【警告】インターネットが普及したこの御時世には、公園に限らず、ありとあらゆる場所で、蟻を潰す男が出現しています。



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蟻を潰す男

 

 

 ──蟻を潰すのは楽しい。

 

 その黒く小さい躯体を、薄汚い地面に這わせて、躍起になって何かを捜している。

 お宝を拾った蟻は、伸びている触覚を狂ったように動かして、その小さな顎でお宝を掴み取る。

 

 その瞬間を踏み潰すのだ。するとそこには見るも無残な蟻の亡骸。狂ったように動いた触覚は触り慣れた地面の沙粒に抱かれて停止した。誰からも慰められず、この茫洋とした大地の上で、やがて知らぬ間に土に還る。

 これが堪らなく高揚感をもたらすのであった。

 

 女王蟻を潰すのは楽しい。

 

 一際大きな蟻を見た。それは、大層、腹を膨らませている。本来は巣ごもって、常に家来に守られているはずのそれが、どうしてかは知らぬが、姿を現して、間抜け面を晒しているのだ。

 だから、躊躇なく踏み潰した。今、撒き散らした体液が生きていた証であるのが、何とも皮肉なことであった。

 これは、有象無象の蟻を潰すのとは比べ物にならないほどの高揚感であった。

 

 

 私にとって、生命を終わらせることは、愉悦であり、義務であった。確かに最初は、私の中の偽善が働き抵抗があったのだ。咎められ、罰せられることにも汗顔の至りであるが恐れをなしていたのだ。しかし、私はこの異様な程の鬱屈に耐えきれなくなり、出来心で足で蟻を踏み潰したのだ。ただ蓋を開けてみると、何一つ説教はなかった。いつも通りの無関心であったのだ。

 つまり、それは一つの物語を終わらせる権利が、私の手にあることが認められていたことであった。宝の持ち腐れはいけないという習わしであるから、私は其れを行使する。

 

 蟻達はいわばしがない物書きであった。自らを有能だと言い聞かせるために、あくせくと汗水垂らして文章を認め、作り上げたお粗末な物をひけらかして、彼らの身に酷く余る名声を得ようとする何とも悲しい物書きであった。だから、そのような悲しい呪縛から解き放ってやるために、私は終わらせてやったのだ。

 私が一度攻撃すると、彼らは抵抗をすることも無く、物の見事に絶命する。実際には見えないが、現実を突きつけられた苦悶の表情がありありと浮かぶ。

 寧ろ、畏敬の念を払って欲しいものである。私は、万物が無関心を決め込むものを正当な権利を使って、救っているのだから。

 

 

 猫を殺すのは楽しい。

 

 無抵抗のまま死にゆくものを見るのは、つまらぬ事だということに気づいてしまった。だから生きる価値のない憐れな猫に向かって、何度も何度も姿を見せる度に遠くの路傍から投石することを決めた。しかし、この猫は面白いことに幾ら、投石しても姿を現すのであった。身の程知らずもいいところである。

 

 どうやらその猫は、私が投擲した石が当たって片目を失明したらしい。隻眼という奴であった。しかし、まだ姿を見せようとする。私は余計に愉しさと煩わしさが湧いてきて、その猫に向かって再び投石した。

 その猫は間もなくして死んだ。最後はあっけないものだった。もう片方も失明した時、行き場をなくしたようにその場で蹲ったから、原点に戻って一発脳天を殴ってやったら、そのまま逝ったのだ。

 

 あれだけ抗ったものも、私には逆らえぬのだ。彼らの叫びはおしなべて矮小であり、また「可哀想だ」と訴える奴らは、例に漏れず彼らに無関心であるのだ。

 私が一番の関心を抱いてやっている。死に際に、彼らは見たこともないであろうが私の尊顔を想像して、三跪九叩頭の礼をして欲しいものである。

 

 

 或る日、気が付くと、私は石を投げつけられていた。身体に当たったが、かすり傷であった。投げてきたのは何者か分からない。遠くの茂みに隠れて、投げてきたようだ。通行人にすれ違うという事が無くなった。どうやら、一同揃って私を避けているようであった。

 その日から、私に対する投石は増えた。そして、私のことを精神異常者とでも言うような罵詈雑言が木陰から聞こえてきた。「猫殺しの異常者(シリアル・キャットキラー)」だそうだ。私はその物言いに、とうとう腹が立った。いつもは無関心を決め込んでいた癖に、急にこの振る舞いは何たる無礼だろうか。私は、その木陰に向かって、この様々な命を散らした拳を振るおうとしたが、そこには何もいなかった。

 すると、木の上から仕掛けられていた大きな岩石が私を押しつぶすように降ってきたのだ。

 激痛であった。辛うじて致命傷は逃れたが、足は潰れた。

 笑い声が聞こえる。間違いなく私のことを嘲笑っていた。私は意味が分からなかった。なぜ、私に無関心であったのに、急に牙を剥くのだ。なぜ、私が傷付いて悦ぶのだ。私は世界にとって必要な存在。あのような有象無象とは違うはずなのだ。

 

 足が潰れて、動けない。だから這って進むしか無かった。

 這いながら進むと、私の前を横切る蟻の行列があった。竹篦返しに掌で押し潰してやった。竹篦返しと言わずとも、無礼極まりない事であるから当然だ。

 幾らかの蟻は私の目下で、死に絶え、他の蟻は命惜しさに雲散霧消する。間近で見ているものだから、その潰れた蟻の最後の生命の微動まではっきり見て取れた。上から眺めるよりも、これは生々しくて、そして何より頗る気持ちが良いものであった。

 やはり、私は異常者などではなく、裁定者なのだ。だから、これからも見つけ次第、私は裁いていく、裁いてくのだ。

 朦朧とする意識の中で、私はそう考えていた──。

 

 

 

 

 








──という皮肉話です。

きっとあらゆる物事に裁定を下そうとする人々は、このように考えているでしょうねという想像の元で執筆しました。
このような人達にはなりたくないですね。




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