梅雨明けが宣言されて、雨に濡れていた上着が汗に濡れるようになった頃。青年はふと暇になった。そこに理由ない。
ほんとうになんの理由もなくぽっかりと予定に穴が空いた青年は、寮のベッドで寝ているのもなんとなく嫌になって、あてもなく散策に出かけた。
大学の寮を出て、下り坂を道なりに歩いた。いつものバス停の横を通り過ぎ、いつもと違いそのさらに先へと進む。彼は気づけば広い海水浴場へと行きついた。
白い砂浜に広い海。なにもない向こう側から吹き付ける強い風。最近薄くなった上着では長居は厳しそうだと彼は身体を震わせた。
海水浴場は、泳ぐための海と、その隣の砂浜があればそれはだいたい海水浴場である。
だから、オフシーズンの海水浴場に人の影はなく、人工物による影ひとつすらなかった。
梅雨晴れの青々とした空から太陽の光が降り注ぎ、白い砂浜からもその光が照らしてくる。そのあまりの眩しさに目を細めたとき、彼の目にキラリと光る特異なものが見えた。
それは手に取ってみると、小さな貝殻のキーホルダーのついた鍵であった。それからもうひとつ、不用心にも住所の書かれた札がある。
『海浜一丁目海浜工芸』
それが、この鍵の持ち主のことであろう。
海浜の一丁目といえば、ここからぷらっと行ける距離である。交番よりもよっぽど近い。
そう考えた青年は、その家へ届けに行くことにした。
目的地は、本当にすぐそこだった。それもそのはず、海水浴場へ来た観光客向けの土産物屋なのだから当然といえば当然である。
『海浜工芸』
それがこの土産物屋の名前である。しかし、今はシャッターで閉ざされている。辺りを見回すが、インターホンらしきものは潮風にさらされ、壊れて久しいようだった。
たいした距離ではないとはいえ、せっかく来たのに、これから引き返して交番にいくというのもなんとなく惜しい。そう思い、どうするか考えていると、彼の気づかぬ間に、近所の住人らしき老婆が後ろに立っていた。
どうやら、店の前で辺りを見渡す見慣れない若者を不審に思ったようで、訝し気に声をかけてきた。
「いえ、こちらの家の鍵を砂浜でみつけて。それで、交番にいくよりも早いとおもったので」
すると老婆はそれで警戒をといたようで、それでしたら裏口から入れますよ。と張り紙を指差して答えた。
それで、指のさすほうをみると、「御用の方は裏口へ」という小さな張り紙を見つけた。どうやら裏口に回ればよかったらしい。人間意外に単純なものにも気が付かないものである。
裏口は人間が出入りしていることがわかる生活感のある顔をしている。
それは表のシャッターの閉まったオフシーズンの土産物屋とは雰囲気が違う。
表のそれとは違う音の鳴るインターホンを押すと、奥のほうから可愛らしい若い女性の返事が返ってきた。
「あのすみません。こちらの住所の書かれた鍵を拾いまして」
そういうと奥のほうからトタトタと少女か出てきた。
彼女は青年と同じくらいの歳で、靴を履いて下を向いたとき、揺れた髪の間から、鍵についていたストラップと同じ雰囲気の貝殻の耳飾りがちらりと見えた。
彼女はひたすらに恐縮して、何度もお礼を言うので、彼はなにか気の利いたことでも言おうとしたが上手く言えなかった。
青年は恋に落ちたのである。
彼はなにかお礼の品でもと中へ招かれた。
家の中は土産物屋と一体になっており、中に工房も併設されている。そこには、螺鈿の虹色に輝く貝から、少女の耳飾りに使われているような小さな二枚貝までが並んでいた。
青年はなにか話題を作ろうと少女へ問いかけた。
「ここって貝殻やってるんですね」
「ええ、そうです」
「じゃあ、その耳飾りも?」
少女は耳飾りを見られたことをなんだか見られたことが恥ずかしくなり、頬を染めて小さな耳を手で覆った。
「ええ、まぁ」
そして、話題を逸らすようにこう返した。
「ここって体験教室もやってるんです。もしよかったらやってきますか?」
この体験教室では、二枚貝のストラップを作るのに、穴をあけてそこに紐を通す方式を採用していた。
簡単ですよ。と見せられた手本は、クルクルッと千枚通しで穴をあけ、スルスルッと紐を簡単に通していたが、いざ青年がやってみると、これがなかなか難しい。
貝を割らずに穴を開けるには、それなりにコツが必要らしい。
それでも、じっくりと時間をかけてなんとかできた。
「筋がいいね」
彼女はそのように彼のストラップを褒めた。
彼女にほめられると、青年も初めてにしてはそれなりに出来はいいように感じてきた。
それから、青年は体験教室のバイトを募集してるので来ないかと誘われた。
夏休みの間は毎年人手が足りないらしい。
「ええ、喜んで」
青年はこれから来る夏に思いを馳せた。