【完】これは圧倒的美貌で凱旋門賞馬になる俺の話 作:SunGenuin(佐藤)
顎ヒビ入っててクソ痛いので、本編の更新がなかなかできないです(申し訳ない)
お詫びに以前番外編に載せていたIF話を加筆修正したものをそっと載せます。
※番外編は修正のため非公開にしています。
本編との違いは年代、血統含めていろいろありますが、変わらないのは白毛の美貌ウッマで凱旋門賞馬ってところです(ドッカンドッカン)
今回はあえて主人公の視点を一切ださずに書きました。
それはそれは、暑い夜だった。
風もなく、セミの鳴く声もなく、静かな空間に響くのは誰かの唾を飲む音だけ。
「もう7月だぞ」
誰かが小さく、そう漏らした。
「どうなっちまうんだ……ワキア、ただでさえここ最近具合が悪いってのに」
「まさか、腹の仔ともども、死んじまうなんてこと」
「縁起でもねえことを言うなっ!」
「大声を出すな。ワキアも集中している。……もう少しだけ、見守ろう」
男たちの視線の先には、寝藁に横たわる1頭の牝馬がいた。
昨年、1996年の8月に1度大きく体調を崩して以来、スタッフたちの心配の多くはこの馬だった。
馬の名を、ワキア。
ここ、稲蒔牧場の主たる繁殖牝馬だ。
その腹は大きく膨らみ、今にも仔が生まれそうに見えた。
しかし出産予定を2ヶ月以上過ぎてもなお、ワキアは産む気配を見せない。
時折小さく身動ぎしてスタッフたちの目を惹くが、期待は悉く裏切られた。
稲蒔牧場で一番若いスタッフが、我がことのように両手を合わせ、天に祈った。
「頼む、頼むよ神様、まだ母ちゃんと末っ子を連れて行かないでくれ」
固く両手を合わせ、必死に頼み込む。
その祈りが通じたのか、ワキアが寝転んだまま片足を上げ、緩く尾を振った。
「あ、あ、鼻だ……っ」
「出てる!頑張れワキア、がんばれっ」
スタッフたちの声援を受けて、ワキアが小さく嘶く。
まず飛び出た鼻先は白かった。
ワキアは鹿毛で、サンデーサイレンスは青鹿毛。
しかし同血統の兄には鼻先の白い栗毛がいたことから、このときスタッフの誰もが不思議には思わなかった。
そんなことを不思議がっている暇もなかった。
仔はすでに14ヶ月もワキアの中にいる。
母にとっても仔にとっても、今がもっとも危険な瞬間だ。
この出産が無事に終わることだけが、スタッフたちの願いだった。
「首まできた、そうだあと少し」
稲蒔が馬房の扉に手をかけ、じっと、ただじっとワキアを見つめた。
仔の前脚が1本見えたところで、ワキアが立ち上がった。
その衝撃で仔がすぽん、と抜ける。
現れた仔は、鼻先だけでなく全体が白かった。
「葦毛、いや、白毛……!?」
「白毛だ……」
ワキアが仔の身体を舐める。
まだ目が開ききっていない仔は、母の献身を受けて必死に立ち上がろうと藻掻いていた。
14ヶ月も腹の中にいた分、他の仔よりは大きな馬体に見える。
しかしその四肢は細く、頼りないのは同じだ。
それでも必死に、懸命に、立ち上がろうとしている姿が、稲蒔には眩しく思えた。
「がんばれ」
今日、何度その言葉を口にしただろう。
それでも絶えず、言葉はあふれる。
「がんばれ」
応援してやまない。
「がんばれ!」
応援せずにはいられない。
「がんばれ!!」
力強い応援に応えるように。
仔は、確かに、立った。
1ヶ月後。
1997年8月。
長い妊娠期間を経たワキアは、元々の具合が良くなかったこともあり、起き上がれなくなっていた。
もはや為す術はなく、稲蒔と、長く担当してきた牧場スタッフがその最期に立ち会った。
瞳を閉じる瞬間まで仔を心配してか、傍らで母を見つめる仔を優しく舐め続ける。
その光景に、牧場のあちらこちらからすすり泣く声が聞こえた。
アメリカから日本に呼び寄せてこれまでずっと、「スズカ」の冠を付けた競走馬を産んでくれたワキア。
期待の牡馬を産みだし、その馬が翌年の宝塚記念に勝利すると、これが稲蒔牧場にとって久々のG1勝ち馬となった。
たくさんの希望と、たくさんの思い出をくれたワキアに、牧場スタッフが寄せる気持ちは大きいものだった。
稲蒔はぐっと涙を堪えて、別れを惜しむ母仔を黙って見つめ、それでも堪え切れず空を見上げた。
良き日に、が似合うほど美しい青空。
照りつける太陽の中で、ワキアは言葉を遺すように小さく嘶くと、とうとう瞳を閉じてそのまま、2度と開けることはなかった。
それから月日が巡って、1998年10月1日。
母を失った仔を、稲蒔が己が仔のように手ずから育て、1年後。
図体ばかり大きく、頼りなく思えた白い馬体にもしっかりとした筋肉がついた。
物怖じせず、人見知りもせず。
人に良く懐いて従順な仔は、牧場内で「マイサン」と呼ばれてかわいがられた。
稲蒔にとって「
マイサンは稲蒔牧場の最有力馬として稲蒔の、そしてスタッフ全員の期待を背負い、栗東トレーニングセンターに入厩した。
マイサンはここで、幼名を競走馬名に改めたが、厩務員たちからは親しみを込めて「サン」と呼ばれ続けた。
そのサンを迎え入れた
2頭が顔を合わせたのはこれが初めてであったが、文字通り馬が合うのかよく馬房の扉から顔を出しては、見つめ合って嘶き合う。
サンは感情表現の豊かな馬で、人にも、兄にも、他の馬にもよく懐いた。
甘えて頬をすり寄せたり、小さく嘶いては厩務員たちの気を惹こうとしたり。
そんなサンを、厩舎の人間だけでなく、他の馬たちもかわいがっているようだった。
特に兄のサイレンススズカは、馬房から出されるとしばらくサンの馬房前に立ち止まり、その顔を数度舐めてからでないと歩き出そうとしなかった。
小柄な兄と大柄な弟。
まだ若い担当厩務員が、発売されたばかりのチェキカメラを構えて取った1枚の写真には、確かに小柄な栗毛と大柄な白毛が2頭、微笑み合うように映っていた。
この写真が、2頭が共に映った最初で最後の写真となった。
同年はサイレンススズカが無敗のまま天皇賞・秋を目前に控え、橋本厩舎はやる気と期待に満ちあふれていた。
もしサイレンススズカが秋天を制したら。
いつかその弟であるサンがその後を追って勝利する姿を、誰もが夢に見た。
兄弟の秋天制覇。
稲蒔が、橋本が、厩務員が、騎手が、関係者すべてが浮かべた夢。
それは空に飛ばしたシャボン玉のようにはじけ、そして2度と、浮かぶことはなかった。
見上げた空は晴天。
馬場は良。
東京競馬場の芝2000メートル左回り。
何を追ったのか。
何を目指したのか。
響き渡る声援を背に受けて、サイレンススズカは虹の向こう側まで走り抜けていった。
1998年11月1日。
空っぽの馬房を、帰ってこない兄を。
待ち続けたサンが涙を流したのは、翌日11月2日の昼だった。
沈黙の日曜日から約1年が経った1999年10月31日。
15時35分発走の11Rに第120回天皇賞・秋を控えた、その日の3Rは3歳新馬戦。
東京競馬場は芝2000メートル左回り。
オッズは1.1倍。
1番人気に押された白毛馬は、ターフでその時を待っていた。
10時40分発走の、たかが3歳新馬戦に、押しかけた観客は5万人。
1枠1番のゼッケンを付けた馬は、その鞍上に
愛くるしい丸い瞳に雄大な馬体。
揺れる鬣の白さなど、ひとつも重なるところはないはずなのに。
固く馬券を握る観客の目には、栗毛が重なっていた。
ゲートに収まる姿に、誰もが口々につぶやく。
「無事に走りきってくれよ── シャイニングスズカ」
その名に、祈りを込めて。
「14番グッドラックボーンがゲートに収まりまして── 3歳新馬戦スタートしました。綺麗な脚並、まず勢いよく飛び出したのは1枠1番シャイニングスズカ。ぐんぐんぐんぐん後続を引き離してもう5馬身、いや8馬身差になろうかというところ。2番手で後を追うのはユーワシーザー、半馬身内側にサニーカンパラーン。すぐ後ろ3番人気スプリングシオン、マイネルクリムゾン、フェンネルシーズが横並び。外から外からグッドラックボーンが内を伺うか、ホッカイロンフェンとウィンパートナーが競り合いながらこの位置。直ぐ横にエーピーリュウエンが続きます。シロヤマライズが内から徐々に上がろうかというところ、最後方にモリスガタ、2番人気エアシャカールはここからで大丈夫なのか鞍上は熊川騎手です。シャイニングスズカ、これで初レースなのか圧巻のスピード!」
白毛の馬体が第1コーナーを抜け、第2コーナーを抜け。
8馬身、9馬身、10馬身と後続に差を付けて駆けていく。
迎える第3コーナーを前に、騎手が固く綱を握った。
「さあ間もなく第3コーナー手前、迎えた1000メートルの標識をシャイニングスズカ抜けていくっ!通過タイム58秒台!58秒台は重賞クラスだぞシャイニングスズカ!さあ大欅を── ッ大欅を越えて第4コーナーへ向かうその脚は緩まないっ!」
響く声援は怒号にも、悲鳴にも似ていた。
ただ違うのは、そこに籠もる感情に、深い愛情が滲んでいたこと。
「東京競馬場の直線は長いぞ!まだ伸びる伸びるシャイニングスズカ、その未来に光が差す!誰にも影を踏ませないまま、今、1着でゴールイン!完璧な大逃げ、シャイニングスズカ……っ!」
誰にでも、忘れられないレースがある。
この日、ゴール前に控えたカメラマンが構えたそのカメラには、美しい光が写っていた。
「天皇賞・秋が開催されるこの良き日に、シャイニングスズカ、シャイニングスズカです。父はサンデーサイレンス、母はワキア。その全兄は──……」
その瞬間、競馬場に吹き抜けた風が観客の涙を誘う。
力強い疾走がもたらした喜びの涙が芝に降る。
白い馬体に割れんばかりの歓声が注がれ、雲の隙間から光が差した。
「その全兄はサイレンススズカ……っ!弟が、白毛の弟が夢を連れてデビュー勝ちです……!」
絶えず、絶えず、夢の続きを望む声が熱く、響き続けた。
The Dream
2000年 天皇賞・秋
最速の希望 シャイニングスズカ
夢は叶うか
いいや、叶えるんだ
シャイニングスズカ 牡
英名:ShiningSuzuka
香港表記:光輝鈴鹿
1997年7月2日生まれ
父:サンデーサイレンス
母:ワキア
全兄:サイレンススズカ
1999年10月31日の3歳新馬戦(現2歳新馬戦)でデビューし、逃げ切り勝ち。
2000年のクラシックレースはエアシャカール、アグネスフライトらと競い合い皐月賞、日本ダービーを制覇し二冠馬となった。
ダービー後は距離の都合から菊花賞を断念し、4歳(現3歳)での凱旋門賞制覇を目指して海外遠征。
凱旋門賞を目指したのは、シャイニングスズカの芝への踏み込みの深さや力強さが洋芝で活きると判断されたため。
キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス、フォワ賞を経て凱旋門賞に出走。
2着馬Sinnder(シンダー)とのハナ差2cmの接戦を制して見事、日本調教馬として初めての凱旋門賞馬となった。
帰国後は天皇賞・秋、有馬記念に出走。
凱旋門賞から検疫を経ての天皇賞・秋への出走は、その短さから関係者から批判の声も上がったが、馬主が、何より生産者の稲蒔らが熱く要望し、熟考を重ねて出走を決定した。
鞍上は変わらず竹創騎手が務め、大逃げで始まったレースでは最後まで影を踏ませることなく逃げ切り、同年無敗で参戦したテイエムオペラオーに勝利した。
テイエムオペラオーのゴールデンイヤーとも表されたこの年、同馬に黒星を付けたのはシャイニングスズカだけである。
1000メートル通過タイム57秒台と、同レースでサイレンススズカが出したタイムに並んだ。
続いて出走した有馬記念にて、ゴール後に心肺停止状態で倒れ、生死の境を彷徨うも無事回復。
大事を取り、有馬記念での勝利を最後に現役を引退した。
デビューからわずか1年という短い時間だったが、その名の通り光り輝いた競走馬生活となった。
その後は社来グループで種牡馬として繋養されている。
初駒は2002年に誕生し、ディープインパクトと同世代になった。
初年度産駒であり、日本生産でイギリスで競走馬生活をスタートし、英ダービー・愛ダービーを制したSunnyFantastic(サニーファンタスティック)など、産駒は海外での活躍が目立つ。
200×年、サンライトスズカが無敗で日本ダービーを制し、父子制覇となった。
数々の重賞レースを制した活躍から、急逝した全兄・サイレンススズカの評価もますます高まった。
両馬の主戦騎手を務めた竹創騎手は、両馬を指して「逃げ馬の最高峰」と呼び、どちらがより優れているのかは、実際に並べて走らせないとわからない、と語った。
2021年7月3日、23歳の誕生日翌日に永眠。
7月3日と4日の福島、小倉、函館の第11Rを追悼競争とした。
墓はサイレンススズカと同じく、故郷の稲蒔牧場に建てられ、墓標には「兄弟の夢、ここに光差す」と刻まれている。
国内の後継種牡馬にシャイニングエール、ハレルヤマーチ、サンライトスズカ。
海外ではイギリスにSunnyFantastic、GlorySweet(グローリースイート)、フランスにLumineuxHelissio(リュミヌゥヘリシオ)、アメリカにShiningPassion(シャイニングパッション)らが後継種牡馬とされている。
なおウマ娘ではモロモロの事情で初期実装はされないがサイレンススズカの妹がいると匂わされている。
ワキアさんは史実ではブライアンズタイムの仔を受胎し、1997年8月に亡くなるところを、このIFでは不受胎→サンデーサイレンス種付けで受胎し、主人公を出産後に亡くなります。
わずか1年の競走馬生活で伝説を作り上げるシャイニングスズカとかいうウッマがいるらしい……。
ちなみにレース実況は動画が手に入らなかったのでオリジナルです。
完全素人ニキの愛馬名アンケート
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サニードリームデイ
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サンシカカタン
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タイヨウノムスコ
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タイヨウハノボル
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