【完結】軌跡シリーズ ノーザンブリア外伝~灰白の詩~   作:迷えるウリボー

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6話 塩の杭

 

 

『出現から三日未明──ようやく《塩化》の進行が停止する。星杯騎士、旧公都ハリアスクの調査のため前進を開始』

 

 

 

 

「改めて……遊撃協会公都ハリアスク代表、スレイン・アルビドゥスです」

「ならばこちらもだな。七耀教会聖杯騎士団所属、守護騎士第八位。《吼天獅子》バルクホルン。見知りおきを願おう」

 ノーザンブリア大公国東方、河口都市アングリアの七耀教会礼拝堂で、その二人は接触した。

 バルクホルン。屈強な体格を持つ壮年の大男はスレインをその鳶色の瞳に収めた。

 それだけで、彼がただ者ではないことが判る。組織や立場としての力量は、先の飛空艇でも判る。だが、それ以上に武術としての実力という意味でも、自分やアリエル、並みの軍人では到底届かないほどの。

「俺を含め、リーナを助けてくれたこと。感謝します」

「ああ。一遊撃士でありながら、あそこまでの死地を歩くこと。随分な無謀をしたものだな」

 その言葉遣いだけで、厳格な性格であるのが判る。ただ、どうしてか思慮深い一面があることも感じ取れた。

 悔しさと怒りを覚えなくもなかったが、スレインはとやかく言わなかった。結局、自分ではリーナを、ゲオルグの両親を、沢山の人々を守れなかったのも事実なのだ。

 渦巻く感情に支配されかけて、それでもスレインは頬を叩いた。ここで悔やんでいる場合ではない。自分は、自分の役目を果たさなければならないのだ。そのためにすべきことは今、情報を集めること。

「バルクホルン神父。貴方に聞きたいことが沢山ある」

「……私が救った責務もある。口外しないと言うのであれば良いだろう」

「貴方は七耀教会の隠密部隊、なのか?」

古代遺物(アーティファクト)は知らんか? 《星杯騎士団》とは、古代遺物を管理する組織に当たる」

 七耀教会は大陸全土で信仰される宗教組織だが、その総本山は大陸中部の都市国家アルテリア法国だ。国を管理する省庁のいくつかに封聖省があり、星杯騎士団はその直属の組織なのだという。自治組織としての僧兵省ではなく、闇に紛れて動く暗部。

 それを聞いた時点で、スレインが感じるのは危機感だった。教会が慈善として遊撃士教会と同じように動くのは事実だろう。だが同時に、状況を利用とする帝国軍と同じように秘密裏に動いているということ。

 そもそも教会にそんな組織が存在することなど寝耳に水だったのだが、この極限状態において否定する頭にはならなかった。

「司祭たちがあくまで避難に協力してくれる一方で……貴方たちがこの場に来た目的は?」

「私はアレクセイ司教の要請を受け、従騎士とともにノーザンブリア大公国まで来たが……その任が何なのか、言わなくても判るであろう?」

「あの巨柱の捜査、ということですか」

 それは自分の口から語ることが躊躇われた故か。だが、その任務は明らかだ。

 先ほどバルクホルンが《古代遺物》の名を出したが、それは文字通り古代に作られた導力機構の道具を指す。現代の技術では到底実現不可能な不可思議な現象を引き起こす道具群を示すが、その管理は七耀教会が担っている。

 スレインは納得した。古代遺物は悪用される危険もある。だからこそただの神父でなく、目の前の男のような存在が回収をしているのだろう。

 突如として現れた、全てを塩と化すような異形の存在。現代の導力器や、あるいは人間の力では再現できるわけがない。その背景があれば、古代遺物のような存在を疑うのは自然な流れだ。

 今は災禍の最中だけあってその意識が向かないだけで、調査をして実情を明らかにしなければならないのはどの組織も同じだ。目の前の男が、明らかに早すぎるタイミングで現れただけで。

「私の部下が、今もあの巨柱の観察を続けている。塩化現象は続いているが、徐々に停滞しつつあるとの事だ。そうなれば、私は作戦艇を用いて巨柱に向かうことになる」

 この男は、自分とは違う次元にいる。確かに感じ取れることだった。大公国の状況を、軍部の動きを、諸外国の動向を知れても、自分ができることはほとんどないに等しい。

 これからどうするか。スレインには、その決断が待ち受けていた。

「……避難活動に協力はしないんですか?」

「確かにそれは重要な役目だが……適材適所というものがある。私の役目を担える人間は、他にはいない」

「今も、苦しんでいる人たちがいるのに……? 公国軍や、俺たち地元の人間を差し置いて、あの巨柱に向かうっていうのか……!?」

「何が言いたい? 遊撃士」

 その返答が、スレインの決断だった。

「貴方たちの調査に……加えさせてください」

「遊撃士たちのリーダー。もう少し、聡明であると思っていたがな」

 バルクホルンから、怒気がにじみ出る。

「あれの恐ろしさは痛いほどわかっただろう。手に負える代物ではないと。お前は支える籠手……その役割は、民に寄り添うことであろう」

「ああ、そうだ」

「ならば、何故身の丈に会わない無様を晒す?」

「俺がノーザンブリア大公国の国民だからだ……!」

 思い出すのは、バレスタイン大佐の言葉だ。

『スレイン・アルビドゥス。正直に言う。この国はもう終わるだろう』

『少なくとも《大公国》は崩壊する。加速的に発展する大陸と、導力革命以降混迷を極める西ゼムリアの国々。こうなった以上ノーザンブリアは、生きるための選択を迫られ、そして時代に吞み込まれるだろう』

 国が崩壊する。それは国が国であるために、自分たちを守る力がないということ。国民たち自身が、国民でなくなってしまう。現にもう、首都は崩壊し、君主は亡命し、目の前の男のような外部の人間が入り込みつつあるのだ。

 それでも、スレインは、この国の民は、ノーザンブリアの国民なのだ。富か、命か、誇りか、何かを捨てなければならなくなるとしても、自分が何者であるかというその一線だけは捨ててはならない。

「この国はもうすぐ死ぬ。でも心の全てが死んではだめだ。自分たちがこの事件の解決に力を注がないと、この国は本当に死んでしまう。だから……」

 例えそれが見せかけでも、体裁だけでも、何の記録にも残らなくても。他人だけには任せられない。国民がこの異変の解決に尽力しているのだと、世界に刻まなければならない。

「だから──俺は諦めないもう、俺は立ち止まれないんだ……!」

 それに、ただ遊撃士として人を助けたいと思うには、目の前で崩れ散った人々があまりにも多すぎた。自分のふがいなさと力のなさが、のしかかりすぎた。

 彼らを助けようとして、無様に生き残ってしまった自分が。避難活動だけではない、解決に尽力しなければならないと。

 それは、意志ではない。魂の底から鎖で繋がれたような、呪いだった。

「……お前のような世俗の人間に知られるわけにはいかなかったな」

「……なら、なんで俺たちを助けたんですか」

「言った通りだ。私は星杯騎士であり、教会の人間だ。人々を無下にはできない」

 バルクホルンが少しだけスレインの圧に負けた時、扉の向こうから力強い声が聞こえる。

『ならば、“我々”を共に行かせるのはむしろ義務であろう。守護騎士殿』

 扉が開かれる。現れたのはバレスタイン大佐だった。

「大佐!?」

「久方ぶりだな、スレイン・アルビドゥス。無事なようで安心したぞ」

 数日ぶりの公国軍大佐は、変わらず頼もしさと相容れなさを感じる。だが、それ以上に疑問が感じる。

「……どうしてここが?」

 わかったのか、と聞くスレインに、バレスタイン大佐はさも当然のように答える。

「どうしても何もない。私は橋梁崩落と飛空艇を見ていた。『七耀教会が新たな兵器を運用した』、その噂は本当だったというわけだな。教会絡みであれば、場所の特定も不可能ではない」

 バレスタイン大佐は、なおも正対する守護騎士に向き直った。

「お初にお目にかかる。公国軍大佐、バレスタインだ」

「守護騎士第八位、《吼天獅子》バルクホルンだ。そなたにも見られていたか」

「安心するがいい。飛空艇や貴方の存在を広めるつもりはない」

 組織の暗部と、暫定的な一国の統治者。端から見ても緊張感が増しているのが判る。

 スレインは気圧されかけたが、それでも負けるわけにはいかない、と疲れた体に鞭打ち立ち続ける。

 バルクホルンが口を開いた。

「バレスタイン大佐。『我々を共に行かせるのは義務だ』と言ったな。その“我々”には、そこの遊撃士とそなたが入るように聞こえるが」

「その通りだ」

「そなたは知るまい、教会と公家の密約を。その領域に踏み込むとでも?」

「いや? これは我々ノーザンブリアの人間が密約とやらを踏み荒らす提案ではない。貴方がた教会の矜持を守るための進言だ」

「それは?」

「教会は、女神の御名において人心を救う。ならば、今スレイン・アルビドゥスが告げた心意気を守るのも務めではないのか?」

 スレインの、ノーザンブリア大公国民の心。自分たちが自分たちであるという、自己同一性を守るということだった。

 バルクホルンは押し黙った。

「人々の体だけでない。心を救うのは、むしろ教会の役割ではないか?」

 普段なら、スレインはここまで出しゃばらないだろう。バレスタイン大佐はここまで遊撃士の肩を持たなかっただろう。バルクホルンは、有無を言わさずに話を切っていたかもしれない。

 人が人らしく死ねず、次々とその存在を消していく。その極限状態だから導かれた、各々の会話だった。

「他言無用にせよ」

 不意に、バルクホルンが口を開いた。

「大佐は直属の部下に、遊撃士は共にいた恋人と女遊撃士に。万一の時の言葉を伝えておけ。それ以上の一切を外に漏らすな。それができるというのなら、動向を許可しよう」

 神父は執務室から出ていく。

「何とか、認められたようだ」

「……感謝します、大佐」

「異変発生直後の遊撃士たちの迅速な行動には助けられた。その借りを返しただけだ」

 バレスタイン大佐は続ける。

「恐らく向かうは死地だ。だが……よろしく頼むぞ、スレイン」

「ええ、バレスタイン大佐。同じ、ノーザンブリア大公国の民として」

 夜は更けていく。まだまだ、悲劇は終わらない。

 話し合いを終えた大佐、神父、そして遊撃士の三人は共に巨柱の調査に向かうことに同意した。塩化の侵攻が止まった時を契機として。その時までは、最後の休息の時間だった。

 バルクホルンは言っていた。誰にも星杯騎士たちの存在を明かすなと。だが後の行動に影響に響かないように、近しいものにだけは告げろと。

 死地へ赴くこと。それをリーナと、そしてアリエルに明かさなければならない。

 眠れない夜を過ごし、少しだけでも体を休めた。

 そして、7月4日。

「おはよう、リーナ」

「おはよう、スレイン」

 朝食の後、スレインはリーナを呼び出した。未だ避難生活が続く街並みを二人して歩く。スレインは今、支える籠手の紋章を外していた。

「三日が経っても、落ち着いてはくれないな」

「うん……まだ、寝床がない人も沢山いるから」

「そうか……」

 河口都市アングリアは、街の南北にグレーブ河が流れている。その北方面は本来観光地として有名な場所だったのだが、今は公都の巨柱を目に焼き付ける避難民が溢れかえっていた。

 スレインとリーナも、特に示し合わせなかったがその場に辿り着いた。

 今日の天気は晴天だった。巨柱は灰白の威容を誇示し続けていて、見るだけで、思い出したくもない光景が甦ってくる。

 川口の柵に手を当てて、二人はそれでも平原の巨柱から目を離せなかった。

「……」

「スレイン」

「ん、なんだ?」

「大変だったね」

「……ああ」

 あの異変の中でリーナと出会ったのは、妊婦を助けた後だった。それでも長い付き合いの二人だ。荒んだ目を見れば、どんな経験をしてきたのかは理解できたのだろう。

「遊撃士だって、人だもの。休みたいときもあると思う」

「ああ」

「今は軍人さんも助けてくれてるから。しっかり休もう?」

「……そうだな」

 二人は歩き続けた。軍人は変わらず避難活動に尽力している。アングリアに居を構える人々は、公民を問わず避難民を受け入れた。宿泊地はベッドを提供し、人々も炊き出しに協力している。まだまだ異変発生から三日、混乱は続いていた。

 そうして、二人は本来なら公都と針葉樹林帯が見えるはずの丘に、今は巨柱の全容を見渡せる丘にやってきた。

「ゲオルグ君は」

「え?」

「ゲオルグ君は、無事に公国軍に保護されたって。最後まで付き添えなかったのは残念だけど、それでも助けられたね」

「無事、とは言えないけどな」

 託された命。彼は両親の最期に絶望していた。彼には意地でも生き残ってもらわなければならなかった。

 あの年齢で孤児になった。場合によっては、七耀教会の福音施設で過ごすことになるだろう。それも辛い日々のはずだ。自分たちは、彼を助けたと言えるのだろうか。

「スレイン、笑って」

「え?」

「さっきから、『え』とか『ああ』とかしか言ってないよ」

 リーナは笑い、スレインの両の頬をつまんだ。そのまま口角を上げにかかる。

ひーにゃ(リーナ)……」

「皆を守る遊撃士。でも、スレインだって一人の人だから」

 だから気を張る必要はないと、リーナはそう言っていた。

 遊撃士の道は、楽しいことばかりの順風満帆な道ではなかった。負傷することも、誰かと対立することもあった。その時、いつでもリーナはそばにいてくれた。どんな苦しいことでも、一緒に分かち合ってくれた。

 スレインの考えは、もうリーナには見え見えだったのだ。必要なのは、言葉を出して約束することだけだった。

「リーナ」

「うん」

「話さなきゃならないことがある」

「うん、知ってるよ」

「俺は、あの巨柱を調べに行く。だから」

「待っていてって?」

「ああ……」

 スレインは、覚悟をしても気まずさは解けなかった。

「危険な事だってのは重々承知してる。けど、俺は行かなきゃならないと……そう思う」

「私たちを助けてくれた、あの神父様と?」

「それと、バレスタイン大佐ともな」

「……心配だよ」

「判ってる。今回ばかりは、今までの魔獣討伐とは次元が違う」

 リーナにも、多くの知人にも、心配をかけてしまう。

 それでも……スレインは止まらなかった。

「バレスタイン大佐もいる。けど、あの異変の中心にただの人として俺が立ち向かうのは……大公国がまだ死んでいないっていう証明だと、思う」

 バルクホルンに言い放った、独りよがりの覚悟を明かす。考えてみれば、勝手な考えだ。

 でも、それを自分で否定するには失ったものが多すぎる。

 リーナはスレインの瞳を見た。

「約束して。絶対に、帰ってくるって」

「約束する。絶対に、帰ってくるって」

 スレインの言葉を聞き届け、リーナは少しだけ瞑目して、それでも笑顔と浮かべた。

 それだけでなく、言葉を重ねた。

「それともう一つ。今日が何の日か、わかる?」

「今日は7月4日……忘れないよ」

 異変の前日にリーナと話したことだ。スレインは言った。建国際の最終日にもう一度街を回りたいと。それは、伝えたいことがあるからだ。

 スレインは、懐を探った。

「本当は、建国祭の時にプレゼントを探そうと思ったんだけどな。でもこんな状況だから……」

「それは」

「代わりに、俺の半身を受け取ってくれ」

 リーナが差し出した掌に、スレインは握り拳を置いた。

 正遊撃士であることの証。所々に傷がついた、翼が閃く支える籠手の紋章だ。

「これは……」

 リーナは息を呑んだ。スレインも、ほとんど同時に生唾を飲み込んだ。

「俺は……ずっとリーナと一緒にいた。ずっと助けられてきた」

「うん……」

「自慢じゃないけど、少しくらいはリーナの隣にいれるような男にはなったと思う」

 会話を聞かれないとはいえ、人の波は多少ある。避難生活の最中の会話。雰囲気などどこにもない。

 でも、故郷は滅びた。遊撃士としての信念も、砕かれかけている。

 だからスレインは、変える居場所が欲しかったのだ。

 伝えるんだ。君と結婚したいと。

「絶対に俺は帰って来る。だから……一生、俺のそばにいてくれ」

 どちらからともなく、二人は互いに手を伸ばし……そして抱き留める。

「……絶対に、帰ってきて」

 それが最後とならないよう、精一杯に願って、二人だけの時間を過ごした。

 

 

────

 

 

 リーナとの時間は終わりを告げた。スレインは、許可された可能な範囲で、バルクホルン神父の素性や今回の任務の目的を明かした。

 散歩の終わりの間近、アリエルとも合流した。同僚として自分の行く先を明かし、そしてアリエルに自分が不在の間の遊撃士協会の指揮を任せる。

 やがて公国軍兵士と、バルクホルンの部下──星杯騎士団の従騎士なのだという──が塩化現象の停止を確認した。その報を受け、スレインは装備を整えてアングリアの外、指定された人気のない場所に向かった。

 そこにはバレスタイン大佐と、そしてバルクホルンがいた。

 再会の挨拶をする間もなく、空間の景色が歪んだ。あの日、スレインとリーナを助けてくれた飛空艇が姿を現した。

 慎重に乗り込む。ブリッジにはすぐに辿り着いた。

 中には既に星杯の従騎士が控えていた。彼は既に操縦桿を握っていて、バルクホルンが艦長席に座るなり、飛空艇の動力を起動させた。

「では……」

 バルクホルンが厳かに告げる。

「メルカバ捌号機、発信する。これより遊撃士アルビドゥス、そして公国軍バレスタイン大佐と協力し、《塩の杭》の調査へ向かう」

 それが号令だった。そして浮かぶ飛空艇だが、それ以上にスレインは気づいた。

「あれ、バルクホルン神父? 今……塩の杭って言ったのか?」

 塩化現象の停滞と共に、あの巨柱は色合いを灰白から朧げな白へと変えていた。それは巨柱が全てを変えた塩に、本当に塩そのものに変化した証のようにも見える。

「ああ……既に法国へは巨柱の概要を伝えているからな。封聖省はあの巨柱をそう命名した」

 後にノーザンブリア異変と称される、激動の三日間。その根源の名は。

「全ての物質を塩へと変える、あれの名は……《塩の杭》だ」

 

 

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