仮面を脱ぎ捨てて 作:どうして
物心ついたときから、注目されるのが苦手だった。
小学校にいたころは、みんながフォローしてくれてたし、お父さんが学校に事前に伝えてくれてたからなんとか我慢できたんだけど。
大勢の人に見られるって認識しちゃうと、心臓がばくばく響く音がする。
呼吸が浅くなって、頭がぼーっとして、意識がふわーってなる。
眠いわけでもなくて、苦しいわけでもなくて、けれど自分でも止められなくて。
昔はそれだけで済んでたんだけど。
初めて意識が飛んじゃって、気がついたら昼が夜になっていたのが去年の運動会。生まれてはじめて他人と競って走った、800m走。応援の声も、マイクの声も、なんでもかんでもひとかたまりになって私の耳奥につっこまれるような気持ち悪さと、負けるのがいやだって怖い気持ちと、変な走りをしちゃったらどうしようっていう気持ちがぐるぐる回っちゃって。
でも、いつの間にか一番になっちゃってて。トレセン学園っていうすごいウマ娘さんたちが集まるところに入学しちゃって。
今もそうだ。私じゃない私を見た誰かが、私を見下ろしている。
なにか言われているみたいだけど、自分の心臓の音と呼吸の音とがぐちゃぐちゃになってまるで聞こえない。
男の人の口が動かなくなった。
こっちの返事を待っているみたいだ。
ごめんなさい。
なにも聞こえてなくてごめんなさい。
何も返せなくてごめんなさい。
期待はずれで……
(大丈夫だ相棒。一旦落ち着こう。あとは上手くやっておく)
ああ。私じゃない私がまた私を守ってくれる。
あの800mで初めて私と変わってくれた、いつでも堂々としていて、いつでもお気楽な話し方で、いつでも私を励ましてくれる
私も、こんな風になれたらな――――
―――
―――――
―――――――
「ほら、こっちよこっち。……ふう、なんとか撒けたわね」
「ありがとう、ご苦労さん」
「いいのよ別に。ほら、するならさっさと説明なさい。キャパオーバーよ、この子」
5分後、過激な?勧誘活動から必死に逃走していたウィルペルソナを連れてキングヘイローがトレーナーの前に現れた。
少しばかり本気で走ったのかキングは若干汗ばんでおり、対してウィルペルソナは運動による冷や汗か脂汗かよくわからない状態で制服までしっとりしている有様だ。
人混みが苦手、とか追いかけられるのが苦手、とかではなんとなく説明できないレベルの気もするが……とさっと観察と考察を切り替えて、トレーナーは目を白黒させているウマ娘と向き合う。
なるほど確かにたづなさんの言った通り、ぱっと見ただけでも入学前から走り込んでいたことがわかる体つきだった。今でこそ緊張からなのか極端に縮こまっている身体も、追手を振り切る瞬発力は見事だったし、逃走経路を行くコーナリングも見事の一言だった。
バ群から抜け出すときに結構他のウマ娘にぶつかりながらだったのを見ると、あまり他人と走ってレース勘を養っている、ということもないようだ。純粋に走るのが好きな娘なのだろう。例えば、サイレンススズカのような。
「ぇ、あ、う……と……だ、誰……?」
「ああ、自己紹介がまだだったわね。私はキングヘイロー。この人は私のトレーナー」
「ご紹介に預かりましたトレーナーです、この度は入学おめでとう……っと。かたっ苦しいのはなしにしようか。ここに君を連れてきたのは――」
可能な限り簡潔に自身の来歴、自分のチームのこと、新入生のはずの君を知った経緯、を説明する。
見た目と走りっぷり、そして走り方から考察した適正距離しかたづなは話してくれず、手元には情報がない。性格とか、適切な距離感とか、実際のレース映像を見せてくれとかのスカウトに役立ちそうな情報は「直接話してみてくださいね」とけんもほろろに断られてしまった。
そっちから興味を惹くように誘導しといてそりゃないだろう、と思わなくもないが、まだ選抜レースにも出ていないのにこの子の可能性を認識できたのは大きい。
シェアトを変える、そのためにはこの子が必要だ。なんとなくそんな気がするのだ。
だからこそ――
「たづなさん一押しのウマ娘だからね。一度お話してみたかったのさ」
よっぽど名前の売れている娘とか、競バ界の名門一族とかでもない限り、入学初日のウマ娘をスカウト、というのはウマ娘側からもトレーナー側からも非常識であることには変わりがない。特にトレーナー側からは、なんの冗談だと言われること請け合いだ。
もちろんシェアトのトレーナー自身もそう認識しているし、この場でスカウトするのは些か性急に感じた。だからこれはいわゆる”粉かけ”だ。
入学してトレーニングを積んでレースに出走し、数多のトレーナーから声をかけられるようになっても、自分を見たら特別視してくれるかも、という打算めいた営業活動。
けれど、目の前の少女には。
「……………」
(めっっっっちゃ警戒されてるわこれ)
全然響いていなかった。
両手を握り胸元で組んで精神的な距離を保っているアピールに見え、腰元はひけている。完全に道端で知らない人に道を聞かれた小学生のそれだ。表情も暗く、心配になるくらい口元がへの字に曲がっている。
スカウト以前に、入学初日に声をかけること自体が性急だったのかもしれない、とトレーナーは思い直す。
そもそも聞いていた情報から人見知りする気性なのはなんとなくわかっていたし、まだ府中に来て日も浅い。今まで親元にいたのを寮生活に放り込まれ、信頼できる人も友人もおらず右も左もわからない状況だ。そりゃあ見知らぬ人に声をかけられたら警戒もするだろう。
この娘が認識しているかどうかはわからないが、襟元につけているトレーナーバッジさえなかったら通報待ったなしだなあ、と心の中で苦笑い。
現状の把握と原因はなんとなくわかったので、とりあえずこの場をこの娘の負担にならないように終わらせないといけない。いずれスカウトの話はするにせよ、そう急くことはない、と自分自身を納得させて、トレーナーは一歩距離を詰め……るのはやめて、屈んでウィルペルソナに目線を合わせた。まあなんにせよこれからよろしく、と無難な挨拶で締めるために。
「っひ」
途端、怯えの色が強くなり、瞳孔が大きく開かれた。
これはまずい。キングヘイローもそれを察したのか、やや強引に間に割り込み声をかけようとしたところで。
彼女は崩れ落ちるように屈み込んだ。
「ちょ、ちょっと大丈夫!?」
トレーナーの前まで連れてきたキングヘイローとしても、ここまで人見知りをするとは思っていなかった。
大の大人と話すのに緊張するウマ娘もいるとは言え、安全は保証されているトレセン学園の中の、程度の差はあれど信頼はされているトレーナーという職業である。意識が飛ぶほど拒絶できるというのは逆に才能ではないか。
ひょっとしたらとんでもない癖ウマかもしれない、とキングヘイローは思う。勧誘から撒くために先導して走ってきたがそれなりにペースを上げてもついてこれていたし、確かに入学したてとは思えないほど身体はできている。レース勘はレースに出る前に鍛えればいいことだ。けれど、精神面はどうだろう。
ここまでメンタルに癖があるのでは一朝一夕で解決できるレベルではない。仮にターフに立ち、観客から歓声を浴びたところで、この娘が今のように倒れないと誰が保証できるだろうか。結局の所、精神面での成長は身体面のそれに比べて、本人に依拠するところが大きいからだ。
屈んだ彼女の背中に手を置き、ゆすらない程度に背中を撫でながらトレーナーに目を合わせる。
意を汲んだ彼が軽く頷き、やっちまったなーとぼやきながら保健室に走り出そうとすると……
「―――ああ、大丈夫です。すいませんね、どーも」
声が聞こえ、勢いよく立ち上がったのである。
先程まで生まれたての子鹿の如く震えていた身体は、背筋をピンと伸ばしている。縮こまっていた身体をそうしたせいか、身長が一回り大きくなったように見えた。
特徴的なたれ目は変わらないものの、眉にシワは寄らず、リラックスしているように見える。への字に曲がっていた口元には微笑が佇み、総合してみればおっとりとして、それでいて人付き合いの良さそうな顔立ちに早変わりしていた。
誰だ、この娘は。
呆気に取られ、立ち上がるのも忘れて見上げるキングヘイローにちらりと視線を合わせ、
「うわキングだ。顔良……」
「は?」
気の抜けた返事をしたキングヘイローから視線を戻し、トレーナーを見やる。
保健室に向かおうとしてつま先を校舎の方に向けていた彼だが、その堂々とした振る舞いに思わず向き直した。
……堂々としていたわけではなく、おどおどとしていた先ほどとのギャップで感覚がバグっているだけなのだが。
こちらの困惑など露知らず、彼女は軽く片手をあげて呑気に話し始める。
「自己紹介してもらったのに出来てませんでした。ウィルペルソナでーす。知ってると思いますけど」
「……ああ」
「さっきのご挨拶って、ひょっとしてゆくゆくはスカウトするための布石だったり?」
「っ! 気に障ったなら謝る。さっきも言ったけど、たづなさんの一押しって聞いたから会ってみたくてな」
身振り手振りを合わせながら、問いかけに返してやればへえー、と感心する素振りを見せる彼女を余所に、トレーナーは混乱していた。
こちらの意図を正確に読み取っている。つい最近まで小学生だった娘の洞察力じゃない。仮に子供の直感でわかったとしても、それを適切な言語で表現できるとなると感覚ではなく理屈で相手の行動を読んでいることになる。
いや、それ以前にさっきまでの臆病そうな素振りはどうした?なにかきっかけがあったのか?さっき崩れ落ちたのはなんだ?それともさっきまでのは演技?なんのために?そもそもこの娘は……
「チーム・シェアトか……聞いたことないな。んと、トレーナーさん?って呼んでいいんですかね。たづなさんって方はオr……私も聞いたことあるんですけど、その分だと私の走り自体は見たことないんですよね?」
「……呼び方は好きにしてくれていい。走りは、見たことがないな」
「あー、スカウトするにしても自分で走りっぷりを見てから、ってことか。なるほどなるほど……んじゃあ、せっかくなんで
「ウェルカムランのこと?」
「そうそれです!」
いつの間にか立ち上がったキングの声を受けて、確かそんなイベントもあったな、と思い起こす。
年に四度の選抜レースとは別に、新入生の中から有志を募り、ゲートも用意しない簡易版のレースではあるが実際のターフを走る毎年恒例の行事だったはずだ。ある程度レースの知識を身に着けた娘が出場する選抜レースほどレース内容は洗練されていないが、初々しさと危なっかしさが共存するそのレース自体は、結構評判は良かったはず。
トレーナーからすれば、ペース配分や安全面の考慮等で終始ひやひやしながら見守ることになるのだが。
本当は、こちらから提案する予定だった行事だ。君の走りを見たいから出走してくれないか、と。
向こうから提案してくれるのなら乗らない手はない。ないのだが……
「大丈夫、なのか? あまり人混みとか、喧騒とかが苦手、と聞いていたんだが……」
「いやあまあ、なんとかなるでしょ」
「そう、か」
「ですです。あ、そろそろオリエンテーション始まる時間だ。キングヘイロー先輩、食堂ってあっちであってます?」
「え、ええ……」
「ありがとございやす!
んじゃま、縁があればウェルカムラン?のあとに。多分
言うやいなや駆け出した彼女の背中を、二人はそのまま目で追いかけることしか出来なかった。
「……なんだったのかしら、彼女」とのキングの困惑を余所に、トレーナーは考える。
名は体を表す、か。どっちが
小さくなっていく彼女の背中を眺めながら、そんなことを考えていた……。
対戦ありがとうございました