【完】これは圧倒的美貌で凱旋門賞馬になる俺の話   作:SunGenuin(佐藤)

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感想&ブクマ&評価&誤字脱字報告、サンクスサンクス~~!!!!

前に募集したアンケートの「大百科風」です。
有馬記念前で!

8/8 追記
スマホ版で上手く表示できてなかったみたいなので1部修正しました。
夜間モードだと上手く表示できないもよう……お手数ですが夜間モードOFFでご覧ください!

リンク踏めないって言われたので踏めるようにしました(棒読み)
PC版とSP(スマホ)版のどちらにも対応したので下部にある動画が重複していますがご了承ください(棒読み)

08/31 内容を追加
09/04 内容を追加
09/20 内容を追加
10/09 内容を追加(記事内容を追加、レイアウト一部修正、上に戻るリンク追加、産駒情報を外部に変更、PC版のみ上部の「概要 > 競走成績 > ・・・」にリンク)
10/26 全体的に加筆修正
11/02 全体的に加筆修正


番外編 本編読後推奨:11/05 更新
サンジェニュイン ─ 大百科(夜間モード非推奨)


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サンジェニュイン      

サンジェニュイン _単語_
88

サンジェニュイン
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サンジェニュイン _単語_

サンジェニュイン

 

いいね(88)

優しく(114514pt)

・・・

その他

 

惜敗で泣く度、お前は強くなった

瞳から零れる涙は力に変わり、お前の道を照らす

その眩しさは、世界の頂点へ

 

いままでも、これからも

 

『 伝説だけを照らして征け 』

 

── その光の中に、希望がある

 

─ ヒーロー列伝コレクション 第63回(2006年制作)

 

サンジェニュインとは、2002年生まれの日本の元競走馬、現種牡馬。日本調教馬初、そして世界初の白毛の凱旋門賞馬。「太陽馬」または「美しき逃亡者」と称される。2007年顕彰馬に選出された。

現在は社来スタリオンステーションを本拠地として、欧米でも種付けを行っている。

2828動画では「やたら○○に好かれる○○シリーズ」の元ネタとしても有名。

やたら牡馬に好かれる牡馬シリーズ

 

サンジェニュインとその産駒についてはこちら

太陽の一族(競走馬)

 

サンジェニュイン(ウマ娘)についてはこちら

サンジェニュイン(ウマ娘)

 

主な勝ち鞍

2005年:牡馬クラシック二冠[皐月賞(GⅠ)、菊花賞(GⅠ)]、有馬記念(GⅠ)

2006年:凱旋門賞(仏GⅠ)、ガネー賞(仏GⅠ)、サンクルー大賞典(仏GⅠ)、KGVI&QES(英GⅠ)、インターナショナルS(英GⅠ)

 

 概要


父:サンデーサイレンス

母:ピュアレディー

同血統に皐月賞馬・ジェニュインがいる。

同馬の競走馬名:サンジェニュインは、このジェニュインから連想されている。

 

父は言わずと知れた大種牡馬で、母は未勝利・・・どころか未出走であり、配合の1年前まで個人が所有するペット的な存在だった。それがなぜ繁殖に上がったのかと言えば、全姉のクルーピアレディーが産んだジェニュインが皐月賞馬になったから。

成長スピードの早い馬同士を掛け合わせて、2歳戦線から活躍する競走馬を作ることを目的とした配合のもよう(2014年「サンジェニュイン ─ 運命の馬」p.114)

ただしピュアレディーの出産が2ヶ月以上遅れ、7月2日の夏生まれだったことからデビューがズレることになる。

生産した社来ファーム・陽来(あききた)は元々個人所有の牧場(旧・陽来牧場)だったのを、経営難から2000年に社来グループに買い叩かれた吸収された。

 

同馬は、吸収後に誕生した仔馬であり、同年はこの1頭のみの生産である。

所有は社来グループのひとつサイレンスレーシングで、募集価格は2000万円(1口50万/40口)

同世代のヴァーミリアン(2400万円)、ペールギュント(6000万円)、ローゼンクロイツ(6000万円)と比べると安価だが、その総獲得賞金は12億円以上にもおよび、一口馬主ウハウハである。

 


 

 

 2003年 1歳


同年の秋に栗東トレーニングセンター・本原佳己厩舎に入厩。

7月生まれのためこの時点で1歳2ヶ月ほどだったが、馬体重は既に500kgほどあったもよう。当時のnatkeiba.com に大柄の1歳馬が入厩した記事が上がっている(2019年現在削除されている)

 

サンジェニュインは社来の育成牧場を経由せず、陽来にあるリハビリ施設等を使用して育成が進められた。非常に従順な性格で、馬具の装着、引き運動、ゲート訓練なども嫌がらず、スムーズに育成が行われたようだ(凱旋門賞馬の歩み p.29)

ただ前述の通り、陽来唯一の仔馬だったサンジェニュインは人慣れ、ならぬ馬慣れしておらず、牧場スタッフの最たる懸念事項は「同族相手に上手くやれるか」であった。

入厩してから初めて同年代の馬たちと顔を合わせることになったのだが・・・後述するエピソードにもある通り、サンジェニュインは非常に同性馬に好かれるため、馬の多い時間帯に調教場所に連れて行くと必ず絡まれていたらしい。

絡まれ方については後述のエピソードを参照されたし。

 

サンジェニュインの父・サンデーサイレンスは気性が荒いことで知られており、他の産駒も手が掛かる馬が多かったため、管理する本原厩舎のスタッフたちはかなり気を揉んだという。だが実際に厩舎にやってきたのは、少々甘えたがりではあるものの、非常に物わかりのいい馬だったため安心したとか。

調教時も苦労話はほとんどなく、あったことと言えば牡馬に追いかけ回されて放馬したくらい(十分な苦労話では?)

ちなみにこの当時の併せ馬の相手は、のちに「砂の支配者」と呼ばれることになるカネヒキリ

2頭は同じレースで走ったことはないが大変仲が良く、お互いの姿を見ると立ち止まっては長時間見つめ合ったまま動かなくなってしまうとか。初の海外遠征となったドバイへも、カネヒキリと共に向かっている。

これは現役引退後の2頭だが、現役時代のエピソードも紹介されているので参考にどぞ。

[ゆりかごから墓場まで]カネヒキリハッピーラブラブライフ

 


 

 

 2004年 2歳


陽来での評判の通り、性格も従順で、騎乗馴致もゲート入りも嫌がらないサンジェニュインの調教は順調に進められた。この頃になると、6月、7月の新馬戦に出走させる話も出てきたが、同馬が7月産まれであることを考慮して、秋以降にデビューさせることが決まった。

当初は新潟1800メートルで走らせる予定だったが、3本坂路で使ってもバテないため、これは距離がある方が好走する、と睨んだ本原師は、渋るサイレンスレーシングを説得して、2000メートル以上の新馬戦で使うことを決定した。サイレンスレーシング側としては、2歳戦線から活躍する馬を作るための配合だったわけなので、渋るのもまあ仕方ない。同血統のジェニュインがマイラーだったこともあり、2歳GⅠの花形・朝日杯フューチャリティーステークスへ出走させたかったそう。

 

だが結果として、本原師のこの決断はのちのサンジェニュインの競走馬生活に大きく影響を与えることとなる、あの馬との出会いに繋がった。

 

スケジュールの兼ね合いから、2004年12月19日の阪神競馬場5Rでデビュー。

鞍上は後の主戦騎手となる本原厩舎所属(当時、現フリー)で騎手歴2年目のド新人・芝木真白(当時20歳)が務めた。

この芝木騎手だが、父は開業医、母も看護師で2人いる兄も医療従事者という見事な医者家系だったため、当然のように医学部進学を望まれ、騎手になることは反対されていたらしい。

だがそれらを振り切って憧れの騎手への道を歩み、夢を叶えた。

ちなみにこの男、街に繰り出せば芸能事務所からスカウトされるほど顔が良い。それだけでなく英語、フランス語、イタリア語などの語学にも精通し、なんと歌も上手い。コイツは逆になんだったらできないんだ?シバキシネー

 

俺たちの敵芝木騎手を背負って乗り込んだ阪神競馬場。

当日の調子は非常に良く、最終の調教タイムも非常に良かったため当然1番人気・・・ではなく、2番人気。

このレースで白毛馬であるサンジェニュインよりも注目を浴びていたのは、当時の社来グループがゴリッゴリに宣伝していた期待の良血馬・ディープインパクトであった。

オッズ1.1倍の1番人気。これで負けたら大ブーイングでしかないレベルで押されていた。

実況アナウンサーが「1番、1番、1番人気」と繰り返すほどのヤバさである。

もはやディープインパクト1強という空気の中できられたスタート。

先行するディープインパクトに全頭ちぎられるだろうな・・・と誰もが思ったその時、サンジェニュインが抜群の出だしをキメてハナを取ると大逃げし、1番人気のディープインパクトは後方につける展開。

場内は騒然。

 

まさか1番人気でシンガリ負けとか・・・ないですよね!?(馬券おじさん)

 

そのまま直線までぶっちぎり、場内がにわかに「サンジェくっそ強くね?逃げ切っちゃうんじゃね?」という雰囲気になりかけていたところ、ゴリ押しだけが1番人気の理由ではなかったのか、終盤も終盤で末脚を爆発させたディープインパクトに追いつかれ、最後は横並びでゴールイン。

観客からするとどっちが勝ったか一目では判断できないレベルの接戦だった。

結果としてハナ差8cmでディープインパクトが先着。

これは重賞レースか?と錯覚するほどの熱戦を繰り広げた2頭に、早漏気の早いファンは「クラシックはこの2頭だな!」と大はしゃぎ。

だがそれも、すぐに困惑の声に変わった。

 

え?あれなに?

 

何故かまだ走り続けるサンジェニュインと、それを追う馬たちで勝手に第2レースが始まっていたのだ。

そう、所謂「本番レース」がこれである。

[高画質]2004年12月19日本番レース

 

この追いかけっこのあと、サンジェニュインは負けた悔しさからか、走り疲れたからか、ぼたぼた泣きながら帰厩したんだそう。

これが公式の場で初めてファンが見た「泣き顔」であった。

 


 

 2005年 3歳 クラシックシーズン


負けた悔しさを晴らすように、1月23日の小倉3Rの3歳未勝利戦2000m に出走したサンジェニュインは、ここでとんでもないタイムを出す。

 

1:58.0

 

競馬おじ「はえ……?」

 

ちなみに出したレコードはレースレコードではなくコースレコード。

前回レコードはGⅢの小倉記念で出たレコードである。うっそだろお前。

この勢いそのままに2月12日、小倉10Rあすなろ賞(1勝クラス/500万以下)で2着馬に10馬身差つけて圧勝した。

 

中央で走った白毛馬といえば、サンジェニュインと同じサンデーサイレンス産駒・シラユキヒメなどがいたが、いずれも未勝利で終わっている。このサンジェニュインの勝利が、日本競馬史上初の快挙であり、白毛の馬がコースレコードを出すのも初めて。そもそもオープン馬になるのも初である。

初尽くしかよ。新年じゃないんだぞ。

毎年数千頭生まれる馬の中で白毛が希少とはいえ、たった1頭で初を連発しすぎ。

 

陣営はこの勢いのままクラシック戦線に殴り込もうと、続く3月6日の報知杯弥生賞へ出走を決定。

前走の若駒ステークスでも好走を魅せたディープインパクトとの再会、前年の最優秀2歳牡馬に選出されたマイネルレコルト、京成杯勝ち馬のアドマイヤジャパンらが揃っている中で、サンジェニュインはディープインパクトにつぐ2番人気に推された。

このレースでは隣ゲートのニシノドコマデモが立ち上がった影響でサンジェニュインが出遅れ、中段からのスタートとなったものの第3コーナーからハナを奪う展開。

終盤でディープインパクトに追いつかれ、またしてもハナ差3cm と惜敗したが、地力の高さを見せることはできた。

レースの内容からディープインパクトともどもクラシックシーズンを盛り上げるだろうと期待もされた。

 

ただこのゴール後、サンジェニュインは一時的な心停止状態となり倒れてしまう

歓声に沸いた場内は、一瞬にしてお通夜の空気になった。

[閲覧注意]2005年弥生賞のトラブル

 

こんな良いところで予後不良かよ、とファンが悲しみに暮れていた同日の夜、管理する本原厩舎から「無事回復し、競走能力にも問題ない」とする声明が発表された。

心停止状態になった際に、直前で芝木騎手が綱を引いたらしく、顔面からいって首を折るという惨事を避けられたのがよかったのか、目立った怪我もなし。グッジョブシバキ。

ただし、当初予定していたスプリングステークスを回避することに。

そのまま皐月賞へと向かうこととなった。

 

クラシックシーズン

弥生賞でのぶっ倒れの影響なのか、鞍上が芝木からベテランの柴畑にチェンジ。

若手の芝木からクラシック勝ちの機会を奪うのか、とノブオミおじさんにキレちらかす競馬おじ(ノブオミシネー)も発生したが、クラブ、芝木、ノブオミおじさんの3者間で何度も話し合った末の決断なので、ただ馬券を握っているだけの俺たちにキレる権利などないのである。

余談だがノブオミおじさん曰く「きちんと乗せて貰えるまで3週間くらいかかった」とか。

サンジェニュインは乗り替わりに敏感な馬だった模様。

 

第65回皐月賞

弥生でぶっ倒れて以来の出走だったので、馬場入りしただけで大歓声と拍手を浴びることに。2番人気ではあったもののオッズ差はほぼなし。レースが始まると、 いつもと変わらずハナを取って進み、第2コーナーカーブでふらつきを見せたもののペースを落とさずに先頭をキープ。2着馬に常に2馬身リードする。第4コーナーをまわったところでディープインパクトに追い込まれ、差し競り合いの末に同着となった。GⅠで同着優勝が出るのはコレが初。ちなみにこのレースのあと、第2レース余力があるのか走り続けていたサンジェニュインが、側にディープインパクトがいたことにビビって腰を抜かす場面が見られる。その後も側にピタッとディープインパクトが張り付いて離れず、結局2頭ともに勝利会見を開くことになった。

 

第72回東京優駿

引き続き鞍上は柴畑。これもハナを奪って突き進むと、内に沿いながらもコーナーをなんとか回り、4馬身差で第3コーナーを回りきる。ここでいつもなら終盤の直線まで馬群に留まっているはずのディープインパクトが上がってきて、2頭並んだ状態から、いったんはディープインパクトに3馬身差を付けられる。しかし同馬はここで驚異の追い上げを見せ再びディープインパクトに並ぶと、2頭揃ってゴールインした。写真判定は十数分続き、結果として1cm差。ディープインパクトが勝った。これに関しては後述の通り、JRAに複数抗議文が届けられるなど、1cm差の先着がどちらであったかは当時かなり議論された。

 

第66回菊花賞

初の稍重となった前走・第53回神戸新聞杯、鞍上が芝木に戻った影響か、序盤から1000m 57秒台の圧倒的な逃げ足を見せつけ、ディープインパクトに初の黒星を刻んだサンジェニュインは、その勢いのまま菊花賞に出走。ここでも3000m競走なのに前半1000m 58秒台のあたおかタイムで走ると、2周目の第3コーナーまで2番手集団に10馬身付ける大逃げ。坂路を駆け上がると疲れたのか一瞬速度が落ち、コレを見逃さなかったディープインパクトの鞍上、竹騎手が猛追を仕掛けて一度並ばれる。しかし終盤でさらに加速(!?)したサンジェニュインが差を広げて優勝した。これが初のGⅠ単独勝利であり、世界初の白毛のGⅠ馬の誕生となった。

 

終わってみればディープインパクトが皐月賞と日本ダービーを、サンジェニュインが皐月賞と菊花賞を勝ち、2頭の二冠馬が誕生という結果になった。

※変則二冠→皐月賞、NHK杯、またはNHK杯、日本ダービー、桜花賞→日本ダービーなどの組み合わせとは異なる

 

いや、同年に2頭も二冠馬がいるって・・・そうはならんやろ

なっとるやろがい!!!!

 

ちなみに菊花賞でサンジェニュインが出した「3:02.0」は芝3000m のワールドレコードである。

 

なんだあ・・・この馬・・・。

 


 

 

 2005年 3歳 有馬記念


秋に入ってから2戦2勝のため、同馬は「秋から本格化した」と言われるようになった。

メディアでも取り上げられてしばらくチヤホヤされていたが、当時のサンジェニュインのファンは未だに神戸新聞杯で勝った後のメディアの対応を恨んでるとかいないとか。競馬系のメディアはともかく一般紙の表題はどうにかしろ

この後、激走の反動が来たのか、獣医からストップが入り、2週間の休養をすることに。

予定していたジャパンカップを回避し、有馬記念に出走することが発表された。

 

2005年11月時点で国際競馬統括機関連盟から発表されたレーティングでは、3歳で3000mのワールドレコード更新なども評価され、122ポイントの18位タイ。そのサンジェニュインに東京優駿で競り勝ったディープインパクトが121ポイントで24位タイとなった。

 

有馬記念のファン投票では、中間発表までは2位、3位をいったりきたりしていたが、最終の結果発表ではディープインパクトを押さえての1位となった。これは菊花賞勝利後、世界初の白毛GⅠ勝ち馬であることが国内外のメディアで取り上げられて以降にできた、ライトなファンが多く投票した影響によるものと思われている。

最終的に獲得した有効票:160,411票

2位のディープインパクトとは114票差である。ここでも僅差で競り合うな。

 

迎えた12月25日。ハッピークリスマスである。競馬おじたちは家族とも友人とも恋人とも戯れず、さっむい中山にサンジェニュインというホワイトなクリスマスを求めてやってきた。

ファン投票1位で馬券人気も1位の1枠1番という、1が多すぎて逆に大コケしそうな中で、サンジェニュインはいつものようにパドック別周。馬番最終以外で番号通りパドックを回ったことがない馬はサンジェニュイン以外にはいないだろう。返し馬でもいつも通りディープインパクトを張り付けて、初対戦となる古馬のハーツクライにも絡まれつつゲートイン。

レースではこれまたいつも通りハナを切ってスタート、するかと思いきや、まさかの出遅れ。どうもゲートの中にいた時間が長かったため、集中力が切れてしまったもよう。ただし素早く反応したため、最内を突いて爆走し一気に先頭に躍り出た。出だしからスタミナを消費していたが、そんなもの構うかと差を広げに広げ、2番手とは一時11馬身差もついていた。このまま逃げ切り勝ちかと思われたが、差し追いから先行にレーススタイルを変更したハーツクライの猛追、後方から一気に仕掛けてきたディープインパクトと揉み合いになり、最終200mは3頭がたたき合う混戦状態となった。

 

走破タイムは2:29:1

 

前年のゼンノロブロイがマークしたレコードを更新した。なお、3頭同タイムであり、1着のサンジェニュインからハーツクライは1cm、そこからディープインパクトも1cmと、大接戦も大接戦である。

 

白毛のグランプリホースももちろん世界初。

国内外からの注目度は菊花賞勝利後の比ではなく高まり、新たな競馬ブームが到来しようとしていた。

 

というか到来した。

 

皐月賞と菊花賞の二冠を記念して作成されたぬいぐるみは競馬場内の売り場に出たその瞬間に完売。インターネット通販も即日完売。海外からも問い合わせがきて3度再販が行われた。

サンジェニュインの生産元の陽来もお手製のぬいぐるみを販売していたが、これも沖縄から北海道まで買いに行くというファンが現れるほど売れた。JRAも陽来も関係者もウハウハである。

有馬記念から明けて翌年すぐ、サンジェニュインの海外遠征が改めて発表されると連日ニュースになった。同行取材も多数申し込みがあったようだが、同馬のストレスを考えて一律でお断りされている。当然なんだよなあ。

 


 

 

 2006年 4歳 ドバイシーマクラシック


有馬記念後、陽来に2週間放牧に出されたのちに帰厩。

次走はドバイシーマクラシックとなり、有馬記念2着馬のハーツクライと早々の再戦となった。ちなみにディープインパクトは態勢立て直しのため国内戦に集中するらしく、ここで2頭はしばしの別れ。

 

3月17日、帯同馬であり同日のドバイワールドカップに出走するカネヒキリ、同レースに出走するハーツクライ、その帯同馬のユートピアを含めた10頭がドバイに発った。

主催が用意してくれたやたら豪華な厩舎に日本馬10頭が入厩。翌日から順次調教が再開された。

 

当時のドバイは朝と夜の寒暖差が激しい時期で、サンジェニュインを始めとした馬たちには馬着が着せられていた。濃紺色の馬着に身を包むハーツクライや、黒色の馬着のカネヒキリらに紛れてただ1頭、サンジェニュインだけ柄付き

スーツっぽい柄や、スーパーマン柄、チェック柄、水玉模様などなど。中には誰の趣味か判明していないがシマウマ柄や虹色、セーラー服柄など多数の馬着を日替わりで着せられていた。ただのファッションショーじゃねえか

現地メディアには大ウケで、サンジェニュインが調教場から引き上げると厩舎前にスタンバっている始末。一応日本側はご遠慮くださいと伝えていたようだが(JRA公式サイト2006年3月アーカイブ)、「近くじゃ無ければいいんでしょ?」と言いたげに遠くから三脚立てて撮りまくる行為に走った。違う、そうじゃない。

余談だが、この時サンジェニュインが着ていた馬着は富裕層に爆売れしたらしい。

馬界のファッションスター・サンジェニュイン爆誕である。

 

調教場では牡馬にケツを追われ、外に出ればマスコミにファッションの出来を採点されつつ迎えた3月25日。

ゴドルフィンマイルをユートピアが鮮やかな逃げ脚で勝ち切り、幸先いいなあ、と現地の関係者が陣営問わずニッコリ。続くドバイシーマクラシックへの期待も高まり、日本調教馬でワンツーフィニッシュを・・・と願う関係者であふれた。

はたして競馬の神がそれを聞き届けてくれたのか、ゲートが開くとお馴染みのスタートダッシュでハナを取ったサンジェニュインが爆走。ハーツクライもそれを追走し、レースでは終始3番手以下に3馬身以上つける展開に。サンジェニュインとハーツクライのスピードにつられた他馬がどんどんスタミナを落とす中、2頭は悠々と最終直線へと向かっていった。残り200mのところでハーツクライがサンジェニュインに並ぶと、アタマ差しクビ差しを繰り返し叩き合いながらゴールイン。

2頭の鞍上がどちらもガッツポーズを見せたが、3回もやり直しが行われた写真判定の末、ハーツクライが2cm先着していた。

サンジェニュインにとっては東京優駿以来の敗北。

頭を下げた姿がものすごく落ち込んでいるようにしか見えず、サンジェニュイン自体は泣いていなかったものの、見ているこちらが泣きそうなくらいだった。ハーツクライを含めた他馬が戻っていくのを見て最後にターフから去ったサンジェニュインだったが、観客たちは最後まで拍手を送り続けた(ハーツクライの一口馬主ブログ 3/25ドバイ遠征③)

 

負けてしまったものの、差はわずか2cmでタイム差なし。

 

悲観するような結果じゃないぜ!

 

とサイレンスレーシングからの発表もあり、引き続き海外遠征を行うことが再告知された。次走は4月30日開催のフランスGⅠ・ガネー賞。帰国せずドバイからそのままフランスに直行した。

 


 

 

 2006年 4歳 欧州遠征


欧州遠征は、当初の予定ではカネヒキリがドバイに引き続き帯同する予定となっていたが、ドバイワールドカップ制覇と引き換えに屈腱炎を発症。カネヒキリが帰国することになったため、1頭での遠征続行となった。

現地ではシャンティイ競馬場付近のトレセンにある国際厩舎に滞在。

イギリスからフランスに移ったパンジャンマックスを僚馬として調教に励んだ。

 

余談だがこのパンジャンマックス、サンジェニュインに非常に懐いていたようで、何かと同馬の真似事をしたがったんだそう。試しに条件戦で大逃げさせるとこれが上手くハマったので、同年8月6日のモーリスドギー賞(仏GⅠ)に出走させると4馬身差で圧勝。イギリス出身で名前が某珍兵器に似ていたことから、実況者らの間で「本当にアレがフランスに上陸しちゃったよ」とネタにされている。

ちなみにサンジェニュインに懐いていた理由は毛並みにあるようで、馬着で全身を隠すと近寄らなくなるらしい。パンジャンマックスの母・パンジャンドリーはかなり白っぽい葦毛で、母を懐かしんでいるのではないか、サンジェニュインを母だと思っているのでは無いかと現地スタッフは語っている(2006年8月7日フランスニュース)

さらに余談だが、このパンジャンマックスの半妹にあたるパンジャンベリーとサンジェニュインとの間に生まれた「Blanche Blanche」(牡/鹿毛)は、サンジェニュイン産駒で初の凱旋門賞父子制覇を成し遂げることになる(でも白毛じゃないから日本ではあんまり話題にならなかった)

 

フランスでいきなり子持ちになったサンジェニュインだが、4月中旬に芝木騎手と合流すると本格的に調教を開始した。

国内ではヨーロッパの馬場に適応できるか心配されていたが、管理する本原師は、

 

「何一つ心配する必要は無い」

「勝利を確信している」

「独走できる」

 

と断言。

「強気過ぎてフラグでは?」とネット民に心配されるレベルで強気の発言を繰り返しており、現地の一部の調教師から反感も買ってしまう。本当に大丈夫か本原佳己。

これで大コケしたら失禁じゃすまねえだろ、と思いながらも迎えた4月30日。

前日の大雨の影響で馬場は不良馬場寄りの重馬場。現地の競馬関係者すら「これは間違いなくスローなレースになる」(キリッ)と確信する中で、サンジェニュインは完璧なスタートダッシュを見せて大逃げ。

実況者がしつこいくらい「今日は重馬場」と繰り返すほど荒れた馬場だったはずが、良馬場並のペースでドンドン逃げる逃げる。というか1頭だけ良馬場なのでは?現地民は訝しんだ。

 

先頭を追うカメラにはサンジェニュイン以外の馬が映らないという、一種の放送事故を起こしたその着差は26馬身差

 

2025年8月現在も破られることのない大記録で、8着入線のニヤーオナーとのタイム差は6.1秒である。

こんな大差だがサンジェニュインには1度も鞭が入っていない状態であり、まさに「持ったまま」「馬の走りたいまま」やった結果と言えるだろう。鞍上の芝木はゴール後、後ろを振り返って誰もいないことに空笑いしか出なかったとコメント。

また強気の発言を繰り返していた本原師も「やれるとは思ってましたがここまでとは思ってなかったです」と青ざめていた。青ざめていいのは本原師を無能だとかサンジェニュインを駄馬だとか言ってた現地の調教師だけである。

勝ったのに驚きで青ざめるんじゃあない。

 

元々踏み込みがかなり深い馬で、神戸新聞杯やガネー賞のように重い馬場の方が良馬場(=軽い、固い馬場)よりも走りやすいタイプなんだそう。菊花賞後に重度の疲労状態になったのは、固い馬場を思いきり踏みしめながら爆走していた反動のようだ。

本当なら折れていてもおかしくないレベルなのに疲労程度で済んでるのがそもそもオカシイのだが、この馬に常識を求めるなという神の思し召しかもしれない。

 

フランス競馬史上初の白毛のGⅠ勝ち馬になった同馬は、レース前の本原師の強気の発言も相まって、フランスでの「有言実行の実力馬」としての立場を確立させた。

海外遠征のスケジュールの中にサンクルー大賞典への出走が含まれていたことから、同レースに出走を予定している前年の凱旋門賞馬・ハリケーンランとの直接対決が大きな注目を集めることに。

 

サンクルー大賞典は6月25日開催だが、検疫の都合もあって一時帰国が決定。

我が子僚馬・パンジャンマックスにしばしの別れを告げて5月2日に帰国した。

 

このガネー賞と同日に開催された第133回天皇賞(春)では、ディープインパクトが2着馬に5馬身差、走破タイム3:13.0 と芝3200m のレコードを更新した。これは2017年にキタサンブラックが走破タイム3:12.5 を出すまでの11年間も破られることのない大記録である。阪神大賞典での圧勝に続く勝利に、文字通り国内に敵無し!の強さを見せた。

 

2005年のクラシック二冠馬2頭が国内外で存在感を増して行くにつれ、一般人への競馬ブームもさらなる熱を帯びていた。その勢いはオグリキャップがもたらしたブームにも並び、同年のクラシックシーズンのテレビCMには、2頭のレースも組み込まれた。

詳しくは→

 

サンジェニュインのガネー賞、ディープインパクトの春天の勝利記念として制作された、2頭がくっついたぬいぐるみは再販に次ぐ再販で爆売れし、2頭の対戦レースを収めた写真集も爆売れ。JRAウハウハである。2005年4月から2006年4月までの1年間の売り上げは、オグリキャップが記録した売り上げを超し、歴代1位となった。

 

そうして人間たちの懐があったかくなる横で、サンジェニュインもご褒美として青森県産サンふじりんごを献上されご満悦。サンふじのイメージキャラクターにもなるなどちょっと大人の事情が見える

青森・努岬農場から太陽のふじリンゴ、ガネー賞のご褒美 – natdekeiba.com

 

サンジェニュインは国内の検疫厩舎に規定日数滞在したのち、社来ファーム・陽来に放牧に出される予定となっていたが、5月4日にとんでもないニュースが飛び込んできたことで、検疫厩舎での滞在日数が伸びることとなる。

サンジェニュインがゴンゴルドンへ移籍か、金銭トレードの打診 – natdekeiba.com

 

関係者の話によると2000万ドル、2006年当時の日本円にして約20億円がゴンゴルドンより提示されていた、とのことだが、実際に提示された額は120億近いことが判明している。

とても1頭の競走馬に出す金額ではない。

こんなの秒で売り飛ばすやろがい、と思ってしまいそうなところだが、サンジェニュインを所有するサイレンスレーシングクラブ、並びにその背後にいる社来グループはサンジェニュインが移籍することはない、と公表した。

それからまもなく、5月中旬には、「これからも変わらず日本調教馬として走らせ、秋には凱旋門賞に出走する」ことも正式に公表された。

120億なんだから売っちまえばいいのに、と思ってしまいそうだが、その後サンジェニュインが生み出した様々な経済効果を考えると、この時売らなかったのは大正解である。

 

5月末に栗東に帰厩したあと、交流のある居住厩舎の管理馬デルタブルースハットトリック、翌2007年の東京優駿を制する当時2歳のウオッカらを相手に調整が進められた。

同年秋からはサンジェニュインの影響で、半弟・アセンドトゥザサン(父・クロフネ)を始め、管理馬が増えることになるのだが、この時点ではサンジェニュイン以外の管理馬はいなかったため、居住厩舎が協力する形となった。

 

6月下旬、再びフランスへ遠征し、サンクルー大賞典へ出走。

このレースでは、心房細動で療養に入った同クラブ所有馬のヴァーミリアンのメンコをつけている。黒地に赤いクロスラインのメンコは白毛に似合いすぎ。

 

レースでは、ガネー賞にも出走していたプライドの鞍上、グラン・リュベールの奇策により、終盤ギリギリまで牝馬2頭に挟まれた状態で走ることに。

後日明らかになったことだが、サンジェニュインは牡馬のみならず牝馬も苦手だそうで、牝馬と一緒に走ると何故か本気で走れなくなるもよう。この悪癖を矯正するため、前年の東京優駿から併せ馬の相手は牝馬に限定して行ったらしい。牝馬まで苦手とかそれはもう馬が苦手ということでは?

サンジェニュインは挟まれたままだが先頭をキープ。しかしコーナーカーブを曲がるために大外に進出することができず、前走よりはかなり押さえて走ることを強いられていた。

これはかなりキツイのでは?と見ている側はハラハラしていたのが、終盤になってプレッシャーを掛けてくる2頭の隙をついて飛び出し、まだそんな力を隠してたんかい、言いたくなるような加速力で一気に他馬をちぎるちぎる。

逃がすか、と先頭3頭に張り付いていた4番手ハリケーンランもここで飛び出し、プライドと叩き合いながらサンジェニュインを猛追。だがそれらの追い込みを跳ね返し、5馬身リードを保ったまま逃げ勝った。

 

つ、強い・・・!

 

純粋に強くて見てるこっち側も絶句である。

 

なおこのレース後、神戸新聞杯以来の本番レースが開催され、ハリケーンランからケツタッチされている。レース動画を見るとハリケーンランのハリケーンな部分が立ち上がっているため、そういう状態らしい。やっぱりピンクフェロモンの元ネタはこの馬で間違いないようだな(確信)

後日、このケツタッチの影響かは不明だが、レース後の初回の調教を拒否って丸1日馬房に引きこもっていた模様。誰だって同性におっ起てられたまま追われたらストレスにもならあ!

 

ヒンヒン言いながらもヨーロッパ3戦目、キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス(現在はキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスだがあんま変わんねえな)に向けて調教を再開。

併せ馬の相手はハリケーンラン・・・ってもうちょっと本人(?)のストレスに配慮してくださいよ。

おそらくセクハラされながらの調教となっただろうが、これを熟して迎えた本番。同レースには、ドバイシーマクラシックで敗北したハーツクライ、ドバイワールドカップでカネヒキリの2着につけたエレクトロキューショニストなど国際GⅠでも活躍した経験のある馬たちが揃って出走し、レベルの高いレースが期待された。

あ、ちなみにこのレースにもハリケーンランが出走しており、パドックでサンジェニュインは絡まれていたし、同郷のハーツクライにも鬣を食われそうになっていた。

スタート前からストレスフル。

 

当日のレースは、英国女王陛下や、その孫王子殿下がレースを御覧になる影響なのか、普段競馬をみない層の人間ですら注目されていた。

ゲート入りギリギリまで絡まれてしんどそうだったサンジェニュインだが、いざレースが始まってみると、得意のスタートダッシュでハナを切って突き進み、下り坂がなんぼのぼんじゃい!と勢いよく走る走る。

開催場所であるアスコット競馬場のコーナーカーブはかなり急なことで知られていたため、コーナーカーブが苦手なサンジェニュインは、これを大外ギリギリまで持ち出して突破しようと外に向けて進出。だがトップスピードで曲がるにはやはりカーブが急すぎたようで、右前脚と右後脚が接触。

 

右後脚から出血が見えたが、そのまま先頭で走り続けた。

 

白毛のため血がかなり目立つ状態で、場内では軽い悲鳴まで上がったそう。

続く上り坂では出血の影響かスピードが落ちる場面も見られたが、2番手でサンジェニュインを追うハーツクライがやや掛かり気味に差を縮めると、追いつかれてなるものかとさらに加速するトンデモ技を見せつけた。

 

競馬おじ「なんでこの状態で加速できるんですか?」

本原厩舎「わからん・・・」

 

2番手争いで揉めまくっている3頭(ハーツクライ、ハリケーンラン、エレクトロキューショニスト)を背に、なおも爆走を続けるサンジェニュインは、ゴール前ラストの上り坂も力任せに昇りきり、6馬身差で勝ちきった。

 

このレースの授賞式では特別に出席が認められ、目黒さん(サンジェニュインの担当厩務員)に手綱を引かれながら登場。白い馬体が現れると、場内から大きな拍手が送られた。

授賞式では暴れることなく終始大人しくしていたサンジェニュインだったが、女王陛下のお出ましで跪く関係者たちにつられたのか一緒に頭を下げたり上げたり、近づいてきた女王陛下に頭を差し出したり(おそらく撫でて貰うため)、かなり自由に振る舞っていた。

この時の女王陛下のお召し物が白系だったこともあり、サンジェニュインを撫でている姿は絵画のような光景だった。これは翌日のイギリスの主な新聞紙の一面を飾った。「サンジェニュイン 女王」で検索するとこの時の写真がヒットする。「サンジェニュイン 犬」で検索しても同じ写真がヒットするのはなんででしょうね・・・。

 

余談だがこのキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス、長いのでKGVI&QESは後年「呪われたレース」と呼ばれることになる。

レース中のサンジェニュインの怪我もそうだが、出走したエレクトロキューショニストが翌月に死亡、2着のハリケーンランはこれ以降目立った活躍ができず、ハーツクライは喘鳴症を発症して同年のジャパンカップを最後に引退しているのだ。おそろしや・・・。

 

KGVI&QESでの勝利から数え、これで欧州レース3戦3勝。

続くインターナショナルSにも、もはや敵無し状態となったサンジェニュイン。怪我の影響もあるため欧州での拠点としていたフランス・シャンティイには戻らず、ニューマーケットに滞在することが決定した。

その間の調教相手を途中までハーツクライが務め、調整は滞りなく進められていた・・・開催2日前までは

 

現地時間8月20日の夜、インターナショナルSを控えて日本から取材に来ていた記者を相手に会見を開いていたサンジェニュイン陣営の元に、ある荷物が届けられた。

それは赤い手綱。

日本時間8月19日の朝に急性心不全で死亡したラインクラフトの形見である。

 

ラインクラフトは翌年に海外遠征が計画されていたため、せめて綱だけでも、という馬主の意向もあって、渡英が決まっていたJRA職員に託される形で運ばれた。

ラインクラフトはサンジェニュインのメインの併せ馬の相手。赤い手綱は見慣れたものなのか、それとも周囲の様子に何か察してしまったのか、この日からサンジェニュインは調子を大きく崩すことになる。

 

飼い葉食いは一気に悪くなり、調教にも身がはいらないまま迎えた8月22日。

その白い馬体から、汗などの情報が分りづらく、パドック評価が難しかったサンジェニュイン。しかしこの時は、首がガクッと下がっており、尻尾も下がっていた。

こんな状態でレースに出して良いのか、と誰もが不安視するなか、出だしはいつも通り引っかかることなくポーンッと飛び出てハナを切った。ただいつもより自棄っぱちなのか、鞍上・芝木とも折り合いがついていないことが丸わかりの状態で爆走を開始。

ヨーク競馬場のコースは全体的に緩やかで、コーナーカーブもかなりゆとりがあるため、暴走しながらではあるが大外を脚色良く進み続けていた。最初の1000mの時点で後続には8馬身差をつけ、レースはほぼ独走状態。しきりに横に顔を向けたり、何かを気にするような素振りを見せながらも、ゴールが近づくに連れてだんだんと冷静になっていったのか、最後は芝木とも折り合いをつけて伸びきると、ダメ押しとばかりに加速して12馬身差で逃げ切った。

終わってしまえば、「調子悪かったのにレース中に勝手に調子立て直して勝つ」という意味のわからない結果になった。

 

同レースに出走したNotnowcatoは前走エクリプスS(GⅠ)で2着、Dylan Thomasは同年の愛ダービー覇者と、国際GⅠ級が他に3頭もいたKGVI&QESに比べるといささか物足りないかもしれないが、相手馬が極端に低レベルだったわけではないので、より一層意味の分らない強さを見せつけることとなった。

なお、このレースを含めて引退するまでの間、ラインクラフトの赤い手綱をつけて走ることになり、この手綱は15年後、ライングッドデイ(ラインクラフトと同血統の牝馬・ハニーハントを母に持つサンジェニュイン産駒)に引き継がれる。

 

この勝利を持って、国内外GⅠの勝利数は、同着となった皐月賞を含めて7勝。

皇帝・シンボリルドルフの偉業に並ぶことになった。

 

次走となる凱旋門賞を制すれば、

 

「史上初の日本調教勝ち馬」

「史上初の白毛勝ち馬」

「GⅠ・8勝」

 

の伝説を築き上げることになるため、関係者のプレッシャーもハードルもガチガチに上がっていたことだろう。

この時、鞍上の芝木は22歳、騎手歴4年目での凱旋門賞出走になるため白目になってもおかしくないレベル。帰国の際、空港に押し寄せたファンの数がそれに拍車を掛けまくっていた。

ちなみにサンジェニュインは輸送機から降ろされてすぐに検疫厩舎に運ばれたため、ファンは一目見ることもできずに帰ることになった。

 


 

 

 2006年 4歳 凱旋門賞


8月25日に帰国したサンジェニュインは、そこから規定日数を検疫厩舎で過ごした後、陽来で着地検査と調教が進められた。

明けて9月下旬には、共に凱旋門賞に出走することが決まっていたディープインパクトと共に、再度検疫厩舎に入厩。

この時、サンジェニュインのストレス軽減のため、厩舎内の帯同馬として併せ馬の相手であり、同クラブ所属のヴァーミリアンがつけられた。馬房の配置は「ヴァーミリアン」「サンジェニュイン」「ディープインパクト」の順。

サイレンスレーシングクラブのブログから、両隣にガン見されながらこっちを見つめるサンジェニュインの画像が見られる。こっちみんな

 

凱旋門賞を数日後に控えた9月末、サンジェニュインはディープインパクトと共に飛行機に乗り込み、フランスへと出発。シャンティイでも隣り合う馬房で、調教時もお互いが相手になった。

ディープインパクトはこれが初の海外レースとなるが、日本では宝塚記念の後から2ヶ月ほど、サンジェニュインの生産元である社来ファーム・陽来に存在する、リハビリ用の洋芝コースで調教を積んでいる。

この洋芝コースは、当歳から1歳秋で本原厩舎に入厩するまでの間、サンジェニュインの初期育成に使用されたコースで、なんと坂まで存在する。その高低差は6m強と、日本最高の高低差とも言われる中山競馬場よりもハードなコースだ。

同じ洋芝でも、坂のない札幌競馬場や、高低差3mの函館競馬場とは異なり、スタミナ・パワーの2つを鍛えることのできる、いわば洋芝技巧者を育てるのに最適だった。

今まで和芝しか走ったことのないディープインパクトを、本人の才能もあったとは思うが、欧州馬と遜色ない競り合いをさせるほどには優れた調教場であることは間違いない。これを乳離れが済んですぐの頃から走っていたサンジェニュインが、洋芝であそこまで走れているのも納得である。

この洋芝コースは、後年、サニーメロンソーダ、オルフェーヴル、ジェンィルドンナ、タニノサニーロック、サンサンプリンスなど、サイレンスレーシングクラブ所有馬を中心に、海外戦への準備として使用されるようになった。

 

迎えた10月1日、凱旋門賞当日。

ガネー賞、サンクルー大賞典、キングジョージ、インターナショナルSと言った欧州主要GⅠを制したサンジェニュインの人気は、外国馬にも拘わらずこれ以上ないほど盛り上がっており、当日のオッズは1.1倍の1番人気に押されていた。

現地には多くの日本人ファンも訪れ、日本人専用の窓口まで用意されるほどの熱狂ぶりだった。

サンジェニュインに続く2番人気には、2.6倍でディープインパクトが推され、2.9倍のハリケーンランがそれに続いた。1番人気、2番人気を欧州以外の馬が獲得したのは、この2頭が初。

 

サンジェニュインがこれほどまでの人気を博したのは、外国馬でありながら欧州主要GⅠを制した実績はもちろん、その他馬の追随を許さない逃げ切り勝ちと、名は体を表すがごとく光り輝く白い馬体である。

日本国内だと「太陽 = 赤系」が多数派だが、欧州では「太陽 = 黄色系」が一般的であったため、日の光を浴びてうっすら黄色みが掛かるサンジェニュインは、日本以上に名前と見た目とがマッチしている印象になっていた。また、調教師や厩務員、騎手に懐く姿と、レース中に見せる隔絶した強さとのギャップがウケたとみられている。

 

当日のロンシャン競馬場は満員となり、競馬場の外にまで人が溢れ出すほどだった。

 

日本ではフジイテレビでの凱旋門賞の地上波生放送と、グリーンチャンネル内との2つの形式で中継された。それぞれコンテンツ内容が異なるため、聞き比べるのも一興。

2006年凱旋門賞実況比べ

 

本馬場入場では国内にいた時同様、真横にディープインパクトを張り付かせての登場。

あまりにも「いつもの」光景だったため、見ていた日本人競馬おじたちは目を擦ったことだろう。

なお張り付いていたのはディープインパクトだけでなく、KGVI&QES以来の再会となるハリケーンランや、その僚馬であるシロッコ、レイルリンクにも絡まれていた。それでも暴れずにいたのは、サンジェニュインなりの成長かもしれない。

 

現地時間17時35分にレースがスタート。

いつもと変わらずハナを取って突き進むサンジェニュインは、大外9番から真ん中まで進出。その位置を固定としたまま走ると、2番手にハリケーンランが追走。そのすぐ後ろについたのがディープインパクトだった。

 

競馬おじ「アイエエ!?ディープ!?ディープインパクトナンデエ!?」

 

後方から競馬がディープインパクトの標準だと思っていたので、これには実況者も俺たちもビックリ。たぶん芝木騎手もビックリ。3回振り返ってたからな・・・。

追い差しではなく好位追走の先行策をとったディープインパクトは、そのまま2頭に張り付いてレースを進めると、最初の直線600mを抜けたところでハリケーンランを躱して2番手に浮上。対するサンジェニュインは、ここでさらにペースを上げてディープインパクトを突き放しにかかった。

何時でも、何度でも加速できる脚、とは言っても自在すぎィ!と叫んだ騎手がいたとかいなかったとか。それなんてグラン・リュベール?

加速したまま2つ目のコーナーを回りきったあと、残るは直線のみ。まだ加速できるぞと言わんばかりにさらにスピードを上げたサンジェニュインの後を追って、ディープインパクトもさらに脚を伸ばす。

残り2ハロンのところでレイルリンクがディープインパクトの半馬身差にまで迫るも、ディープインパクトが2番手を守り切ったままサンジェニュインに並び、ここで2頭の競り合いがヒートアップ。

ラスト200メートルはサンジェニュイン、ディープインパクト、そしてまだ粘る3歳馬レイルリンクの叩き合いに発展。抜かし、抜かれての攻防の末、サンジェニュインが逃げ切り勝ちを収めた。

 

フジイテレビ実況

「抜けた抜けた、サンジェニュインが抜けた!」

「フランスロンシャンの空に咲く、これが無敵の太陽馬!」

 

グリーンチャンネル実況

「抜きん出てただ1頭!天翔る馬サンジェニュイン!圧勝!」

「見よフランス、世界、これが、これが諦めないと言うことだ!」

 

白毛の凱旋門賞馬は史上初。

欧州以外の勝ち馬も史上初。

日本調教馬としても史上初。

そして日本調教馬として初のGⅠ勝利数・8勝へと至った。

 

授賞式では、KGVI&QES同様サンジェニュインの出席が認められ、馬主の横で大人しく待つ、まるで絵画のような姿が話題になった。時々鼻をヒクつかせたり、耳を動かす以外ではほぼ身動ぎ一つせず、騎手や厩務員の動きに合わせてお辞儀するなど、その穏やかな気性と従順さも合わせて全世界にお出しすることに。

翌日の欧州各国の新聞では「美貌の凱旋門賞馬」などの見出しでニュースになった。

 

この勝利を持って欧州レース5戦5勝を達成したサンジェニュインは、翌月11月15日(フランス現地時間)に発表された第16回カルティエ賞にて、日本調教馬として初のカルティエ賞年度代表馬に選出された。

 

2006年度の勝ち鞍が、

・ガネー賞

・サンクルー大賞典

・KGVI&QES

・インターナショナルS

・凱旋門賞

と、欧州を代表するGⅠレースを5勝していることから、総獲得レースポイント、ならびに記者の投票が集中したことが選出の理由とみられる。

また、対抗馬と目されていたウィジャボードが、

・プリンスオブウェールズS

・ナッソーS

・BCフィリー&メアターフ

のGⅠ・3勝に留まっていたことも、サンジェニュインのカルティエ賞年度代表馬受賞を後押ししたと思われる。

年度代表馬を逃した形になったウィジャボードだが、最優秀古馬賞は受賞した。

 


 

 

 2006年 4歳 有馬記念


10月4日午前7時頃、ディープインパクトと共に成田空港に到着。

競馬学校の検疫厩舎に入厩し、規定日数の輸入検疫が行われた。

この時点でサンジェニュインの次走はジャパンカップに決定しており、すでに登録済み。凱旋門賞2着入線となったディープインパクトは、天皇賞・秋で国内戦に復帰するため、東京競馬場にて着地検査を受ける予定となった。

サンジェニュインのジャパンカップ参戦を受けて、フランスのファイブル厩舎は「レイルリンク、ハリケーンランもジャパンカップへ登録する。リベンジしたい」と公式にコメント。この時点でウィジャボードが出走を表明していたため、外国馬は3頭以上となる見込みとなっていた。

 

しかし、明けて10月10日。

検疫最終日の午後、引き運動を行っていたサンジェニュインの歩様が突然乱れ、一時的に立てない状態になった。およそ数分ほどで再び立ち上がり、自力で馬運車に乗れたため、そのまま競走馬用の病院へ。

検査結果として、心房細動を発症していたことがわかった。

これによりサンジェニュインはジャパンカップを回避することが決定。

出走を表明していたファイブル厩舎は、その公表を受けて登録の取消を行ったとコメントしている。

凱旋門賞馬VSリベンジに燃える馬たち、という構図が見えていただけに、サンジェニュインの回避には「主役不在のジャパンカップだ」と残念がる声も多く挙った。

サンジェニュインのジャパンカップ回避が公表された翌日11日の12時には、サンジェニュインの年内引退が正式に発表された。

サンジェニュインが年内引退へ 関係者のコメント ─ natdekeiba.com

 

同日13時にはディープインパクトの引退も発表され、国内外を駆け抜けた2頭の優駿が共にターフを去ることに、競馬系のニュースサイトのみならず、一般紙やテレビニュースでも報じられた。

 

ジャパンカップ回避が決定してからは、着地検査の予定地を滋賀県から社来ファーム・陽来へと変更。10月11日深夜に同ファームへと到着した。健康状態に異常なし、として当歳時に使用していた専用の放牧地へ。

それから2週間後の10月26日にはラストランとなる次走を「有馬記念」にすると発表された。

着地検査明けとなる11月4日には栗東トレーニングセンターに帰厩。

6月22日に栗東トレセンを出てから、約5ヶ月ぶりの帰厩となった(※インターナショナルS後に帰国したときは、検疫厩舎→着地検査→検疫厩舎のため栗東に帰厩していない)

 

11月18日には本格的な調教が再開。

天皇賞・秋を制したディープインパクトは、同月26日のジャパンカップにも予定通り出走。小雨の降る荒れた馬場を、勢いそのままに差し切り勝ちを収めた。ディープインパクト陣営は、テイエムオペラオー、ゼンノロブロイに次ぐ秋の古馬GⅠ三冠を目指して有馬記念への出走を発表。

サンジェニュイン同様引退が決まっているため、ディープインパクトのラストランも有馬記念となった。2頭は2004年12月19日に共にデビューし、2006年12月24日に共に引退する、唯一の同世代の二冠馬同士となる。

 

1回目の有馬記念ファン投票から最終結果発表まで、1位サンジェニュイン、2位ディープインパクトをキープしたまま本戦・有馬記念を迎えた。

ファン投票の有効票数は1,960,058票となり、前年の1,951,473票を上回る結果に。日本初の凱旋門賞制覇などの話題が投票への追い風になったとみられる。

この投票数のうち、約18万票をサンジェニュインが獲得。ディープインパクトもまた、前年同様約16万票の票を獲得した。しかしどちらもオグリキャップが記録した約19万票を超えることはできなかった(オグリキャップ人気すぎぃ!)

 

有馬記念当日は天気に恵まれ、晴天の良馬場。

重馬場こそを得意とするサンジェニュインのため、ファンがてるてる坊主を逆さに吊す、というのは有名な話。今回も効かなかったよ・・・と絶望したファンは多く、当時の2chでは「逆さてるてる坊主に効果無し」「【悲報】またしても晴れの良馬場」といったスレッドが多く建った。

良馬場になって落ち込んでいるのはサンジェニュインとサンジェニュインファンだけ。

 

サンジェニュインは久々の中山競馬場、というか2005年の有馬記念以来の日本でのレースだったので、2番人気ディープインパクトとはほぼオッズ差なし。どっこいどっこいくらいの人気だったのだが、サンジェニュインが初めてパドックで立ち上がってうるさい姿を見せたため、オッズが下がって2番人気になった。

2004年のデビュー以降、サンジェニュインがパドックで立ち上がったのは初だったので、競馬場はざわ・・・ざわ・・・。

せっかくの1番人気なのに、最後の最後にコケるのでは?と思われて馬券を手放した競馬おじが多かったようだ。

余談だがこの数年後、三連覇が掛かった宝塚記念で1番人気に推され、そのゲートで立ち上がった馬がいたとかどうとか・・・。

 

その後の返し馬では、いつも通りディープインパクトを張り付かせて移動。もうここまでくると違和感さえ持てなくなった。最後まで張り付いてて逆に感動したファンも多かったのではないだろうか(たぶん)

ゲート入りでは久々の再会となったアドマイヤフジが何故か馬っ気を出すという珍事に遭遇しながらも、枠入りをスムーズに済ませた。パドックからゲート入り直前まではテンションが挙っているように見えていたが、ゲート入り直後には大人しくなっていた。

 

大外のサンジェニュインが収まったことでレースがスタート。

現役最後のスタートダッシュも華麗に決めると、2番手で追走するアドマイヤメインに5馬身リードでハナを進む。3番手集団にはマイルCSを制したダイワメジャーや、2006年のクラシック二冠馬・メイショウサムソンらが虎視眈々と1着を狙う流れ。ディープインパクトはお馴染みの後方からの競馬となった。

サンジェニュインはそのまま第3コーナーまで影も踏まさずに大逃げを打ったが、後方でじっくりとタイミングを伺っていたディープインパクトがここで上がってきて、6頭いる先行集団をまとめて差し斬ると2番手まで一気に駆けた。

抜かされまいとサンジェニュインも加速したが、やはり芝質の違い故かディープインパクトの上がり速度がそれを上回った。残り2ハロン(400m)の時点でディープインパクトがサンジェニュインを躱し先頭を取ると、そこから2馬身のリードとなった。

しかしサンジェニュインがもう1度、意地の伸びを見せてディープインパクトに並んでみせると、熾烈な攻防戦を経て2頭横並びでゴールした。

 

中山競馬場に詰めかけたファンの数は17万人。

その17万人が見届ける中で、白と黒の2頭は最後まで力強くターフを蹴り続けた。

 

当日、中山競馬場で行われる全レースが終了した後、2頭揃って引退式が行われ、馬場入場では2頭共に登場

序盤は何事もなく引退式が行われていたが、まずは関係者の写真撮影から・・・というタイミングでディープインパクトがサンジェニュインに接触しようとしたため、サンジェニュインが静止を振り切り放馬。それにつられてディープインパクトも放馬状態に。

一言で言うと

 

「あーもうめちゃくちゃだよ」

 

状態。

2頭は中山競馬場を爆走したのち、それぞれの騎手に捕まって引退式が再開された。両陣営はお互いペコペコしあっていたが、謝るべきはこの2頭である(確信)

 

なおこの引退式には、皐月賞と日本ダービーでサンジェニュインの手綱を取った柴畑喜臣騎手も出席。久々の再会だったがサンジェニュインも覚えていたのか、柴畑騎手が撫でるとうれしそうに顔を擦り付けていた。その隣で芝木と竹が羨ましそうにしていた

 

式の最後、それぞれが一口馬主や選出されたファンと共に記念撮影を行うことになったのだが、ディープインパクトがサンジェニュインからなかなか離れないため、1枚目の記念写真は両陣営並んで写真を撮り、2枚目はそれぞれの陣営で1枚ずつ写真を撮ることに。

どちらも生産が社来グループのため、2頭いずれの写真にも社来グループの吉里代表が写っている。

 

2頭はファンからの「お疲れ様」「ありがとう」を背に、中山競馬場の厩舎で一晩を明かした。

 

翌25日の朝、中山競馬場から、種牡馬としての繋養先となる社来スタリオンステーションに向けて、同牧場で繋養されるディープインパクトと共に出発した。

手綱を引けば大人しく歩き出す、と評判だったサンジェニュインは、厩務員が手綱を引いてもその場を動かず、しばらく本原調教師の服の袖を食んでは、右目から1粒だけ涙を流した。まるで別れを惜しむようなその仕草に、辺りからはすすり泣くような声が聞こえたという。

 

しばらくするとサンジェニュインは袖を放し、厩務員に手綱を引かれるまま馬運車に。そこから15時間に及ぶ長い帰路についた。

明けて26日には社来スタリオンステーションに到着。

ディープインパクトはシンボリクリスエスと同厩舎に、サンジェニュインは専用に誂えられた厩舎にそれぞれ入厩した。

 

JRAから27日19時、サンジェニュインとディープインパクト競走馬登録を、12月25日付けで抹消したと発表があった。

これで、サンジェニュインの2年に及ぶ牡馬からの逃亡劇が幕を閉じた。

 

・・・と、思われた。

 


 

 

 競走成績


2000~3000m まで実績のある中長距離タイプ。体躯だけ見るとステイヤー寄りで、実際に体躯が似通った産駒の中には3000m以上主戦場とするものも多い。

胴がやや長く、歩幅もあるため、通常であればスタートダッシュでもたつく、スピードを出しにくい等のデメリットを抱えてもおかしくないのだが、この馬に限っては「歩幅がある=1歩がでかい」という脳筋理論が成立してしまう。

脚質はいわゆる「大逃げ」タイプであり、外枠になったとしても持ち前のスタミナで外から強襲できるのが最大の強み。逃げ馬にありがちなスタミナ切れ、パワー不足とは無縁なので、枠順を一切気にしなくて良いのはそれだけで強い。

戦績を見てわかる通り、国内でもクラシック勝ち等で成績を残しているが、それ以上に国外の成績が極めて高い。重い馬場、力のいる馬場でこそ真価を発揮できる、と評されるほど。

これは産駒にも受け継がれており、日本国内で苦戦していた馬が欧州に出たらいきなり重賞勝ち、などのケースも多く見られる。

 

16戦99

レース着差1着馬(2着馬)

200412新馬2歳新馬戦ハナ差ディープインパクト

20051未勝3歳未勝利戦(マルブツダンディ)

200521勝あすなろ賞(オープンエアー)

20053GⅡ報知杯弥生賞ハナ差ディープインパクト

20054GⅠ皐月賞同着ディープインパクト

20055GⅠ東京優駿ハナ差ディープインパクト

20059GⅡ神戸新聞杯(ディープインパクト)

200510GⅠ菊花賞(ディープインパクト)

200512GⅠ有馬記念(ハーツクライ)

20063GⅠドバイシーマクラシックハナ差ハーツクライ

20064GⅠガネー賞(コレカミノ)

20066GⅠサンクルー大賞典(プライド)

20067GⅠKGVI&QES(ハリケーンラン)

20068GⅠインターナショナルS(ノットナウケイト)

200610GⅠ凱旋門賞(ディープインパクト)

200612GⅠ有馬記念イメージ

 


 

 種牡馬として


 

種牡馬となったサンジェニュインの初仕事は、2007年2月7日となった。

しかしその当日、サンジェニュインがスタッフの手を振り切って放馬。牧場の森の近くでヒンヒン言ってるところを発見されたもよう。

これによって日を改めることになり、翌週2月14日に種付けが行われた。

 

このことがあって、現役時代、発情状態だったシーザリオを前にしても馬っ気を出さなかった、という話を思い出した社来スタリオンステーション。これを機に念入りな調査を行ったが、なんと牝馬の発情を感知しにくいことが判明。

幸いにもEDではなかったため、牝馬の発情に慣れさせる訓練を経て種牡馬として仕事を行うようになった。

訓練の内容に関しては非公開だが、都市伝説的な内容としては「発情した牝馬の群れに放り込まれた」など、やめたげてよお!な噂が飛び交っている。

 

2007年は、日本での種付けを終えた4月中旬、イギリスのクルーモイズスタッドに移動し、そこで30頭に種付け。この時の種付けには、2011年の英国三冠馬・Sunny Fantastic や、米国三冠馬・Shining Top Lady らの母馬も含まれている。

以降毎年、日本での種付けを終えた後は欧州で種付けを行い、7月中には帰国している。

2009年は日本で種付けを行わず、1年中フランスに滞在し種付けを行った。

また2011年は欧州ではなくアメリカで種付けを行い、その際はカネヒキリも共に渡米している。

 

産駒の特徴

驚くべきはその白毛率の高さ。

現在69.1%の確率で白毛産駒を輩出しており、特に牡馬にその毛色が多く見られる(だが仔のSunnyFantasticやサニーメロンソーダらの産駒で白毛になる確率は4割以下(2022年現在))

シラユキヒメやこれまでの白毛馬同様、KIT遺伝子の変異が原因だと思われるが、現在に至るまでその詳細は確定しておらず、調査が続けられている。

産駒の馬体は父譲りの大型になることが多いが、サンサンドリーマーやアイシテルサニーのような小柄な産駒もいる。胴がやや長く、中長距離向けの体躯がもっとも多い。

性格はうるさい、やかましい元気な仔が多いと知られているが、いわゆる気性難と呼ばれるような荒い性格の馬は少ない。従順で物わかりが良いという評価もある。ただし、父から特性を継いだ産駒の場合、同性馬に囲まれると恐怖心から制御できなくなることも。

距離適性は2000-4000mほど。

芝:7割、砂:3割だが、芝は9割が洋芝あるいは重馬場など、偏りがみられる。

 

 後継種牡馬

2011年に初年度産駒のSunnyFantasticが41年ぶりの英国三冠馬になり、2014年には種牡馬入りしている。このSunnyFantasticの産駒から、イギリスダービー馬、フランスダービー馬など、複数頭のダービー馬が輩出されており、サンジェニュインの後継種牡馬として各国の馬産地から注目されている。

他の後継種牡馬として、日本国内だとサニーメロンソーダやシルバータイムなど。マル外として日本で走ったタニノサニーロックは、アイルランドで種牡馬入りしている。

種牡馬になれなかった産駒のほとんどは、乗馬、または馬術競技用の馬などとして活躍。他にもホースセラピーや役者馬(時代劇やドラマ等)、白毛の産駒は神社等に神馬(しんめ)として奉納されることも。

一部誘導馬になる産駒もいるが、サンジェニュインの特性を強く継いでいる産駒の場合は、現役馬を興奮させるおそれがあるため最初から選択肢にないパターンが多い。

高確率で白毛が産まれるため、見目を気に入られて取引されることもあり、特に欧米だと個人所有のペットになるケースも存在する。だがその多くは、途中で金銭的負担に耐えきれず売却し、その後行方知れずになってしまう(例:ウイニンサニー)

 

 母の父として

サンジェニュインの代表的な名牝・Shining Top Ladyは、初年度産駒のJewel Passion(父・タピット)から毎年のようにGⅠを輩出している。特にカネヒキリ産駒Hart Of Imaginingとの間に産まれたSoul Of Loverはケンタッキーダービーとその年のBCクラシックを制覇。Shining Top LadyとHart Of Imaginingも共にケンタッキーダービー馬であるため、両親+子の3頭が同一レースを制する希有な例となった。

他にもユメキンノホシとカネヒキリとの間に産まれたハシルヒカリノユメなど、輩出した牝馬とカネヒキリ、あるいはカネヒキリ産駒の組み合わせはニックスと呼ばれ、俗に「恋人配合」と呼ばれる。これはサンジェニュインとカネヒキリが現役時代から仲が良く、種牡馬入り後も放牧地を分け合うほど親密だったことに由来。

*カネヒキリ以外だと、オークス馬・タイヨウチャンはグラスワンダーとの子・サニーワンダー(牡)でインターナショナルS母子制覇を達成。グラスワンダーが2020年で種牡馬を引退するまでの間、タイヨウチャンをはじめ複数の牝馬が同馬やその子・アーネストリーと配合され、中央地方問わず多くの活躍馬を輩出している。

 

 種牡馬引退

サンジェニュインは2025年、体調不良を理由として、その年の種付けを最後に種牡馬を引退。2026年産まれの産駒がラストクロップとなる。

翌2026年からは功労馬として繋養される予定だったが、同年10月5日に老衰のため23歳でこの世を去った。

同日は2021年生まれの14年目産駒・サントゥナイトが凱旋門賞を制した記録的な日で、サンジェニュイン死去の第一報が届いたのは、その2日後の10月7日。

サントゥナイトによる父子2代、史上2頭目の白毛の凱旋門賞制覇に沸く世間への配慮と、サントゥナイトの帰国を待ったためである。

社来スタリオンステーションの一般見学スペース内に、ディープインパクト、カネヒキリと並んで建立。墓碑には名前と共に、一般公募で選ばれた「愛してやまない」という言葉が刻まれている。

 

サンジェニュインの繁殖成績(国内外含む)

通算産駒成績(2025年10月現在)

産駒/種付数 2651頭産駒重賞勝利数401勝(217頭)

産駒勝利数 3137産駒GⅠ級競走勝利数82勝(23頭)

 


 

 

 主な産駒


ニヤニヤ大百科内に記事があるものだけ追加済、その他は都度追加お願いします。

※各リンクは「太陽一族データベース」に繋がっています。

 

初年度産駒

国内

サンサンドリーマー

サニーメロンソーダ

タイヨウマツリカ

国外

Sunny Fantastic

Shining Top Lady

 

2年目産駒

国内

シルバータイム

 

4年目産駒

国内

タイヨウチャン

6年目産駒

国内

アイシテルサニー

 

7年目産駒

国内

タニノサニーロック

 

8年目産駒

国内

サンサンプリンス

 

9年目

国外

Song Light Apollo

 

11年目産駒

国外

Love Me Sunny

 

12年目産駒

国外

Winner's Helios

 

14年目産駒

サントゥナイト

 

15年目産駒

サンサンファイト

 


 

 

 エピソード


目次

デビュー前

現役時代

その他

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 人間のパパが2人

サンジェニュインの母・ピュアレディーの産駒は2頭のみ。うち、初産がサンジェニュインである。競走馬でもなく乗馬でもなく、愛玩動物と同じように過ごしてきたピュアレディーにとって、お産は相当なストレスとなったのか、サンジェニュインに1度乳を与えるとそれっきり構わなくなった。ので、陽来の若者2人がサンジェニュインを育てることになった。馬の育児放棄は例がないわけではなく、また母馬を亡くして人に養育されるケースも存在する。→スペシャルウィーク

その当時の陽来では生産馬はサンジェニュイン1頭のみであったため、乳母なし、24時間体制の養育となった。交替しながら馬用の哺乳瓶で数時間おきにミルクを与え、遊んでやり、軽い育成も熟した。飼い葉の食べ方が解らないサンジェニュインのために、目の前で草を食べてみせるなど、根気強く、愛情深く接した。その甲斐もあって人懐こい従順な性格に育ったとみられている。

放牧などで陽来に戻ると、真っ先に「パパ」たちを見つけて駆け寄る微笑ましい一面も。

 

 たった1頭のためだけの洋芝コース

社来ファーム・陽来にはサンジェニュイン以外の当歳馬がおらず、また歳の近い馬もいなかったことから、サンジェニュインは1頭ですごしてきた。それはもちろん離乳を終え、群れでの暮らしが始まっても同じ。なお群れ(?)の総数は1頭とする。

サンジェニュインは放牧地として与えられたリハビリ用の洋芝コースを、疲れ果てるまで走り回ることで寂しさを紛らわせていたもよう。不憫に思った陽来のスタッフたちが代わる代わる放牧地を訪れ、フリスビーを投げたりタオル引きをしたり、併走(!?)したり。サンジェニュインの尽きないスタミナとパワーはここで養われたのかも知れない。

 

 幼名は「マイサン」

サンジェニュインの幼名は「マイサン」だが、これは別に「私の太陽」ではなく、「私の息子」の方である。ピュアレディーの飼い主が名付けていったようだ。

陽来ではもっぱらこの「マイサン」で呼ばれており、競走馬としてサンジェニュインと登録された後も、スタッフたちはそう呼び続けた。

ちなみに映画「SUNGENUIN 太陽の馬」でマイサンと呼ばれて振り返っているのは、撮影当時生まれたばかりのヒカリノウタヲ(母父サンジェニュイン、父カネヒキリ)でサンジェニュインの孫。

 

 馬運車の中で涙

2003年の秋。早期入厩のため、1歳で栗東トレーニングセンターへ。この際サンジェニュインを迎えに行ったのが、担当厩務員となる目黒康史さん。サンジェニュインは親とも呼べる2人のスタッフに見送られ、馬運車に乗り込んだのだが、小さく泣きながら涙を流していたらしい。

どうも馬ながらに「別れ」というものを理解したもよう。

賢いとかそういう次元じゃないな。

 


 


 大親友・カネヒキリ

その馬体の大きさからなかなか併せ馬の相手に恵まれなかったサンジェニュイン。本原厩舎には同世代の馬が居なかったため、親交のある居住厩舎に協力を要請。そして紹介されたのがカネヒキリであった。

2頭は瞬く間に仲良くなり、現役時代はトレセン内で2日に1度は会う相手。2頭がそれぞれ所属する厩舎が近いためか、サンジェニュイン・カネヒキリ双方がお互いの厩舎への道を記憶しているようで、厩務員を引っ張って歩き出すんだそう。

調教コースで会えば立ち止まって見つめ合い、最低でも1時間は話をさせてやらないと調子が出ない(カネヒキリという希望 著:居住)

ドバイ遠征ではお互いを帯同馬として出発。現地2日目の朝、何故かサンジェニュインがカネヒキリの馬房の中で一緒に寝ているという珍事件が発生するも、以降は2頭ともに順調に遠征を熟した。ドバイWCでカネヒキリが屈腱炎を発症してから、カネヒキリが2011年に種牡馬入りするまでは会えない状態に。

ただカネヒキリの馬房にサンジェニュインのポスター(!?)が飾られるなど、仲良しなのは変わらなかったもよう。

引退後も仲が良く、約5年の間も2頭専用の厩舎や、同じ放牧地で楽しく過ごしていた。2016年にカネヒキリが事故で死亡した後も、カネヒキリが入っていた馬房は空のままである。

 

 

 同性の馬に好かれやすい

葦毛や栗毛など、淡い色合いの牝馬の方が種付けするときに牡馬の感心を引きやすい、もっと軽く言うと「モテる」傾向にあるとされている。サンジェニュインはJRAの競走馬研究所もお墨付きの歴とした牡馬なのだが、モテモテっぷりはそこらの名牝にも劣らない。それどころかたまに超えてしまうこともある。シーザリオさんすみません。

モテる要因は生まれ持った白毛と顔だそうで、これはJRAの競走馬研究所で7日間の調査が行われた上で出された公式結果である。決してネタではない。証拠として、なんの対策もせずに出走し、牡馬半分以上が馬っ気を出していた皐月賞と、メンコを着用して顔の一部を隠すようにした東京優駿とでは牡馬の反応が全く異なる。また、馬着などで馬体を覆うなどでも牡馬の反応は鈍くなるという報告がJRA競走馬研究所より追加で公開された。

栗東トレセン内でメンコがない状態で調教場に連れて行った際に、興奮した牡馬に乗られるなどの珍エピソードもあり、この時は自慢の後ろ脚で相手を蹴り落としている。

 

 女子会に紛れる

牡馬に異常に好かれているだけで、牝馬にモテないわけではない。栗東トレーニングセンター内だと、併せ馬の相手でもあるラインクラフトやシーザリオと仲が良く、特にラインクラフトとは会えばかならず立ち止まって見つめ合うほど。秋華賞の前に栗東トレセンの調教場でばったりラインクラフト、エアメサイアの2頭にあったときは、側に寄っても蹴られずに受け入れて貰えた模様。

種牡馬入りした後も、どんな気性難の牝馬もサンジェニュインを見ると途端に落ち着くようで、なにか鎮静剤みたいな成分を出しているのかも知れない。JRA競走馬研究所に相談だ!

 

 東京優駿でのハナ差決着について

2005年5月29日の東京優駿にて、サンジェニュインがハナ差1cmで2着となったのは不適切でないか、とJRAの公式ホームページに向けて問い合わせが相次いだ。その前走の皐月賞では1cmと同等またはそれ以下と判断されての同着決着となったが、それとほぼ同レベルにも拘わらずディープインパクトを1着、サンジェニュインを2着と判断できた理由を問うものだった。一時期サーバーが落ちるほどの大量のアクセスと問い合わせがなされており、これは2ch等でサンジェニュインのファンの一部が問い合わせを煽るスレッドを立てたことが発端と見られている。JRAは着差を覆すことはなく、また、着順を決定した理由を公表することもなかったため、それが火に油を注ぐ状態となっていた。さらには競馬関連の番組でタレントがこの件で触れ、RJA側を批判したことでさらに荒れた。2025年現在で言うところの炎上状態だったわけなのだが、サイレンスレーシングクラブ側から、東京優駿の結果を受け入れて次走を見据えている旨のコメントが出されると、次第に沈静化していった。

 

 ラインクラフトの赤い手綱

2006年8月19日、急性心不全で早逝した僚馬・ラインクラフトが使用していた赤い手綱を形見として譲り受け、引退までつけて走った。この赤い手綱は15年後の2021年9月、サンジェニュイン産駒の牝馬・ライングッドデイが引き継ぎ使用している。ライングッドデイの母・ハニーハントは、ラインクラフトの母マストビーラヴドの全妹ホーネットピアスの娘で、父が同じエンドスウィープという、同血統となる。

 

 2005年、2006年共にJRA賞年度代表馬を逃す

サンジェニュインは2005年に皐月賞、菊花賞、有馬記念のGⅠ・3勝を飾ったが、この年の年度代表馬には、無敗でダービーを制したディープインパクトが選出された。サンジェニュインとはⅠ票差である。

投票者からは「無敗で」「東京優駿含む二冠」という点を評価した、という声が最も多かったが、東京優駿を対象とするなら最優秀3歳牡馬として評価されるべきでは?という声もあがった。これは対抗馬であるサンジェニュインが古馬もいる有馬記念を制したためである。なおサンジェニュインはその年の最優秀3歳牡馬に選出されている。

翌2006年には、欧州GⅠ・5勝を挙げながらも年度代表馬どころか最優秀4歳以上牡馬にすら選出されず、これでファンの怒りが爆発。この選出は不正なのではないかとネットやテレビなどで話題になった。

JRA側は選出されなかった理由に対して、JRA賞は国内のレースに対して評価を行うべきだから、と弁明した。サンジェニュインが2006年シーズンに出走した国内レースは有馬記念のみであること、欧州GⅠ・5勝はカルティエ賞ですでに評価されていることを挙げている。

国外のレースまで対象にしたらJRA賞としての意味がない、というわけだ。当時のファンはこれでなんとか納得したが、2011年の最優秀4歳以上牡馬にヴィクトワールピサ(同年は国内GⅡ中山記念1勝のみ、あとはドバイWCのみ)が選出されたことで、近年またこの問題がじわじわと浮上している。

 

 レーティング140でトップへ

2007年に発表されたレーティングで、欧州GⅠ・5勝が評価され、日本馬として最高となる140ポイントがついた。これは出走したKGVI&QESやインターナショナルS、凱旋門賞がレースとして世界的に評価されていたことがひとつ。もう1つは、競争相手が過去に評価されていた名馬だったことも挙げられる。

2025年現在も、このポイントはフランケルに並ぶ高ポイント。


 


 何もかもが史上初の白毛

新馬戦2着となったことで、シラユキヒメから数えて2頭目の白毛の馬券連帯となった。

その後に未勝利戦を勝ち上がって「初の中央レース勝利白毛馬」となり、GⅡ、GⅠと平地重賞を次々と制した。引退後も「中央所属の白毛馬初の種牡馬」である。

サンジェニュインが活躍したのち、2008年にシラユキヒメ産駒のユキチャンが交流重賞を含めたJRA重賞レースを制し、白毛牝馬として初の快挙を挙げている。

なお、サンジェニュインが唯一達成できなかった「新馬戦勝利」は、同馬の初年度産駒・サンサンドリーマーによって2010年7月10日の2歳新馬戦・函館1800m(芝)で達成されている。このレースの1着から3着までをサンジェニュイン産駒が占めた。

 

 クルーモイズスタッドとのトラブル

2007年まではイギリス・クルーモイズスタッドを欧州での繋養先としていたが、同年のクルーモイズ側の対応から、サンジェニュインの繋養先として相応しくない、ということで社来グループ側は翌年からフランスを拠点としている。

この際のクルーモイズ側の対応の何がダメだったのかというと、それを取り上げる前に、まず前提として「サンジェニュインは異様なほど同性の馬にモテる馬だ」ということを事実として認識しなければならない。

サンジェニュインを預ける前に、社来側はクルーモイズ側に以下の注意点を伝えたそう。

・牡馬にとても懐かれるので、他の牡馬と同時に管理しないでほしい

・馬房は角にするか、両隣の牡馬が首を伸ばさないようにしてほしい

・他の牡馬と同じ放牧地にはしないでほしい

 

もちろんその際にかかる費用はすべて社来持ち。

サンジェニュインに掛かる手が増えて金が掛かると言うなら遠慮無く言ってね、というのを口頭で伝えていたらしいのだが、クルーモイズスタッド側はこれを「ジョーク」と思っていたらしく、当然、その注意点が守られることはなかった。

まあ誰だってジョークだと思うわな・・・同性に好かれる馬ってそんなばかな・・・って。

しかしこの件は、じゃあ仕方ないか!と済ませられるような話ではなかった。

 

クルーモイズスタッドに移動して1ヶ月も経たないうちにサンジェニュインが体調不良に。

サンジェニュインの様子をみに行った目黒元厩務員(サンジェニュインの引退と共に厩務員退職)によって社来グループに現状が報告され、即刻帰国が決定した。

この時の状態は、

・馬房の両隣を発情した牡馬に挟まれたため四六時中ストレス

・馬房掃除中に牡馬の待機用の放牧地に入れられ発情した牡馬に追いかけ回される

 

本来は6月いっぱいまでの予定だった滞在をキャンセルし、サンジェニュインは早々に帰国した。

これに関して社来グループはクルーモイズスタッド側に遺憾の意を表明していたが、社来グループが契約の取り決めの際、サンジェニュインの扱いに関して正式な書面にまとめていなかったことも非難の的になった。

注意点をジョークだと、確認もせず一蹴してしまったクルーモイズスタッド側にも非はあるだろうが、そもそもとしてそんな大事なことなら口頭で済ませるなというまっとうな意見である。

クルーモイズスタッドも社来グループも謝罪文を公表。翌年の欧州での種付けでは、文書にまとめてやりとりを行うようになった。

しかしクルーモイズスタッド側との間には決して浅くはない溝ができ、2012年に完全和解したあとも、2019年になるまでサンジェニュインの欧州での繋養先はフランスとなった。

 


 

 

 血統表


母馬の名前が異なる以外はジェニュインとまったく同じ血統表となる。

マイラーの産駒を多く輩出し、その産駒の仔もまたマイラーになることが多かったBold Ruler の血と、当時勢いのあったサンデーサイレンスの血を組み合わせることで、ジェニュインと同等あるいはそれ以上のマイラーを出すための実験的な配合だった(凱旋門賞馬の歩み P.113)

だが結果として中長距離路線を爆走する白毛馬が誕生したので、血統というのはどうなるかわからないものである。

ちなみにサンジェニュインの産駒は、中長距離型中心、稀にマイラーだったりスプリンターが出てくる状態。

 

サンデーサイレンス

Halo
Hail to ReasonTurn-to

Nothirdchance

CosmahCosmic Bomb

Almahmoud

Wishing WellUnderstandingPromised Land

Pretty Ways

Mountain Flower

Montparnasse

Edelweiss

ピュアレディー

What Luck
Bold RulerNasrullah

Miss Disco

Irish JayDouble Jay

Irish Witch

Question d'ArgentTentamIntentionally

Tamerett

Cold Reply

Northern Dancer

Respond


(4代血統表:4代までに生じたクロスなし)

 


 

 

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 関連コミュニティ


 

 


 

 

 関連項目


太陽一族:サンジェニュインを祖とする系譜

 

ディープインパクト:ライバル

カネヒキリ:大親友

ヴァーミリアン:僚馬

ラインクラフト:僚馬

 

サンジェニュイン(ウマ娘)

 


 

 

 掲示板


 

 


 

・・・読込中・・・

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サンジェニュインが年内引退へ 関係者のコメント

【本原佳己調教師】

 心房細動発症によるジャパンカップ回避を発表した当日、サイレンスレーシングクラブの吉里代表から引退のお話を聞きました。いつかこんな日が来るとは解っていながらも、1歳の秋に預かってから約3年間も育ててきたわけですから、やはりまだ気持ちが追いつきません。寂しいですよ。

しかし、我々に凱旋門賞制覇の夢を見せ、そして叶えてくれたサンジェニュインですから、きっと父としても立派な活躍をしてくれると思っています。

 

2005年から管理馬はサンジェニュインただ1頭だったので、厩舎スタッフ一同、サンジェニュインを思う気持ちは強いです。引退報告をするのは心苦しいものがありましたが、みな、涙を飲んで送り出すことに決めました。

 

ここまでサンジェニュインに乗ってくれた芝木騎手には、主戦相手だから、と吉里代表が直接連絡したようですね。デビュー戦から、皐月賞とダービー以外は彼が乗ってくれました。サンジェニュインとの息の合った走りは、もう来年には見られないのだと思うと、残念でなりません。

 

今はただ、サンジェニュインを無事、元気に走らせることを第一に考えています。

 いつか彼の仔を育てる日がきたら…。それを新しい楽しみとして頑張っていこうかな(苦笑)。

 

 次走はどうするのか、とかいろいろ考えてはいます。私としてはあと1戦走らせたい。叶うなら有馬記念ですね、ここを走らせて、引退させてやりたいです。でも次走に関してはクラブと相談ですね。

 

これまで応援してくださったファンの皆様には、ひとつだけ、お願いしたいことがあります。それはこれからもサンジェニュインを応援していただきたい、と言うことです。引退するまで、引退しても、サンジェニュインという馬をずっと、ずっと応援していただきたいのです。

 

残りわずかな時間ですが、どうか、よろしくお願いいたします。

 

【芝木真白騎手】

 初めて聞いた時は、来年からどうしよう、という気持ちになりました。

 正直言うと、とても残念だという言葉だけでは言い表せないほど、ショックです。

救いがあるとすれば、吉里代表から直接お話していただけたことと、サンジェニュインのこれまでの頑張りが認められた上での引退だ、ということです。

 

サンジェニュインとは、僕が騎手2年目の時に出会いました。その頃はずいぶんのんびりした馬だな、と思っていたのですが、会うたび、乗るたび好きになっていって、この馬の鞍上は自分だけだと強く思うようになりましたね(苦笑)

 

共に駆け抜けたレースを忘れることは永遠にありませんよ。GⅠ初勝利となった菊花賞はもちろん、グレードに関係なく、すべてのレースが僕にとっての宝物です。なにより彼からは、勝利以外にも、馬を愛する気持ちを教えて貰いましたから。

 

来年からはもう乗れないのだと思うと、どうしようもなく悲しくなりますが、いつか彼の仔どもの背中に乗ることを次の目標にしようと思います。そうですね、凱旋門賞親子制覇ができたら、その時が僕の引退するときでしょうね(笑)

 

時間的に乗れるのはあと1回くらいだと思うのですが、その1回を楽しく、ただ楽しく乗りたいと思います。

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次回、2006年シーズン開始!

8/9:18時に更新予定

完全素人ニキの愛馬名アンケート

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  • タイヨウハノボル
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