【完】これは圧倒的美貌で凱旋門賞馬になる俺の話 作:SunGenuin(佐藤)
これは圧倒的美貌で凱旋門賞馬になる、
2024年10月。
海外に残した俺の産駒がウン回目の凱旋門賞2着に落ち着いたのを見守った、その翌日のことだった。
「さあ、お前の好きなものを選んでごらん、サンジェニュイン」
そう俺に言ったのは、俺が繋養されている社来スタリオンステーション、並びに所属する社来グループの代表・吉里さんだ。
そして俺の目の前に並べられているのは3枚の紙。
促されるままにソレを覗き込むと、白っぽい髪の毛をしたバインボインな少女のイラストが描いてあった。
『なんだ、これ』
思わず首を傾げ、周りを見回したのだが、吉里さんはニコニコ、俺の厩務員たちは苦笑い、そのほかの黒服のおじさんたちはハラハラ、と言った具合で、誰一人俺を助けてくれそうなヒトはいなかった。
俺は四方八方からガン見されながら、そもそもどうしてこうなったか、状況を整理するために思い出すことにした。
事の始まりは、たぶん2016年。
俺の牝馬の産駒・アイシテルサニーが無敗の三冠牝馬になった年。
この同年3月、俺はカネヒキリくんと一緒に、発表されたばかりのウマ娘のイラストを見ていた。
そのイラストには、おそらくカネヒキリくんやヴァーミリアン、ディープインパクトと思わしきウマ娘はいたのだが、なんと俺っぽいウマ娘はいなかった。
なんでや!こちとら凱旋門賞制覇してるんやぞ!と抗議したい気分。
だが厩務員たちの話によると、カネヒキリくんたちがウマ娘化するのを社来グループのお偉いさんは知らなかったらしく、上に下にてんやわんや。
シャイゲに抗議が入ったとかで、予定されていたカネヒキリくんたちの実装はいったん白紙に戻ったようだった。
そんなゴタゴタが起きたのは夏だったのだが、その時期の俺といえば、カネヒキリくんを虹の向こう側まで見送ったばかりで、その精神的ショックからまだ立ち直れていなかった。
前みたいに放牧地を駆け回れるようになれたのは、カネヒキリくんが旅立ってから1年が経った頃。
つまりは、2017年に入ってからだ。
2017年にはカネヒキリくんの初年度産駒たちから数頭が種牡馬入りした。
その中には、カネヒキリくんがアメリカに残し、2015年のケンタッキーダービーとBCクラシックを制した牡馬・Hart Of Imagining の姿も。
Hart Of Imagining── 通称ハートくんは、アメリカにある大きな牧場で種牡馬入りしていて、向こうでとても大事に扱われているようだ。
社来側はハートくんにカネヒキリくんの後継種牡馬としての活躍を期待しているらしく、この年は期間限定で社来スタリオンステーションに滞在していた。
それも1頭だけでなく、俺の娘・Shining Top Lady── シャトーと一緒に。
俺は日本での生活に不慣れな2頭の世話や、ほかにも種牡馬入りしてきた俺の産駒の面倒をみたりで毎日がてんやわんや。
落ち込んでる場合じゃねえ!ってことで、早々に立ち直ることを余儀なくされた。
そんな風にせっせと
その黒服どもはシャイゲというゲーム会社の社員たちで、話の内容はウマ娘への馬名などの使用について。
ゲームは全年齢向けだー、とか、一方的に悪役を作るような真似はしません、だとか、いろいろとシャイゲ側も必死だったようだけど、実装したいと思っているディープインパクトや俺がまだ存命で、しかも現役の種牡馬、ということで牧場の代表は渋っているらしい。
なんでも種牡馬としてのブランドイメージがどうとかで。
ちなみに情報源は厩務員たちだ。
馬が話を理解できないと思ってペラペラ喋りすぎである。
まあ聞いても言う相手なんていないけどな!……目黒さん以外に!
それからシャイゲの社員たちは数ヶ月ほど粘っていたらしいが、結果として俺もディープインパクトもカネヒキリくんたちも、誰一人としてウマ娘にならずに話は流れた。
そしてこの話は俺の中でもあっさりと記憶の隅においやられた。
というのも、ウオッカとの産駒であるタニノサニーロックが、この年のジャパンカップを制覇したのだ。
俺は喜びのあまりヘドバンを繰り返し、少しだけ首を痛めて説教された。
また、この年末に、ヴァーミリアンが種牡馬を引退してノータンファームに移ることが決定。
ヒト族が思っていたよりも産駒たちが走らなかったようで、これからは乗馬として生活することになるらしい。
馬運車に乗り込むヴァーミリアンに、俺はノータンファームで乗馬になっている息子・サンサンドリーマーをよろしく頼む、と叫んだ。
別に寂しかったけど掛ける言葉が思いつかなかったとかそう言うわけではない。
ヴァーミリアンは俺の言葉に一瞬だけ目を丸くすると、元気な声色で「俺様がしっかり面倒見てやるよ!」とテンション高く旅立った。
産駒でいちばん臆病だったサンサンドリーマーが、果たしてヴァーミリアンと仲良くやれるだろうか、と少し不安にもなったが、後日、元気良く追いかけっこをしていた2頭を見てとりあえず大丈夫だと思うことにした。ウン。
2018年にはアニメ版ウマ娘が放送スタート。
厩務員たちが「ウマ娘ってアニメは奇妙だけど面白い」と話題にしていて、徐々に人気になっているようだ。
俺は「そらお前ら、スペちゃん主人公で最高の物語だからな!」と内心ドヤ顔。
このウマ娘人気が後押しになったのか、いろんな牧場や引退競走馬を預かっている牧場に見学の依頼が殺到しているらしい、というのも厩務員たちの噂話で知った。
ウマ娘がにわかに盛り上がる中、俺の産駒であるサンサンプリンスが皐月賞、菊花賞を制して二冠馬になった。
和芝適性の低い俺の血の影響か、産駒たちは日本のクラシックにはあまり縁が無かったのだが、このサンサンプリンスの皐月賞制覇が、俺の牡馬産駒で初のクラシック勝ちだ。
俺は喜びのあまり三日三晩騒ぎ、りんごを没収された。
この年もシャイゲからウマ娘化についてプレゼンが行われたようだが、俺もディープインパクトもウマ娘にはならなかった。
アニメが放送されて1年後の2019年。
この年も俺もディープインパクトもカネヒキリくんたちも、誰一人としてウマ娘にはならなかった。
産駒でいちばん勢いに乗っていた息子のサンサンプリンスが事故で亡くなり、またしばらく塞ぎ込んでいたが、去年と変わらず種付けをして、子供たちの面倒を見て。
徐々にいつも通りの日々に戻ろうとしていた。
そんな夏の日に、ディープインパクトはあっさりと虹の向こうへと旅立った。
厩務員たちが「ディープインパクトが骨折した」と話題にしていたので、まさか……とは思っていたが、なかなか辛いものがある。
現役時代はライバルとして競り合った仲だが、種牡馬としては放牧地が隣同士の、いわばご近所さんのようなもので、長く一緒に過ごしてきた。
いろいろ思うこともあるし、複雑な気持ちもあるけど、だからといって死んでくれと思ったことは1度もない。
骨折が良くなるよう祈ったし、手術もしたと聞いたから安心していたのに。
どうやらダメだったらしい。
今日にも安楽死させる予定だと聞いて、俺は放牧に出される隙を突いて厩務員たちを振り切り、ディープインパクトの厩舎まで走った。
ディープインパクトの厩務員たちは驚いた様子だったが、俺が無理矢理覗き込もうとすると、諦めたように中に入れてくれた。
馬房の中で横たわるディープインパクトはかなり苦しそうで、正直、目を逸らしたいほど見ていて辛い。
でもディープインパクトは俺の姿を見ると、どこか安心したように微笑んだ。
『ああ、やっぱり……最期まで一緒だったな、サンジェニュイン』
それが、ディープインパクトが俺に遺した言葉だった。
俺はとうとう、1頭だけになった。
2020年には流行病の影響で海外での種付けはなし。
俺は久々に国内だけで過ごすことになった。
ディープインパクトが虹の向こうへと行ったことで、そのポジションを埋める種牡馬としての活躍も期待されているのだろう。
例年以上の種付け数を熟してくったくたになりながら、俺は、ディープインパクトの息子が無敗三冠馬になるところを見届けた。
俺の娘であるサンサンパフェーはその息子にズタボロにされたが、ディープインパクトでさえ達成できなかった無敗三冠にたどり着いた、コントレイルのことは素直に祝福しているし、スゴイとも思っている。
残念に思うことがあるとすれば、ほぼ毎年のように一緒にクラシックを観戦していたディープインパクトが、今この場にいないということだ。
でもきっと、ディープインパクトのやつも虹の向こう側で喜んでいるだろう。
この年も俺はウマ娘にはならなかったが、大きな事件が起きることもなく、平穏な1年だった。
そして2021年。
アニメ版ウマ娘2期が大きな盛り上がりを見せていた。
厩務員たちは毎週のようにアニメを見て感想を言い合っているし。
俺の馬房前には俺用のテレビも設置されているんだから、これでアニメを見させて欲しいわ。
まあ盛り上がっているのはアニメだけじゃなくて、その放送中にリリースされたアプリ版ウマ娘もまた、一大ブームになっていた。
うちの厩務員たちもアプリ版で遊んでいるらしく、ゲームに不慣れなやつでもある程度はできますよね、と好評のようだ。
意外なことに芝木くんもウマ娘をプレイしているようで、1ヶ月に1度くらいの頻度で俺のところに顔を見せては、俺にガチャを引かせてくれたり遊んでいるところを見せてくれる。
ちなみに目黒さんもウマ娘をプレイしているようなのだが、俺が実装されていないってことでそこまでやりこんでいないらしい。
お前が実装されたら毎日でも遊ぶんだがな、と目黒さんがうれしいことを言ってくれたので、俺も早く俺がウマ娘として実装されないか祈った。
でも今年も俺はウマ娘にならなかった。
2022年は驚くことが起きた。
なんとオルフェーヴルが実装された。
オルフェーヴルは今、俺の隣の放牧地にいる馬だ。
ディープインパクトが虹の向こう側へ行った後に移動になった。
俺をガン見してくる以外は大人しい馬で、馬主は俺と同じサイレンスレーシングクラブ。
生産だって社来グループだ。
つまりガッチガチの社来系なのだが、俺やディープインパクト、カネヒキリくんたちが実装されていないなか、何故か後輩であるオルフェーヴルが先に実装された。
ええ……なんで……?と思ったが、もしやこれは俺が実装されるフラグではないか、と思ってワクワクした。
だがこの年も俺はウマ娘にならなかった。
なんでだよ。
厩務員たちは「凱旋門賞とって、産駒もバンバン活躍してて……下手なことできない馬だからじゃないか」と噂している。
この時点で俺はすでに2頭の凱旋門賞馬を送り出していた。
でもどっちも俺とは違う毛色で、今でも白毛の凱旋門賞馬は俺ただ1頭だ。
産駒が活躍しないのもマズいようだが、活躍しすぎても一周回ってダメらしい。
どうして……!
明けて2023年は、後に「社来ショック」と呼ばれるような出来事が起きた。
この年に新規に実装されたウマ娘がすべて、社来系の馬をモデルにしていたからだ。
カネヒキリくん、ヴァーミリアン、ラインクラフトちゃん、シーザリオちゃん。
全頭ノータンファーム生産で、2002年産まれ。
しかもみんな俺の併せ馬フレンズ。
これはさすがに俺の実装フラグだろ、と思ったが、またしても俺はウマ娘にはならなかった。
2024年には若干の諦めムードが漂っていた。
ハーツクライさんとその息子であるジャスタウェイが実装されたけど、いやもう無理だろ……と思い始めていたのだ。
なぜならウマ娘がリリースされてから約3年。
なんなら企画発表から数えるとゆうに8年が経過していた。
それまで多くのフラグが積み上がっていたが、すべてバッキバキに折れている。
俺ってばもしかして永遠に実装されないのでは?
産駒たちがバンバン実装されているにも拘わらず、未だに実装されない父馬・サンデーサイレンスと同じ扱いなのではないか?
と、俺が涙に暮れている同年の11月に、彼等はやってきた。
黒いスーツをビシッと着こなしたシャイゲの一団は、俺のキャラデザやシナリオ資料などを大量に抱きかかえていた。
8年目の正直ですよ、とかなりイレ込んでいる様子。
一息つけると良いのですが、と思っていたのもつかの間、それからほぼ毎日、時間の許す限りプレゼンをしていくシャイゲの社員たち。
ドン引きする厩務員を横目にプレゼンし続ける、その熱意に代表は押され、最終的には俺の実装を許可することにした。
しかしそれにはいくつかの条件があったらしく、そのうちのひとつが、今、この状況そのものってワケ。
『つまり、この中から俺の好きなキャラデザを決めろ、ってことなんだよなあ』
シャイゲが持ってきたキャラデザは3パターン。
どれも甲乙つけがたいほど素晴らしいイラストで、シャイゲ内ではどのデザインにするか揉めに揉めたらしい。
最終的にうちの代表に決めてもらおう、とすべてのキャラデザや資料を持ってきてくれたらしいのだが、代表はどれが実装されても文句はない、ということでなかなか決まらず。
それどころか代表は、実装許可は出すからその3枚のうちどれがいいか俺本人── つまり馬に決めてもらう、ということを条件に組み込んだ。
とんでもねえ役目を押しつけやがったな!
俺は盛大に嘶きたい気持ちを抑え、床に並べられたキャラデザを覗き込んだ。
1枚目は「超ロングヘアでお姫様みたいな見た目」の俺。
2枚目はこれまた「超ロングヘアでふりふりのロリータ服を着た、見た目もロリっぽい」俺。
そして最後の3枚目が「顎下くらいの髪の長さで、一部分だけフリフリしてたけど、かなりシンプルな見た目」の俺だ。
この中だったら「シンプルな俺」一択だった。
ちょっと勝負服がぴちぴちだったり、生足魅惑な状態だったり、胸元が総レースでかなりきわどい見た目だったのはこの際目をつむる。
カネヒキリくんの衣装だって胸元バーンッ!なミニスカポリスっぽい勝負服だったわけだし、多少のお色気はね!
サービスサービスゥ!!
ということで、俺はドシンプルだけどちょっぴりセクシーな俺のイラストが描かれた紙を咥えた。
その瞬間、たぶんそのキャラデザを推していただろう、シャイゲの社員が「いよっしゃあ!」とバカデカい声で叫んだので、ビビって放馬した。
馬の耳ナメんな!音がデカいと自分の意思に反して逃げちゃうんだぞ!
なんやかんやで俺のキャラデザも決まり、それからはとんとん拍子で声優オーディションが開催され、つい先日には俺の声も決まった。
時の流れはやすぎぃ!
ところであの後知ったことなのだが、ウマ娘の俺は身長が175センチもある高身長ガールらしい。
オッスどもにケツを追われてきた俺をロリ系ではなくちゃんと高身長にするなんて……シャイゲわかってるう!
声もきっとクールな感じに違いねえや!
2年くらい前にあいさつに来てくれたカネヒキリくんの声優さんは、ちょっと中性的でクールな声の持ち主だったな。
俺もあんな感じにかっちょい声がいいなあ。
ちなみにカネヒキリくんの声優さんがあいさつに来たのは、俺がカネヒキリくんの親友だと思っているから、らしい。
俺がカネヒキリくんの親友って解釈、花丸満点です!
「サンジェニュイン、お客さんやで~」
俺はカネヒキリくんの親友、カネヒキリくんは俺の親友、そこになんの違いがある?と1頭で遊んでいると、馬房の扉が開いた。
俺を馬房から出した厩務員の名はリキ、性は目黒。
そう、俺が現役の競走馬だった頃の厩務員だった目黒さんの甥っ子だ。
どうやら俺が楽しみにしていたお客さんが来たようだな!
1億年と2千年前から待ってたぞ!
フンフン、と鼻を鳴らし、リキに手綱を引かれるまま歩く。
そうしてしばらくすると、俺の進路に少女の姿が見えた。
彼女の年齢は15歳くらいだと聞いてはいた。
聞いてはいたが、想像していた「15歳」よりさらに若く見えたので驚いた。
ちょっと童顔なのかな?
あどけない、かわいらしい顔立ちを引き立てるように身につけられた「白」は、俺に会うのを意識してくれたからだろうか?
そうだったらちょっとうれしい。
ファンサしちゃうぞ!
ほれリキ、はよ行くぞ!と歩き出す。
「へえ、お母様がサンジェニュインのファンだったんですか」
「は、はい!2005年の有馬記念を中山競馬場で見たって何度も──」
「お話中すみません!おまたせしました、こちらがサンジェニュインです」
「おぉあっ!?……あ、は、は、はじめまして!」
明らかに緊張した面持ちで少女が頭を下げる。
その動作に連動するように── 白い髪が揺れた。
それは夏の暑さを引きずる、10月のことだった。
「どうですか、先生」
心配そうな声でそう獣医師に聞く甥に、俺も固唾を飲んで獣医師の返事を待った。
獣医師は深刻そうな表情を浮かべると首を横に振り、そして言いづらそうに口を開く。
「かなりつらそうですよ。もしかしたら……今夜が峠かもしれないな」
「そんな……!なんとか、なんとかなりませんか!?」
獣医師に縋りつく甥を横目に見て、俺は、多くの厩務員に支えられてようやく立てている、白い馬に視線を向けた。
白い馬── サンジェニュインは、丸く美しい瞳で俺を見つめ返しては、荒く息を吐いていた。
かつて放牧地を自由に駆け回っていた、美しく雄大な姿はそこにない。
ただ苦しそうな顔で鼻を鳴らし、それでもまっすぐと顔を上げていた。
レース以外ではどんな時でも決して首を下げない、そんな姿に、サンジェニュインの矜持が見て取れた。
「サンジェニュイン」
名前を呼んで近づくと、ふるるん、と甘えたような鳴き声が響く。
その声に甥は「緊張感のないやつや」などと脱力したような顔をしたが、俺の耳には「心配するな、大丈夫だから」と言っているように聞こえた。
どこまでも気丈で我慢強い。
そしてとても頑固なサンジェニュインの性格に、現役時代どれほど困ったことか。
どんなときでも全力で走るサンジェニュインの姿を思い出して、俺は内心で小さく笑った。
それと同時に、彼の隠しきれない疲労を見て、それをどうすることもできない自分自身に酷く腹がたった。
「……先生、今夜が峠っていうと、明日の朝はどうしても無理ですかね」
「えっ?」
サンジェニュインを撫でながらそう切り出した俺に、獣医師は怪訝そうな顔をした。
「今日はこいつ、大事な日なんですよ」
そう言って再びサンジェニュインの首のあたりを撫でると、まるで同意するようにサンジェニュインが再び嘶いた。
今日は2025年10月5日。
フランス、パリロンシャン競馬場で凱旋門賞が開催される日。
そしてその凱旋門賞には、サンジェニュイン産駒のサントゥナイトが出走する。
これまでにもすでに2頭の凱旋門賞馬を輩出しているサンジェニュインだが、いずれも白毛ではない。
片方が青鹿毛で、片方が栗毛だった。
白毛の産駒も何頭も凱旋門賞に挑戦しているが、シルバータイムがマークした2着のように、どうしても最後の壁を越えられずに敗れている。
ここ数年は「サンジェニュインの白毛の産駒は凱旋門賞を勝てないんじゃないか」などと噂されるようになった。
そんな中で、今日出走するサントゥナイトは白毛。
2歳のホープフルステークスを勝ち上がってクラシックに駒を進めると、皐月賞と東京優駿では3着。
菊花賞には進まずに天皇賞・秋を選び、そこではゴールドシップ産駒ゴールドプライドの2着と好走した。
今年のドバイシーマクラシックや宝塚記念を制して凱旋門賞に挑む、日本が誇る名馬だ。
それまで青色のメンコを着用していたが、今日はサンジェニュインのメンコをつけて出走する。
その鞍上には、サンジェニュインの主戦だった芝木真白騎手が騎乗する。
管理調教師も本原先生で、担当厩務員は近藤さんだから、いろんな意味であの日の再現のような馬だ。
生産が社来ファーム・
見た目とか、厩舎が一緒とか、それだけで勝てるほど甘いレースではないのに。
サンサンファイトがサンジェニュイン産駒として初の東京優駿制覇を果たしたことが、サントゥナイトへの期待が高まった要因でもあるのだろうけど。
あと10時間もすればレースが始まる。
ここまで保てていることが奇跡だと言われた、サンジェニュインが踏ん張っている理由はきっと、その凱旋門賞が見たいから。
「コイツはね、きっと、
俺の言葉に、獣医師は戸惑いの表情を見せた。
しかしそれを無視するように、俺はサンジェニュインから手を離し、獣医師に頭を下げて願う。
「どうか夜明けまででかまいません。サンジェニュインに息子の晴れ姿を見せてやりたい。かつて自分も駆け抜けた大地を、息子が走る姿を。……せめてそれを、冥途の土産に持たせてやりたい。だからどうか、どうか」
お願いします、と何度も頭を下げると、周りにいた厩務員たちも次々と頭を下げた。
どうかお願いします。
あと少しでいい。
あと少しでいいから、サンジェニュインに見せてやりたい。
息子が精いっぱい走りぬく、その瞬間を。
こいつはきっと、それを待っているだけだから。
「わかり、ました。……確約はできませんが、できる限りのことはします」
獣医師がそう言う、サンジェニュインが大きく嘶いた。
それはきっと、「ありがとう」という意味だった。
《 さあ間もなく、間もなく始まろうとしています、2025年第104回凱旋門賞。ここ、フランスはパリロンシャン競馬場は、人馬の烟るような闘志を覆い隠すように華やかに、煌びやかに。これが人馬の社交界、凱旋門賞の会場です 》
日本時間10月5日23時。
不思議なほど晴れ渡ったロンシャンの空は、目も覚めるような青色だった。
俺は他の厩務員と同じように両手でサンジェニュインを支えながら、その視線がまっすぐと大画面に注がれていることを確認した。
サンジェニュインが種牡馬入りした年に初めて送ったテレビは、これでもう何代目か。
技術の進化により本物さながらに映るようになったディスプレイの、その向こう側の景色をサンジェニュインが覚えているのだとしたら。
少しだけうるんだ瞳の意味はきっと、懐かしさに違いない。
《 今年も日本からは2頭の馬が参戦します。1頭目はサントゥナイト。ドバイシーマクラシック、宝塚記念を制しました。まっすぐに伸びるその大逃げは、このパリロンシャンのターフにいったいどんな軌跡を残してくれるでしょうか。父は「美貌の凱旋門賞馬」サンジェニュイン。史上2頭目の白毛の凱旋門賞馬を目指して、サントゥナイト、その鞍上には芝木真白騎手が乗っています。2頭目はゴールドフィール。尾花栗毛、その金の鬣が風に揺れて光ります。父オルフェーヴルは凱旋門賞2着まで迫った、日本競馬史上6頭目の三冠馬。偉大なる父さえ未達成の栄光を目指して、天皇賞・春そしてフォワ賞を勝ち上がったその末脚を見せて欲しいです》
サントゥナイトの他に凱旋門賞に出走する日本馬・ゴールドフィールは、今年の皐月賞でサンサンファイトに競り勝ったレッドリヴェンジャーの半兄。
父オルフェーヴル譲りの持続性のある闘志と、小回りの利く小さな馬体の持ち主だ。
この馬を相手に、サントゥナイトは天皇賞・春で敗北していた。
しかもゴール後に追いかけ回されていて、サントゥナイトが萎縮していないか……と思ったが、杞憂のようだ。
「見えるか、サンジェニュイン。サントゥナイトが立派な顔つきをしているぞ」
俺の言葉に反応するように、サンジェニュインは小さく鼻を鳴らした。
そして再び画面に集中するように、2つの耳をハッキリと前に向けた。
《 さあ全頭ゲートイン完了、体制準備よし。第104回凱旋門賞── スタートしました! 》
その声と同時に、サンジェニュインの脚が1度だけ、強く寝藁を蹴った。
まるで当時のレースを思い出したかのような、タイミングの良い蹴り出しに笑いが漏れる。
「……お前、まだ走りたかったのか」
そう言葉をつなげると、サンジェニュインは拗ねたように「ブモモ」と鳴いた。
《 全頭キレイな飛び出しです!7頭立てと例年よりさらに少ない頭数での104回目の凱旋門賞。頭数が少ないからこそ、1頭1頭の力量を見ることができます。ハナを奪った7番サントゥナイト、大外を回りながらもぐんぐん、後続に6馬身、7馬身、8馬身のリードを取ります。それを追走するのは2番エリアライト、2馬身差の位置に4番シグナルスキーがついていますが徐々にスピードを落としている、後方から競馬を進めたいようです。そこから1馬身離れてレイセイレーン、差がなくステラクラリウス、オールライラックは少し内にヨレたか体勢持ち直してステラクラリウスから3馬身差の位置、シンガリは1番ゴールドフィールですが、この選択は正解か、鞍上・福沢、策はあるのか気になる流れです 》
姿勢を低く保って勢いよく飛び出す姿は、現役時代のサンジェニュインの走り方にとてもよく似ていた。
さすが親子というべきだろうか。
いや、サンジェニュイン産駒は往々にして似たような走り方をする。
血のなせる技か、それとも別の何かがあるか。
気になることではあるが、きっと今は関係の無い話だ。
それよりも。
「お前と一緒に暮らしていたころは、よくほかの牡馬に近寄っては追いかけまわされ、逃げ回っていたのに……サントゥナイトは強くなったな」
記憶の中にあるのは、産駒のなかで誰よりも父であるサンジェニュインにべったりと張り付いていた、甘えん坊のサントゥナイト。
当歳の10月から1歳の6月までの8か月の間もサンジェニュインと共に過ごしていた。
牡馬に対する警戒心が異常に高いサンジェニュインとは異なり、好奇心の赴くままにほかの馬に絡むサントゥナイトは、ほかの産駒よりも気の抜けた性質のようだった。
サンジェニュイン、お前は育成牧場に送り出すギリギリまで、いつまでも緊張感のない息子のことを心配していたな。
まるで初めて離乳する母馬のように、馬運車に乗せられていくサントゥナイトを見つめては大きな声で嘶いていた。
その声の意味はきっと「大丈夫か」という心配だっただろう。
「仔の成長はあっという間だな、サンジェニュイン」
まったくだ、と言いたげにサンジェニュインが鼻を鳴らす。
パリロンシャン競馬場のターフを駆けるサントゥナイトは、誰よりも先頭を目指して力強く大地を蹴り上げていた。
腑抜けた表情はなく、真剣に、ただまっすぐに。
鞭も入らない状態で懸命に脚を回して、目指すは優駿の門。
父・サンジェニュインが踏みしめた、栄光の向こう側。
どん、と蹴り上げた大地から悲鳴が聞こえるくらい、強く、強く前へと進む。
その輝きを、サンジェニュインはじっと見つめていた。
《 さあ間もなく最後の直線だ!先頭は7番サントゥナイト!サントゥナイトすごい脚!まったく他馬を寄せ付けない!半馬身差でこれを追うのはパリ大賞典の覇者レイセイレーン、その外に2番エリアライトが追走すると2馬身差の位置にステラ、ステラクラリウスがここで上がってエリアライトを抜いた!レイセイレーンに並んで狙うかサントゥナイトまでまだ7馬身差あるぞ!後方グループはシグナルスキーが引っ張る形か、ッいや、やや緩やかな流れから中段ゴールドフィールがオールライラックを抜き去って上がる!ここから全頭一気に仕掛けてくるか!? 》
残り600メートル。
最後のコーナーを回りきって、残るは直線だけ。
目を閉じたくなるほど眩しい、パリロンシャンのあの一本道。
……ああ、サンジェニュイン。
一瞬だけ目を細めたお前には、どんな光が見えたのか。
《 最後の直線、光射す場所、ここを……ッ昇る!昇る昇るサントゥナイト!その額に太陽のマークを光らせて!狙うは頂点ただひとつ!魅せるその大逃げは!太陽一族のプライドだ──ッ!! 》
実況者が叫ぶ。
栄光への道を叫ぶ。
射し込む太陽の光を浴びて、その馬体が帯びる金色の輝き。
1歩踏み出すごとにその輝きは増して、そして、ターフを満たすだろう。
《 残り400メートル!サントゥナイト一人旅!これを追い込む他馬は……ゴールドフィール、ゴールドフィールだ1番ゴールドフィール大外からここで一気に切り込んできたッ!父はオルフェーヴルだここで父の無念を晴らせるか大きく伸びる!差し込む!ッしかし!しかししかしだサントゥナイトは強いぞ!先頭サントゥナイト変わらず突き進んで、眼前にあるのはゴールのみッ! 》
追い込む他馬を置き去りに、その影は遠のく。
光だけを残して、遠のく。
《ラスト1ハロン200メートル!ゴールドフィールその内からシグナルスキー、シグナルスキー粘るがやはりこの馬!この馬だサントゥナイト!》
ひぃん、と小さな嘶きが聞こえた。
征け、と叫びだしたような、そんな嘶きが。
そうして歓声に掻き消されてなお、消えない声がサントゥナイトの背中を押すだろう。
力強く、力強く。
《── どこまでも駆け征く、白毛の伝説は!!太陽の父から、騎士の息子へ!!》
目に焼き付けよう。
《これが血の証明だサントゥナイト!父子の栄光、ここに極まれり──……ッ!!》
お前じゃない白さが満たした、パリロンシャンのターフを、ただ、忘れずにいよう。
《 見てるか親父──ッ!!息子がやったぞ──ッ!! 》
響く大歓声は、サンジェニュイン、お前の耳にも届いているか。
「ひぃん」
その、嘶きは。
「ひぃん」
小さく零れた、その嘶きは。
「ひぃん……っ」
うれしい、と。
よかった、と。
おめでとう、と。
それから、それから。
「ッサンジェニュイン!」
厩務員たちで支えていた、その馬体が大きく震え出す。
そして耐えきれなくなったのか、ぱたりとその場に倒れた。
「サンジェ……!」
時が止まったように動かなかった厩務員たちが、わっと周りを取り囲んだ。
そしてその白い馬体を摩って、何度か立ち上がらせようとする。
でも本当は、みんな、わかっていた。
もう無理だと、わかっていた。
「……この瞬間を待っていたのか、サンジェニュイン」
浅く息をするサンジェニュインは、ちらりとだけ俺を見た。
言葉もないそんな仕草が、俺には「そうだよ」と返事をしているように聞こえて、自然と目が熱くなった。
そうか、待っていたのか。
ずっとずっと、お前だけが抱えていた栄光を、託す宛てを。
遺さずには逝けないと思ったのだろう。
たった1頭だけで掲げてきた、伝説を。
重すぎるソレを抱えて今日まで、ずっと、俺たちの期待に、愛に、応え続けたんだな。
── でももう、大丈夫。
テレビの向こう側では拍手喝采が響き続けている。
2006年にサンジェニュインが初めて制して以降、再び硬く閉ざされてしまった優駿の門。
それを再び開いた、サントゥナイトへの賞賛の声に包まれて、サンジェニュインはゆっくりと瞬きをした。
そのたびにポロポロとこぼれ落ちる涙は── さよならの合図。
周りの厩務員がつられたように泣き出した。
陰鬱と悲しみに満ちた空間で、俺は口を開く。
「ありがとう」
さよならを言うつもりは毛頭なかった。
「ありがとう」
祝福の大歓声の中で相応しい言葉なんて、ただありがとうだけでいい。
「ありがとう、サンジェニュイン」
ひとつ、言う度にサンジェニュインは瞬きをした。
それでいいよ、と俺に同意するように。
俺はその場に膝をついて、寝藁に沈むサンジェニュインの顔を持ち上げた。
そして抱きしめると、バレないように一粒だけ涙を流して、言葉を重ねる。
「ありがとう、ありがとうサンジェニュイン」
どくん、どくん、とサンジェニュインの全身が脈を打つ。
生命が躍動する。
ひとつ、ひとつ。
どくん、と鳴るたびに思い出が蘇って、俺の目をさらに熱くした。
そしてそれは、俺だけじゃない。
「ありがとう、サンジェ」
「サンジェニュイン、よく頑張ったな」
「ありがとうね、サンジェニュイン」
「ありがとう、お疲れ様、サンジェ」
それぞれがサンジェニュインとの日々を思い出しているだろう。
俺は、2003年の秋、サンジェニュインを迎えに行った日を。
初めて走った日を、倒れた日、駆け抜けた日、涙した日、笑った日を、思い出してはありがとうに変える。
鳴り止まない拍手を後押しに、歌のようにあふれるたった5文字だけを聞かせたかった。
お前はこんなに愛されている。
こんなに多くの人間に思われている。
最初から、最期まで。
「ありがとう」
サンジェニュインは、ゆっくりと、本当にゆっくりと瞬きをした。
そして硬く閉じた瞳が開くことはなく、その身体から力が抜ける。
俺はぎゅっと、ぎゅっとサンジェニュインを抱きしめた。
最後に、どくん、と脈打って、それから、それから。
ころん、と傾いた、その横顔は──
「……お前は、最高の馬だよ、サンジェニュイン」
愛に満ちる。
この世のあらゆるものよりも強い、血という絆
(38.約束 ─ 2006年8月22日インターナショナルS から)
次回、ウマ娘回で最終回。
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