【完】これは圧倒的美貌で凱旋門賞馬になる俺の話   作:SunGenuin(佐藤)

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感想&ブクマ&評価&誤字脱字報告、サンクスサンクス~~!!!!

タイトルはみんな大好き、JRAのヒーロー列伝のキャッチコピー「僕のあいつも、いつの日かヒーロー」から着想
ヒーロー列伝って、イイよね……!

前話で2005年レースは終わりだったのですが、締めにどうしても挟みたかったのでこれが最終回です。
25話と合わせると2万文字超えるバグで、当初はこれをまるまる25話としてブチ込む予定でした。
さすがに文字数ガバ、ということで分割。
イロイロあって遅れましたがこれにて2005年は終わり!次から2006年!
でもその前に書きたいIFだけ書かせてくれや!

今回のほんへを軽く説明すると
主人公はサンジェニュインのはず……!?
ハーツクライのテキに9割もってかれた、の回

これはまっっっったく本編に関係ないが、俺が初めて見たレースはジャスタウェイの安田記念です


26.きっと君も誰かのヒーロー

2004年12月19日の新馬戦。

向けられたマイクに、1人の調教師が口を開いた。

 

「アイツは、悔しくて泣いたんです」

 

その言葉を信じるのに、私は、1年近い時間を使った。

 

2005年12月25日。

ハーツクライの状態ははっきり言って最高だった。

これまでの何よりも素晴らしく整った馬体。

精神も安定していて、脚も軽い。

ソラを使うこともなく、集中力は高いまま保たれていた。

よし、これならいける、と思った。

これでいけないなら、もう何もかもがダメだろうと。

 

「1番人気はサンジェニュイン、2番人気にディープインパクト」

 

その2頭の名前は、早い段階から知っていた。

ディープインパクトは、社来の叡知を集結させた、期待の良血馬として。

サンジェニュインは、やたらと同性の馬に好かれる、変わった馬として。

後者はともかく前者に関しては、古馬戦線でハーツクライと当たったとき、厳しいレースになるかもしれないと予感していた。

それを強めるように、ディープインパクトは無敗で日本ダービーを制した。

普段、取り立てて競馬を話題にしない一般の新聞でさえも、一面にディープインパクトの写真と名前が踊った。

テレビでも何度か話題に出され、競馬場には真新しい腕章を付けた記者を見かけるようにもなった。

そこまでは私の中では十分にありえた光景だった。

しかし予想外だったのは、競走馬としてそこまで興味を持てなかったサンジェニュインの、その躍動。

 

日本ダービーまでに2頭が争った4戦のうち、皐月賞の同着を除いてはすべて、サンジェニュインは負けている。

それもすべてハナ差決着だった。

管理しているローゼンクロイツがこの2頭と同世代のため、私はこの目で実際に、あのディープインパクトの「鬼」とまで呼ばれた末脚を見ている。

そして痛みさえ感じるほどの、圧倒的な差を思い知った。

後方から追い込んでくるその脚は、それまで走り続けた他馬を押し潰すような、そんな重圧感を持っている。

思わず、「これは勝てないのも仕方ないな」と口にしてしまった。

それはこれまでの管理馬の努力を踏みにじるものであり、調教師として失格だと言われても仕方ない考えだ。

しかしそれだけ、ディープインパクトの存在感は強かった。

その末脚に対して、逃げ馬が一歩も怯まず、対等に競り合っていたのだ。

どころか、差されては抜き返し、また逃げてみせる。

新馬戦は8センチ、弥生賞は3センチ、日本ダービーは1センチ。

この時点でかなり大柄で、骨格も完成されているように見えたサンジェニュインはしかし、「勝ちきれない馬」だと言われていた。

善戦はできるけど、それ以上はない。

身体が仕上がっていてこれならば、もう。

 

しかし私は、また違った印象を持っていた。

 

「まだ身体が出来上がっていないんじゃないか?」

 

菊花賞は無理ですかね、と続けた調教助手にそう言葉を返したのは、気まぐれでもなんでもなく、ちょっとした意地だったのかもしれない。

 

世間はサンジェニュインを「白いサイレンススズカ」だと持て囃していたが、小柄ながら抜群の回転で以って高速馬場を駆け抜けていったサイレンススズカと、大柄故のストライドの伸びで走っていたサンジェニュインとでは、その実情は大きく異なる。

確かにどちらも走法は【逃げ】で間違いない。

だが脚の使い方はまるで違った。

似ているというのであれば、サイレンススズカのように小柄でありながら、恐ろしい回転数で追い上げてくるディープインパクトの方が似ている。

それに、比較対象となっているサイレンススズカは、もっとも勢いのあった古馬の姿だ。

一方のサンジェニュインは、すでに完成されているなどと言われているが、よく見ればまだトモのあたりが寂しく、幼駒特有のやわさが抜けていない。

予定日を2ヶ月近く過ぎた夏生まれで、その時から大柄だと聞いてからはますます、確信を強めた。

そしてそれは、神戸新聞杯で眼前に現れた。

 

【サンジェニュイン圧巻の大逃げ!ディープインパクト初黒星】

 

そう題打たれたスポーツ新聞の記事。

読んだ瞬間、胸にストン、と落ちてきたもの。

── ああ、やっぱり。

サンジェニュインもまた、本格化を迎えていないだけだったのだ。

私の、ハーツクライのように。

 

2004年の三冠すべてに出走し、しかし無冠のまま3歳を終えたハーツクライ。

4歳になっても勝ちきれないレースが続き、気づけばシルバーコレクターと呼ばれていた。

上の世代にはゼンノロブロイ、下の世代にはディープインパクトとサンジェニュイン。

同世代で最強と呼び声高いキングカメハメハが早々に引退し、種牡馬入りしたあとは、ダイワメジャーや牝馬のスイープトウショウが前に立ちはだかった。

善戦はする。

見せ場も作れる。

けれどどうしてもあと一歩、及ばない。

惜しい馬、ハーツクライ。

 

悔しくて仕方がなかった。

日本ダービーの時点で480キロ台だったハーツクライもまた、端から見れば完成された馬体に見えていたかも知れない。

だがあの時はまだ、身の詰まっていない軽さが残っていて、ほとんど素質だけで駆け抜けていたのだ。

 

大丈夫、この馬はまだまだこれからだ。

もっと筋肉が詰まって、トモの張りがしっかりするようになったら。

素質だけで走っていたクラシックで、あんなにも強く戦えたのだから。

本格化したら、きっと。

ハーツクライはすごい馬なんだ。

他の馬にだって負けていないんだ。

だからいつか、いつかきっと──。

 

馬の前では悔しさを見せたことはない。

悲しさも、怒りも、なにもかも。

ただ丁寧に、丁寧に世話をした。

これからできあがってくるだろう馬体を、最速で仕上げるために。

 

その開花の兆しは、2005年の秋シーズン。

ハーツクライは魅せた。

 

「後方からハーツクライ!ハーツクライ突っ込んできた!いっきに上がってアルカセット!驚異の追い込み!ハーツクライ!アルカセット!ハーツクライどっちだ!並んだ、並んだ!……ゴールイン!」

 

後方、内から猛烈な追い込み。

秋から乗り替わったリュベール騎手を背に、勇敢に、果敢に仕掛けた。

相手はサンクルー大賞の覇者・アルカセット。

追い込むゼンノロブロイより半馬身差抜き出たアルカセットを追い、流星のごとく突っ込んだ。

あの瞬間、勝利を確信した。

デビュー3年目にしてようやくGⅠに手が届く。

これは勝った、掴んだ、と。

── しかし結果はハナ差での敗北。

日本レコードを叩きだしたアルカセットとまったく同じタイムを刻みながら、2頭の間には「3センチ」の差があった。

 

この敗北に、関係者からは遠回しに「引退」を勧める言葉も出た。

しかし今、今このタイミングで引退させることはどうしてもできない。

もし引退することになれば── ここで、ハーツクライの血が途絶える可能性は高かった。

 

2004年の秋、ハーツクライと同じく母父・トニービンのサンデーサイレンス産駒・アドマイヤベガが死んだ。

初年度産駒が走り始めた、その矢先のことだった。

母父トニービン×サンデーサイレンス産駒の牡馬で、中央で目立つ馬はこの2頭。

ハーツクライと、そしてリンカーンだけだ。

もしこの2頭のうち片方しか種牡馬になれない場合、重賞を制していないハーツクライは選ばれない。

選ばれないということは、その血を繋げられないということ。

それだけは、それだけは避けねばならない。

この馬は、そしてその血はきっと大成するのだから。

絶対に血を繋がねばならないと固く誓った。

 

迎えた2005年の有馬記念。

3歳戦線をにぎわせたディープインパクトとサンジェニュインが揃って出走する、年末最後の大勝負。

正直に言えば、かなり厳しいレースが予想された。

無敗ダービー馬のディープインパクトはもちろん、芝3000メートルの世界レコードを持つサンジェニュインは、古馬に交ざっても「敗北」が想像できないほど、強く見えた。

それでも、それでも。

 

「ハーツクライは勝つ」

 

ハーツクライの状態ははっきり言って最高だった。

これまでの何よりも素晴らしく整った馬体。

精神も安定していて、脚も軽い。

ソラを使うこともなく、集中力は高いまま保たれていた。

よし、これならいける、と思った。

これでいけないなら、もう何もかもがダメだろうと。

 

何より、ハーツクライ自身の努力は他馬を圧倒する。

厳しい坂路調教にも、苦しい追い切りにも耐えて。

元は神経質で、気になることがあればなかなか調教が進まない馬だった。

でもこの秋からは、まるで私たちの願いに応えようとするように、ハーツクライは駄々も捏ねずに励んだ。

中山競馬場に入厩するその日。

完璧に仕上がった馬体に、ハーツクライの努力がしっかりと滲んでいた。

 

これならば、という私の思い以上に、報われてくれ、と神に願った。

ハーツクライはこんなにも頑張った。

ハーツクライはこんなにも必死に調教を熟した。

人馬共に尽くせる努力はすべてやったのだ。

その上で、いるかもわからない神に縋る。

 

「ハーツクライに勝利の栄光を」

 

そうして開いたゲートから、白い馬体が躍り出る。

初の古馬戦。

経験豊富な年上の馬を相手に、サンジェニュインは果敢にも逃げに打って出た。

第1コーナーを回る時点で追走するタップダンスシチーに大差をつけ、その速度は緩みない。

あふれでるスタミナを盾にした大逃げは、他馬のペースを大きく狂わせる。

例年の有馬記念と比べて超高速馬場となったレースで、ハーツクライは2番手集団の先頭に付けていた。

ハーツクライもまた、サンジェニュインの作り出したペースにハマっているように見えた。

……だが、違う。

 

「2番手集団も第2コーナーをカーブするところでハーツクライ、中央を縫って前へ進出していきますっ!」

 

鞍上のリュベールが鞭をふるう。

いつもの後方からの追い込みを棄てて、先行追走のスタイルを取ったハーツクライは、どよめく競馬場の中でひときわ眩しく輝いていた。

 

「ぐんっと伸びてハーツクライ!ここで一気に先頭を捉えるか!?眼前に見えるのはもうサンジェニュインの背中だけだハーツクライ、懸命の追走!」

 

ハーツクライの馬体が緑に映える。

その後ろからもう1頭、鹿毛が首を突き出した。

 

「── しかししかし、太陽を追うのは1頭だけではありません!後方集団から大外イッキに上がってきたのはディープインパクト……!」

 

抜かされ、抜き返し、また差されて差し返した。

ディープインパクトと叩き合いながら、それでもハーツクライは先頭のサンジェニュインを目指して走り続ける。

第3コーナーを過ぎ、第4コーナーを越え。

迎えた直線。

ハーツクライがディープインパクトを張り付けたまま、サンジェニュインに並びかけた。

 

「並んだ!並んで誰が抜く、誰が、誰が……!?」

 

残り100メートルでアタマ差抜けたハーツクライがサンジェニュインに差し返され、それでも横並び一線。

 

「3頭並んでゴールイン──!なんということだ、なんということだ有馬記念!3頭、3頭キレイに横一線に並んでゴール板を踏み抜きました……!」

 

3歳の両雄に挟まれて、それでもなお光り輝いていたハーツクライが、下を向いていた。

その姿を見て── ああ、負けたのか、と思った。

まだ写真判定は続いていた。

ハナ差なのは確定していた。

助手が必死に「競り勝ってますように」と祈る横で私は、私だけは、うつむいた顔を上げられなかった。

きっと、場内アナウンスで流れる1着馬の名前はハーツクライではない。

その確信以上に、あの大接戦のゴールを見てもなお、ハーツクライが勝ったと自信をもって言えなかったことが、ただ恥ずかしく、情けなかった。

ハーツクライ。

お前は最後まで走りぬいた。

誰にも恥じない見事なレース。

力強い駆け脚で飛び込んだゴール。

私は誰よりもお前の勝利を信じるべきだったのに。

 

「すまない、ハーツクライ」

 

お前が足りなかったんじゃない。

私がお前にふさわしくなかった。

 

ドッと沸きあがる観客の声に包まれたままうつむく。

隣で助手が絶望したように声を漏らしたのを聞く。

勝ち名乗りをあげることもかなわずに散る12月の、寒い中山競馬場。

 

これからハーツクライはどうなる?

GⅠを勝ち得なかった、アイツは。

茫然とする私の顔に、するりと柔らかい毛が当たる。

驚いて顔をあげれば、ターフから戻ってきたハーツクライが眼前に立っていた。

鞍上のリュベールが真横でその手綱を持っている。

申し訳なさそうに眉を下げる、まだ26歳の青年。

言葉も十全に伝わらない中で、身振り手振り、通訳挟んで、厩舎スタッフに次いでただまっすぐ、ハーツクライという馬に向き合ってくれた。

この青年が、ハーツクライは前での競馬だって十分にこなせると、私たちに力説しなかったら。

今日のレースでこんな接戦を見ることはかなわなかっただろう。

 

「サンキュー、リュベール」

 

片言の英語で感謝を伝える。

リュベールはくしゃりと表情を崩して、それでも涙を見せずに頭を下げた。

それに連動するように、ハーツクライが再び、私の頬に顔を摺り寄せる。

まるで慰めるように、励ますように。

その毛が濡れていたことに、2度目になって気づいた。

両手でハーツクライの顔に触れる。

汗で濡れているのではない。

目の周りがぐっしょりと濡れて、ただ濡れて。

丸みを帯びた瞳とかち合ってようやく、私は。

1年前の新馬戦── ディープインパクトに敗北したサンジェニュインの調教師が語った、あの言葉を理解した。

 

「アイツは、悔しくて泣いたんです」

 

何を馬鹿な。

馬は感情では泣かない。

そんな馬を見たことはない。

様々な馬を育て、共に生きてきた私は、そう考えてやまなかった。

人の勝手な解釈によって、馬に不必要なドラマ性を持たせるなんて三流のやり方だ、とも。

けれど、けれど。

 

「悔しかったか、ハーツクライ」

 

返事はない。

当たり前だ。

馬と人で言葉は通じない。

そこには純然とした壁がある。

わかっている。わかっているのに、顔を上げたハーツクライの、その瞳。

 

── そうか、ハーツクライ。お前はまだ、諦めていないのか。

 

濡れた目元が、輝きを失わない瞳が、私に強く訴えてくる。

聞こえないはずの、その声なき声が胸を突く。

すまない、ハーツクライ。

大接戦を演じてくれたのに、信じきれなかったこと。

お前の将来ばかりを見て、今のお前の、その気持ちを考えなかったこと。

ああ、そうだとも。

よりによって私が諦めるなんて。

お前はこんなにも強く、前を向いているのに。

 

「センセイ」

 

まだ手綱を持ったままのリュベールが声をかけてくる。

 

「ハーツクライ、ツヨイ。マケテナイ」

 

まだ不慣れで、片言の日本語を操って。

だからこそ混じりけのない、純粋な言葉が眩しい。

 

「I shouldn’t give up, you shouldn’t give up, he shouldn’t give up」

 

歌うような声に、ハーツクライが瞬きをする。

 

「One more chance」

 

奥底に沈みかけていた覚悟を引きずり出される。

 

「ハーツクライ」

 

出会ったばかりのころ、まだ神経質で気難しかったお前。

本当はまだちょっと、調教に手が掛かるお前。

でもこの秋のお前は、本当に、今までの態度をひっくり返したようにまっすぐ、前を見ていたな。

負けたら後はない。

重賞を勝てない馬の末路など知れている。

それは間違っていなくて、そこらへんに転がっている真実で。

だけれど、私はきっと。

 

「どんな瞬間でもお前が勝つと確信していなければならなかったな」

 

チャンスは残り少ない。

もしかしたらこれが最後なのかもしれない。

焦って、焦って、怖くて。

何十年と調教師をやっていても、まだ恐怖はある。

調教師なんて意外と無力なものだ。

わかっているとも。

それでも。

 

「絶対に、繋いでやるからな」

 

次のレースへ。その脚を。

未来のレースへ。その血を。

絶対に。

 

社来レーシングクラブに呼ばれたのは、有馬記念が終わった、その日の夜のことだった。

 

「やあ先生」

 

社来ファーム代表の吉里照臣は、競馬界に身を置いている人間で知らない人はいないほどの有名人だ。

数々の名馬を産み出した社来ファームの代表と言うだけでなく、優れた相馬眼を持つ馬主としても名が知れている。

ハーツクライのみならず、ディープインパクトもサンジェニュインも、社来グループで生産された馬だった。

今回の有馬記念は、社来産の馬が3頭、占めた形になる。

あの三つ巴を誰が制しても、吉里さんにとっては吉報になっただろう。

特に白毛馬のサンジェニュインのグランプリ制覇は、日本のみならず世界中からも注目されることがわかり切っている。

日本の馬産業を心の底から愛している人徳に優れた人であることに間違いはないが、それと同じくらいレース結果に厳しい人でもあった。

それは「より速く、より優れた馬からさらに優れた馬を作り出す」ことを目的としたサラブレッド研究として、何にも勝る「正道」ではあるものの、ハーツクライはまだやれると、その血を繋いでやりたいと思う今の私にとっては、その厳しさこそが最大の壁だ。

何を言われるか。

引退して種牡馬入りならまだ良いが、行先が乗馬であれば何としてでも抵抗しなければならない。

拳を作って向き合うと、吉里さんはにこりと笑顔を浮かべて手を差し出した。

 

「有馬記念、ハーツクライはいい走りをしたね」

「え……あ、ああ、はい。リュベール騎手が上手くやってくれました」

「うんうん、見事な作戦だった。3頭並びあったときは「これはハーツクライが勝ったかもしれないな」と思ったくらいだ。テンの遅い馬だと思い込んでしまったのが申し訳ないよ」

「……そうです、ね」

 

吉里さんは機嫌良さそうに話を続けた。

 

「リュベールくんとは相性も良さそうだね」

「ええ。息が合うみたいです」

「いいね。レースにもそれが良く表れていた。……今回はハナ差1センチで実に惜しかった!JCでアルカセットに同タイム負けをした以上の悔しさだ」

「……はい」

 

いつ、その口から「引退」が告げられるか気が気でなく、口の中が乾いていく。

そんな私の様子に気づいていないのか、吉里さんは私の肩をポンポンと叩く。

 

「悔しくて悔しくて、それ以上に── 次走(・・)が楽しみだ」

「え?」

 

今、なんて。

 

「正直に言うととても迷った!サンジェニュインもディープインパクトも優れた馬だからこそ、ハーツクライのあの惜敗は「勝ちきれない」を強く印象付けてしまったからね」

 

反論の余地はなかった。

どれほど私が、ハーツクライは負けていないんだと、強い馬だと言おうとも、結果の前には無力である。

いっそ清々しいほどの完敗ではなく、わずか1センチの惜敗だったからこそ、運も実力のうちと言われるこの競馬界では、ハーツクライの負け方は痛い。

どんなにディープインパクトに迫ろうとも、1センチ差であろうとも、神戸新聞杯、菊花賞で大きく差をつけて勝つまで、なかなか評価されなかったサンジェニュインが、それを物語っていた。

 

「陳腐な話だけど、瞳がね」

「……瞳?」

「そう、ハーツクライの瞳。びっくりしたなあ。サンデーサイレンスを初めて見た時みたいな、燃える瞳をしていてね。ああ、この馬はまだまだ走るなって思ったんだよ」

 

私の脳裏にも、瞳の奥がごうごうと燃えるハーツクライの姿が浮かんでいた。

あの、まだ負けていない、まだ、まだと言いたげな、力強い瞳だ。

 

「もう一皮むけるんじゃないかって、期待してもいいかな?」

 

その言葉に、私は。

 

「── もちろんです」

 

ハーツクライはまだやれる。

むしろ、ここからだからこそ、やれる。

遥か1センチ差の白い背を追いかけて。

ゴール板を先頭で駆け抜けるハーツクライの姿が、私の脳裏にしっかりとあった。

 

「人馬ともにいい瞳だ。それで次走なんだけど── ドバイシーマクラシック。ここに、リュベールくんと一緒に挑戦してほしい」

 

ドバイシーマクラシック。

ドバイのナドアルシバ競馬場で開かれる、国際GⅠレース。

そこに、GⅠ未勝利のハーツクライを出走させる……?

 

「勝てないと思うかい?」

 

試すような声色に、私は間髪入れずに首を横に振った。

どんなレースだって、ハーツクライは勝つためにひたむきに走るだろう。

ただ、国内でさえGⅠ勝ちがない中での、海外レースへの出走だ。

 

「ステイゴールドに続け、というわけじゃないけど……血統だけ見ればハーツクライも海外の馬場に適応できる要素は十分に備えている。あとは肝心の脚だけど── これも、有馬記念を見てGⅠ勝ち馬にまったく劣っていないと思った」

 

── ああ、なんて心地いいんだろう。

ハーツクライの実力を、認めてほしい人に十分に理解してもらえている、この充足感。

のしかかる重圧以上に、その期待に応えたいという情熱のほうが大きくなっていた。

 

「……ドバイシーマクラシックに向けて、万全の体制で挑みます」

「うん。よろしく頼むよ」

 

吉里さんが頷きながら笑う。

この部屋に入ったときは緊張と不安でいっぱいだったが、今はただ、希望でいっぱいだった。

 

夜も深まってきたこともあり、ここでそろそろ、と私が引き下がろうとすると、思い出したように吉里さんに引き留められた。

 

「そうそう。可能性の話なんだけど、ドバイシーマクラシックにはサンジェニュインも出走する可能性があるよ」

「サンジェニュインが、ですか?」

「うん。ダービー後から海外遠征はプランに入っていたんだけど、予定としては欧州のレース中心かな。あの馬は荒れた馬場のほうが好きみたいでね。出走するレースについてはクラブのほうに一任してるからアレだけど、ま、可能性の話だから」

 

そうか。

サンジェニュインも海外遠征。

有馬記念であそこまでのパフォーマンスを見せたのだ、海外で走らせたくもなるだろう。

それもまた予想できていたことだ。

ドバイシーマクラシックにサンジェニュインが出走するなら、それじゃあハーツクライは厳しいレースを強いられてしまうか、って?

 

いいや。

むしろ、好都合だ。

 

「ハーツクライは負けたままでは終わりません。いつか再戦を、と思っていたので、その機会が早めに巡ってきてよかったです」

「……いいね。ますます楽しみになってきた!」

 

今度こそ部屋から出る。

扉を閉める間際、吉里さんはまだ、笑っていた。

 

厩舎へと帰る足が軽い。

早く帰りたい一心で、少しずつ早足になる。

それでもまだ着かなくて、もう決して若くはないのに、気づけば駆け出していた。

 

星がキラキラと輝く冬の空を見上げて、心の中で叫ぶ。

 

ハーツクライ。

ハーツクライ、ハーツクライ!

 

お前はまだ、走れるぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月17日、早朝。

栗東トレーニングセンターには2台の馬運車がその時を待っていた。

1台にはハーツクライと、その帯同馬を務めるユートピアの2頭が。

そしてもう1台には── サンジェニュインとその帯同馬が乗りこんでいた。

向かう先はドバイ、ナドアルシバ競馬場。

そして目指すは1着、ただそれのみ。

 

2006年。

多くの日本調教馬が海外レースへと出走していった。

世界でも決して劣らないという証明。

その2頭は何よりも眩しく、何よりも輝いていた。

 




次回、2006年1月から!(この話の終わりは3月になっているがそのちょっと前からスタートするガバ!再走しろ!)

登場人物

ハーツクライのテキ ヒト族 男
本名:橋本弘継
ダンスインザダーク等を手掛けたベテランのテキ
ハーツクライの信じきれなかった自分を悔やみつつ、諦めないハーツクライと一緒に打倒主人公を掲げる

海外の兄ちゃんその2 ヒト族 男(26)
のちに日本でその名を轟かす名ジョッキーの若き日の姿
本名:グラン・リュベール
秋天、JC、そして有馬と、惜敗が続いてがっくりきていたが、ハーツクライと一緒に魂燃やしてテッペン目指してる
のちにサンジェニュイン産駒でゴルシ&ジャスタと同期のシルバータイム(ジャスタと馬主一緒)の主戦騎手もやる

ハーツクライさん 牡4
神経質ゆえ気難しい面もあるが、基本ヒトがすっき!
そろそろ結果で返してやりてえな~とちょっぴり焦っていたところで有馬記念敗北したが、主人公に煽られた(煽ってない)ことで「やってやらあ!」となった
主人公のことは確かにすっげえ美貌だな、見惚れちゃう、気も合うなと思っているものの、それと勝負はまた別

ディープインパクトさん 牡3
前話にて海外遠征をせずに国内戦に専念することが発表された
なんかよく知らんポッと出の野郎にライバルポジを取られた気がしてバッチバチに燃えてる
2006年はこのウッマから始まるかもしれない(わからん)

サンジェニュイン 牡3
主人公のはずなのに今回いっさいしゃべってない
でも第三者目線でバチクソ注目されていることは明らかになったよ!

2006年は一言で言うとこんな感じ!(嘘)
ハーツクライさん(5)VSディープインパクトさん(4)VSまたしても何も知らないサンジェニュイン(4)

完全素人ニキの愛馬名アンケート

  • サニードリームデイ
  • サンシカカタン
  • タイヨウノムスコ
  • タイヨウハノボル
  • ブライトサニーデイ
  • ラブディアホワイト
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