ほむ杏が鍋する話です。

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ほむ杏が鍋する話

 佐倉杏子はすき焼きが好きだ。

 いや、言ってしまえば食べ物全般なんでも好きだったが、記録的大寒波のクソ寒い夜に食べるすき焼きには特別な物を感じるのだ。外ではワルプルギスもびっくりな大吹雪が吹き荒れ、ボロアパートのボロ窓を叩き、隙間風はもはやビュウビュウと音を立てており隙間風と呼ぶことにすら疑問を感じる程だった。築ウン十年のアパートはがたがたと震え、ぎしぎしと音を立てている。

 エアコンも無く、ファンヒーターも無く、レトロな雰囲気を漂わせる石油ストーブの上に置かれたやかんから勢いよく蒸気が飛び出している(思いのほかこれが暖かいのだ)。杏子は折半で買った小さなコタツに足を突っ込み、人間が生み出した最高の発明品の恩恵に身を包んでいた。

「しかし相変わらずボロいな……」

「ボロくて悪かったわね」

 台所でネギを切り終えた暁美ほむらは、皮肉たっぷりの(不気味な)笑顔を浮かべるとコタツに足を突っ込んだ。そして、その冷え切った足を杏子の足に絡ませる。杏子が「冷たッ」と声を上げほむらを睨むと、「あら、ごめんなさい」と(一段と不気味に)微笑むほむらの氷点下の冷たい目がこちらを睨んでいた。

 佐倉杏子は背筋が凍った。

 ほむらに対してでは無い。もしも、いつもの痴話げんかの様に、このボロアパートから放り出されたらどうなるのかと想像してしまったからだった。ちらりと見た窓の外は真っ白だった、一字一句なんの間違いもなく真っ白なのだ。こんな光景は『アイス・エイジ』や『デイ・アフター・トゥモロー』でしか見たことがない。

 いま外に放り出されればどうなることか。家出先の橋架下の段ボールハウスは、先日の魔法少女羽根突き大会で巴マミが放った『ティロ・なんとか』で見事なまでにぶっ潰れたままなのだ。美樹さやかは例のバイオリンぼっちゃんとイチャコラだろうし、鹿目まどかも大好きな弟と、巴マミもあのクソガキとイチャコラしているのだろう。そこに割って入るなら凍死して自然の一部となった方が幾分かマシだ。

 そもそも死にはしないが、みるみる内に手足は氷り、雪に埋もれ、春先まで冷凍保存される未来が見える。つくしと共に仮死状態で春を迎え『身元不明少女、仮死状態で春を迎える』の一面がお茶の間を賑わすこと間違いなしだ。

「そ、そんな所も好きだけどな」

 自分でも意味が分からないが、取りあえず十円ガムよりも安価な「好き」を伝えると、ほむらは眉を曲げ「気持ち悪いわね」と杏子の足を思いっきり蹴った。

 ホームセンターで買った小さな鍋に、ほむらはせっせと盛り付けをしていく。二割引きの上に半額のシールが貼られた激安牛ばら、白滝、ネギ、豆腐、八百屋にサービスして貰った白菜を多めに入れてかさ増しをする。鍋は煮る前がもっとも美しく見えるというのは、ほむらの持論だ。

「関東風か」

 思わず口に出た。「なにか文句でも?」とほむらが睨む前に「関東風も好きだけど」と取り繕う。冷凍食品の気分を味わうのはごめんだ。

 鍋に蓋をし、同じくホームセンターで買ったカセットコンロに軽快な点火音と共に火が灯る。

 杏子はテレビの電源をつけた。ぽけーっとテレビを見ている杏子の前に「どうぞ」と、歴代横綱が描かれた絶妙にダサい湯飲みが置かれる。

 硬い表情の割にはやっぱり気が利く『良い女』だと内心で褒め、湯飲みに口づけた。手指から伝わる優しい温もりもさることながら、その暖かさが喉を伝い胃に届き、まるで冷え切った体を溶かしていくようだ。ほっと一息とはこのことだろう。

「百二十円」

 残忍な請求が飛んでくる。『良い女』は訂正だ。

「とんだぼったくりだな……八十円」

「百円」

「ごめん、やっぱノーサンキュー」と湯飲みを突き返す。

 札は勿論、小銭すらつきかけの財布が頭に浮かぶ。貯まっていくのはレシートぐらいで、お金なんぞ一向に貯まらない。金は天下の回りものなんて嘘っぱちだ。

「五十円で良いわよ」

「……出世払いでな」

「いつになることやら、今月の家賃もまだなのに」

「もう少し待ってくだせぇよ、家主様、ほむら様」

 線引きの大切さ、金の切れ目が縁の切れ目、そのことをしっかりと理解し冷酷なまでに実行するのが暁美ほむらという女なのだ。コンビニのレジ打ち、スーパーの品だし、警備のバイト、手を出したバイトは数知れず辞めたバイトも数知れず。自分から搾り取った血税をどこに隠してやがるのか。

 せっせと鍋の世話をするこの女のずる賢さは尊敬に値する。爪の垢を煎じて青髪のろけ野郎に飲ませてやりたいと何度思ったことか。

「たまご用意してなさい」

「へい」

 ふつふつと沸いてきたすき焼きの香りを目一杯鼻から吸い込んで、目一杯鼻から吐き出した。ぐつぐつと煮える音が恋しくてたまらない。女かどうかは知らないが、きっとすき焼きさんは良い女だろう。

「ご飯もよそってて良いわよ」

「はいよ」

 炊飯器の蓋を開ければ、ご近所さんから頂いた新米の香りと温かい水蒸気が顔を包む。雪に勝るとも劣らない白の艶と輝きに思わず喉が鳴る。感動の余り震える手で米をほぐし、一粒も零さぬように茶碗に盛れば、それはもう一つの宝だった。

「まるで犬ね」

 ほむらの煽りなんて気にも止めず、目配せをする。ほむらは呆れた様に肩を落とすと、杏子の望み通り鍋の蓋を開けた。

 素晴らしいの一言だった。

 割り下によって赤から茶色に染まった牛肉。汁をたっぷりと吸い込んだ白滝に白菜。食ってくれと言わんばかりの豆腐。湯気と上る匂いを嗅げば、お腹がぐうと鳴り、それを分かっていたように、ほむらは具を取り分けた。

 全速力かつ全力の「いただきます」の後に、杏子は肉にかぶりつく。安い肉とは思えない程の肉のうま味が、卵に包まれ舌と踊る。白米を戦線投入すれば、それはもう完璧だった。暁美ほむらの鍋裁きは東西一に違いない。

「……もっと高い肉なら、もっともっと美味いんだろうな」

 ふいに出た言葉だった。目の前のすき焼きにこれっぽの文句もなかったが、さらに美味しい物を食べてみたいという欲には勝り難いのだ。

「いまは我慢しなさい」と、ほむらは自らの具をよそう。

「あたしのお金で買うからさ」

「あなたは貯蓄って言葉を知らないの?」

「貯めて何になるんだよ」

 ほむらの生まれ持った性なのもあるだろうが、最近は特に倹約が過ぎている。今日のすき焼きだって、杏子がほむらに懇願し、天井が潰れないようにクソ吹雪の中で雪下ろしをして、ようやく実現したのだ。それに、ほむらの部屋着はいつまでも解れたままだし、PCに限界が来ている事も知っている。もう少しお金を使っても良いんじゃないかと杏子は思うのだ。

 ほむらは「あなたね」と呆れた様子で、肉を卵に潜らせている。

「お金を貯めれば、少しはマシな所に住めるでしょう…二人でね」

 ほむらは肉を口に放り込むと「いけるわね」と呟いた。

「……お前やっぱ良い女だな」

「どうも、おかげさまでね」

 杏子は肉を卵に潜らせた。


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