もし百合ヶ丘の売店に「よく困ったことに巻き込まれる店員」がいたら 作:ぽけー
昔話の前の、お墓参りのお話
間章:13年目のアッセンブル
私立百合ヶ丘女学院は、世界トップクラスのガーデンである。
所属するリリィは日本国内のみならず世界中からトップレベルの者が集められ、またそれをバックアップする工廠科やガーデンとしての機能も一級だ。
─しかし、どれほど精鋭を集めようとも、どれほどバックアップ体制を万全にしようとも、うら若き少女たちが立つのは常に死の危険がある戦場で。
故に、百合ヶ丘の中心部から少し離れた岬、相模湾を一望するそこには、古いものから新しいものまで、ずらりと墓石が並んでいた。
さく、さく、と芝生を踏みながら、岬を1人の女性が歩く。
年は20代後半といったところか。えんじ色のシャツに灰色のスラックス、特徴となる赤いふちのメガネを身にまとう彼女の手には紫を基調とした花束があった。
年に一度、『彼』の命日に合わせた、二人分の墓参りの日。毎年、できるだけ同じ組み合わせとなるよう鎌倉市街の花屋に頼んでいるそれをお供に、女性は目当ての墓へと進む。
入口から入ったばかりだから、左右に並ぶ墓石はまだ新しいものばかりだ。
その中には、つい最近まで購買を良く利用していた生徒もいて。ここに来るたびに、リリィたちの日常が死と隣り合わせだということを嫌というほど理解する。
(…まぁ、でも)
視線を横から上へ。雲一つない、澄み切った空が夕暮れの赤に染められていた。
霧にも、雲にも遮られていない─由比ヶ浜ネストにより長年見ることができなかった空を、ここで眠る少女たちに見せることができたことに、なんともいえない感慨を覚えた。
死者は何も語らない。どこにいるのかも分からない。だから、この無機質な石の下にすらもういないかもしれない。
それでも、百合ヶ丘でまことしやかに語られる怪談話のように、また死線をさまよい生還したリリィたちが語るように、遺してきた戦友や姉や妹を見守るため、未だこの残酷な世界に留まっている者も多いのかもしれない。
そんな彼女たちに、澄み切ったこの空がせめてもの手向けになればと、ぼんやりとした思考で思う。
「─到着、と」
墓地の奥まったところにある、目的地の墓へとたどり着き我に返る。
定期的に古なじみの用務員が散歩も兼ねて掃除してくれているから、少し古さを感じさせる墓石とその周りには雑草もない。それでも、『数が多くて…細かいところまでは綺麗にしきれないんです。ごめんなさい』との後輩職員の言葉通り、隅や名前を彫った穴が少し苔むしていた。こちらは手早く持ち込んだブラシで綺麗にする。
己に課した縛りのとおり、基本的にここには年に一回しか来ない。
その分の供養も、出来ているだろうか?
二人分の名前をブラシでなぞり、手を合わせ、そんなことを思う。
不意に、背後に人の気配。
「─うむ、やっぱり一番乗りはお前か」
「…虎春先輩」
私も一番乗りを目指していたのだがなぁ、と一つ年上の教導官が右手を振る。
高川虎春。長身に一つに纏めた黒髪、口調も精神性も武士に寄っている古なじみに軽く会釈した。
しゃがんで墓に手を合わせる姿は、それだけでサマになっていた。おそらく学院にこっそりと存在するファンクラブに写真を売りつければ、ひと財産になるだろう。
「…なんだ?」
「いえ」
「…胸か?昔から言っているが邪魔だぞ?これ」
「無意識に煽るのやめてくださいよ…困ります…」
教導官の制服を大きく押し上げる胸を抑えつつ、心底不思議そうな顔をする虎春。対してこちらはシャツの上から控え目な平面を抑えつつ、ため息を吐く。
購買部に勤めるようになってから個性的なリリィたちに振り回されたせいで、この言葉もずいぶんと口癖として染みついてしまった。内心を察したのか、横で虎春がくく、と笑う気配。
「まぁ、なんだ。元気そうで何よりだ」
「ついこないだも家飲みに強引に着き合わせた人が何言ってるんですかね」
「仕方ないだろう?事後処理で徹夜続きだったのだから」
げんなりと、虎春は弁明にならない弁明をする。
人造ヒト型ヒュージとして生み出された少女を人間であると証明し、リリィとして迎え入れるよう手続きをしたのはまぁいい。問題はその後、百合ヶ丘に来襲した武装集団の方である。
襲撃者自身の高い練度に、砲撃型ヒュージによる警戒設備への被害と、少女─結梨を巡る防衛軍との一時的な緊迫状態。その間隙を突かれた形となり、警備職員が異常を察知したのはリリィたちのアジールたる学院と寮に、一団があと10分といったところまで迫った時であった。
武装集団そのものは裏の顔をしたメガネの女性が即座に展開し、殲滅。その後は警備レベルも高められ、大ごとにならずに済んだ。
一方で、武装集団の後ろ盾や指示役、その他関係先の洗い出しと『しかるべき手段』の実行に教導官、裏方含めそれなりに忙殺されていたのだ。
さらには追い打ちをかけるかのように由比ヶ浜ネストからのヒュージ飛来に備え学園を放棄したと思ったら、次の日には由比ヶ浜ネストのアルトラ級の討伐である。
「なんというか…お前と出会ってからしばらくのことを思い出したよ。あの時も忙しかった…」
「まぁ、その、その件は大変なご迷惑を…」
「もういい。13年も前の話だ。思い出話にこそすれ責めることなどないさ」
疲れたように笑う虎春。実際、今と同じくらい忙しい時期であったのだ。
「…懐かしいな」
「そうですね」
「まだ私も、詠美も、美穂も、凪も現役のリリィで、お前がまだ店員じゃなかった」
「あの時の自分に今のことを話しても、絶対信じないでしょうね」
「間違いない」
今度は二人、墓前で顔を見合わせ笑う。
最初に出会ったとき、こうやって穏やかに笑い合える関係になるとは思わなかった、とメガネの位置を戻し女性は墓に刻まれた二人分の名前を見やる。
「…そうだ、他の皆さんたちは?」
「凪は美穂を迎えに行って、そのままこっちに来るとさ」
「臨月ですもんね…凪は少し、心配性な気もしますが」
「凪は相変わらず美穂にベタ惚れだからな。そんな奥さんが身重となって、一層過保護になっているのだろう」
「それこないだ店で美穂から半分愚痴半分ノロケとして聞きましたよ…」
「に、似た者夫婦だな…いや婦婦か。ん?どう呼ぶのが正しいんだったか?」
10年ほど前に正式にこの国で同性婚が認められて以降、定期的に話題になるテーマに虎春は首をかしげる。
「どっちでもいいんじゃないですか?戸籍上は今でも夫と妻らしいですし」
「あぁ…それはそれで揉めていたやつだな…」
「どっちの主張も極端に振れると面倒ですよねぇ…」
「私も今朝憂国の志士とやらから届いた手紙の確認と処理したばっかりだぞ…加藤さんを見習ってくれ…」
「あのレベルをそこらの一般人に望むのはちょっと無理がありませんかねぇ?」
二人そろって思い浮かべるのは、自らとも、そして墓石に名前が刻まれた青年とも関わりの深い現役の軍人の姿。軍組織においてまだ若手と呼べる年の彼は想像の中で謙遜して見せた。
「…そういえば加藤さんは?詠美先輩もですが」
「なんとか時間が取れたらしくてな。保育園に寄ってから、一家三人で来てくれるらしい」
「それは…にぎやかに、なりますね」
「ふむ、この人たちはにぎやかなのは嫌いだったか?だとすれば悪いことをしてしまうな…」
「いえ、二人とも喜ぶと思います。あちらは退屈でしょうから」
「お前を空から見ていて、腹抱えて笑い転げているかもしれんぞ?」
「むしろ心配させるなって怒ってそうです」
ふふ、と笑みをこぼす。視線はもう一度、墓石に刻まれた二人の名前へ。
刻まれた名前の輪郭すら、愛おしく、悲しく感じられてしまうのは、13年前からずっと抱えたまま振り切ることも飲み込むこともできない感情のせいか。
「…なぁ」
「はい?」
「まだ、一人ではここには来れそうにないか?」
「…そうですねぇ…困った話ですが。一人で来たら…ここから、動けなくなります」
「そうか」
年に一度、この日にしかここには来ない。
そう戒めなければ、そして自分を呼ぶ誰かが傍にいなければ、自分は墓前から動けなくなるだろうから、と。それがこの女性が13年前に建てた誓いだ。
虎春とて、何も失わなかったわけではない。ただ、そっと刻まれた名前をなぞる彼女ほど、この世へと自らを繋ぎとめるものが少なくなかっただけ。だから、もし少しナニカが違えば、墓前でうずくまっていたのは自分自身であっただろうから。
「…難儀なものだなぁ」
「ご迷惑、おかけします」
「私にも分からない感傷というわけでもない。むしろ痛いほど分かる。理解できる。なおさら迷惑とは思わんさ」
「…敵いませんね」
人一倍強い心を持つ一方で、こうして弱い心にも気を配ることができるのが、この色々と規格外な先輩の長所のひとつだと、苦笑いを浮かべながら思う。
それはそれとして。
「虎春先輩。入学から半年経ちましたけど、今年の新入生はどうだったんですか?」
「む、高等部編入組のことか?例年通り個性派揃いだ。指導が楽しいよ」
「いえそうではなく」
「む?」
「初めてなんですよね?昔助けた子が自分を追ってリリィになったの。最初相当ぎこちなかったですけど」
「…うん、話題を変えようか」
「逃げないでください。たまには弱みげふん普段と違ったところも見ておきたいんです」
「もう少し本音を取り繕えなかったのか?」
苦笑し、こちらを向く虎春。実際、入学直後に虎春へと駆け寄り話しかけるくだんの新米リリィの姿は、生徒(とファンクラブ)のみならず学生時代からタラシな彼女を知る職員同期組の間でも話題となっていた。
ここですわ事案か生徒と教師の禁断のあれそれかとならないあたり、周囲の虎春への信頼も透けて見えたり見えなかったりしている。
「…まぁその、なんだ。私もただの人間だと再認識することがあった、とだけは言えるな」
「強化リリィでもないのにマギ抜きで斬撃飛ばす人がただの人間…?」
「いや、鍛えれば誰でもできるが」
「それ先輩のご実家周辺だけですよ」
むー?と首を傾げる規格外にそっとため息。
ちなみにこの先輩の故郷には、リリィでもないのに斬撃を飛ばしてミドル級までなら仕留められる老人がいたりする。魔境かなにかだろうか。
「助けて常識人…」
「し、心外だな。まるで私が常識知らずみたいじゃないか」
「─虎春先生はもう少し常識人のラインを知ってください」
「あはは…うん、常識って、何だろうね…」
「開口一番ひどくないか!?というか遠回しに常識知らずと言っていないか!?」
す、と会話に女性が二人加わる。
この墓石に関係がある古なじみのうち、比較的常識人と常識人の二人が来てくれたらしい。それなりにショックを受けた虎春のリアクションに笑いをこらえつつ。メガネの女性は振り向いた。
「いらっしゃい、凪、美穂」
「えぇ。あなたもお疲れ様。体の調子はどうかしら」
「体調、特に足の痛みとかは大丈夫?何かあったらまた保健室に来てね?」
「夫婦そろって心配性すぎませんか…?そこまで変な動きしてないし大丈夫ですよ」
「大丈夫って言ってダメだった事例を良く知ってるから…ね」
「…あ、これ私だけに言われた言葉じゃないですね。ねぇ凪」
「その件は…ほんとに、ごめんなさい」
脚に相当無茶をした誰かさんの話から過去の自分に飛び火し、教導官制服に身を包んだ方─丹村凪がそう気まずそうに返した。横の白衣の妊婦が分かってるよ、と優しく答える。
彼女たちの今も、この墓の主たちがきっかけだったことを思い出し、メガネの女性もくつ、と笑った。
虎春が立ち上がり、そのまま二人と立ち話を始める。視線を遠くにやれば、教導官制服に身を包んだ母親と、濃緑の防衛軍制服に身を包んだ父親の手をぐいぐいと引きながら保育園帰りの少年がこちらにやってくるのが見えた。ししょー!と、可愛らしい声までこちらに届いてきて、立ち話組3人が表情を緩ませる。
「…心が洗われるな」
「ししょー…ふふふっ!かわいいなぁ…わたしたちの子どもは、どんな子になるんだろう」
「私たちの子どもだもの。美穂に良く似たいい子になるわ」
「独身の前でいちゃつくのはやめてくれ、回復したメンタルが削られる…少し、迎えに行ってくるぞ」
「えぇ。私はまだここにいますから」
虎春ら教導官組3人がこちらに来る三人家族へと歩き出すのを見て、ひとり墓前に残ったメガネの女性は視線を墓石に戻す。
13年。もう13年だ。
弔ったあの日から、大勢を殺し、見送り、何人かは救い出した。それでもなお、自分の中の感情を腑に落としきれていない。
「…ままならないものね」
ヒトへの憎悪と、諦念と、失望を見た。
人の希望と、願いと、未来を見た。
13年など、あっという間であり…ひどく長い道のりとも感じられて、思わず、かつての口調のまま刻まれた名前に語り掛けた。
「ねぇ」
「私、もうそろそろ30歳のおばちゃんになっちゃうわ」
「それでもまだ、何も振り切れていないの」
「二人なら…なんて言うかな。なんて言ってくれるかな」
墓石に刻まれた名前は、何も答えない。噂のように名前を呼ぶことも、姿を現すこともない。
それでもいいや、と静かに頭を振った。彼女らに見せられるほど高潔な生き方などできていないのだから。自分にできるのは、ただ約束を守り続けることくらいなのだから。
「戦争は、まだ続いているわ」
「GEHENNAも、13年前と変わらない…むしろ、もっと悪い方向に振れているかも」
「それでも、いい出会いも、いいこともあったわ」
指先が花束を撫でる。シオンに、カンパニュラに、エキザカムに、ゼラニウムに、キク。
時期と花言葉が決め手の、13年間変わらない花束。
「…腑に落とせるなんて、まだまだ思えないけれど」
「こうやって昔の自分を出せる場所なんて、ここくらいしかないけれど」
「…来年はもっと、いい報告を持ってこれるようにするから」
背後から、自分を呼ぶ声がする。一人では失くしたものから離れられない自分を、引き留めて引っ張ってくれる仲間たちの声。
もう行かないと、と女性は立ち上がる。かつて墓の主と共に過ごした少女から、常に敬語の店員へと戻ろうとする。
その前の、儀式をする。
「ねぇ、あっちゃん、ふーにぃ」
風が髪を撫でる。
傾いた夕暮れが頬を照らす。
「私は─」
あの瞬間を思い出す。
共に過ごした愛おしさを思い出す。
凍るような心を思い出す。
共に歩む仲間たちを思い出す。
忘れられない怒りと憎しみは思い出すまでもなく。
忘れられない愛と約束を、もう一度刻み付けて。
空の果てのあの人たちに届くように、静かに大地に刻み付けるように。
「藤見布由は、生きてるわ」
そう言って。
藤見布由は、悲しげに笑った。