【完結】軌跡シリーズ ノーザンブリア外伝~灰白の詩~ 作:迷えるウリボー
『同日午前6時2分、かくて確認されたのが、現在塩の杭として知られている物体である』
七耀暦1178年6月30日。
導力灯で守られ、人々の往来の標となる街道から外れた獣道。小さな丘の上の小広場。
初夏。大陸北方故に溶けるような暑さはなく、地にひしく草木はまだ青い。成長過程のそれらが、平原の若木と共に瑞々しい緑の香りを運ぶ。風がそれらを絡めとり、先日の雨によって浮き出た土の匂いと合わされば、春の終わりと夏の訪れを人々に告げてくる。
天高く世界を照らす太陽は、ところどころ大雲に紛れ地上のキャンパスに淡い陰影を作る。自然豊かで鋼鉄の気配のない小広場。
午後2時23分。小広場にうろつくのは一体の超大型魔獣。カバのような腹を地に擦り付け、鈍重そうな鱗を持つ四つ脚は、しかしその一歩の度に地を揺らして草木の露を弾かせた。蛇のような首の先、ワニのような口腔に鋭利な牙をちらつかせ、どこかこの世の者ならざる空気を醸し出している。
飛び猫やドローメといった普段の魔獣とは違う。虚ろな幻から這い出たような、そんな獣だ。
その魔獣に立ち向かうは、二人の人間。
一人は林とも言えないような少ない木々の隙間から、超大型魔獣の様子を伺う。水色の長髪、黒い瞳の光を強め、手に持つ導力狙撃銃の調子を確める。女性でありながら逞しい艶声を囁いた。
「行くぞ、スレイン」
女性の声の先、三アージュほど遠い樹木には一人の青年。銀灰色の髪に紫紺の瞳、柔和な面差しに少なくない水滴を滴らせて、樹木の無遠慮な凹凸に身を預けながら溜め息をついた。
「なぁアリエル。やっぱりあれ……公国軍に連絡すべきだと思うんだけど」
スレイン、と呼ばれた青年は及び腰だ。アリエルと、青年に救済の視線を投げられた女性はしかし、そのまま突っぱねた。
「普通の魔獣とは常軌を逸しているからか? 『だからこそ偵察役を勤めて公国軍へ
「や、そうは言ってもさすがにな? 敵さんも大き過ぎるもんで」
「私たちはリーダーの方針に従う。是非は兎も角、一度放った指示を簡単に曲げられては困る」
「……はぁ、判った。もう《建国祭》も始まるしな。不安をなくしたいからついでに倒そうとか抜かした俺の責任だ」
再び、盛大に溜め息。滴る汗を左腕で拭い、右手に持っていた長物を振りかぶるように掴む。その腕の勢いのまま跳ね起きて、樹木の影から躍り出た。
超大型魔獣が青年を視界に収めると、少しずつ四つ脚に込められる力が増していく。
荒ぶる咆哮。内心まだ緊張が解けぬまま、それでも似合わない睨みを相貌に宿して、青年──スレイン・アルビドゥスは声高らかに叫んだ。
「アリエル、そのまま隠れて狙撃を頼む!」
「了解」
「《支える籠手》の紋章にかけて、しっかり討伐してやる!」
スレインは走る。走りながら自らの得物、身の丈もある深緑色の
魔獣の前足がゆらりと上がり、そして恐ろしい強さで地を踏みつけた。生まれた衝撃は可視化できるほど。スレインは一息に跳躍した。そのまま大剣を振りかぶるように大上段から前足の脛に当たる部分を破壊しにかかる。
攻撃を受けた苦悶故ではない。それでも魔獣はその巨大な体を激しくひねり、激昂したように咆哮をあげる。
続く攻撃は魔法だった。突如として魔獣の周囲から琥珀色の光が星屑のように揺蕩うと、一秒もないまま収束、再拡散する。
太陽光が遮られた。地上のキャンバスに斑点のように浮かぶ黒い影。上を見なくても判る、いくつもの岩石が雨のように降り注ぐ。
一つ目を楽に躱し、二つ目を体ごと転がって避けた。だがそれで体勢が崩れ、立て直すまでの時間に三つ目が迫る。
だが岩石が青年の頭上に近づいたとき、遠くから重い破裂音が閃き、間髪入れずに岩石は爆砕した。
アリエルの狙撃だ。一撃の威力は相当に重く、頼りになる後衛だった。
その頼れる相棒の声が聞こえた。
「障害は私が壊す! 気にせずに叩くんだ!」
「了解!」
これではどちらが指揮役なのか。スレインは苦笑しつつも再び魔獣に相対する。
とはいえ、先の棒術具の一撃でもそこまでの痛手は与えられなかった。どうするべきか図りかねる。
スレインは魔獣の周りを様子を見ながら回旋する。魔獣は変わらず大きい。どうすればいいのかすら判らない。
「……けど、引けないよな!」
急停止、スレインは再び魔獣と対峙し、さらに懐へ突っ込んだ。見上げるほどの巨体の腹に潜り込み、力の限り棒術具を振り上げた。
「おらぁっ!」
持たば太刀、突けば槍、払えば薙刀。棒術具の特性を表す言葉だが、使いようによってはもう一つある。遠心力と腕力、技術のすべてを用いて破壊力を一点に。棍棒を凌駕する剛の一撃だ。
七耀のエネルギーによって変異しつつも、それでも生物としての生態系を持つ魔獣たち。そんな常識すら通用しそうにない超大型魔獣だが、そもそもの強力な一撃は腹だ背だとは関係なく効いたらしい。スレインの頭上で魔獣は四肢をばたつかせる。
「うぉ!?」
生まれる衝撃波と、青年の周囲で起きる極悪な圧壊。スレインはたたらを踏み、うかつに動けなくなる。
と、そこで再び響くのは、頼れる相棒の声だ。
「スレイン! 出てこい!」
「どこから!? どうやって!?」
「
再びの狙撃。今まさに地を踏みつぶそうとしていた魔獣の前脚に強烈な弾丸が撃ち込まれ、転びはしないが姿勢制御を強要する。
スレインは決して弱くない。己の能力を駆使して最大限に動かし、魔獣の腹の下から脱出してみせた。
魔獣の眼光がアリエルを捕らえる。二度の攻撃でさすがに居場所を悟られたか。隠れるメリットを失った狙撃手は、大胆にもその体を白日の下にさらけ出す。
だが、それは諦めではない。純然たる攻勢に他ならない。
アリエルは魔獣に正対した。魔獣が一歩一歩近づくのを恐れず、場違いにも膝をつく。そして体を固定し、狙撃。
一点突破の攻撃は、寸分たがわず魔獣の大きな右眼を貫いて見せる。
グォォオオ!! と、初めて明確に表れた魔獣の苦悶。咆哮は天地を震わせ、草花を慄かせた。
どのような生態系かも判らない魔獣だ。だがそれは明らかに高揚しているようで今までの状態とは違っていた。
「勝機……!」
スレインがそう予想するのも無理はなかった。そうしなければ、この正体不明の敵を相手に何ができるわけでもなかったのだ。
スレインは疾駆した。ここで勝負を決められる保証はないが、勝負を決められる確証はここしかない。もう一度大跳躍を果たしたスレインは、渾身の棍での突きを放つ。狙いは──左眼。
「おおおお!!」
眼からぶちまけられたのは青白い血飛沫。不思議と生臭さのないそれを浴びながら、スレインは一息に後ろへ下がった。ちょうど、アリエルの隣だ。
見据える魔獣は、不自然な沈黙を生み出していた。両眼が潰されたなら死に物狂いで抵抗するはずなのに、むしろ会戦前よりも大人しいように見えるのは何故だ。
「どういう」
「ことだ?」
アリエルの言葉をスレインが継いだ。魔獣は青白い光に包まれ始め、その奔流の中に溶け消え、実体が薄れていく。
後に残ったのは、平和そのものの小広間だった。
「なんだったんだ……? 本当に」
近くに他の魔獣がいないのは、百歩譲ってあの魔獣が原因だと判るが、そもそもどうして誰にも気づかれずにここまでやってきたのかも、どうしてあの場に鎮座していたのかも判らないのだ。行動原理が通常の魔獣とは違いすぎる。
「魔獣……とは言えないだろうな。実体がさっきまではあったのにない……まるで幻のような」
呟かれたアリエルの感想に、スレインはある言葉を思い浮かべた。
何もない
「幻の魔獣……『幻獣』、か」
二人して考え込む。見れば、幻獣が踏みしめていた草花も潰されているようにも見えなかった。
沈黙はスレインがかき消した。
「ああ、考えるのは止めだ。それらしき痕跡がないというか、痕跡がないのが痕跡みたいなもんだし」
これ以上ここにいても何も判らないだろう。もう現れないのかも、また出現してしまうのかも、どこにいつ出現するのかも。情報を持ち帰るほうが先決だった。
「帰ろう、ハリアスクに。今日は《建国祭》だ、街の治安も護らないとな」
「了解だ、リーダー」
二人は装備を整え、しまう。振り返れば、太陽の光に白く光る壁の、大きな都市が構えていた。
その街に、故郷に二人は歩を進める。
ここはゼムリア大陸北西部、エレボニア帝国と北の国境線を接するノーザンブリア大公国。
七耀暦1178年6月30日。大公国中央部、公都ハリアスクに繋がる西ハリアスク街道で、スレインとアリエルは後に《幻獣》と称されることになる存在と対峙した。
それこそが予兆だったのだ。
全てが白に染まる、あの悲劇への。
ノーザンブリア大公国。ゼムリア大陸北西部に存在し、バルムント大公を元首とするこの国は、大陸西部でも古い歴史を持つ国の一つだった。
エレボニア帝国やカルバード共和国、大陸に存在する二大国を除けば強大な国力を持つ。北方の寒冷地ということもあり、中世の時代においても大国からの全面侵攻を免れ、緩やかな支配体制を敷いてきた。
大公国の中心にある公都ハリアスク。現君主バルムント大公が構えるハリアスク城館を中心に栄えるこの街では、他の大公国五大都市と比べて盛大な規模で、ノーザンブリア大公国の建国祭が催されていた。
「早朝は少しざわついてる程度だったのに、もう文字通りのお祭り騒ぎだな」
午後4時。スレインとアリエルは公都ハリアスクに帰ってきた。建国祭の歴史は古い。大公国中のみならず、諸外国からも多くの観光客が訪れている。公都ハリアスクは一年で最も人の往来が激しい時を迎えていた。
「今年は……いつにも増して多いな。急な依頼も増えそうだ」
冷静沈着なアリエルが、心なしか弱々しく聞こえる言葉を吐く。それに返したのは、市内と街道を別つ場所に立つ公国軍兵二人だ。
「遊撃士殿、お疲れ様です」
「祭事中は、お互い疲労困憊になりそうですな」
年若い新米兵士と、壮年の兵士。二人が門番をするようになってからスレインと話すようにもなり、一年がたった今ではすっかり話し相手となった仲だ。
「どうも、お二人さん。祭りの時なのに、ご苦労様ですよ」
スレインは片手を挙げて応える。新米兵士は、溌剌とした笑顔で答えた。
「いいえ、お二人をはじめとした遊撃士の方々こそ、我々が処理しきれない細かいところまでを掬ってくださるのです。公国軍としても、感謝してもしきれない……そのように思っているはずです」
新米兵士のスレインに対するそれは、尊敬する上司を見ている眼でもあった。
「そうか……《支える籠手》としては、軍人にそう言ってもらえるのは嬉しい限りだよ」
スレインは頬をかく。アリエルも、勇ましい微笑を浮かべていた。
遊撃士。このゼムリア大陸において、その名を知らないという人は小数だろう。支える籠手の紋章を掲げ、地域の平和と民間人の保護を第一とする民間組織。それが
遊撃士は街道の魔獣退治から物資の運搬など様々な依頼をこなす。高位の遊撃士は、国際的事件の対処や紛争の調停など外交力も求められるという。
遊撃士という存在は、町の子供たちにとって所謂『正義の味方』という見方をされることが多い。実際日曜学校に通う低学年の男児などは『ブレイサーごっこ』と称した遊びをよくする。国の軍人と並んで、『人や国を守る』という領域に関しての人気では双璧を誇る職業だ。
強きものとして弱きものを守る、という意味では軍人とは似通っている遊撃士だが、当然違いは大きい。遊撃士がその理念の基柔軟な機動力で、時に規律よりも護るべきものを優先しがちなのに対して、軍人は大規模で国民と国土を守るために、絶大な上下関係がある。国によっては、両者は互いの主張を通すためにいがみ合うことも多かった。
だが公国軍と遊撃士は比較的良好な関係を築けている。今のスレインたちのように軽口で語り合うことができる。軍が門番の警備から大通りでの巡回を中心に手広く務めを果たす。一方遊撃士は突発的な落とし物調査や、街道の脅威に目を光らせることを行う。
「そうだ、報告したいことがあるんです」
そうして、スレインはまず彼らに報告することにした。つい先ほど、北ハリアスク街道で現れたカバのような超大型魔獣のことを。
「……《幻獣》ですか」
壮年の兵士はスレインの言葉を反復した。
「ええ。まさにそんなようにしか表現できない魔獣でした」
「判りました。公国軍の本部にも、報告しておきましょう」
正直、あれは倒したとは言えないような結果だった。撃ち払い、絶命させたのではない。痛手は与えはしたが、あれは自ら消え去ったようにも感じた。
最悪の事態があるとすれば、今日が建国祭ということだ。公国軍には絶対に伝え、何かあれば連携をとらなければならなかった。
「よろしく頼みます。それでは、良い一日を」
新米兵士は律儀に返してくれる。
「遊撃士の方々も忙しいでしょうが、休憩時間くらいはあるでしょう。貴方たちも民間の一人……どうか、建国祭を楽しんでください」
スレインとアリエルは市内へ足を踏み入れる。
街は活気に溢れている。通るのは住宅街と商業区。最も観光客が多くなる場所だ。
建国祭は四日間行われる。今日はその一日目。午前中には都市北東のハリアスク城館からバルムント大公が開催のために民たちに顔を出した。そちらから、特別販売をしている商人が軒を連ねる商業区、住民たちも共に酒場などを活気つける住宅街等も、人の出が多くなる。
公都ハリアスクはノーザンブリア大公国の首都だけあって、行政区や各国大使館がある。空の女神を奉する七耀教会の大聖堂もあるし、さらに交通の要衝でもあるのだ。
二人はまず遊撃士協会支部へ戻らなければならなかった。報告をしなければ、楽しむものも楽しめない。
遊撃士協会ハリアスク支部は、住宅街の一角にある。看板には支える篭手の紋章。二人は感慨もなくその扉を開ける。
「ただいま〜」
まるで実家のように、スレインは腑抜けた表情で中へ入った。アリエルは無言で続く。
一階にはの三人の人間。こちらの存在に気づくと、口々に声をかけてくる。二人と同じく遊撃士、民を守る支える篭手の一員たちだ。
「おかえり、スレイン、アリエル」
「街道は変わりなかったか?」
「変わってた変わってた、アリエルがいなきゃ俺は間違いなく死んでたね」
軽口を続けて、スレインはアリエルと共に得物を置いた。室内は受付と、応接スペースと、掲示板、そして二階への階段に大まかに分かれる。
同僚の青年が半分本気の冗談に返した。
「そんなこと言うなよ、スレイン。お前の大事な人が心配するだろ?」
言うと同時、二階から新たな人物が顔を覗かせた。といっても、遊撃士でないだけでこのハリアスク支部の顔馴染みではあるのだが。
「そうよ、スレイン。私を置いていってもいいって言うの?」
華奢に感じるが柔らかく、可愛らしげな声だった。
「いたのか、リーナ」
スレインはその女性に顔を向けた。薄墨色の髪は大人しく茶色の瞳と165リジュの身長は彼女に大人びた印象を与えるが、反して幼げな顔つきはほんの少しだけ少女然とした印象を与える。
白色のチュニックワンピースに、足首の露出したデニムが活動的だった。
「ごめんごめん。でも、帰ってきたよ」
「うん、わかってる」
アリエルを始めとした同僚たちが場所を譲った。
スレインは嬉しそうに、彼女の前に立った。
「おかえりなさい、スレイン」
「ああ。ただいま、リーナ」
リーナ・シラン。スレインの恋人が、変わらず安らぐ声で、迎えてくれた。