それは四人の『家族』
これはその始まりの二人のお話。
一週間が過ぎた。
彼女と自分は今日も日常を過ごす。
朝は起きる時間からすれ違い、昼は別の場所で摂り、辛うじて夕食はともに摂る。
唯一の接点は夕飯。だがその時間もどこか余所余所しいもの。
だが社築はいつの間にかその雰囲気を楽しんでいたのだ。
「行ってきます」
玄関で一人呟くのは社自身。誰が返事をする訳でもないのに言う癖が未だに抜けない。早朝の空気の中、台詞は寂しく閉じる扉に吸い込まれていく。鍵をかけると今日もまた職場に向かう。
いつも通りの時間。
いつも通りの道筋。
いつも通りの喧騒。
その中を進み、自らの仕事場に辿り着く。
今日も気に入らぬ上司の小言を聞きながら、仕事をこなす彼は内心で顔を歪めながらキーボードを叩いていった。一つ打つ事に帰宅へ近づくキーを叩き、叩くと、叩き続ける。
先日から近隣の高校に編入した彼女は今頃何をしているのだろうか。時間は昼を過ぎた。午後の授業を受けている頃かもしれない。
今日の夕飯は・・・卵がまだあったはずだから、オムライスでも作ろう。ケチャップがそろそろ心許ない。あとでスーパーで買わなくてはいけないだろう。冷凍のミックスベジタブルも有れば彩りが良くなるかもしれないな。
そんな事を考えながら、ひたすらにキーボードを叩いているといつの間にやら終業時間に至っていた。
社は周りの同僚に挨拶をすると職場を出た。この時間ならスーパーの特売にギリギリ間に合うだろう。電車に揺られながら、沈む夕日を眺める社は少しだけ心が浮ついていることを自覚した。
この数日。帰宅した自分を迎えてくれる人がいる。
暗い表情ではあったが「おかえりなさい」の一言をかけてくれる人物が部屋にいるのは社にとってどこか安心感の様なものを与えてくれていた。
どうしたものかと困っていた過去の自分。
でも気がつけば、それを喜んでいる自分。
両極端な自分を嘲笑しながら、社は最寄駅の改札を抜けるとスーパーに入る。籠を手に取ると目当ての食材を次々に放り込んでいった。
鍵を挿して回す。半回転する金属棒は抵抗無く回ると、閉じられた扉を開放した。
「ただいま」
帰宅の挨拶を呟き、革靴を脱ぎ、リビングへ続く通路を歩く。するとリビングの扉が開いた。
「おかえりなさい、社さん」
「・・・あぁ、ただいま」
少女は今日も自分を迎えてくれた。それが嬉しいのは何故なのか。顔を緩めた社は手にした買い物袋を掲げると笑いかけた。
「夕飯、作るよ。少し待ってくれな」
コクリと頷く少女と共にリビングを通り、キッチンに向かう。冷蔵庫にしまうものをしまい終えると手を洗い、うがいをした社はひとまず着替えるために自室に入った。
着なれたスーツを脱ぎ、部屋着に着替えながら社築は思う。
彼女は、今日も笑わない。
律儀に挨拶を返してくれてはいるが、やはり距離を感じた。彼女の境遇を考えれば無理もないのかもしれない。それでも彼女の、あの少女の表情は見ていて痛々しかった。
なにか、自分に出来る事はないのだろうか?
この一週間。自分なりに彼女の事を親族に聞いて回った。社はそこから本間ひまわりが過ごしてきた三年間を朧げながらに追体験しまう。
話を聞いた彼らの口ぶりは、余所余所しいものであった。
曰く『可哀想だとは思うが、扱いに困った子だ』
曰く『親族だから面倒を見てやるが、正直に言えば・・・』
曰く『はやくいなくなってくれないか』
幾人もの知り合いの話を聞いた結果、聞き出したその言葉達は彼の胸を締め付ける。
同時に湧き上がってくる怒りがあった。
何故。何故だ?
何故彼女がこんな言葉を受けなければいけないのだろう。
彼女は不幸にも家族を喪ってしまった。でもそんな言葉を受ける筋合いなど無いはずだ。
気がつくと歯軋りしている自分が、いた。側の姿見に映る自らの顔は明確に怒りを浮かべる。
「あ・・・しまった」
考え事をしているとフライパンの中で卵に包まれ損なったチキンライスが焦げ目を作っていく。急いで修復しようとするが上手くはいかない事を悟った彼は渋々不恰好なオムライスを皿に移した。
これは自分が食べる事にしよう。そう考えてフライパンをキッチンペーパーで拭う。彼女の分は成功させなくてはならない。気合を入れた彼が溶き卵を流し入れようとした時。
「あの」
「うおっ!」
気づけばいつの間にか横に立っていた少女の声に飛び上がり驚く。それでも変わらぬ表情の彼女。じっと見つめてくる本間ひまわりは、言った。
「・・・私も、お手伝いさせてください」
「え?」
「お手伝い、します」
社は驚く。彼女から何かをしたいと言い出したのは初めてだったからだ。
「いや、だが・・・」
「だめですか?」
遠慮がちにこちらを見てくるひまわりの目は暗いが、ただただ真っ直ぐ意志を携えた瞳に社は一歩、そこから退いた。
彼の代わりに台所に立った少女はバターを一欠片フライパンに落とすと、それが形を無くしていくのをじっと見つめる。八割がた形を無くしたらそこに溶いた卵を流し込むと菜箸でゆっくりと掻き混ぜながらも機を待つ。火により半分程熱が加われて固まり出す卵にチキンライスを丁寧に乗せた彼女は、手首を叩く様に巻き込んでいった。
トン、トン、トンと手が躍るたびに巻き込まれていく黄色い衣は赤い米を包みこむとすぐに皿に盛り付けられる。
そこには綺麗なオムライスがあった。
「料理、うまいんだな」
「慣れてますから」
そこで初めて、社築は見た。
賞賛の言葉に応える彼女は、
「これ、社さんのぶんです」
どこか少しだけ誇らしそうに皿を差し出す。
彼は初めて、彼女の笑顔を見たのだ。
彼女のオムライスは完璧だった。
顔を突き合わせて食べ合う食卓で、社はそのひと匙ひと匙を味わいながら飲み込む。
口にすると柔らかい卵と酸味のあるチキンライスは解けていった。
『美味い。うん、本当に美味いな』
味付け・社築、成形・本間ひまわりのオムライスは瞬く間に彼の胃に吸い込まれる。社は内心思う言葉を口には出さず、黙々と木製のスプーンを動かした。
一皿の料理は成人男性からしたら、あっという間に空にしてしまう。付け合わせの即席スープも飲み終えると少女に視点を合わせた。
彼女はオムライスを大事そうに食べている。だがチラリチラリとこちらを伺う仕草が見受けられた。社とて、その意味に気がつかないはずはなかった。
「本間さん、ありがとな」
「はい」
「美味しかったよ」
「・・・そうですか」
「よかった」
一言に込められる感情があった。
言い、顔を伏せるひまわりは小さく微笑んでいた。だがすぐにその顔はいつも通りの無表情に変わる。
そんな小さな笑顔が社には堪らない。
そんな無表情を装うとする彼女が堪らない。
気がつけば彼は立ち上がると声を大きくかけていた。
「本間さん!」
「は、はい?」
「明日、予定がなかったら・・・一緒に出かけないか⁉︎」
社築は本間ひまわりと、出掛けることを決めた。