オーガの里における鍛錬所と聞かれたら、まず真っ先に挙げられるのが山の麓にある洞窟だ。
横に大きく開いた空間は里の者達全員を収容できるかもしれない程に広く、何世代も前から受け継がれてきたといえる証拠である傷跡も見られる。中でもかつて存在していたという“鬼人”がつけた巨大な穴は壮観であった。
鬼人が穿ったというその穴を洞窟に鍛錬に行く者は越えられるように自らを鍛えるのだ。例え越えられないことが分かっていても、愚直に自らに重荷を課す。それが彼ら戦闘民族の生き甲斐であり性分であるのだから。
そして、それは屈強な大人達に限った話ではない。未だサナギから孵化していない子供達も生まれながらにして戦闘民族である。
現に、里のはずれに存在する林に囲まれた場所では木刀がぶつかり合う音が響いていた。
「ふぅ……準備運動はこれぐらいにしとくか」
「そうしましょうか。丁度身体も温まってきたところですし」
赤髪の少年――――若が木刀を肩に担ぎ、感触を確かめるように数回力強く握る。メキメキと悲鳴が出るがこれは元気な証拠だ。
気にしていないように木刀を更に強く握り、正眼の構えを取る。
正眼の構えこそ基本にして奥義、という里に伝わる伝承が若は非常に気に入っている。現代でいうなれば子供が仮面なんとかのポージングを真似る、といったところだろうか。
それに対して、白髪の少女は少し呆れたような顔をしながらも剣先を自身の身体の後ろに下げて戦闘の準備を終える。
これは脇構えといって、刀身を見せないことによる奇抜な構えだ。相手に刀身の長さを視認させないことによって実際に斬り合うまでは秘匿性が高い。
無論、弱点も存在する。こういった武器の長さに規定がある戦いではその秘匿性は皆無だ。少女も一応その構えを師匠から学んでいたが、実際に戦いに持ち込むのは初めてだった。
少女の構えに舐められているとでも思ったのか若干頬を引き攣らせながらも口を開く。
「んじゃ、開始の仕方はいつものでいいよな」
その問に少女は黙すことで応える。少しは反応しろよお前、マジでぶっ殺すからな……!と歯軋りし、少女の狡猾な精神攻撃にまんまとハマっていることに気付いていない若は苛ついたように裾から刀の鍔を取り出しソレを無造作に空中に放り投げる。
それは廃棄される寸前だった物をなんとなく若が手に取ったもので、これといった華やかさこそないがこうやって子供達の道具として使われることは多い。もちろん若達も訓練の道具として重宝している。
放り投げられた鍔は空中で何回も回転し、上昇する。
その間に若は木刀を握り直し、少女の目を注意深く見る。あらゆる攻撃を想定しつつも、決して慎重に大胆にならないように。
そして、鍔がぴたりと空中で止まったかと思えばすぐに落下を開始し始めた。
ゴクリと唾を飲み込む音がやけに響く。物音一つ立たない静寂なこの場所において無駄な音は存在しない。僅かな呼吸音、着物が擦れる音、地を踏む足音。最後に鳴るのは
カタンッ
――――鍔が地面に触れた音だった。
(今だ!)
若は、足腰に力を込め一気に距離を詰めようと足を踏み出す。最初の出だしで全てが決まると言っていい。若はそのことを文字通り身に染みて理解している。肘、腰、額、ありとあらゆる箇所に打ち込まれてきた。ときには股間にだって遠慮なく木刀の刃が及んだことだってある。だから、だからこそスタートダッシュで躓いては駄目なのだ。
(どこから来る?下からか?それとも上か?と思わせて横からか?それとも)
少女の挙動一つ一つを必死に注視し、どの角度からも対処できるように姿勢を保つ。そして、二歩目を踏み出し少女との距離が更に縮まる。そろそろ彼女の刃が首元に忍んで来る頃合いだろう。より一層神経を尖らせる。
彼女と交差していた視線が、舞ってきた木葉に遮られ―――視界一杯に木刀の刃が迫っていた。
眼前に勢いよく迫る刃に思わず足が止まり、そのままノックアウト……なんてことはなく冷静に木刀を振って叩き落す。
(っしゃあ!そうくると思ってたぜ!)
少女の攻撃、木刀の投法を防ぐという今年に入って最高の快挙に心の中で顔が歪むが今は試合中だ。故にすぐに意識を切り替え少女の姿を視認する。
地を這う蛇のように身体を低く屈め、足は瞬発力を意識しているのかバネのように折れ曲がっており、雪のように白い手を地面に着いていた。
―――――――隙だらけだ!
意図せず湧いた絶好の機会に若は自分が少女を打ち負かす未来を幻視し、迷わず腕に力を込め木刀を振り下ろす。が、
「隙だらけ、ですよ」
視界から少女が消え、その瞬間腹部に強い衝撃が走った。痛みに顔を歪ませつつも視線を下にずらしてみれば青白い光を両手に纏った少女が普段通りの無表情で掌底の構えを取っているではないか。
油断した、だがこの距離なら、と若は瞬時に判断し振り終えてあった木刀を横薙ぎに振る。
「はああ!」
「……ん!」
だがそれさえも少女は横跳びによって逃れる。ズダァア!と地面を削りながら着地し、持ち前のスピードで若の懐まで一瞬で距離を詰めてききた。若も予想していたように木刀を振り回す。
武器を持つ若と、無手である少女。傍から見れば一方的な展開になるのではと錯覚するが
「っくそったれ!」
攻撃を身に受けたのは若だけであった。
魔力量や瞬発力、技術力では少女の足元にも及ばないが単純な筋力だけでいうならば若の方が高いといえるだろう。だがしかし、どれだけ力を持っていても鍛えられた技の前には無力である。
例えるなら海に筋骨隆々の男が渾身の拳を叩きつけたとしよう。果たして海はその衝撃によって吹き飛ぶだろうか。
いいや否、少しさざ波立っただけで数分後には何事もなかったかのように波が押し寄せる。所詮、技を磨くことを忘れた拳なのだ。………無論、単純な筋力だけで海を吹き飛ばす者もいるだろうがそれは気にしてはいけない。
そのことを理解しているからこそ若は必死に振り続ける。
少しでも早く、その技を盗むために。少しでも少女に追いつくために。少女に負けた日に誓ったのだ。絶対にコイツを完膚無くボコボコにして煽ってやると。そのためならば幾ら負けてもかまわない。最後に勝った奴が勝者なんだ、そして勝ち逃げしてやる、と。
「ぐあっ!?」
顎に少女の後ろ蹴りが突き刺さるも気合いと根性で何とか朦朧とする意識を取り戻す。無数の汗の粒が浮かぶその顔には苦悶の表情ではなくどこか誇らしい顔をしていた。
まさかこの男目覚めたのか?と思った少女であったがそれがすぐに勘違いだと気づく。彼の瞳は、彼の髪色のように赤く燃え上がっていた。
「へへ……まさかお前とこうやって打ち合えるようになるとはな」
上気する胸を落ち着かせながら静かに口を開く。確かに、訓練当初は酷かったものだ。最初は見向きもされず放置され、ようやく構ってくれたと思ったら今度はサンドバックとして扱われる始末。
だからこそ、終始押されているものの一応試合になっていることに喜びを見出す。実験という名の股間の正しい蹴り方を学ぶための講座で犠牲になった息子達は必要な犠牲だったのだ。
だが、このとき若は思いもしなかった。まさか少女が全く本気を出していないことに。
「……打ち合える、ですか?そうですか、若はこれが試合として成り立っていると思ってるんですね」
「あ?」
少女の突然の問いかけに、やっと会話する気になったかという顔するがそれは表に出さずに(と若は思っている)端的に答える。
「いいですよ、貴方が試合と思っているのなら。ずっとその思いでいてくださいね。ずっと、ずっと」
少女は数歩後ろに下がり両手を地面に着き、戦闘開始の際の姿勢に戻る。
その異様さに改めて若は目を見張る。
現代でいうなればクラウチングスタートのようなものだろうか。だが、それとは少し違って彼女の独特な姿勢になっていた。
右足はこれでもかと後ろに引き下げられ、左足は地面と平行にバネのように折れ曲がっている。まるで、極限まで引き締められた弓のような姿勢。
大きく息を吸い込む音が聞こえる。
その音がやけに耳に響いた。少女からの打ち合いで鍛えた直観がナニかが来ると判断し、無意識に腰に力を込める。首筋には冷や汗がどっと流れていた。
思わず、今から人を殺すかのように殺気が高まっている少女に声を掛けてしまう。
「ちょ、まっ」
「慢心を抱いたまま、逝ってください」
少女の声が耳元で聞こえた瞬間、若の股間が破裂した。
「ふっ……、またつまらぬモノを蹴ってしまった……」
少女は地に伏せる若を見てどこか気持ちよさげに呟く。もちろん元男である彼女は股間の痛みを身を持って理解している。しかしだ、やられるのは嫌だったとしてもやるのは楽しい。
それに今世には息子はいない。一度も使用することなくお別れとなったことは大変悲しいことだが、無くても別に困らないなという境地に至ったため未練はないのだ。
「ん、また魔獣が里に来てますね」
未だ股間を抑えて悶々としている若から目を離して、森の中に視線を向ける。里に来ている、といってもかなりの距離があるが通常なら森の上位種族であるオーガの里に近づく命知らずな魔獣はいないはずなのだ。それもここ一週間頻繁にやって来ている。方角は西から、恐らくそこはオークの支配領域だった気がするが……。
「まあ、別に問題はないでしょう。もしオークが襲ってきても師匠達が瞬殺するでしょうし」
頭の中でオークの首を一瞬で刈り取る師匠の姿が容易く浮かぶ。
彼女のオークへのイメージは女性に種付けするけしからん魔物、ぐらいで戦闘力はあまりないと考えている。それに、戦闘力が想像よりも高くても装備も技術も豊富なオーガの大人達が負けるとは思えない。
要らぬ心配だったな、と少女は泡を吹いている若を無視して里の方に踵を返した。
オリ主
意図せずにして流水岩砕拳を習得した。本番で成長するタイプ。
若
戦意喪失と共に息子喪失しかけた。妹の妖術で命拾いした模様。兄の威厳はとうの昔に捨て去っている。