【完結】軌跡シリーズ ノーザンブリア外伝~灰白の詩~ 作:迷えるウリボー
『大地を塩と化す圧倒的な力は失われたとはいえ《杭》本体にはいまだ《塩化》の能力が残っており──たとえ僅かでも”直に”接触さえ持てば、どんな対象でも瞬時のうちに塩の結晶へと変えてしまう脅威を秘めていた』
吼天烈撃衝。バルクホルンのその無慈悲な一撃が幻獣を包み込み、強大な一撃を余さずなく与える。
スレインも、バレスタイン大佐も、最後の一撃はただ見ることしかできなかった。遊撃士であるスレインも、達人であるバレスタイン大佐も繰り出すことのできない一撃。
吹雪が晴れると、そこには静寂の身が広がる。
スレインは見た。ひっくり返って動かない幻獣と、立ち尽くすバレスタイン大佐と、そして膝をつくバルクホルン。
「神父!」
力をほとんどふり絞ったのだろう、バルクホルンは息絶え絶えの様子だった。
「大丈夫ですか!?」
「いい……問題ない」
バルクホルンは何とか立ち上がる。
「よくやってくれたな……二人とも」
それは、激戦を潜り抜けた仲間へ贈る言葉だった。
「感謝する。そなたらがいなければ、戦いはさらに熾烈を極めていたからな」
「国を守るためだ。立場など関係な良い戦いだった、それだけだ」
バレスタイン大佐が近づいた。戦いは終わったのだ。
だが休憩をしている暇はなかった。この場は、立っているだけで何が起こるかも判らない死地。早々に帰還しなければならなかった。
一同は今度こそ、塩の杭を回収した。バルクホルンは先の一撃で息絶え絶えだったが、何とか回収することはできた。とはいえ、安全のためには聖具の力を使い続けなければならなかったが。
メルカバを操る従騎士はずっと待機してくれていた。あの激戦を生き抜くのだと信じて、そして帰還方法の確保という自分の役割のために戦いに参加しないでいてくれた。
メルカバ捌号機は起動し、空に舞い上がる。
艦内ブリッジ。息絶え絶えのクルーたち。バルクホルンはまだ塩の杭の管理に注力している。それでも、艦内は事を成し遂げた充足感に満ちていた。
これでノーザンブリアが救われるわけではない。むしろここからが苦難の季節に他ならないが、それでもこれ以上の悲劇が増えることはない。
「当機はこれよりアルテリア本国に向かいますが、アングリアを経由します。スレイン殿とバレスタイン殿とは、そこでお別れですね」
従騎士の言葉に、分かれ行く二人が相槌を打つ。
「そうか……」
「世話になったな」
スレインとバレスタイン大佐が、これからの協会と軍の動きを話し合おうとした時……それは起こった。
まだ悲劇は終わらないのだと、メルカバに襲い掛かる衝撃。艦内がぐらついて、疲労にまみれていたバレスタイン大佐とスレインは身を揺らがせる。
「何だ!?」
「メルカバ後方に許容範囲を越える重量! これは……先ほどの幻獣が纏わりついています!」
従騎士の言葉に一同は驚愕した。絶えず揺れる艦内。さらに傾き。このままではメルカバが墜落する。
それだけではない。
「神父殿!?」
バレスタイン大佐が見つめる先。バルクホルンが苦悶を顕わにする。
「杭が……あの幻獣に引き寄せられている……!」
それは、どういう絡繰りなのか。幻獣が杭を求めているのか、それとも杭が幻獣を生み出したのか。
「従騎士さん、どうすればいい!?」
スレインは叫んだ。
「バルクホルン卿は聖具と杭で手一杯……幻獣の生命力は尋常ではない、メルカバの砲撃で倒します!」
先ほどは味方や杭があったからこそできなかった一手。
従騎士は一人で器用に操縦する。機体側面の砲身が、メルカバに纏わりつく幻獣に向けられる。
「発射!」
次々に襲い掛かる砲撃。それでメルカバはさらに揺れるが、それでもまだ幻獣は食らいつく。
スレインは思考する。そもそも、あれはどうして浮きあがったメルカバを捕まえることができたのか。あれは、恐らく重力に支配されない動きを見せている。
それは、出現と消失の瞬間を目撃したスレインだからこそ気づけた。ならば、あれは本当に殺さなければならないのではないか?
「後方ブリッジに出る! 幻獣をはがせるかもしれない!」
「だめだ大佐!」
バレスタイン大佐を、スレインは止められなかった。言葉通りブリッジに出て、その大剣を持って、纏わりつく四肢を再び砕くために。
だが、それでもきっと状況は好転しない。斬りつけて血しぶきがあがっても、四肢は変わらずメルカバにしがみついている。
なら、自分はどうすればいい。
「……バルクホルン神父! どうして幻獣はアンタの一撃で死ななかったんだ!?」
吼天獅子は塩の杭の奔流を何とか抑えながら言う。
「恐らくは……核だ! 心臓よりもなお深い、その場所にある核を!」
砲撃でもバレスタイン大佐の一撃でも貫ききれない。バルクホルンは動けない。スレイン自身の力でも、どこまでできるか判らない。
それでも最後の最後まで、一縷の望みを捨てることは許されない。故郷を、愛した人を守るために。
そうして、他の三人が持ちこたえた数秒間、スレインはたった一つの手立てに辿り着いた。
「……あった」
でも、そうしたら、俺は。
喉が乾いた。生唾を飲み込む。足元がなくなったような浮遊感。景色が遠くに見える。
それでも。
「従騎士さん……」
「何です!?」
「解決方法がありました」
「え!?」
「だから、絶対ねメルカバを墜とさないでくださいね」
「スレイン殿!?」
スレインは動いた。メルカバの倉庫内へ。そこには、事前に用意していた大量の爆薬があった。
それらを抱え、スレインは動く。
後方ブリッジへの扉に手をかけたところで、顔が見えたのは吼天獅子。
「そなた……何をするつもりだ……?」
「決まっているでしょう。幻獣に止めを刺すんですよ」
「待て……早まるな……!」
「俺が、俺たちが守る者は沢山の命。それは変わらないでしょう?」
「……」
「だから、行かせてください」
この状況にあっても、バルクホルンはスレインを止めようとした。なんてことはない、彼は自分たちの命と尊厳を両方とも守ろうとしていたのだ。紛れもない、女神の使いだった。
逆に言えば、だからこそ判ってくれたのだと思う。このまま幻獣を野放しにしてはいけない。何に変えても、今この場で殺さなければいけないことを。
誰かの命を犠牲にしても。
「汝に、女神の祝福があらんことを……!」
「ありがとう」
後方ブリッジへ出る。暴れる幻獣と、抵抗する公国軍人がいる。
「スレイン、無茶をするな! 生きて、大切な者たちと再会するのだろう!?」
バルクホルンとの会話を聞いていたのだろう、バレスタイン大佐は必死の形相で幻獣の四肢に向かっている。
同郷だからこそ、例え軍人と遊撃士だとしても分かり合えた。それだけでない。国を想うのは一緒だったから。
「大佐。貴方がいれば、きっとこの国は首の皮一枚繋げられる」
遊撃士と分かり合える、真っすぐな軍人がいれば。
「ふざけるな! 無駄死になどさせるか!」
「無駄死にじゃない。価値ある、希望だ」
バレスタイン大佐の腕が止まった。目が見開かれる。
「代わりにアンタが、なんてことは言わせない。一遊撃士と国軍の中枢。どっちの命が大事か、間違えたことは言わせないぜ」
「貴様も我々が守るべき命だといっているのだぞ!?」
「今の話じゃない! 何十年後の話だって、言ってるんだよ!!」
「な……」
「どうしてか判らないけど……視えたんだ。あの塩の杭のせいかな。あれが遠い将来も、きっと大公国の邪魔をする」
地上での幻獣との戦い。あれは予感などではない。預言だった。沢山の英雄たちが、結果的に大公国の誇りを繋げる未来だ。
太陽の少女が。壁を超える青年が。重なる心が。星の姫や、やがて自分などより強く成長する紫電の魂が。
「その未来のために……アンタが死んじゃ困るんだよ」
それだけじゃない。バルクホルンだって、生き残らなくてはダメなんだ。
現実的にだって、神懸かり的な勘にだって。すべてが告げている。
俺が死ねば、助かる命が無数にある。
「だから……行ってくるよ」
「スレイン……!」
道は決まった。
「きっと、歴史にも何も残らないだろうけど、でもアンタは覚えといてくれよな」
スレインは甲板の柵に立った。右手には棍を。左手には、大量の爆薬。眼下には幻獣。
背後のバレスタイン大佐が言った。
「忘れない。お前は紛れもない……この国の英雄だ」
「若造の遊撃士には、とびっきりの称号だ」
前を見る。地上での戦いで杭の周りの塩を吹き飛ばしたからか、巨柱はもうない。世界は明るさに包まれて、太陽が見えていた。
「気づかなかったな。いつの間に良い天気になってたんだ」
絶えず続く砲撃と猛攻。あとはもう、自分が大佐に合図を出せば、それで大佐は全てのお膳立てをしてくれる。
そうすれば、自分はきっと。
(皆、悲しむだろうな)
リーナも、アリエルも。沢山の人たちが。
「ごめん、リーナ。約束、守れそうにねえや……」
それでも、怖くない。たぶん、自分が生き残るよりは良い結末が待っている。
「うん、怖くない」
今の自分なら、幻獣を倒せる。あの時と同じ、何時かの、どこかの、誰かの力が、杭を介して自分に力をくれる。
「俺も、お前も同じか。お互いいなくなるためにいるのかな」
全てを塩に変える杭の力。それを使うもの、そしてその力に諍おうとする黄昏時の力。
「……一緒に行こう、滅亡まで」
棍を持つ右手を挙げた。
何も言わず、バレスタインが渾身の力を込める。後方甲板に巻き付いていた前脚が切り裂かれ、幻獣の体勢が大きく崩れた。
世界が遅くなる中、スレインは跳んだ。
そのままひっくり返った幻獣の腹部へ。
今なら、幻獣を倒せる。
「ハッ」
棍で一撫で。螺旋の理が体に宿り、巨砲のごとき一撃が幻獣を吹き飛ばした。
落ちていく幻獣と共にスレインは落ちる。メルカバの腹部を蹴り、スレインは容易に幻獣に追いついた。
そして爆薬を撒く。懐からマッチを取りだす。
元々が巨柱の破壊を試みる時のために用意したものだ。その威力は図り知れず、自分たちが地上にいたときも、幻獣がメルカバに巻き付いていた時も、被害が及ぶから試せなかった。
幻獣のみを吹き飛ばしてから、爆薬と火を落とす。それも不発に終わる可能性だってあった。
今なら確実だった。超常の力も関係ない。人間が生み出した力が、止めをさせる。
「リーナ」
願わくば、彼女に笑顔を。
「君を忘れない」
マッチに火をつける。
地上に、人の意志が生み出した太陽が燃え盛った。
────
ノーザンブリア異変。
七耀暦1178年7月1日から始まったこの旧大公国の悲劇を、人々はそう呼んだ。
旧公都ハリアスク近郊、北の街道に、雲をつらぬかんほどの巨柱が出現。建物、大地、そして命、触れたすべてを瞬く間に塩と変えた悪魔の存在。一日で公都全域を塩の海と化し、グレーヴ河を境に大公国の国土の半分を飲み込んだ。
この時点で大公国の命運は決した。発生当時に年に一度の建国祭が開かれていたこともあり、観光客も含め総人口の約三分の一が消失。公都ハリアスク、海港都市ネヴェリ、西方都市キルヴァの三つの行政区が壊滅した。
やがて塩化現象は収束し、大公国には近隣諸国、遊撃士協会、七耀教会の援助の手が差し伸べられる。身寄りを失った孤児は福音施設に手身を預かり、その将来に至るまでを見届けることとなった。
大陸全土に権威を持つ教会は、塩化にさらされた北方地域を完全に封鎖し、その管理下に置くこととなった。
国家元首バルムント大公は復興のためにあらゆる手を尽くしたが、国難にあって元首は隣国レミフェリアに逃れていたことが目撃した兵士や国民の声によって明らかとなった。緊切の事態にあって自らの身のみを案じた。そんな求心力を失った大公にもはや元首としての力はなく、翌年には民衆による武装蜂起がおこり、大公国は崩壊。民主議会による政権運営が始まり、アルテリア法国の承認を経て《ノーザンブリア自治州》と名を改めた。
国民、外国人、軍人、そして遊撃士。多くの命を散らした悲劇は、最後まで救済を得ることなく結末を迎えたのだった。 そして……さらに一年後。
────
七耀暦1180年、7月4日。河口都市アングリア。
グレーヴ河に南北を挟まれたこの都市は、その立地から塩化現象を免れることができた。
同じく生き残った観光都市ケントと比べ大きい都市であったこと、ノーザンブリアの交易を担うグレーヴ河沿いであることなどから、復興までの間自治州の中枢行政区としての役割を担うこととなった。
塩化現象に見舞われた大地が比較的近いことが難点だったが、それでも死者の魂をより近い場所で慰めたい者にとっては、都市北方の旧公都が見渡せるこの場所は、鎮魂の場所としてよく選ばれるようになり、いつしか異変に散った者たちの墓標が集まっていった。
だが、多くの人の命が散ったのは巨柱が出現した7月1日だった。異変から二年。その日は過ぎており、かといって飢えや疫病でなくなったものもわずか数日では考えづらい。この日に亡くなった者は極少数だった。だから、慰霊碑とそれぞれの墓前には殆ど人はいなかった。
夕暮れだった。そんな静謐の空間を、一人の男性が厳かに歩く。
慰霊碑に花を添え、しばしの祈りをささげた後、男性は目的の人物の魂だけが眠る場所に探す。
先客がいた。水色の長髪、黒い瞳の女性。着慣れた戦闘服だが、得物の導力狙撃銃は見えない。
アリエル・アレスレイ。遊撃士協会ノーザンブリア支部の代表遊撃士だった。
「久しいな。遊撃士殿」
「そちらもだ。バレスタイン大佐」
男性──バレスタインは、アリエルの隣まで歩いた。そしてかがむ。
既にアリエルが
「……遊撃士協会の動向はどうだ?」
「どうもなにもない。あの異変から二年、自治州となってから一年。忙しいのは変わらないが、混乱は落ち着いてきたよ」
遊撃士協会もまたノーザンブリアに尽くしたが、それ以上に元公国軍や七耀教会の手厚い支援があって、遊撃士協会は一般的な被災下の行動しかできなかった。非難されるようなことではない。だが……。
「失ったリーダーの意志に反する、とは思うがな……」
「そうか……」
遊撃士協会ハリアスク支部のリーダーであるスレイン・アルビドゥスは、塩の杭の異変に際して命を落とした。各地方都市に駐屯している遊撃士に、公都に所属する五人の内の二人。異変に際しての損害は遊撃士協会も例外ではなかった。各国から多数の遊撃士が派遣されたが、そもそも活動できる領域も五都市から二都市へ減少した。騒動が一応の落ち着きを見せた以上は、それもなくなり、遊撃士の発言力は国内の各勢力の中でも急激に低下した。
アリエルは、北の大地を見据えたまま問うた。
「それで? そちらの動向はどうだ?」
当初の大方の予想に反して、公国軍は革命の先導を握ることはなかった。それでも民衆の代表と協力し合い、バルムント大公を下したのは他ならぬバレスタインなのだが。
旧軍部は、現在は自警団及び警備隊として自治州の治安維持を担っている。代表は言わずもがな。
そして、その旧軍部が行きつく先。
「『自警団が猟兵稼業を始めようとしている』……その噂は間違っていないんだな」
アリエルの問に、バレスタインは無言というなの肯定を貫いた。
ノーザンブリア自治州は、異変の経緯もあって財政破綻をきたしている。他国の支援を受けやすい国家元首の権威は消え失せた。七耀教会の支援にも限度がある。既に自治州は死に体で、北方の環境も塩化による国土も、全て作物が育ちにくい環境だ。極度の飢えが国民を襲い、どれだけの人間がその年の冬を越せるのかも判らない。
だからこそ、早急に外貨を稼ぐ手段を求められた。民は息絶え絶え、国土もない。あるのは、侵略の危険性がほとんどなくなったために比較的穀潰しとなってしまった旧軍部だけだ。
資源は武力。だとすれば、金で雇われてどんな非合法な仕事でもこなす猟兵が、もっとも堅実な方法だった。
「……恨むか? 自国の民のために、他国の人々を不幸に落としかねない死神になるのは」
立場上、遊撃士と猟兵は対立関係にある。恐らく旧軍部が丸ごと猟兵となってしまえは、遊撃士協会はノーザンブリア自治州から追放されるだろう。そうなったとき、遊撃士協会のさらなる混迷は免れない。
自嘲気味なバレスタインの言葉に、アリエルは仏頂面で答えた。
「そうだな……あいつが残そうとしたノーザンブリアが壊れるのは、いい気がしないな」
スレイン・アルビドゥスはいい折衝役だった。遊撃士協会内でも、公都の軍部との会合でも、何よりも国の安定のためにできることを懸命にこなしていた。
とはいえ、猟兵とならなければ国はもっと死んでしまう。だが遊撃士にとって、民間人を犠牲にすることはできない。どっちに転んでも、遊撃士は限界を迎えていた。それでも。
「あいつの遺志を継ぐ。それはこのノーザンブリアの遊撃士全員の意志だ」
「彼の、か」
「だから……どこまででも戦う。それは何も、旧軍部と決まったわけでもない。降りかかる苦難と戦うだけだ」
「そうだな。ならば我々も、どこまでも戦うとしよう。遊撃士とではなく……これから数十年と降りかかる悪夢に」
勧善懲悪など、この世にそう簡単には存在しない。矛盾は常に心に突き刺さる。
それでも、一人の遊撃士が示したのだ。逃げることなく、戦えと。
アリエルは踵を返す。彼女はバレスタインより前にいたから、既にスレインに報告すべきことをしていた。
だが、大佐はまだ用があった。
「ところで……彼女は、リーナ・シランは来ないのか」
「何だって?」
「あの異変以降……彼の最期を伝えようとしたのだがな。終息直後は恐らく避けられた。それ以降は私も陣頭指揮や革命で暇などなかった。まともな休暇を得られたのも、つい最近だ」
メルカバからアングリアに帰ったとき、最初にあったのは目の前にいたアリエルだった。その時点でスレインの訃報を伝えはしたが、スレインが一番会いたがっていたリーナに会うことは終ぞ叶わなかった。メルカバからバレスタイン大佐だけが降り立ったのを見れば、どうしたって予想はつく。
だから、彼の命日である今日、およそ二年ぶりにバレスタインはスレインの基に訪れた。戦友への義理を果たすためだった。
アリエルは言った。
「心配しなくても、あいつは一年前くらいから落ち着いてるよ。異変終息直後はふさぎこんでいたが……少なくとも生き死にには問題ない。できることをやってる」
「そうか」
「去年もこの場所に来た。それに……今日もだよ」
背中越しに伝えられたアリエルの言葉に、バレスタインは振り返った。
アリエルの向こう側に、一人の女性が立っていた。薄墨色の髪と茶色の瞳。
「……リーナ殿」
「バレスタインさん、お久しぶりです」
リーナ・シラン。スレイン・アルビドゥスの恋人だ。
夕暮れに悲しいぐらいに似合う儚げな笑顔だった。
アリエルはリーナと何かしら言葉を交わし、離れていく。代わるようにリーナがスレインの墓標の前に立った。
無言のまま、先のバレスタインと同じように花を供える。
しばしの黙祷。バレスタインよりも、その前にいたアリエルよりも、ずっと長い時間だった。
合わせた手を解いて、リーナはバレスタインに向かい合った。
「……バレスタインさん。ごめんなさい。私を探していたのは判っていたのに」
「いや、事が事だ。責められるような事ではない。時間が必要だったのは誰もが同じだ」
バレスタインはリーナを見つめ……そして頭を下げた。
「すまなかった。彼を……スレイン・アルビドゥスを、助けることができなかった」
「そんな……顔を上げてください」
教会の暗部である星杯騎士団の二人は、その制約から多くの言葉をかわすことのできない最後だった。ただ、あの場にいた三人は共通の悔しさを残していた。武術でも、経験でも、知識でも、全てにおいて下にいた、守らなければいけない青年に護られたことに。
バルクホルンは厳格な性格だったが、スレインの死は堪えたようだった。あの場の三人は、言葉をかわさずとも、自然とスレインの遺志を継ぐ覚悟ができたのだ。
メルカバを降りた時の、バルクホルンの言葉が、ずっと耳に焼き付いて離れない。『この国を頼む』と。
バレスタインは頭を戻した。目の前には、なおも気丈に振る舞うリーナの顔があった。
「スレインは……ずっとひたむきでした。遊撃士になって、大人になって、理想が手に届かないと思っても、それでも最後まで諦めない人でした」
「ああ……最期の時も、そうだった」
「スレインの最期を、アリエルを通して貴方の言葉を聞きました。ありがとう」
バレスタインは、リーナから眼をそらすことができなかった。
自分よりも、ずっとずっと年若い女性。愛する者を失った。この二年間、何を拠り所に過ごしてきたのか。これから、何のために生きていくのか。この死が隣り合わせの自治州で。
「バレスタインさん。私は、この国を離れません」
言いかけたバレスタインの言葉を判っているのかいないのか、リーナは毅然と答える。
「遊撃士は皆さん、私によくしてくれた。アリエルたちの今の悩みは判っています。それでも私は、あの人が好きだったこの国で生きたい」
どこまでも美しい想いだった。理屈で語れるものではない。ただただ、美しかった。
「だから……どうか私たちを助けて下さい。でも、心配はしないでください。私は……スレインを忘れません」
その瞳の純粋な光は、スレインと同じだった。
意を決したバレスタインは口を開く。
「リーナ殿。例えどんなものであっても、彼の最期を、貴女に伝えるべきだと思っている」
「……はい」
「彼は、恐らく貴女に『約束は、守れそうにない』と」
「……っ」
二年越しの涙が出てくる。
「最期の言葉はそうだった。ただ、彼は言っていた。『遠い将来に、またあの巨柱がこの国の邪魔をする。だから、行ってくる』と、その身を散らした」
「ああ……っ」
膝から崩れ落ちた。その肩を抱き留めるのは役目ではないから、肩に手を置くだけだった。
「彼は、紛れもない《ノーザンブリア大公国》の英雄だった。歴史の闇に埋もれる英雄だ」
それでも。
「どんな悪事に身を染めようが、私は彼を忘れない」
それぞれがそれぞれの方法で、スレイン・アルビドゥスの軌跡を次代に残す。
「それが……我々の使命なのだから」
手を顔に押し当て、リーナはひたすらに泣いた。もう誰の声も届かず、嗚咽を抑えられずにひたすらに泣き続ける。
リーナ・シランの止まっていた時間は、今やっと動き出したのだ。
七耀暦1178年7月1日。ゼムリア大陸北西部、ノーザンブリア大公国は崩壊した。
突如として出現した《白き巨柱》により全てが塩に呑まれ、都市も自然も人も、すべてが死んだのだ。
世界には、英雄がいる。そして、歴史の闇に埋もれる英雄がいる。
これは確かに生きざまを刻み、人を愛して、愛された青年の物語。
激動の舞台となった三日間の大公国……その大地を生き抜いた、一人の英雄の物語である。
あとがき
名前
・スレイン・アルビドゥス
→スレイン→スイレン→「睡蓮」
→アルビドゥス→「キスツス・アルビドゥス」
・リーナ・シラン
→シラン→「紫蘭」
花言葉
・睡蓮
→「滅亡」
・キスツス・アルビドゥス
→「私は明日死ぬだろう」
・紫蘭
→「あなたを忘れない」
大雑把な大公国の設定図↓
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