れない俺がなんとなく公園に寄り道すると、意外なことに、先客がいた。耳と尻尾をしんなり垂らし、ベンチに座るのは前の席のアイツだ。
「こんなところで何をしている」
気づけば、俺は彼女に話しかけていた。彼女は驚きつつ俺を見ると、力なく笑った。
「もう、何もわからなくなっちゃって。・・・・・・ちょっと、愚痴聞いてくれる?」
俺が何か答えるよりも早く、彼女は続けた。
「徒競走の練習でさ。色々言われちゃったんだよね。ウマ娘ってだけで足速くて良いよね、とか。練習なんてしなくても良いんじゃないの、とか・・・・・・ずるい、とか」
「・・・・・・・・・・・・」
それは、俺も抱いていた感情だ。コイツはウマ娘。運動、特に走ることについては、俺達ヒトよりも断然優れている。
「でも、私そこまで足が速くは無いんだ。他のクラスには、もっと速いウマ娘だっているし、私と同い年でトゥインクル・シリーズを走ってるウマ娘だっている。
なのに、嫌味なんて言われて、私の努力は意味ないって思われてる。
笑っちゃうよね。昔は駆けっこで負けたことなんか無くって、走るのが好きだったのに。今はもう、何のために走ってるのか、わからない・・・・・・」
そう言って、彼女はまた俯いた。その姿は、大地を踏みしめ走っている時とは比べものにならないくらい、弱々しかった。
彼女も、俺達と同じなのだ。いくら身体が強かろうと、精神は俺達ヒトと何ら変わらない。ただ、俺がグラウンドで味わった苦しみを、彼女は画面の向こうを見て抱いていただけ。
こういう時、普通は優しい言葉をかけるべきなのだろう。そんな悪口、気にする必要はないと。キミは十分速いと。
だが、俺の口を突いて出てきたのは、全く別の言葉だった。
「おい。
「・・・・・・ぇ?」
俺は公園に描かれたトラックを親指で示すと、彼女の反応を待たずに鞄を放り投げ、ついでにブレザーやネクタイも外す。そのまま制服を脱ぎ捨て、下に着ていた体操服姿になる。途中でコイツが「きゃぁ!?」とか言っていたが、気にしない。
「さっさとしろ」
「う、うん・・・・・・」
彼女は戸惑いながらも俺の隣に立った。そして、互いにスタンディングスタートの構えを取る。
「先に三週した方がゴールだ」
ウマ娘の身体は、短距離よりも長距離を走るのに適している。否、ヒトにとっての中距離が、ウマ娘にとっては短距離程度でしかない、と言った方が伝わりやすいか。100m走るだけなら彼女らにとっては準備運動、1000m走ってからようやく『短距離走』なのだ。全く、莫迦げている。
そして、この公園のトラックは一週約250mほどで、彼女にとっては朝飯前だろう。それでも、俺にはこの方法しか浮かばなかった。
「よーい、ドン!」
俺のかけ声で、同時にスタートを切る。第一コーナーを先に通過したのは、勿論アイツだ。ウマ娘としての脚力を発揮して、ドンドン進んでいく。
けど、俺だって負けてない。必死に、食らいつくように足を前に出す。それでも、アイツの背中は離れていく。
あっという間に三週走りきり、息一つ乱していない彼女は呼吸を荒くする俺に、困惑の表情を向けた。
「走ったけど・・・・・・これが、何なの?」
「いや、もう一回だ」
俺は息を無理矢理整えると、再びスタートラインに立った。準備運動もなしに走ったせいで身体は悲鳴を上げていたし、汗もぐっしょりだ。それでも俺は再び彼女を隣に立たせて、走り出す。
足の筋が痛い。肺もだ。呼吸のペースはぐちゃぐちゃだったし、そもそも俺は長距離選手じゃない。けど、俺は走った。彼女の背中を追いかけて、走り続けた。
五回ほどこんなことを繰り返しただろうか。俺は死にそうな、それこそ虫の息で地面に倒れ込んだ。もう足腰が立たなくなっていたし、汗で前が見えなくなっていた。アイツもようやく息切れしたらしく、肩で息をしている。
「はぁ、はぁ・・・・・・意味もないのに、こんなに走って、莫迦みたい」
彼女は転がる俺を見て、笑いながらそう言った。
「・・・・・・ッげほ、それで良い」
口から出たのは、そんな言葉だった。本当はもっと格好付けたセリフを考えてきたんだが、酸欠でそれどころじゃない。上手く唇も動かせないし、けど、なんとか一番伝えたかったことだけは言った。
「ふふ。昔から変わってないなぁ、キミは」
「カッ、それは、お前も、だろ」
俺も笑おうとして、出てきたのはネコが毛玉を吐くような間抜けな音だけだった。が、笑みは浮かべられているだろう。汗まみれでしょっぱい笑みだが。
そうだ、何にも変わっちゃいない。お互いに走るのが好きで、コイツは俺よりも速い。そして、走ることに意味なんていらない。それで嫌味を言われようが反感を買おうが、気にする必要はない。どうしようもなくなった時は、莫迦みたいに走れば良い。
身体は重いし暑いし気持ち悪いが、それでも、悪い気分じゃなかった。寝転んでる俺を可笑しそうに見ているコイツも、同じだと良いんだが。
結局、体育祭の徒競走で、アイツは他のウマ娘に負けた。前に言っていた、他のクラスには自分より速いウマ娘だっている、というのは本当だったらしい。けれど、二着の旗を持つアイツは、曇りのない笑みを浮かべていた。