【完結】軌跡シリーズ ノーザンブリア外伝~灰白の詩~   作:迷えるウリボー

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4話 死に逝く街

 

『《塩化》と呼ぶべきその現象の進行速度は凄まじく、被害は瞬く間に拡大し──星杯騎士の到着したころには旧公都全域が塩と化し、逃げ遅れた市民多数の犠牲が確認された』

 

 

 

 

 世界は歪な暗闇に包まれる。未だに塩の吹雪が人々を苦しめる。巨柱出現から二時間経過。

 災厄の中心地、ノーザンブリア大公国の公都ハリアスク、元首が住まうハリアスク城館のその場所で、国家元首バルムント大公は、忙しなく兵士の間を通り抜ける。

「早く荷物を運べ! グズグズするな! これらは全て大公家の大事な遺産なのだからな!」

 確定した。気づいても信じたくなかったが。

 目的は、国外への避難。誰もが必死で生きようとしている中で、バルムント大公はあろうことか、陣頭指揮でもなければ後方支援でもなく、あろうことか国外避難。

「行けません、遊撃士殿」

 壮年の門兵がスレインの肩を掴んだ。スレインは無意識にバルムント大公に近づこうとしていた。

 兵士たちの表情を見るに、彼らもまた大公の行動を看過したくないのは明らかだった。当たり前だ。

 最初の衝撃。あり得ない状況。見殺しにしてしまった男性。もう少しで救うことができる妊婦と赤子。

 この極限の状況の中で、スレインはよくやっていた。いつ精神が崩壊してもおかしくない中で、それでも何とかやってこれたのは、希望にすがっていたからに他ならない。

 自分たち遊撃士、公国軍兵士、勇気ある民間人、そして為政者。全員が、少しでもできることをしてくれるのだと、信じていたからだ。

 だから、許せるはずがない。

「ふざけるなぁ!!」

 スレインは叫んだ。バルムント大公がもっともスレインに近づいた時だった。

 ここにいるのは幾人の民間人を除けば、全員が兵士と城館付きの人間。だからこそ、ざわついた状況の中でスレインの声は確かに大公に届いた。

「なに……?」

 だが大公は我関せずといった顔。そのまま空港へ歩を進み続ける。これも当たり前だ。この極限の状況、他者のことを構っていられるはずもない。

 それでも、スレインは看過しなかった。兵士たちの手を振りほどき、すぐさま止められ、それでも進む。バルムント大公の進先に割って入り、なおも兵士たちに羽交い絞めを受ける。

「ふざけるな、バルムント大公……! 貴方がいなければ……この国は終わる……! なのに、何故……!?」

 スレインの肩に取り付けられた、支える籠手の紋章を見た。大公は苛立ちを隠さずに叫ぶ。

「遊撃士風情が邪魔をするな! だからこそ、大公家の血筋は絶やしてはならないのだ! レミフェリアへ逃れるのも当然の決断だろうが!?」

「国は、貴方がいて……何よりも国民がいなければ成り立たないでしょう!? 彼らを見殺しにして、いったいその血筋に何の意味があるというのです!?」

「貴様ぁ……!? 者共、そいつを叩き斬れ!」

「ぐっ」

 棒術具を取り上げられ、焦る兵士たちはスレインを組み伏せた。スレインが反逆者であることに、間違いはないかった。

 だが、兵士たちは動けなかった。大公の意志に従うこと()正しいけれど、それでも動けない。

 己の正義のために反逆しかねないスレインと、己の保身のために鉄槌を下すバルムント大公。このままでは場が崩壊しかねない、その時だった。

「大公閣下、お待ちください」

 焦りが強い大公、彼よりも落ち着いた低い男性の声。

 彼は、兵士たちの後方からやってきた。馬を駆り、南の方角から。恐らくは、避難する民間人たちの流れに逆らってやってきたのだ。

 スレインは拘束されながらも、それでも立ち上がって彼を見た。公国軍の軍服に、左官を示す赤色の外套。

 彼は、スレインの目の前に立った。その顔は経験を積んだ戦士の目であり、鍛え上げられた肉体は頑強な男性のそれ。褪せた黒髪を短髪にした、落ち着いた空気の人物が、スレインを見るなり殴り飛ばした。

「うぐぇ……!」

 飛ばされる遊撃士。兵士たちは何もできず、黙ってその場を見届けるのみ。

 自分の拳を一瞬だけ見てから、その男はバルムント大公に向き直った。

「閣下。到着が遅れたこと、誠に慙愧に堪えません。バレスタイン、ただいま参上いたしました」

「おお、よくぞ来たな、バレスタイン大佐!」

 空気が、少しだけましになる。殴り飛ばされたスレインは、痺れる顎をかばいながら、今度は顔だけを上げた。

「バレ、スタイン……?」

 公国軍でも一個師団を束ねる英雄の名だ。普段は南方エレボニア帝国との国境に詰めているはずの彼が、どうしてここに。

 立ち上がれないスレインを余所に、話は進んでいく。

「閣下、あの遊撃士の処遇を私に任せてはいただけないでしょうか」

「なに?」

「この非常事態です。閣下と同じく、非情な決断は常にやってくる。バルムント大公の名の下に、すでに彼の刑は定められた。ならば、せめてノーザンブリアのため、彼には生贄になっていただくのがよろしいかと」

「ふ、ふざけ……」

「どうか、閣下はそのまま避難されますよう」

 その一言が決定的だった。バルムント大公は、ついにスレインの視界から見えなくなる。そのまま空港へ向かうだろう。ノーザンブリア大公国は空の航路がそれほど多くなく、飛行船の数も少ない。大公が一隻を占領してしまえば、ここにいる人々を救えたかもしれないのに。

 塩の吹雪の中、スレインは立ち上がれないまま、憎々し気にバレスタイン大佐を見上げた。だが、当の大佐は努めて冷静な表情だった。

 そして、一言。

「すまない、スレイン・アルビドゥス」

「え……?」

 バレスタイン大佐が、スレインを立ち上がらせる。一瞬ふらつくも、近くにいた兵士に支えられた。何とかスレインは一人で立ち上がり、公国軍の英雄と正対する。

 どうして名を知っている……いや、居住区の大尉と同じく、会合で面識があったか。こちらのことを覚えているなんて考えたこともなかったが。

「お前の心情は察するに余りある。だが、少し冷静になれ。そうでないと救えるものも救えんぞ」

「アンタが言うか……! あの大公が逃げおおせた飛空艇で、いったいどれだけの命が救えると思ってるんだ……!?」

「ああ、その通りだ」

 やられたことをそのままやり返したい。そっくりそのまま、殴り飛ばしてやりたくなる。

 だが、バレスタイン大佐の言葉はスレインの烈火のごとき怒りを冷やした。

「なら、なんであの大公の命令を聞く!?」

「お前と同じだ。堕ちた大公に、意味などない」

 あろうことが、スレインと同じ意見だった。殴られたことよりもその言葉の衝撃のほうが強かった。

「お前と同じだ。多くの民を救うべきだが大公のあの惨状では、民の心も、我々兵士の指揮も上がらんだろう」

「つまり……」

「だから、もういい。この場にいてもらわないほうが助かるのだ」

 バレスタイン大佐は、先のスレインへの拳で兵士民間問わず、この場の全員の視線を集めていた。

 振り返り、外套を塩まみれにしても、それでも威風堂々と高らかに告げる。

「この場は私が指揮を執る! この窮地、諸君らの役目は何よりも国民を救うものと心得よ! 全ての大地が塩に飲まれようが構わん! 老若男女の差異などない! 全ての命を救え!!」

 大地が震える。四肢に活力が戻ってくる。それくらい、頼りになる覇気だった。

『イエス・サー!!』

 兵士は斉唱する。先程までの混乱は消え失せ、彼らはそれぞれの役割を取り戻した。ある者はその場の避難民に寄り添い、ある者は伝令役を請け負い、ある者は危険を覚悟して動けない人を助けに行く。

 少しはまともになった空気の中、バレスタイン大佐はスレインに向き直った。

「重ねて無礼をかけたな。だが、助かったぞ」

「クソッ、いてて……つまり出しに使われたのか、俺は」

 幾ら大公の行いが地に堕ちたとはいえ、それに反旗を翻すのは、この非常事態において自殺行為に近い。人が人を滅ぼすのは、あくまで人間だということを物語っているようだった。

 それを、バレスタインは現実的に良い落としどころまで持って行ったのだ。

「おかげで統制をとることができた」

 バレスタイン大佐は兵士を介し、スレインに治療薬を渡した。

 会合でしか知らない、だが指揮を執る彼の様子を見てわかった。この男は本物だ。今この時、大勢の先頭に立つ力量がある。そしてそれと同じくらい、一人の軍人として人々を守ろうとする矜持がある。

 薬を殴られた顔面に当て、形だけの治療を施した。

 そしてスレインは聞く。まだ、この場で立ち止まってはいられないのだ。

「公国軍は、これからどう動く?」

「正直に言って、状況は絶望的だ。ハリアスクの西と北の街道と、橋梁は崩壊したと連絡を受けている。早晩、この公都も塩に呑まれる」

 ノーザンブリア大公国は公都ハリアスクを中心として、五つの行政都市がある。北の海港都市レヴェリ、西の地方都市キルヴァ、東の河港都市アングリア、南東の観光都市ケント。

 崩落した西と北のハリアスク街道は、レヴェリ・キルヴァと公都を繋ぐ唯一の街道だった。

「レヴェリとキルヴァは導力通信で連絡が取れているが、《塩化》に浸蝕されるのも時間の問題だ。順次隣国へ避難しているが……現地の駐屯兵に任せるしかあるまい」

「……くそがっ」

 この公都ハリアスクも、《塩化》の侵攻が止まらないなら持って一晩か。

「唯一の幸運は、グレーブ河の南側ならば避難が可能かもしれないことだ」

 残る二都市、アングリアとケントはノーザンブリア大公国を東西に走るグレーヴ川の、向こう側に位置している。だからといって安心などできるはずがないが、それでも僅かな希望にかけるしかない。

「あと二時間だ。それ以上は、兵士を公都内部に留まらせておくにも危険すぎる。その限られた時間の中で、進みつつある塩の波を避けながら、動けない人々を救出する。それが、今この場にいる我々の使命だ」

 大佐が率いる師団は、避難先の人々のためにそのほとんどがアングリアとケントに移動しているのだという。当の本人は、最低限の部下だけを連れてこの場にやってきた。

「途中、アリエルという遊撃士と遭遇した。住民の避難を精力的に果たしてくれていた。公国軍としても頭の下がる思いだ」

「ああ……」

「お前はどうする?」

 その問の直前に、後方で戦うアリエルの存在を仄めかした。バレスタイン大佐は、恐らくスレインを後方に送ろうとしていた。

 だが、それはできない。

「決まってる……俺はハリアスク支部のリーダーだ。貴方と同じ。できる限り沢山の人々を助ける」

 ここで逃げることなどできない。理屈ではない。

「……ならば何も言うまい」

 バレスタイン大佐は、地に転がっていたスレインの棒術具を拾い、そして渡してきた。そのまま肩に手をかける。

「スレイン・アルビドゥス。正直に言う。この国はもう終わるだろう」

「……っ」

「少なくとも《大公国》は崩壊する。加速的に発展する大陸と、導力革命以降混迷を極める西ゼムリアの国々。こうなった以上ノーザンブリアは、生きるための選択を迫られ、そして時代に吞み込まれるだろう」

 苦難の季節。バレスタイン大佐も、スレインも判っていた。これだけ災厄に飲まれた国が自立できる方法など限られる。どうあがいても一国としての権威は死に絶え、ノーザンブリアは富か、命か、誇りか、何かを捨てなければならなくなる。膨張を続ける大国に諍うために。

 だから、遊撃士も軍人も、今までの平和的な共存はもうできなくなるだろう。遊撃士は理想のために人を救い、軍人は生きるために他国民を殺すことになるかもしれない。

 それでも。

「だが、我々のすべきことは変わらないはずだ。遊撃士は人々を、軍人は民と国を護る。……だから今だけは協力を頼む」

「判った。支える籠手に誓う」

 たとえ道を違えても、根幹の意志は変わらないのだと。

「そうだ、大佐。俺からもお願いだ」

「なんだ?」

「妊婦を助けた。おなかの中に赤ちゃんがいる……」

 スレインは、再び地獄へ歩き出す。

「少し感情移入しすぎたんだ。俺の分まで、見届けてくれよ」

「……できる範囲でな」

 

 

 

────

 

 

 

 巨柱出現から三時間が経過した。世界はようやく日の光を拝めるようになってきたが、それも塩の吹雪のせいで、曇天の空気であるのに変わりはない。微かに青みがかった空なのが幸いだった。

 スレインは今、公都ハリアスクで地理的にほぼ中心の場所にいた。遊撃士協会からそれほど遠くなく、スレインの家やリーナの実家も近い場所だった。

 強すぎる吹雪で遠くの景色はほとんど見えない。だが時折生じる微細な振動、規則的な地の鳴動。一帯の地盤が完全に緩み、地割れと土砂──と言うより塩崩れを起こしていることを物語っている。ここもすぐに危なくなることは判っていた。《塩化》はもう、公都の半分以上を埋め尽くしているといっていい。

 人がいないことによる静寂。雪に覆われたハリアスク近郊の平原でも生じる現象。堆積物が音を吸収し、世界を無音に誘いこむその現象が、この塩の海でも生じているのかは判らない。だが、そうと感じてしまうほどに寒々しい。

 巨柱の出現した場所からそう近くもないだけあって、中央通りのその場所は、特に家屋が倒壊してはいなかった。だが、塩は着実に被害をもたらしている。

 そんななか、スレインが久しぶりに出会った人物は、この場でもっとも出会いたくない人物だった。

 通りの向こうから、塩の海を背後に回してこちらに歩いてくる。その一団は四人だった。十歳前半だろうか、背の低い少年が一人と、残りは成人。頭から血が流れ足取りの重い大柄な男性を、女性二人が肩で支えて歩いている。

 その一人は、リーナだった。

「リーナ!」

 思わずスレインが叫んだ。彼らは気づくと、特にリーナが必至の表情でこちらに手を振っている。

「スレイン! 手を貸して!」

「おいっ、なんでここにいるんだ!?」

「この人、爆発の時の衝撃で二階から落ちて……さっきまで気を失ってたの!」

 スレインの怒号に構わず、リーナも叫んだ。

 リーナともう一人の女性が二人がかりで抱えるその男性は、確かに朦朧とした様子だった。頭からは多量でないとはいえ血液が滴っている。先の妊婦とは別の意味で歩けない。華奢な女性二人と成長期前の少年一人、抱えて歩くには難しいに決まっている。

 状況は判るべくもないが、あれだけの爆発や混乱があったのだ。意識のない人間の一人や二人、いたとしてもおかしくないが。

 いや、それよりも。

「お前……すぐに避難できただろう!? 早く逃げろって言ってんだ!」

 他の避難民がいる状況にも関わらず、それでもスレインは叫ばずにはいられなかった。リーナの実家の場所を考えれば、兵士や遊撃士の指示に従って南に逃れることはできたはずなのに。

 なおさら、誰よりも護りたい人が死地にいる。怒らずにはいられない。

 狼狽する女性と泣きそうな少年に構わず、その剣幕は温厚な遊撃士のそれではなかった。

 リーナは男性を支えたまま、むしろスレインに食いかかる。

「人を助けるのが遊撃士や軍人だけって決まりはないでしょう!?」

「っ……! けど!」

「私とか、誰かとか、そんな線引きで決めることじゃない! スレインが護りたいのは“皆”でしょ!?」

 絶対に、私が助ける。変わることのない眼がスレインを射った。

 逡巡は二秒にも満たなかった。

「……すまない、どうかしてた」

 スレインは、女性と少年に向き直る。

「御見苦しいところを見せましたね。必ず、助けます……!」

 スレインはリーナに手を貸し、彼女の代わりに男性を支える。相当に重い。女性も、リーナも、よくここまで歩いてこれたものだった。

「大丈夫。私は絶対に死なないから」

 そんなリーナの言葉を受けて、スレインは足に力を籠める。

 迫りつつある塩の海に恐怖を抱いても、それでも一同は精一杯歩き続ける。

 男女と少年の三人は、家族なのだという。やはり巨柱出現当時に店の営業のために一人でいて、そうして混乱の最中発見が遅れ、父の行方を探していた、この紺髪の少年によって発見された。だがその時には近くに人影もなく、軍人もいなく、人々の避難を誘導していたリーナによって発見された。

 その運命を呪いながらも、スレインは納得せざるを得なかった。助けを求める少年に対し、手を差し伸べないリーナではなかったのだ。そして父親を助けれなくともそばにいる少年の挙動も、その限りだった。

「頑張って……! 父さんも、遊撃士のお兄さんも! 頑張って助けてよ!」

「ああ……!」

 まだ十年とそこらしか生きたことのない少年への仕打ちがこれとは、最初にあった男性ではないが、女神を恨みたくなるような所業だった。どうして、どうしてと、その言葉を吐き続けられずにはいられない。

 今、少年はリーナが手を引いていた。父親は、ようやく少し意識が戻ってきたようで、それでも体力が奪われて殆ど喋れないでいる。歩くことだけに力を注いでいるからだ。

 母親である女性も、力を保つためにほとんど無言を貫いていた。が、少年とリーナが離れた時に呟いたその言葉が、全てを物語っていた。

『万が一の時は……どうかあの子をお願いします』

 いざとなれば、二人だけでも助けなくてはならない。その残酷な選択肢を、人への信頼をなくしかねないその行為を、しなければならない。

 そしてその時は、否応なく迫っていた。

 バレスタイン大佐が告げた刻限まで、あと30分。だが、現実的に兵士の数が少なくなっているであろうことは明白だった。何故ならこの極限の状況では、兵士たちも確実に救える街の南付近で救助を続けるだろうし、そしてなによりもスレインたちのいるこの場所が、最前線に違いなかったから。

(頼む……あと少しなんだ! 持ちこたえてくれ!)

 後ろから響く鳴動。前を歩く少年とリーナが、先ほどよりもさらに顔を青くしている。それは、すぐ後ろまで塩が迫っていることを意味している。

 恐らく避難できるだろう、とバレスタイン大佐が言っていたのは公都ハリアスクの南を沿うように通り、大公国を南北に分けるグレーブ河の向こう側だ。そしてそのグレーブ河は水運として大公国の国内経済をになっているほどの存在で、特に公都周辺は橋がなければまず渡ることは不可能だ。

 スレインがバレスタイン大佐と会ったときには、既に公都の西と北の橋梁は崩壊したと言っていた。もう東の橋梁もハリアスク城館も、大聖堂も、協会支部も実家も何もかもが塩の海に呑まれているだろう。

(くそ……くそぉ……!!)

 滴る汗は、吐き気がするほどに塩味がする。眩暈のように視界は白い。

 もう、生まれた時からそこにあった街はない。何もかもが、ない。

 そして、ここにいる五人が全員生き残れるはずもないのだ。

(無理だ……どうしたって無理だ……!)

 今の速度では、南ハリアスク街道に通じる南の大橋に着くのは20分はかかる。仮に全員が走れたとしても、何かがあれば間に合わないかもしれない。

 決断をしなければならないと、スレインが逡巡した時。

 その時、ひと際大きな地鳴りが響きく。少年とリーナがよろめき、スレインたちがふらつく。

「またなの……!?」

「いや……最初の衝撃とは違う。地面そのものが崩れたような……」

 リーナの困惑を、スレインは打ち消した。

 そして最悪の事態に気づく。

「まずい! 土砂崩れだ! リーナ、逃げろ──うわぁ!?」

 スレインたちが立っていた、まさにその場所が崩壊する。

 あの巨柱は、信じられない現象が当たり前のように起こっている。周囲の全てを塩と化し進んでいる。生き物も、無生物も例外ではない。

 であれば、大地そのものが塩となるのも必然だった。そしてゆるんだ岩盤すら塩となり、自分たちの地面が崩壊するのも。

 地面が脆くも崩れ去り、土砂崩れとなる。わずか残っていた石畳も音を立てて崩れ、スレインは辛うじて母親の手を取った。父親の手を置き去りにして。

 リーナと少年は先を歩いていた。彼女たちは転びつつも、無事だったのが見えた。

 そして、スレインはは残る手で、辛うじて死んでいない大地の縁に手をかけて落下を免れる。

 崖に捕まる。落ちれば、ただ塩と化す運命。その絶望的な状況に、スレインたちは直面した。

 

 

 

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