神が讃えしその駿駆 作:松武栗尾
東京都府中市。日本ウマ娘トレーニングセンター──通称トレセン学園。
その正門前に一台のタクシーが停車すると、後部座席から学園指定の制服を纏ったウマ娘がドアをくぐって降りてくる。
「──ありがとうございました」
最寄りの駅からここまで送ってくれた運転手に一言礼を述べタクシーが走り去るのを見届けると、少女は学園へと向き直った。
「……久しぶりだな」
学園の校舎を見上げて呟き、尻尾を靡かせながら彼女は前へと足を進めた。
季節は春。桜咲き、出会いと始まりを告げる季節である。
「カイチョー! 遊びに来たよー!」
生徒会長室の重厚な扉が勢いよく開け放たれると共に、茶褐色の髪をポニーテールに纏めた前髪の三日月が特徴的なウマ娘が元気よく足を踏み入れた。
「ん? ああテイオーか。ずいぶんとご機嫌じゃないか」
「カイチョー聞いてよ! マックイーンたらさー……」
テイオーことトウカイテイオーはここだけの秘密、とドーナツは穴が空いているから0カロリーであるから何個でも食べて大丈夫だと力説していた芦毛の同級生のことについて話そうとするのだが。
「あれ? カイチョー?」
彼女の憧れの人がいつもの執務机ではなく、生徒会長室に備えられた応接用のソファに腰を下ろしていることに首を傾げた。
「おい、ノックしてから入れといつも言っているだろうが、全く!」
彼女──生徒会長であるシンボリルドリフが苦笑を浮かべ、傍らに控るアイシャドウを引いたウマ娘が不躾に入室してきたことを注意する。
「それに、今会長はお取り込み中で──」
「まあまあエアグルーヴ──テイオー、せっかく足を運んでもらったところすまないが、暫し待っていてはくれないか」
「えー、せっかくボクが遊びに来たっていうのに、ボクよりも仕事の方が大切なのー……カイチョー、その人だれ?」
頬を膨らませわざといじけてみせようとするテイオーだったが、一人のウマ娘──先程タクシーから降り立った少女だった──が湯気の立ち上るティーカップと何かの箱が置かれたテーブルを挟んで対面していることに遅れて気が付く。
「彼女はな……」
「あっ、分かった! キミ転入生でしょ!」
視線を正面のウマ娘へ移すルドルフの声を遮り、テイオーは一人合点がいったようにポンと掌を打つ。
「こら、人の話は最後まで聞かないか──」
「はじめまして! ボク、トウカイテイオー! キミ名前は? 出身は? 得意なコースは? ところてん好き? 上がり3ハロン何秒で駆け抜けれる?」
すると彼女は大好きな
「因みにボクはねー、上り3ハロン三十──」
「このバカ者!」
「うひゃい!?」
以前出したベストタイムを得意気に披露しようとしたころ、突然雷を落とされてテイオーは肩を跳ねげさせる。
「エ、エアグルーヴ?」
「貴様、なんて口のきき方をするんだ!」
「ど、どうしてそんなに怒るの? ボクはただ質問してるだけで……」
先程テイオーを注意したウマ娘──生徒会副会長のエアグルーヴに怖い顔で見下ろされ、テイオーはどうして怒られたのかも分からず身を縮こませる。彼女はしょっちゅうエアグルーヴから叱られるので慣れっこになっていたが、今回はいつもと剣幕の質が異なっていたからだ。
「この方はだな──!」
「まあまあエアグルーヴ。そんなにカリカリしないで」
目尻を吊り上げるエアグルーヴに制止をかけたのは、意外にも見知らぬウマ娘であった。
「ですが──」
「せっかくの美人さんが台無しだよ。笑顔笑顔」
「はあ……分かりました」
落ち着けと身振りをつけるウマ娘に言われ、渋々矛を納めたエアグルーヴを見てテイオーは面食らってしまう。同時に彼女を抑えたこの茶褐色の髪を持つウマ娘、実は只者ではないのではという思いを彼女に抱かせた。
「キミ、一体──」
「テイオーっていったよね。さっきルド──会長が教えてくれたよ。自分を好いてくれてる、すごい才能のある自慢の後輩がいるんだって。それって自分のことでしょ?」
「ほわっ!?」
驚いていたのも束の間に、そのウマ娘の語った話にテイオーは別のベクトルでびっくり仰天して身を乗り出した。
「ホントに? カイチョーが? ボクのこと誉めてくれたの!?」
「本人の前じゃ言えないけど、ってさっきまで楽しそうに話してくれたんだ」
「きょわーっ!?」
「いやはや……参ったな」
さっきまでの意気消沈はどこへやら。ブンブンと尻尾を振って興奮を隠せない彼女は、自分を陰で誉めてくれていた、ルドルフの腕を揺さぶって抱き締める。
「本人に暴露してもらうために、お話をさせてもらったわけではなかったのですが……」
「会長、そういう人への好意的な気持ちはちゃんと伝えてあげた方がいいよ」
「立場上、特定の誰かを贔屓してると思われる言動は控えなければならないのものですから」
「相変わらず固いねぇ。まあ、生徒会役員は他の子たちの見本にならなきゃいけないから仕方がないか……しょっと」
バツが悪そうに笑みを浮かべた生徒会長に対しのんびりとした調子で軽口を叩いたウマ娘はティーカップの中身を飲み干すと、ソファの脇に置いていた大量の紙袋を手に取りながらのっそりと立ち上がる。
「ちょっ、お話はまだ途中──」
「可愛い後輩
「せっかくいらして下さったのですから……」
「こっちが一日早く押し掛けたわけなんだし、そんなに気を遣わないで大丈夫」
そのまま扉の方へ向かったウマ娘を慌ててエアグルーヴは呼び止めるが、彼女は柳に風といった様子である。
「申し訳ありません。明日、理事長同席の上で改めて説明をさせて頂きますので、よろしくお願いします」
「うん、明日はよろしく。今度会ったら、腰を落ち着けてお話しようねテイオーちゃん」
「カイチョー、ボクのことそんな風に思ってくれてたなんて……! ボクもカイチョーのことが大大大好きだよー!」
「……その子、本当に会長のことが好きみたいだねぇ」
「あはは……彼女と私の関係はあなたとミホの関係のようなもの、と言えば分かってもらえるでしょうか」
「なるほど」
夢中になってじゃれるテイオーの相手をしつつ、ルドルフは扉の向こうに消えようとするウマ娘へ投げかけた。
「いやぁ、モテる先輩は辛いね──ルドルフ」
その言葉に思い当たる節があるのか、彼女はうんうんと頷いて何かしかを呟くと、茶褐色の尻尾を揺らして扉の向こうへと姿を消してしまった。
「……行ってしまいましたね」
「自由奔放──いや彼女の場合は悠々自適と呼ぶべきか。昔から変わらないな、あの人は」
伸ばした手をそろそろと下ろしながら所在なさげにするエアグルーヴと、仕方ないと
「それよりもだ。テイオー、そろそろ腕を離してはくれないだろうか?」
「ボクはまだ離れたくないのー!」
「そう言わずにだな……そうなると、せっかく頂いた八ツ橋が一緒に食べられないな」
「えっ八ツ橋あるの?」
「ここにある菓子折りがそうだ。ほら」
京都の代表的和菓子の名前に素早く反応して飛び退いた後輩を現金な奴だと苦笑混じりに見つつ、拘束を解いてもらったルドルフは目の前に置かれていた箱を開けてみせた。先程退席したウマ娘からの貰い物である。
「ホントだー!」
「お土産で頂いたんだ。せっかくだし、三人で頂くとしよう。ブライアンには悪いが」
「ブライアンの奴は……仕方ありません。しかし会長。生徒会の業務がまだ残っていますが……」
「君もあの人を前にして緊張しただろう? 実を言えば私も少し気を張っていてな、一息入れてからの方が仕事も捗るだろうさ」
「……では、緑茶を淹れますので暫しお待ちを」
「ああ、頼む」
「むあっ」
折れたエアグルーヴがいそいそとお茶の支度をする傍ら、八ツ橋を頬張っていたテイオーが思い出したかのように顔を上げる。
「どうした?」
「ムグムグ……さっきの子の名前聞きそびれちゃった」
「なに、次あった時に改めて尋ねればいい」
「それもそうだねー、ゴクン」
軽い調子で頷きつつ、だらしない顔で三角形の和菓子を食べるテイオーをルドルフは微笑ましく見守る。同時に去っていったウマ娘の素性を彼女が知ったら、どんな反応をするのだろうとも考えてしまう。
「会長、こちらを」
「すまない」
「ほら、貴様には紅茶だ。砂糖とミルク入りでな」
「ありがとー。けどさ、どうして二人は敬語使ってたわけ? あの子転入生だったんじゃないの?」
エアグルーヴからティーカップを受け取ったテイオーは食べる手を一端休め、気になっていた点を口に出した。
さっきの転入生。転入生にしては気負った風もなかったし、むしろ慣れ親しんだ様子で二人と接していたこともある。加えていつもより畏まっていたエアグルーヴの態度も気になった。
「それは勿論──」
後輩の率直な疑問に対し、先輩であるルドルフは湯呑み茶碗に一口着けてほうと一息ついてから答えた。
「彼女が、我々の先輩だからだよ」
「──これが理事長とたづなさんの分。まさか、二人が今日外出してるとは思ってなかったなぁ……これが栗東寮の子たちの分で、美浦寮の子たちの分──」
その頃、茶褐色髪のウマ娘はお土産を渡す相手に漏れがないかを口にしながら、中身が詰まっている紙袋を大量に引っ提げて正門へ続く桜並木を進んでいた。
「これがマルちゃんの分で、これが──いたっ」
しかし確認に気を取られ過ぎていたせいで足元に転がっていた『それ』に彼女は気付けず、そのまま足元を取られてずっこけてしまう。
手から離れた紙袋は宙を舞い、中身が散乱してしまう。
「…………」
京都、愛知、北海道と様々な地方で買ってきた土産物の菓子折りが辺りに散らかっている様を彼女は見渡した。自分の置かれている惨状に気にした素振りもなく、続けて視線を転んでしまった原因である足元の『それ』に向けた。
「……何これ」
彼女には見たことのない物体だったが、一軸のタイヤの間に板を張り、T字形のハンドルを取り付けているところからすると乗り物であるのだろうと予想を着ける。
「こんなので、どう前に進めっていうんだろう──」
「おーい」
首を捻っていたウマ娘の耳に誰かの呼ぶ声が風に乗って聞こえてくる。
「おーい、アタシのゴルシちゃん号やーい。隠れてないで出ておいでー」
振り返れば、何やら地面に這いつくばっている芦毛の二人組が視界に入る。
「……どうして
「いーじゃねーか。どうせ暇なんだろ?」
「あなたが無理矢理連れ出したのではありませんか。そもそも、あり得るんですの? セグウェイが勝手に走りだしたなんてそんな──」
「いやさ『お前、生産終了になるらしいぜ』ってゴルシちゃん号に教えてやったら相当ショックだったみたいで、逃げ出しちまったんだよこれが」
「本気で言っていますの? それ」
片方はがさつな口調をした抜群なプロポーションをしたウマ娘、もう片方はまだ幼さの残る体つきのお嬢様言葉を話すウマ娘。
背を向けて探し物に夢中になっているちぐはぐなコンビと、足元に転がる自転車もどきとの間で何度か視線を行き来させた茶褐色髪のウマ娘は間を置いてのっそりと立ち上がった。
「ゴールドシップ」
「あん? 見ての通りアタシは今忙しいんだ。悪いけど、漫才の相方探してんならなら他を当たって──」
「ゴルシちゃん号って、このへんちくりんな二輪車のこと?」
「って、あったー! こんなところにいやがったのかゴルシちゃん号!」
彼女が背の高い方のウマ娘ことゴールドシップの肩を叩くと、胡乱げだった表情がぱあっと輝いた。
「ありがとーなあんた今度お礼に焼きそば作って──って、うげっ!?」
しかし喜色満面であったゴールドシップの表情が、恩人の顔を見た瞬間驚愕のものに変わる。
「相変わらず自由気ままだね、自分」
「そ、そんな! バカな!」
「ちょっと! 大丈夫ですの?」
幽霊を見たかのように顔を青褪めさせ、よたよたと後退る彼女を目をマックイーンと呼ばれた少女は慌てて支える。
「お前、北海道で死んだはずじゃ……!」
「冗談。わたしはね、休学してたの、休学」
「けっ、なーんだ。アタシはてっきりトリックでも使ったのかと思ったけど、ちげーんだ」
マックイーンの心配も他所にウマ娘の冷静な返しにつまらなそうに鼻を鳴らし、すっと姿勢を正して差し出されたゴルシちゃん号とやらを素直に受け取るゴールドシップ。
「ゴールドシップさん、こちらの方とはお知り合いですの?」
「久々に戻ってきて色々変わったと思ってたところだけど……自分は相変わらず変なことしてるみたいで、逆に安心したよ」
「しかし、あんたが戻ってきたとなるとアタシもいよいよ年貢の納め時かな、こりゃ。てか髪染めた? なんか色が薄くなってね? 尻尾のつけ根もなんか白くなって──ぐえっ」
「あのっ、無視しないで頂けますっ?」
旧友と再開したかのような会話を交わすゴールドシップの肩に腕を回して自身の存在をアピールするのは、マックイーンこと名門メジロ家のご令嬢メジロマックイーン。
「メジロ……?」
「この方があなたの知り合いなら、私にも紹介して下さらないかしら!」
「……悪いマックイーン! 藁に納豆詰めるバイトが入ってたの思い出したからあたしはもう行くぜ!」
「はあ? 何を言って──」
しかしマックイーンの拘束をゴールドシップはいとも簡単にスルリと掻い潜る。
「飛ぶゴルシちゃん後を濁さず、ってな。あばよぉ、とっつぁーん!」
「ちょっと!」
そのから先はあっという間で、意味不明なことを口走り、彼女は颯爽とセグウェイに股がると見事な芦毛の髪と尻尾を靡かせながら逃げるようにその場を後にしてしまった。
「──ああもうなんなんですのっ、訳が分かりませんわ!」
「……変な乗り物だなぁ」
逃げたゴールドシップに取り残された二人、彼女に振り回されっぱなしのマックイーンは一目も憚らず地団駄を踏み、
「自分、ゴールドシップとは仲良しなの? あの子のおふざけに付き合ってあげるなんて、優しいんだね」
「別にっ、彼女のためとかではなくてですね──!」
声にはっとしてマックイーンが否定しようと振り返れば、ゴールドシップの知り合いらしきウマ娘はのそのそと辺りに散らばった土産物を紙袋に詰め直しているところである。
「……よければ手伝いましょうか?」
「ありがとう、助かるよ」
ただ見ているのも忍びなく、加えて初対面への人へ声を荒らげてしまったという己のいたらなさを恥じ、マックイーンは腰を落として菓子折りを紙袋へ入れていく作業へ手を貸す。
「大変だと思うけど、あの子とはこれからも遊んで上げてね。ああ見えて甘えん坊なところがあるからさ」
「はあ……」
あのハジケっぷりの激しいゴールドシップのことをよく知っているような口振りで話すウマ娘にマックイーンは、同じような
「ゴールドシップさんには、あなたもからかわれていらして?」
「いやいやまさか」
「そうですの……」
期待したような返答なく、少しだけションボリするマックイーン。
「では、差し支えなければ名前を教えて頂けます? それと、休学されていたと仰られてましたけど……」
動かしていた手をピタと止め、ウマ娘は顔を上げる。
ひっつめた茶褐色の髪を
右の耳に耳飾りを付け、凪のような表情をしたウマ娘に正面から見据えられたマックイーンは僅かに息をのむ。
威嚇された訳でも、威圧感を感じたわけでもない。ただ彼女のもつ黒い瞳。その目を見た瞬間──何かを直感したのだ。
まるで巨大で雄大な、遥か彼方に聳え立つ、堂々とした山々と対面したような、胸の内から湧いてくる言い知れない畏敬の念のようなものを、そのウマ娘に錯覚したのである。
「どうしたの?」
「っ、いえ。なんでもありませんわ」
が、それも一瞬のことであり当のウマ娘は呑気に見つめたままで、こちらの動揺など気が付いていない様子。
気のせいか、と
「……私は、メジロマックイーンと申します。こちらから伺っておきながら、名乗ることもせず失礼いたしました」
名を名乗られ、頭まで下げられてしまったことに茶褐色髪のウマ娘は意外そうに目を瞬かせると、フッと気が抜けたように小さく息を吐いて、仄かに微笑んで自らの名を告げた。
「────わたしは、シンザン」
直後、サアッと春の麗らかな風が二人の間を吹き抜け、見事な桜吹雪が舞う。
「これからよろしくね。マックイーンちゃん」
季節は春。出会いと始まりの季節である。