フェリシアはニットをひとつ深く被り、白い息を吐き出した。
大学を出てから降り始めた綿のような雪は、アスファルトに不時着すると、僅かな痕を残し消えていく。濃く黒く染まっていくアスファルトとは対照的に、クリスマスを迎える街は徐々に色づき始めていた。
ふと軽く辺りを見渡すだけでも、商店街のライトアップが視界を鮮やかに染める。テレビで特集を組まれるような大層な物では無かったが、それでも心が照らされる様な気分になるのは、13歳の頃から何一つ変わっていない。時折、フェリシアはそんな自分が子どもっぽいと感じ嫌悪を覚えるが、純粋にクリスマスを楽しめるようになったのも、素晴らしい巡り合わせに出会えたからで、その奇跡の賜物だと考えると悪い気はしなかった。
『プレゼントに』『大切な人に』『世界に一つだけの』
張り巡らされたチラシや、色とりどりのネオンが目に入る、その度にフェリシアの悩みは深くなるばかりだった。雑踏のざわめきなど気にも止めず、きょろきょろと辺りを見渡し、「あれかこれか」と店に立ち止まっては思案する。そして数秒後には「やっぱり違う」と歩き出す、この一連の流れを繰返していた。
煌びやかな宝石、お高い化粧品、どれもこれもパズルには当てはまらず、その度に答えを教えてくれなかった彼女を、少し恨めしく思うのだった。
「わたしの欲しいもの?」
三脚に登り店の本棚を整理しながら、かこは不思議そうにフェリシアを見下ろした。
「これ持ってて」と身の丈の二倍はありそうな本棚から続々と下ろされてくる本を受け取りながら、フェリシアは「そうだ」と相槌をうつ。
「それにしても急だね」
「まぁな」
フェリシアは平静を装う様に、両腕に積まれていく難透難解な本のタイトルを目でなぞるふりをしつつも、心は波立つばかり。しかし、暫く経っても返事が無く、あまつさえ本も下ろされて来ない。不審に思いかこを見上げると、自分を見下ろす翠色の宝石と目が合う。その宝石は自分を見定めているようにも、おちょっくているようにも見えた。
「で?」とフェリシアが催促して、宝石の持ち主は思い出した様に「うーん」と喉を唸らせ始める。書房の前を、近所の子どもの笑い声とトラックのエンジン音が書房の前を通り過ぎてようやく、かこは口を開いた。
「さぁ、なんだろうね」
フェリシアの気も知らず、返ってきたのはつかみ所の無い答えに、和やかな笑顔。その笑顔にフェリシアが「どういうことだよ」と悪態をついたのは、つい先々週、夏目書房の倉庫整理バイトのことだった。
クリスマスソングが薄暮の街にけたたましく鳴り響き、軽快な電子音を巻き込んだ風がフェリシアの長髪をはためかせ、ぶるりと体が震えた。昔はーーそれこそ七年前は風の子元気の子で、雪が降れば犬よりも喜び庭を駆け回ったのだが、成長するにつれて「寒い」という念が強くなっていた。
体と心は共に成長しないのだ。
未だにチョコリングドーナツは好きだし、漬け物の美味しさは分からない。初めて飲んだビールは不味かったし、二十歳になった晩にコソコソと抜け出して、訳も分からず買った12番の不味い味は忘れられない。
しかし、やちよの小言暴雨を浴びても、いろはに(覚え立ての拙いパワーポイントで)煙草の有害性を力説されたとしても、なんやかんや吸い続けているのは純粋な興味と憧れからだった。大怪盗の三世とその一味も、世界一有名な海賊団の料理人も吸っている。多少なりとも、憧れるのは当然だ。
ポケットの中をゴソゴソと手で探りハードケースの中身を確認すると、幸いなことに空箱になるまでに数本も猶予があった。そして、まるで吸い込まれるかのように、商店街にたった一つの喫煙所へと足を進める。
時代にそぐわず、この喫煙所には壁に天井があり椅子があり、さらに空調すらもついており、夏には避暑地に冬は避寒地になるので、商店を歩き回る途中で一休みするにはうってつけなのだ。ただ一つ、フェリシアが気に食わないのは壁がガラス製なので、見世物にされている気分になることだ。
喫煙所に入ると、顔見知りのチャイナ娘ーー純美雨が煙草を吸っており、軽く会釈を交わすと、煙草に火をつけ、ニットをひとつ深く被り、白い煙を吐き出した。
一際甘い匂いが辺りに充満する。喫煙仲間には不評だったが、フェリシアはこの黒い悪魔のーー甘ったるい菓子みたな匂いが好きだった。
杶美雨とは、よくこうして喫煙所で顔を合わせる仲であり、中華料理の手ほどきを数度受けたこともある。そんな美雨を横目に見てみると、これまた軽快に白煙を吹き出していた。鍛え上げられた功夫のおかげだろう。もしかすると、こんな真冬にチャイナドレスで平気なのも功夫のなせる技なのか…
「今日も甘い匂いネ」
唐突に美雨は口を開いた。フェリシアは自分に話しかけているのかと、喫煙所を見渡すが、美雨と自分だけ。甘ったるい煙を吐くは自分だけ。
「それどこ売ってる?」
「あー、駅の西口のコンビニ」
「覚えとくネ」
会話に句点を打つように美雨は煙を吐き出す。それに合わせるようにフェリシアも煙を吐き出した。
「鍛錬は続けてるカ?」
「おう」
生地を宙に放り投げ、正拳五連突きを放つ曲芸は客からの評判が良く、万々歳の名物になっている。鶴乃も負けじと「由比鶴乃最強突きver.クリスマス」を編み出してはいたが、見事に生地は爆散し一足早い飾り付けになったのは記憶に新しい。
ガラスの向こうの太陽はすっかり沈み、ネオン、街灯に店の明かりが街を照らす夜を迎えていた。ガラス越しの光は滲み、往来の鳴き声は薄く伸びて喫煙所に響いている。
「世間はすっかりクリスマスネ、蒼海幇も大忙しヨ」
「万々歳もだよ、まいっちゃうぜ」
「忙しいのいいことヨ 。閑古鳥が鳴くより遥かにましネ」
「間違いねぇな」
美雨は(おそらく)二本目の煙草に火をつける。美雨が吸う中国製の煙草はフェリシアが知る限りでは、ここらでは売っていないものだ。蒼海幣を通じて大陸本土から取り寄せている、という噂を耳に挟んだことがある。
「今日は何しに?」
「あー、野暮用だよ」
「ふーん……こんな寒いのにご苦労ネ」
「ほんとだよ」
全くもって、と心の中で復唱する。
彼女があっさりとフェリシアが買うべき物を教えてくれていたら、大学帰りに商店街を俳諧する羽目にはならなかっただろう。ニヤニヤ笑うやちよにアドバイスを請う必要も無かったのだ。
フェリシア自身もここまで苦戦するとは思っていなかった。魔女の頭蓋をたたき割る方が何倍も楽だし、そっちの方が何倍も手っ取り早く快感を得られる。それでも、フェリシアが魔女退治を鶴乃やさなに押しつけ、繁華街に入り浸たるのは、絶対に喜ばせてやるという意地であり、己との勝負でもあった。
ふと美雨の顔を見てみると、少し口角をあげ、物珍しそうな目をフェリシアに向けていた。
「んだよ?」
「いや、何でも無いヨ」
フェリシアは怪訝な顔を浮かべ、チリチリと煙草を燃やす。吐いた煙は蜷局を巻き、換気扇へと吸い込まれていく。薄く伸びたクリスマスソングと空調の音に、突然、美雨の声が割り込んだ。
「かこは、大通りに新しく出来た雑貨屋のーー
「ブックカバーだろ、緑色の。かこが好きそうだもんな」
「若葉色ヨ…なんだ、知ってたカ……じゃあ、何を迷ってるネ」
確かにそのブックカバーは、フェリシアが選び抜いたプレゼント候補筆頭ではあった。牛皮の質感は手に馴染み、淡く染められた緑色は、本好きのかこなら喜ぶこと待った無しだろう。
喜ぶこと違いなし、違いなしなのだが…
「なーんか違うんだよなぁ」
そう、何かが違うのだ。選び手に取ったどれもこれも、正解の皮を被った不正解に思えて、心の奥底が納得してくれないのだ。
「……自分がなにを欲しいか考える、これ近道ヨ」
「欲しいもの、ね」
真っ先に浮かんだのは原付バイク、免許を取ったのは良いが肝心のバイクがないのだ。バイクさえあれば、かこが行きたいといっていた温泉街に遊びにいける。ネズミランドのチケットでも良い、かこも行ったことが無いらしい。かこはーー
「おれは…」
フェリシアは目一杯に煙を吸い込み、勢いよく吐き出す。
「おれは、煙草がありゃ良いかな」
「素直じゃないネ」
「うるせー」
背中越しの美雨にそう吐き捨てると、煙草の火を消し、再び夜の街へと飛び出した。
雪は本格的に降り始め、見上げた夜空は舞い落ちる白で埋め尽くされていた。煙草の余韻を口から吐き出すと、代わりに冷気が入り込む。そうして、フェリシアは歩き出した。彼女の顔を思い浮かべて。