仮面を脱ぎ捨てて 作:どうして
夏合宿の猛特訓を終えて秋口に差し掛かっていた。
やや遅めではあるが、ようやくウィルペルソナのトゥインクルシリーズが始まる。
身体の方は可能な限り仕上げた。目指すはクラシック三冠だ。本人は気焔万丈とまではいかないが、とりあえずクラシック路線第一戦……皐月賞に出走できるための賞金を獲得するため、メイクデビューでの一着を目指す。
手元のピストルを鳴らす。「スパートをかけろ」の合図だ。
彼女の武器である鋭い切れ味、それを支える仕掛ける際の足の使い方は、俺がカワカミに自主トレの指示を出して合宿所へ急行したときに既に完成されていた。
わずか3歩でトップスピードに乗れるのは正直馬鹿げてると思うが、武器は多いに越したことはない。
結構足に負担がかかると思われるので、多用はしないよう、ストレッチは入念に行うよう指示した上で、あとは彼女の身体に余計な負荷がかからないよう、フォームの微修正を行っただけ。
どうも、もうひとりの彼女のレッスンとやらも一つ前に進んだらしい。
圧縮言語めいたものでいろいろ伝えようとするそのスタイルは結構独特だが、ウィル本人いわく「水が喉を通るように」すっと内容は飲み込めるらしく、スパートのかけ方も指導からすぐにマスターできたらしい。
身体が出来、より速く走ることができるようになるのは喜ばしいことではあるが……。
「ふっ……!」
一歩目で地を均し、二歩目で地を抉り、三歩目で翔ぶ。
今一人で周回をしている彼女は、抜群の末脚でゴールに定めていたポールを横切った。
タイムを確認する。悪くはない。おそらくデビュー戦ではいい勝負ができるだろう。
目下の課題はレース出走のためのメンタル管理、およびレース中のストレスへの耐性づくりだ。
正直、レースで彼女がどの程度緊張しないようにできるかは未知数なところがある。
デビュー戦までの僅かな間。そこで、どこまでもっていけるか。本人やもうひとりの彼女と相談しつつ、詰められるところまで詰めていかなければならない。
タイムを記録しつつそんなことを考えていると、ウィルが小走りで戻ってきた。
初対面のときから比べれば精神的にも物理的にも距離は近づいたし、ある程度信頼関係は結べていると思うのだが、いかんせん向こうはまだ緊張した面持ちで。耳も畳まれ、尾はかけらも揺れていない。
「お、おつかれさまです。 た、タイム、どうでしたか……?」
「お疲れ様! ああ、夏前に比べたら格段に早くなってるぞ!」
ほら、とストップウォッチを見せる。
おっかなびっくり覗いた彼女の顔が僅かにほころんだのは、自身の想定よりもタイムが速かったためだろうか。
本当に根っからの気性なのだろうが、この娘はとかく自己評価が低い。
”レースに勝ったらウマ娘のおかげ、レースに負けたらトレーナーが原因”
とはトレーナー試験、並びに研修で最初の最初に学ぶ何よりも大事な鉄則だが、彼女の場合この格言を
”レースに勝ったらもうひとりの私のおかげ、レースに負けたら私が原因”
と置き換えてしまうようだ。
あのときは本気で説教しましたよ、とは裏の彼女の言葉だが、ウィルペルソナ自身、口には出さなくなっても価値観まで矯正させることはどうも不可能だったらしい。
超がつくほどの卑屈さは鳴りを潜めず、結局は今日に至っている。
決して急ぐ必要はない。”レースに負けたら私が原因”と言えるということは自分がレースに出てもいいと認識しているということだし、前進したと形容できなくもない。が、予定しているメイクデビューは刻一刻と迫っている。ということで……
「タイムも安定してきたし、俺からのレッスンでも伝えようかな」
「な、なんでしょう……?」
心の中の「あっ」というもうひとりの彼女の声がなんとなく聞こえた気がした。察してはいるだろうが本人もいつかは必要なことだと言っていたし、止めはしないだろう。
いくらなんでも、一度もやらずにレースに出すわけにはいかない。
「今日は裏のウィルじゃなくて表のウィルが併走するぞ。相手はカワカミな」
「……えっ」
「おおおおおおおおおおおお! ついにいつものウィルさんと走る日が来ましたのね!」
50mくらい離れていたところからカワカミプリンセスがすっ飛んできた。どんな耳してるんだマジで。
……カワカミとウィルは複数回併走自体はしているが、今の今までよーいどん、の直前だったりなんなら併走宣言をした時点でウィルが入れ替わっており、表のウィルとカワカミの併走は今回が初めてだ。
ちなみに現状はウィルの全戦全勝。すべてのレースで、ウィルがカワカミの後ろからちょっかいをかけたり囁いたりでカワカミ得意のレースをさせずに差し切っている。
もっとも、併走自体はすべて夏合宿が始まる前の話で、一度レースを経験したカワカミとまだ経験していないウィルとでどの程度経験値に差が出るかは未知数だ。
……真っ向勝負をしないあたり裏のウィルの強かさが垣間見えるが、あれはあれでカワカミのいいレース運びの練習になる。メイクデビューではその特訓の成果は活かせず掛かってしまって逃げを打つ羽目になったが勝てたのでそれはそれ。まあ今回は、ウィルの方に付き合ってもらうこととしよう。
「む、無理ですよぅ。私なんかがカワカミさんと走ったって、その、お役に立てませんし……」
「はいはいもうひとりのウィルからもいい加減併走しろって言われてるんでしょ本人から聞いてるよ行った行った。カワカミ、運んじゃって」
「アラホラサッサですわー!」
「あ、あわわわわわ……!」
カワカミも154cmと決して身長が高いわけではないが、ウィルはそれよりも小柄だ。目を白黒させている間に肩に担がれてスタコラ運ばれるウィルを見て、なんとなく頭の中でドナドナが流れた気がした。
おいこらどっこいしょー!とターフまで運ばれて降ろされると、流石に観念したのか渋々といった顔で開始位置につく。重要な一歩だと掛け値なしに思う。入学時はスタートラインに立つことすら叶わなかったんだし。
「芝2000右回りで。ウィルは決して競り合うな。自分の走りをすることを心がけろよー……カワカミは好きに走っていい」
わっかりましたわー!とこちらに手をぶんぶん振ってからスタートの体勢に入ったカワカミと、それを見て縮こまりながらコースの先を見るウィルを確認して、ピストルを鳴らした。
二人が飛び出す。彼女は非常にスタートは綺麗だ。カワカミと比べると相対的によく見えるだけかもしれないが。ゲート難というわけでもなく、逆に狭いところは落ち着く気性らしい。ゲート試験等も難なく通るだろう。追込を主な戦法にする娘にしては珍しく思えるが……。
「どっせええええええええええええええええい!!!」
向こう正面に入ったあたりでカワカミの雄叫びが響く。
レースは珍しくウィル先行、カワカミ後方となったようで、追い抜く際にカワカミが気勢を上げたようだ。
……あ、ウィルのフォームがぶれた。やっぱりまだ併走は無理か……?
……いや、あれ気絶してるな。途中で入れ替わってる。大方大声にびっくりしたからだろうが……。
「なんでこうなるんだよー!」とウィルが叫んでいるのを遠目に、なんでそうなるんだよ、と俺もため息を吐く。
……どうも前途多難らしい。
というか走ってる途中でこけずに入れ替わったりできるのか。無駄に器用な……。
何はともあれ、片方は超引っ込み思案、もう片方はそんな彼女の保護者的な二重人格のウマ娘、ウィルペルソナと共に、トゥインクルシリーズに挑戦する日々が始まったのだった。
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対戦ありがとうございました