使徒に憑かれた三号機の中のアスカを助けに言ったら僕がヴンダーの艦長になった件について 作:モーター戦車
終わる世界の只中で。
およそすべての円環の中で、幸せを理解せず、恐れた彼女。
可能性に手を伸ばすどころか拒絶し続け、決して報われない努力を続けた彼女の話を。
この物語は、歓びに寿がれ生まれた新星の輝きに照らされた、冥い影絵に他ならない。
円環が紡いだ果ての景色、波間よりいでた流木の、紡ぐ言の葉の無秩序な塊。
潰えゆく世界に希望を見るか絶望を見るかは人によるだろう。
絶望に終焉の歓びを観る者もいる。
希望に苦痛の継続を見出し唾棄する者もいるだろう。
苦痛の曇天の下、海路照らす星も観えぬまま、船出へ至る彼女の、これは最初の物語だ。
ママは居ない。
パパは知らない。
かわりにいるのはたくさんの、素性を知らない大人の群れ。
大人の他には、たくさんの私。
大きなコンクリートの鳥籠の中、ひしめいている無知な小鳥達。
何かを話したくても、知ってることなんてみんな自分のことだけで。
話すことなんて何もない。
褒めてくれる人は居ない。
よくわからないものを食べさせられ、よくわからないものを飲まされる。
毎日毎日注射をされて、毎日毎日血を抜かれる。
痛くて痛くて嫌なのに、誰も説明してくれない。
私達は皆同じ顔をしているけれど、別に考えが同じわけじゃない。
それぞれ思いも違えば気持ちも違う。
だから、注射に耐えられず泣き出す子もいれば、怒り出す子もいる。
そして、そういう子は、いつの間にか、いなくなる。
居なくなった理由はわからない。
私は何故かそれが怖くて、注射も血を抜かれるときも我慢した。
もちろん、頑張ったところで、誰も褒めてはくれない。
いつの間にかみんな、注射で泣かないのが当たり前になっていた。
泣く子は居なくなってしまうのだ。
毎日毎日、理由もわからず走らされる。
足が痛い、息が苦しい、身体が熱い。
けれど走るのが遅い子は、やはり居なくなってしまう。
だから、一生懸命に走った。
私で一杯だった部屋は、いつの間にか、随分と広くなっていた
それだけ、私が居なくなったということなんだと思う。
けれど、窓の外には出られない。
ごく稀に、窓の外を飛んでいく鳥が観えた。
白い、鳥。
名前は知らない。
翼があり、自由にどこへでも飛んでいける。
居なくなった子たちは、鳥になって、飛んでいってしまったのだろうか。
私も諦めてしまえば、鳥になって、自由に飛んでいけるのだろうか。
この、薄暗い鳥かごから抜け出して、自由を得ることができるのだろうか。
けれど、居なくなった子の事なんてわからない。
居なくなった子とはもう会えないから、居なくなった感想なんて聞けない。
だから、『居なくなる』ことが私は本当に怖くて、一生懸命に頑張った。
理由がわからない勉強も。
理由がわからない訓練も。
わからないまま、必死に取り組んで、必死に評価を上げていった。
もうルールは分かっていた。
点数が低い子から居なくなる。
毎日増えるタスクを、なるべく高く乗り越える。
そうして、たしか数学の方程式を習い始めたころだったろうか。
ある噂が「私」達の間で囁かれ始めた。
「エヴァに乗れない子はいなくなっちゃうんだって」
たぶん私の一人が、大人たちの言葉を盗み聞きでもしたのだろう。
エヴァ。
人の名前ということはもう認識できた。
けれど、乗るというのなら、それは乗り物なのだろうか。
それに乗れば、自由になれるんだろうか。
そこだけが、私が居なくならなくて済む、私に許された居場所なんだろうか。
私は、そこに行こうと決めた。
怖いなんて弱さを二度と感じないために、泣かないために。
そういう私の強い形を、心のなかに形作った。
いつかあの空へ届くために。
夕暮れの赤、地平の彼方、まだ見ぬどこか、安心できるどこかへ馳せるために。
必要なものがそのエヴァなのだとしたら、多分そこが世界で唯一の居場所だ。
そこならきっと、怖くないから。
そこならきっと、頑張らなくていいのだから。
そこはきっと、私が私だけで居られる、世界で唯一の居場所なのだろうから。
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「とうとう私だけ、か」
ユーロネルフ、中央研究棟施設ビル2階居住区。
かつて『幼稚園』と呼ばれていた、今はがらんどうの広間の中央でつぶやいた。
100人以上の私でひしめいていた部屋に、今は私しかいない。
エヴァに乗れなかった私達は、噂の通り、本当に居なくなってしまった。
そのことが意味することは、ただ一つ。
この世界に、『式波・アスカ・ラングレー』はもう私しかいない。
窓を見つめる。
鳥の居ない、青い空。遠く、高く──けれど、なにもない空。
あの高みを、私は何度も飛んだ。
表向きは、平和維持活動への参与。
実体は、エヴァンゲリオン弐号機パイロット最終選別試験。
セカンド・インパクトを切欠とした、史上かつてない気候変動は欧州をも例外とせず襲っていた。
オランダの大半および、イタリアのベネチアを初めとした海抜の低い地域は、海面上昇により水没を遂げ、多くの穀倉地帯が甚大な被害を被り、食糧生産量は文字通り激減してしまったのだ。
食糧供給の激減は、欧州各地に潜在していた民族間・宗教間・国家間対立を顕在化させた。
ユーロの必死の管理も虚しく、限られた食糧生産地域や水源をめぐり紛争が頻発することとなった。
ユーロネルフは、これらの紛争を、エヴァンゲリオン弐号機パイロットの最終選別試験の舞台として、格好のものとみなしたわけで、随分と数を減らした『私』達の群れは、その渦中に、ネルフの保有する最高戦力として各個投入された。
最後の試験の加点要素は、撃墜スコアだった。
私はその試験過程で、ユーロ統合空軍初のダブルエースとなった。
ジェット時代では稀有なスコアだと、天才パイロットだと称賛された。
それは、私がそれだけ手を人の血で染めたのだと言うことを意味するけれど、私にはその実感はなかった。私たちが投入されたのは、空対空任務ばかりで、落としたのは戦闘機や攻撃機ばかりだ。
人の形をしていないものをAAMで落としても、人を殺したという実感が起きない。
もしかしたら脱出したかも知れないし、もしかしたら不時着したかも知れない。
それに、私にとって人が『いなくなる』なんて恐怖は日常だ。
引き金を引き、誰かが消える。
誰かに引き金を引かれ、私が消える。
私は誰かが消える方を選んだ。もしかしたら、落とした相手には『私』も混じっていたかも知れない。
あるいは常に『私』だけを落とし続けていたのかもしれない。
けれど、そんなことは私にはどうでもよかった。
求められる点数に答えられなければ、私がいなくなってしまう。
誰かが死ぬとか、死なないとか、そういうことはどうでもいい。
いずれにせよ、私は乗り越えた。
そこに、感慨は、なにもなかった。
憧れた空をしなやかに飛ぶ白い鳥がいない、高すぎる高度1万メートルの空。
そこは高すぎて雲ひとつない空、人の生きるのに適さない高み。
空の只中を自由飛行しているにも関わらず、私は自由を感じなかった。
コクピットという壁、任務という壁、最終選別試験という壁。
弐号機パイロットとして、正式に通知が届いてから、更に私を覆う壁が増えた。
人間という壁。
ユーロ空軍が、稀有の天才パイロットとして私の存在を公表したからだ。
若干12才のダブルエース。
混迷の只中にある欧州において、戦乱を収束に導く女神。
いずれは『使徒』と呼ばれる人類の脅威へ立ち向かいうる、唯一無二の戦乙女。
ユーロ空軍と、ユーロネルフの思惑が一致したということ。
軍人もユーロネルフ上層職員も、所詮官僚の類で、仕事をしたアピールがしたいだけ。
そのために私を利用したい、そういうことなのだろう。
私の素性を識りもしない、私の心を識りもしない人々が、私の落とした戦闘機の「数」だけを褒め称える。
余禄のつもりか、2年だけ通わされた大学での生活で周囲の扱いも、似たようなものだった。
6つ以上も年の差の離れた学友は、空のことと、撃墜スコアのことしか聞いてこない。
年の差があるからか、所詮子供と見下しているからか、私の心のことや考えのことなんて聞きもしない。
誰も私なんて見ない。欧州空軍のダブルエースを見たい、知り合いだと自慢したいだけ。
私をテストしていたユーロネルフの、いけ好かない大人の職員たちと同じ。
点数しか見ていなくて、その点数だけを自慢したいのだ。私の成果を、自分のことのように。
愚民を守るのはエリートの仕事。
そうして科学知識や数学知識の類の価値あるものだけ脳に詰めて、大学での2年を慌ただしく過ごした。
繰り上げ卒業は皆大いに祝ってくれた。
けれど、お祝いと別れの挨拶を個人的に告げに来てくれた人は、ただの一人もいなかった。
誰も私を見ていない。
だから、私一人で、やるしかないのだ。
その方が気楽だとも思った。しがみつかれても、重いだけだから。
私しか居なくなった、私で満ちていた部屋。
私が選ばれた以上、この部屋には価値がなくなったので、もうがらんどうになってしまった部屋。
来週あたりにも改装が入り、新型兵器研究施設を立ち上げると聞いている。
エヴァをサポートする自律無人人型戦闘兵器の研究らしいけれど、私には関係のないことだ。
もうここは私の巣ではない。
私はエヴァンゲリオン弐号機という翼を得て、パイロットとしての責務を果たしに旅立つ。
エントリープラグも、鳥籠のようなものかもしれない。
けれど、ここよりは遥かにマシだと思った。
エヴァンゲリオン弐号機は、私というパイロットを、必要としてくれる。
弐号機は私が居なければ動かない。
もちろん維持や整備にスタッフや予算が必要になる。
けれど、弐号機を操る私がいなければ、あの巨人は動かない
私の存在を保証してくれる意思なき巨人。
私の優秀さを示してくれるもの。
他の誰もいない場所。
私だけでいられる、世界で唯一の私の居場所。
かつて私が暮らした部屋を出る。
ここで十年以上暮らしたはずなのに、別れを告げる必要も感じず、名残惜しさも感じなかった。
別れを告げる相手も居らず、名残を惜しむ相手も居ないのだから。
みんな、いなくなってしまったのだから。
大学生活時代、軍時代の俸給としてもらった生活費で買い集めた物はあるけれど、ここでもらったもので、残ったものと言えば、ただ二つ。
汎用人型決戦兵器、エヴァンゲリオン弐号機。
そして──手持ちかばんのポケットから取り出し、手にはめる。
いつ誰からもらったかもわからない、パペット人形。
スカートに『ASUKA』と刺繍された、古ぼけたもの。
アスカ、それはもう私だけの名前。
子供っぽいと思ったけれど、何故か捨てられずにいる。
これを捨ててしまうのは、自分を捨ててしまうようで、嫌だったのだ。
たくさんの『私』を捨てた大人と、同じ存在に成ってしまうようで、どうしてもそれはできなかった。
それに、みんないなくなってしまったけれど、この子だけは私と一緒に居てくれた。
残ってくれた。
もしも、私が居なくなったら、この子もいなくなってしまうのだろう。
私以外の誰かが、この子に価値を見出すとは思えない。
指を動かし、操る。
私を褒めるように、パペット人形が手を降った。
そして、誰に聞かせるでもなく、私はつぶやく。
「私は優秀。私は一人。
──だから、一人で行くしかないのよ、アスカ」
佇む。
答えはなく、そして求めてさえ居ない。
人形をしまい、部屋のドアをあけ、私は歩き出す。
背中でドアの閉まる音を聞く。
私がこれからどうなるにせよ、私がこの鳥籠に戻ることは、もう二度とない。
私がここに宿ることも。
もう世界に、私は一人しか居ない。
これは、鳥籠からの開放を意味するのだろうか。
わからない。
自由なんて味わったことがないから、実感というものがない。
それでも、私は私の意思で。
式波・アスカ・ラングレーとして、私は今日、歩き出す。
ファーストシーズンとありますが、この時間軸より10年後の物語であるセカンドシーズンと並行連載していく形式を取っていこうと思っております。
現状、セカンドシーズンの方が分量が多い状況となっておりますので、お好みの方からお読みください。
宜しくお願いいたします。