タキオンとトレーナーが謎のレース場にVRで走りに行くお話。
「指と指の間をできるだけ、それでいて等間隔に開く。筋肉の緊張を制御し、微細な指の震えも静止させる」
異様な光景だった。
白魚のようにほっそりとした指先はピンと伸ばされ、全ての指の角度は完全に一定となっている。
試してみれば分かると思うが──人体はこうした無理な形をとると、筋肉の緊張を制御しきれない。どうしてもプルプルと、生まれたての小鹿みたいに筋肉の微細な揺れが指の動きとなって現れるものだ。
「そして次に角度を徐々に狭める。呼吸のリズムに合わせ、指同士の角度を一定に保ったまま、徐々に角度を狭めたり広げたりを繰り返す」
それは手遊びのようでいて、ある種の舞踊のような趣もあった。
洗練された動きに芸術性が宿るように、習慣化されたかのような迷いのない動きは、同時にミステリアスな色気も帯びているようだった。
「以上」
動きの主──アグネスタキオンは、しかしそんな美しさをあっさりと切り上げ、手をプラプラとさせながら歩き始める。
「『実験』をする前の準備体操、終わり」
──実験に準備体操なんているのか?
そんな疑問を口に出そうものなら、きっと彼女は喜んでその必要性について語ってくれるに違いない。
ついでに、無粋な質問者を実験体にしながら。
「やぁやぁモルモットくん! 今晩の予定は空いているかい!?」
──その日、アグネスタキオンはいつにも増して上機嫌だった。
私との約束を守って午前の授業をしっかりと受けてきた(たづなさんから連絡を受けていて知っている)タキオンは、午後、お昼休みが終わるなりトレーナー室の扉をはねのけるように入室した。
私はと言うと、ちょうどタキオンに頼まれていた実験データの整理を終えたところで、ちょっと遅めのお昼休みに何か食事でもとっておこうかと思っていたのだが──
「空いているけど。どうしたの?」
食事はどうやらお預けのようだ。
空腹と向き合う覚悟を決めながら答えると、タキオンはぱぁっと表情を明るくした。空いていないと言ったって、どうせ無理やり空けさせるくせに。
そこで、私はタキオンが見慣れないキャリーケースを曳いていることに気付いた。
……なんだろう、あれ。まさか今から旅行に行くというわけでもなし、ということは、何かを運んでいる……のだろうか?
「以前、VRでウマ娘の身体能力を体感する実験をした時のことは覚えているかね」
そう言って、タキオンはドン! とトレーナー室の長机の上にキャリーケースを横倒しに置いた。身振りからはそんな風には全く見えないが、今の置いたときの音の重量感は、軽く数十キロは越えているようだった。
それを、まるで空き段ボール箱でも置くみたいにヒョイヒョイと……まったく、ウマ娘の身体能力の高さには毎度驚かされる。
「うん。覚えてるよ。あれは凄かったなあ……、あの実験がどうかしたの?」
「発展形の実験をね、用意してみたんだ」
タキオンは意気揚々とキャリーケースを開く。空気が抜けるような音と共に開陳されたキャリーケースの中には……いつかの実験で使ったような、電子機器類が大量に陳列されていた。
これは……VRゴーグルと筐体……が、二セット?
私が被検体になるのはいつものことだけど、二セットということはタキオンもやるってことなのかしら。……もしくは、他に被検体にされる娘が……?
ちょっと警戒して、私はトレーナー室周辺の気配を伺ってみる。……まぁ私はウマ娘じゃないから、物音でどこに誰がいるかを察知することはできないんだけれど……でも、身じろぎや呼吸の音は私達だけのように思えた。
うん、ちょっと安心。
「心配するなよ、モルモット君。これは私と君の分だ。これからやるのは──そうだね、言うなれば小旅行といったところか」
「小旅行?」
「良ィ~い鸚鵡返しだ! 説明のし甲斐があるね!」
…………悪かったね、気の利いた返しができなくて。
「それで? 小旅行っていうのは……このVRの中の話?」
「ご名答。この機材は、人工衛星からの映像にハッ……もといリンクしていてね。その映像を元に3D解析して、撮影した場所のVR空間を展開できるんだよ!」
…………なんだそのトンデモ技術は。
私は工学系は全然さっぱりだから、『とりあえず凄いことをしている』ということくらいしか分からないけれど……要するに、『現実に存在している場所をそのままスキャンしてその空間を作り出せる』っていうことは理解できた。
毎度思うけど、タキオンって多分技術者としても今すぐ大成できるレベルの才能があるんだよなぁ。まぁ、本人はウマ娘がたどり着ける速さの『果て』にしか興味がないから、そんなのは二の次三の次なんだろうけど。
「……なるほど。分かったよ。それを使って、遠隔地のレース場か何かをスキャンすれば、実際のレースの練習ができる。私も同じように体験すれば、より具体的なアドバイスができるようになるわけだね」
「ああいや、微妙に違う」
「違うの!?」
私は思わず立ち上がり、ツッコミを入れてしまった。違うんだ……。違うんだ……。
じゃあ、何? どういう意図でそんなトンデモ技術の機材を準備したんだろう?
「違うというのはね……
「…………?」
タキオンの言葉の意図を、私は掴み切れないでいた。
実在しないレース場……? でも、この機材で行ける場所は衛星映像をスキャンしたものなんだから、実在してないと再現のしようが……。
「『きさらぎレース場』というのを知っているかい」
周辺にはてなマークを飛ばしている私に追い打ちをかけるように、タキオンはさらなる問い掛けを重ねてきた。
きさらぎ……レース場? さらにはてなマークを一つ増やしかけて、そこで私はハッとする。
「……ああ! ネットロアの!」
きさらぎ駅。
電車に乗っていると、気付いたら全く知らない駅に辿り着いてしまった──という恐怖体験、いわゆる都市伝説だ。
最初の目撃談はインターネット掲示板に実況の形で投稿されているのが特徴で、無人駅・きさらぎ駅で電車を降りた投稿者の異界に戸惑う様を見て取ることがてきる。
確か、最終的には現地の男性の車に乗せてもらうも、途中で男性の様子がおかしくなり……というところで実況が途切れ、それから投稿者の生死も不明になってしまった、という筋書きのはずだが。
「……でも、きさらぎ
「ああ。トゥインクル・シリーズファンの中で最近まことしやかに囁かれているウワサでね。日本中の
「え、ええ~~っ……」
私は思わずヒいた感じで、呻き声をあげてしまった。
怖い話、私は苦手なんだよね……。タキオンはこういうホラー! って感じの話も、興味をそそられれば色々調べたがるんだけど……。死ぬとかそういう危険そうな話に首を突っ込むのは、非常に気が引ける。
タキオンの研究の助けになるなら薬品の被検体だろうとなんだろうと別にいいけど……怖いのはいやだ。
「なあーに。今すぐ行こうって話じゃあないさ。そもそも、発見できたとして日本のどこに発生するか分かったものじゃないんだ。ヘリでもない限りはすぐに向かうことなんてできないし……たとえば山奥に発生したなら、ヘリじゃあ常識的に考えて着陸は無理だからね」
だが、とタキオンは前置きする。
嫌な予感だ。というか、既にそこから導き出される答えはなんとなく察しが付く。
「
……やっぱり……。
「衛星映像はリアルタイムに展開される。そこから3Dスキャンをして、現地を舞台にしたVRワールドを形成すれば、私たちはこのトレセン学園にいながらにして、日本のどこかにあるきさらぎレース場を走ることができるというわけさ!」
「…………それ、やって何か意味ある?」
「もちろんあるとも。きさらぎレース場にいるという臨場感! それは普段のレースとは全く異なる感情を想起させることだろう! 普段とは違う感情パラメータを入力された心が、どういうパフォーマンスを引き出すのか! 興味があるねェ。是非とも記録し、実際のレースで再現してみたいよ!」
……ああ……だから、私は確定で参加なんだ。
タキオンは、この手の怖い話は全然きかないから。代わりに、まっとうに怖がれる私が必要になったんだ……。
となると、ここはもう下手に抗うだけ無駄だ。まぁ怖いのは嫌だけど、タキオンの研究の為だしな……。
「はぁ」
私は覚悟を決めて、溜息を吐いた。
それを言外の了承ととったのか、タキオンはぱあっと顔を明るくした。……うーん、これじゃあまるで私がタキオンのことを甘やかしているみたいだなぁ。
「言っておくけど、夜ふかしは厳禁だからね。夜七時から始めて、門限三〇分前になったら中止すること。いいね?」
「え~。しょうがないなぁ。全くトレーナー君の怖がりにも困ったものだね」
「門限を!! 守らないと!! トレーナーの私が監督責任でたづなさんに怒られるの!!」
この間なんて薬効成分目当てでゴールドシップと一緒に山に山菜取りに行ってそのまま一晩過ごしたとか言って……ゴールドシップのトレーナーと一緒に、私がどれだけ怒られたことか……。……うう、たづなさんは怒らせると怖いよ。
まぁ怖いのは怖いんだけどさ……。でも、きさらぎレース場が見つからなくて夜遅くまで実験を続けて門限を破る危険の方が、今の私はどっちかというと怖いからね。
「分かった分かった。言うとおりにするよ。時間もトレーナー君の言う通りで構わない。じゃあ、夜の実験用の体力も計算に入れて、ほどほどにトレーニングと行こうじゃあないか」
「ああ……そしてやっぱりこうなるのね……。やりたいトレーニングあったんだけどなぁ……」
泣く泣く、トレーニングメニューの短縮と今後のスケジュールの調整を脳内で組み立てることに。
こんな一幕も、タキオンの担当になってからは慣れたものだ。このやり方がタキオンが一番活き活きとトレーニングできるんだから仕方がない。
「ま、その代わり明日からしばらくは君の希望通りのメニューをこなしてやると約束しよう。
「やめてよね!! そういうこと言うの!!」
明らかに怖がらせに来てるって分かってるのに、前段のセリフのせいで嬉しくなっちゃうでしょ!! 私はそんな一言だけで喜んでなんでも許しちゃうダメ女じゃないんだから……!
「…………君って本当に分かりやすいねェ。なんだか心配になってきたぞ」
違うからっっっ!!!!
夜。
短縮版の軽いトレーニングを終えたタキオンがシャワーを浴びて戻ってきたので、私達はそれぞれVR機器の前で衛星映像を眺めていた。
まずはここから『きさらぎレース場』を発見しないと話にならない。まぁ、私はこのまま何も見つからずに終わると思っているんだけど……。
「ところでタキオン。レース場を見つけたとして、それが『きさらぎレース場』ってどうやって特定するの? 奇特なウマ娘が作った秘密のレース場かもしれないでしょ?」
「希望的観測だねェ。だが批判的見地は確かに大切だ! それについてはきちんと回答がある。答えは、『前日夜の衛星映像との比較』さ。データベースに残っている前日の映像と比較して、明らかに『一日で完成している』レース場があれば、それは十分『きさらぎレース場』と言えるだろう。山奥にレース場を作るような奇特なウマ娘がいたとしても、たった一日でレース場を完成させる奇特なウマ娘はいないだろうからね」
……う、意外と完璧な回答が返ってきてしまった。
こりゃ、タキオンが満足するまできさらぎレース場探しかなあ……、……と。
「あれ?」
そこで、私は不意に表示されている映像になんとなく違和感を覚えた。
関西の山奥の映像なのだが……何か、森の中に不自然にレース場がある……ように見える。こんな交通の便が悪いところに、レース場なんて作るだろうか?
「ン。トレーナー君、何か見つけたかい……と、これはこれは…………トレーナー君! 喜びたまえ! どうやら『ビンゴ』のようだよ!」
…………マジ?
………………マジで……行くの?
…………………………。
「…………まさかまた、ウマ娘になるとは」
──それから数分後、私はあのVRの世界に旅立っていた。
風になびく耳の感覚も、ひらひら揺れる尻尾の感覚も、決定的な違和感と自然な懐かしみが同居した不思議さだった。
あたりを見渡すと……そこはレース場の観客席にあたる場所だった。眼下にはレース場の本体とも呼べる芝のコースがある。形状は……中山競馬場が近いな。
隣にはタキオンもいて、私と同じようにレース場の様子を観察しているようだった。
「……ん? あれって……」
そこで私は、眼下のレース場に誰かいることに気付いた。
二人の男性だ。年若い感じで…………あれは、多分大学生? それと……。
「タキオン、あれって……」
「衛星映像のスキャンはリアルタイムで行われているからね。人が紛れ込めば当然人も3D解析されてこうして出力されるというわけさ。安心したまえ、私達は『この場には存在していない』のだから、彼らに認識されることはない」
「
タキオンは平然と言うけど、私が気にしていたのはそこではなかった。
そこではなく……彼らの表情。
男性たちは一様に『不安』と『恐怖』の色を表情に滲ませていた。そして……彼らの後方には、陰になっていて分かりづらいけど…………多分アレは、『ウマ娘』だ。『ウマ娘』が、二人の男性を追い立てるようにレース場に入ってきている。
「……おいおい! 嘘だろう……? まさか本当に『きさらぎレース場の主』っていうのかい? とすると彼らは……偶然このレース場に入ってきてしまった若者だとでも?」
──という体を装って、何か悪戯をしているという可能性の方が正直高いと思う。
だけど……何か、何かヤバい。あの『感情』の本気さは……悪戯なんてフザけた動機じゃあ絶対に出せないような……。というかそもそも、
「あ! レースが始まったよ!」
唐突に、男性二人が走り始める。
ウマ娘はその後ろ姿を数秒ほど見守って……それから、悠々と走り出した。
最初のホームストレッチ。その時点で必死に走っていた男性たちはウマ娘に抜かされ、あとはそのまま。
男たちが第一コーナーに辿り着くよりも早く、ウマ娘はさっさと2000mを走り切ってゴールした。
「……なーんだ。あっさり終わってしまったな。追い抜いた時は何かがあるかと思ってたんだ、」
そこまで、タキオンが言いかけた次の瞬間だった。
…………ウマ娘が、『ニレース目』を始めたのは。
もちろん、男性たちはまだ走っている。でも、今はその走りの意味合いが全然違う。あれじゃあまるで……肉食動物から逃げる草食動物。
「ねえ……おかしくない? レースはもう終わっているっていうのに、あれじゃあ……」
まるで、
そして、その直後だった。
ギャン! とウマ娘の両腕が鎌のように変形し、そして男性たちをとらえ……、
「な……何をッ! やめろォォ────ッ!!!!」
タキオンが思わず叫ぶが、ウマ娘は……いや、ウマ娘のような姿をした『何か』は止まらない。目にもとまらぬ速さで両腕の鎌を振るうと、男たちの首は真っ二つに両断されてしまった……!
「た、タキオン……! 見ちゃダメ……!」
咄嗟に『その瞬間』だけはタキオンの目を隠せた私のことを、褒めてやりたいと思う。
こんなものは、年頃の少女に見せていいものじゃあない。
「トレーナー君! 余計な気遣いは要らない! それよりもヤバイぞこれは……! この『きさらぎレース場』、『本物』だ! 本物の怪異だ……人殺しの!!」
私の手を払ったタキオンは、そう言ってレース場に視線を落とし、
「……待てよ? なんだ? さっきのウマ娘や……『首を斬られた男たち』はどこに行った?」
そう、呆然とした様子で呟いた。
慌ててレース場を見てみると……タキオンの言う通り、殺された男性たちが……そして殺したウマ娘のような何かも、どこにもいなくなっている。
「…………ッ!?」
移動した!? 背後をとられたかと思い後ろを確認した私だったけど……そこには誰もいなかった。気にしすぎだったよう、
『入場……シタナ』
──横から、声が聞こえた。
「う、わァっ!?」
弾かれるように横を見ると、そこには一人のウマ娘がいた。
しかしその顔は──ウマ娘とは似ても似つかないものだった。目のある部分には車のヘッドライトのようなものが埋め込まれており、口は雑なぬいぐるみのように縫い留められている。鼻はなく、髪も──これは髪というよりは、棘だ。棘のようなものが大量に垂らされている。
勝負服のように見えた特徴的な衣装も、半ば肉体と融合したような形になっている。まさしく──『ウマ娘を模した何か』。そうとしか表現できない、冒涜的な姿だった。
「馬鹿な……私達を認識しているだと? コイツ、VR上の存在ではないのに!?」
『VRダロート……ナンダロート……オ前タチハ『入場』シタ』
ろ、ログアウトを……! ……で、できない!? ログアウトボタンが……機能していない!
こ、この怪異……私達のことを、VR上の私達を『捕らえた』っていうの!?
『私ハコノ『レース場』ノ番人。オ前タチはレース場ヲ侮辱した……。敬意ナキ入場者ニハ『挑戦』ヲ……速サナキ者ニハ『死』ヲ!』
「おい待て……今君、『お前たち』と言ったのかい? それって……このトレーナー君もってことか?」
『無論ダ……入場シタのは『オ前タチ』。例外ハナイ』
…………!
「ま……待って!! 今回はタキオンは……この子は関係ない! 私が無理やりこの子を連れてきたの! 咎なら私だけが受ける! この子だけは見逃して!!」
私は、思わず口を開いていた。
だって……こんな命懸けの状況。タキオンに走らせるわけにはいかない。彼女の脚は、彼女の夢は、もっと先まで続かなくちゃいけないんだから。
それに敬意なき入場者というなら……タキオンはちゃんとこのレース場で走るつもりでやって来たんだ。オカルトへの理解はなかったけど、レース場への敬意は確かにあったはず。オカルトというだけで拒否して、いやいやレース場に来た私の方が、『敬意』はないはずだ。
だから……!
「……シッ!!」
ボッギャア!! と、タキオンがそのへんにあった椅子を思いきり蹴り飛ばした。
「……『レース場』への敬意だったかな? おやおや、そんなものが必要だったとは思わなかったねェ……。こんな歴史も何もない、観客も誰もいないボロレース場で? 敬意? アッハッハッ! 笑っちゃうねェ~。最近の都市伝説はコメディのセンスも問われるのかな? ウチの会長よりよっぽどギャグのセンスがあるんじゃあないか?」
『…………、イイダロウ。マズハオ前カラダ。オ前ハ一対一ノ『レース』デ完璧ニ負カシテヤルゾ……『アグネスタキオン』』
「た……タキオン!! 何をやっているのッ!?」
「馬鹿にするんじゃあないぞ、トレーナー君。このアグネスタキオンが! こんなちっぽけなオカルト
……そ、そんな……!
「そんな話をしているんじゃあないでしょ!? さっきのレース、見てたでしょ!? もし負けたら、負けたら……!」
「『もしも』はないよ、トレーナー君。……なくなったんだ」
タキオンはゆっくりと、準備体操を始める。
「君と出会う前の私なら、きっと皐月賞の先は『もしも』になっていた。
『御託ハドウデモイイ────ッ!! 『きさらぎ』『芝』『2500m』ッ!! コレガオ前ノ処刑ルールダッ! 『敬意ナキ者』ニハ死ヲッ! レースノ開幕ダッ!!』
そこからは──あれよあれよと言わんばかりに準備が進んでいき……。
私がレース場の最前列で見守る中、タキオンと『主』は二人ともゲートに入った。
どういう原理かは分からないけれど、どうやら自動でレースにまつわる設備は機能してくれるらしい。
『オオオオォォォ、オオオオオ、オオオオオオォォ──────ッ』
おどろおどろしい呻き声が、どこからか響き渡る。
それがこのレース場でのファンファーレだと、私は一瞬してから気付いた。
タキオンは……気にした様子はない。もう、レースに集中しているようだった。
そして……。
ガコンッ!
ゲートが開く!
タキオンと『主』は殆ど同時に走り出したけど……でもタキオンの方がやや速い! 立ち上がりはタキオンの方が上だッ!
「…………」
タキオンは横眼でチラリと『主』の走りを確認すると、すぐに前を向き直してペースをやや落とした。
あれは……タキオンの
でも……いつものタキオンの走りを見ている私には分かる。力を抜いた状態でこの速度差なら、おそらくレース終盤までのスピードはタキオンの方が上。つまり、タキオンは釣られた相手がスピードを上げるのに合わせてスピードを上げるだけで、常時『追い抜き』のスタミナ消費を相手に背負わせることができる!
そうして、私は気付いた。
タキオンがああいう走りをするのは、本当に勝とうと思ったときだけだ。
タキオンにとってレースというのは実証実験でしかないから、基本的に他の競争相手を意識することはあまりない。他がどうだろうが、自分がレースにおいて少しでも『果て』に近づければオーケーだからだ。
ただ……マンハッタンカフェとか、タキオンが認めた少数の『ライバル』を相手にしているときみたいに、彼女が絶対に『勝つ』と決めたレースでは、ああいう風に勝つためのレース運びをする。
そのくらい、タキオンも本気ということか……。
そしてタキオンの『勝つ』為の策は、やはり実を結んでいた。
最初はわずかな差だったけど……レース中盤になる頃には、その差は五バ身、六バ身と徐々に広がっていき、レースの勝敗は誰の目にも明確になってきた。
タキオンも、もはや相手の走りを妨害する方から、自分の走りに専念する方向に意識をシフトさせているようだった。
だが……残り400mといったところで、『主』の走りが『変わった』。
「……何? あれ……」
たとえるなら……ビデオの早送り。
そんな具合に、手と脚の回転の速さが急に上昇し、そしてタキオンとの差を徐々に縮めてきたのだ。
「そ……そんな!? あんなの普通の加速じゃあないッ!」
どんなに追込み策が強いウマ娘だろうと、あんな風に出鱈目な加速なんてできるわけがない!
あんなのはまともな速さじゃあないんだけど!? ……ズルだ。あの怪異、自分の走りじゃあ勝てないと分かったから、怪異の力で自分の速さを底上げしているんだ!
「卑怯よ!! ちゃんと自分の走りで勝負しなさいッ!」
思わず叫ぶ私だけど、『主』は走りながらこちらに視線を向けると、心底馬鹿にしきった調子で地面に唾を吐き捨てた。
『ナンダァ~? オ前ラ……オレガ『怪異』ダト分カッテ勝負ヲ挑ンダンダロォガァァ~~ッ! ナラコノクライデ文句垂レテンジャアネ──ゼッ! コノスカタンガァァ~~~ウワハハハハハ────ッ!!!!』
…………!!
なんて……なんて醜悪な……! 勝負はタキオンが勝っているのに……こんな反則で……!
やっぱりこんなの認められない! 今からでもレースに乗り込んで、強制的に中止に……そうすれば、タキオンが逃げる間の時間稼ぎぐらいは……!!
「
そこで。
既に『主』に一バ身程度まで追い込まれていたタキオンは、後ろへ軽く振り返りながら、追い込まれているとは思えない涼しい顔でそんなことを言い出した。
「敬意なき者には『死』を……つまり最初から、我々が『死ぬ』のはきさまの中では確定事項。レースは単に無礼者を始末する儀式であり……絶望を植え付ける為の『前置き』というわけだ」
タキオンは──完全に後ろを振り返り、そしてスピードを落として後ろ走りの体勢になる。……普段なら、危ないからやめろ……と言っているところだけど、でも今は何の言葉も発せられなかった。
ド、ド、ド……と。
タキオンの言動から、謎のプレッシャーが放たれていたからだ。
そしてそのまま、
「だが……VRの私達に死を与える為に自身もVRの存在になったのは間違いだったな……。この世界の
…………。
にも拘らず、『主』はタキオンに追いつけない。
どころか、どんどん距離をはなされている。
『バ……馬鹿ナッ!? 貴様何ヲシタッ!?』
『『管理者権限』。君の『設定データ』にちょいと書き加えさせてもらったよ……。『自分は時速一〇キロ以上の速度は出せない』とね』
…………!
『ナアアアアアアニイイイイイ──────ッ!?!?!?』
「ああ……それと。敬意がどうとか、くだらない能書きを垂れ流してくれたな……オカルト君」
タキオンはそう言うと、クルリ! と反転し、一気にスパートの姿勢に入る。
「我々ウマ娘はな……見る者に『希望』を与える為に走っている。……ま、私は自分の為でもあるが……それでもこの私の走りに『希望』を見出す物好きは大勢いるし……そういう連中の期待には応えてやりたい。そう思ってもいるんだ」
タキオンは。
走る。
『主』を置き去りに……。光さえ置き去りにするんじゃないかってくらいに速く。
「侮辱したというのなら……きさまは、
だから、とタキオンは言う。
ゴールラインを超えたのは、その次の瞬間だった。
「きさまは私の方法で裁かせてもらう」
ブワッ!!!! と。
その瞬間、タキオンの周囲におびただしい数のウインドウが表示される。
そのすべては……おそらく、『主』のパラメーターだ。
『ナ……ナニヲスル気ダッ!! テメー……オレニ何カスル気ジャアネーダロウナッ!!』
「周回遅れだねェ……。ま、いいさ。きみに刻み込む『
タキオンは、指をすいと動かす。
その動きに応じて空中に光り輝く文字が刻み込まれる。
その文面は──
『自分はもう二度とレースに勝つことはできない』
『殺された者達と、全てのレースに携わる者達にこの先永久に償い続ける』
……そして、その文面が刻まれたウインドウは全て『主』に吸い込まれていき……、
『グウオオオオオアアアアアアアアアアアアッッ!?!? ヤ、ヤメロォォオオオオオオ!!!!』
……光にまとわりつかれた『主』は、苦しむようにのたうち回りながら……まるで塩をかけられたナメクジみたいに、惨めに消え失せてしまった。
それを冷めた目で見届けたタキオンは、けろりとした顔で私に言った。
「さ、実験は終了だ。──帰ろうか、トレーナー君」
「……結局、あの二人の男たちの死体は出てこなかったみたいだねェ」
後日。
私のトレーナー室で、いつものようにぬるくなった紅茶を啜るタキオンは、つまらなさそうに新聞をぺらりとめくった。
…………あの後、私も気になったのであの座標周辺の行方不明者とか死者とかを調べたんだけど……どうも、行方不明者も死者もいないようだった。
だとすると、あの時の彼らは……アレも『レース場』の一部だったんだろうか?
とはいえ、それを確認する術はもはやない……。私は怖いから行きたくないし。
事実は、タキオンは無事に『きさらぎレース場』に勝利し、そしてあの時の走りにヒントを得て、以前よりも力強い走りができるようになったということ。
散々な経験だったけれど──そこだけは、トレーナーとしては素直に喜べることかな。
「そうそう! トレーナー君。フクキタル君から聞いたんだがね、実は夢の中にだけ現れる『サルユメレース場』というのが……」
「もういやぁ!!!!」