天空山を住処とするそのジンオウガは、
長らく生きたその地に忍び寄る黒い影を憂い、恐れていた。
――おれをおまえの業火で焼いてくれ。
堕ちる。
ひたすら風に身を切られながら、遥か足下の大地に引き寄せられるように。
これで《悪いもの》から解放されるならば、喜んで大地に激しく、苛烈に抱かれよう。
美しい大地に抱かれることを夢みて、目を閉じた。
*
一頭のジンオウガが崖の上から遥か高い天空山の山頂を見上げる。
今日で、生まれ暮らしたこの地に別れを告げた。
いつも共にあったそびえ立つこの山をじっと見つめる。
出来ることならば、命尽きるまでこの地にいたかった。
しかしそれはもう叶わない。
《悪いもの》に蝕まれている。
天空山で《悪いもの》がちらつきはじめたのは前の満月の頃だった。
最初に、いつもは散るように逃げていくイーオスが異様なまでに攻撃してくるようになった。
その次はドスイーオスだ。
どんなに尾を叩きつけても、爪でその皮を引き裂いても、逃げなくなった。
自分は無駄な狩りをしない。食べるものだけを狩る。
ドスイーオスなどは毒を持つ為、身を守る為に牙をむけることはあっても、殺したことはない。大抵は大きな傷を負う前に逃げていくからだ。
それが逃げなくなった。
後ろ脚を大きく引き裂かれても、狂ったように飛びかかり、自分の背の甲殻に掻き傷をつけてくる。
それを振り払った後、仕方なくそのドスイーオスを殺した。
殺すのは簡単だった。散々こちらが与えた傷は深かったし、何より体格差がものをいう。背から振り払い、その傷ついた脚が地についた瞬間に、殺すための牙を向けた。
呆気なくドスイーオスの首と胴体は泣き別れた。
呆気ない、と思うと同時に、胴体から噛み千切ったドスイーオスの頭を吐き出す。
異様な血の味がした。
腐敗しているような、そんな血だ。
何より毒液そのもののようにどす黒い紫色の血だった。
どういうことなのか。
暫く、目の前の無惨な亡骸を観察した。
血が異様なこと以外には外見は全く通常だ。
しかし、たった今死んだばかりだというのに腐臭がする以外は。
従える雷光虫どもも、妙に騒ぐ。
本能のまま、逃げるようにその場を離れた。
それからはドスイーオスのように異様な獣達が増えた。
ドスイーオスや、小型の獣ならともかく、自分のような大型の獣に襲われては生きていられるかは怪しい。
他の獣の来ることの出来ない、崖の片隅で身を隠すように寝た。
時たまケルビを狩りに出て、普段はその場で食べきるが、安全な場所まで運んでから食べた。
そんな暮らしを続けて、月がまた満ちて半月より少し満ちた頃に自分が《悪いもの》に蝕まれつつあることに気づいた。
腹を空かせているわけではない。
攻撃されて身を守る必要もない。
それなのに、無意味に狩りをしたくてたまらなかった。
殺したい、ころしたい、コロシタイ。
無意味に他の生き物を引き裂こうとする爪を降り下ろすことを堪え、迎えた満月に、この天空山から落ちることを決めた。
ここ数日で朦朧してきた意識を必死に保ち、常に雷雲が立ち込める場所に立って、長いこと天空山を見上げた。
雨が降るように岩や小石が落ちていく。
さらば。
そんな想いを胸に抱いて、落ちていった岩に続くように崖を強く蹴って、空に飛び込んだ。
風が身体を鋭く撫でる。ひたすら落ちた。
かつて自分の先祖が暮らしたという大地へ、真っ直ぐと落ちていく。
目を閉じた。あんなに狂暴に荒れ狂っていた心は穏やかだった。
静かに眠るように、意識を手放した。
*
恋の季節がきた。
大事な伴侶を探す時期でもあるが、同時に同種のオスと争いが絶えない時期でもある。
争いに生き残った者だけが子孫を残せるのだ。
一頭のリオレウスは、そんな季節を初めて迎えた。
強い父竜と母竜の間に生まれ、小型の獣に卵ごと食いつくされることもなく、父竜に負けずに大きく育ち、無事に巣だったのはつい先日のことだった。
彼は、軽やかに空へ翼を広げた。風に乗って一気に高度を上げる。
今日はよく晴れて気持ちよかった。
遥か地上でアプトノスの群れが草を食んでいる。
それを尻目に遠くに見える、高度を上げてもなお山頂を見下ろせない山を目指す。
あの辺りにはたくさんのつがいが巣を持っている。
あそこに行けばきっと、自分に見合うメスがいるはずだ。
もっと高度を上げよう、と翼を大きくはばたかせた。風に乗る。
と、遠くまでよく見える空のような眼が、遥か上空から何かが一直線に飛んでくるのを捉えた。
同種ではなく、空で出会ったことのある獣とは明らかに違う。
違う。飛んでくるのではない。落ちている。それも猛烈な速度で。
反射で大きな翼を力強く羽ばたかせた後、身体に沿わせるように翼をたたむ。空気の抵抗が少なくなって、流星のように空を切り裂いた。
落ちてくるものと一気に距離を詰め、脚で掴みとる。
がくん、と一瞬大地に引っ張られるように落ちるが、すぐにたたんでいた翼を広げて風を捉え、大きくはばたく。
はばたいたまま体勢を整えた後にその場から少し離れた、木々が途切れた場所に降り立つ。
掴んで持ってきた、落ちてきたものから脚を離してしげしげと眺める。
雷の獣だ。
何度か目にしたことがある。
時たま山から下ってくるのだ。
お互いの力が拮抗しているため、争うこともないが、同種の巣で威嚇したという話は聞いたことがある。
これは空を飛べないはずだ。
それが何故、空から落ちてきたのか。
彼はすい、と首を巡らせて上空を見上げる。
雷を湛えた雲が立ち込めて、山の姿を隠している。
山だ。これは恐らく、山の上から落ちてきた。
聞く話によると、この雷の獣は険しい崖を駆け回るらしいが、誤って崖から脚を踏み外したのだろうか?
それとも、山に近づくにつれ増える雨岩にでも当たってしまったのだろうか?
いや、それもないはずだ。拾ったこの獣には岩が当たったような傷はない。
他の獣と戦った時につくような古傷はたくさんあるようだが、どうみても新しい傷はない。
一体何があったのだろうか。
リオレウスは一頭、首を傾げて足元で眠るように気を失っている獣を眺める。
おや、と思った。
気を失っている獣の雰囲気にはどこか見覚えがある。
どこで見たのだろうか。
と、足元の獣が僅かに動いて後ずさる。
不味いだろうか。
基本的に、他の大型の獣達とは相容れないものだ。
それはこの雷の獣側にも言えることである。
少し身動ぎをしてから、僅かに眼を開いた。
雷光のような眼だ。
とりあえず、お互いの牙が届かない場所まで下がった。
獣はすぐにこちらに眼を止めたが、特に動じることもなくゆっくりと瞬きをした。
深く、息が吐かれる。
「おれは、解放されなかったのか」
雷の獣は小さくそう呟いた。
意味が分からなくて首を傾げる。
「そこの、若いの。俺を空から大地に叩き落としてくれ。そして、俺の亡骸には近づくな」
ますます意味が分からなくて尾を揺らす。
「どうしてそんなことを言うんだ? あなたはまだ、生きることを許されているはずだ」
雷の獣は眼を閉じて動かない。
「おれは、もう長くない。《悪いもの》に蝕まれている。己を保てぬなら生き延びている意味もない」
雷の獣の話を聞きながら、翼をたたんで少し離れたその場所に座る。
「《悪いもの》?」
首を傾げたまま問い返すと、雷の獣は片眼だけをちらりと開いた。
「まだ下には、及んでいないのか…」
呟いてから、雷の獣は《悪いもの》と自分が大地めがけて飛び降りた経緯を話す。
信じられなかった。
目の前で静かに話す獣が、狩りに対して誇り高い獣が、無意味に殺戮を望んだなどと。
誇り高ささえも失うのならば《悪いもの》は確かに、《悪いもの》なのだろう。
それは、そびえ立つ山からじわりじわりと無尽蔵に拡がっていっているという。
「ぼくは、あなたの誇りを傷つけることをしたようだ。すまない」
申し訳なくて僅かに頭を垂れて言う。
雷の獣は意外そうに此方を見た。
「いや…自ら生を投げ出した時点で、おれの誇りはないのだろうよ。でも、礼を言っておこう。…しかし、おまえは変わったやつだな。おまえのような火の竜に会ったのは初めてだ」
雷の獣は横たわって眼を閉じたまま言う。
「すまんな、このような格好で。出来れば正しく面を合わせたかったが…もう、己を押さえる自信が、おれにはない。おまえのような若いのを噛み砕いては、きっと後悔で、死んでも死にきれん」
雷の獣は小さな声でそう言った。
心なしか、生気が弱くなっている。
「何故、おれを拾ったんだ?」
すい、と眼を開いて此方を見た。
雷光のような眼は星空をも連想させた。
蝕まれながらもきらきらと輝く眼光は美しかった。
この世界で一番美しいのは、本能のまま強く生きるものだ。決して戦いが強いことだけではない。
少なくとも、自分は父竜と母竜にそう教えられてきた。
自分達の補食対象であるアプトノスやケルビ達も、広い大地に生きる美しいものだと。
その生命を食べるのだから、いつも正しく誇りを持たねばならぬ、と。
「……思わず」
本当に反射だったのだ。
リオレウスが正直にそう答えると、雷の獣は喉を鳴らして笑ったようだった。
そうか、と言いながら眼を細める。
「若いの。最期に、おまえのようなものと話せて良かった。おれは、次も雷の獣として生まれたいと思っていたが、おまえに会って、火の竜として生まれて空を愛すのもいいと、そう思った」
真っ直ぐと此方を、星空のように輝く眼で見た。
優しげな光だった。
「さぁ、お願いだ。おまえに《悪いもの》を置いてはいけない。俺をおまえの業火で焼いて、遠くへ行け。…南へ」
頼む、と言って、雷の獣は無防備に目を閉じた。
「…分かった。あなたの生命を見届けて、ぼくは遠くで強く生きよう」
約束だ、と出来るだけ優しく囁いた。
リオレウスがそう言うと雷の獣は満足そうに息を吐く。
それを見てから勢いよく飛び立った。
何度か、雷の獣の上空を旋回する。
ウォオオオオオオオン、と辺りに大きくこだまする遠吠えを聞いて、ありったけの力を込めて炎を吐いた。
雷の獣がいた辺りの地面が大きく抉れて土煙と火柱が上がる。
何度も何度も炎を吐いた。
自らの炎が《悪いもの》を燃やし尽くすようにと。
土が激しく燃えている。
燃え上がる炎が消えて煙が細く立ち上るばかりになってから、その場所から遠くを目指して羽ばたいた。
あの雷の獣が言った通りに南を目指す。
南風に向かって飛びながら、大きく吼えた。
その時流れた竜の涙は、空気に触れて結晶化すると大地にぽろぽろとこぼれ落ちていった。
三年の後、南の地のハンターズギルドの最高難易度であるG級クエストにて、火竜のつがいのクエストが出されたそうである。
はじめまして。K.Suiと申します。
長らく別サービスにて作品の公開をしておりましたが紆余曲折がありTwitterのフォロワーさんからご紹介頂いてハーメルンデビューさせて頂きました!
今回投稿させて頂いたお話は2013年頃にMH4絶賛プレイ中に書いたお話です。(めちゃくちゃ古い作品で申し訳ございません)
ゲーム中では「狂竜ウイルス」「狂竜症」については人間たちの視点で描かれていきますが、モンスター達にとってもきっと異常な出来事だったのだろうな…とそんなことを思いながら書いた記憶が薄らございます。
MHXやMHXXはプレイしていたものの、MH4や4Gをプレイした頃程あまりたくさんプレイ出来ずにいた上にお話を書くことも減っていたのですが、最近riseをプレイして色々再熱しているので、今後マイハンターのお話などを書けたらいいな〜などと思っています。
あわよくばMHのお友達や創作についてお話出来るお友達が出来ればいいなと考えているので、良ければ作品共々どうぞよろしくお願い致します。