【完】これは圧倒的美貌で凱旋門賞馬になる俺の話   作:SunGenuin(佐藤)

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感想&ブクマ&評価&誤字脱字報告、サンクスサンクス~~!!!!

※ Google翻訳を使用して英文打ちました!!!! ※

前半:サンジェニュイン視点
後半:ヒト視点

※作中に登場するクラブの持ち馬を選ぶ方法は完全な創作です。実際にそのような方法で選ばれているわけではありません※

※ Google翻訳を使用して英文打ちました!!!! ※


30.わずか ─ 2006年3月25日ドバイミーティング①

ジリ、とノイズが走る。

騒々しい足音が鳴って、照明がコースを照らす。

綺羅星が舞う、ドバイの夜空。

そこに在るのは、太陽か、絶唱か。

 

 

 

「残り100メートルを切っても先頭は依然ユートピア!ユートピア!ユートピアが堂々とした大逃げだ!ゴールは、理想郷はもう目前!── ユートピア1着!後続に5馬身差を付ける圧倒的な走りを見せました。これは大楽勝。日本調教馬は、世界の馬にだって負けていない!それをユートピアが鮮やかに証明してくれました!」

 

 

 

始まったドバイミーティング── わずか1日に詰め込まれた重賞レースは、ユートピアさんの圧勝から幕を上げた。

ゴドルフィンマイルは今回で13回目の開催。

日本で調教された馬がこのレースで勝つのは、ユートピアさんが初めてなのだと目黒さんは言った。

それめちゃくちゃすごいな!思わず嘶いたわ。

厩舎は別だけど、それを抜きにしても同じ国の馬が勝つのはやっぱり嬉しいみたいで、目黒さんもイサノちゃんも表情は明るい。

ヒトたちがニコニコし始めたので、何かあったのかと、隣の馬房で休んでいたハーツクライさんが窓から顔を出した。

俺が『ユートピアさんが勝ちましたよ』って教えたら、とても喜んでいた。

 

『ユートピアは強い馬だ。勝つのは当たり前ではないけれど、トモダチとしてとても誇らしく思う』

 

わかる。俺も嬉しいし誇らしい気持ちでいっぱい。

出会ってからまだ1週間ちょっとだけど、ユートピアさんは調教にも真面目に取り組んでいるし、勝つことにだってとても意欲的だった。

彼は俺やハーツクライさんのヒト好きには『イレこみすぎ』だなんて言うけれど、その割には担当の厩務員にべったりなんだよなあ。

ツンデレかな?

対するヒト好き同志ハーツクライさんは、厩務員の服をかじる、頭を噛もうとする、などなど。

あれっ、ヒト、好きなんですよね!?と思わずにはいられない暴れっぷり。

ハーツクライさんの厩務員がやたら重装備なのはなんでだろ、と思ってたけどコレかあ。

どうやら構って欲しくてやるみたいだけど、ハーツクライさん、世間でのあなたの評価は「外だと猫かぶり、厩舎だと暴君」らしいっすよ……!

 

『私たちのレースはまだ先か』

『ですねえ。他にもレースがあるみたいなので』

『そうか。……ところで、サンジェニュイン、まだ水を飲むのか?』

『すっごい暑いから、ずっと喉が渇いてるんすよねえ。でもそろそろ止められそうなんでやめます』

 

でもほんとマジで暑いんだわ。

朝よりはマシだけど、もうなんか、夏じゃないかこれ?

しかも単純に暑いだけじゃなくて蒸し暑い。

俺、今日だけで2回くらい水浴びしてるし。

本当は水ももっと飲みたいくらいなんだけど、レース前だからあんまり貰えないんだよな。

理由とかは解らないんだが、レース当日とかレース直前になると水の量をかなりセーブされる。

走る前に食べ過ぎると腹が苦しい、と同じ理論なのか?解らん。

水もっと貰えないかなあ、と思いつつ、ペロペロと塩── 鉱塩ブロックと呼ばれる、塩分とかいろんな成分が含まれているモノを舐める。

去年の夏に早来(はやきた)で放牧されていた時もそうだけど、塩分補給のためのものみたいだな。

ヒトで言う塩分タブレットみたいな扱いだと思う。たぶん。

 

「サンちゃん、かなり汗掻いてますね」

「そうだな。ドバイは今が夏季とは言え、連日30度超えはやはり厳しい。少しでも馬の負担を減らす目的もあって、気温が下がる夜にレースが開催されるのだろうが……」

「確かに、朝に比べれば気温は下がっていると思いますが……夜は夜で、やっぱり寒すぎると思います」

 

それな。

イサノちゃんが言う通り、朝はクソ暑いけど夜も夜でクソ寒いんだわ。

2日目の夜とかは寝藁をマシマシにしてもらって凌いだけど、鍵がぶっ壊れたままだったらもう1回カネヒキリくんの馬房に忍び込んでたからな。

でも最近はバチャク?たぶん馬着だと思うんだが、コレを着せられている。

明け方になると暑すぎるから脱がされるんだが、夜はこれを着ているとそこそこ暖かい。

でもこれ、保温目的のものらしいしそれはわかるんだけど、なんか俺だけ目的違わないか?

初めて着せられた日から、汚したわけでもないのに3着くらい着替えてるんだわ。

カネヒキリくんとかハーツクライさんたちは最初から無地の、黒とか濃い目の色から変わってないのにさあ。

なんか俺だけ柄つきだったし。

しかも俺のだけ全身タイツみたいに耳から全部すっぽりタイプのやつ。

おかしいだろ、他の馬は首までなのに!

それにシマウマ柄とか誰の趣味?

その柄の馬着でメディアの前に出された俺の気持ちわかるか?

絶対ネットで「馬なのにシマウマ柄着てるわww」って笑われてるからな、俺は詳しいんだ。

あと着せ替えする度にメディアの前に連れて行かれるしさあ……今、メディアで俺どういった扱いなの?

おもしろパジャマ馬扱いだったら次の取材の時に立ち上がるからな……!

 

「ブモブモ言ってる……水、足りないんでしょうか。でもこれ以上は、与えすぎると身体が冷えすぎちゃいますよね」

「いやあ……まあ、大丈夫だろう。たぶん別の理由だ」

 

俺はやってやるぜ、俺はやってやるぜ……!!

 

「目黒さん、イサノ」

「テキ」

「お疲れ様です、テキ!」

 

お、テキだ。

おっすおっすテキ!いやあ、めっちゃ汗掻いてんな!

ちょっ、手汗すごっ!?

 

「うん、2人もお疲れ様。サンジェも暑いとこよく我慢してるな、偉いぞ」

 

んふふ、だろ?

もっと褒めてもいいんだぞ。

 

「目黒さん近藤さん、お疲れ様です」

 

おうおう芝木くん~~!

なあんで汗掻いてるのに爽やかなツラしてるんだ?

え?イケメンは汗を掻いてもイケメン……?

ゆ、許せねえ……!

 

「うおっ、どうしたサンジェ、あ、ごめんな今日はリンゴ持ってないんだ」

 

ちげーわっ!

リンゴじゃねえわ!

 

『機嫌が良いな、サンジェニュイン』

『みんな揃ったんで!ハーツクライさんのとこは?』

『おそらくそろそろだが……ああ、噂をすれば』

 

芝木くんにワシャワシャと顔の周りを撫でられながら、ハーツクライさんが顔を向けた方向を俺も見る。

たぶん色は黄色の生地に、太めの黒の縦縞が入った勝負服に身を包んでいるのは、ハーツクライさんの今の主戦騎手。

海外の(あん)ちゃんで、確かリュベール?騎手だ。

コンニチハ、って片言だけど元気よく挨拶してて好感度プラス1億!

元気な挨拶するヒトはだいたい良いやつってじっちゃんも言ってた。たぶんな。

 

「Hey, good to see you again」

「Yeah, we've hardly seen each other in training」

「We don't have much time to meet when we're in different stables. Besides, we only pass each other on the training tracks」

「That’s right」

 

ファッ!?

エッ、芝木くん英語できたのか!?

 

「驚いた、芝木くん、英語できたのか?」

 

目黒さんとシンクロしたわ。

 

「ああ、いや、ちょっとだけ。テキスト英語ですよ、勢いで押してます」

「それでも受け答えできてるだけすごいよなあ。空港のやりとり全部芝木くんに通訳してもらっちゃったよ」

 

全部やって貰うなよテキ。

でも英語からっきしだとできるヤツに頼っちゃうよな、それはわかるわ。

 

「騎手課程で学んでいた時に、もし海外レースに行くことになったらインタビューとかどうしよう、って考えてた時期がありまして……若気の至りと言いますか」

「あ、それわかります。厩務員課程にいたときに私もちょっと考えてました」

「意外とあるあるかもしれないですね」

 

俺も中学の時に「もし授業中にテロリストが来たらどうしよう」と思って図書館で軍事関係の……いやそうじゃないな。

もしもに思いを膨らませて知識を得ようとするのは、若いやつなら1回くらいはやるかもしれないけど、実際に身につけられるヤツはそうそういないと思う。

いつか海外レースに出た時にインタビューされたら、と考えて、本当に英語ができるようになった芝木くんは、それだけで十分すごいぞ。

俺なんて「外国に1週間もいりゃあ挨拶くらいは覚えられるだろ」とか思ってたけど、俺が解るようになったのは「cute」と「pretty」だけだったからな……!

現地スタッフにもメディアにも言われすぎて覚えちまったよ。

 

「あ、お疲れ様です」

「おお、竹さん、お疲れ様です!」

「ユートピア号、おめでとうございます!」

「ありがとうございます」

 

確かに俺はキュートでプリティーだからな、と納得したところで、親の顔より見た勝負服が現れた。

竹騎手じゃん、おっすおっす!

カネヒキリくんとはダートコースで併せたりしたから、その時に何度か会ったんだよなあ。

最初は「アイエエ!?タケ=サン!?タケ=サンナンデ!?」と思ったけど、よく考えなくてもカネヒキリくんとディープインパクトの馬主が同じなら、主戦騎手が同じって可能性も十分にあったんだよな、うん。

一瞬、アレッ、ディープインパクトもドバイに来てるっけ!?とか思っちまった。

アイツは6日くらい前に阪神大賞典に出走。直線で他の馬を轢き潰して、いや追い込んで後続に6馬身差で圧勝したらしいからここにいるわけないんだよな。

目黒さん曰く、走破タイムは3分8秒2。

しかも出遅れたって噂だから、それがマジなら出遅れしといて後続に6馬身差はあたおかでは?やっぱりアイツやばい馬だわ。

あ、ちなみに、ユートピアさんの馬主もカネヒキリくんやディープインパクトと同じ個人馬主らしい。

なので鞍上も竹さん。

その竹さんがここにきたってことは、ユートピアさんもそろそろ戻ってくるかな。

他のレースに出走する馬たちも、結構前にここを出てコースの方に向かったし。

ユートピアさん戻ってきたらしつこいくらいお祝いしよ。

その前にカネヒキリくんを起こさないとな。

 

『カネヒキリくん、カネヒキリくん起きて、鞍上のヒトきたよ!』

『う……っ、ああ……』

『カネヒキリくん具合大丈夫か?』

『ああ……』

 

この声は……ウマ娘で例えるなら「不調」寄りの「普通」ってとこか?

カネヒキリくんの反応がちょっと鈍い。

お出かけキメて調子を回復したいところだけど、悲しきかなただの馬である俺たちにそれはできないんだなあ。

 

カネヒキリくんがぐったりしている原因は、俺が水を欲しがっているのと同じ、暑さによるものだ。

朝、起きたばっかりの時はまだまだ元気だったんだけど、外で軽く引き運動している途中からダウン。

俺と一緒に水浴びもしたし、すっきりしたかと思いきやイマイチ上げ切れていないようだ。

ナドアルシバ競馬場の厩舎には各馬房に扇風機がついているし、日も沈んだから割と涼しくなったんだけどな。

適量の水を飲んで鉱塩ブロックも舐めて、風にも当たれたおかげか、連れてこられた時よりはマシな顔色をしているけど。

これは目黒さんに聞いた話だが、俺たち馬っていうのは、本来は寒さに強くて暑さに弱い生き物らしい。

寒すぎるとそれはそれで体調を崩すけど、夜みたいに馬着で対策することはできる。

でも暑さはどうにもならない。

ヒトみたいにマッパになって涼しさを……ってわけにもいかないしな。

っていうか常時マッパだもん俺たち。

マッパでありながら暑いんだわ。

もうどうにもなんねえ、水と塩を摂取して涼しい風を浴びるほかには……!

ゆったりとした動きで馬房の窓から顔を出したカネヒキリくんに、首を伸ばして近づく。

 

『俺の分の塩も舐める?』

『え……?俺を舐める……!?』

『俺の『塩』な。ダメだわカネヒキリくん耳がイカレてる……』

 

白毛の俺でさえ日差しがキツイのに、栗毛のカネヒキリくんはさらにつらいよな。

濃い目の鹿毛のハーツクライさんは何故かピンピンしてるけど、ユートピアさん曰くハーツクライさんは暑さにまあまあ強いらしいから論外として。

カネヒキリくんと同じ栗毛のユートピアさんも暑そうだったしなあ。

 

「カネヒキリ、大丈夫かい」

『おう竹騎手、カネヒキリくんはヤバめだ。もうちょい扇風機を強くしてくれや』

 

そう思いを込めて竹さんの袖を食む。

 

「ん?ごめんね、林檎は持ってないんだ」

 

ちげえよ!

なんでどいつもこいつもリンゴの話になるんですかねえ!

俺、そんなにリンゴをねだって……強請ってるかも知れない!

ダメだ自業自得だったわ。

ちょっと目黒さん!目黒さんなら俺の言葉を汲めるはず。

カネヒキリくんの扇風機をマックスに、そして水をもっと増やして!

 

「……扇風機か?サンジェニュインの、ああいや、カネヒキリ号の?」

 

イエスイエス!

さすめぐだわ。

見ろ芝木くん、竹騎手、これが以心伝心、人馬一体よ!

 

「目黒さんってサンジェの声でも聞こえているんですか?」

「まさか。ただなんとなくわかるだけだ。サンジェニュインは感情豊かだろう?」

「それだけじゃ説明つかない時があるんですけど」

 

それな。

 

「偶然偶然」

 

本当かなあ?

俺は訝しんだし芝木くんも竹騎手も訝しんでる。

 

「それより。竹さん、休憩は取りましたか?芝木くんも」

 

あっ、話逸らしたな!

 

「僕はこれからです。芝木くんはそろそろ検量の時間じゃないかな」

「ですね。それじゃあ俺はここで。……サンジェ、また後でな」

 

あーい、またな!

軽く俺の頭を撫でた芝木くんを見送って、俺は再びカネヒキリくんの方に顔を向けた。

まだぼーっとしているみたいだけど、風が強くなったことでだいぶ涼しさを感じられるようになったのか、さっきよりは調子は良さそう。

芝木くんもこれから検量ってことは、俺の出走するレースもそろそろ行われるってことだ。

カネヒキリくんが出走する「ドバイワールドカップ」は、このドバイミーティングの花形。

最後の最後に行われるので、始まるまでまだ時間が掛かる。

それまでにカネヒキリくんの調子が戻るといいんだけど。

 

『カネヒキリくん、あとちょっとで俺、レースに行くけど大丈夫?』

『ああ……』

『目黒さん残してくから、なんかあれば目黒さんにちゃんと言えよ。いや、言葉自体は通じないんだけど、大抵のことは通じるって言うか……視線で訴えればなんとかなるから』

『ああ……』

『カネヒキリくん本当に大丈夫か!?』

『だいじょうぶだ……』

 

全然大丈夫じゃなさそうで俺は心配だよ。

ずっと側にいてやりたいけど、それもできない。

レースに出ないわけにはいかないからな。

もう一度、首を伸ばして顔を近づける。

 

『カネヒキリくん、カネヒキリくん』

『ん……?』

『俺、頑張ってレースで勝ってくるからな!だからカネヒキリくんも元気だして、レースで勝ってくれよ!』

 

そう言って軽くカネヒキリくんの無口を食んで揺らす。

カネヒキリくんが目を丸くするのを横目に、俺はイサノちゃんによって馬房から出された。

……んふふ、今のやりとり青春っぽくて照れちゃ~うッ!!

 

「サンちゃん、行こっか」

『おうよ!……それじゃあ行くからなカネヒキリくん!またあとで!目黒さんカネヒキリくんのことよろしく!!』

「はいはい、ちゃんと見てるよ。だからこっちのことは心配せず、楽しんで走ってきてくれ、サンジェニュイン」

『おう!……やっぱり言葉通じてない?』

「偶然」

 

通じてんじゃねえか!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺はいいから行ってこいよ、とタカハルに背を押されて、俺は社来スタリオンステーションに来ていた。時刻は11時ジャスト。

受付にスタッフカードを見せると、スタリオン内のひときわ大きな会議室に案内された。

 

「おお、大津(おおつ)くん!ひさしぶりだね!」

「あ、は、はい!ご、ご健勝で何よりです──吉里さん」

「やだな、勝馬(かずま)で良いって。ここらでネクタイ締めてるのはみぃんな吉里(・・)なんだから」

「は、ハイ!勝馬さん!」

 

どうしていきなりお偉いさんが、側人の1人もつけずに入り口付近にいるんだよ……!

俺は自分自身の不運と、俺の近くに吉里さん── サイレンスレーシングクラブの代表・吉里勝馬さんが来た瞬間、素早く目をそらしたスタッフどもを呪った。

見捨てるんじゃあない!

 

「サンジェニュインはまさに期待の1頭だね」

「あ、は、はい!期待も期待、大期待です!」

「ははは!確か、大津くんと、森重(もりしげ)くんだったかな、担当者は」

「そ、そうです。自分、あ、わ、私と、森重、森重孝晴(たかはる)が担当しました!」

「そうかい」

 

勝馬さんはそう言ったきり、しばらく黙った。

サイレンスレーシングクラブの持ち馬は、クラブのセリ担当者がピックアップしたものを、最終的には勝馬さんが決定する。

よりよい馬を、よりよい状態で一口馬主に持って貰うことを理想としているため、選定は念入りに行われるという。

サンジェニュインは2ヶ月以上の遅生まれで白毛、加えて馬体が大きい。

どんな良血だったとしても、これじゃあ選定から漏れるだろうというのが、社来ファーム・陽来(あききた)のスタッフみんなが思っていたことだった。

しかしなんの奇跡が起きたか、勝馬さんはサンジェニュインをクラブの持ち馬とした。

見た目ばかりは見事な美しさを誇る男馬(おとこうま)だったから、やがてはノータンホースパークで乗馬にしよう、という話が上がっていると知ったのは、持ち馬になると決まって3日後のことだった。

不思議と納得がいった。

サンジェニュインは本当に、本当に素晴らしく見目の良い馬だった。

人間の目から見て、ここまで美しい馬もそういないに違いないと、俺も孝晴も自信を持って言えた。

俺たちだけじゃあない。

陽来(あききた)のスタッフは全員、そう信じていた。

すこぶる美しいサンジェニュインは、性格だって良かった。

ちょっと悪戯好きな面はあれど、口で言えばしっかりやめるし、1度注意されたことを繰り返すこともない。

人間に育てられたからか、生来のものか、人懐こいサンジェニュインはなるほど、確かに乗馬向きだろう。

 

── 競走馬を経ずに、そのまま乗馬になったりして。

 

別のスタッフが冗談交じりに言った言葉に、そんなわけあるか、と返した声は震えてしまった。

ありえそうだった。

でも本当にそんなことになったら、耐えられる自信はなかった。

サンジェニュインは、走るために生まれたんだ。

そこにお母ちゃんの愛情がなくっても、俺が、俺と孝晴がうんと愛情込めて育てた。

あいつは、愛情ってものを理解している。

俺たちが愛した分だけ、日を追うごとに輝きを増していった。

いいんだ、条件馬でも。

オープンギリギリだってかまわない。

最終的に行き着く先が乗馬だってさ、死ぬよりマシさ。

でも、走らずに乗り馬にするってのだけは、どうしても、受け入れたくなかった。

クラブに引き渡す日が近づくにつれ、不安は膨らんでいく。

このままコイツを連れて逃げちまおうかと思った夜は少なくない。

勝馬さんに会ったのは、そんな夜のひとつだった。

 

「いきなり土下座されたときは驚いたなあ。“アイツは走る馬なんです”ってね」

「……その節は本当に失礼しました」

 

穴があったら入りたいレベルの黒歴史だ。

 

「いやいや、大した根性だと思ったよ。馬のために地面に頭つけられる人間なんて、果たしてどれだけいるか!?……サンジェニュインは最初からレースに出すつもりだったけどね、アレでようやく覚悟が決まったようなものさ」

 

必死だった。

プライドがないのかって?

違う、サンジェニュインが、俺のプライドだったんだ。

そのプライドを守りたかった、走らせたかった、アイツの脚ならきっとどこまでだって行けると信じていた。

 

「大津くん」

「はい」

「サンジェニュインは、走ったねえ」

「はい……!」

 

条件馬どころの話ではなかった。

オープン馬でおめでとうやったー!でも終わらなかった。

サンジェニュインは同着の皐月賞を含めて、2つの冠を手に入れてしまったのだ。

し、しかも、グランプリホースにまでなりやがった……!

すぐ乗馬かも、なんて言われてた、競走馬としてはそれほど期待されていなかった、サンジェニュインが!

俺たちのマイサンが!

わずか3歳でGⅠを3勝もしたのだ。

生産者として── いいや、担当者(ちちおや)として、これ以上ない喜びだった。

 

「生産者って生き物は、生産馬(わがこ)の活躍を願って止まないものだ。サンジェニュインの勝利を願う大津くんしかり、ハーツクライの勝利を願う元町(もとまち)くんしかりね」

 

そう言って勝馬さんが見た先に、1人の男が立っていた。

口を真一文字に結んで、部屋の正面にある大スクリーンを見つめていた。

そうか、あれがハーツクライの生産者、いや、担当者か。

 

吉里(・・)からすれば、どちらが勝っても嬉しい。けど君らにとっては、やっぱり我が子がいちばんだものな」

 

元町さんが振り返る。

一瞬だけ視線が交わる。

それだけでわかった。

彼にとっても、ハーツクライがプライドなのだ、と。

 

「……時間だね。担当者(おや)なら前の方にいなきゃな!さあ、行こう!」

「うわっ」

 

バンッと背中を押されながら、前の方へと歩く。

今日は2006年3月25日。

遙か異国、ドバイの大地で、俺の息子が走る日だ。

 

 

 

 

 

「今年のドバイミーティングも残るところあと2レースとなりました。芝の最終レースはドバイシーマクラシック。GⅠです。2001年3月24日、当時はまだGⅡの格付けでありました本レースを、日本調教馬のステイゴールドが勝ってから5年。今年出走する2頭はどちらもサンデーサイレンス産駒で、ステイゴールドと同父の牡馬となります」

 

大スクリーンに映し出される、大きく豪華な競馬場。

ドバイ・ナドアルシバ競馬場だ。

日本とは違って、会場にいる人々はみな華やかな衣装に身を包んでいた。

女性はドレス、男性はスーツ、あるいは両者ともに伝統的な衣装に身を包んでいる人たちもいた。

ただ圧倒された。

その絢爛な様に、日本とは異なる空気感に。

 

「これを見ていらっしゃる視聴者の皆様に、本レースに出走する2頭をご紹介いたします。番号が若い順に── 5番、ハーツクライ。今年で5歳になりました。前走の有馬記念、前々走のジャパンカップ共に勝ち馬とのタイム差無し2着。有馬記念では勝ち馬サンジェニュインと鼻先1センチ差となります。古馬になってからも成長を見せ、今が花の盛りと言うべきでしょうか。直前の状態も良く、精神的にも安定しているようです。鞍上、騎手ですね、これは前走から変わらずグラン・リュベール騎手が務めます」

 

その鹿毛の馬体がスクリーンに映ると、おお、と歓声が上がった。

声のした方に視線を向ければ、元町さんを囲むように数人の男たちがいた。

ハーツクライに跨がる騎手── グラン・リュベールに手を合わせている人も何人かいた。

おそらく、元町さんと同じ社来ファームのスタッフだろう。

人数が少なく、手が離せない陽来(うち)と違って、社来ファームには数人を送り込める余裕がある。

本当は、メインの担当である孝晴がこの場にいるべきだと思ったが、その孝晴に背を押されてここにいる。

いちばん心配しているのは俺だろうから、って。

 

「続いて15番、サンジェニュイン。昨年のクラシックシーズンをディープインパクトと共に盛り上げた1頭です。今年で4歳になりました。この馬をきっかけに競馬を見始めた方もいらっしゃるのではないでしょうか。2000メートルから3000メートルまで、幅広い距離で結果を出しています。本レースを初戦として、春夏シーズンは海外レースが続く予定です。ここを勝って勢いを付けたいところ。鞍上には芝木真白騎手がそのまま跨がります」

 

マイサン!

俺はちょっとだけ前のめりになって、現れた白毛の馬体を見つめた。

大きくなった。

最後にあったときよりも、馬体というよりは、風格が出たように思えた。

鞍上の芝木騎手は、デビュー戦のときからサンジェニュインに乗ってくれている。

弥生賞から2レースほど離れていたが、神戸新聞杯で再び鞍上に跨がると、サンジェニュインを上手く導いてくれた。

自分とそう年代は変わらない青年だ。

俺や孝晴のほうが3、4歳ほど年上というだけだろう。

改めてみると、まだ幼ささえ感じるようだった。

ああ、そんな若さで、彼はあの日、俺たちに頭を下げに来たのか。

瞼を閉じるとすぐに浮かんだ。

 

── もしもサンジェニュインがターフに沈むときは、俺も一緒に逝きます

 

その場のノリで言った、軽い台詞には聞こえなかった。

生半可な覚悟にも見えなかった。

ただまっすぐとした瞳が、サンジェニュインに似ていると思ったのだ。

 

1頭と1人がゲートへと向かう。

時折上を見るサンジェニュインは、まるで芝木騎手に話しかけているようにも見えた。

まったく、レースギリギリだっていうのに緊張感がない。

でも、なんだかそれが「らしく」思えた。

 

「最終15番にサンジェニュインが入りまして、まもなくスタートします。第9回ドバイシーマクラシック── いま、スタートしました!」

 

きた、と誰かが言った。

 

「ドバイの夜に目映い一閃、ハナを取ったのはサンジェニュインだ!大外から一気に差を広げに掛かります」

 

15頭の馬の中から、真っ先に飛び出た白毛。

幼い頃から人にばっかり囲まれていたからか、サンジェニュインは馬群が嫌いらしい。

包まれるのを嫌がって、ずっと先頭を取る戦法だった。

今日も自慢のスタートダッシュで幸先良くレースを進める。

俺は心の中で小さくガッツポーズをキメた。

 

「その後ろに剥がれまいと追走するのは、これまた日本調教馬のハーツクライ。前走同様、先行の構えを取りました。ハーツクライから3馬身後ろにレイマンが続くとオラクルウェスト、ッいやここでアラヤンが出てきましたアラヤンが出て、まずはハーツクライに並ぼうとしますがハーツクライここは交わす。どうでしょうアラヤン少し掛かり気味か、内側からリラックスジェスチャー、コリアーヒルはやや中に入っているでしょうか、レイマン下がって現在3番手にアラヤン、リラックスジェスチャーが4番手」

 

サンジェニュインの走った跡をなぞるように、鹿毛の馬体、ハーツクライが追走する。

この馬は、昨年の有馬記念より前は「追い込み馬」という印象が強かった。

だがジャパンカップや、有馬記念を見るに、先行で突く競馬の方がより得意になったようだ。

首を低くして、ぐんぐんと前を目指しているのがしっかりと見えた。

実況者が「例年以上のペースだ、ハイペース」と繰り返す。

 

「先頭のサンジェニュインが向正面を向きまして、後続のハーツクライに3馬身差のリードをつけているところ。しかしそのハーツクライからさらに3番手に上がってきたコリアーヒルまで4馬身差がついています。サンジェニュインとハーツクライがやや飛ばし気味か、しかし脚色は衰えません。固まる中団からオラクルウェスト、アラヤン、シャンティースターが外側へと出ましたが、これをリラックスジェスチャー、リラックスジェスチャーが抜こうかと言うところ。中込には前評判の良かった欧州年度代表馬ウィジャボードが潜んでいます、そのすぐ後ろにはフォルスタッフが追走」

 

他の馬たちのスピードが遅いのではない。

明らかに、サンジェニュインとハーツクライ。

この2頭のスピードが抜けていた。

とんでもないね、と言った勝馬さんに、その場にいる全員が同意した。

とんでもない、本当に、とんでもない。

俺の口角は上がっていたし、視界の端にいる元町さんの口角も上がっているように思えた。

 

圧倒しているのだ、今。

世界の名馬たちを、日本調教馬が!

 

「カーブを上手く抜けてサンジェニュイン、依然先頭をキープしたまま。鞍上芝木まだ鞭を使っていません、完全に馬ナリだ!シンガリのパンチパンチとはすでに10馬身以上差があるぞ。この馬は大逃げしてもまったく落ちないスタミナが最大の武器、このまま逃げ切り勝ちを狙います」

 

── いいぞ、いいぞマイサン!

もうその名で呼ぶのは、俺たち陽来のスタッフしかいなくなったけど。

マイサン、マイサン。

お前はやっぱり、すごい馬になった。

 

「しかしそう簡単にはいかせないぞと後続馬、ここで揃ってスピードを上げてきました。まだまだ上がるかなんてスピードだ!……おっとどうしたウィジャボード、ずるずると後ろに下がりますが、ッと巻き返しました中団に戻ります。ここで3番手にフォルスタッフが上がってきて、コリアーヒルちょっと苦しいか。4コーナーカーブを曲がりきって直線、後続集団を尻目に先頭2頭、さらにスピードを上げていくか、ハーツクライに鞭が入りましてその差がするすると縮まっていきます!」

 

── 頑張れ、ハーツクライ。

小さな囁きが聞こえた。

たぶん、近くにいる他の人にすら聞こえていない。

その声を、離れている俺が、俺だけが、聞いた。

 

頑張れ、はただの応援じゃない。

そこには言葉にできない愛が滲む。

俺たちはただの生産者だけど、でも、“おや”だから。

頑張れ、は。

愛してるって意味だ。

 

「2馬身差、1馬身差、縮まっていくぞ残り400メートル!この時点で先頭を争うのは2頭。日本調教馬の2頭です!先頭ひた走るのは純白の馬体サンジェニュイン!1馬身差でそれを追うのはハーツクライ!ハーツクライより後ろはうんと差があるぞ!」

 

頑張れ、マイサン。

頑張れ、頑張れ。

俺たちに遅い春を、夏の隙間に届けてくれたお前。

白い馬体が踊る。

世界で踊っている。

俺の、俺たちの、息子が。

 

「ここまで何度辛酸を舐めたかハーツクライ、このレースは絶対ものにしたい!その気迫が、絶唱が脚になってターフを駆け抜ける!もう半馬身しかないぞ、並ぶか、それともサンが逃げ切るか!?」

 

── 頑張れ、ハーツクライ

── お前は一等やさしく、頑張り屋な馬だ

── 負けるな、お前の脚は、すごいってことを

── いつまでだって信じているから

 

胸の前で手を合わせる。

神頼みなんて俺らしくもない。

でも違う。

神に祈っているんじゃあない。

誰もの頭上にある、もっとも眩しいものに祈っている。

どうか縁があるというのなら、照らしてやってくれ。

サンジェニュインを、照らしてくれ。

 

「さあ200だ残り200でハーツ、ハーツクライ、ハーツクライッ!ここで並んだ!鞍上リュベール鞭を振ってさあ前へと押し上げて、ッしかしサンもここでは引き下がれない!芝木の鞭も入って、ぐんっともう1度!これが先頭至上主義ッ!太陽が(くだ)ってなるものかと差し返す!意地のぶつかり合い激しい攻防だ残り100メートル!サンかハーツかサンかハーツか!?」

 

マイサン(俺の息子)よ、マイサン(俺の太陽)よ。

誰よりも眩しい、お前。

眩しすぎて、視界が滲んでしまう。

 

頑張れ、マイサン。

 

頑張れ──ッ!!

 

「2頭横並びのゴールイン!リュベール、芝木ともにガッツポーズを見せているが果たしてどうなるか……!?写真判定が行われます。どうか皆様、しばらくお待ちください」

 

ドッと力が抜けて、崩れそうになるのを必死に耐える。

まだ結果は出ていない。

出ていないけれど、胸の中はすでにいっぱいだった。

 

走っていた。

マイサンが、サンジェニュインが、あの、期待されていなかった馬が!

本当に走っていた。

夢なんかじゃない。

画面越しに確かに鼓動を感じた。

鳴り響く、勝利へとひたむきに走っていた、美しい鼓動が。

 

「結果はまだ出ません。時間がかかっているようで……はい、えっ、ああ、はい。はい、失礼いたしました。只今手元の情報によりますと、写真判定のやり直しが行われているとのことです。現時点で2度、やり直しとなっており、現在行われているのは3度目ですね。ちょっとね、スローにしてもなかなか解らなかったので、細かく細かく見ているのだと思います」

 

部屋の中がどよめいた。

写真判定を3度もやり直すなんて。

いったいどれほどの接戦だったのだろうか。

見ている側にはもはやどっちが勝ったかわからなかった。

同じだけの熱量でゴールに飛び込んだ、白と鹿毛の馬体。

 

ただこれだけはわかる。

例えどちらが勝っても、会場に響くのは拍手だけ。

 

「3度目で決着がついたようです。いま、結果がでました!ナドアルシバ競馬場の鮮やかな照明に照らされて、大スクリーンに映し出されたガッツポーズ── リュベール騎手だ!ハーツクライ、ハーツクライが勝ちました!走破タイムは2分27秒とコンマ55秒!レコードタイムです!やった、やったぞハーツクライ!この異国の大地で、初のGⅠタイトルを、コースレコードでものにしました……ッ!」

 

視界の端で、ひとりの男が泣き崩れていくのが見えた。

溢れ出る涙を拭うこともできず、男は、元町さんは泣き続ける。

ハーツクライ、ハーツクライと、愛息子の名前を呼んで。

 

俺は、言葉もなかった。

サンジェニュインが負けたからではない。

今、スクリーンに映る横顔が、あんまりだったから。

涙がぽつり、と流れた。

泣くつもりはなかった。

こんなタイミングで泣いたら、悔しさ以外になにがある?

違う、悔しいけれど、その涙ではない。

これは、これは。

 

「サンジェニュインは──……ああ、サンジェニュイン、顔が下を向いています。うなだれています。鞍上芝木がぽんぽん、ぽんぽんと首を叩きますが……昨年の5月末、ダービー以来の敗北です。ディープインパクト以外に負けたことはありませんでした。負ける度よく泣く、勝ち負けを理解している賢い馬です。今日も……っいいや、泣いていない、今、顔が上がりましたサンジェニュイン、泣いていません。涙はありません。悔しい思いはあるでしょう、しかし泣かずにいる。エライ、エライぞサンジェニュイン。テレビの前の皆さんもどうか褒めてやってください。泣かなくてエライ、エライ」

 

違う。

違う、そんなの。

エライなんて、違う。

 

ちっともエラくない。

どうして泣かないんだ、サンジェニュイン。

どうして耐えてるんだ、どうしてそんなに── 強くハミを食んでいるんだ。

光の射さない横側に落ちる影だけが、今、サンジェニュインに寄り添っていた。

 

「負けはしましたがサンジェニュイン、まだ4歳。まだ海外レース初戦。まだまだこれからの馬です。タイム差無し、ハナ差2センチ2着。写真判定を合計3回、やり直した末の勝敗です。それほど激しい競り合いだったのです。それを制したハーツクライはもちろん素晴らしい馬ですが、最後まで失速することなく戦い続けたサンジェニュインも、十分素晴らしい馬と言えるでしょう。今レースは黒星となりましたが、続くガネー賞への期待も花丸満点」

 

そんなおきれいな言葉でまとめないでくれ。

サンジェニュインの顔が見えないのか。

あんなに、傷ついた顔を。

 

「大津くん」

「……あんな顔、初めてみましたよ」

「顔?」

「ズタズタに傷ついてました。涙も流せずに……」

 

心が折れたと言われた、あのダービーのあとだってあんな顔はしていなかった。

ああ、マイサン。

お前はきっと、誰よりも真剣にこのレースに挑んだんだろう。

だから許せないか、敗北した自分が。

認められないか、泣きわめくことを。

誰もお前を責めたりなど、しないのに。

 

「大津さん」

 

す、と手が差し出された。

節くれ立った、牧場で長年働いてきたのが解る、太い指。

元町さんはまだ涙を流したまま、俺の前にいた。

 

「サンジェニュインは素晴らしい馬です」

 

負けた馬を褒めるなんて、お世辞か、軋轢をなくすためか、嫌味か。

でもこれは、そんなものではない。

ただ柔らかい、真実を内包していた。

 

「たった2センチだったとしても、そんなわずかな差だったとしても、サンジェニュインに競り勝てたこと。それはハーツクライの生涯の誉れになります」

 

そう言って、元町さんは頭を下げた。

 

「強い馬を作ってくれて、ありがとう」

 

こんなの、嫌味だって言われて、胸ぐらを掴まれたっておかしくない。

俺の息子は負けたんだぞ。

それに対して、強い馬を作ってくれてありがとう、なんて。

馬鹿にしているのか、からかっているか。

でも違うのだろう。

深く、深く下げられた頭が、身体が震えている。

床を見ると、ぽつりぽつりと涙が落ちていた。

 

「……ハーツクライは、本当に、強い馬ですね」

 

嫌味ではなかった。

心から、そう思ったのだ。

 

ハーツクライは、強い馬だ。

サンジェニュインの大逃げに対して、どこまでも食らいついて、最後。

自分の誇りを賭けて突っ込んできた。

人馬共に、勝利への執着が強く見える一戦だった。

有馬記念ではサンジェニュインの執着が、そして今回はハーツクライの執着が。

相手よりも先にゴールに飛び込んだのだ。

 

その差、わずか、2センチ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

14頭の馬が私の横を通り過ぎていった。

彼らが冷たく薄暗い通路の向こう側に消えると、それを見計らったように、白い馬体がするりと私の、私たち(・・・)の前に現れた。

馬体からはうっすらと湯気が上っている。

日が沈んで寒さが増してきたからか、ゆらゆらと上るソレを横目に、私は、その馬の顔を見て驚いた。

まばたきすることもなく、前を向いていた。固い表情だった。

その顔に触れて、さらに驚いた。

目の周りが濡れていなかった。さらりとして、胴体には汗が見えるだけ。

 

── 泣かなかったのね、サンちゃん

 

そう喉まで迫り上がってきて、結局言わなかった。

サンちゃんは、サンジェニュインはどこまでも前を、前だけを見ていたから。

 

「サンジェ」

 

通路の中頃で、サンちゃんの鞍上から芝木さんが降りた。

薄暗いところを進んで、周りには私たちの他に、誰もいなかった。

 

「サンジェ」

 

落ち着いた声だった。

けど、その手の力は強く、サンちゃんの顔をぐっと持ち上げると、視線を合わせるように角度を変えた。

 

「やせ我慢がそんなにエライか」

 

凜とした声に言葉が乗ると、うっすらと雪が積もったような、冷たさを感じる。

 

「泣かなかったことを誇らしく思っているか」

 

鋭く、鋭く。

 

「悲壮感に浸って、自分を慰めるのは気持ちが良いか」

 

ハッ、と小さく、嘲るような笑いが漏れる。

サンちゃんは、怒りの籠もった瞳で芝木さんを睨み付けていた。

 

「よく聞け、サンジェ」

 

芝木さんの厳しい声を、私も、サンちゃんも、今日、初めて聞いた。

 

「涙は弱者の証なんかじゃあない」

 

厳しく、棘のような声色とは真逆に、サンちゃんを撫でる手は優しい。

 

「涙は、それだけお前がレースに真剣だったから。それだけお前がレースに向き合っていたから。感情が生まれて、渦巻いて、仕方が無いんだ」

 

芝木さんはそこで言葉を句切って、次を探すように、小さく口を動かした。

 

「お前が涙を流すのは、きっと、次を見るために必要なことなんだよ」

 

せき止めていた栓が外れたように、芝木さんから言葉があふれた。

 

「我慢なんかするな。感情をせき止めるな。いいんだよ、泣いて。泣いていい。ここにいる誰ひとり、涙を流すお前を“弱虫”なんて思わない。“泣き虫”とも思わない。お前はひといちばい、レースに真面目で、真っ直ぐで、正直で……それを誰より、知っているから」

 

震える声が、愛の証明。

 

「泣け、サンジェ。枯れるまで、覚悟が決まるまで、何度だって泣け!」

 

芝木さんがそう言うと、サンちゃんは小さく震えて、やがてその胸に顔を押しつけた。

 

「ひぃん」

 

耳を澄ませてようやく、聞き取れるほどか細い嘶きを、サンちゃんは何度も繰り返した。

その目からあふれる大粒の涙は、まるで「負けてごめん」と言っているようで、私も思わずサンちゃんに手を伸ばした。

濡れた背を撫でる。

テキも、タオル片手にその身体に手を添えて、口を開いた。

 

「お前は何も悪くないぞ、サンジェ。悪いことなんてなんにもない。なんにもないから、謝るんじゃない。今回は、ただ、ただ……ああ、ハーツクライは強かったなあ」

 

テキがそう言うと、サンちゃんは小さく頷いた。

ハーツクライは強かった。

あの2センチを生み出すほど。

確かにサンちゃんを捉えて、差し切った。

サンちゃんは、並大抵の馬に負けるような調教はされていない。

油断もなかった。

状態も完璧だった。

サンちゃん自身のやる気も、これ以上ないくらいに満ちていた。

それでも負けた。

ハーツクライが全身から醸し出した、勝利への執着を前にして。

テキがゆっくり、サンジェニュインの横っ腹を撫でながら、言い聞かせるように言った。

 

「お前も強かった。人馬ともに、よく頑張った」

 

よく頑張った、よく頑張ったよ、サンちゃん。

日本の馬場よりも固くなってしまった場所(ここ)で、懸命に4つ脚を回していた。

痛かったよね。

よく晴れた日の、栗東のターフで走った後でさえ、馬房に戻れば寝転んでマッサージを強請ってきた。

揉み込んでやると、気持ちよさそうに目を細める。

それくらい、パンパンになった馬場で走る時、サンちゃんは痛い思いをしていた。

サンちゃんの1歩はあまりにも重いから、踏み込む度に芯に響いたはずだ。

それなのに、それに対して文句も言わずに走りきってくれた。

 

「サンジェ、サンジェニュイン。お前ほど、調教師(おや)孝行な馬もいないよ」

 

か細い嘶きが、2度、3度。

一瞬の静寂を挟んで、再び歩き出したサンちゃんの目に、涙はなかった。




次回、ドバイミーティング、ラスト!

※ Google翻訳を使用して英文打ちました!!!! ※

※作中に登場するクラブの持ち馬を選ぶ方法は完全な創作です。実際にそのような方法で選ばれているわけではありません※

登場人馬

※馬たちの今レースでの実際の戦績を調べて見ると美貌馬世界との違いで楽しくなるのでよければ調べてみてください※

ユートピアさん 牡6
史実では4馬身差で勝ってるよ!

ハーツクライさん 牡5
有馬記念でサンジェニュインに負けたのでこれが初のGⅠになったよ!
コースレコードだ!
ヒト好きのわりには厩舎では厩務員に過激なじゃれ方をするよ!

カネヒキリくん 牡4
夏バテだよ!
スキンシップの多い、夢のような数日だったね!

サンジェニュイン 牡4
前半と後半で落差が激しいよ!

大津(おおつ)拓光(たくみ) ヒト族 男
パパだよ!!(ちがう)
子供の表情は画面越しでもわかる、パパだから

元町(もとまち)さん ヒト族 男
人情の元町とはこのヒトのことだよ!

吉里(よしざと)勝馬(かずま) ヒト族 男
エライヒト族だよ!基本的にはやさしいおっちゃん!

サンジェニュイン陣営(ヒト族のみなさん)
次回いっぱい登場するよ

完全素人ニキの愛馬名アンケート

  • サニードリームデイ
  • サンシカカタン
  • タイヨウノムスコ
  • タイヨウハノボル
  • ブライトサニーデイ
  • ラブディアホワイト
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