【完結】軌跡シリーズ ノーザンブリア外伝~灰白の詩~   作:迷えるウリボー

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3話 塩の海

 

『公都ハリアスク方向よりあられ交じりの猛烈な向かい風──やがてそれが氷でなく塩の欠片であることに気づく。物体の表面はすでに塩に覆われて見えず、周囲の大気は塩の微粉として沈降を続け、その様はあたかも凍原にしんしんと降る雪のごとし』

 

 

 

 

 不自然すぎるほどの静寂だった。

 天を貫かんばかりの巨大な柱。ハリアスク近郊に、あんな巨大構造物はない。古代の遺構もない。

 だとすれば、あの柱はいつ現れた? 支部に入った直後はなかったはずだ。今の激震は一瞬だった、つまりはその衝撃と共に現れた……?

 なんだ、あれは。

 遊撃士としてのキャリアはそれなりに積んでいる、だが異常とすら定義できないほどの異常事態、スレイン理解できなかった。できるはずがなかった。

 だが、スレインは遊撃士だった。支える籠手の一員だった。

 急速にスレインの思考が動き始める。まず、隣にいた同僚の肩を掴んで振り回した。

「……おい、アリエル!」

「スレ……イン?」

「狼狽えるな! 今何をすべきか……お前ならわかるはずだろう!?」

「ああ……すまない」

 アリエルの瞳孔に光が戻ってくる。無理もない、自分だって、少し油断すれば吐き気がしてくるほどだ。

「一旦別行動をとる。お前はこのあたりの住民を、できる限り南へ送ってくれ。あれがまともな代物じゃないだってことだけは判るだろう! 公国軍と連携を取りつつ、住民の避難を図る! 一分一秒が命がけになる……支える籠手として動くぞ!」

 命がけ。それは直感だった。

「ああ……! スレインは!?」

「リーダーとしての役目だ……“あれ”の近くまで行く……!」

 スレインは巨柱を指さした。巨大すぎて細かくは判らないが、凡そ公都ハリアスクの近郊、ここから百セルジュは離れた場所のはずだ。すぐに行動を起こさなければならない。

「……死ぬなよ」

 動く。スレインはアリエルの手を放し、アリエルはスレインの背を叩いた。

 背中でアリエルの声が聞こえる。

「皆! 状況が判らない、避難するから私についてきてくれ!」

 遊撃士、公国軍。彼らの声が届かないところでは、未だ人々は呆然我失としている。スレインもアリエルと同様に、どんどん声をかけながら巨柱へ向かう。大通りを駆け抜けていく。

「皆、あの巨柱から離れろ! 何が起きるか判らない、遊撃士と公国軍の指示に従うんだ!!」

 どんどん、声をかけ続ける。それでも走るのを止めない。すぐに息絶え絶えになり、脳が酸素を求めて霞みだす。

 そこで、スレインは辺りの異常事態に気づいた。

「……雪?」

 脳が酸素を求めて幻視したのではない。本当に景色がかすんでいる。その正体は、紛れもなく白いあられ。吹雪のように見える。だが今は7月……異常気象の寒さでもない。

 それが激しく、不覚にも白いあられが口に入ってしまう。

 そこで気づいた。これは雪ではない……。

「塩……!」

 あの公都近郊の巨柱から、猛烈な向かい風。氷ではなく、塩の欠片。ならばあの柱の灰白色の正体は……。

「塩の柱っていうのか……!?」

 巨柱は公都の北にある。北ハリアスク街道に向かうには、北西の商業区を通る必要があった。ハリアスク城館は北東にある。中央行政区、公国軍の本隊が動くにはまだ時間がかかる。

 北西の商業区は、小高い丘の上に造られている。そのハリアスク城館を除く公都で最も高い場所に辿り着き、巨柱の全容を見なければならない。

 走っていく、走っていく。スレインはいくつか目の交差路で、公国軍の一団に辿り着いた。

「おーい!」

「……遊撃士殿か」

「ハリアスク支部代表、スレイン・アルビドゥスだ! 状況はどうなっているんだ!?」

 塩の吹雪が続く中、呼吸しずらくもスレインは何とか声をかける。相手はそれほど話したことはないが、会合などで面識のある大尉だった。

「……遊撃士たちは、どう動くのだ?」

「状況が判らない、でもまずは避難活動が優先だ。必要があれば軍に従う」

「……そうか」

「どうしたってんだ? この異常事態こそ、迅速に動かなきゃならないだろう!?」

 大尉たちの覇気がない。それだけだからかは知らないが、兵士たちも死んだ目をしている。異常事態なのは勿論、しかしまだ絶望するより動くべき状況であるのは確かだが……。

 大尉は、苦虫を噛み潰した後のように、重々しく口を開く。

「北ハリアスク街道の詰め所に元々詰めていた門兵たちとは、連絡が途切れた」

「……何だって?」

「あの巨柱が出現したのは5時45分頃。以降、導力通信による定期連絡もなく、こちらからの連絡も通じない……恐らくは壊滅した」

「壊滅……」

 遊撃士と比べれば安定した戦力を持ち、国を守る覚悟を持つ彼らが、これだけの戦意喪失を伴う“壊滅”。

 大尉の手は震えていた。北ハリアスク街道の詰め所には、左官クラスの人間も詰めていたはずだ。その心中は察するに余りある。

 だって、こちらの手もまた震えているのだから。

 だが。

「──ふざけるな!」

 スレインは、大尉の胸ぐらを掴みにかかる。兵士たちがそれを制止しようとするが、それも意に介さない。

「何のために俺たちはここにいるんだ!? 国を、人を、護るためにいるんだろう!?」

 詳細は判らない、何故壊滅したのかも判らない。被害状況も判らない。だが、危険な状態であるのに変わりはない。

 理屈ではない。人智を越えた力の前に、生半可な覚悟など意味をなさない。例えば他国との戦争なら、それは人の興したことだ。時に命を捨てる意味がある。何も判らない状況で命を捨てることができる人間なんて、普通はいない。ましてや、今まで平和続きのこの国であれば。

 スレインが半ば狂乱に陥りながらも、それでも動けているのは奇跡に近かった。だからスレインは本能的に、自分がやるべきことを理解していたのだ。

「考える前に、動くんだ!」

「あ、ああ……」

 今は時間が惜しい。少しでも早く、動いてもらわなければ困る。

「すまない、遊撃士殿。こちらは大丈夫だ。南へ避難誘導をすればいいな」

「ああ。俺は巨柱の近くまで行く」

「商業区・居住区を任せてくれ。普段からその範囲を守護している。地理の強さは、君たち遊撃士にも負けまい」

「判った」

「それに、すぐに北にも兵士を向かわせよう。無論、“現実”は見なければなるまい……だが、死力を尽くすと誓おう……!」

 瞬く間に、大尉の目に意志が宿る。彼は兵士たちに言葉を投げかける。

 スレインは、再び走り出す。

 塩の吹雪は、どんどん強くなっていく。巨柱に近づけば近づくほどに。

 導力通信は便利だが、現状は頼れない。連絡手段は早馬もあるが、この状況ではどこまで機能するのかも怪しい。

 だから、自分の目で確かめるしかない。

 近づくほどに、不安が強くなる。鼓動が早くなる。呼吸が乱れる。手足が痺れる。

 走り始めて数十分。スレインは、その場所に辿り着いた。

「なんだよ……これ」

 巨柱が現れたのはハリアスク近郊だった。それは間違いない。だが、なぜ自分は、公都ハリアスク北部で止まっている。

 公都ハリアスクには白亜の壁がある。それは中世の戦乱の時代の名残で、強固な防壁としての真価を発揮していたのに。

 今、遠くに見えるその壁は全て崩れ去っている。壁の向こう側のノーザンブリアの平原が見える。巨柱の足元が、全てまっさらな灰白に覆われているのが見える。

「これが……全部、塩だっていうのか……?」

 塩の吹雪は強まっている。呼吸が苦しい。眼に当たる。世界が白い。

 スレインは、巨柱よりまだ30セルジュは離れた場所にいた。幸い小高い丘にいるから、その威容が見渡せた。

 禍々しく天を穿つ塩の柱。夕暮れの太陽を飲み込み、世界を埋め尽くさんと見えるそれは、知らないはずの大崩壊を想起するくらいの恐ろしさ。

 だが、おかしい。スレインの近くには、恐怖に慄くはずの人々の姿は見えなかった。塩の風を切り裂く音のほかには、何も聞こえない。

「おい……おいっ! 誰かいないのか!!」

 辺りを、所かまわず探し出す。スレインも、いつ心が折れてもおかしくはなかった。

 そうして、スレインは一人を見つけ出した。

「……誰かっ」

 壁は塩のように崩れて崩壊したように見える、だが、スレインがいるその場所は、凄まじい風圧によって全てが吹き飛んだように見える。恐らくは、遊撃士協会があの衝撃に襲われた時の爆風が、もっと強い形で受けたのだ。巨柱出現直後は柱に穿たれて気を失ったのか。

 その人物は、瓦礫の中で、巨大な柱にもたれかかっていた。

「あんた……」

「ああ……遊撃士の兄ちゃんか」

 壮年の男性だった。塩にまみれ、髪が乱れている。脚には、別の柱がもたれかかっている。風前の灯火か、いつ眠りについてもおかしくない声だった。

「頑張れ! 今助けるから!」

「いや、いい。もう動けねえよ」

「ふざけるな……! 何のために俺がここまで来たと……」

「人を……助けるためにだろ? 俺はもう助からない」

 男性は、努めて静かな声だった。

「だから、兄ちゃんは早くここから逃げろ。ここにいてももう無駄だ」

 スレインは、彼の言わんとすることを理解したくなかった。スレインは、無駄だと言われても、柱をどかそうと力を込める。

「どうせ柱をどかせても、俺は動けない。それじゃ、あの波から逃げることはできないだろう」

「波……だって?」

「柱の足元を見てみろ……()()()()()だろ?」

「え……」

 スレインは立ち上がった。そして、その方角を注視した。今度は眼に塩がかからないよう注意して、それでも全てを見えるように眼に力を込めて。

 ……柱を中心にある塩の海が、こちらへ進んでいる。

「判ったか、兄ちゃん。たぶん()()にのみ込まれたら終わりだ。しかも、もう公都に侵食してきてる」

 男性は言った。意識を取り戻してから、動けないままに彼はずっと柱を見ていたのだと。街道の先にある公国軍の駐屯地が塩に飲み込まれ。建物そのものも塩と化し、塩の海が公都の外壁に辿り着いて同様の運命を辿り……。

「事態が判らなくて、知り合いを助けようとした人たちも塩の彫刻になったのが見えた」

「何を……そんな馬鹿な」

 その塩に触れた存在は、人も物も関係なく、塩となる。瞬く間に。

「何人もだ。こんなに女神を恨んだ日はなかった」

「そんなわけが」

「兄ちゃんの同僚もだ」

「──ぁ」

 その言葉を、聞きたくはなかった。自分と同じく使命感にあふれた、勇敢な同僚たち。勇気を持って、恐怖に打ち勝って、民間人を助けようとしたに違いない。

「……ぅう……!」

 衝撃のあまり、スレインは膝を折った。そのまま、胃の中から何かがせり上がってくる。

「うぇ……げぇっ!」

 いったい、何が起こっている。これは夢なのか。

「勇敢だったと思う。それでも、命がなきゃ意味がねえ。救える命は沢山あるはずだから」

「……でも」

 男性は理解していたのだ。自分の足では、避難が間に合うことはないと。公国軍も一部が壊滅状態で、男性を抱えられるだけの人もいない。だから自分は助からないと判っている。

「行ってくれ」

「……判った」

 口の中が気持ち悪い。腹が痺れる。でも。

 スレインは、立ち上がった。

「誓うよ。絶対に、もっと沢山の命を救うって」

「頼むよ」

 そのまま、棒術具を握りなおす。こんな事態にあっては、得物を持つことなど意味もないかもしれない。それでも、それだけが、自分を奮い立たせることができる唯一のことだった。

 走る、走り続ける。今度はある程度安全圏に立ちつつ、北の壁を見ながら東へ走る。

 その間も、巨柱から噴出される塩の海は浸蝕を続けていた。北ハリアスク街道の東には、広大な針葉樹林帯がある。その一部が今、塩の海の浸蝕を受けて彫刻のような結晶と化し始めていた。

 そして、北西の公都の壁と同じく、そこから徐々に塩の海に飲まれる……《塩化》とでも言うべき現象が生じていた。

 スレインは走り続ける。吹雪はどんどん強くなる。だんだんと日も上がっているが、まだ日の入り前のような暗さだった。

 助かる人がいるなら、すぐにでも助けなければ。

「くそ……! どうしてこんなことに……!」

 未だ現実を見たくないと、脚を止めようとする自分がいる。

 いったい、この国はどうなっていくのか。

「──けて。助けて……!」

 声が聞こえた。ハリアスク城館までかなり近づいた、その時だった。

「おい、いるのか! どこだ!?」

「ここ……ここよ……!」

 巨柱発生から一時間以上が経った。誰もが信じれられない状況だが、それでも徐々に動ける人たちは動いている。

 一人、大切な仲間は散った。それでも、アリエルや二人の同僚たちは、きっと支える籠手の矜持を体現しているに違いない。

 だから。自分も。

 声の主は女性だった。先ほどの男性とは違い直接的な暴風は受けなかっただろうが、しかしどうして一人この場にいるのか。

 女性はワインレッドの髪を揺らしている。自分よりも少し年上か。一軒家から出てきたが、体調が悪くて動けないのか。他の人たちも、誰かを構う余裕はなかったのか。

「お願いします……つわりが酷くて」

 女性は、身をかがめていた。妊婦だという。腹部はそれほど大きくは見えない、それでもこの極限の状態、護るべき命がいるということ。その苦しさは計り知れない。

「大丈夫です。一緒に逃げましょう、貴女も赤ちゃんも、きっと助かります……!」

 先の男性は、見殺しにするしかなかった。それはきっと、今この時のためだ。新しい命を、何に変えても救うためだ。

「さあ、つかまって」

 女性の肩に手を回す。辛いかもしれないが、何とか自分の力で歩いてもらわなければならない。

 目指すのはハリアスク城館。普段は沢山の兵士がいる。それも、この事態ではどうなるか判らないが。バルムント大公も、近隣の都市へ避難している可能性が高い。

 それでも、動かなければならない。そうしなければ、生き残れない。

「はぁ……はぁ……」

「頑張ってください!」

 もはや人はいない、まだ塩化がこちらまでは届いていないが、最初の暴風は一帯を廃墟と化した。

 塩の吹雪の音だけが聴こえる。それも冬の大雪のように、ハリアスク近郊の塩の海のせいで音も聞こえにくい。

「辛い……気持ちが悪い」

「吐いてもいい! 何でもいいから、とにかく脚を動かして!」

 おぼつく女性の脚。それを何とかスレインが導く。

「話して……」

「え?」

「何でもいい……気分を紛らわしたいの」

 幽鬼のような表情の彼女は、それでもまだ歩くことを止めていなかった。彼女の願いを聞き届ける。生きるために。

 何でもいい、スレインは口を動かす。

「……俺は、スレイン・アルビドゥス。遊撃士です」

「はぁ、はぁ」

「俺にも、大切な人がいる。命に懸けても護りたい人が」

「その、人は……貴方の、何?」

「恋人です。ずっと一緒にいたい恋人」

「そう……私は、夫を亡くした……自分の命は、大切にして……」

「……はい」

 足取りが、少しだけ軽い。

「貴方……結婚は、してないの?」

「恥ずかしながら……まだ想いを伝えていません」

「そう……」

「貴女は、おなかに次の命を宿してる。それが判った時、どんな気持ちでした……?」

「……嬉し、かった。大切な人との子がいる……生きてほしい」

「はい」

「どんなに辛くても……私と同じように、大切な人を見つけてほしい……!」

「……大丈夫。その子は強くなる。こんな苦難の中で、お母さんに力をくれるんだから」

 ハリアスク城館が見えてくる。人の姿は未だ見えない。

「そう、ね……きっと、女の子には似合わないくらい、元気になる」

 女の子だったのか。そういえば、隣のレミフェリア公国は医療大国だった。そこで判ったのかどうかは、判らないが。

 スレインは聞いた。

「名前は……?」

「……サラ」

 脚のふらつきが、治まった。

「サラ……! 私の、大切な子……!」

「サラちゃん……ええ、きっと、強い子です!」

 二人は、ひたすらにハリアスク城館を目指す。

 そして、やっとの思いで辿り着いた。後ろから、どれほど塩の海が迫っているのか、それは見えなかった。

 ただひたすらに前を見ることでしか、動くことはできなかった。

「やっと……やっとだ!」

 スレインは、多数の兵士たちが戦時下さながらのように忙しく動いているのを見た。怪我人も多い。だがまだこれだけ人が動いているということは、幸いにもまだ塩が迫ってくるには猶予があるということだ。

「おい……おーい!」

「これは……遊撃士殿!?」

 返してくれたのは、西ハリアスク街道の門兵を勤めていた壮年の兵士だ。顔見知りがいるのは助かる。

「妊婦だ! つわりが酷いらしくて、まともに歩けない! 空港まで送って、負傷者と一緒に避難をさせてくれ!」

「なんと!? ……ひとまず、こちらへ」

 兵士に促され、女性はやっと横になることができた。苦しさはあるだろうが、それでも幾分はましなはずだ。

 スレインは兵士に訪ねる。

「それで……状況はどうなってるんですか? 現場を見てきたので、こちらは多少情報を伝えられます」

 スレインはできる限りの情報を伝えた。そして兵士たちからも、情報を聞く。

 巨柱出現から一時間以上が過ぎた。未だ混乱は続いているものの、避難活動は始まっている。発生地域に近かった人間は塩の海に呑まれているが、安全地帯にいた人々は避難活動が進んでいる。

 塩化を見た人間の恐怖は計り知れない。兵士たちとしても有事に命を懸けるのは当然のことだが、どういった状況で危険が付きまとうのかわからなければ動くに動けない。上層部の判断はある意味で正しいが、取り残された人々にとっては絶望的な判断だった。

 スレインは疑問符を浮かべた。

「なら、なんで公国軍はここに? 住民は南に逃げてる。ここにいても、大したことはできないでしょう? まあ、結果的にそれで俺たちも助かりましたけど」

「それは……」

 顔馴染みの兵士のみならず、スレインの話に耳を傾けていた全員が苦しげな表情をしていた。それは依然として続く塩の吹雪に顔を歪めたのではない。

 何もできない苦しさでもない。できるのにできない苦しみの表情だった。

 そこまで来て、未だ城館にの明かり灯されていることに気づく。

「そういえば……バルムント大公は避難されたんですか?」

 それが真相だった。スレインの眼の先、正面のハリアスク城館大扉から、その人物は現れた。

 精悍な顔つき、しかし今は慌てふためいている。

 崩壊しつつあるノーザンブリア大公国の元首、バルムント大公その人だった。

 つまりは……バルムント大公の差し金だったのだ。兵士の士気が回復してもなお、住民の避難が遅れているのは。

 スレインは兵士に聞く。

「……なんで大公はこのタイミングで避難を?」

 国家元首である以上、彼の存在は国と国民にとって大きい。兵士の士気にも、避難に成功した後の人心にも大きく影響するだろう。誰にとっても家を失うのは辛いことだが、早急にある程度安全な場所に避難して、陣頭指揮やあるいは慰安訪問に訪れていただきたかった。ただでさえ、建国祭当日で国外からの観光客も相当数被害にあっているだろう。災害が落ち着いた後も顔を立てる必要はあるのに。

 自分だって、遊撃士でなければ泣きわめいて逃げ出したくなるほどの惨状。それでも少しでも己のできることをする。それが、ノーザンブリア大公国に済む自分の嘘偽りのない指針だ。

 その時、だんだんとバルムント大公はスレインたちがいる場所に近づいてきた。別にこちらに来る目的ではないだろうが。彼の目指す先は……。

 と、そこで気づく。彼が目指す方角にあったのは……《ハリアスク空港》。

「おい、まさか……」

 スレインは気づいてしまった。ご丁寧に大公は後ろに、大量の鞄を持たせた侍女や兵士を連れている。

「早く荷物を運べ! グズグズするな!」

 荷物など、避難先で第一優先ではない。

 この大公は、あろうことか()()()()()()()()()()()()のか。

 

 

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